『栞ひも/岡本眸著(角川学芸出版)』を古本で見つけ、読んでみました。
俳人・岡本眸(おかもと・ひとみ)さんが、句作の折々に書きとめた文をまとめられたものです。
平成19年(2007年)初版発行となっていました。
著者、岡本さんは昭和3年(1928年)生まれで、調べてみましたら平成30年(2018年)に亡くなられていました。
古本屋でこの本を手に取り、パラパラと中を見たら、すぐにいい俳句がたくさん詠まれている本だということがわかりました。
それと共に書かれている文も心優しい、“やわらか”で“あたたかい”ものばかりで、「これは読まなければ」と思い、購入いたしました。
もともとは、著者が戦後に就職した会社で役員が句会を親睦のために開いたことが発端となっていました。
著者は秘書として勤務していたので、その句会の雑用係をすることになり、「お前もついでに詠め」ということになり、初めて俳句を詠んだ・・そんなことが書かれていました。
なので、当初は“仕事俳句”というか、仕事のことをひたすら詠んでいたようです。
その後は、結婚して“生活俳句”。
夫と死別して“これからの自分への決意”のような俳句へと変遷していき、その中で自然、景色、想いなど、様々な俳人からの教えもあり、次々と素敵な俳句を詠まれていました。
読んでいて、自分もこんな俳句を詠めるようになりたい。そしてこの著者のように俳句を詠むことを生きていることの喜びにしたいと思いました。
この本からも、そして今年の3月から俳句を詠んでいても感じているのですが、日々俳句を詠むことは、ブログにしてあれこれ書くよりも、また日記を書くよりも、短い文章でSNSに何事か書くよりも自分にとっても、発信する外側にとってもインパクトが強いと感じています。
そして記憶にも、思い出としても残るものが大きく、重いような感覚があります。
また、詠んだ句は、印刷してファイリングしているのですが、読み返すことがとても多いのです。
今年、ほんとうに良いものと出会ったと思っています。
今や俳句なしに自分の生活はない、そんな気持ちで毎日俳句を詠んでいます。
またまた背中を押してくれるようないい本に出会いました。
既にインスタなどでご紹介した、千葉市中央区の「きぼーる」2F画廊ジュライで開催されていた『2024九月会展』、本日最終日でした。
私の中学時代の担任で美術の先生だった南隆一先生から夜に電話があり、今回は全日千葉まで行って画廊につめたとのことで、“喜寿”の先生、旭市から毎日通われて大変だったと思います。
・・今の私でも体力的にはかなりきついかもしれません。
先生・・尊敬してます、いつも。
ラジオ深夜便を聞き、その内容を妻に伝えたらそこから受けた印象で句を作ってきて、私がさらにそれをわかりやすくした、という句です(^_^;)
【 あの女の南瓜 くやしいけど 煮る 】
《背景》季語:南瓜[秋]
ラジオ深夜便のコーナーで、誰かに宛てて書いた手紙を番組で読むコーナーがありました。
老齢を迎えた女性からのものが読まれました。
夫は自分とは別の女性と数十年前に婚約していたが、船員だったため、国外に居る期間が長く、日本に寄港する時には、その港に会いに来てもらうことになると言ったら、相手の女性は一人では行けないと言い、女性側の家族にも反対され破談に。
しかし、今になってその女性が知人を介して家に南瓜を届けてきたという話でした。
現在の奥さんは「この互いに人生の残り時間少ない時期に、あなたは今何をしようというのか。どういうことか。」という手紙を、そのかつての婚約者の女性に対して書いたというわけです。
その話を妻にしたら、その南瓜事件について怒りのこもった句を作ってきたので、私が他人の手紙で関係ないのにかつての婚約者である女性に対し怒っている妻の意を汲み、句になるように修正してみました。
※後日談
気になってNHK「らじるらじる」の“聞き逃し放送”で聞き直してみました。
深夜に寝ぼけていたのでしょう、人づてに届いた野菜は『ほうれん草』でした( ゚Д゚)
何たる勘違い!
