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2012/08/11

阿川弘之さんの座談集、読んでみた

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『言葉と礼節/阿川弘之座談集(文春文庫)』を古本屋で手に入れ、すでに読んでおりましたのでちょっとふれておきます。

この座談は、三浦朱門さんや、藤原正彦さん、養老孟司さんなどの多彩な顔ぶれ、そして娘の佐和子さんに司会をさせて村上龍さんも引っ張り出すなど、面白い企画で編まれています。

2.26事件の当日や翌日のこと、そのときの世間の様子、また身の回りの人たちの言動などにも触れられていて、当時のことを知る貴重な記録であるかもしれない座談内容も含まれています。

そして意外と戦争に向かう日本の一般の人たちは明るかったり、ちょっと贅沢な生活をしていたりして、そんな情景も語られていて、それも興味深いものがありました。人間いつも“真っ暗”な気持ちで生活など出来ないでしょうし、実際にそうだったのかもしれないと思いました。

私が一番興味をもったのは、このブログでもたまに取り上げる『言葉』について、村上龍さんと語り合うところです。
司会は娘の佐和子さん。

司会者も含め三人とも『生きざま』という言葉にひっかかりがあるようです。・・・私も。
もともと“ザマ”っていうのは、「死に様」「あのザマを見ろ、みっともない」とか、どちらかというと良くない状態・状況についての表現だと思いますが、私同様その部分にひっかかっているのです。

『こだわり』という言葉についてもよく言われるのですが、「いつまでもこだわるなよ」などという使い方で、悪くひっかかる意味で使うのが通常だと思うのですが、「こだわりの逸品」・・なんて言って“持ち上げる”ときに使ったりしているのが気に掛かるようです。これも同感。

『癒し』についても、“医療用語”だろう、と話していて、「○○の音楽はわたしの最高の“癒し”です」・・なんていう表現を唾棄しています。・・私も常日頃「癒し」の使い方が“妙ちくりん”だと感じていたし、なんだか「薄っ気味悪い」印象を受けていました。

以前に山本夏彦さんの著書を取り上げたときにも書いたのですが、ここでも『立ち上げる』について「新しい施設を立ち上げる、なんて、そんな言葉があるか」と阿川さん、お怒りモード(^_^;)
自動詞と他動詞を目茶苦茶に混同しているとお嘆きです。
私も最初にこの使い方を耳にしたときには、とても“居心地の悪い”感じがしました。今でもまだその違和感は残っています。

『させていただきます』にも「いま私がこうしているのは自分の意志ではなくて、人から命令されて、あるいは頼まれて“させていただいて”いるのです」・・・っていう風だ!とおっしゃっています。
たしかに、「自分は責任を取りません」って言い訳しているように感じます、私にも。
でも、よく司会などの原稿を渡されてみると、「本日司会をさせていただきます、私○○でございます」などと書かれていて、・・・むむむ、となるのです。結局そのまま読んでしまうことが多いのですが。

このブログでも再三言ってきた『目線(めせん)』という言葉にはふれられていませんでしたが、せっかくですからもう一度書いておきます。
『目線(めせん)』は業界用語です。
歴代の総理まで使うようになってしまったので、もう多勢に無勢ですが、使うときに違和感があったらちょっと考えてから使った方がいいかも。


【NowPlaying】 Forbidden Love / S.E.N.S. ( Instrumental )

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