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2021/03/29

岩のように動かなかったが動いてみた…σ(^_^;)

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4年ほど前だったでしょうか、長男が私の誕生日に「KALDI」の珈琲ミルと、袋に入った市販の珈琲豆を買って来てくれました。

独身の頃に一時期、自分で珈琲を淹れたこともありましたが、もうウン十年も家ではインスタント・コーヒーで過してまいりました。

せっかく、もらったので、豆を挽き、しまい込んでいた「KALITA」の陶器製ドリッパーを引っ張り出してきて、珈琲を淹れてみました。
淹れてみると・・これはけっこう“豆を挽く”作業もなんだか楽しいし、インスタントよりも美味しいし(*^^*)家族はよろこんでくれるしで、すっかり日々欠かせないことになりました。

そこで、職場の同僚に美味しい珈琲屋さんで、しかも自家焙煎しているお店を教えてもらい、行ってみて、飲んでみて、豆を買ってきて自宅で淹れてみれば、・・いやもう美味しさは今まで味わったことのないものでした。

お店で飲んだ珈琲は、その豆の種類ごとに異なる味わいがありました。

なので、そのお店(千葉市中央区大巌寺町にある「じゃくう鳥」というお店)から、飲んでみて気に入った珈琲豆を次々と買ってきては、自宅で淹れてみて楽しみ始めました。

いまや、その豆は「じゃくう鳥ブレンド」「コスタリカ・グレースハニー」「ブルンジ・プロカスタ」「パナマ・ドンパチ・ティピカ」「ブラジル・ショコラ・ナチュラル」「エチオピア・シダモ・ウォッシュド」さらに、じゃくう鳥がお茶屋さんや、食べ物屋さんに卸しているブレンド「稲毛園・Allegro」「稲毛園・Adagio」「稲毛園・Vivace」「Thymons Blend」と手を拡げました。その卸しているお店まで買いに行っちゃうんです(^_^;)・・もう完全に“ハマり”ましたね。

 

 

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それぞれの豆によって湯の温度を変えたりして楽しんでいたのですが、ついに「カリタ」の古いドリッパーと台形のペーパーフィルター以外にもいろいろあることが気になり過ぎて、同じ「カリタ」ではありますが、ウエーブ・ドリッパーとウエーブ・フィルター(※写真参照)を購入し、試してみました。・・まだまだ気になる「ハリオ V60」や「ORIGAMI」などというものがありますが、とりあえずこれでd(^_^o)
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で、淹れてみると、かなり味わいが異なることに驚きました。
ドリッパーがあって、ペーパーフィルターがあるだけなのに、その違いだけで味や風味が変わるんですね・・。私の感想ですが、ウエーブ・ドリッパーを使うと、豆の性格がよりくっきりと現われてくるという感じがしました。

でも、普通の今までの陶器製の古いカリタのドリッパーも“安定と信頼と実績”を感じさせるものがあり、捨てがたいです。例えが悪いかもしれませんが、古いドリッパーは、セーターを着ている感じ、ウエーブは、軽快にシャツで外に飛び出した・・みたいな感じ。
どちらもそれぞれに持ち味、良いところがあるのです。

今、それぞれの豆に両ドリッパーを試して、その違いを楽しんでいます。
また、日々の楽しみが増えちゃった'(*゚▽゚*)'

というご報告でした。ただうれしがっているだけです・・。

 

2021/03/28

「本棚・ヒヨコ舎編」を読みました・・見ました。

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『本棚/ヒヨコ舎編(アスペクト)』を読みました。
というか、芥川賞作家・川上未映子さんや直木賞作家・桜庭一樹さんら、作家、イラストレーター、漫画家、翻訳家など多彩な方々の本棚の写真がふんだんに添えられていますので、“見た”という感覚もあります。

作家の山本幸久さんは、「本がいつ頃から増えていったか覚えていないが、漫画から入って活字の本に辿り着いたって感じです。」とおっしゃっています。

私も同じでした。
小学校に上がった頃から漫画と通常の本の区別がついていませんでした。
“読み物”としてしか認識していなかったのです。だから、漫画であろうが、活字だけの本であろうが、まったく関係なかったのです。

というわけで、大人になってから夢中になったシェイクスピア作品は、まずは漫画で出会うことになりました。
「ベニスの商人」も、「ロミオとジュリエット」も手塚治虫の作品で知りました。
だから、後々、シェイクスピアの翻訳本を読んでもスイスイ読めたわけです。

中島らもさんの本棚については、奥さんの美代子さんが取材に応じてお話されていますが、らもさん、読んだ本はほとんど覚えていたんじゃないか、とおっしゃっています。
ふつう、作家は事前に資料として本を集め、それを紐解きながら作品を書くのだけれど、らもさんは、読んだ本の内容が頭に入っていて、書き始めたときには、頭の中で作品が出来上がっていて、それを複写していくような作業になっていたのだそうです。
だから、一応、事前に本を読むのは、あくまで既にあるそれらの本の記憶を確認しているだけだとご本人が言っていたというのです。
すごい人だ。

本棚に目一杯本が入っているけど、新しいものを手に入れたら、どれかを処分して、常に本棚は満杯だけど、一定量に保たれているという方もいました。
・・これは私のような「溢れるような本棚を見て安心する」タイプには絶対に出来ないことです。

本の入手方法にしても、ネットがほとんどって人もいましたし、古書店や大型店舗の上階から一階まで一通り見て回る人もいました。
いずれにしても、その読書量はふつうの人には考えられない量だと思います。
そんな方々の家、仕事部屋の書棚を本人の解説付きで写真で見られるなんて、本好きにはとてもうれしいものでした。

ただ、私自身が本棚を見られるとしたら、ちょっと恥ずかしくてなかなか見せられないな…σ(^_^;)と思いました。

 

2021/03/27

「談志楽屋噺」を読んだ。

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『談志楽屋噺/立川談志著(文春文庫)』を読みました。
ブックオフで入手、オリジナルの単行本は昭和62年2月の白夜書房から出ています。

この本に出てくる楽屋の談志さんは、まだ若手で、入門時の「小よし」、二ッ目の時の「小ゑん」時代の話題が多く、楽屋にいる師匠の面々、談志さんの仲間の噺家についても、私の知っている人が少ない。
たまに聞いたことのある名があると、先代、先々代だったりします(^_^;)