かぼちゃで句まで詠んじゃった。
でも、かぼちゃの方がなんだか話として面白いような気がしました。
最近、よく報道されている知事のパワハラによるその周辺の忖度(そんたく)度合・・というか、あの人はじめ、都知事選でけっこう票を集めた人が市長だった頃など、周囲の人達の忖度が異様に感じました。
至極まともな人が何か「ちょっとおかしいんじゃないか」などと言えば、その人が“血祭り”にあげられてしまうという状況・・けっこう身近にいくらでもあるんじゃないでしょうか。
十数年前の東京勤務時の出来事で思い出したことがありました。
その日、うちのボス(※要するに市でとってもエラい人)が東京に出てきて、打合せをした後、そのビルから午後大きな会議のあるホテルに行くことになっていたのですが・・。
ボスが来る前の日に、私の上司二人(東京勤務後半の嫌いだった二人)が30~40分もかけてひそひそと相談していました。
相手にしない方がいいと思ってはいたのですが、あまりにひそひそやっていて気になったので、「どうしましたか?何か困りごとでも出来ましたか」と聞くと、「チッ、まずい奴に聞かれた」という顔を二人ともしながら、「明日、ボスが来て打合せする建物からホテルに向かう時にクルマをどう動かすかについて導線の検討をしている」とのこと。
私:「導線も何もビルを出て6メートルの横断歩道を渡ったらそこが会場じゃないですか。こちらですと案内して一緒に横断歩道を渡ればいい」
上司A:「だからあんたはどうしようもない男なのだ。〇長に横断歩道を歩かせるというのか!」
上司B:「このアホウの言うことは聞かなくてもいいですよ、ろくなことを言わない」
・・・クルマにボスを乗せてしまったら、交通状況的にもボスへの印象的にもすぐにUターンしては非常に妙な感じになり、その場所の区画を一周して1キロほど走ってホテル側にクルマの降車ドアを向ける・・と真顔で話し合っていたのでした。
まったく同じ場所で道路の向かい側にクルマを駐めるっていうことです、簡単に言うと。
それをいかに走ったことが不自然にならないようにするにはどうしたらよいのか・・って何十分もああだこうだと話し合っていたんですね、その二人。
私:「その場で“横断歩道を歩かされた”とボスに叱られたらどうするかが気になるのなら、私がその案内をしますよ」
上司A・B「なにぃ~っ!!生意気なことを言うな」
と言いつつも、こいつのせいにすればいいと思い直したのか、結局私がその案内役になりました。
「〇長、こちらです。横断歩道を渡りましょう。どうぞ」と前に立ち半身になって横断歩道を渡り、会場のホテル玄関に案内。・・それで終わり。
部屋に帰ると、上司A・B「どうだった?お怒りになられただろう、歩かされたんだ」と走り寄ってきました。
私:「大きな歩幅で元気よく会場に向かって行かれましたよ。ご心配なく」
二人は茫然としておりました(^_^;)
『忖度(そんたく)バカ/鎌田實著(小学館新書)』を読みました。
2017年に第一刷発行されたもので、古本で手に入れました。
著者、鎌田實先生については、毎日曜日の朝早くにやっているラジオ番組「日曜はがんばらない」をよく聞いています。
7年前の本で、タイトルにもある「忖度」という言葉が森友・加計問題に端を発して大きくクローズアップされていた頃です。
著者の指摘は鋭く、“忖度”という言葉を日本社会に深く巣食う「病理」を表す言葉であると書かれています。
あの頃の首相や、国会議員、官僚の発言や実際に行ったこと、それらは私達国民に不信感を抱かせ、さらに公文書の改竄という重大な問題も引き起こしました。
そして、それらは7年後の今現在の社会でも何ら変わっていないと感じます。
“忖度”という言葉は、今や本来的な意味とは既に異なる意味で使われている感じがしますが、兵庫県知事の公益通報者保護法を逸脱したと言える行為は“忖度”のバリアの中で横暴かつ強権的な振舞いを許してしまった例と言えるのではないかと感じています。
そして、そんな人がまだまだいると思われます。
皆、一様に同じ目つき、表情をしているのも不気味ですが、今のネット社会ではそんな人に群がって“持ち上げる”人も多く、さらに「忖度」を指摘するような人に対し、ネット上で攻撃する人も多々見受けられます。
日本は、暗黒社会の入口から既に数メートル入っている状況だと思います。
「言いたいことを言える日本がいい」と著者は書いていますが、どうでしょう、今の日本で言いたいことが言えているのか・・疑問は深く残ります。
中学時代の担任の先生ともよく電話でお話しをするのですが、だんだん忖度なしに、遠慮なく話せる人が先生以外には少なくなっているように感じます。
この本では、軍備の拡大や、原子力発電の今後などについてもふれていますが、著者が政治的なことにも忖度なく自身の意見を述べているのを読んで、こうありたいと思いました。
X(旧Twitter)でも、私は忖度のない発言をしていますが、何処かからか圧力を掛けてくることがあるのではないかと危惧している気持ちもあります。
この本を読んで、あの頃感じていたことが整理された感じがしました。
そして、その頃の気持ちを大切にして、これからもいらぬ忖度はせぬように、このブログ等も書いていきたいと思います。
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