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佐倉市立美術館で開催されていた企画展「IMAGINARIUM」を見てきました。

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《Junaida》さんという「Michi」「の」「怪物園」「街どろぼう」などの近年立て続けに出版した絵本が話題の画家の企画展を見に、佐倉市立美術館まで出掛けました。

長女がファンで、妻も気になっていたということで、「じゃ、私も」と、三人で見に行きました。
そして行ってよかった(#^.^#)素晴らしい絵の数々(400点超の出展数)に時間がいくらあっても足りないくらいでした。

佐倉市立美術館には初めて行ったのですが、展示の仕方がとても工夫されていて驚きました。
怪物たちが夜中に群衆移動していく絵を壁一面の動画投影で表現している部屋があったり、ジュナイダさんが描いたものを実物で表現した本棚が展示されていたり、テントのように暗幕を利用して同室内に別の雰囲気の展示スペースが存在していたり、と見ているこちらが飽きるということがありませんでした。

 

 

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私は長女におしえてもらうまで、このジュナイダさんという作家を知りませんでしたが、いっぺんに好きになりました。

不思議でメルヘンチックな画風であるが、ちょっと怖い感じ。
また、この世から逸脱したような奇怪な様子、楽しそうだけど奇妙な家々やそこに住む人間とその他怪しい生物たち。

楽しめました。二時間ほど見ていました。

 

 

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あとで聞いたら二作品以上を同時に撮影するなら写真撮影可だったのだそうです。
知らなかったので写真は撮りませんでしたが、チラシと当日買ったポストカードの写真を掲載しておきます。

また自分にとって新しい作家の作品を知り、とてもうれしい気持ちで美術館を出ました。
帰りに近くの食堂で昼食を摂ったのですが、そこもよかった(*^^*)、その様子はインスタグラムで・・。

 

2023/09/21

「逆境を乗り越える技術/佐藤優・石川知裕」を読みました。

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『逆境を乗り越える技術/佐藤優×石川知裕(ワニブックスPLUS新書)』を読みました。
古本で見つけましたが、十年近く前の本です。

著者というか、この本は佐藤優氏と石川知裕氏の対談形式で構成されているのですが、このお二人はともに過去、東京地検特捜部に逮捕され、有罪判決を受けた外交官と衆議院議員としてご存知かと思います。

佐藤氏の逮捕から判決までのことについてはご本人が書かれた本があります。
さらに石川氏については今回ご紹介しているこの本に当時の様子なども語られています。
その経緯については、あの当時の騒ぎから徐々に様々な事実が語られていますので、ここでは触れません。

私が気になったのは、タイトルにあるように「逆境を乗り越える」にはどうすればいいのか、という部分で、そこが読みたくて手に入れたのです。

佐藤氏も石川氏も、東京地検特捜部の目的の“本丸”は、お二方の上にいる鈴木宗男氏であり、小沢一郎氏でした。
“ハナ”から「国策捜査」として進められたものであり、有罪は動くことのないものとして二人は逮捕され、鈴木宗夫氏は逮捕されましたが、小沢一郎氏については当時の石川氏の状況を見た佐藤優氏から石川氏への経験に基づくアドバイス(取り調べ時の様子をIC録音して証拠として後に提出する)が生きて、石川氏の逮捕のみという結果になりました。

この本で、佐藤氏が何度も言っているのですが、最初から決められた結果は、個人対組織としての戦いになるので、覆ることはないというものでした。
自分として納得がいかない、そして事実は異なる、正義を貫きたい・・などと思っても決められた結果は動かないので覚悟して、一定のところで自分の今後について考え、捲土重来を期すなどとは考えず、目標をもっと下のところに置いて生きていくのがいいのだ、と書かれていました。

意外な展開でしたが、でもそれが現実であり、真実なんじゃないかと思いました。
私も仕事上で、あるいは職場の人間関係で、問題が発生した時に明らかに相手方に非があったとしても、それは相手が組織であれば、もう勝ち目はほぼ無いので、自分の身の振り方を考えておいた方が良いのです。
そういうことが書かれていました。

