悲痛な声で歌う人たち
何年も前から私には気になることがあって、「でも、自分だけの感覚なのだろう」と思い、口にしなかったことがありました。
先日、作詞家の阿久悠さんが、書いていたのを見て、「あっ、自分だけではなかったのか」と思いまして、書いてみることにしました。
それは、最近の歌手(阿久悠さんも言っているが、アーティストと呼ばないと怒る人もいるらしいが)は、なぜか高音を裏声を使ったりして、まるで“鶏が絞め殺される”ような声で歌う人が多いということです。
それも、どうでもよいようなことを、自分の喉を酷使して歌い上げているように思います。
「細川たかし」さんや、民謡の歌い手さんが、俗に言う“張る”という高らかに高音で歌い上げるのとは、まったく異なる唱法です。なんていうんでしょう、“断末魔”(^_^;)に近い感じです。
それで、バックの音楽も荘厳な感じで、わっと盛り上げる感じだったりして、中身は「コンビニで買ったお茶を分け合った」なんて、びんぼくさいことを歌っていたりして。“びんぼくさい”のが悪いと言っているわけではないんです。
その歌詞に合った歌い方、バックの音楽があるんじゃないか、と言っているんです。
びんぼくさい歌の代表としては、昔“神田川”というのがありましたが、あれは歌詞も演奏も歌もびんぼくさいからいいんですけど・・・(語弊があったかな(^_^;)。
まったく必要のない唄い方と、演奏で虚飾に満ちているのに、虚飾しかない曲で、すっかり鈍感になってしまい、今や虚飾無しには、聞くことができないのが若い人なのかもしれません。
さらに、これらの現象には、他にも理由があるのかもしれません。
他人には関心がないのに、自分だけは目立ちたいという気持ちが、虚飾でいっぱいの歌を作ってしまうのか、それとも漠とした不安感が常に自分を襲ってくるこの時代に、大袈裟な歌に仕上げて正体を見せぬままに曲を興奮だけの状態で終わらせて、逆に安心感を聞く人に感じさせて良しとしているのか・・・。
考え過ぎな、きょうの私でしたm(_ _)m
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