それでも、この本に書かれている時代の噺家や、講釈師たちの逸話は破天荒で面白く、単に愉快な話題が満載の本というわけではなく、この時代の芸人や街の風景、風俗、流行などの貴重な資料的価値もあるものだと思いました。
談志さんも、書きながら「書いておけば後々、誰かが見てくれる」というようなことを言っています。

私でさえ、興味深く、面白く読むことが出来たのですから、私よりも十歳くらい年配の方などには、懐かしい顔ぶれや、当時の様子がふつふつと蘇ってくるのではないかと思われます。

この本に登場した噺家などで、私の知っている方では、後の「橘家圓蔵」、「月の家圓鏡」さん。談志さんの“いたずら”や、“洒落”に付き合い、けっこう大変な思いをしていましたが、それでも仲良くやっていました。

また、私も当時のテレビなどで、かすかに覚えている奇術の「アダチ龍光」さんを、談志さんがとても慕っていて、尊敬していることもわかりました。

アダチさんが老齢になり、完全に引退してから、談志さんが寄席の舞台に呼んでかつての奇術を披露する場面などでは、談志さんだけでなく、私も涙ぐんでしまいました。

いたずらも過ぎる、というようなひどい話もありましたが、上記のような人情の機微にふれるような話も満載の、なんだか懐かしい本、読んだ甲斐がありました。

 

2021/03/26

グッドタイミングというか、バッドタイミングというべきか

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昨日も報道があり、今朝の新聞にも載っていたが、「マイナンバーカードを健康保険証として利用できる」と言って政府が去年から進めていた新システム・・こいつが、試行中、トラブル続出で先送りになりました( ̄O ̄;)

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そんな矢先、うちの家族に「マイナンバーカードが健康保険証として利用できるようになりますよ」という交付申請書在中の封書が届きました (・_・;
なんという“バッドタイミング”、“ポシャる”ことなんか印刷中には考えていなかったのでしょう。

そもそもマイナンバーカード取得は任意なのに、保険証がマイナンバーカードになるぞ・・と強迫観念を持たせて作らせようとする姑息な考えが良くない。

思いつきで保険証と絡めれば取得者は増えるという安易な考えの中に、システムがそれを受け容れられるのか、とか、準備、人員その他体制を整えられるか、時間的な制約は守れるのか、など・・ほとんど考えられていなかったと思われます。医療機関との調整もお粗末な状態だし、医療機関は“迷惑している”というのが実態です(^_^;)
素人にもこうなることはわかっていたが、わかっていないのは政府の上の方にいる“お爺さん達”だけだ。

マイナンバーは既に国民個々にふられているのに、なぜカードを作らせようとするのか、それはカード作成を請け負った共同企業体のうち何社かから与党に多額の献金があるからだ・・というニュースは大きく流れるかと思ったが、メディアのほとんどは“沈黙”している。
番号さえあれば、そして、やる気さえあれば国民のために様々なことに活用できるのにも関わらず、それについては取り組まない・・。なんとかしてカードを作らせようとする。

半年以上遅れて「10月までの本格運用を目指す」・・とのことなので、たぶん“目指す”だけだと思います。総務省は接待を受けるのに忙しくて仕事なんかやっている場合じゃないでしょう。

去年、コロナ禍の中、10万円の給付がマイナンバーシステムを使って出来る・・と政府は言ったが、実は入力されたデータを暗号化して自治体に配り、それを自治体が復号してから紙に印刷し、さらにマイナンバーは家族の把握も出来ないので、自治体職員が自力で住民基本台帳を調べ、紙で出力されたものを今度は手入力するという・・実際はマイナンバーシステムなんか使っていなかったことも、あのときわかった。新聞、ラジオなどメディアでもささやかに報道されていた。

だから小さな役場などは、その手間が紙の郵送申請の4倍も5倍もかかるので、「もうマイナンバーシステムを使うのはやめてください」と広報で悲鳴をあげていたのも記憶に新しいところです。

国民の多くにカードを持たせようとするなら、運転免許証のように「カードセンター」を作らなければならないでしょう。それを役場の市民課などに押し付けたら、さらにその出先に押し付けたらその部署の仕事自体が回らなくなるでしょう。それも、もう時間の問題となってきた・・。

すべてが「考え無し」の末に起こっていることです。

評論家の人などは、こういうことも書かず、マイナンバーシステムを使ってやれば簡単だなどと言っていて、お気楽なものです。

素人でもこのくらいは、ちょっと調べれば書ける、ということで書いてみました。

 

2021/03/23

カタカナ語の言い間違いについて洗い出してみました(^_^)

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昨日、ビートルズ資料館時代から今に至り、facebook 上でも色々お話しさせていただいている野口さんの facebook に、小泉進次郎大臣の発言から「プラスチック」を「プラッチック」と発音する話が取り上げられていて、なんだか面白く、興味深く感じまして、私もその後色々洗い出してみました。

以下に、思いつくままの洗い出したカタカナ語を挙げてみます。


コミュニティ community → ×コミニュティ

これはよくある間違いパターンですよね。
これから更に派生して、「飲みニュケーション」なんて飲み付き合いのことを表わす造語がありますが、この造語自体が、誤った発音を元に造られています。


デスクトップ desktop → ×ディスクトップ

これも“おじさん”がよく間違えています。もちろん、パソコンの画面を「机上」として捉えた言葉ですが、“お皿の表面”みたいに発音している人が多いです。


エンターテイナー entertainer → ×エンターティナー
エンターテインメント entertainment → ×エンターティメント

英語のスペルを見れば一目瞭然ですが、“テイン”を“ティン”、“テインメント”を“ティメント”と発音している人、多いです。


シミュレーション simulation → ×シュミレーション

これも前のものと同様、スペルを見れば明らかですが、“シミュ”を“シュミ”と発音したくなっちゃうんでしょうねd(^_^o)


アタッシェケース attache case → ×アタッシュケース

これは、むしろ間違っている人の方が多数派かもしれないです。
でも、“アタッシェ”なんですよねぇ(^^;)・・あたっしゃ知らなかった。


リラクセーション relaxation → ×リラクゼーション

こちらも“ゼーション”派が多数かもしれないですね。“ゼー”の方がリラックスできるような気がしてきます…σ(^_^;)


エキシビション exhibition → ×エキシビジョン

“ビション”を画面みたく“ビジョン”と発音したくなる気持ちはわかる(*^_^*)
 

