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2018/10/02

福田恆存の「人間・この劇的なるもの」を読んだ

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『人間・この劇的なるもの/福田恆存著(新潮文庫)』を読みました。
昭和31年に刊行されたものを文庫化したものですが、それも昭和35年のことで、古い本です。
ブックオフにて108円でまたも購入。

福田恆存については、シェイクスピアの作品のほとんどをこの人の訳で読みましたが、何名かの訳者の中では、けっこう文語調の“固い”文体が印象に残っています。

そのシェイクスピアのハムレットやオセローなどの作品の台詞なども例示しながらの人間の生き方の本質に迫るような本でした。

時代が昭和30年代ということもあってか、実に真面目で、丁寧に微細に探求していて、途中でそのあまりに詳細な研究の様子と、ある意味くどいくらいの読者へのフォローを含めた解説に疲れました(^_^;)・・すこしうんざりもしました。

この本の言いたいことって、つまり・・人間はただ漫然と生きているだけでは満足できる動物じゃなくて、自分の人生が“劇的”でないと納得がいかないものだ。っていうことでしょうか。

だから、自分の身に起こったことは、人生のドラマとして劇的であるが“必然”なのであるっていうふうに考えないとこれまた納得が出来ない・・そんな人が多いのだ!みたいなことが書いてあると思うんですよ( ̄O ̄;)・・いくら読み込もうと思っても私のお粗末な頭脳と思考では「わかった!なるほどね」というわけにはいかんかったのです(^^;)

人間て、面倒くさいというか、複雑というか、ただ楽して暮らせればそれでいいってわけじゃないんですよね。
自分の人生の今までと、今後の未来についても、何らかの必然性、あるいは劇的な何かを求めるわけですよ。
それじゃないと、自分の生きている証しっていうんでしょうか、それが曖昧模糊としてしまい、自分の生き方がつまらないものになってしまうなんて、許せないってことになるでしょ。

私が特にシェイクスピアの戯曲に惹かれるのは、そんなところも影響しているのかもしれません。
シェイクスピアが書いたものは、いずれも主人公が考え過ぎなくらい考えてしまうし、ちょっと異常なくらいの“心配しい”だし、物語の展開もあまりと言えばあんまりな「そして皆死んじゃった」みたいなことが多いし・・。

ドラマチックな舞台に思わず引きずり込まれるわけです。それはある意味疑似体験的でもあります。
そんなこともあって、宝塚も好きなのかもしれません、私。

自分の人生に意味づけするということは、自分が生きて行く推進力にもなってきます。
そして人生そのものを味わう・・ということにもつながっているように思います。

難しくて私には手に負えない本でしたが、読んでみて以上のようなことを考えたのでした。

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