「千利休 無言の前衛」を読んだ
『千利休 無言の前衛/赤瀬川原平著(岩波新書)』を読みました。
この本は1990年に発行され、すでに33刷を重ねているもので、赤瀬川さんが当時「映画:利休」のシナリオ執筆を依頼され、それまで歴史的な背景などあまり知らなかったものの、色々な参考書(漫画も含む(*^_^*))を読み、さらに利休に因んだ土地に出向いて、その雰囲気を感じ取り、前衛芸術家であるところの特異な感性で“利休芸術”について書かれたものです。
「侘び」と「寂び」という、いかにも枯淡の境地かと思えるような利休の「茶の道」が、いやしかしこれは「前衛」なのではないか、という視点が斬新な発想であり、赤瀬川さんらしいのです。
利休が「この良さがわかりませぬか」と言えば、なんでもない普段使いの朝鮮の茶碗に驚くような高額の値が付き、その「おもしろさ」「良さ」を見いだすこと自体が一種の前衛芸術なのではないか、というのが赤瀬川さんの考えです。
何処を“おもしろがる”のかが、その人の芸術度をはかることになる。
逆に秀吉は、何でもないものに高額の値を付けた“ふざけた行為”について利休を難じ、その他自分への不敬などについても無理矢理理屈をつけて、最終的には利休に切腹を命ずるわけですが、「茶の湯」というものに大きな価値を見いだしていたからこそ利休との大人の世界があったわけで・・、読んでいて秀吉と利休とのやり取りは非常にショッキングなものでした。
茶道とは、この本でも書かれていますが、酒を飲んで自分を酔わせるというようなものでもなく、純粋に茶という水分を飲むだけのことで、それが文化に成り得るということが日本文化の面白さなのではないでしょうか。
私も、以前NHKの教育テレビで「茶道」の時間などを毎回見ていたことがあるのですが、もう単に茶道具や、茶碗、掛け軸その他を愛でつつ、菓子を食べ、茶を飲むという行為が、こんなにも劇的で、ヒューマンなものを感じさせ、しかも何かストーリー的なものまで感じさせる時間を作り出すということに驚いたのです。
利休が「私が死ぬと茶は廃れる」と言ったことが書かれていましたが、ある意味それは言えることなのではないかと思いました。
茶道が単なる所作や、決まり事で進められるものになってしまうと、利休の生きていた時代の息吹のようなものが消失してしまうような気がします。
この本は、赤瀬川さん自信の考える芸術と、茶道の接点について、とても面白く書かれています。興味のある方には、ぜひという一冊でした。
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