ギプス gips(※オランダ語源で、ドイツ式表現らしい) → ×ギブス
お年寄りは「ギブス」って言う人が圧倒的多数なんじゃないかと・・。


ジャンパー jumper(※和製英語っぽい・・英語だとジャンパースカートの意か) → ×ジャンバー

これも年配者は、「バー」派が多数でしょう(#^.^#)


キューピッド cupid → ×キューピット

「ド」だって言っても、「ト」だろうと、納得のいかない年配者が多そう・・(^_^;)


フィーチャリング featuring → ×フューチャリング

レコードやCDのジャケットに“謳い文句”として「フィーチャリング、エリック・クラプトン」なんて書いてあるわけですが、「フューチャー」したくなる人も多いことでしょう(*^^*)


グラウンド ground → ×グランド

「罰としてグランド三周!」なんて、部活の先輩から怒鳴られた人の記憶は「グランド」でしょうねd( ̄  ̄)


ブダペスト budapest → ×ブタペスト

もう完全に「豚ペスト」だと信じて疑わないオジサン多そうです。


バドミントン badminton → ×バトミントン

桃田選手がやっているのが、バドミントン。子供が庭でやっているのがバトミントン、・・てことで、どうでしょう(*^^*)


ティーバッグ tea bag → ×ティーパック

これは、茶の袋という理解でなく、茶をパッケージングしていると思っている人の勘違いだと思います。


バッジ badge → ×バッチ

これも、国会議員が付けているのがバッジで、子供が胸に付けているのがバッチってことにしときましょうか'(*゚▽゚*)'


ブロマイド bromide → △プロマイド

ブロマイドは写真用印画紙のことで、浅草のマルベル堂が発行した往年の人気スターの写真を印刷したものを「プロマイド」と言うらしいです。だから、あながち間違いとも言えないかも(^_^;)


トートバッグ tote bag → ×トートバック

これもバッグとバックの違いで、オジサンはきっと納得いかないでしょう。


ハイブリッド hybrid → ×ハイブリット

これまた、オジサン的には“ブリット”こなけりゃ気が済まないでしょうね(^^;)


マニキュア manicure → ×マニュキア

マニュアルと同じ様な発音と思ってしまったのでしょう。


人間ドック human dock → ×人間ドッグ

よく冗談で言う、『えっ、明日「人間犬」になるんですか?』というのは定番です。


ベッドルーム bedroom → ×ベットルーム

賭け事をする部屋みたいに聞こえる間違いですが、これもオジサンは納得できないと思います。


ドッグラン dog run → ×ドックラン

「犬はドックだろう?!」というオジサンの声が聞こえる。


ドッジボール dodgeball → ×ドッチボール

これは小学校の時、先生も間違っていたような気がする・・。


以上が思いつくままのカタカナ語間違い発見でした。

ああ、疲れた・・。

 

2021/03/21

城山三郎さんの「よみがえる力は、どこに」を読みました。

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『よみがえる力は、どこに/城山三郎著(新潮文庫)』を読みました。

これは、城山さんの1981年、1990年の講演などを基に構成され、新発見された遺稿や、吉村昭氏との対談も含め再編集したものです。

私が、城山さんの文にふれたのは近年のことで、それまで存知上げなかったのは不覚でしたが、書店で城山さんのコーナーを見つけると「何か読んでみよう」と立ち止まるようになりました。
で、今回はこの「よみがえる力は、どこに」となりました。

ちょっと気になったところをあげてみると、

ある超一流会社が春に百人採用して、七月までに三十人辞めて、表向きにはしていないけど、三人が自殺したという話。

〈受験また受験〉で来た若者には免疫や耐性がないという・・。
就職すれば人間関係は選ぶことが出来ず、取引先だけでなく“下らない同僚”にも付き合わないといけない(^_^)

エリート街道まっしぐらな新採クンは、子供の頃にダメな先生と出会っていない、授業がヘタな先生とも出会っていない、成績や素行が悪い同級生にも出会っていない・・、人間的魅力を持っている人から吸収できる人生の栄養を得ないままに育ってしまったから、というわけです。

ホンダの本田宗一郎さんが言っていたことにもふれていました。
「社長なんて偉くも何ともない。課長も部長も社長も、包丁も盲腸も脱腸も同じだ。要するに符丁なんだ。人間の価値とは関係がない」という有名な言葉です。

肩書きに拘らず、人間を大事にして本田流の考え方を会社に行き渡らせていたように見える、と書かれていました。
大臣だからって、国会答弁の場で「記憶がない」って言え、と命令するような人には一生わからないことでしょう。

あとは、吉村昭氏との対談の中で、身近な話題ですが、「店の前に並ぶっていうのはできない」と話されて、お二人とも「そうだ、そうだ」ということになりましたd(^_^o)
私の読む本を書く作家のほとんどはエッセイの中などで、同様のことを言っています。
“ああいう姿には、どうも抵抗があるね”とおっしゃっていますが、吉村さんもそれを受けて、“食べるために並んでいるというのは、いかにもさもしい(笑)”と反応・・私も同感なのです。

最後に、堅い話になってしまいますが、A級戦犯でただ一人の文官「広田弘毅」について城山さんが書かれた「落日燃ゆ」について。
東京裁判では、戦犯の軍人たちは、讒言(ざんげん)により、仲間を売り、他人に責任をなすりつけたが、広田だけは一言の弁解さえしなかった。その己を徹底的に恥じ入る姿勢に打たれたとのこと。
結果について恥を知り、一切の言い訳をせず、責任を取るのが真のリーダーであるという意味なのだと・・。
どっかの大臣に聞かせてやりたいです。

城山さんの著書については、すでに78歳で国鉄総裁になった石田禮助を書いた「祖にして野だが卑ではない」を手に入れているので、これを読んだ後に広田弘毅氏を書いた「落日燃ゆ」を探そうと思っています。

 

クルマのハンドルの持ち方によるタイプ占い

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私、前から感じていたことがありました。
クルマのハンドル(ステアリングなどとも言う)の持ち方によって、だいたいその人がどんな人か、どんなタイプの人かがわかるような気がしていました。

じゃ、まずは軽く一例を。

〇11時5分の位置に両手を置いてハンドルを握っている人。
 初心者に多いが、ほとんどハンドルに“しがみついて”いる状態です。
 これは、生真面目な人、自信の無い人に多いと思います。もう“必死”な感じ(^^;)

