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2019/07/30

めんどくさい人の取り扱い方法を読んだ

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『「めんどくさい人」の取り扱い方法/渋谷昌三著(PHP文庫)』という本を読みました。

めんどくさい人の取り扱い方法については、もう私もいい歳こいているので、ある程度わかっているつもりですが、でも、“めんどくさい人”がリストアップされている本なんだよな、と思ったので、それら見たさに…σ(^_^;)読みました。

ほんじゃ、「めんどくさい人」ってどんな人かアップしてみましょう。

〇人の話を聞かずに、自分のことばかりしゃべる人
 どこかに旅行に行った話をし始めると、「私が去年泊った宿はね」などと自分の話したいことにすり替えてしまう人・・いるよねぇ(^^;)どんな人のどんな話も本題に入る前に自分の話にもっていっちゃう人。

〇なんでもすぐ仕切りたがる自称「リーダー」な人
 こんどどこかに行こうか。というと、「じゃ、幹事は〇〇さんね、□□さんはパンフ集めてよ」などと仕切りが始まります。私の友達にもいたけど何か大きなイベントをやると言い出したかと思うと、次から次へと人に割り振り、自分は何もしないで、「どうだオレのおかげだ」って大満足な顔している・・めんどくさいから私はきっぱりと“切り”ました。

〇「でも」「だけど」と、必ず横やりを入れる人
 どんなことにも、あらゆることにも「それはちがうんじゃない」とか言うヤツです。あいつのことですよ、旦那さん(*゚▽゚)ノ・・反対するんだったら自分でアイデア出してみろっ!ってヤツです。

〇いつもひと言多い、皮肉屋な人
 成績が上がった部下に「お前にしては頑張ったな」とか、残業する先輩に「無理しない方がいいですよ、もう若くないんだから」って言うヤツですよ。・・最後に“皮肉”をひと言付け加えないと気が済まないんだろうけど。

こんな人たちが次から次へと登場して、こんなふうに“あしらって”おけばいいじゃないでしょうかと書かれている本でした。

少し溜飲が下がるのですが、実物で思い出すヤツがいるとだんだん蘇ってきて腹が立ったりも(^_^;)しました。
おもしろかったよ。

2019/07/29

映画「アポロ11 完全版」を見ました。

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映画『アポロ11 完全版(Apollo 11)/2019年 アメリカ 監督:トッド・ダグラス・ミラー 出演:ニール・アームストロング、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズ』を見ました。

アポロ11号の月面着陸から50年経ち、それを機に新たに発掘された映像・音声を使って地球出発から月面到着、地球への帰還までの9日間をドキュメンタリーとしてまとめたものです。

 

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アメリカ公文書記録管理局、NASAなどの協力を得て発掘された70ミリフィルムのアーカイブ映像や膨大な音声データを編集して製作されたものだそうです。

驚いたのは、ナレーションやインタビューなどは一切無し。
リマスターによってよみがえった美しい映像と当時の音声のみで構成されていました。
その編集作業は大変なことだったと想像します。

 

 

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アポロ搭乗前の宇宙服を着る姿などの裏側の映像や、当時の打ち上げを見守る人々、帰還時の回収船やその後の様子などのリアルな映像、着陸時のNASAと着陸船内の緊張感など今あらためて見てすごいことだったのだな、と思いました。

実際にはアポロ内部では、いろいろな人間的なトラブルみたいなものもあったと聞きますが、情緒的な部分はこの映画の編集ではカットされていて、時系列にアポロの打ち上げから月着陸、帰還までを淡々と記録的に描いていて、逆にそれがリアル感を増していたとも言えます。

 

 

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映像を見ていた中で、どれだけ多くの人がアポロ計画に関わっていたか、またアメリカのみでなく世界中が感心を持っていたことが真実味をもって伝わってきました。
当時まだ生まれていなかった人達には、この感動的な事実はなかなか実感がわかないと思いますが、この映画を見て当時の人々の感激や興奮を肌で感じ取ってほしい・・と思ったのでした。

2019/07/28

映画「さらば愛しきアウトロー」

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映画『さらば愛しきアウトロー(The Old Man & the Gun)/2018年 アメリカ 監督:デビッド・ロウリー 出演:ロバート・レッド フォード→フォレスト・タッカー、ケイシー・アフレック→ジョン・ハント、シシー・スペイセク→ジュエル』を見たので感想を。

この映画、ロバート・レッドフォードの引退作品です。
物語は実在の犯罪者フォレスト・タッカーをロバート・レッドフォードが演じ、1980年代初頭からアメリカ各地で多発した銀行強盗事件を再現する形で撮られていました。

15歳で初めて投獄されたというこの犯人、逮捕、脱獄を繰り返すこと16回?だったかな、でも犯行は銃は持っているものの、発泡はいっさいせずに、しかも暴力も振るわない、風変わりというか、独自なスタイルです(^^;)

しかも犯罪に直面した銀行の人達は例外なく、礼儀正しい老人で、とてもやさしい人だったという印象を述べる・・。その風貌も人柄も出会う人達には何か魅力を感じさせるものであるというのがこの不思議な実在の犯罪者の実像だったようです。だから映画にしてみても面白くなったのでしょう。

 

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その犯人をロバート・レッドフォードが実に味わい深く魅力ある人間として演じていました。
絶対自分が逮捕すると入れ込む刑事ジョン・ハントをケイシー・アフレックが演じますが、その執念をからかうかのようにあるバーのトイレで目の前に現われるロバート・レッドフォード演じる犯人。また犯行現場に「グッド・ラック」と書かれた紙幣をその刑事宛に残したり、チャーミングなところも見せます。

この犯人と刑事のお茶目なやり取りもアメリカ映画らしく、ちょっと楽しい場面です。

 

 

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また逃走中の高速道路上で出会った女性ジュエル(シシー・スペイセク)との大人の関係といいましょうか、実に穏やかで温かみのあるつき合い方も、この物語に潤いを与えていました。

この映画の時代背景もかかわっているからかもしれませんが、昔の良き時代の映画を見ているようで、犯罪シーンはドキドキするものの、和んでしまうような作品でした。
今どきの破壊、暴力、陰謀、妬み、嫉みなどがメインの映画好きな方には向いていませんが、いい歳の取り方をした大人には味わい深く感じるのではないか、という映画でした。

2019/07/27

「汽車旅の酒/吉田健一」を読んだ。

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『汽車旅の酒/吉田健一著(中公文庫)』という本を読みました。

著者は、1912年(明治四十五年)生まれ。吉田茂元首相の長男です。
ケンブリッジ大学に学び、英仏にわたる翻訳や文芸批評、小説など多彩な文筆活動をされた方だとのこと。

この本は著者の鉄道旅行とそれにまつわる酒・食のエッセイを独自に編集したものです。

読んでみると、東海道新幹線「ひかり号」が走り始めようとしている頃の話などもあり、今じゃ考えられないような“酒びたり”の豪快な旅というか、“飲みっ放し”の記憶があまりない旅に驚きました(^^;)

新幹線が開通したことの本当の有り難みは皆が新幹線に乗るので、自分が利用する超特急以外の旅の交通緩和にあると語っていて、駅に停車するたびにビールを買ったり、駅弁や名物などを買い、飲み、食べることの楽しみが鉄道旅の醍醐味だと強調されています。

そうですよね、そのとおり。
ゆっくりな鉄道の旅、私もあこがれます。

「途中の駅で弁当を買ったりしていい気持ちになることを望むものである。飲み助に就ては、言うまでもない。“光の速度”などというのは学者が知ったことで酒とは関係がない。」
・・と書いていて、まったくもって“ごもっとも”であります(^_^;)

