フォト

わたしのいきつけ

無料ブログはココログ

角田光代さんの「世界は終わりそうにない」を読んだ

20190713_kakuta_mitsuyo001

『世界は終わりそうにない/角田光代著(中公文庫)』を読みました。

角田さんのエッセイと対談、自らが書く「書評」についてなど、けっこう盛りだくさんで、著者のふだんの顔というか、身近な様子が見えました。

「酔っ払い電車」という項目では、ふだん終電間際の電車に乗っているときは自分も酔っ払っていて気づかなかったが、しらふでその電車に乗ってみた話が出ていた。
いろんな人が乗っていたが、会社員ふうの人達がいちばん多く、そのほとんどが酔っ払っていた。
で、酔っ払いが占める比率が高い電車だが、車内は奇妙に平和であった・・と。
静かな酔っ払い達を見て、自分がこの上なくやさしい気持ちになっていた・・と、自己発見!
そんなことに感動している角田さんに私はとても親近感を得た。

わたしが居酒屋関係の本の紹介でよくこのブログに登場させる「太田和彦」さんと飲むことになった話も書かれていた。
やさしい太田さんのおすすめのお店で飲む角田さんは、難しいことを言わない太田さんに感心し、よろこんでいました。

そして、太田さんが取りだした忌野清志郎の写真集。そこにはライブハウス「ジァンジァン」で忌野さんの前、最前列で聞いている若かりし頃の太田さんが写っている。
そこで角田さんは“ぴかーん”と浮かんだ。
「キザクラの青年」という清志郎さんが書いた日記のタイトルを。

その日も彼はキザクラを持って楽屋にあらわれ、「2ステージ目は彼ひとりのためにやろう」と清志郎は日本酒を神棚に飾る・・。
角田さんが二十三年前に読んだくだりのキザクラの青年は太田和彦さんだったのです。
「もしかしてキザクラの青年ですか?!」と角田さん'(*゚▽゚*)'「そう、そう」と太田さん。
なんだかいい話だ。

その他対談もいくつか載っているし、恋について、恋愛についても角田さんの思うところが書かれている。
実に内容濃く、盛りだくさんの本だった。
読んでいるこちらの脳みそも活性化されたようだった。

2019/07/15

ブログでも近況報告

20190715_flower003

写真は今朝の庭の草花です。
Instagram経由で facebook にもアップしましたが、ブログでも近況報告いたします。
6月27日、倒れる前日から体調はどんどん悪くなり、翌日胃腸科医で検査中、容体は急変し救急車が呼ばれ、搬送途中から自分がどうなってしまうのか、不安でいっぱいでしたが、体調はやがて不安になることも出来なくなるくらい意識が混濁し、どんどん悪くなりました。

その後の怒濤の検査と、最終的には先生と相談し、輸血という処置をやむを得ず行うこととなり、最低限の血液を確保し、一週間の経過観察の後、自宅療養となり現在に至っています。

入院したときも、入院中もそうでしたが、仕事のこと、今後の家族・家庭のこと、すべてが自分に不安要素として襲い掛かって来ました。
もういても立ってもいられない気持ちでした。4月からの第二の人生ともいえるスタートが崩壊していくのを感じました。

帰宅し、自宅療養が始まっても気持ちは焦るばかりで、家族と顔を合わせるのもどういう顔をしていいのかわからない・・。
こんな精神状態を経験するのも初めてでした。
日中もそんな状態なのに夜になるとさらに何かが取り憑くように心の中に入ってきて、なかなか寝入ることが出来ず、ようやく眠れたと思うと次から次へと悪夢を見ました。
何度も目覚め、何度寝直しても悪夢の続きを見る。地獄のような状態。

今もそんな気持ちは続いてはいるのですが、いろいろな人からいろいろな言葉をいただき、少しずつ立ち直ろうとする気持ちが出て来たところです。
ブログに、入院中・退院後に読んだ本の読後感をアップしているのも自分の気持ちの整理をしていこうとする一貫です。自分を落ち着かせようとしているのです。
今回のことで弱い自分を痛感しました。

