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2020/11/23

【南先生の玉手箱_0026_戦後の記憶の中で思うこと】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
一ヶ月ぶりのアップです。
今回は、先生が戦後の記憶について書かれている文章です。
イラストの下の方に「戦後61回目の夏」と書かれていましたので、2006年に書かれたものと思われます。


以下、先生の文章です。

『戦後の記憶の中で思うこと』

私ごと、戦争の体験はないけれども、母親の体内でまだもの心つく前に、何か不思議と戦争体験をしたような暮らしを思い出すことがある。

小さい頃の思い出だが、何と言っても物が少なくて食べものなど貧しい時代であり、バナナ一本、アメ玉一個、せんべい一枚が大変貴重で手に入りにくい子ども時代だった。

そんなこともあって、腹のすく思いから、腹いっぱいの満足感やもののうまさが今でも体にしみついている。
井戸で冷やしたすいかの味や、おふくろのにぎった大きなみそむすびの味などよく覚えている。

 

 

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物が少なかったこともあるだろうが、もったいない、大切にする気持ちは自然に身についていた。
又、躾けられてきた小さい頃、近所の年寄りが縁側での茶のみ話しで、戦争中、外地で略奪、人殺しなど手柄話しなどしていた気がする。
近所に飛行機が落ちた墓もあった。

米軍が九十九里から来ていれば、このあたりは全滅まちがいなしだったと思う、当時、何かのまちがいで落下傘米兵が落ちてきたところに大人たちみんなで食料品など盗み取り、米兵は銚子の方へ連れていかれた。
おそらく殺されたと思うとの話しも覚えている。

聞いた話しではあるが、米軍九十九里上陸の時に備えて、学校ではみんな竹ヤリの練習があり、米兵を刺し殺そうと、バカなことをみんなが必死に考えて実行していたなど、教育や宗教はひとつまちがうと恐ろしいものがあります。

終戦ちかくには、日本中物資がなくなって、杉や松など大きな樹を伐採して燃料にする、お寺の鐘や鍋釜を集めて武器にするなど、あの戦わずして沈んでいった戦艦大和になったのではないだろうか?

自分の親の世代では、具体的な話しは聞かされていないが、終戦ちかくにかなりの友人が片道切符を買わされて特攻隊や人間魚雷で死んでいったように思う。

本当のことは伝えられていないが、自分の親や大人たちのうしろ姿に戦争の形を見て育ってきたように思う。

自分たちの世代にも、次の世代に対する大きな責任があると思う。

美術学校時代にデッサン用に本当の頭蓋骨を持っていた友人がいた。
40年前のことだが、沖縄の或る島でそんな頭蓋骨はゴロゴロしているって話していた。

季節はめぐって、毎年365分の1回。今年も終戦8月15日が来た。
広島、長崎に原子爆弾を投下された日本、今日の新聞にもあの戦争で無念にも命を失った日本人が、戦地、内地、いろんな場所で310万人それ以上の数にのぼる。
もちろん命は数の問題ではない、ひとつの命は誰でも地球上60億?分の1、みんな同じ重さの大切なものだ。

朝からマスコミで、靖国神社参りがどうのこうのと、報道をくりかえしているのだが、私たちひとりひとりが本当のところ命の大切さや、人の心の耕しに毎日どのうようにかかわっているか、私ごと団塊の世代の者としては、現在の社会構造をつくっている立場の者として、こと戦争に限らず、強く、今、現代の暮らしに責任を感じることが多い。

とは言っても、ひとりでは何ひとつ解決できそうになく、反省ばかりではあるが、何か過去の歴史が風化してしまわないように次の世代に伝え、育んでいくことに努力しなくてはと思う。

戦争のことは知らないにしても、いろんな話しを子どもの頃から耳にしてきたことを時々思い出す。
今、時代は表面的には飽食や物質的に豊かなように見えるものの、心の問題は大変な状況で、あぶない課題山積の時代にお互いが暮らしていると思う。

当時、戦争の道具、武器となって本当の気持ちを誰にも伝えられないままに戦場に散っていった数百の命について、誰がどのように責任をとれるものか、どんなことをしても命の責任はとれず、戦争も絶対に許せるものでない。

当時の画学生が、この絵の続きは帰って必ず描くと、キャンバスの裏に書き残し、モデルの恋人に言葉を残し、二度と帰ってくることはなかった。

現代のテロ事件や、拉致問題など、許すまじき行為だが、戦争の時代には、日本にも同じような状況があった。

このように二度とくりかえしてはならいなことに対してしっかりと思いを寄せて、次の世代に伝えていくこと、命の大切さや、戦争の悲惨さを知識として知っていても何もならないこと、本当の思いを語り継いでいきたいものです。
8月15日は大切で大きな教材です。


以上が先生の文でした。

文中に書かれていた「九十九里から米軍が上陸してきたら」という話は、私も祖母や母親から聞いたことがありました。
当時は、もしそんなことになって「米軍が町に入ってきたら辱めを受ける前に死のう」と皆で言っていたという話を聞いたことがあります。
実際は、そういうことはなかったのですが。
戦争に関しては、先生と電話で話したりすることがあるのですが、今の若い世代、子ども達の世代にどう伝えていくかは、とても難しくて大切な問題です。

 

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