「リニア新幹線開通したら乗るぞぉっ」なんて言っている人・・「東京から大阪まで〇時間で用談をすませて、又 〇時間で戻って来なければならない人の為だけの汽車の旅行ではない」と著者が言っておりますが、あなたには何のことを言っているのかわからないでしょう・・そんな人がこの本を読んでも、ちぃとも面白くないでしょうねd(^_^o)

金沢や新潟など「汽車の旅」をする著者。
どんだけ飲むんだってくらい、汽車の中でも旅館でも、その他立ち寄り先でもシェリー酒、麦酒、お酒を飲み、そこででてくる銘柄は今でもあるのか、その味わいと各地で出会った名物なども紹介されています。

読んでいるだけで、ほろ酔い気分になり、なおかつ美味しいものを食べ尽くし、地酒を楽しむ著者に同化しているような自分を感じます。
汽車の旅とお酒の好きな方には、この“レトロな旅”の本、よいと思います。

2019/07/26

ニナ・シモンに出会って

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ニナ・シモンの名は知っていた。ジャズがかかるようなラジオ番組でも数曲ではあるが聞いたことがあった。
でも、そんなに気にとめるでもなく時は過ぎてしまい、本気になって聞いてみようなどとは思わずにきてしまった。

ブックオフで数百円で売っていたその「ニナ・シモン」のCDは4枚組だった。
この4枚組にはLPレコード7枚分とボーナス・トラックが何曲か収録されていて、70曲を超える楽曲が入っているこれを発見したときには胸が躍った。

こういう出会い方をする場合は、たいてい“いい出会い”なのだ、間違いなく。

買ったその日に帰宅してすぐに聞いてみた。

いいっ!

なんていうんだろう、サラ・ボーンでもなく、エラ・フィッツジェラルドでもなく、クリス・コナーでもなく、ヘレン・メリルでもペギー・リーでもジュリー・ロンドンでもない。
ましてやジョニ・ジェイムスとは対極にある。

この素朴でしっかりと根を生やしたような地についた音楽、歌、ピアノ。
よくあるジャズのゴージャスな感じの曲などはライブ・アルバムが3枚も収録されているのにほとんどなく、どれもが陶器でいったら“素焼き”みたいな感じだ。

どっしりとしているのに、細部では繊細な部分もある。歌だけでなく、彼女のピアノも聞き物だ。つんとすましたようなところはなく、渇いた心に浸み渡る。

リズミカルでパーカッシブな曲などもあり、そちらはもう民族音楽的でもある。

流れる川のようであり、吹き渡る風のようでもあるニナ・シモンの歌はまったくこちらを飽きさせることがない。
あるときは“祈り”のようなものさえ感じる。

すっかりニナ・シモンの魅力に取り憑かれてしまった私は、家で聞き、クルマで出掛けるときも聞き、そして人にも薦めてしまう。

こりゃあいいよ、見つけて、そして聞いてよかった(*^_^*)

2019/07/24

先生に会ってきた

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自宅療養の診断書に記された期間が迫り、職場復帰するか、あるいは仕事を辞めるか日々悩みました。
とりあえず仕事に出てみて、今までのような取り組み方はせず、身体第一にする、ということを自分で決めました。

眠れない夜が続いたり、悪夢を見続けたりということもあり、日中も心身ともに変調を来しているようなことが日々続きました。

復帰直前に、このブログに何度も登場する私の中学時代の担任の美術の先生に会ってほしいと連絡をいたしました。
先生はご自分の検診や、美術の講習会に講師として出る用事があったのにもかかわらず、その間をぬって会ってくださいました。

先生自身が大病をしたときのこと、また現役時代に仕事のことで悩んだこと、自分の気の持ち方、今の私が人生の中でどんなところにいるのか、など、たくさんお話してもらって、少し心も落ち着きました。

別れる前に、先生が35年前に行った中華の食堂に連れて行ってくれて、そのとき中学生だった店主の子供が今は店主となり、先生のことも覚えていました。
そして鉄板にのってジュウジュウいって出てくる「肉野菜炒め」がいいんだ!と、すすめてくれました。

35年前とまったく変わっていない、とよろこぶ先生。
それを言うと、現在の店主もよろこんでいました。

昼食後、別れ際に先生が作った「ガラス絵」をくださいました。
額も先生自作です。
魚のガラス絵を取り囲んでいる部分もわざと平行でなく、ちょっとゆがんだ形にして木材を貼り付けた先生らしい作品。

さっそく家に帰って飾りました。

先生にはいつもいくらお礼を言っても足りないくらいの有形無形のものをいただいています。
明日から自分らしく生きてみようと思います。
それでダメだったら仕方ない。

2019/07/23

伊藤比呂美さんの「閉経記」を読んだ。

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『閉経記/伊藤比呂美著(中公文庫)』という本を読みました。
いつもどおりブックオフで108円!(^_^;)

著者は詩人ですが、性と身体をテーマに詩だけでなくエッセイでも独自の分野を開拓してきた方のようです。
また、介護や老い、さらには死についても踏み込んだ著書がたくさんあることがわかりました。

親元の熊本と米国・カリフォルニアを拠点として行き来しながら活動を続けていると書かれていました。

ご本人の変って行く身体、そして一向に減らない体重(^_^;)、親の老い、夫の偏屈の三重苦、四重苦の中、たくましく、そしていい加減に、または自堕落?!に生きてらっしゃる様子が書かれています。

人生と、そして女という生き方を閉経を通し、実に赤裸々というか本人は赤裸々とも思っていないかもしれませんが、かなり全面開放していると感じました。私が男だからかもしれません。
もっというと、読まなければよかった・・と、正直思いました。

いいや読めっ!これが真実の女の姿だ。お前だっていい歳こいてんだろう!!しっかりしろ、現実を見つめろ・・という声がエコーを伴って聞こえてきますが、でも肉体的にも精神的にも丁度私が療養中で弱っているところだったので、実際のところ読み切れなかったというか、ちょっとギブアップ気味で読了。

また心身ともに良好な状態のときに読んだ方がいいのかもしれません。
とりあえず今回の読後感でした。

2019/07/22

幸田真音さんの「ナナフシ」を読んだ。

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『ナナフシ/幸田真音著(文春文庫)』を読みました。

ニューヨークに本社を持つ金融関係の会社でファンドマネージャーだった主人公は、世界的な金融危機で全てを失い、しかも仕事にかまけて家庭を振り返らなかった間に子供は大きな病で亡くなってしまい、その子を見守り、亡くしたあとも精神的に立ち直れない妻に見捨てられ、何もかも全てを無くして、ひとりぼろアパートに住み、コンビニの深夜勤務で生きて行くだけの収入の中、どん底に落ちていた。

コンビニの外便所の中に倒れていたやせ衰えていた女性を仕事中に見つけ、警察や救急車を呼ぶことにおびえるその女性を家に連れ帰るところから話は急に展開が変わります。

連れ帰った女性を風呂に入れ、食べ物を与え、少しずつ回復してきた。発見したときには、あまりにやせ衰えていた姿を見て虫の「ナナフシ」を見たような感覚を持った主人公だが、謎の若い女性を結局そのままアパートに住まわせ、なぜか互いに少しずつ心通わせ始めます。

女性が大きな病気を抱えていたことをやがて知り、多額の医療費がかかることもわかった上で、赤の他人である娘を自分の娘として治療することを決意。
どん底にいた主人公は元の金融関係の仕事に就き、その後互いに過去を語ることにもなり、二人の夢を実現しようと力を尽くし、娘は絶望的なほどの病状の中で必死に闘います。

子供、妻への罪悪感、さらに最初の会社で自殺してしまった部下への謝罪をその家族にしようとして断られ続ける主人公の状況と、父に死なれ、母に捨てられた若い女性の互いに気遣いながら心寄せる姿には心打たれるのでした。

