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わたしのいきつけ

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聴力を失うところでした。

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最近、内容は詳しく言えないのですが、耐えられないほどのストレスを受けることがありました。
気を失う直前までの激しいストレスでした。

それから数日後のことでした。

夜中に異変を感じて目を覚ますと、ものすごい耳鳴りがしていました。
ぐわんぐわん、じょわんじょわんと、何か鴎の大群が飛んできたような感じでした。

「これはいったいなんだろう?」と最初は建物の外で何か大きな音の出る作業でも深夜にやっているのかと思いましたが、どうやら違う、自分の頭の中というか、左耳の中でこの騒音は発せられている・・。

そして気付くと左耳からは外部の音があまり入ってきていないように感じる。

あわてて階下に降り、落ち着くため白湯を一杯飲み、自室に入り左耳を触ってみたが、その触っている音も、ものすごく“こもって”いる。

しばらくじっとしていれば治まるんじゃないかと腰かけていましたが、まるでダメ。

二階に上がり、妻を起こして事情を説明し、また二人で階下に。

医学書などを見たり、手持ちの漢方薬で効くものがないかと探したりしていたのですが、左耳の様子がどんどん悪くなっているのがわかる。

イヤフォンを出して左右の耳に装着。
音楽を流して、左右の違いを調べると、左耳は二割くらいしか聞こえていないし、さらに“ぐわんぐわん”共鳴音のようなものが聞こえて、ほとんどどんな音が流れているのかもわからなくなっている。

以前の様々な職場で、四人の突発性難聴になった人のことを思い起こすと、そっくりの症状でした。
どの人もすぐに医者に行って、高気圧酸素療法などを行った人もいましたが、皆、片耳の聴力を失いました。

私もそうなるのかもしれないと、ある程度覚悟をしましたが、もう眠ることもできないほどに落ち込み、翌日に耳鼻咽喉科に行こうと妻とは話をして、妻は寝かせて、午前二時くらいから朝まで私はひとり自室で椅子に掛けていることにしました。
朝起きたら聴力を完全に失っていたら悲しいと思い、ずっと起きていて、状態を確認し続けようと思ったのです。

途中、ネコが心配して何度か部屋に入ってきたりもしましたが、一人で夜を過ごし、やがてウトウトしてハッと目が覚めると朝。

あわてて左耳を触ってみました。

あっ、聞こえている。

かなり回復していました。涙が出るほどうれしかった。

もう音楽を聞くときも、よく聞こえず、しかも大きな雑音混じりになるんだろうなと思っていたのですが、なんとかそれは回避出来たようでした。

ストレスというものの怖さがとてもよくわかりました。

今後はなるべくストレスからは逃げ出そうと思いました。どんなこと言われようと、その方がいい、その場を逃げ出した方がいい、と強く思ったのでした。

今は、ゆっくりおとなしく家で過ごしているところです。

 

2023/04/01

「いまも、君を想う/川本三郎」を読みました。

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『いまも、君を想う/川本三郎著(新潮文庫)』という本を読みました。

文学、映画、旅などの評論、エッセイ、翻訳の執筆活動をされている川本三郎さんの奥様、服飾評論をされていた川本恵子さんが亡くなり、「いまも君を想う」というタイトルどおり、奥さんの恵子さんとの馴れ初めから結婚生活の想い出、そして亡くなる間際の出来事、妻への思いなどを綴った本でした。

著者の川本三郎さんは、ほんとうに奥さんが大好きで愛していたのだな、というのがどの頁を読んでみてもわかりました。

恵子さんは夫の川本三郎さんがまだ二十代なのに、ある事件をきっかけに勤めていた新聞社を辞めることになっても、自分がいるから大丈夫、あせらずに今後の方向を探しましょう・・というような感じで支え続け、その後も様々なことについてフォローもすれば背中も叩き、さらに健康にも注意を払い、たくわえができれば、二人の想い出をつくりに旅に出たり、ふたりの数々のエピソードは読んでいて心あたたまるものでした。

それぞれのエピソードは克明に記憶されていて、そのときの奥さんの表情や、仕草、そしてたぶんこういうことを考えてくれて、こんなことを話してくれたのだろう、ということがたくさん書かれていました。
それはもう、驚くばかりの鮮明な表現で・・。

