スピーカーからの音が気になりますか?
写真の「うるさい日本の私/中島義道(新潮文庫)」を読みました。
この方、大学教授なんですけど、本の内容としては『街へ出ると耳にするスピーカーからの【音】が気になり、やがてその“出元”に抗議し、戦闘を開始する・・その奮戦記というか、悪戦苦闘の記録』なのです。
例えば、電車内のアナウンスや、エスカレーターのエンドレスなアナウンス、夏の海岸での砂が熱いから気をつけろ、とか、きょうは暑いから持ってきた食べ物が腐りやすいから気をつけろ・・などなどのアナウンスに一々怒り、戦闘開始します。
それが、善意だと思っている人、優しさだと思っている人がやっているから“やっかい”なのだというのが、この方の論旨です。
実は私も読んで同感したのです。この方の記述によると、ほとんど同意を得られたことは無いようですが。
例えば電車のホームでも、一々何か電子チャイム的な「音」が鳴り(騒音を計ったらかなりの数値かと思います)、続いてアナウンス・・「もうわかってるから静かにしてよ」って、特に東京に行ったときなど思います。
「初めてそこに来た人のためだ」なんて理由付けを著者もされたりしていたようですが、でも、そんなの自分で調べたり案内を見ればわかることで、まったくいらないと思うのは私も著者と一緒です。
私が、特に敏感になるのは、テレビの番組でもCMでも、ほんとに突然に暴力的なほど歪んだエレクトリック・ギターサウンドが「グギャーン・グギャ・ギャワ」っと“ジングル”となって鳴り出す時です。
今すぐ思い出せる「音」としては、テレビ朝日の「ミュージック・ステーション」の開始時の“ジングル”です。
ほんとうにうるさいっ!!いったいなんでこんな野蛮で大音量なものを突然聞かせるのかと思わせるくらいです。
無神経かつ暴力的です。
だから、あの番組が始まる、あるいは家族が見ているときは別室にいることにしています。
誰もそうは思わないんだろうね。著者と同じ気分をそのときに味わうのです。
「お前は、ロック、特にハードロックなどは大好きで、あんな音、なんてことないだろう?むしろ好きなんじゃないの?」と言われそうですが、突然何の了解も無しにあのディストーションというか、オーヴァー・ドライブしたギターの音なんか聞かされたくないのです。
せめて、15秒前に「野蛮なギターの音が出ます」という何らかの表示が画面下に現れるとか、音声が二カ国語ではなく、「野蛮な音有りモード」と「不要なうるさい音は無いモード」が選択できれば、などと思うのです。
バカなこと言うなって思ってるでしょ・・。
私は、もちろんパチンコ屋の騒音やゲームセンターの騒音にも体が拒否反応を示します。
新宿や渋谷なども行かない最大の理由は“騒音”を聞きたくないからです。
静かな観光地や、神社仏閣に行っても、スピーカーからの大音量の案内などがあったら、もう興ざめです。
日本人って、音に敏感なようで、実は“公(おおやけ)”の大音量には寛容というか、自分を無神経にできる特殊能力があるのかもしれないと思うこともあります。
携帯プレイヤーのイヤフォンからの音漏れが気になるのに、車内の不要&無用&幼児に対するような“おせっかい”大音量アナウンスには反応を示さないわけで・・・。
かつて、タバコが公に認められていたときは、「会議室ではタバコを控えてほしい」などという発言をすると、その後はたいへんな目にあわされるというようなことがありましたし、誰もなかなかそんなことは言えなかったのに、今や職場で、あるいはその建物内でもタバコを吸わせないということが実現しました。
私が就職した頃には考えもしなかった事態です。
なので、この無理やり聞かされる音についても、潜在的にいる被害者の意見がとおる日がやがてやってくるかもしれません。
さきほど書いたように、騒音無しモードが選べるテレビ番組ができるかもしれない!
その日を待ちながら、また騒音を避けつつ生活したいと思います(^_^)
【NowPlaying】 エピローグ / 渡辺雅二 ( Piano )
« “老人力”がついた | トップページ | あのコロッケが食べたくなった »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 古本の頁を繰っていて見つけるもの(2022.01.23)
- 中学生時代から今に至るまで、「レコード盤を貸してくれ」「CDを貸してくれ」「本を貸してくれ」と言われる話。(2021.12.21)
- 「日本人も知らなかったニッポン/桐谷エリザベス」を読みました。(2021.10.03)
- 「小林信彦 萩本欽一 ふたりの笑タイム -名喜劇人たちの横顔・素顔・舞台裏-」を読みました。(2021.09.28)
- 坪内祐三の「最後の人声天語」を読んだ。(2021.09.25)
コメント