なんだがっかり・・と思うなかれ、仕事や人生ってそういうものだと、私もわかったのはつい最近ですが、そういうものでした、結果として。

生きてきて、特に仕事上で相手方に大きな「瑕疵」「非」があったうえで自分が責めを負い、逆境に立ったことが何度かありました。
結論としては、相手が組織であれば個人的に争って勝っても、結果的に組織が動き出してこちらが負けるという形になる・・のでした。

一度だけ、「死なばもろとも」という大反撃を行ったことがありましたが、双方“痛み分け”という結果がせいぜいでした。

そんなこんなを思い出しつつ読了。
人生の辛酸をしみじみと感じたのでした。

 

2023/09/18

「かなり気がかりな日本語/野口恵子」を読みました。

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『かなり気がかりな日本語/野口恵子著(集英社新書)』という本を読みました。
2004年に発行された本で、古本で手に入れました。

著者、野口恵子氏は日本語・フランス語教師で、東大大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程単位取得し退学。フランス語通訳ガイドを経て、大学の非常勤講師をされている方とのこと。

20年も前の本ですが、私が今でも気になる日本語についていくつも書かれていました。
この当時からさらにその状況は進行しているように感じました。

いくつか気になったところを挙げてみます。ほんの一部ですが。

私もかつての職場で経験したことがあるのですが、職場内で専門用語、業界用語が存在していて、そこでしか通じない言葉というものがありました。
そこでは、相手に通じないかもしれないという配慮などありませんでした。そんなことを想像することも欠如した人たちがたくさんいました。

特殊な言葉に通じている自分には高い評価が与えられてしかるべきと考えているふしも見受けられました。粉飾がすぐに見抜かれることにも気づかず、さらに仲間内の言葉しか知らず、だからそれしか使えない・・そんな状況が多々見られたのです。
自らの語彙の貧しさ、知識・教養の無さに気づいていない・・そんな感じ・・けっこうそんな職場ってありませんか。

また、テレビばかり見ている人などは業界用語を日常の会話や学校、職場などでも平気で使っている例が見られました。
「巻(まき)でお願いします」「噛んじゃいました」「見切れてます」などなど。
今ではどこでも使われていて、政治家まで使っている「目線(めせん)」という言葉も。
「市民目線で・・」などと言われてその政治家を信頼することなど私には出来ません。
「目線」も業界用語です。

著者が大学で教えている生徒を見ていて感じたこととして、

「今どきの大学生を取り巻く日本語の環境は、ほかならぬいまどきの大人たちが作ってきたのである、大学生は、大人たちの育てたように育ち、するようにしてきた。それでは、今どきの大人たちはどんな日本語を使い、どのようなコミュニケーションを行っているのだろうか。大学生と同じように、皆が使う言葉に安易に飛びつく傾向があって、敬語の使い方がおぼつかなくて、対面コミュニケーションを苦手としているのではないだろうか。答えは日本語のコミュニケーションの現状を観察することで、おのずと見えてこよう。」

と、おっしゃっています。同感だし、私も反省することが多いと感じました。

また、「ある意味」と始めて“別の意味”の存在を匂わせているのに別の意味に言及しない人。
「逆に」と始めているのに、単につなぎの言葉として使っていて、逆ではないという人もいる。
「真逆(まぎゃく)」という言葉を初めて聞いたときも私は違和感がありました。
そんな言葉を聞いたことは今まで無かった・・。

サッカーの中継で、アナウンサーが「選手が痛んでいます」あるいは、「ドイツの選手が一人痛みました」っていうのも初めて聞いたときは驚きました。
「選手が足を痛めた」ならわかるが・・「私は痛んでいます」っていう表現が可能なのか、と思います。

同じくスポーツ中継などで「結果が出せませんでした」などという表現もあります。
“敗戦”という結果が出ているじゃないの、と私は思うのです。
「結果」イコール「良い結果」と変換されているのが実に妙です。

以上のようなことがたくさん書かれていましたが、上記は氷山の一角です。
くれぐも《言葉》には気をつけ、敏感でいたいと思ったのでした。

 

2023/09/16

「この命、何をあくせく/城山三郎」を読みました。

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『この命、何をあくせく/城山三郎著(講談社文庫)』を古本で見つけ、読みました。
この本は、月刊誌『本』の巻頭に「この命、何をあくせく」のタイトルで1999年~2002年に連載されたものに一部加筆して発行されたものの文庫化です。