後半になると、奥さんの癌が見つかり、その後のお二人の様子がこれも克明に書かれているのですが、恵子さんが気丈に振舞えば振舞うほど、涙なしには読めないということになってしまいました。

でも、読後感はとても爽やかでした。
夫、三郎さんの「ああすればよかった」「自分のとった行動はあれでよかったのか」という気持ちも書かれていましたが、これだけ奥さんのことを考え、思い、最後の日までのことを書ききったという事実が「爽やか」な印象を残すことになったのだと思います。

心に残る素敵な本でした。

 

2023/03/31

【復刻版】Modern Jazz喫茶『 頑 固 堂 』⇒《Waltz For Debby / 1961》 Bill Evans Trio

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十数年前に作っていたホームページ“Modern Jazz喫茶『 頑 固 堂 』”のブログ版復刻です。
取り上げているのは、ビル・エヴァンス・トリオのアルバム、「ワルツ・フォー・デビー」です。
今回、再度聴き直して一部文言等を追加・修正いたしました。

Bill Evans/p
Scott Lafaro/b
Paul Motian/ds

①My Foolish Heart
②Waltz For Debby
③Detour Ahead
④My Romance
⑤Some Other Time
⑥Milestones

ジャズを聴く人で、このアルバムを知らない人はひとりもいないであろう超有名盤であり、本当の名盤でもあります。

逆にジャズを知らない人が、知ったかぶりをするときにもよく使われるアルバムであり、ジャズを聴いたことのない人が、「これがジャズだ」と言われて、こういうものばかりがジャズだとだまされるアルバムでもあります。

良くできているが、耳に心地よいだけあって、その奥深さに気づかずに終わってしまうことが往々にしてあるのではないか、ということが言いたかったのですが・・・。

それにしても、一曲目からビクター・ヤングのポップ・チューン「マイ・フーリッシュ・ハート」を取り上げたにもかかわらず、リリカルでいて、幻想的な世界にいざなってくれます。
ここから、二曲目の「ワルツ・フォー・デビー」、三曲目の「デトゥー・アヘッド」までは、それこそうっとりしている間に、“あっという間”に過ぎ去ります。
三曲目のちょっと“けだるい午後”な感じの演奏には、身も心もエバンスの音楽に捧げてしまいます。

ライブ会場である、ヴィレッジ・ヴァンガードのお客さんは、ジャズの歴史の中でも最高のひとときを過ごしていたわけです。うらやましい話です。
曲の合間にグラスのぶつかる音が聞こえたりしますが、まるでそれはこの曲の一部でもあるかのように、おあつらえ向きにグッド・タイミングで効果音となっています。まさに奇跡の一日だったのではないでしょうか。

このコンサートの10日後、ベースのスコット・ラファロは自動車事故で亡くなり、最高のパートナーをエバンスは失ってしまうのですが、そのことも余計にこの日のこのライブが特別な一瞬だったのではないか、と思わせるのです。

四曲目の「マイ・ロマンス」で演奏がスインギーになり、こちらも思わず体が動いてしまうような感じになります。きっとお客さんもそんな気分だったのではないでしょうか。ベースとの絡みも絶妙です。

五曲目は、バーンスタイン作曲のミュージカル曲「サム・アザー・タイム」をやはりリリカルにそして何か物語りまでを感じさせる美しい出来です。素晴らしい!

最後は、マイルス・コンボにわずか一年ばかり在籍したことのあるエバンスですが、そのときにとりあげていたマイルスのナンバー「マイルストーンズ」を演奏していますが、これもピアノによるテーマの演奏がスピード感はありますが、やはり幻想的です。
トリオがそれこそ一体となって、この有名な曲をさらにグレード・アップさせたかのような演奏で疾走して行きます。

ジャズの一番純粋なところを、純粋なまま聞くことができる珠玉のアルバムと言えます。


〈追記〉2023/03/31

あらためてCDをオーディオ装置にセットして聞き直してみると、やはり音がいいし、曲はいいし、演奏もいいし、ライブを行っているヴィレッジ・ヴァンガードの雰囲気もよく伝わってきます。
ドラムのポール・モチアンのブラシの音なんかすごい臨場感で身体が痺れるくらい素晴らしい。
スコット・ラファロのベースも存在感が凄く、グイグイとリスナーをこのトリオの世界に連れて行ってくれます。名演中の名演だと、あらためて思いました。