もうちょっとだけ時間をかけて元気になろうと思います。
そのためにも、このブログを大事にして書き続けます。

以前と同じように楽しく元気なブログを書けるよう、もう少し時間をいただきます。
現在の正直なところの近況報告です。

池波正太郎の「食卓の情景」を読みました。

20190708_01_ikenami_shotaro001

『食卓の情景/池波正太郎著(新潮文庫)』を読みました。
退院して自宅療養中に読みました。

おもしろかったのは、池波さんが少年の頃、屋台の「どんどん焼」という東京下町のお好み焼みたいなものでしょうか、それを売るおじさんに「じゃがいもの茹でたのを賽の目に切ってさ、キャベツといっしょに炒めたらうめえだろうな」とアドバイスして、それが大好評に!(^^;)

さらに「じゃがいもをよくつぶして焼いて、まん中に穴をあけて卵をポンと一つ落とし、半熟になったのを食べたらうめえだろう」と続いてアドバイス(^_^;)

上記ふたつの命名までしていて前者を「ポテト・ボール」、後者はおやじが付けて「鳥の巣焼き」と相成りましたd(^_^o)
ただ者じゃありません、池波少年。

焼かせてよ、というリクエストにどんどん焼屋のおやじは池波少年に手伝ってもらったりもしていましたが、そのうち、長い時間を池波少年にまかせるようになりどこかに行ってしまう。どこに行くのだろうと思っていると・・。
なかなかの“いい男”だったそのどんどん焼き屋、やくざのボスの女に手を出しそこに通い詰めていたらしく、やくざの子分達に連れて行かれるのを池波少年は見ています。その後二度とそのどんどん焼屋の姿を見なくなったと書かれています( ̄O ̄;)

池波氏は、勤め始めた頃は株屋。当時は千三つや(千に三つも当たればよいみたいなことでしょうか)と呼ばれていたわけですが、かなり儲けて、やばいくらいの派手な生活をしていたようです。そこでもいろいろな食と出会った話が出て来ます。
下谷区役所にも勤務していたこともあり、その後、新国劇の脚本・演出を担当し(ものすごい遍歴です)、さらにその後は「錯乱」で直木賞作家に!
「鬼平犯科帳」などのシリーズは代表作として有名です。
そしてこの本のような“食の名エッセイ”でも名を馳せています、すごすぎる!!

食の興味は大阪、京都、東海道、鵠沼、横浜、奈良、柳生、伊賀上野、勢州・桑名、どんどんどんどん紹介され、実に面白く興味深いものがありました。
チキンライス、とんかつとカレー、芋ノコ汁など、身近だったり庶民的であったりするものにも触手は伸び、さらに時々登場する奥さんとお母さんのコンビもエピソードに隠し味を加えます。

読み応えのある「食エッセイ」でしたよ。

2019/07/14

「森崎書店の日々/八木沢里志」を読んだ。

20190708_02_yagisawa_satoshi001

『森崎書店の日々/八木沢里志著(小学館文庫)』を読みました。
実に読みやすくて、なんだかちょっと元気の出る本だった。

冒頭、主人公の貴子という女性は交際一年の彼氏から突然「他の女性と結婚するから」と別れを告げられます。
あっという間に奈落の底に落ち、失意のどん底の中、職場恋愛(もて遊ばれただけ?)だったため、会社まで辞めてしまう。
そんなところから物語は始まりました。

そこへ小さい頃に可愛がってくれた叔父から声がかかり、叔父が後を継いだ神保町の古書店に住み込みで働くことになります。

この物語の主人公は、その貴子と、声をかけてくれた叔父(昔はぶっ飛んだ感じで、貴子にはとても古書店の店主を継ぐようなタイプには見えなかった)の二人になっていて、貴子の古書店で、そして近くの喫茶店で知り合った人達との人間的なやり取りと、自身の立ち直り、さらに謎の過去を持つ叔父と、行方不明になっていた叔父の奥さんも物語にからみ始めます。

このお話の良いところは、どろどろとした不可解な、あるいは怪しいような人が登場しないことです。
それぞれに問題を抱えつつも自分に真っ直ぐに生きて行く人ばかり。
小説という形態をとっている物語としては異例に一途で真っ直ぐで、爽やかなストーリー展開なのでした。

