矢沢透さん(アリスのドラム)の話はすごい!
たまたま有線放送(今は無線となりUSENと呼ぶ)で聞いたのですが、[I-51]チャンネルでやっている『昭和ちゃんねる』にアリスのドラマー、矢沢透さんが出演していて、インタビュアーはゴダイゴのタケカワユキヒデさんという豪華な組み合わせなのですが、何と4時間のインタビュー番組が放送されていました。
兄の影響でブラスバンドに入り、これも兄の影響でジャズを聞き、スネアを叩いてトランペットの友達と11キロの道のりを自転車で出かけて練習可能な静岡の駿府公園で練習した思い出を語り、その友達がプロのジャズバンドの“坊や”募集に応募し、それについて行った矢沢さんが16~17歳でプロのドラマーにその場で決定してしまう・・という話から始まりました。
まだ中学を卒業したばかりなのに、ヒルトンホテルのスターヒル・クラブで午後の6時頃から12時までのステージを交代のドラマーで過ごすのです。
ヒルトンホテルはもちろんビートルズが来日時に宿泊したホテルであり、スターヒル・クラブは、ビートルズが日本公演中に幻の“クラブでのナイトライブ”を行った所なのです。
バンドマンの世界では“引っ張り”・・バンドマン用語で“パリヒー”、要するに引き抜きされて、その後もキャバレーなどでドラムを叩いてきたとのことです。
そこで一緒のバンドだったエンディー山口というギタリストが、ある日別のバンドに引き抜かれたからオレはそっちに行くからと言ったバンドが「ピンキーとキラーズ」であったりとか、驚きの話がどんどん続くのです。
矢沢さんのドラムの勉強は、米軍のFEN放送を聞いて、それをその場で耳でコピーしていいフレーズをいただくという、私の世代でやっとわかるような話でした。
矢沢さん、芝居もやっていて、くるま団吉(当時は“タンクだんきち”と言ったそう)さんの劇団にもいたとのこと。荻窪のくるまさんの家にタダで住ませてもらって、借金もして、それを返したのが2001年だったなんて話も飛び出しました。
ディスコの店員もやっているし、ザ・ピーナッツのドラムもやったし、布施明さんのレコードでもドラムを叩いていたのだそうです。
ピーナッツの「恋のフーガ」や、布施明さんの「そっとおやすみ」などの頃だそうです。知らなかったなあ。
ジローズでもドラムを叩き、そのときの前座だったオフコースのアルバムでも1枚目と3枚目でドラムを叩いているそうです。次から次へと知らなかったことが飛び出しました。
高校生だった大金持ちのお坊ちゃま「桑名将大」さんとセッションしたこともあり、そのドラムに感服した桑名さんが住むところに困っていた矢沢さんに自宅の離れに住んでくださいというくだりもありました。高校生なのに、家を貸しちゃうという・・さすがです。
ここまででもアリスに入るまでのほんの一時期ということで、アリスになるところまでいくと大変な(^^;)大長編になってしまいます。
もちろん、矢沢さんはアリスに入る時点では、すでに“ひとかど”のドラマーだったわけです。つのだ☆ひろさんを「つのだ君」と番組中でも呼んでいました(*^^*)
谷村さんからは、リッチーヘブンスみたいなことをやりたいと言われ、矢沢さんもすっかり乗り気で、当初はドラムを捨て、コンガを叩いていたという話も出てくるのですが、・・・誰かこの矢沢さんの「超おもしろ話」を本にしてくれないですかねd(^_^o)
ほんとうにここに書いたのは矢沢さんのお話の氷山の一角です。
「矢沢透物語」がいつの日か出版されることを願って本日のブログは終了いたします。
【Now Playing】 冬の稲妻 / アリス ( J-Pop )
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