そしてピアノのビル・エヴァンスも名演ですが、もう“神がかって”います。
いつも思うが、「いいもの聞かせてもらった」という感じです。

ずっと以前に職場の後輩が「最近、ジャズを聞き始めたんですが、おすすめのアルバムはありますか?」と聞かれ、このアルバムをすすめるのは“いかにも”って感じがしてためらったのですが、結局「心地よい音楽だけど、それだけじゃない、いいアルバムだよ」とすすめました。

クラッシックのアマチュア・オーケストラに所属していた彼は、聞いたあとに感想をくれました。
「素晴らしいアルバムでした。〇〇さんを見直しました!」・・だって(^_^;)
今まで俺をどう見ていたのかなぁ~と思いつつ、「それはよかった」と応えました。

 

2023/03/29

佐野洋子さんの「神も仏もありませぬ」を読みました。

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『神も仏もありませぬ/佐野洋子著(筑摩書房)』を読みました。
この本は2003年に刊行されていて、帯には「そして、私は不機嫌なまま六十五歳になった」とあります。
1938年生まれの佐野さんは2010年に亡くなられています。

この本を書かれている時点では、佐野さんは北軽井沢に住まわれていて、冬になると村には佐野さん一人しか生活していなかったと書かれています。
他の住人たちは別荘として住まっていたのでしょう。

佐野さんの文にはまったく気取ったところなどなく、日々の生活、そして佐野さんのようにごくふつうに自然の中で暮らしている人達との遠慮のないお付き合いの様子などが書かれていました。

家の中にブンブン入ってくるスズメバチをそうとは知らずにハエたたきで叩き落としているうちはいいのですが、どうやら天井裏に巣がつくられたらしく、やがて刺されてしまい、でも無医村で、あちこちに助けを求める話や(^-^; 私も行ったことがある「尻焼温泉(大きな川全体が温泉になっている)」目指して出掛け、何を血迷ったか、途中の崖から温泉の川に降りて行き、怪我だらけになって温泉に入る話など、ほとんどの話が豪快かつ“ハチャメチャ”な生活の様子として描かれていました。

読んでいるこっちは、笑いながら読んだり、このひと大丈夫?と心配したり、周りの人達はなんだかんだでいい人ばかりだな、などと感心しつつ読み進みました。

天然の美味しい蜂蜜を食べたり、朝鮮人参農家からなんとか人参を手に入れ、参鶏湯を作ったり、佐野さんの生活を見ているだけで楽しい本でした。
ふだんの服装や化粧などにもまったく頓着しない佐野さんの様子も素敵でした。

ブックオフでわずか200円で手に入れた本ですが、定価の1300円分以上に楽しめた本でした。

 

2023/03/28

春風亭一之輔さんの「人生のBGMはラジオがちょうどいい」を読みました。

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『人生のBGMはラジオがちょうどいい/春風亭一之輔著(双葉社)』を読みました。
2021年に刊行された本で、気になっていたのですが、ブックオフで見つけました。200円は安い。

この本は、要するに中学生の頃から“ラジオっ子”だった一之輔さんが、家で聞いていた時の経験や、友達関係の中でのラジオの存在などを語っているもので、ラジオファンというものがいるならば、その人達は私を含め、かなりの驚きをもって読むことになると思われる本です。

一之輔さんは、若者向けの番組もおじちゃん、おばちゃん向けの番組も、お年寄り向けの番組も実によく聞いていたことがわかります。
とにかく聞きたい番組ばかりの一之輔さんはカセットに録音してでも気になる番組を網羅して聞き倒しています。

やがて一之輔さんはここに書かれているよく聞いていた番組に自分が出ることになります。
そして中高生時代に番組をやっていた人達にも実際に会うことになるのですが、私もラジオ好きな者のひとりなので、そのときの気持ちってどんなんだろうと思いました。うれしいだろうな・・感慨もひとしおだろうな・・と、思わず感情移入してしまいました。

私自身のラジオ体験で強烈だったのは、TBSの番組で、学校から帰ってきてラジオのスイッチを入れると、ほとんど新人だった久米宏さんと平野レミさんがスタジオ外に飛び出してやっていたものがありました。

