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2008/11/21

美術展に行って、そして・・・

Heiwa_bijyutsuten
きょうは、仕事を終えてから、市の美術館に「第20回平和を願う美術展/主催:平和を願う千葉県美術家の会」に職場から歩いて出かけました。
歩いて、そう・・30分かからない程度の距離です。

これは、いつもの中学時代の先生から葉書で案内をいただき、先生も2作品を出品されているということで、見に行こうと思い立ったものです。

残念ながら、美術館では写真が撮れませんので、ブログをご覧の皆様にはご紹介ができませんが、市民の方々の作品は、素晴らしい力作ばかりで、しばし見とれてしまいました。もちろん、先生の作品も時間をかけて鑑賞しました。
千葉市内の方、あるいは千葉市美術館に行くことのできる方には、11月23日(日)までですが、かなりおすすめしますよ!

で、帰りはまた駅までとぼとぼと歩いて千葉市の中央区の繁華街?(繁華とはふた昔前の話か・・今はかなり寂しい感じ)を通過しました。
そして・・・デジカメを持っていなくて写真ではお見せできないのですが、とある一軒のお寿司屋さんが目に入りました。

それは、私が子供の頃、父が酔っぱらって深夜に千鳥足で帰って来たときに必ず手にぶら下げていたおみやげ(そう、マンガでよく酔っぱらいがぶら下げてるやつです)の折り詰めの包装紙に印刷されていた『金寿司』でした。

ああ、父がいつも夜買ってきては、深夜に家族全員叩き起こされ、でも大喜びで食べたあのお寿司・・ものすごく美味しかったなあ(^_^)
母は、深夜に帰ってきて、家族全員を起こしてまで食べさせようとする父を大声で叱り、さらに、寿司を見て「高かったろうに」とまた怒ったのでした\(*`∧´)/

父はここで飲んで、最後におみやげを買って、家族の顔を思い出しながら帰ってきたのだな・・としんみりしてしまいました。

そう言えば、この近辺には、母が月に一度の遠出の買い物のときに私と弟を連れてきてくれたときに、お昼をたべさせてくれた食堂があるはず・・。どこだったっけ、と探しましたが、ありゃ見失った。今度子供達も連れてここいら近辺を探し、まだ営業していればごちそうしてやろうかなと思いました。たしか、店名は『総武食堂』だったと思う。
グリーンピースの乗った「かつ丼」がとても美味しかったのです。

父は酔うと、寿司の折り詰めだけでなく、どこの中華屋さんからか、とってもほかほかの餃子と焼きそば(おいしいタンメンの具のような“あん”がかかっていたのです)も買ってきてくれました。「麺は手打ちなのだ、うまいぞほら食えヽ(゚∀゚)/」と、とてもうれしそうでした。

ああ、いったい、私は何を思いだして感慨に浸っているのでしょう(ノ∀`)


そんなことを思い、目の前の金寿司の外にもれている明かりを見ていると、がんばってお父さんをやっている父の姿が目に浮かび、今にもガラガラと戸を開けて出てくるような気がして、なぜか目に涙があふれてきました。
最近、めっきり涙腺が緩くなってるんだよね(^_^;)

私も、子供達が大人になったら、そんな風にちょっと思い出してほしいな(*ノv`)

【NowPlaying】 自分の居場所 / 大島ミチル ( Instrumental Music )

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コメント

総武食堂さん、コメントありがとうございました。
とても驚きましたし、うれしくて、そしてしみじみしてしまいました。
伯父様も伯母様も亡くなられたのですか、そうですか・・・。あのお店の雰囲気を思い出して涙が出てきました。

あのカツ丼の味・・・。あれが食べたくていろいろな店のカツ丼を食べてみましたが、数十年あの味には出会っていません。
なんていうのか、今のカツ丼ってカツを前面に出し過ぎて、卵とじとなんだか馴染まないのです。よそとは違うんだウチのカツは!っていばっているみたいで、ちっとも美味しくないのです。

母、弟と食べたせいぜい月一回の総武食堂のカツ丼。
『しあわせ』でした。あの頃は、そういうことがとても“しあわせ”なひとときでした。

いい服を着ても、ゲームを何時間やっても、地デジのでっかいテレビを買っても、今の世の中ちっとも“しあわせ”じゃありません。

家族とのお出かけでの、テーブルを囲んでの、小さな楽しみが・・今も思い出す、ジ~ンとくる“しあわせ”な想い出です。

総武食堂の身内の者です。
突然のコメントですみません。
あまりに懐かしかったものですから。。
もうお店はありませんが、
覚えていいていただいた方がいらっしゃってうれしいです。
総武食堂は伯父夫婦がやっていた店で、
はじめは中華中心のかつ丼もあり、チキンライスもありのあのころよくあったいわゆる食堂でした。
伯父は稲毛で寿司屋も経営していたのですが、
ある時総武食堂のコックが辞めてしまったので、
一時食堂に戻ってきて、自身で鍋を振っていたのですが、
夏の時期、あまりの暑さにがまんができなくなり、
割烹に替えてしまいました(笑)
ここでは、釜飯を売りにしていました。
でも、かつ丼はお昼時だけのメニューで続けていました。
私も美味しいと思いましたよ。
ひょっとしたら。餃子ややきそばのお土産も総武食堂のものだったかもですね。
伯父も伯母も亡くなってしまい跡継ぎもいないまま、閉店してしまいました。

みいさん、こんにちは。

今は時代がだいぶ変わって、お父さんが外でどんなことがあっても頑張って家族を守りきるようなことはあまりないのかもしれません。お母さんも働いていて、夫婦互いに外で色々あったりするわけで・・・。

自分しかいないのだ・・と思うと、会社やその他社会の中に出て、どんな理不尽な目に遭おうと必死に耐えていたのが昔のお父さんだと思います。
男はそうでもなけりゃ色々なことに耐えられないのです。本当は弱い生き物だから・・・。

で、今の時代、男は何を心の支えにしているのかっていうと・・・よくわかりません。
そういうことが今の世相に現れているのかもしれませんが。

父親って、いつもいつも家族のことを思って一生懸命働いてくれてたんですよね。わたしも昔は父親を理解できずに反発ばかりしていたような・・・親不孝な娘でした。
今になって、後悔しても遅いですね。
はっPさんの記事拝見してわたしも父のこと思い出してしまいました。

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