ある日ひょっこり何年ぶりかで戻って来た叔父の妻も、色々な過去と事情を持ち、その中身はとても重いものがあるのですが、それでも主人公の貴子は真っ正面から叔母と向き合い、叔父と叔母の関係にも光明が見えてきます。

読んでいてとても勇気づけられる物語でした。
ものすごく明快な解決みたいなことにはならないのだけれど、でも、なんだか気持ちはすっきりするのです。

病み上がり、退院後、家で療養している身には、心に青空が広がるような本でした。
ありがとう。

2019/07/13

立川談志に聞く「人生、成り行き」を読んだ

20190708_03_tatekawa_danshi001

『人生、成り行き -談志一代記-/立川談志・聞き手:吉川潮(新潮文庫)』を読みました。
私の体調が戻りはじめ、ベッドから降りることが許可され、トイレにも行けるようになった頃に読みました。

7年くらい前の文庫発刊で、ブックオフで見つけておいたものです。

噺家として弟子入りした(お師匠さんは、あの小さん師匠)頃から他を圧して噺がうまかったと自画自賛しているが、実際にそうだったのは事実で、寄席だけでなく、キャバレーやその他テレビなどにもどんどん進出していたらしい。
そして、その後もそうだったが、生意気であったのも間違いなかったようです。

その頃のハチャメチャぶりを読んでいるだけでも面白かった(結婚、志ん朝に真打ち昇進の先を越される、政治家になっちゃった、選挙戦のおもしろ話などなど)のですが、この聞き書きでもっとも迫力があってリアルに伝わってきたのが、あの落語協会分裂、立川流創設の話でした。

騒動のさなかで右往左往する落語家達、師匠との関係(師匠には優しい眼差しも持っているが、その器と行動には諦めも感じていた様子)、そういうことがあってからの落語そのものに対する自己にも厳しい突き詰め方には今さらながら驚きました。

性分だから仕方ないのかもしれませんが、そんなに極めようとして落語の向こう側の扉までこじ開けようとしている姿には、「そうまでせんでも」・・と私は思ったのですが、でもそれが談志の魅力であったわけで・・。

弟子の志の輔さんのことを褒め、やがては自分の今考えている領域まで来るよきっと、などと話していますが、それを聞いている志の輔さんは戸惑っています。
そこまで行っちゃうと、もうそれは落語というジャンルではなくなってしまいそうです。

あとは亡くなった志ん朝師匠へのライバル心が其処此処で見えてきます。
志ん朝師匠が何人もの先輩を差し置いて、先に真打ちになることが決まったときに「お前辞退しろ」と言いに行ったり(^_^;)、「いや、兄さん、あたしは実力でみんなを抜いたと思ってる」と言われて、ぎゃふんとなり、「うん、立派だ」と思ったり。

結局、談志さんは自分とは異なるジャンルの噺家だ、ということで無理やり自分を納得させていたのが見てとれました。

談志師匠の本は数ありますが、この本はガチンコで本人から聞き書きした芯の通ったものでした。立川談志に興味のある人にはおすすめ本です。

 

【Now Playing】 ナイツのチャキチャキ大放送 / やくみつる他 ( TBSラジオ )

2019/07/12

おいしい旅・・夏の終わりの佐渡の居酒屋/太田和彦さんの本を読んだ

20190708_05_ota_kazuhiko001

ベッドから起きられるようになり、少し顔色も戻って来た段階での病院で読んだ本でした。
『おいしい旅 -夏の終わりの佐渡の居酒屋-/太田和彦著(集英社文庫)』。

居酒屋で飲むことの達人、太田和彦さんが、今回は金沢・京都・仙台・佐渡・松本・東京、そしてウィーンと巡る巡る!(*^_^*)