娘の病状が一喜一憂するような状況での二人の気持ち、新しい職場でもまた前回のように大変な状況になってしまう主人公。
山あり谷ありのストーリーには、読んでいるこちらも心が揺れました。

でも、二人は過去の反省というか、今の時点での自分への決着をつけて納得ある生き方をしようという姿を見せます。

あのリーマン・ショック時の社会状況や、その時の当事者の様子、また近年ノーベル賞などでも注目された癌への高度治療などについても盛り込まれていて、幸田さんらしい金融小説、そしてジャーナリスティックな面も見せていて読み応えがありました。

時に感情移入してつらい気持ちになったりもしましたが、いい小説だと思いました。

2019/07/21

古市憲寿さんの「だから日本はズレている」を読んだ

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『だから日本はズレている/古市憲寿著(新潮新書)』という本を読みました。
この本が書かれている時期は、民主党政権が終わり、自民に戻ってきた頃、まだ「安倍一強」体制というところまで来ていない時期です。

強いリーダーはいらない、スティーブ・ジョブズを持ち上げる人は多いが日本にはそういうカリスマはいらない。

クール・ジャパンって何が言いたいんだ、憲法改正案はJ-POPの歌詞みたいだ、スマート家電なんて誰も欲しがっていない新製品だ、SNSに期待し過ぎるなオヤジ、とえらい勢いで飛ばしつつ書かれています。

次に入社式での社長挨拶について、決まり文句のように同じようなことを言っている、ノマドなんてただの脱サラだ、ってあたりで私は読んでいて疲れてきた。
だんだん“言いがかり”みたいに聞こえてきて、読んでいるのもおっくうになってきた。

で、やっぱり学歴は大切だ、となってくる。
能力は遺伝する、学歴固定社会は幸せかもしれない。
ときて、だんだん著者は最終的に何が言いたいのか、と思い始めた。

いろいろなデモとかがあったけど、結局若者には社会は変えられないとなってきて、その後は煮えたんだか煮えないんだかわからない尻すぼみ的な話の展開になり、なんだか暗い気分になってきた。

著者はだいぶ若い人のようだけど、ついこの間までと現状の日本を分析して「それはそうだろう」あるいは「そうかもしれないけど」と思える現在の日本の政治・経済・人の動きなどを提示しているが、でもだから自分はこういうことが大事であると考えるとか、これこれこんな考え方が必要ではないか、というような強い書きぶりは見受けられませんでした。
もともとそんなこと書こうとしていないよ、と言われればそれまでですが、読んでいるこちらはなんだか消化不良になりました。
自分で考えろよ、と言われたらそりゃそうかもしれませんが、すっきりしない気持ちで読み終えました。

最後の二章については読む気力も失せてしまい、私にとっては、元気のでない読書となりました。
現状分析的な視点で読むためのものなんでしょうね。でも最後まで気持ちが続かなかった。

2019/07/20

阿川佐和子さんの「叱られる力 -聞く力2-」を読んだ

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『叱られる力 -聞く力2-/阿川佐和子著(文春新書)』を読みました。
あのベストセラーになり、どの書店に行っても“平積み”になっていた本の第二弾です。

今回は「聞く力」といっても、著者・阿川さんが、いろいろな場所、シチュエーションで叱られてきた(叱られっ放し?!)ケースを振り返るというか、それを反省するというか、とほほな自分にがっかりしたり、叱った相手に怒りをぶちまけたり、という展開となっておりました。

阿川さんのお父さんは作家の阿川弘之さん。
この本でも書かれていますが、とにかく阿川さんが小さい頃から“理不尽極まれり”という形で叱られてきた経緯があり、阿川さん、人から叱られることにはかなり敏感になっていて、ここに書かれているテレビに出たり、文筆業を開始した頃に叱られたエピソードは克明に覚えていられて、その度に教訓的に自分にその“叱り”を染み込ませています。

また阿川さんの友人が会社で経験した若い人達への叱り方の悩みについても多くのページを割いて書かれています。
それらは、まあはっきり言って“面倒くさい”!!
すぐに落ち込んでしまったり、それが原因で会社を辞めてしまったり、セクハラだパワハラだと訴えてきたり・・。

上記の若い人達への対応に悩んでいるのは、かつて理不尽なほどの叱られ方をしてきて、鍛え抜かれてきた方々です。
叱られるのには慣れていたが、自分が叱る側になると、時代背景も手伝って非常にセンシティブな問題を含んでいることもあり、難しいものだということがよくわかりました。

この本に書かれていた実話エピソードに、若い人達の合宿研修などで、グループ毎に別れて討論しろというと、休み時間を与えたわけでもないのに皆いなくなってしまう。
どこへ行ったのかと思っていると、各自宿泊部屋に戻って「ライン」でディスカッションしているだというのです(^^;)

面と向かうとざっくばらんに話せない。
こいつ変なこと言っていると、バカにされるのに耐えられない。
自分の意見を否定されると人格を否定されたように感じて立ち直れない。

などなどの理由でふだんから見知らぬ人達とやりとりし慣れているラインを使うのだそうです。ほんとだよ。
経産省、防衛省、外務省などのキャリア官僚の研修の場でも同じような現象が起こったそうです。
時代でしょう?!

というわけで、叱られ方と叱り方の現状報告的なこの本、「叱り」についてあらためて考え直すきっかけとなるようなものでした。
たしかに今は叱るのは難しい・・、実感です。

2019/07/19

「ビブリア古書堂の事件手帖<7>」を読みました。

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『ビブリア古書堂の事件手帖<7> ~栞子さんと果てない舞台~/三上延著(メディアワークス文庫)』を読みました。
とりあえず「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズのラストというか、ひと区切りになっています。
出た時にすぐ買ったのですが、これで終わりかと思うと、もったいないというか、読む勇気が出ないというか、2年以上もそのままにしてありました。

自宅療養のこの機会に手に取りました。
そしたらやはり面白いっ!'(*゚▽゚*)'

毎回テーマとなる古書が登場して、それをめぐる謎解きをしながら事件も解決していくという篠川栞子さんと相棒の五浦大輔中心の物語です。
シリーズラストは第7作目。

今回はシェイクスピアが1616年に死去してから七年後に出版されたというファースト・フォリオ(シェイクスピアの戯曲を集めた最初の作品集)が話のメインとなり、それをめぐるお話の時間的スパンも数十年に渡り、しかもこの物語の登場人物は婚姻関係以外にも複雑に絡み合っていて、それらも徐々に謎が解決されていくといった感じ。

物語中に出てくるエピソードも、シェイクスピアのいろいろな作品の中にヒントがあり、飛び出す台詞もシェイクスピア作品中の台詞になぞらえてあったりで、読書好きの人には(特にシェイクスピア作品好きの人)、そのひとつひとつが面白く感じられると思います。

今回最大の悪い登場人物・吉原喜市は、底知れぬ不気味さと悪辣さを身体から滲み出すようにしていて、しかもそのたたずまいを滅び行くリア王に最後までついていった道化にも例えられたりしていて、いろいろな側面を見せています。
このう~んと悪いヤツと栞子さん、大輔の手に汗握る対決、裏のかき合い、ディールが最大のドキドキ・シーンとなります。

さらにいつもどおり、栞子さんの謎だらけの母も絡んできて、いい人なのか悪い人なのかもわからず、しかも敵かもしれず、最後の最後までやきもきするのです、それがこのシリーズの良いところでもあるのですが(^_^;)

最後の最後まで謎の解明が続き、でもシリーズ・ラストなので最終的にはスッキリとする展開で、こちらもほっとしました。
「ビブリア古書堂事件手帖」シリーズ、最後まで全巻楽しめました。

