内田百閒の「大貧帳」を読んだ。
『大貧帳/内田百閒著(中公文庫)』という本を読みました。
内田百閒のこの本は、百閒先生自身の貧乏生活について、借金について、お金にまつわる様々な人との関わりについて書かれています。
「いつもお金を絶やさない様に持っているのは、私などよりもう一段下の貧乏人である。」・・・この百閒の誇り高き?!一文は、なんだかもう笑えるようで笑えない(^_^;)
お金なんか無くったって、豊かな諧謔の精神を持つことができる(解説:町田康氏)、こんな人は過去にも現在にも内田百閒をおいて他にいるのだろうか、と、この本を読みながら思いました。
ほんとうに今夕食するものも買えないようなぎりぎりの日々でも落ち着き払っているようで、平気で借金に出かけ、ワケが分からないが貸してくれる人がいる。
原稿料の印税まで前借りし、学校勤めをしていた頃には給料日にそのほとんどが借金の返済で消えてゆく。
この本を読んでいるだけでは、いったい何にお金が使われているのかわからないが、ありとあらゆる人達から借金をしていて、借りている百閒先生が一番堂々としている。
帽子が使用に耐えられなくなり、病の床にいる知り合いのところに見舞に出かけ、病室に掛けてある病人の帽子を被り、どうせ病院では帽子は被らないだろうと被って帰ってしまう。
「退院するときに被るのだ」と言ってもいうことを聞かない百閒先生。「そのとき、買えばいいだろう」ときっぱり言い切る。
わざわざ千葉まで汽車に乗り、借金に出かけるが、貸してくれたその人に一杯ごちそうになる。( ̄O ̄;)先生の精神構造はいかなる具合になっているのか、私には想像もつかない。
借金をすることについて何ら引け目も感じさせないこの人の文章は厳然として他を寄せ付けません(^_^;)
借金まみれの貧乏生活、ぎりぎりのところで何とか危機を回避していくその日暮らしの様子など、他の人が書いても、きっと、ちぃとも面白くないのかもしれませんが、内田百閒の文は最初から最後までぐいぐいと引き寄せられ、他に類を見ません。
内田百閒の本を読む度に何か自分が文を書くときの参考にしようと思うのですが、まったく歯が立たないのです。
それほど面白くて上手くて、しかも孤高の文章です。
今回も読んで楽しむだけになりましたが、いつか少しでもこんな抜群の巧さを感じさせる文章を書いてみたいと、またまた思ったのでした。
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