文中にもありますが、すでに城山さんの奥様は亡くなられています。
城山さんは、執筆活動の間、ときには箱根の温泉に行ってリラックスしたりしていたとのことですが、今まで行っていたホテル・旅館などに行くと奥様を思い出してしまうので行けなくなってしまった・・と書かれていました。

奥様が亡くなられたあと、城山さんが書かれた「そうか、もう君はいないのか」も読みましたが、城山さんにとって奥様はとても大きな存在であったことが今回の本を読んでもよくわかりました。
そして、“静かに”暮らしていきたいという気持ちも伝わってきました。

ただ、時には力強く書かれている部分もありました。

戦争について、

「偉い奴は、厳命はいくらでも出せるのである。不可能なことであっても。」

「国民など、虫ケラ同然に扱わなければ、戦争はできないし、軍隊は成り立たない。」

と書かれていました。

この言葉は今の私たちも胸に刻んでおかなければならないと思いました。

遠藤周作さんや、阿川弘之さんなどの作家についても書かれていましたが、城山さんの文はいつも相手に対する敬意が感じられ、読むほどに城山さんが真面目に作家に、その作品に対峙している様子がよくわかって、しみじみとしました。

人の生き方、その人と一緒に過ごしたときの様子なども自然体で書かれていて、そして自らの参考にしている姿は、私も見習いたいと感じました。城山さんの文を読んでいると、いつものことですが。

いつもながら背筋の伸びるような文でした。
私も自分を戒めながら、そして一歩ずつ前に進むように生きたいと思います。

 

2023/09/15

「カメラは詩的な遊びなのだ。/田中長徳」を読みました。

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『カメラは詩的な遊びなのだ。/田中長徳著(アスキー新書)』を古本で見つけ、読んでみました。

著者、田中長徳氏は、1947年生まれのカメラマン。著書には「知的に遊ぶ写真生活」などがあり、今回読んだ本は、2010年発行のものですから、もう10年以上前のものです。

この本では「マイクロフォーサーズ」と呼ばれる、<レンズ交換式カメラの高画質と小型軽量の最適なバランスを追求しつつ、色々なニーズに対応する機動性の高さを持ったカメラ>について書かれていることがほとんどです。

そんなカメラで、日常から少し距離を置いて、日常の営みを斜め横、あるいは高みの視点から観察してみましょう、というものでした。
それが“詩的”な写真を撮る行為であるということなのでした。

掲載されている写真も著者がまさにそんな感じで撮ったものばかりで、文ばかりでなく、写真も十分楽しめました。

 

 

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そしてそんな感じで“後押し”された私は(*^^*)・・ついに買っちゃいました!
オリンパスの「PEN」。
前の「PEN Mini」は完全に動かなくなり、メーカーでも部品が無く、修理出来ないと返却されてしまいましたので「もう買うしかないな」ということになりました。

今回買ったものは、Mini とちがって色々複雑なマニュアル操作も可能なようですが、“おいおい”勉強していこうかなと思っています。

しばらくスマートフォンのカメラしか使っていない状態が続いていましたが、やっと日常的にカメラを使っていろいろな画像が撮れます。
とてもうれしい(#^.^#)

 

2023/09/14

宝塚歌劇 日本青年館ホール・雪組公演「双曲線上のカルテ」を観劇してきました。

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宝塚歌劇 日本青年館ホール・雪組公演『ミュージカル・プレイ 双曲線上のカルテ』を観劇してまいりました。
現在実質上、雪組の“三番手男役”となっている「和希そら(かずき・そら)」さんの主演公演です。

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2012年に同じ雪組が「早霧せいな(さぎり・せいな)」さんの主演で公演したものの再演となっています。私は当時のその公演も観劇しています。

当時の公演は、星組から組替えで来た夢乃聖夏(ゆめの・せいか)さん、星乃あんり(ほしの・あんり)さん、大湖せしる(だいご・せしる ※娘役に転向した頃)さん、彩凪翔(あやなぎ・しょう ※まだ若手)さんなどのけっこう豪華なメンバーでした。
舞台展開もたぶん原作の「無影灯/渡辺淳一作」に近いものだったんじゃないかと思います。
自らの死を予感しつつも、医療に力を尽くす様子は、酒と女に溺れながら荒涼とした心の中での苦悩が早霧さんらしく表現されていたと記憶しています。