という具合です。以下、同様な形で私の感じるところを書いてみますね。

〇10時10分の位置に両手を置いてハンドルを握っている人。
 教習所で教えられたとおりに握っているわけです。
 これは、まがったことの嫌いな人、“融通の利かない”タイプ、臨機応変に物事を考えられない人に多いと思います。・・けっこう面倒くさいヤツに多いです(^_^;)

〇上記と同じく10時10分に両手を置いているが、両手とも親指を含め全部の指が“招き猫”のようにハンドルの上部に“乗せられ”ていて、ハンドルを回すときは、全部の手・指が同時に左右に“送りハンドル”的に動かされる・・ネコが運転しているような感じです (・_・;
 微笑ましくもあるが、非常に危険な操縦方法です。「転舵」が間に合わず、“あわてるニャンコ”みたいな感じになります。初心者、あるいはお嬢様、苦労したことのない人、などによくあるタイプです。説明しても理解する気は毛頭無いので、同乗しないのが一番です。

〇9時15分に両手を置いてハンドルを握っている人。
 ワインディング・ロードもトレースするようにきっちりとステアリング操作する、運転に真面目な人。“律儀”なタイプです。
 ただ、助手席に乗せている人のことも忘れて、ドライビングに没頭することもあるので、ある意味「朴念仁」とも言えるかもしれません(^_^)

〇8時20分に両手を置いてバンドルを握っている人。
 余裕があり、常にあらゆる事態に対応できるように身体も頭も準備の出来ている人。
 かなりリラックスして運転をしているので、前記の「朴念仁」とは異なり(^^;)、助手席の人にもオーディオの音量や、飲物までにも気づかい出来るタイプです。人を安心させることの出来る人。

〇7時25分に両手を置くのですが、親指だけを引っかけていたりします。
 高速道や、割と真っ直ぐなストップ&ゴーしかないような一般道で、このポジションを取ります。
 これが危険かというと、そうでもなく、運転技術に余裕があり、ほとんど“眠狂四郎”状態で意識することなく安全運転している自然体なタイプです。
 かつてF1ドライバーだった「中嶋悟」さんは高速道、一般道でこんな状態だったそうです。岡崎市から東京まで、こんな状態で運転をして、到着すると、「自分はどういう運転をしてここまで来たんだろう」って感じだとおっしゃっているのをテレビで見たことがあります。

〇11時の一箇所のみ、右腕を伸ばして(相撲でいう“腕〔かいな〕を返した”状態)、その右腕一本でハンドルを握ります。
 “ヤンキー上がり”か、ヤンキーの人に多い操縦方法です。
 対向車の人を“威嚇”したり、自分も身体を助手席側に半身の状態で捻って乗ることにより、腰痛を避ける役目も果たし・・本当は腰痛をもっと悪化させる要因となる・・「自堕落」な様子を演出しています。
 ずぼらな人、傲慢な人、自堕落な人、いいかげんな人、人の話を聞かない人など、あまりお友達にしたくないタイプです。けんかっ早い人も多いので、気をつけるに越したことはありません(*^_^*)

〇12時の部分一箇所に右腕の「手のひら」を強く押し当てている人。
 このまま曲がるときには、大型バスの運転手のように手のひらをぐぅ~っと押し付け、片手で“ぐるんぐるん”とハンドルを回します。
 これも改造車などに乗るヤンキーの皆さんに多いタイプかと思われますが、上記のずぼらな人・・などなどのほかに“凶暴性”も追加されますのでご注意ください。

〇その他特殊なハンドル操作に、右腕をハンドルに内掛けして、逆手で握るっていうのがあります。
 一見、運転したことのない女性などから見ると、「ウマそう」に見えるのですが、パワーステアリングの無かった頃の先輩から教わった、現在では全くいらない技術を後生大事に使っているので、指摘すると傷ついたりしますから、そうっとしてあげてくださいな。

以上が今思いつくところです。
また思い出したら追加するかもd(^_^o)

 

2021/03/19

緊急事態宣言が解除されました

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一都三県に出ていた緊急事態宣言が解除されましたね。

「きっこ」さんという方のツイッターに下記のようなツイートがあり、興味深く読みました。
ラジオでの森本毅郎さんの発言からのツイートでした。

〇感染者数は横ばい、あるいは微増傾向が見られる

〇人出が増加している地域もあるので、リバウンドが懸念される

〇変異株の広がりに警戒する必要がある

・・と、前置きしておいて「緊急事態宣言を解除」した首相・・ (・_・;


“前振り”から宣言解除への整合性が無いけど( ̄O ̄;)、どうやって理解したら良いかわからないです。きっこさんに強く同意いたします。

もうひとつ、きっこさんのツイート。下記のとおり。

都知事:「卒業旅行は無し、歓送迎会は無し、花見での宴会は無し」

都 民:「それなら、東京五輪も無し!」

またも激しく同意!!d(^_^o)

 

ウソをついていると、バレたときにさらにひとまわり大きなウソをつかなきゃならなくなるので、大変だよ・・という話。

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3月13日にこのブログに書いた総務大臣の「NTTとの会食の有る無し」に関する答弁のこと。

あのとき、私はこう書きました。

大臣:「個別の事案に答えるのは控えるが、国民の疑惑を招くような会食や会合に応じたことはない。」

上記、国民にわかりやすく翻訳すると

「個別の事案に答えると、NTTとの会食も会合もありました。国民の疑惑を招くに十分な事案ですので、答えることは出来ません。」

・・と、書きました。

そのとおりになりました。
文春に証拠を押さえられ、ウソがつききれなくなったら、なんだかんだ言い訳をし始めましたねぇ(^_^;)

東北新社が外資規制違反について、総務省に違反を報告したと答弁したら、総務省の担当は「記憶にない(※私がまた翻訳しますが、記憶にないということは、確実にあるということになります (・_・;)」と答弁して食い違いが出ました。
この「記憶にない」も、大臣からの指示だったらしいと報道が出てしまいましたよ。
さあ、次はどんなウソで逃げるんでしょう。

ウソにウソを重ねると、ウソはひと回りずつ大きくなってしまい、どんだけウソをついたか、ウソをついた本人もわからなくなってきますd(^_^o)

こんな人がこの間、省の幹部を「ウソをついた」と処分しているわけです。
自分で自分のしていることが恥ずかしくないのでしょうか。

今回の書きたいことは以上です。
ほんとうに“腐りきって”いる。

 