ハチャメチャというか、もうルールが無いような奇抜なコーナーを二人が受け持っていて、爆発、炸裂するような勢いのあるものでした。

やがて、テレビの「ぴったしカンカン」で初めて久米さんの姿を見たときには、「こんな感じの人だったんだ」とびっくりしたことを思い出します。

一之輔さんは、現在ニッポン放送で「あなたとハッピー」という帯番組の金曜日を担当していますが、実に“緩い”感じでやっていて、しかも一之輔さんがかつて楽しみに聞いていた加藤茶さんの同時間帯の番組でアシスタントをしていた増山さやかアナウンサーと二人でやっています。
一之輔さん、どんな気持ちでやっているんだろう。

ラジオは明らかにテレビとちがって聞いている人は自分に語りかけてくれていると感じる媒体です。
そしてしゃべっている方も、漫然と全国的平均リスナーに向けてしゃべっているわけではなく、特定の人に語りかけているような気がします。

そんな特別な存在感のラジオというものと自分の関係についてじっくりと一之輔さんが書いた本、面白かったです。

 

2023/03/25

最初は漫才師のネタかと思った。

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一昨日だったか、チラッと見えたネットニュースの見出しに、首相が「必勝シャモジ」をウクライナの大統領に贈ったという・・・最初は漫才師がそんな悪い冗談をネタとしてやったというニュースかと思ったら、ラジオのニュースでどうやら本当にそんなことがあったのだと知りました。

今、ウクライナで起こっているのは戦争です。
日々、互いの国で死者が出て、街が破壊され、インフラが寸断され、家もなく、寒い思いをしている人達がいる・・。

戦争は勝つ方も負ける方も両方の国に多くの犠牲者が出るのはどんな人でも知っていることです。
そして日本はかつて戦争に敗れ、原爆投下も受け、「もう二度とこんなことは御免だ」と昭和20年に“懲り懲り”とした国でした。

その唯一の被爆国であり、まさに原爆投下された広島を地元・地盤としている人物が、今まさに戦争のさ中である一方の国に「必勝祈願」の縁起物を贈った・・という・・戦争を煽るような理解不能の行動をしました。50㎝もある大きなものだったという。
甲子園で闘う地元の高校生の宿舎に激励に行ったわけではない。

そんな日本が願うのは一日も早い停戦ではないのですか。
お土産なんか持っていかなくても、今のウクライナの人達がどんな状況下にあるのか、インフラの復旧など日本が力になれることはないのか、そんなことを真剣に聞き取ることが第一ではないのかと、私は思いました。

とりあえずシャモジは“焚き付け”しか利用方法はないと思います。

 

2023/03/24

「笑って、泣いて、考えて。 -永六輔の尽きない話-」を読みました。

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『笑って、泣いて、考えて。 -永六輔の尽きない話-/永六輔 さだまさし・聴講生(小学館)』という本を読みました。

2016年刊行の本で、これもブックオフで見つけました。
簡単に言うと、永六輔さんの記憶を辿ってもらってのテレビ草創期の貴重な話や、あの人この人誰もが知っているほとんど歴史上の人と言ってもいい人と永さんの関わり(驚くことばかり)、また永さんが見出した今となっては大スターや有名人などの発掘秘話的なものなど、永さんが病の中にあって、それを、さだまさしさんがどんどん聞いていくという本です。

ある意味、もう時間がない、時間が足らない、というような時期で、さださんも永さんの我儘なところなどにも完全に言うことを聞いて、長時間になろうが話が飛ぼうが、聞き倒しています。
それがこの本に形となって現れているというわけです。

でも、聴講半ばにして永さんは亡くなられてしまいました。

この本を読んでいて、永さんがラジオ番組で言っていたことと、ここで語られていたことがかなり食い違っていることも多々ありました。
どちらが本当のことかはもうわかりませんが、永さんは発生した事実はそのままに、その理由や登場人物も大きく変えて話されています。

事実が残ったからそれでいいのかもしれませんが、謎は残るばかりです。

永さんのすごいところは、自分が興味を持ったことや、人、いろいろな土地などにはすぐに動いて、出掛け、接触を図り、いいと思ったものはどんどんラジオその他のメディアを使って広めていくところです。