2019/07/18

「JAZZ歴史的名盤・ジャケ裏の真実 -ジャズ・ジャイアンツ編-」を読んだ

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『JAZZ歴史的名盤・ジャケ裏の真実 -ジャズ・ジャイアンツ編-/小川隆夫著(駒草出版)』という本を読みました。

整形外科医でJAZZジャーナリスト、ブルーノート創始者のアルフレッド・ライオン来日時の主治医まで務めたという著者。
著者自身3,000本のライナーノーツを手掛けたとのことですが、今回のこの本は輸入盤などを買うと必ずジャケット裏にある全面英文のライナーノーツの中から気になる部分を抜き出して翻訳、名だたるジャズ・ジャイアンツ達のアルバム紹介と共に振り返り、探求していく、というような本でした。

もともとは、電子書籍でブルーノートのアルバムについて執筆されていたものを、この本ではレーベルの垣根なく“ジャズ・ジャイアンツ”達を取り上げていて、紙の本も作ることになり、電子と異なりスペース上の問題があるため、本としての体裁を整えて再構築されたものとなっています。

コルトレーンや、マイルス、ビル・エヴァンス、スタン・ゲッツにキャノンボール・アダレイ、ハービー・ハンコックにビリー・ホリデイ、キース・ジャレットにセロニアス・モンク、ウエス・モンゴメリー、リー・モーガン、オスカー・ピーターソン、締めにはロリンズとウエイン・ショーターが登場します。

いやもう実にジャズ・ジャイアンツと呼ぶにふさわしい人ばかり。

それらのプレイヤーのアルバム、ジャケ裏ライナーノーツには何が書かれていたのか、と興味を持ったわけですが、アーティストにより、そして書く人により遠慮したり、まだ“海のものとも山のものともつかぬ”ような書き方があったり、ドラッグで心身ともに病み何度か隠遁状態にあった部分をそれとなくスルーしての書きぶりもあったり、逆に忽然とライブスポットに現われ、素晴らしい演奏をしたときのことが書いてあったりで、今まで輸入盤などを買っても、ジャケ裏のそれを英語力の無さから読めずにいたのが光が射すようにいろいろわかって面白かったのでした。

また、著者のジャズに対する知識と見識は色々なジャズ評論を読んできた中でも非常に的確で明快、かつわかりやすいものでした。
1950年代前後のジャズ・シーンへの深い理解と、愛情、偏りのない聴き方が私にもよくわかりました。

紹介されているのは、タイトルどおり有名どころのジャズ・ジャイアンツばかりではありましたが、まだまだ知らないことばかり。
これから手持ちのアルバムを聞き直すときには、またちがった心持ちで聞くことができそうです。

「上野千鶴子のサバイバル語録」を読んだ

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『上野千鶴子のサバイバル語録/上野千鶴子著(文春文庫)』を読みました。
上野さんといえば、あの東大入学式での祝辞が話題になった方です。

読もうと思ったきっかけは、14日の日曜日、ラジオ・文化放送「浜美枝のいつかあなたと」というインタビュー番組に上野さんが出演されていて、そこでのお話が面白かったのと、この本の紹介もあったからです。

番組中でも上野さんは“飛ばしまくり”の状態で、新聞で身の上相談をやっていたときの印象に残るエピソードを聞かれ、「13歳の男の子から、自分は性欲が強く、そのことばかり考えています、どうしたらいいんでしょうか?と質問を受けたので、スポーツなどを思い切りやって解消しましょう、なんてインチキな回答は出来ない・・と、熟女の方に土下座してでもお願いしてみましょう( ̄O ̄;)と回答・・大手新聞での回答ですよ・・で、大炎上した」と大笑いしていました。・・さすがです!

さて、そんな上野さんの今までのいろいろな機会で発言されたものを語録として編集されたこの本、いろいろ書いてありました。
いくつかご紹介し、私のコメントも加えてみます。

〇友情にはメンテナンスが必要
 そう思います。ほったらかしの状態では友情は保たないし、信じているだけでは育たないとも思いました。

〇サヨナラを言うために書く
 書くという行為は、いつでも思想にかたちを与え、それにケリをつけるためにある。人はいわばサヨナラを言うためにそれについて書くのだ、とおっしゃっていて、私もブログで読後感や世の中で起こったこと、感激したこと、その他いろいろ書いていますが、やはり自分なりに“ケリ”をつけて次に進んで行こうとしているのだと思いました。

〇男がパワーゲームに夢中になる理由・・パワーゲームで争うのがひたすら楽しいからにちがいない
 完全に同意です。男は女に選ばれるより同性の男から「おぬし、できるな」と言われたがっている。それが最大の評価だと思っている。仕事に熱中するのは「妻子を養う」ためでも「会社以外に居場所がない」からでもない、パワーゲームに夢中だからだと思います。長年仕事して見てきた人は、70%以上がそうでした。そういう人に近づかないことが一番だというのが私の結論です。

〇よくわからないから不安になる
 おそれる対象がなにか、よくわからないから不安な感情になるというわけです。だから、ひとつひとつ不安の原因をとりのぞいていけば、あれもこれも自分で解決できる・・そういう自分のコントロールってけっこう難しいけど。

〇婚外恋愛とは、節度あるおとなの特権
 婚外恋愛・・誰にも言えない恋愛は孤独です。ひとりで抱え込むわけですから。その「孤独」淋しさに耐えられないなら婚外恋愛はできません。だから婚外恋愛とは、節度あるおとなだけの特権なのだ、というわけです。そういう経験がないと言えない言葉だと思いました。

わずか170頁に、140の言葉が収録されているこの本、けっこうガツンとくるものもありましたが、読んでいて特に男にはショッキングでハッとさせられます。
女性には納得の本かもしれないが、男も読んだ方がいいと思った。

2019/07/17

永井義男氏の「春画でたどる東海道五十三次」を読んだ。

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『春画でたどる東海道五十三次 -江戸の宿場の「性」模様-/永井義男著(河出新書)』という本を読みました。
著者は作家で江戸風俗研究家、「算学奇人伝」で開高健賞を受賞し、「幕末一撃必殺隊」「下級武士の日記でみる江戸の性と食」など著書多数です。

この本は、東海道五十三次の当時の旅のもうひとつの側面にふれるもの。
江戸時代は吉原などの遊郭の遊女は公許(公認)で、しかも宿場にいる飯盛女(めしもりおんな)と呼ばれる遊女も公許だったわけで、当時の社会背景ににそういうことがあったことを念頭に読まなければなりません。

五十三次それぞれの宿場は、こんな様子で飯盛女が堂々旅籠の表で見えるように化粧をしたり、お客を誘うように存在していた、とか、それを目当てに入る旅人も、昼日中堂々とそこを出てくる人達も全然悪びれるでもなく日常のことのように出入りしていた、と書かれています。

長崎のオランダ商館に医師として着任したシーボルトは、江戸参府に同行した際に、品川宿を通過。駕籠の中から旅籠屋を娼家と見なし、そこから白昼それなりの身分と見受けられる男が珈琲店から出てくるように平気で出てくるのを見て驚愕していて、そんな様子も書かれていました。

当時の文化では、男が遊女と遊ぶのはべつに罪でも恥でもなく平気だったということです。

この本は、そんな当時の様子を春画と共にあれやこれやと紹介しています。

多くは遊女や飯盛女との秘め事が描かれているのですが、男女の“ご愉快”は、それにとどまらず、旅籠で仕事をしている普通の女性、村で畑仕事をしている女性まで“おたのしみ”中・・しかも旅人の男だけでなく、女性の方もそれなりにたのしんでいる様子が描かれています。
つまり、当時の日本人って、とてもおおらかというか、性は解放されっぱなしみたいな状態です。
これが、芸能人が不倫したと目をつり上げている同じ日本人だとは思えない。
自分とは関係ない他人の芸能人の不倫にまで激怒している人は、まさに新人類的であるな、と私は感じました。

