「間違いだらけの文章教室/高橋源一郎」を読んだ
ブログ復帰第二弾!・・も、読後感です。家にいても本なら読める!(*゚▽゚)ノ
『間違いだらけの文章教室/高橋源一郎著(朝日文庫)』を読みました。
文章教室と言うからには、例題のようなものが掲げられたり、または、ここに「〇〇〇」とある部分に適当な言葉を当てはめよ、みたいな感じなのかと思ったら、まったく違いました。
文章ではないもの(殆ど文盲だった老人が文字を習って書いた遺書や、あのスティーブ・ジョブズが大学の卒業式で語ったスピーチ、労働者の日記など)が多く提示された上で、それを読者がどう感じるか、というような切り口の本でした。
もちろん、文筆家の文章も例示されてはいましたが、基本的にはこの本の著者がそこから何を感じ取って、また、この本の読者がそれら例示されたものを実際に読んで、何を感じるのか(それが一番大事なことだと、何度も書かれていた)、ということが文章を書くという行為のためには重要であるということとして強く印象づけられました。
私も実際にブログを何年も書いていて、上記のようなことが時としておろそかになっていたのではないか、と反省することにもなりました。
高いところから“もの申す”的な文章になってはいまいか?あるいは大きなことを語ろうとして本来伝えたかったことが語られず、誰も共感できない大所高所から自分も実は思っていないようなことを書いてはいまいか?・・などなど、ものを書く原点に戻って考え直すこととなりました。
ただ、理屈っぽい人がこれを読むと、きっと、「些細な事にこだわって、“立派”な文章を書くには役に立たない」などと思ってしまうのだろうと推察いたしました。立派な文章なんていらないんですけどね(^_^;)
「伝えたいことをシンプルな言葉・文章で伝える」そのヒントがいくつもこの本のあちこちに散りばめられていました。
ものを書くということが、どういうことか、ということについてもあらためて考え直すきっかけにもなる内容でした。
ものを書くのが好きな人には読んで価値ある本だと思いました。
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