2021/03/18

もういいかげんにしてオリンピックはやめればいい

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オリンピック開催関連での不祥事が続いているが、また出て来たのですね。
開会式の統括が「不適切演出提案」で退任だってね。

ソフトバンクのCMや、缶コーヒーのCMで「この星では」ってやってるものもこの人のものだそう。

両CMとも、安易で見ている人を“舐めきって”いるのを感じて、大嫌いなCMでした。
“調子に乗って”世間を“舐めきって”いるヤツ、もう、いらないよ。

ついでに言うと、誰が作っているか知らないが、AUの一連のCMと、UQの一連のCMも大嫌いです。

世の中の人間は皆“バカ”だという前提で作っているか、作っているヤツが“バカ”かどちらかだと思う。

安易で調子のいいヤツなんかに世界的に大事な行事を任せてしまうからこんなことになったんだ。
開催が決まってから、良いことなど何もなく、不祥事が続き、日本国内ではコロナ感染拡大のほか、各地で災害が起こっている。
必死でウイルス感染と闘い、災害からの復旧を目指している人達のことをもっと考えたらいいと思う。

ぎりぎりまで来てしまったが、オリンピック・パラリンピックは、開催を辞退した方がいい。国民のほとんどがホッとするし、世界でも文句を言う国や人はいないでしょう。
文句を言うのはIOCくらいなんじゃないですか。
とっとと中止を決定すれば、人気のないどこかの首相は支持率が急上昇することでしょう。

 

2021/03/17

「京都 深堀さんぽ/グレゴリ青山」を読みました。

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『京都深堀りさんぽ/グレゴリ青山著(小学館文庫)』を読みました。
なんといっても読みやすい!(*^_^*)・・漫画で描かれていますから。私に“もってこい”です。

京都は修学旅行以来行っていない、というのがつくづく残念というか、自らの行動力のなさを悔いるわけですが、このコロナ禍が終息したらぜひ行ってみたいのです。今度こそ行くぞっ!という意気込みです。

この「京都深掘りさんぽ」は、天保年間から呉服店を営んでいた「京町家」の中に入って江戸時代からの歴史的な物がいっぱい詰まった蔵の中を大探索したり、伝統工芸の職人さんを訪ねて京都が職人の街であることをあらためて感じたり、「千本中立売」略して“千中”・・私はまったく存知上げなかった・・を“千ブラ(千中をぶらぶら)”することの愉しみなどを教えてくれました。

上記以外にも京都のディープ・ゾーン、ディープ・シーンを数々紹介してくれます。
しかも、漫画で面白く!!

 

 

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つい最近、私は YouTube の「まーこさんは食べ友」というのにハマっておりまして、まーこさんという アラフィフ の女性が京都の喫茶店、うどん屋、蕎麦屋、定食屋、居酒屋(※まーこさんは下戸)、中華店、ラーメン屋などなどを「パックンチョ」と、ほんとうに発しながら食べていくという面白いものです。

すっかり京都の奥深さに“まいっていた”ところに、この本でした。

もう気分だけは京都に飛んでおりますd(^_^o)

早くこの世間の騒ぎが収まり、私の体調も回復することを、今はただ祈っているところです。

京都、行きたいっ!!

 

2021/03/16

東海林さだおの「ガン入院オロオロ日記」を読みました。

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『ガン入院オロオロ日記/東海林さだお著(文春文庫)』という本を読みました。

著者の東海林さんが、「肝細胞がん」の診断を受けるところから始まり、今まで入院という“入院”をしたことのなかった東海林さんが医師から宣告というほどの重さもなく、告知をされて、さあ入院ということになり、病院での出来事をいろいろと書いている・・というものでした。

で、私も今年一月に入院して、三週間の入院を経て退院し、今に至っているのですが、私が入院が決まり、実際に入院してからも、いろいろと心配し、最終的には自分が生きて帰れるのかまで考えて、家族のことを含め“地獄の底”にいるような気持ちになったのとは、基本的に東海林さんの様子はかなり異なっていました。

手術は麻酔で完全に眠っている間に終わり、L字形に40センチも切ったお腹を見ても、悲壮感などは感じさせない書きぶりでした。
さすが、“物書き”と思わせる、観察力!
自分だけでなく、周囲の様子、他の患者さんの様子もよく観察されて書かれており、プロっていうのはこういうもんなんだ、と驚きました。

私もそうでしたが、ベッド上では身体中に管がくっつき、電線も何本も出ているような状態になるわけです。私はベッドから起きられるような状況に至るまでには二週間くらいかかったのですが、東海林さんは歩けるようになると、自分から出ている管と線が繋がっている機器をまとめてガラガラと歩けるローラー付きの台のようなものの正式名称を調べ、「イルリガートル台」いとう名前であることを突きとめます!(^_^;)

それに接続されている管の数などで、患者のヒエラルキーが決まったら面白いなどと思いを飛躍させます。・・もう、ここら辺で普通の人じゃないことがわかります。
私は、ベッドから降り、そのイルリガー・・台を引っ張るようになっても、治って家に帰り、家族の顔を見たい・・と、それしか考えていませんでしたが、東海林さんは今ある自身の状況を“楽しむ”くらいの気持ちになっているわけです。
考えられない・・( ̄O ̄;)

イルリガートル台に乗せられている自分の「尿」を溜めているバルーンの中味の色が濃いと恥ずかしいとか・・もう文章のエンターテインのためならなんでも書いちゃうそのプロ意識にただただ驚いたのでした。

で、後半は、この入院とは関係のない話になるのですが、前半が強烈過ぎて、後半はまったく面白く感じることが出来ませんでした。
何を書いても“普通のこと”に読めてしまい…σ(^_^;)盛り上がることなく読了しました。
前半が凄すぎたね・・。

 

2021/03/13

「“接待”ではない」って言ってる

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首相の長男の会社だけではなくて、NTTも総務省幹部に高額接待していたんだってね。
おまけに、その問題は歴代の総務相にも拡大・・。あきれるばかりです。

でもって、「ただの懇談だ」って言っている。
だったら今になってあわててお金を返さなくてもいいでしょう、“やましい”ことがあるから返したっていうのは、子供にもわかってしまいますよ。
だいたいが、ひとり何万円もの料理を食べさせて何にもお願いしないなら、そんな経費、会社が出せるわけないでしょう。

ツイッターで次のように書いている人がいました。
「ホテルで男女が同じ部屋に宿泊して、話をしていただけだ。そのほかには、なんにもしていません、と言っているようなもんだ!」
そのとおりです。
お二人の、人としての“浅さ”が返ってよくわかりました、ありがとうございました。