旅籠の部屋の仕切りは襖や屏風のようなものだけだったりして、読んでいると平気で隣室の男は夜這いをかけます・・あらかじめ声をかけて互いに目配せ、予告編のようにしている二人もいた・・。

なんというか、堅物というか、生真面目というか、現代のギスギスした男女関係の中にある多くの日本人には想像を絶する世界が繰り広げられていましたが、はっきり言って私は“江戸派”(^_^;)好きになるのに理由はないし、興味を持つのにも理由はない。
自分の思いのたけ、プッシュするのが本来の日本人なのではなかろうか!と放言しつつ今回は終了。

2019/07/16

角田光代さんの「世界は終わりそうにない」を読んだ

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『世界は終わりそうにない/角田光代著(中公文庫)』を読みました。

角田さんのエッセイと対談、自らが書く「書評」についてなど、けっこう盛りだくさんで、著者のふだんの顔というか、身近な様子が見えました。

「酔っ払い電車」という項目では、ふだん終電間際の電車に乗っているときは自分も酔っ払っていて気づかなかったが、しらふでその電車に乗ってみた話が出ていた。
いろんな人が乗っていたが、会社員ふうの人達がいちばん多く、そのほとんどが酔っ払っていた。
で、酔っ払いが占める比率が高い電車だが、車内は奇妙に平和であった・・と。
静かな酔っ払い達を見て、自分がこの上なくやさしい気持ちになっていた・・と、自己発見!
そんなことに感動している角田さんに私はとても親近感を得た。

わたしが居酒屋関係の本の紹介でよくこのブログに登場させる「太田和彦」さんと飲むことになった話も書かれていた。
やさしい太田さんのおすすめのお店で飲む角田さんは、難しいことを言わない太田さんに感心し、よろこんでいました。

そして、太田さんが取りだした忌野清志郎の写真集。そこにはライブハウス「ジァンジァン」で忌野さんの前、最前列で聞いている若かりし頃の太田さんが写っている。
そこで角田さんは“ぴかーん”と浮かんだ。
「キザクラの青年」という清志郎さんが書いた日記のタイトルを。

その日も彼はキザクラを持って楽屋にあらわれ、「2ステージ目は彼ひとりのためにやろう」と清志郎は日本酒を神棚に飾る・・。
角田さんが二十三年前に読んだくだりのキザクラの青年は太田和彦さんだったのです。
「もしかしてキザクラの青年ですか?!」と角田さん'(*゚▽゚*)'「そう、そう」と太田さん。
なんだかいい話だ。

その他対談もいくつか載っているし、恋について、恋愛についても角田さんの思うところが書かれている。
実に内容濃く、盛りだくさんの本だった。
読んでいるこちらの脳みそも活性化されたようだった。

2019/07/15

ブログでも近況報告

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写真は今朝の庭の草花です。
Instagram経由で facebook にもアップしましたが、ブログでも近況報告いたします。
6月27日、倒れる前日から体調はどんどん悪くなり、翌日胃腸科医で検査中、容体は急変し救急車が呼ばれ、搬送途中から自分がどうなってしまうのか、不安でいっぱいでしたが、体調はやがて不安になることも出来なくなるくらい意識が混濁し、どんどん悪くなりました。

その後の怒濤の検査と、最終的には先生と相談し、輸血という処置をやむを得ず行うこととなり、最低限の血液を確保し、一週間の経過観察の後、自宅療養となり現在に至っています。

入院したときも、入院中もそうでしたが、仕事のこと、今後の家族・家庭のこと、すべてが自分に不安要素として襲い掛かって来ました。
もういても立ってもいられない気持ちでした。4月からの第二の人生ともいえるスタートが崩壊していくのを感じました。

帰宅し、自宅療養が始まっても気持ちは焦るばかりで、家族と顔を合わせるのもどういう顔をしていいのかわからない・・。
こんな精神状態を経験するのも初めてでした。
日中もそんな状態なのに夜になるとさらに何かが取り憑くように心の中に入ってきて、なかなか寝入ることが出来ず、ようやく眠れたと思うと次から次へと悪夢を見ました。
何度も目覚め、何度寝直しても悪夢の続きを見る。地獄のような状態。

今もそんな気持ちは続いてはいるのですが、いろいろな人からいろいろな言葉をいただき、少しずつ立ち直ろうとする気持ちが出て来たところです。
ブログに、入院中・退院後に読んだ本の読後感をアップしているのも自分の気持ちの整理をしていこうとする一貫です。自分を落ち着かせようとしているのです。
今回のことで弱い自分を痛感しました。

もうちょっとだけ時間をかけて元気になろうと思います。
そのためにも、このブログを大事にして書き続けます。

以前と同じように楽しく元気なブログを書けるよう、もう少し時間をいただきます。
現在の正直なところの近況報告です。

池波正太郎の「食卓の情景」を読みました。

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『食卓の情景/池波正太郎著(新潮文庫)』を読みました。
退院して自宅療養中に読みました。

おもしろかったのは、池波さんが少年の頃、屋台の「どんどん焼」という東京下町のお好み焼みたいなものでしょうか、それを売るおじさんに「じゃがいもの茹でたのを賽の目に切ってさ、キャベツといっしょに炒めたらうめえだろうな」とアドバイスして、それが大好評に!(^^;)

さらに「じゃがいもをよくつぶして焼いて、まん中に穴をあけて卵をポンと一つ落とし、半熟になったのを食べたらうめえだろう」と続いてアドバイス(^_^;)

上記ふたつの命名までしていて前者を「ポテト・ボール」、後者はおやじが付けて「鳥の巣焼き」と相成りましたd(^_^o)
ただ者じゃありません、池波少年。

焼かせてよ、というリクエストにどんどん焼屋のおやじは池波少年に手伝ってもらったりもしていましたが、そのうち、長い時間を池波少年にまかせるようになりどこかに行ってしまう。どこに行くのだろうと思っていると・・。
なかなかの“いい男”だったそのどんどん焼き屋、やくざのボスの女に手を出しそこに通い詰めていたらしく、やくざの子分達に連れて行かれるのを池波少年は見ています。その後二度とそのどんどん焼屋の姿を見なくなったと書かれています( ̄O ̄;)

池波氏は、勤め始めた頃は株屋。当時は千三つや(千に三つも当たればよいみたいなことでしょうか)と呼ばれていたわけですが、かなり儲けて、やばいくらいの派手な生活をしていたようです。そこでもいろいろな食と出会った話が出て来ます。
下谷区役所にも勤務していたこともあり、その後、新国劇の脚本・演出を担当し(ものすごい遍歴です)、さらにその後は「錯乱」で直木賞作家に!
「鬼平犯科帳」などのシリーズは代表作として有名です。
そしてこの本のような“食の名エッセイ”でも名を馳せています、すごすぎる!!

