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2011/06/08

江ノ島・鎌倉報告・その2・・まだ続くと思う

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さて、前回の続きです。
江ノ島を歩いて出た我々一行は、江ノ電で鎌倉駅まで行き、バスで「鎌倉宮」に。
祭神である護良親王は、後醍醐天皇の皇子ですが非業の死を遂げているようです。
とても落ち着いたたたずまいの神社は、入って行っただけで、居ずまいを正してしまうような雰囲気です。


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写真の“かえる”の絵がついた身代わり絵馬に、病の名を入れて身代わりになってもらうようです。
あまりにたくさんの絵馬や、身代わりの人形もあり(書かれていることがとても深刻なので撮影もはばかられました)、人の苦しみがこの世にどれくらいあるのだろう、としばし考え込んでしまいました。
私も含め、人は皆、悩みの中です・・(歌の文句にこんなのあった)。


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そこからさらに、住宅街となっている静かな道を歩いていると、人力車に乗った観光客にも出会いました。
鎌倉は、どこまで歩いても、どこを歩いても見ていたいところがあるのですよね。

前回の達人との鎌倉歩きでも、そんなことを感じながら歩いたっけ、と思い出しました。


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そして次は、「荏柄天神社」。
1180年に頼朝が鬼門の守護神として社殿を造立したようです。
ここも、あまり目立たないのですが、なかなかの雰囲気を持つ神社でした。


20110605_enoshima105


ここには「絵筆塚」も有り、たくさんの漫画家達の筆も供養されているのです。


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大きな塔の回りをぐるぐると回ってみると、・・ありました。手塚治虫先生のプレート。
藤子不二雄先生のどらえもんのプレートなどもあり、皆ぐるぐると回ってごひいきの先生のプレートを探していました。
こんなところも面白い鎌倉散策です。
達人、今回はまたいつもと違うポイントでご紹介くださいました。


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で、次は「源頼朝の墓」と言われているところです。
鎌倉幕府の公式記録「吾妻鏡」からは、頼朝の死の記録は消されているとのことで、落馬が原因と言われている死因も実はあまり確かなものではないのだそうです。


20110605_enoshima108


江戸時代、島津氏によってあらためて建てられたものなのだそうですが、実はこの墓の向かって右側の写真の場所からは、ただならぬ雰囲気が感じられました。
昨年末頃からすっかりそういう「力」を失ってしまった私ですが、それでもこれはただごとではないものを感じました。
第一、ここだけ気温がめちゃめちゃ低いっ!

その雰囲気は、某市「T」さんもすぐに感じられたようで、私にそれを確認してきました。

・・・そうなのです。“悪い”ものは感じませんが、何か「スポット」になっているのは間違いありません。

また能力が戻らぬうちに、早々に退散いたしました。

さて、ここまでご紹介しましたが、まだおいしい午後のお茶と和菓子タイムのご紹介も、お酒のトラの穴のお話もしていません。
次回に乞うご期待!ということで、第3回の報告をお待ちください。

間にまた、何か入るかもしれませんが・・気を長くしてね・・(^_^;)


【NowPlaying】 Unforgettable / Leif Shires ( Jazz )

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