じゃあ、ってことで、現行の総務大臣にNTTとの会食はあったのかと衆院予算委員会で聞いてみたら、・・これが会食の有無さえも答えなかったんですよね。

「個別の事案に答えるのは控えるが、国民の疑惑を招くような会食や会合に応じたことはない。」・・だと。

上記、国民にわかりやすく翻訳すると

「個別の事案に答えると、NTTとの会食も会合もありました。国民の疑惑を招くに十分な事案ですので、答えることは出来ません。」

です。

わかりやすいですよねぇ、「答えたくない」っていうのは、“やましいことがある”と白状しているのと同じことですよ。

疑念なんぞ無いっていうのなら、いつ、どこで、誰と、いくらの、どういう料理を食べさせて貰って、何の話をしていたのか、言えるはずじゃないですか。国民皆そう思っていますよ。

答弁している様子を見ても、なんだか“逆ギレ”していましたが、自分が正直に答えられない“やましさ”があるから、ああなってしまうのです。

日々、最低の人達を見て、こうなってはいけないと思います。
全国の子供達にもいい勉強になります。

 

2021/03/12

『新「感情の整理」が上手い人下手な人/和田秀樹』を読みました。

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『新「感情の整理」が上手い人下手な人/和田秀樹著(新講社)』を読みました。
精神科医の和田秀樹氏が書いたものです。一年に何度かはこういう本に手を出します。
なかなか書いてあるようには実際問題としていかないのが常ですが、それでも“本”に頼ってしまうんですよねぇ(^_^;)

いろいろと「やってみては」ということが書かれていたのですが、私が気になったところから取り上げてみたいと思います。

豊かな感情生活を送る人は、自分を気持ちよくさせてくれるものをいくつも知っていて、それを毎日の暮らしの中にちりばめている・・というところでした。

たとえば、ワイン。美味しいワインを飲むために、努力をいとわず、いい店を知っていたり、ワインの本を読んだり、ネットからも情報を集めたりする、それもその日の仕事はきちんと片づけている・・というわけです。

こうすれば、一杯のワインが心地よく舌に広がる・・。
美味しくて、幸せな時間となるはずでしょう・・と。

ようするに、生活全般にわたって、“快体験”をちりばめている人が、豊かな感情生活を送る人ということになるわけです。

それがためには、部屋もこざっぱりとしておく必要があるし、それに向けていろいろな準備に時間をかけることも、“心地よい時間”となり、張り合いが生まれると。

また、ショッピング、映画、音楽などの無心になって過ごせる趣味や遊びの世界も、いやなことを忘れさせてくれるとも書かれています。
“忘れ上手”な人はふだんの生活の中に気持ちのよい時間をたくさん持っている人とのこと。
・・よしわかった!やってみるか(^_^;)・・なんてね。

ただ、この本に書かれている、仕事上で納得のいかないことについては、「ケンカ」するといいということも書かれていました。

でも、私は男の仕事の世界しかよくわからないのですが、私の生きてきた仕事の世界では、男というものは、戦国時代は相手を殺して、自分の目指すところに向けて生き抜いていったわけですが、今でも仕事上で人を殺していくのが多くの男達だと思います。

私は、「戦国武将なんて人殺し」はどいつもこいつも大嫌いなのですが、男は皆、好きな人が多いです。そして仕事の上で次々に殺したり、殺しはしないが、“生かさず殺さず”のような状態にすることがあると思います。
・・もう、そんな世界にいるのは、ほとほといやになりました。

私も若い頃、すぐに殺されましたし、その後は現在に至るまで「屍」として過してきました。
生き返りそうになると、すかさず槍で突き刺されました。
このことについては、後日、またこのブログに書こうと思っています。

というわけで、自分にとっての“いいとこ取り”のみをして読了しました。

いい歳になると、そんな読み方も出来ます。

 

2021/03/11

「文字通り激震が走りました/能町みね子」を読みました。

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『文字通り激震が走りました/能町みね子著(文春文庫)』という本を読みました。
能町さんが、世の中で起こる“能町アンテナ”に引っかかるような出来事を取り上げ、能町さん流に料理してくれる、というような内容になっておりました。

能町さんが社会的な事件、あるいは芸能関係の人達が巻き起こす事象を語ると面白いことは、毎週土曜日のTBSラジオ「ナイツのチャキチャキ大放送」の中で、“常連さんに聞いてみよう”コーナーでよく存知上げていますが、こうして文になり、本になった能町さんの鋭い“突っ込み”も、なかなかに味わいがあります。

上西小百合議員、加藤紗里、坂口杏里、貴乃花、西野亮廣など、ふだん私が見向きもしない人達への観察も、身を乗り出すくらい面白い。
特にそれぞれの人達が書いているブログについて、実に鋭い考察?!がなされていて、「そういう“面白がり方”があったのか」というのが私の素直な感想でした。

それと共に、気づかせてもらったのが、「。」にすべきところが何度も「、」になっているなど、句読点の乱れはSNSに慣れない年配の人、または若くても精神状態が不安定な人に、非常によく見られる傾向だ、という発言には、『ハッ』としました。
たしかにそういうことは言えるぞ、と思いました。
そして、ツイッターなどの発言数が月に何千件などということになるのも、精神不安定の要素のひとつだなと思いました。
ブログやツイッターから、その人の精神状態が読み取れると、今までとちがって、SNSの見方が変わってくるぞ、とあらためて思いました。

もうひとつ、本人ブログやFAXなどの文章で芸能人が発表・報告するときのテンプレートがある、というか、使う人のパターンについても書かれていて、なるほどと思いました。

「かねてよりお付き合い」「新しい命を授かって」「温かく見守っていただけると嬉しいです」などがテンプレートにある主な表現方法。
「かねてよりお付き合い」なんて、芸能人以外では、たしかに使っている人なんていませんね。
逆に、上記の表現を使わずに報告・発表などをする芸能人は、本音の発言をしたり、その人らしさが出ていたりします。

ということで、特にツイッターについては、“ゴミの山”と片づけ、あまりに注視していなかった私にとっては新鮮な気付きがありました。

さらに能町さんのラジオでの発言や、文章などに注目してきたいと思いました。

 

