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2007/09/22

誰のために働く?

きょうは、予定外でしたが、職場に行って仕事をしました。
ビルの窓から見る世間は、すっかり連休モードでのんびり、静かに“時”が過ぎていました。

ホームページ「オトナの研究室/元気を出したいとき・・・」にもちょっと書いたのですが、最近「ほんとうの自分とは」とか、「なんのためにオレは働いているのだろう、」とか、考えてしまうようになってしまい、ほんのちょっと前までは精神的に危ないような感じでした。

ホームページにも書きましたが、“ほんとうの自分”というものがあって人と接しているのではなくて、“相対する色々な人”があって、はじめて“自分”というものがあるのだ・・とラジオを聞いていて気付きました。
たしかに、自分だけになってしまえば、そもそも“自分”を意識することは無いのですから・・・。相手があって、はじめて自分があるのです。

「誰のために働く」というのも、人間以外はみな、「誰のため」なんて考えずに生きているわけで、そんなものがなくても生きているのです。要するに生きていくには「誰のために働く」っていう考え自体があまり必要無いものなのかもしれません。

そんなことを考えると、“ただ、ただ働く”っていうのも、それでいいのだど少し納得できるように思います。
要するに難しく考えすぎなのかもしれません。

人があって自分があるのだから、その人毎に自分があっていい・・と考えるようにしてみました。
誰のために働くかではなくて、ただ生きていくという行為の中で働いていると考えてみました。

時には、こんな形で気持ちの持ち方を変えてみるのも、精神的スランプから脱出するためには良いかも・・・。

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コメント

はっPさん、こんばんは

連休はいかがお過ごしでしょうか。

人生の折り返し地点で越し方を振り返り、歩いて来た道と、これからの道を見たときに感じる想い。
こんなにがんばってきたのに、という思いと、これだけがんばったんだから、という思い。
自分を社会という背景画に映してみていると、背景がなくなったときの自分は何者だろうと。背景画がなくても、自分はこういう人間であり、これをしているから自分らしい、そしてそれをどこかの誰かに残していく道を思うとき、人生のミッションが見えてくるのだろうか、と。
自分がこの世に生まれてきて、たくさんの人のお世話になりながら、また辛い思いもしながら身につけてきたものを、次なる世代へとバトンタッチをする、その準備をする時期とも言えるでしょうか。
自分がしたこと、言ったことが、たとえどんなに小さい単位だったとしても、どこかで何かの形で伝えられ、役立ててもらえれば・・そんな風に最近思っています。
はっPさんのように頑張る方だからこそ、誠実な方だからこそ、当然起る疑問なのですね。
同世代として、ミッションを実現できるように励ましあえたら良いですね。(^^)

pixydustさん、こんばんは!
今年は、私にとっても激動の年となっております。
今の職場に来る前に思い描いていたことは、ほとんど的はずれで、ただただ驚いている内に濁流に流されて数年が経過しました。
そして、今年は今まで以上に激変の年になっています。
職場でぼそっと言った愚痴を「あの頃変な人がいて、こんなこと言ってたよ」と思いだしてくれる程度のものを残せたら、それでいいような気がしているこの頃です。

ブログにも正直に思ったことを書いています。
何年かあとに読み返すに足るものかどうかはわかりませんが、自分が“生きていた証”だと思って書いていますので、これはこれで、自分の気持ちを整理する良い役割を担っているものだと思います。
それと、pixydustさんや、みいさんはじめ、みなさんのコメントをいただけるのが何より励みになっています。
今後の仕事でもう一度ひとさまのお役に立てることが何かできれば・・と思っています。

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