食の興味は大阪、京都、東海道、鵠沼、横浜、奈良、柳生、伊賀上野、勢州・桑名、どんどんどんどん紹介され、実に面白く興味深いものがありました。
チキンライス、とんかつとカレー、芋ノコ汁など、身近だったり庶民的であったりするものにも触手は伸び、さらに時々登場する奥さんとお母さんのコンビもエピソードに隠し味を加えます。

読み応えのある「食エッセイ」でしたよ。

2019/07/14

「森崎書店の日々/八木沢里志」を読んだ。

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『森崎書店の日々/八木沢里志著(小学館文庫)』を読みました。
実に読みやすくて、なんだかちょっと元気の出る本だった。

冒頭、主人公の貴子という女性は交際一年の彼氏から突然「他の女性と結婚するから」と別れを告げられます。
あっという間に奈落の底に落ち、失意のどん底の中、職場恋愛(もて遊ばれただけ?)だったため、会社まで辞めてしまう。
そんなところから物語は始まりました。

そこへ小さい頃に可愛がってくれた叔父から声がかかり、叔父が後を継いだ神保町の古書店に住み込みで働くことになります。

この物語の主人公は、その貴子と、声をかけてくれた叔父(昔はぶっ飛んだ感じで、貴子にはとても古書店の店主を継ぐようなタイプには見えなかった)の二人になっていて、貴子の古書店で、そして近くの喫茶店で知り合った人達との人間的なやり取りと、自身の立ち直り、さらに謎の過去を持つ叔父と、行方不明になっていた叔父の奥さんも物語にからみ始めます。

このお話の良いところは、どろどろとした不可解な、あるいは怪しいような人が登場しないことです。
それぞれに問題を抱えつつも自分に真っ直ぐに生きて行く人ばかり。
小説という形態をとっている物語としては異例に一途で真っ直ぐで、爽やかなストーリー展開なのでした。

ある日ひょっこり何年ぶりかで戻って来た叔父の妻も、色々な過去と事情を持ち、その中身はとても重いものがあるのですが、それでも主人公の貴子は真っ正面から叔母と向き合い、叔父と叔母の関係にも光明が見えてきます。

読んでいてとても勇気づけられる物語でした。
ものすごく明快な解決みたいなことにはならないのだけれど、でも、なんだか気持ちはすっきりするのです。

病み上がり、退院後、家で療養している身には、心に青空が広がるような本でした。
ありがとう。

2019/07/13

立川談志に聞く「人生、成り行き」を読んだ

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『人生、成り行き -談志一代記-/立川談志・聞き手:吉川潮(新潮文庫)』を読みました。
私の体調が戻りはじめ、ベッドから降りることが許可され、トイレにも行けるようになった頃に読みました。

7年くらい前の文庫発刊で、ブックオフで見つけておいたものです。

噺家として弟子入りした(お師匠さんは、あの小さん師匠)頃から他を圧して噺がうまかったと自画自賛しているが、実際にそうだったのは事実で、寄席だけでなく、キャバレーやその他テレビなどにもどんどん進出していたらしい。
そして、その後もそうだったが、生意気であったのも間違いなかったようです。

その頃のハチャメチャぶりを読んでいるだけでも面白かった(結婚、志ん朝に真打ち昇進の先を越される、政治家になっちゃった、選挙戦のおもしろ話などなど)のですが、この聞き書きでもっとも迫力があってリアルに伝わってきたのが、あの落語協会分裂、立川流創設の話でした。

騒動のさなかで右往左往する落語家達、師匠との関係(師匠には優しい眼差しも持っているが、その器と行動には諦めも感じていた様子)、そういうことがあってからの落語そのものに対する自己にも厳しい突き詰め方には今さらながら驚きました。

性分だから仕方ないのかもしれませんが、そんなに極めようとして落語の向こう側の扉までこじ開けようとしている姿には、「そうまでせんでも」・・と私は思ったのですが、でもそれが談志の魅力であったわけで・・。

弟子の志の輔さんのことを褒め、やがては自分の今考えている領域まで来るよきっと、などと話していますが、それを聞いている志の輔さんは戸惑っています。
そこまで行っちゃうと、もうそれは落語というジャンルではなくなってしまいそうです。

あとは亡くなった志ん朝師匠へのライバル心が其処此処で見えてきます。
志ん朝師匠が何人もの先輩を差し置いて、先に真打ちになることが決まったときに「お前辞退しろ」と言いに行ったり(^_^;)、「いや、兄さん、あたしは実力でみんなを抜いたと思ってる」と言われて、ぎゃふんとなり、「うん、立派だ」と思ったり。

結局、談志さんは自分とは異なるジャンルの噺家だ、ということで無理やり自分を納得させていたのが見てとれました。

談志師匠の本は数ありますが、この本はガチンコで本人から聞き書きした芯の通ったものでした。立川談志に興味のある人にはおすすめ本です。

 

【Now Playing】 ナイツのチャキチャキ大放送 / やくみつる他 ( TBSラジオ )

2019/07/12

おいしい旅・・夏の終わりの佐渡の居酒屋/太田和彦さんの本を読んだ

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ベッドから起きられるようになり、少し顔色も戻って来た段階での病院で読んだ本でした。
『おいしい旅 -夏の終わりの佐渡の居酒屋-/太田和彦著(集英社文庫)』。

居酒屋で飲むことの達人、太田和彦さんが、今回は金沢・京都・仙台・佐渡・松本・東京、そしてウィーンと巡る巡る!(*^_^*)

北陸新幹線に乗って金沢へ。
顔なじみの「おでん高砂」では「かに面」!っと気負い込んで注文したが、「十二月で終わりです」との返事にがっくりする太田さん(^_^;)
越前カニの値の安い雌・香箱カニを丸ごと一杯剥いて甲羅に詰めなおし、注文を受けてから十分間煮る“かに面”!
カニ身・内子・外子・みそ、とカニのすべてが味わえるのだそうです。
でもって最後は空いた甲羅に燗酒を注ぐ「かに酒」が最高だ、なんて太田さんに言われただけで私も金沢に行きたくなりました。
・・結局、今回はそれが食べられなくて太田さん「スジ、ばい貝、車麩」と矢継ぎ早に注文、もちろん日本酒を燗で。

今回は、太田さん、京都に行き、『京都の中華』を紹介してくれます。
ハマムラのえび春巻き、平安のカラシソバなど、私のまったく知らなかった独特の中華。ぜひ一度行って食べてみたいと思いました。

佐渡、松本にも出掛け、どこに行っても馴染の店に懐かしい店主、女将がいて、そこでの交流も楽しく読みました。太田さんの人柄によるものだろうな、といつも思います。

東京に戻れば太田さんの本拠地。
そこでもまた太田さんの好きな洋食なども紹介してくれていて、相変わらずの名調子です。

ベッドで本を読んでいたときに、食べ物などの話は読みたくなかったものの、体調が回復し始めたら、やはり太田さんの本が読みたくなったのでした。

次は噺家、談志師匠のインタビュー本をご紹介しようかと思います。

2019/07/11

椎名誠さんの「やっとこなあのぞんぞろり」を読んだ。

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『やっとこなあのぞんぞろり/椎名誠著(角川文庫)』を読みました。これも病床で。

1992年に本の雑誌社から刊行されたものの改題・文庫化です。
この時代の椎名さん、何をやっていたかというと、映画制作です。
「ホネ・フィルム」という映画制作会社までつくって、かなりこの頃は映画に入れ込んでいたようです。

第一作の「ガクの冒険」を、一般的な上映館への配給で行うのでなく、全国コンバットツアーとなどと言って、全国にいろいろな都市から要望をもらったりして、公民館や体育館など、一般的な映画館ではないところで上映している様子が書かれていました。

いましたが、とにかくフィルムが届かなかったり、音が出なかったり、途中から始まってしまったり、上映が遅れてその前にトークコーナーなどで“しのいだ”り、のたいへんな様子が椎名さんのドキドキと呆れた気持ちと共に書かれていました。
実に椎名さんとその周囲のスタッフらしい光景でしたが、実際のそのときのことを思うと、気が気じゃなかったろうと思いました。こちらは無責任に読んでいましたけど。

さらに「うみ・そら・さんごのいいつたえ」という新作映画の製作にあたっては、椎名さんの旧知のおっさんたちと、映画専門スタッフのひとたちの合宿での作製過程が最初からどんどん揉めだして、常識から外れたその混沌とした様子が、なぜか次第にわけがわからないうちに結束していくという奇跡が起こり、その様子も実に椎名さんらしい文でまとめられ、とても面白かった。