2021/03/08

「兎が笑ってる/伊集院静」を読んだ。

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『兎が笑ってる/伊集院静著(文春文庫)』を読みました。
1994年8月~1995年8月に週刊文春「二日酔い主義」に連載されたものの単行本化を経て、文庫本になったものです。
またもやブックオフにて購入。二十数年前の伊集院さんの本です。

兎に角、飲んでいる。酔っている。どこで飲んだか忘れている。
ひどいときには、公園のベンチで翌朝目覚めている。
そして二日酔いになっている。
また、旅に出る目的はほとんどが競輪・競馬などのギャンブルをするため。
また、麻雀はすでに日常生活の一部になっている。
その合間に、文を書く・・(^^;)。

なのに、伊集院さんの周囲の友や、鮨屋の大将、バーのママ、ギャンブル仲間達に対する観察眼というか、人生の観察文のような書きぶりは“滋味”に富んでいる。
そういう人々の中に生きている自分への達観ぶりも凄くて、でも時にはいろいろ慌てたりするところもお茶目だ。

このブログにも書きましたが、私、今年の1月に三週間ほど入院しました。
退院後一月半経ちましたが、現在も体力・体調が戻らず、静養しております。

入院時、家を出る間際に何か本を持って行こうと、本棚から掴んだのが伊集院さんの本、数冊でした。
なぜ選んだのだろうと、あとで思いましたが、たぶん伊集院さんの人生に対する接し方、生き死に対する対峙の仕方が自然体で、病床で読んだとしても胸騒ぎを起こしたり、妙な気持ちにならないんじゃないかということだったのだと・・。

この本の頃の伊集院さんは、かなりな“無頼”ですが、でも現在の伊集院さんの本を読んで感じることは同様に書かれていました。
私にはほど遠いと思われる感覚と生き方にあふれていますが、でもなぜか勇気づけられるのです。
そんな本でした。

 

2021/03/03

強烈なタイトル「現代日本バカ図鑑」を見つけ、読みました。

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『現代日本バカ図鑑/適菜収著(文藝春秋)』をブックオフで見つけ、タイトルの強烈さと、帯に写る面々の写真を見て購入(^_^)、いやもう強烈なタイトルです。

この本で取り上げる人、どの人も私もバ・・カだと思う人ばかり。
何度も出てくる人もいて、何度も出てくるだけのことはある猛烈な人でした。

出てくる全員取り上げても仕方ないので、私が気になった人を何人かご紹介いたしましょう。

まずは、「秋〇康」。
『小太りの女衒(ぜげん)』と、一刀両断です。
私も以前に同様なことをこのブログで書いたことがありますが、右も左もわからぬ少女をだまくらかしてかき集め、不特定多数の男と手を握らせる。「女子高生の耳かきサロンと一緒だろう」と、ぶった切っています。・・同感です。
ほとんど性産業に働かせられていると言ってもいい状態だし、米CNNは、秋〇氏を「性的搾取に関与している」と視ているのです。
CDに「握手券」を附属させ、要りもしない同じCDを何枚も買わせる大昔の「紅梅キャラメル」的な商法は悪徳商法と言わざるを得ません。また、それに騙されるヤツもバ〇です。

続いては、「渡邉美〇」。
ブラック企業といわれる「ワ〇ミ」での七日間連続の深夜勤務、月140時間の時間外労働を強いていた女性が入社二ヶ月後に飛び降り自殺。
労災補償保険審査官が労災適用認定をすると、こともあろうに「労災認定の件、大変残念です。今度、バングラデシュで学校をつくります。そのことは亡くなった彼女も期待してくれていると信じています。」という考えられない発言をしています。
著者と同じく、私も初めてこの人の顔を見ただけで、怖ろしい顔だと思いました。悪行を積み重ねてきたことが、もろに顔に表われていました。

さらに「松井〇郎」。
大〇府知事時代に、世界に注目されるようなビッグイベントをつくっていきたい、と、大阪中をイルミネーションで照らすと言いだしました。
それだけでなく、仁徳天皇陵を電飾で飾るというアイデアを得意げに語っていましたが、宮内庁がどういうかわからないけど、中を見学できるようにして、世界文化遺産指定をねらう・・と、不敬とか無礼などという以前に発想が、どうかしている。常人ではない。

ついでに言うとその親分の「橋〇徹」。
沖縄の米軍司令官に対し、「もっと風俗業を活用してほしい」「性的なエネルギーをある意味合法的に解消できる場所は、日本にある。」と、言い放ちました。
アメリカが激怒すると、「風俗にはダンスやパチンコまで含まれる」と、あわてて話を急転換して誤魔化したが、逆にアメリカの怒りという火に油を注ぎました。
この男は、いつも、いとも簡単に前言を撤回し、そんなこと言っていないと、ひっくり返し、逆ギレします。どうしようもない人物です。それをありがたがってコメントを求めるメディアも最低です。

口から先に生まれたような、そしてその口から言ったことを言わなかったように素知らぬ顔ができるのが「〇坊治郎」。
あのヨット遭難事故のとき、「これだけ迷惑をかけて、口が裂けても『もう1回やりたい』とは言えません。」と言っておきながら、また行くんですよ、この男。
それも、そのことにふれられると、まぜっ返して、ふざけて、“スルリスルリ”とかわして逃げてしまいます。
今回のコロナ感染拡大についても、「 Go To トラベルは感染と何ら関係がないし、ましてや緊急事態宣言もおそらく感染の減少とは関係ないだろう」などと、メディアを通じて鼻でくくくっと笑いながら発言している。しかも、それを言う前後にまったく関係ない世間話を十数分挟んで、目立たないように笑いを誘っておいてから言うから手に負えない。
うまくだまされちゃう人がいるから、この人がいろいろなところに現われて、必死にコロナ感染拡大と戦っている人を混ぜっ返すのでした。

この本には、もっともっと様々な人が登場します。
何年か前の本ですが、現在の状態をすっかり言い当てていますので、気になったらぜひ見ていただきたいです。

 

2021/03/02

『その言い方は「失礼」です/吉原珠央』を読みました。

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『その言い方は「失礼」です/吉原珠央著(幻冬舎新書)』を読みました。

著者の「自分のことは話すな」という前の本でもけっこう“コテンパン”とまでは言わなくとも、身に覚えのあることへの指摘が多く、タジタジとなったことを思い出します…σ(^_^;)

で、また買っちゃいましたよ(^^;)

本の帯にも書かれている一例、「かわいそう」「疲れて見えるけど大丈夫?」「偉いですね」「遅くなりました!」言ってませんか、職場などで。すべてNGだそうですよd(^_^o)気になったらこの本読んでみて!

