舞台と観客の間にあるもの
昨日、録音しておいたラジオ番組を聞いたのですが、森繁久彌さんの1980年(昭和55年)のインタビューを故人を偲んで流していました。
これがとても面白く、森繁さんの飄々とした受け答えが絶妙で楽しく聞いたのですが、その中で心に残ったことをひとつ書きます。
それは、普段から私が感じていたことが氷解した感じだったのですが・・、森繁さんも同様の感覚だったようです。
指揮者「フルト・ベングラー」の音楽ノートという本に書かれていたとのことで、『感動というものは、自分の内部にあるものではなく、演者と観客の間に存在するのだ』という言葉です。
森繁さんも、常々舞台をやっていて、感動は自分の内にあるのだと思いこんでいたらしいのですが、どうやら、何か違うという気持ちがあったようです。そこに、この本を読まれて、「ああ、そうだったのか」と気づき、それからの舞台が変わっていったのだそうです。
これは、舞台に立つ側でも感じていたことだったわけですが、私のような舞台を見る側でも無意識に感じていたことです。
舞台を見て感動して、「この感覚は自分だけが有するものなのか?」と、常日頃感じていたのです。
で、この話を聞いて「ああ、やはりそういうものなのだ」とあらためて納得したわけです。
舞台上の演者と、それを観る私達観客の間には、確実に『感動』というものが存在するのです。だから皆、わざわざ劇場に足を運ぶのですよね。
時々、私が舞台をよく観に行くという話をすると、「テレビやDVDで見れば事足りる」と言ってくる人がいますが、それでは舞台演劇などの、そもそもの存在する意味が無くなってしまいます。
同じ演目でも、演じる劇団や、役者によって全く異なるものになりますし、同じ劇団・役者が演じても、その日によって大きく異なる舞台が出来上がります。
それが楽しいし、舞台の一番の見所なんですが、特に『男』は、そういうものに対する理解が足りないと思います。
私の周りにも、舞台演劇、ミュージカル等が好きな『男』はほとんどいません。日本人の、特に『男』の芸術への無理解が世の中を殺伐とさせていると思いませんか?!
以前にもこのブログで似たようなことを書いたことがありますが、ビジネスの話ばかり、賭事の話ばかり、酒場でのグチばかり、そんな男が「家庭」を、「世の中」を荒廃させているのじゃないかと思うのです。
【Now Playing】 10時のニュース / NHK ( AMラジオ )
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