昔、縁日などで夜空の下に張られた幕で映画を見た経験が鮮烈に残っている椎名さんの映画に対する情熱はちょっとふつうの映画ファンとは違うのです。
また、趣味の段階でも自分でカメラを買い、16ミリの短編映画を作っていたりした椎名さんの情熱がほとばしるようで、読んでいてその力強さにも驚きました。

その他椎名さんが若い頃に書いたSF小説をコンテストに出し、自身満々なのに落選した話。その作品を後々膨らませて、やがては作品として発表した話なども書かれていて、それも楽しめました。

この本を読み終えたあたりから、輸血などを受けて体力がだいぶ回復してきました。
つい一週間前くらいの話なのに、この本を読んだのがずいぶん前のような気がします。

2019/07/10

「体験的骨董用語録/中島誠之助」と「この骨董が、アナタです。/仲畑貴志」を読んだ

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私が妻にお願いして家から病院に持って来てもらった『体験的骨董用語録/中島誠之助著(ちくま文庫)』と、それを持って来てくれるときに、「これを読みたかったのなら、私の持っているこの本はどう?」と併せて持って来てくれた『この骨董が、アナタです。/仲畑貴志著(講談社文庫)』を同時並行的にベッドで読みました。

『体験的骨董用語録』は、あの「なんでも鑑定団」でお馴染みの中島誠之助先生の著書です。
これはまさに骨董の“字引”です。
先生が番組中によく使っている骨董界での用語についてアイウエオ順に解説されているものです。

書きっぷりというか、この本での語り口は字引なのに、あの番組での“名調子”そのままに軽やかに、粋な感じで最後はちょっとユーモラスにピシッとしめる感じで、とても心地良く読みやすいd(^_^o)

たとえば、ニュー〔入〕などという表現もよく耳にしますが、英語でいえばヘアークラック、やきものについたヒビのことだと書かれています。放置しておけばわずかなニューでも器の中心に向かって進んでしまう・・などと書かれていました。
私も「この皿にはニューがあるね」などと骨董市などで使ってみたいものです。

アイテメキキ〔相手目利き〕は、自分では真贋がつかず、相手の鑑識を頼りに商売をする場合、または、偽物とわかっているのに、相手の勝手な見解にまかせて売りつけることでもある、と書かれていて、骨董界の内情というか、機微みたいなものも感じさせます。

イドヂャワン〔井戸茶碗〕などについては、かなり詳しく解説されていて、見ていて飽きない、そしてちょっと骨董知識が豊かになって、“にわか”ですが、骨董通気取りができる本でした。

 

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そしてもう一冊「この骨董が、アナタです。」は、あの有名なコピーライター仲畑貴志さんが書いた傑作骨董エッセイとなっておりました(*゚▽゚)ノ

妻にこの本を手渡されるまで、仲畑さんが骨董の世界にずっぽりとハマっていたことを知りませんでした。
いやもう、たいへんな“ハマリよう”でした。

初心者のうちの、モノを手に入れる度の“一喜一憂”は、有頂天からジェットコースターなみの地獄への墜落の様子が手に取るようにわかり(^^;)それは本人にとっては人生の一大事なのに、読んでいるこちらは愉快に笑ってしまうという展開で、そんな面白話ばかりが、色々な骨董を手に入れる度のエピソードと共に語られています。

これを読んでいると、先ほどの中島先生の骨董字引に出ていた専門用語が満載です。
字引を引きつつ楽しませてもらいました。

大の大人が、骨董品を手に入れる度にうっとりしたり、人から妙な茶々を入れられて落ち込んだり、私はせいぜい骨董市で安いものにちょっと手を出すくらいですが、その魅力は底無しなんだな、と思いました。

あまりに面白いこの本、骨董ちょっと好きな方でも読んでみてほしい、そんな内容でした。

2019/07/09

「名画は嘘をつく」を病床で読んだ

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入院して最初の数日はベッドに寝たきりだったので、文庫を片手で少しずつ読んでいました。ほかにすることもなかったもので。

で、『名画は嘘をつく/木村泰司著(ビジュアルだいわ文庫)』を読んだのです。

まずは私の西洋美術における絵画というものの理解がそもそもあまり無かったことにすぐに気づきました。
14世紀に始まるルネッサンス時代には西洋美術は彫刻から絵画の時代になっていくのですが、そもそも絵画は「ある一定のメッセージ」を伝えるという目的があったということに、何となくは気づいていたのですが、それがメインの目的だとは思っていなかったこと、それが私の理解不足でした。

現代の芸術って、制作者の内面世界を表現することが当たり前だと思いますが、実は上記のようなことがあって、“伝えるべきこと”を伝えているかが当時は重要なことだったのですよね。
それを踏まえての「名画は嘘をつく」というこの本の成り立ちがあるわけです。

嘘の種類にもいろいろありました。

〇タイトルの嘘・・タイトルになっているのは後付けで、実は全く異なることを描いていた。
〇モデルの嘘・・かわいい女の子に見える絵が、実は男の子だった。

その他王室の嘘、景観の嘘、設定の嘘(史実とは異なる設定で描かれている等)、画家の嘘、見栄の嘘、見方の嘘、天界の嘘、ジャンルの嘘、などなど、もう・・嘘だらけ(^_^;)

こういうのを研究し、歴史的な背景などを探索していくと、西洋美術史を研究している人は、もう“たまらん”というくらい興味が尽きないのでしょうね。
私も読んでいて「へぇ、そうなんだ、知らなかった」ということばかりでした。

宝塚でも人気のある皇后エリザベートの肖像(フランツ・ヴィンターハルター)も、美しく描かれ過ぎているという著者の指摘がありました。
でも・・私からしたら実物の写真も残っていて、実物の方が美しく見えちゃうんですけどねぇ・・…σ(^_^;)

有名なムンクの「叫び」も、実は描かれたあの悲痛な表情をした人物が叫んでいるのではなく、耳をふさいで叫びから自分自身を守ろうとしているのだと知って驚きました。
そんな話、初めて聞いたもので。

というわけで、西洋美術に疎い私でも知っている名画の数々がどのような背景で、どのような“嘘”を含んでいるか、画と文を交互に見ながら、「あらそう!」などと言いつつ読むことが出来ました。
私のようにあまり美術に詳しくない人でも興味深く読むことができる本でした。

2019/07/08

続いて、磯田道史さんの「日本史の探偵手帳」を読んだ

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『日本史の探偵手帳/磯田道史著(文春文庫)』を、やっと容体が落ち着いてきたベッド上で読みました。

いつもながら、磯田氏の古文書から読み解いていく歴史の話は面白い。

今回読んだこの本、特に感じたのは「税」っていう体系のものが武士の社会に存在したのかということでした。
年貢や諸役、冥加金などがそれにあたるのでは、と私は即座に思ったが、著者が言うように「地代」に近いものじゃないか、と考えることも出来ます。

土地の領主が地代として領民から財やサービスを取り立てているのですが、税と違ってそれは国民が必要なサービスを提供する目的で集めているわけではなく、それが「税」と言えるのだろうか・・そんなふうに考えられます。

そしてそれぞれの身分に応じて「役」を担うということもありましたよね。
その「役」は、もちろん武士にもあり、それが「軍役」で、事あらば戦に駆けつけるわけですが、でもそのためには軍馬を飼っておかなければならなかったり、様々な物的・人的・財産的準備もしておかなければならない。

そうなると主従の関係も私が今まで思っていたような、ピラミッド型の重厚でがっしりと構築された武家社会などというものは“砂上の楼閣”のようなもので、たぶん幕末のあたりでは、もう“ぐずぐず”な状態だったのではないかと想像されました。