北陸新幹線に乗って金沢へ。
顔なじみの「おでん高砂」では「かに面」!っと気負い込んで注文したが、「十二月で終わりです」との返事にがっくりする太田さん(^_^;)
越前カニの値の安い雌・香箱カニを丸ごと一杯剥いて甲羅に詰めなおし、注文を受けてから十分間煮る“かに面”!
カニ身・内子・外子・みそ、とカニのすべてが味わえるのだそうです。
でもって最後は空いた甲羅に燗酒を注ぐ「かに酒」が最高だ、なんて太田さんに言われただけで私も金沢に行きたくなりました。
・・結局、今回はそれが食べられなくて太田さん「スジ、ばい貝、車麩」と矢継ぎ早に注文、もちろん日本酒を燗で。

今回は、太田さん、京都に行き、『京都の中華』を紹介してくれます。
ハマムラのえび春巻き、平安のカラシソバなど、私のまったく知らなかった独特の中華。ぜひ一度行って食べてみたいと思いました。

佐渡、松本にも出掛け、どこに行っても馴染の店に懐かしい店主、女将がいて、そこでの交流も楽しく読みました。太田さんの人柄によるものだろうな、といつも思います。

東京に戻れば太田さんの本拠地。
そこでもまた太田さんの好きな洋食なども紹介してくれていて、相変わらずの名調子です。

ベッドで本を読んでいたときに、食べ物などの話は読みたくなかったものの、体調が回復し始めたら、やはり太田さんの本が読みたくなったのでした。

次は噺家、談志師匠のインタビュー本をご紹介しようかと思います。

2019/07/11

椎名誠さんの「やっとこなあのぞんぞろり」を読んだ。

20190708_06_shiina_makoto001

『やっとこなあのぞんぞろり/椎名誠著(角川文庫)』を読みました。これも病床で。

1992年に本の雑誌社から刊行されたものの改題・文庫化です。
この時代の椎名さん、何をやっていたかというと、映画制作です。
「ホネ・フィルム」という映画制作会社までつくって、かなりこの頃は映画に入れ込んでいたようです。

第一作の「ガクの冒険」を、一般的な上映館への配給で行うのでなく、全国コンバットツアーとなどと言って、全国にいろいろな都市から要望をもらったりして、公民館や体育館など、一般的な映画館ではないところで上映している様子が書かれていました。

いましたが、とにかくフィルムが届かなかったり、音が出なかったり、途中から始まってしまったり、上映が遅れてその前にトークコーナーなどで“しのいだ”り、のたいへんな様子が椎名さんのドキドキと呆れた気持ちと共に書かれていました。
実に椎名さんとその周囲のスタッフらしい光景でしたが、実際のそのときのことを思うと、気が気じゃなかったろうと思いました。こちらは無責任に読んでいましたけど。

さらに「うみ・そら・さんごのいいつたえ」という新作映画の製作にあたっては、椎名さんの旧知のおっさんたちと、映画専門スタッフのひとたちの合宿での作製過程が最初からどんどん揉めだして、常識から外れたその混沌とした様子が、なぜか次第にわけがわからないうちに結束していくという奇跡が起こり、その様子も実に椎名さんらしい文でまとめられ、とても面白かった。

昔、縁日などで夜空の下に張られた幕で映画を見た経験が鮮烈に残っている椎名さんの映画に対する情熱はちょっとふつうの映画ファンとは違うのです。
また、趣味の段階でも自分でカメラを買い、16ミリの短編映画を作っていたりした椎名さんの情熱がほとばしるようで、読んでいてその力強さにも驚きました。

その他椎名さんが若い頃に書いたSF小説をコンテストに出し、自身満々なのに落選した話。その作品を後々膨らませて、やがては作品として発表した話なども書かれていて、それも楽しめました。

この本を読み終えたあたりから、輸血などを受けて体力がだいぶ回復してきました。
つい一週間前くらいの話なのに、この本を読んだのがずいぶん前のような気がします。

2019/07/10

「体験的骨董用語録/中島誠之助」と「この骨董が、アナタです。/仲畑貴志」を読んだ

20190708_07_nakajima_seinosuke001

私が妻にお願いして家から病院に持って来てもらった『体験的骨董用語録/中島誠之助著(ちくま文庫)』と、それを持って来てくれるときに、「これを読みたかったのなら、私の持っているこの本はどう?」と併せて持って来てくれた『この骨董が、アナタです。/仲畑貴志著(講談社文庫)』を同時並行的にベッドで読みました。