今回の和希さんの主演では、たしかに上記と同様な苦悩がありつつも、和希さんが持っているやさしさ、心根の良さがより表現されていたと感じました。
病気に苦しむ患者への心配りや、弱者に対する医療への法的・社会的な対応への不満などにも体当たりで取り組む心優しい青年医師の和希さん・・私はもう前半で泣きだし、これは素晴らしい作品になっていると感じました。

幕間でロビーに出ると、和希さんが宙組時代の組長、寿つかさ(ことぶき・つかさ)さん、娘役の瀬音リサ(せおと・りさ)さん、怜美うらら(れいみ・うらら)さん (※いずれも退団されています)らが、和希さんの力演ぶりに関心した様子で前半を振り返っている様子でした。

さあ後半、後半は相手娘役の華純沙那(かすみ・さな)さんの健気ながら天真爛漫な人柄が和希さんの死が近づく中での懸命な生き方と見事に重なって「愛」が育まれ、縣千(あがた・せん)さんの真面目で一直線な同僚医師としての生き方も舞台上で映えてきます。

あとはもう雪組の“芝居力”が和希さんの熱演と共にぐいぐいと観客の心を掴み、一気にエンディングまで進みます。
もうねぇ、いくら泣いても泣いても、これでもかというくらい素晴らしい雪組の皆さんの演技で最高の出来栄えだったと思います。
全員よかった!!(*^^*)

素晴らしい舞台を見せてもらって、帰りも涙が止まらないまま会場を出ました。
和希さん、どんどん成長していて、今の雪組には欠かせない存在になったと思います。
これからも、もっともっと素晴らしい舞台を見せていただきたいです。
歌も芝居もダンスも満点でした!

 

2023/09/11

「カイミジンコに聞いたこと/花井哲郎」を読みました。

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『カイミジンコに聞いたこと/花井哲郎著(中公文庫)』という本を古本で見つけ、読んでみました。

著者、花井哲郎氏は1924年生まれ、東大卒の理学博士。同大名誉教授を経たあと、大阪学院大教授を務められています。そして1978年に岩手県で日本初の恐竜化石を発見した一人となっています。

この本は「大阪学院大学通信」に掲載された氏の随筆を載せているものです。
で、“人柄が出ますねぇ~”(^_^;)実に真面目で、悪意もなく、学者の視線でさまざまな事象について丁寧に感じたことを書かれています。

日常生活上でも、花井氏の大学での仕事上の出来事でも、冷静に丁寧に一つひとつ検証しつつ、何が問題で、どんな行動が良かったのか、何がいけなかったのか、と判断し平易な文章で書かれているのです。

だから・・私のようなちょっとひねくれたというか、偏執した考えも持っているというか、物事“斜め”に見るような人間にとっては、最初は「なんて誠実で真っすぐな生き方なんだ、素晴らしい」と思ったのですが、250頁を越す文章を読んでいると疲れてきて(^-^;・・飽きてきて・・最後は“降参”いたしました。

またもうちょっと人間を磨いて、少し“枯れて”きたら再度読んでみたいと思います。
でも、今まで読んだことのない“新鮮”な感覚の爽やかで落ち着いた、冷静な内容を持つ随筆だと思いました。

 

2023/09/08

「夏彦の写真コラム傑作選 1 」を読んだ。

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『「夏彦の写真コラム傑作選 1 /山本夏彦著・藤原正彦編(新潮文庫)』を古本で見つけ、読んでみました。一般の書店でも、古本でもすっかり見かけることが無くなった山本夏彦氏の本です。

氏が1979年から1991年の間に書いたコラムから数学者の藤原正彦氏が傑作を選んで編んだものです。

山本夏彦翁の本は、学生時代によく読みました。
当時としてはけっこう社会状況や、世相に反して思い切ったことが書かれていたと感じました。

読んでいると、その時代から変わっていないことも多くあるが(あのときは、今後も変わることはないだろうと思って読んでいた)、近年になってよりひどくなったと感じることもあります。

政治家は我らと同じ人間で、悪いこともするがそれなりに「政」はきちんとやる部分もある・・というような内容の記述がありましたが、今はよりひどく、政党交付金なんて制度もその後出来たせいか、政治というよりも自ら“金儲け”“うまい話”“自党存続”以外に政治家としての目的が無いような人が殆どであると私は感じます。

