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2008/08/16

菜穂子ちゃん

このお盆に実家に行って、驚いて、そしてものすごく悲しんだことがありました。

私の従妹で、裕子ちゃん、菜穂子ちゃんという姉妹がおりまして、二人の母は私の母と同級生なのでした。
つまり、私の母は同級の友達の女の子の家に嫁いだのです。

母の同級生は、つまり私にとっては父の妹で、叔母にあたります。
叔母家族は転勤の関係で倉敷や宝塚、箕面などに移り住みましたが、毎年夏休みには二人の子供を連れ、私の実家にやってきて、二~三週間過ごしました。幼稚園くらいから高校生までずっとでした。

私は男三人兄弟ですが、夏休みには男三人、女二人の五人兄弟になったわけです。

毎日、虫取りをしたり、池に遊びに行ったり、夜には花火をしたり、海に行ったり、みんなで昼寝をしたり、それは夢のような楽しい夏休みでした。
なので、新幹線で二人が帰るときには、お互いに東京駅のホームで号泣でした。
また、来年まで会えないのだと・・・。

高校生になると、姉妹は見違えるような美人になりました。
それでも、遊びの内容はほとんど変わらず、私は大学に入っていたにもかかわらず、小中学生のように二人と遊びました。
その想い出はかけがえのないものです。今になっても・・・。

姉妹の妹の方は、私と同い年の自衛隊の航空部隊の幹部と結婚し、私はたっての願いで結婚式に実家を代表して出席しました。相手の方は素晴らしい人格者で優しく、しばらく二人は仕事の関係でアメリカに居住し、日本に帰ってきてからは子宝に恵まれ、三人の子供さんと幸せな家庭を築きました。
だんなさんは、私が新婚のときに妻と箕面の叔母の家を訪れると、私を温泉に連れて行ってくれました。
そして、「菜穂子(従妹の名前)ちゃんと結婚して、私はとても幸せです。こんな幸せ味わったことがない。」と言っていました。
私はそれがあまりにもうれしくて、うれしくて、こちらも幸せいっぱいになりました。

・・・今回のお盆に私の実家に行ったときに、菜穂子ちゃんの話が出て、「どうしているだろう」と母に言うと、「実は私も最近知ったのだけれど」と言い、菜穂子ちゃんが三年前に亡くなっていたことを叔母から知らされたというのです。
母も驚きましたが、うちの親戚関係には知らせずにあちらの方だけで葬儀はすませたとのことでした。
ああ、なんてこと、ひとこと言ってくれればと思いました。
菜穂子ちゃんは、だんなさんの実家のある気仙沼の墓地に埋葬されたとのこと。

あまりに悲しくて言葉も出ませんでした。

菜穂子ちゃんの家族五人で、私の実家に遊びに来たときの写真があるはずだと思いだし、さきほど古いパソコンに保存されていた画像を確認しました。
そこには、幸せいっぱいの菜穂子ちゃんの五人家族が写っていました。

菜穂子ちゃん、冥福をお祈りします。
楽しかったね、あの夏休みの日々。ぜったい俺は忘れないよ。

【NowPlaying】 Eve / Carpenters ( Pops )


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想い出交錯」カテゴリの記事

コメント

なんだか、泣きそうになる記事でした・・・。

でも、菜穂子ちゃんは、最高の旦那様と子供たちに囲まれて幸せな一生だったのですね。
残されたものは、辛く悲しいでしょうけれど・・。
菜穂子ちゃんも、楽しかった夏休みの思い出、天国で思い出していることでしょう。

ご冥福をお祈りします・・・。

みいさん、コメントありがとうございました。

夏休みに彼女たち姉妹と遊んだ記憶は、お互いに大人になってから話してみると、実に鮮明に残っていて、互いに驚いたことがあります。

今にして思えば、それほど、楽しくて貴重な時間だったのだと思います。
みいさんにおっしゃっていただいたように、「幸せな一生」だったのだと思います。
一度、お墓参りに行けたらと思っているところです。

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