納棺夫日記を読んだ
『納棺夫日記 -増補改訂版- /青木新門著(文春文庫)』を読みました。
大学中退後に富山市内で飲食店を経営したが倒産、新聞の求人広告を見て冠婚葬祭会社に入り、納棺の仕事を始めたところからの著者の貴重な経験談が書かれ、話は途中からまるでワープするように宗教的な話に展開します。
私が引き込まれたのは前半の納棺夫という仕事を始めてからの様々な経験談と、その経験から著者の心持ちがどう変って行くのか、という部分でした。
とても気になったのは、大学中退後地元に帰ってきたときに付き合い始めた女性の父親の葬儀を担当することになったときの話。
コンサートなどに行き、父がうるさいからといつも午後十時には家まで彼女を送っていた著者ですが、あるとき別れ際にキスを求めると、「父に会ってくれたら」と拒絶され、それからも父に会ってほしいと言われつも結局会うこともなく別れてしまったのだそうです。
その彼女の家に行き、納棺の作業を始めると額から汗が落ちそうになり、気づくと彼女が隣にいて額を拭いてくれていた・・という話。
澄んだ大きな目に涙を溜めた彼女、作業が終わるまで横に座って額の汗を拭いてくれたとのこと。
全ての作業を終え、退去するときには彼女の弟が深々と頭を下げ、そのとなりで彼女は何かをうったえかけるかのように立っていた・・という話。
その様子が目に浮かんでくるようでした。
著者が納棺の仕事をしながら感じ始めたのは、人は恐いもの、忌み嫌うものについてはなるべく見ないようにする・・、でも死者の顔を気にしながら仕事で日々接しているうちに死者の顔のほとんどが安らかであるということに気づきます。
生きている間の善行、悪事、信仰の篤い・薄い、宗教が何派か、など、そんなことに関係なく死者の顔は安らかであるという事実。
死って結局そういうことなのかもしれないと思うと、だんだん死が怖れるようなことではないのではないか、と私も思い始めました。
今の葬送儀礼様式や作法は、死んでも死者の霊魂がさまようことが前提になっていて、釈迦や親鸞の思いとはほど遠いものではないか、と著者も書いています。死のとらえ方が死を忌み嫌うものとしての要素が強くて、僧侶までもがそのような意識のもとに儀式を行っているのではないかと著者は感じ、私もそれについては“目からウロコ”のような気持ちになりました。
人は死と徹底的に戦い、最後に生と死とが和解するその瞬間に、不思議な光景に出会うのか・・と著者は言い、人が死を受け入れようとした瞬間に、何か不思議な変化が生じるのかもしれないと結んでいます。
歳を経た私にもこの本に書かれていることが、たぶんもっと若い頃読めばそうは感じなかったと思いますが、今となっては何か小さなヒントのようなものがチラチラと光って遠くに見えたような気がしました。
特に前半は、著者が納棺を始めたときのリアルな日記に肉付けしていったものであるらしく、食い入るように読んでしまったのでした。
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