上記のNGワードには、いろいろと説明されると、たしかにそれはまずいな、と思うことが書いてあったのですが、もっと身近で単純なことでも心当たりのある事例が示されていました。

ビルの入り口などで、先に入ろうとする人が思いっきりドアを後ろから人が来るかも確認せずに「ばあ~んっ!」と押し開けて入り、あとから来た人にすごく強い反動でドアが跳ね返ってぶち当たるってことがあります。
後ろから人が来てもあえて、やる人もいます。
いつも思います。なんて心ない人達なんだろうって。

私は、後ろから人が来たら、ドアを押さえて待ち、その人が来てから押さえる手をその人にまかせて自分が入って行きます。それが失礼のないやり方だと思うのですが、・・時々はそうやって待っていると「どけっ!邪魔だっ」とばかりに手で私を振り払い、自分が先に入って行くオヤジもいます (・_・;

女性の場合でも、ドアを押さえている私の腕の下をくぐり抜けて、「邪魔な人ねぇ」って感じでにらみつける人もいます。( ̄O ̄;)
いやな世の中になったものだ、というか、そういう心づかいがわからない人間が増えたということでしょう。

講演などを聞きに言ったときのことも書かれていました。
最後の質問の時間に、手を挙げて、延々自分の経歴などを何分も話し、それから質問するので、質問時間がかなり割かれてしまい、他の人が質問できなくなってしまうことがあると。
私もこれ、よく経験しました。自分のことが言いたくて、自慢したくて、たまらないんでしょうけど、迷惑ですよねぇ。

他者との会話でも、

×さっさと行きましょう → 〇すぐに出発しましょう
×もらったお土産食べますか → 〇頂いたお土産、よろしければご一緒にいかがですか?
×チャリに乗って行きます → 〇自転車に乗って行きます
×まじで? → 〇そうだったの!?

などの簡単に直せる例が載っていました。

ここら辺から始めなくてはならない人も多くありませんか?(^_^;)

というわけで、今回も反省の多い内容でしたが、勉強になりました。
実際には、もっと仕事上で役立つ複雑な例がたくさん示されていますので、気になった方は、本屋でちょっと手に取っていただくとよいかと思います。

「暇だから」って、誘うな!っていうのもありました。気をつけようっと。

 

2021/03/01

「考えるマナー」という本を読んだ。

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『考えるマナー/穂村弘、劇団ひとり、佐藤優、津村記久子、鷲田清一、井上荒野、楊逸、三浦しをん、町田康、赤瀬川原平、髙橋秀実、平松洋子、共著(中公文庫)』を読みました。

上記のとおり、“濃いぃ~”メンツの方々が様々な「マナー」について書いております。

みなさん、個性が強すぎて独自のマナー論を展開していて、“ついて行けない”ものが多くてたいへんでした。
特に町田康氏の掲載頁は、挑発されているような、ひとりで逆ギレしているような、そんな文章が多く、読んでいるこちらも“踊らされ”て右往左往してしまいました、氏の狙い通りの状態になったわけです。

ちょっと気になったところでいうと、「SNSのマナー」という項目で、井上荒野さんの文の中に、文章とは正直なもので、投稿には嘘も書けるが、“なんだか真実味がない”感じは伝わってしまう。
謙遜して書いても自慢していることはわかってしまう。
「書き手の性質や性格は絶対にあらわれる」というお言葉でした。

そうですよねぇ、なんとなくわかってしまうんですよね、「ほんとうのこと言っていないなあ」と思うことがあります。私自身の文にしても、自戒せねばならないこと多々です。
そして「これ、自慢だけじゃん」と思うこともありますが、それについても自分はどうだ?!と振り返れば、人のこと言っている場合じゃないかもしれません。

髙橋秀実さんの「無趣味のマナー」の項目では、ご本人が、自分は無趣味であると認識していて、何か趣味を持たねばと、「蕎麦打ち」「ヨガ」「鉄道」などを試したが何ひとつ続かなかったという話が書かれていました。
私の周りにも似たような人がいましたが、そもそも「何か趣味を持たねば」ってところがいきなり間違っていると思います・・趣味に生きる私としては・・。

そしてなぜか無趣味な人の多くが取り組むのが「蕎麦打ち」です(^_^;)
むずかしい顔して真剣に打っているところを、人に見せようってのが“見え見え”ですよねぇ (・_・;・・やりたくもないのにやるから続かないんですよ。
好きなことをやればいいだけなのに、それが無いなら何にもしなければ良いのですd(^_^o)

また髙橋さんは
「つまらなさを味わうのも趣味である。大体、いわゆる趣味に励んでいる人たちも楽しくてやっているわけではない。」と言っていますが、“楽しくてやってる”んですけど、私…σ(^_^;)
やりたくてしようが無くて、待ちきれなくて、わくわくして楽しんでいるんですけど。
髙橋さんは、本格的「無趣味の人」なんだということがわかりました。

ついでに書いときますけど、「私は無趣味で困っています。何をやったらいいでしょう。」という質問をよく受けますが、これは、ほぼ“絶望的”な状態です。
このまま無趣味でずっと行くのがいいと思いますよ。

 

体調のこと

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いろいろと本の読後感や世間で起こっていることなどについて、このブログに書いておりますが、実生活では、昨年12月末に体調をくずし、1月頭から末までの入院。
退院後も現在まで静養というか、療養の日々を過しています。

体調についてはこのブログに書くことがありませんでした。
退院してきたときが、健康な時を「10」とすると、「1」くらいの状態でした。
そして、現在までの療養を経て、今の数値はどのくらいかというと「3」程度でしょうか。

想定していたのはもうちょっと良くて「5」くらいまで行けばと思っていたのですが、なかなか思うようにはいきません。

一昨年も職場が変わってすぐに体調をくずし、大量出血の末、入院。
今回も入院となってしまい、もう身体のことを第一にすることにしました。

こんな生活をするのは初めてですが、神様から「休め」と言われていると思って静養に努めています。

頭と指は普通に動いていますので(^_^;)ブログにいろいろ書くことを励みにして、日々生活しています。
そんな中でまた発見することもあるかもしれないし、発見したことがあったらここにまた書いてみます。

今、やっと晴れ間が見えてきました。
紅茶でも淹れて、本など読みながらゆっくりします。

 

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