
『かなり気がかりな日本語/野口恵子著(集英社新書)』という本を読みました。
2004年に発行された本で、古本で手に入れました。
著者、野口恵子氏は日本語・フランス語教師で、東大大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程単位取得し退学。フランス語通訳ガイドを経て、大学の非常勤講師をされている方とのこと。
20年も前の本ですが、私が今でも気になる日本語についていくつも書かれていました。
この当時からさらにその状況は進行しているように感じました。
いくつか気になったところを挙げてみます。ほんの一部ですが。
私もかつての職場で経験したことがあるのですが、職場内で専門用語、業界用語が存在していて、そこでしか通じない言葉というものがありました。
そこでは、相手に通じないかもしれないという配慮などありませんでした。そんなことを想像することも欠如した人たちがたくさんいました。
特殊な言葉に通じている自分には高い評価が与えられてしかるべきと考えているふしも見受けられました。粉飾がすぐに見抜かれることにも気づかず、さらに仲間内の言葉しか知らず、だからそれしか使えない・・そんな状況が多々見られたのです。
自らの語彙の貧しさ、知識・教養の無さに気づいていない・・そんな感じ・・けっこうそんな職場ってありませんか。
また、テレビばかり見ている人などは業界用語を日常の会話や学校、職場などでも平気で使っている例が見られました。
「巻(まき)でお願いします」「噛んじゃいました」「見切れてます」などなど。
今ではどこでも使われていて、政治家まで使っている「目線(めせん)」という言葉も。
「市民目線で・・」などと言われてその政治家を信頼することなど私には出来ません。
「目線」も業界用語です。
著者が大学で教えている生徒を見ていて感じたこととして、
「今どきの大学生を取り巻く日本語の環境は、ほかならぬいまどきの大人たちが作ってきたのである、大学生は、大人たちの育てたように育ち、するようにしてきた。それでは、今どきの大人たちはどんな日本語を使い、どのようなコミュニケーションを行っているのだろうか。大学生と同じように、皆が使う言葉に安易に飛びつく傾向があって、敬語の使い方がおぼつかなくて、対面コミュニケーションを苦手としているのではないだろうか。答えは日本語のコミュニケーションの現状を観察することで、おのずと見えてこよう。」
と、おっしゃっています。同感だし、私も反省することが多いと感じました。
また、「ある意味」と始めて“別の意味”の存在を匂わせているのに別の意味に言及しない人。
「逆に」と始めているのに、単につなぎの言葉として使っていて、逆ではないという人もいる。
「真逆(まぎゃく)」という言葉を初めて聞いたときも私は違和感がありました。
そんな言葉を聞いたことは今まで無かった・・。
サッカーの中継で、アナウンサーが「選手が痛んでいます」あるいは、「ドイツの選手が一人痛みました」っていうのも初めて聞いたときは驚きました。
「選手が足を痛めた」ならわかるが・・「私は痛んでいます」っていう表現が可能なのか、と思います。
同じくスポーツ中継などで「結果が出せませんでした」などという表現もあります。
“敗戦”という結果が出ているじゃないの、と私は思うのです。
「結果」イコール「良い結果」と変換されているのが実に妙です。
以上のようなことがたくさん書かれていましたが、上記は氷山の一角です。
くれぐも《言葉》には気をつけ、敏感でいたいと思ったのでした。
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