人との付き合い方もそんな感じで、どんどんその人に迫っていきます。
そして、一定の結果が出ると、スッと引いてしまいます。
まるで“飽きた”かのような素振りを見せるし、ほんとうに興味が無くなったように感じさえもする。

私がよく知っているところでは、あのマラソン解説の増田明美さん。
オリンピックの結果が散々で、帰国したときは“非国民”的な扱いを受け、失意のどん底だった増田さんを「しゃべり」が“いける”ということに活路を見出してあげて、ラジオ番組にどんどん使っていたのを思い出します。
今や、増田さんの「しゃべり」は誰にも真似できない世界を構築しています。
増田さんご自身もことあるごとに永さんへの感謝の気持ちをお話されています。

今回、聞き手となっている「さだまさし」さんも、永さんが早くから関わっていて、さださんは師匠と弟子的な関係でこの本をまとめています。

この本は、聴講半ばにして永さんの“尽きない話”は終わってしまいますが、私もまったく知らなかった敗戦直後の話などがたくさん語られていて、驚いたし、勉強になることもふんだんにありました。

続きを読みたかった・・。

 

2023/03/23

休養中にビートルズの妄想をしました。

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ここ数日のこのブログで過去の手術の後遺症から身体を休めている旨を書きましたが、そのあいだに何か楽しいことを考えてみようと思い、「もし、ビートルズが1970年に解散せずに、4人があの「レット・イット・ビー」というアルバム以降に一枚アルバムを作成したらどんな感じになるのか・・。

と、ビートルズを知っている人が聞いたらちょっとあきれる妄想をいたしました。
でも、なんか途中から楽しくなってきました。

で、アルバムタイトルは『 From Us To You 』に決めまして(^_^;)以下のような曲を選びました。
ちょっと欲張ってしまい、合計時間はアナログ盤にしては長い1時間になってしまいましたが、まあ許してください。

では、4人がストックしていた曲を惜しみなく出して解散を思いとどまり、制作したアルバム 『 From Us To You 』です!


《A面》

① Instant Karma !  (J)
② Too Many People (P)
③ Imagine      (J)
④ Wah-Wah      (G)
⑤ Every Night       (P)
⑥ What Is Life      (G)
⑦ Another Day       (P)
⑧ My Sweet Lord    (G)

《B面》

① Woman Is The Nigger Of The World (J)
② Power To The People           (J)
③ Mother                   (J)
④ That Would Be Something          (P)
⑤ Ram On                                         (P)
⑥ Uncle Albert / Admirsl Halsey       (P)
⑦ It Don't Come Easy          (R)
⑧ Bangla Desh              (G)

A面は、イマジンやアナザー・デイ、マイ・スイート・ロードなどの代表的ないい曲を散りばめ、B面はジョンの三連発、ポールの三連発のあとにリンゴとジョージに締めてもらうという・・(#^.^#)・・妄想アルバムが出来上がりました。

実際に4人のメンバーでこの曲目を録音してアルバムが出たら・・どえらいアルバムになっていたかもしれません。
iTunes でプレイリストをつくり、実際に流してみたら・・けっこういいじゃんっ!(#^.^#)となりました(ひとりよがり)。
皆さんも考えてみると楽しいですよ。

以上、妄想終了いたします。

 

2023/03/22

糸井重里さんへのインタビューを中心にした「すいません、ほぼ日の経営。」を読みました。

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『すいません、ほぼ日の経営。/川島蓉子・聞き手 糸井重里・語り手 (日経BP社)』を読みました。ブックオフで見つけた5年ほど前の本です。

この本は、日経ビジネスオンラインや読売新聞で連載を持つジャーナリスト、川島蓉子さんが、社名を「有限会社東京糸井重里事務所」から「ほぼ日刊イトイ新聞」に変更し、2002年に株式会社化、さらに2017年には東京証券取引所ジャスダックに会社を上場した糸井重里さんにインタビューする形でまとめられたものです。

私が存じ上げているのは、糸井さんがインターネットが一般的になり始めた頃に、「ほぼ日刊イトイ新聞」というサイトを立ち上げ、“ほぼ日刊”どころか毎日書き始めた頃からの「ほぼ日」の活動です。

