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2019/07/05

力尽きました。

20190705_hospital001

ブログの更新が出来ずにおりました。
病院にいたからです。

先々週の終盤に職場ではけっこうこの時期では珍しくきついというか大混雑で混乱するような状況がありました。
でも、何か策を用いればある程度回避できることが多々あったと感じました。
で、パンチのように連打を受け、しかも無援で、ボクサーで言えばリングには最後まで立っていましたが、もう実質上はダウンして起き上がれないような心身の状況でした。
この状況はひどい。

翌週も気力で無理をして仕事をしましたが、木曜日の午後に膝を突いてダウンしたような状況になり、帰宅。
翌日、あまりにも異様な身体の状況に医者に行き、胃カメラの検査をしているうちに容体が急変し、救急車が呼ばれ、一緒に来てくれていた長女と共に救急搬送を受け、病院に。

救急車の中では「ご自分のお名前を言えますか?」とか、「生年月日がわかりますか?」などと救急隊員から聞かれ、ろれつが回らない自分に気づきました。

病院に着いても、飛び出してきた外科の先生が、ストレッチャーに乗せられたままの私をそのままの状態でレントゲン撮影したり、CTにかけたり、もうそのまま胃カメラにも突入して、その日二度目の胃カメラ。

検査後、モニターを見ながらストレッチャーに乗っている私に説明をする先生。
朦朧としている私。先生の説明を泣きながら聞いている長女。メモしながら妻にラインで報告してくれました。

出血性ショックで生死の境目を彷徨う自分を薄れるような意識の中で感じました。

止血剤と点滴、鉄剤をがんがん投入してそのうち出血は止りましたが、検査の結果血の量がギリギリのところまで来ていて、やむを得ず判断して輸血を行いました。

なんとか頭を起こすくらいなら気絶せずにいられるくらいの血液量に戻り、二日間おいて身体が落ち着いたところでまた胃カメラを飲みました。
血でいっぱいになった胃の中を最初の医者では見ることが出来ず、この病院でも緊急搬送時の一回目の胃カメラでは出血場所を確定することが出来ませんでしたので、病院でも二度目の胃カメラでした。ようやくその箇所をほぼ特定することが出来、出血が止ったので、とりあえず一週間の様子見を経て、歩けるところまで来たので一旦退院、帰宅し、自宅療養しながら、まだ残っている検査を通院で行うこととなりました。

向こう側の世界の扉のところまで行って来ました。
そして駄目かと思った自宅に帰ってくることが出来ました。

生きていただけよかった・・のかもしれませんが、仕事についてはもう考え直さなければならないと思っています。
生死をかけてする仕事はないのですから。

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