そんなことないよ、という人がいるかもしれないけれど、やはり今の政治は酷い。

上記のような悪巧みをモットーとする政党の第二の存在になりたいだとか、アクセルになりたいだとか抜かしている人間がいて、市井の人たち、地道に必死に生きている人のことなど一度も考えたことがないような政治家があまりにも多いと思う。
どんどん時代はひどくなっていると思います。

国会での論議も経ずにどんどん勝手に物事を決めていく様子に、皆、恐怖を感じないのかなと思うこと多々です。

夏彦翁のこの本にも書かれていましたが、新聞は一大論陣をはってもいいのにはらない。
テレビもはらないこと同じである。
三大新聞または五大テレビがあるというが実はわが国にはマスコミは一つしかないのである。
【かくて国民はどこへつれて行かれるか知れないこと、あの戦前と全く同じなのである】

と、書かれていました。
まったくもって、今現在もその状態です。そんな状態がよりひどくなっていると思いました。

 

2023/09/05

吉行淳之介と開高健の対談形式本「街に顔があった頃」を読みました。

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『街に顔があった頃 浅草・銀座・新宿/吉行淳之介・開高健(新潮文庫)』を古本で見つけ、読んでみました。

古い本です。昭和60年4月に刊行されたものです。
大正13年生まれと昭和5年生まれの作家同士の対談、浅草・銀座・新宿という地域を中心に広がっていくわけですが、実は“ほぼ”猥談と言っていいお話しばかりです。

浅草などだけでなく、外国での体験談なども入っていて、この時代だから許されたのだろうと思いました。
これが印刷物となって発行されていたことに驚くのですが、でもかなり貴重な昭和二十年代の世相、風俗の資料ともなると思いました。

奥さんがこれを読んだらいったいどうなるの?!とも思いましたが、・・きっともう呆れていて読むこともなかったのかもしれません。

しかも、女性との奇天烈な体験談だけではありません、そういう趣味はないといいながら、男性とのある種の体験談もお二人とも書かれていました。
もうそういうことに対する興味関心は底なし状態であったのだろうと推察いたしました。
今の世の中で、そんな男は“絶滅”したと思われます。夫婦でも友達みたいにしたり、恋人でも“何もしない”関係なんて今どきよくある話なんじゃないかと思います。

残念ながら、対談の内容はここに書くことは出来ませんが、読んでみると当時の“プロ”の人たちとの会話やその場での存在の仕方、行為そのものについての様子が垣間見えるし、市井の人たちの夫婦の“いとなみ”の変わった嗜好などについても初めて聞くようなことが書かれていました。
一度読んで驚いてみるのもいいかもしれません(^-^;

 

2023/09/01

「ビゴー日本素描集」を読(見)みました。

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『ビゴー日本素描集/清水勲編(岩波文庫)』という古本を見つけ、読んでみました。

フランス人「ビゴー」は、浮世絵に魅せられ、明治15年に来日、明治33年に帰国するまでの18年間、日本を描きつづけ、多くの諷刺画を残しています。
明治中期のその時代を知る貴重な絵の数々がこの本に掲載されていて、実に興味深かった。

東京・神戸間の鉄道に乗る人たちの様子が描かれているものがあったのですが、一等車、二等車、三等車の客それぞれの着ているものや列車内での過ごし方、車中の食事、さらには就寝時の状況、駅でビールやお茶などを買う様子なども描かれていて、この時代のそういった写真などはたぶんほぼ無いに等しいと思われるので、とても貴重だし、私も初めて見る光景でした。

当時の兵士たちの服装や、休日の過ごし方、捉えられた脱走兵の様子なども描かれていました。当時の風俗もわかるので、これまた興味津々で見ました。

ビゴーは芸者にも興味があったとみえて、彼女たちやその周囲にいる人々の日々の様子や、官憲との関係までこと細かに描いています。
さらに娼婦たちのことについても朝の起き抜けの姿や浴場での様子(よく描かせてくれたなと思う)まで描いています。

掲載されているビゴーの作品は、諷刺画としても面白いし、絵画としてもいい、そして時代を知る資料としても貴重であり、読み応えがありました。

明治中期の雰囲気がよくわかり、楽しく読むことができました。

 

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