『体験的骨董用語録』は、あの「なんでも鑑定団」でお馴染みの中島誠之助先生の著書です。
これはまさに骨董の“字引”です。
先生が番組中によく使っている骨董界での用語についてアイウエオ順に解説されているものです。

書きっぷりというか、この本での語り口は字引なのに、あの番組での“名調子”そのままに軽やかに、粋な感じで最後はちょっとユーモラスにピシッとしめる感じで、とても心地良く読みやすいd(^_^o)

たとえば、ニュー〔入〕などという表現もよく耳にしますが、英語でいえばヘアークラック、やきものについたヒビのことだと書かれています。放置しておけばわずかなニューでも器の中心に向かって進んでしまう・・などと書かれていました。
私も「この皿にはニューがあるね」などと骨董市などで使ってみたいものです。

アイテメキキ〔相手目利き〕は、自分では真贋がつかず、相手の鑑識を頼りに商売をする場合、または、偽物とわかっているのに、相手の勝手な見解にまかせて売りつけることでもある、と書かれていて、骨董界の内情というか、機微みたいなものも感じさせます。

イドヂャワン〔井戸茶碗〕などについては、かなり詳しく解説されていて、見ていて飽きない、そしてちょっと骨董知識が豊かになって、“にわか”ですが、骨董通気取りができる本でした。

 

20190708_04_nakahata_takashi001

そしてもう一冊「この骨董が、アナタです。」は、あの有名なコピーライター仲畑貴志さんが書いた傑作骨董エッセイとなっておりました(*゚▽゚)ノ

妻にこの本を手渡されるまで、仲畑さんが骨董の世界にずっぽりとハマっていたことを知りませんでした。
いやもう、たいへんな“ハマリよう”でした。

初心者のうちの、モノを手に入れる度の“一喜一憂”は、有頂天からジェットコースターなみの地獄への墜落の様子が手に取るようにわかり(^^;)それは本人にとっては人生の一大事なのに、読んでいるこちらは愉快に笑ってしまうという展開で、そんな面白話ばかりが、色々な骨董を手に入れる度のエピソードと共に語られています。

これを読んでいると、先ほどの中島先生の骨董字引に出ていた専門用語が満載です。
字引を引きつつ楽しませてもらいました。

大の大人が、骨董品を手に入れる度にうっとりしたり、人から妙な茶々を入れられて落ち込んだり、私はせいぜい骨董市で安いものにちょっと手を出すくらいですが、その魅力は底無しなんだな、と思いました。

あまりに面白いこの本、骨董ちょっと好きな方でも読んでみてほしい、そんな内容でした。

2019/07/09

「名画は嘘をつく」を病床で読んだ

20190708_08_kimura_taiji001

入院して最初の数日はベッドに寝たきりだったので、文庫を片手で少しずつ読んでいました。ほかにすることもなかったもので。

で、『名画は嘘をつく/木村泰司著(ビジュアルだいわ文庫)』を読んだのです。

まずは私の西洋美術における絵画というものの理解がそもそもあまり無かったことにすぐに気づきました。
14世紀に始まるルネッサンス時代には西洋美術は彫刻から絵画の時代になっていくのですが、そもそも絵画は「ある一定のメッセージ」を伝えるという目的があったということに、何となくは気づいていたのですが、それがメインの目的だとは思っていなかったこと、それが私の理解不足でした。

現代の芸術って、制作者の内面世界を表現することが当たり前だと思いますが、実は上記のようなことがあって、“伝えるべきこと”を伝えているかが当時は重要なことだったのですよね。
それを踏まえての「名画は嘘をつく」というこの本の成り立ちがあるわけです。

嘘の種類にもいろいろありました。

〇タイトルの嘘・・タイトルになっているのは後付けで、実は全く異なることを描いていた。
〇モデルの嘘・・かわいい女の子に見える絵が、実は男の子だった。

その他王室の嘘、景観の嘘、設定の嘘(史実とは異なる設定で描かれている等)、画家の嘘、見栄の嘘、見方の嘘、天界の嘘、ジャンルの嘘、などなど、もう・・嘘だらけ(^_^;)