そして、一番印象に残っているのが「ほぼ日手帳」というヒット作を生み出したこと。
今や、手帳というと、「ほぼ日手帳」というひとつのジャンルみたいなものにまでなっていて、たぶん売り上げもかなりのものだろうな、と想像できるまでのところです。

会社名を「ほぼ日」にしたところまでは、そんなこともあるだろうと思いましたが、まさか株式会社化して東証上場なんて「ほぼ日」には“似合わない”と思ったのですが、この本の中でも多くの人がそう思っていたことが糸井さんへのインタビューの中でわかりました。

でも、そんな組織化をしてもなお、「誰かがこんなものが欲しいな」と思うものを見出して提供するような姿勢、さらに強くはあるがやさしい姿勢、企画書もなく、「こんなのどうでしょう」「いいね、じゃやってみようか」みたいな動き方、人事はピラミッド型でなく、人体模型図型?!、予算も組まない、部署ごとに部屋があるわけでもなく、席替えを度々して経理関係の隣に実働部隊がいたり、総務関係がいたりで、互いの仕事がどういうものかわかっている、さらに専門分野で人が固まるわけではなく、“お手伝い”として部署を飛び越えて仕事をする、・・・などなど、およそ会社組織という観念からは逸脱した形態をしている「ほぼ日」という会社のあり方に驚くのでした。

読んでいて、一般の組織が真似してもいいんじゃないかと思うこともありました。
創業者がトップの会社などによくある“トップダウン型”の命令系統が会社そのものを硬直化させている状況には、もっと“緩くて”下からもアイデアが遠慮なく飛び出すような形へのヒントが「ほぼ日」にはありました。

目標値達成のためには、無理にも無理を重ね、「一日100件、営業回って来い」的な話もよく聞きますが、それって効果があるのかな、と糸井さんも語っていました。

また人事評価のために、困難というか、果たして実際はそれがいいものなのか、会社のためになるのか、という難易度の高い目標を敢えて掲げて、部下にも無理強いしてそれを達成させる人(こういう人が“できる人”と勘違いされ、皆が結局言うことを聞くようになる)を私も自分がいた組織で何人も見ましたが、最終的には人を疲弊させ、組織も硬直化し、何より、達成した新たなシステムが使いずらく、仕事の足枷になっているという事態を生み出していました。

この本を読んでいると、近未来の日本の会社のあり方のヒントになるようなものが少しエッセンスのようにふりまかれていたように感じました。
経営者や、管理職の人が読んだらいいなぁと思いましたが、絶対に読まないだろうな、とも思いました。
以上です。

 

2023/03/21

少しずつ良くなっています。

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写真は庭の「ハナモモ」。昨日から咲き始めました。
毎年暮れに剪定しておくと、翌年春にはこんなふうに咲いてくれます。

もうひとつの写真は庭のあちこちにチラホラと咲きだした小さな花たちです。

この花のように元気になれるよう朝から気持ちを強くしているところです。

 

 

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ここ数日、過去の手術の後遺症に苦しんでいるということを書きましたが、今までにも何年かに一度くらいこのようなことがあり、自分でもどういう時に発生するか意識して気をつけていたのですが、今回は、今までの経験上からは予期せぬ状況で起きてしまいました。

食後に動悸、めまい、冷汗、顔面紅潮、全身倦怠感が出るという症状が典型的ですが、食事直後のときもあるし、少し時間が経ってからというときもあるし、症状が長く続くときもあるし、一・二時間で治まるときもある・・という困った状態です。

手術の影響で、ほんとうは健康で何も起こっていないのに、一時的に高血糖になったと体が勝手に判断してしまい、それを改善しようと、あるホルモンがたくさん分泌されてしまって、逆に身体に影響して体調をくずという・・どうしたらいいんだというようなものです。

薬はあるにはあるけど、あまり効かないし、お医者さんもすすめません。
これを食べたときだ、とか、こんな状況のときになった、というのを覚えておいて、以降それを回避する・・というのが経験上一番の策なのですが、今回は経験上初めてのケースでした。

 

 

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今朝からは少しずつ良くなっている感覚があるので、体験上はあと数日頑張ればなんとかなるかもと思っています。

«体調をくずしました。

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