神社年番の役割が変更になったと・・・
一昨年の秋祭りと、昨年の初詣及び式典について、私は町内会の年番として数十年に一度の役割を果たして、泥棒騒ぎなども乗り越え、何とかやり終えたのですが・・・。
そのときの苦労は並大抵のものではなく、年番の仕事をこなしながら、最終的に100頁に達しようというマニュアルを作成しました。
写真はそのときのものです。
色々なモノの配置の仕方や、式典の次第や挨拶の仕方、必要物品などの調達方法、甘酒の作り方まで、あらゆることが網羅されています。
要するに、このマニュアルさえ守れば、ある程度のレベルで“年番”という大役を何とかこなすことができるのです。
昨年の年番の方は、もちろん私のマニュアルを使いました。
でも、先日私が不在のときに、使いが来て、神社委員の方々が話し合った結果、今までの町内会の氏子が式典等を仕切るのではなく、神社委員の方々が毎年仕切ることになった。
ひいては、神社運営費をその分上げさせてくれということでした。
ついに、町内会の年番をされる方が音をあげることになったのだと思います。
今までは、何をするのかわからぬままに、引き受けて、どうにかこうにかやり終えて、あとは自分が生きている間は自分に年番が回ってこないだろうと、そのままにしていたのだと思います。
でも、結局私が年番の仕事をマニュアル化したことで、仕事の全貌が文書化され、一望できるようになり、話し合いを神社委員との間で持ち、こんな結果になったのだと思います。
今時、10月のお祭りに4日間、年末・年始は12月28日から1月4日まで徹夜を含めて連日仕事がある・・というのは、サラリーマン世帯がほとんどになった現在ではとても難しいことなのです。
昔の村の衆が氏子だった頃の感覚で今もやっていたわけですが、もうそんなことも出来なくなったのだと思います。
一昨年の今頃、私は秋祭りの準備で、たいへんでした。
そして、お供物や式典用のお酒やつまみも全部盗難に遭ってたいへんなことになっていましたっけ・・・。
それも自分で対処しなくてはならず、体がふるえたことが今でも感覚を伴ってよみがえります。
やり方を色々変える時代がとうとう来たようです。この田舎にも。
私は、年番の方の仕事を楽にしようとがんばったわけですが、結果として年番自体の見直しにまで発展したようです。きっとそういう時期だったのですね。
【NowPlaying】 グルーヴィン / 末原康志 ( Guitar Instrumental )
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昔からやってきたことを保存、継続していかなければならないとは思いますが、そのやり方は、その時代にあったものでなければなりませんね。
誰かが変えていかなければと、誰もが思っていたのでしょう。その役目を、きっかけをはっPさんがやったのですね。
投稿: みい | 2008/10/06 22:54
みいさん、こんばんは!
コメントありがとうございます。
今まで神社を支えてきた氏子の人たちが70代~80代になり、世代が交代する時期に丁度入ってきたようです。
時代の流れとして“変わる”時期に来たのだと思います。
そこにたまたま私に年番が回ってきて、このような流れになったようです。
でも、神社の行事の良いところは残していきたいものです。
投稿: はっP | 2008/10/06 23:27