江戸幕府は滅びるべくして滅びた・・そんな印象をこの本を読んで行く中で感じました。
『米』中心の年貢という税体系に似たものが営々と続けられ、その見直しがなされなかったのは長い幕府の歴史の中で致命的だったのではないか、と思いました。
税体系と共に、幕藩体制もぐらぐらしてきたのでしょうね。
だから、海外列強国からの圧力にも即座に対応できるような体制が無かったとも・・。

そしてもうひとつ。
「頼山陽」という人物についても、語られていましたが、この人の名前は教科書で見た記憶がありますが、著者が強調しているように戦前から戦後にかけて価値や人気が著しく下洛した人物で、私も教科書で数行書かれていたのを見かけたのみです。

幕末期の海外からの“荒波”、どう対処したらよいのか、その分岐点で、志士たちは、頼山陽の「日本外史」から、王政復古の思想を読み取り、大きな影響を受けて明治という時代へ向かって行ったというわけです。
このあたりのこと、ほとんど歴史では勉強しませんでした。

日本人の歴史意識は、この150年間で三人の人物によって創られたと、磯田さんは語っています。
江戸後期の頼山陽、その影響を大きく受けた徳富蘇峰(大正から昭和初期にかけて)、そして戦後の司馬遼太郎である・・と、言い切っています。
頼山陽については、ほとんど文献等を読んだことがないので、私、今後ちょっと色々調べてみようと思いました。

以上が、ベッド上で感じたことの記憶をまとめたものです。
この本もなかなか読み応えのあるものでした。

2019/07/07

「地球の裏のマヨネーズ」を読んだ

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『地球の裏のマヨネーズ/椎名誠著(文春文庫)』を降りられないベッド上で読みました。
椎名さんのエッセイの一連のシリーズですが、この回の中心はタイトルにもあるとおり、チリの「パタゴニア」。まさに日本から見たら地球の裏側です。

この本で訪問するのが三回目とのこと。ほぼ9年おきに出向いているようです。
椎名さんはこの“地の果て”ともいうべきパタゴニアにとても惹かれていて、現地にたどり着くだけでも厳しい環境、さらに現地での気候・環境も過酷なのに、生き生きとそこでの生活を楽しんでいます。

椎名さんの持つ“冒険心”や、男として、一人の人間として持っている「心」に、そして現地の人々や、馬とガウチョ(パタゴニアのカウボーイ)とで目指す奥地への旅、などが椎名さんにとって魅力的でかけがえのないものになっていることがよくわかるうれしそうな書きっぷりに、こちらも楽しくなりました。

パタゴニアの原野(パンパという)を馬で超え、氷河を目指すのですが、その道中で以前椎名さんと関わった現地の人々との再会もあり、人と人の交流もこの旅を潤いあるものにしています。

これがメインで、あとはいつもどおり、お気に入りの鍋のつくり方や、生春巻きの椎名流を次々と編み出してひとりよろこんだり(*^_^*)、名護市の巨大リゾートホテルに行って、なんじゃこりゃと悲しんだり、落語にまで話が及んだりしていて、ベッド上の私も苦しみながらも読み切りました。
あまり重い本も読めるような状況ではなかったし・・。

以上、椎名さんの地球の裏のマヨネーズのご紹介でした。2006年、第一刷となっていました。

2019/07/06

エミール・ギメの「明治日本散策 東京・日光」

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病気で倒れる前、そして倒れて以後ベッドから降りることも起きることも許されなかったときに何冊か本を読みました。
それらの感想をメモ的なものになりますが書いておきます。忘れないうちに。

まずは『明治日本散策 東京・日光/エミール・ギメ著、岡村嘉子訳、尾本圭子解説(角川ソフィア文庫)』から。

これは明治9年に来日したフランス人実業家エミール・ギメが画家フェリックス・レガメを伴い、レガメの挿画と共に自らの文章で日本訪問記としてまとめたものです。

幕末から明治初頭、日本が開国して西洋人が公式に日本に長期滞在するようになって、日本の歴史、地理、政治、風俗などについて紹介している文献はいくつか見られるようですが、この本は短期の旅行者が体験したこと、目にしたものなどを自由にエッセイ風に書いたものになっていました。だから読みやすかったd(^_^o)

当時の横浜-東京間を走っていた鉄道に乗ったり、四十七士の物語についてもとても興味を持って日本人にとってのあの仇討ち話がどんなものであるのか、けっこう深く斬り込んでいたり、上野、浅草などの様子も現在の姿を知っている私達にとって「そうだったんだ」と思うような新鮮な訪問記になっていました。

日本人の車引きや料理人、使用人を雇って日光まで向かう道中が一番のクライマックスかと思いますが、けっこうその時の風景、風俗、日本人との考え方のちがい、揉め事、宿の様子など、とっても面白く、時代考証をしている人などにも参考になるようなことがたくさん書かれていました。

日本人との交流もアメリカ人などとはちがうアプローチを感じました。

河鍋暁斎も登場し、その特異な存在感と、天才ぶりを著者の目の前で見せてくれます。
ここもこの本での第二のクライマックスかも。

挿画も多く、当時の様子、空気、風などを感じたい人にはとても面白い本だと思いました。
何よりその翻訳が読みやすかった。

2019/07/05

力尽きました。

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ブログの更新が出来ずにおりました。
病院にいたからです。

先々週の終盤に職場ではけっこうこの時期では珍しくきついというか大混雑で混乱するような状況がありました。
でも、何か策を用いればある程度回避できることが多々あったと感じました。
で、パンチのように連打を受け、しかも無援で、ボクサーで言えばリングには最後まで立っていましたが、もう実質上はダウンして起き上がれないような心身の状況でした。
この状況はひどい。

翌週も気力で無理をして仕事をしましたが、木曜日の午後に膝を突いてダウンしたような状況になり、帰宅。
翌日、あまりにも異様な身体の状況に医者に行き、胃カメラの検査をしているうちに容体が急変し、救急車が呼ばれ、一緒に来てくれていた長女と共に救急搬送を受け、病院に。

救急車の中では「ご自分のお名前を言えますか?」とか、「生年月日がわかりますか?」などと救急隊員から聞かれ、ろれつが回らない自分に気づきました。

病院に着いても、飛び出してきた外科の先生が、ストレッチャーに乗せられたままの私をそのままの状態でレントゲン撮影したり、CTにかけたり、もうそのまま胃カメラにも突入して、その日二度目の胃カメラ。

検査後、モニターを見ながらストレッチャーに乗っている私に説明をする先生。
朦朧としている私。先生の説明を泣きながら聞いている長女。メモしながら妻にラインで報告してくれました。

出血性ショックで生死の境目を彷徨う自分を薄れるような意識の中で感じました。

止血剤と点滴、鉄剤をがんがん投入してそのうち出血は止りましたが、検査の結果血の量がギリギリのところまで来ていて、やむを得ず判断して輸血を行いました。

なんとか頭を起こすくらいなら気絶せずにいられるくらいの血液量に戻り、二日間おいて身体が落ち着いたところでまた胃カメラを飲みました。
血でいっぱいになった胃の中を最初の医者では見ることが出来ず、この病院でも緊急搬送時の一回目の胃カメラでは出血場所を確定することが出来ませんでしたので、病院でも二度目の胃カメラでした。ようやくその箇所をほぼ特定することが出来、出血が止ったので、とりあえず一週間の様子見を経て、歩けるところまで来たので一旦退院、帰宅し、自宅療養しながら、まだ残っている検査を通院で行うこととなりました。

向こう側の世界の扉のところまで行って来ました。
そして駄目かと思った自宅に帰ってくることが出来ました。

生きていただけよかった・・のかもしれませんが、仕事についてはもう考え直さなければならないと思っています。
生死をかけてする仕事はないのですから。

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