人と私の間に「自分」がいる
日曜の朝のラジオ番組に、小椋佳さん司会のインタビュー形式番組「小椋佳・闌(たけなわ)の季節(とき)」というのがあって、今朝も聞きました。
ゲストはマラソン解説でおなじみの増田明美さん。
さすが増田さんは、いつもインタビューする側にいるので、番組はだんだん増田さんから小椋さんへのインタビューにくるっと転回してしまって(^^;)自分夫婦への質問を逆に小椋さんに「どういう夫婦になっているか」と返しました。
小椋さんは小学校からの同級生と結婚されたそうで、「私がいるのは彼女がいるから」?と意味深長な返答がありました。
つまり・・自分が自分としているだけでは、自分は存在していることにはならない。
「私が妻といることによって、私と妻の間に「自分」というものが存在しているのだ」
というわけです。
一瞬何を言っているのかわからなくなりましたが、
そうか、と思いました。
妻だけではありません。
私がいろいろな人と会い、いろいろな関係を持つわけですが、その人と私がいるその間の空間に“その人との関係の私”というものが存在しているのだ・・と気づきました。
そう考えると意義深いです。
私には、職場での多くの他者との関係もありますが、いろいろなところに、いろいろな人といろいろな関係を持っています。
その人達それぞれの間に、その人と私にとっての「自分」が存在しています。
逆も言えます。「その人」と私が認識している存在は、私とその人の間にあるその人の人物像です。
そう考えると二人の間に出来上がっている互いの人物像は二人の関係の間で築き上げられたものになるわけです。
いいかげんな関係の間に築いてしまった「自分像」は、きっと“いいかげんな自分”になっているのだと思います。
自分を少し戒めるような言葉だと、私には感じました。
そんな朝、ゆっくりと始まりました。
【Now Playing】 闌の季節 / 小椋佳 ( 文化放送 )
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