こういうのを研究し、歴史的な背景などを探索していくと、西洋美術史を研究している人は、もう“たまらん”というくらい興味が尽きないのでしょうね。
私も読んでいて「へぇ、そうなんだ、知らなかった」ということばかりでした。

宝塚でも人気のある皇后エリザベートの肖像(フランツ・ヴィンターハルター)も、美しく描かれ過ぎているという著者の指摘がありました。
でも・・私からしたら実物の写真も残っていて、実物の方が美しく見えちゃうんですけどねぇ・・…σ(^_^;)

有名なムンクの「叫び」も、実は描かれたあの悲痛な表情をした人物が叫んでいるのではなく、耳をふさいで叫びから自分自身を守ろうとしているのだと知って驚きました。
そんな話、初めて聞いたもので。

というわけで、西洋美術に疎い私でも知っている名画の数々がどのような背景で、どのような“嘘”を含んでいるか、画と文を交互に見ながら、「あらそう!」などと言いつつ読むことが出来ました。
私のようにあまり美術に詳しくない人でも興味深く読むことができる本でした。

2019/07/08

続いて、磯田道史さんの「日本史の探偵手帳」を読んだ

20190707_isoda_michifumi001

『日本史の探偵手帳/磯田道史著(文春文庫)』を、やっと容体が落ち着いてきたベッド上で読みました。

いつもながら、磯田氏の古文書から読み解いていく歴史の話は面白い。

今回読んだこの本、特に感じたのは「税」っていう体系のものが武士の社会に存在したのかということでした。
年貢や諸役、冥加金などがそれにあたるのでは、と私は即座に思ったが、著者が言うように「地代」に近いものじゃないか、と考えることも出来ます。

土地の領主が地代として領民から財やサービスを取り立てているのですが、税と違ってそれは国民が必要なサービスを提供する目的で集めているわけではなく、それが「税」と言えるのだろうか・・そんなふうに考えられます。

そしてそれぞれの身分に応じて「役」を担うということもありましたよね。
その「役」は、もちろん武士にもあり、それが「軍役」で、事あらば戦に駆けつけるわけですが、でもそのためには軍馬を飼っておかなければならなかったり、様々な物的・人的・財産的準備もしておかなければならない。

そうなると主従の関係も私が今まで思っていたような、ピラミッド型の重厚でがっしりと構築された武家社会などというものは“砂上の楼閣”のようなもので、たぶん幕末のあたりでは、もう“ぐずぐず”な状態だったのではないかと想像されました。

江戸幕府は滅びるべくして滅びた・・そんな印象をこの本を読んで行く中で感じました。
『米』中心の年貢という税体系に似たものが営々と続けられ、その見直しがなされなかったのは長い幕府の歴史の中で致命的だったのではないか、と思いました。
税体系と共に、幕藩体制もぐらぐらしてきたのでしょうね。
だから、海外列強国からの圧力にも即座に対応できるような体制が無かったとも・・。

そしてもうひとつ。
「頼山陽」という人物についても、語られていましたが、この人の名前は教科書で見た記憶がありますが、著者が強調しているように戦前から戦後にかけて価値や人気が著しく下洛した人物で、私も教科書で数行書かれていたのを見かけたのみです。

幕末期の海外からの“荒波”、どう対処したらよいのか、その分岐点で、志士たちは、頼山陽の「日本外史」から、王政復古の思想を読み取り、大きな影響を受けて明治という時代へ向かって行ったというわけです。
このあたりのこと、ほとんど歴史では勉強しませんでした。

日本人の歴史意識は、この150年間で三人の人物によって創られたと、磯田さんは語っています。
江戸後期の頼山陽、その影響を大きく受けた徳富蘇峰(大正から昭和初期にかけて)、そして戦後の司馬遼太郎である・・と、言い切っています。
頼山陽については、ほとんど文献等を読んだことがないので、私、今後ちょっと色々調べてみようと思いました。

以上が、ベッド上で感じたことの記憶をまとめたものです。
この本もなかなか読み応えのあるものでした。

«「地球の裏のマヨネーズ」を読んだ

2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック