V-DISC が何だかよく知らなかった
何週間か前にラジオ日本の「オトナのジャズタイム」という番組を聞いていたら、1940年代のジャズが掛り、「これは V-DISC からお掛けしました」と DJ の方が話されていたのを聞いて、V-DISC って聞いたことあるな、と思い、調べてみました。
何十年も前に、やはりラジオ番組で、トランペッターの日野皓正さんが「いろいろな曲は V-DISC なども聞いて覚えた」というような発言をされていたのが記憶に残っています。
レコード盤の材質の種類のことなのかと思いつつ、調べずにそのままになっていたわけです。記憶の片隅にかすかにあるような感じでした。
調べると、アメリカが、1941年から太平洋戦争終戦後もさらに5年間作っていたレコード盤で、「V」というのは、ビクトリーの「V」で、戦争に勝つためにという思いが込められていたらしいのですが、盤は78回転でSP盤と同じ回転数で、盤自体はビニール製だったそうです。
内容はジャズの演奏・歌唱が入っていて、このためにオリジナル録音されたものが多かったようです。
メンバーも錚々たる人達です。
このレコード盤を本国から飛行機で運び、上空からレコード・プレイヤーと共に落下傘で軍隊のキャンプに投下したのだそうです。
それを兵隊達は、聞き、故郷を懐かしみ、また国を離れた寂しさなどもまぎらわせていたのかもしれません。
で、「その音を聞いてみたい」と思い、調べたら、実際に作られた千何百曲のジャズが入っていた盤の音はCDとなり一部聞くことができるようでした。
早速、買って聞いてみました。
内容は、豊かで、ゴージャスで、情感あふれるジャズの演奏、歌唱がたくさん入っていました。
V-DISC だと知らずに聞いても、なかなかのいい演奏が入っていました。
録音年や、録音場所、ミュージシャン、ボーカリストなどの記録も掲載されていました。
録音日で驚いたのは、1945年8月13日というのがありました。
あの、いわゆる終戦記念日の二日前です。
この日には、ホーギー・カーマイケルがピアノの弾き語りで、「メンフィス・イン・ジューン」をハリウッドで録音していたのです。
こんな豊かな演奏を終戦二日前に歌い、軍隊に送っていたのです。
日本は、こんな国とまともに戦っていたのか・・と、思うと、不思議な感覚が身体中に沁みてきました。
そのときの時代の空気感まで聞こえてくるようです。
V-DSCという言葉に反応して、調べ、実際に手に入れて聞いてみたからこその感情だと思います。
自分にとって、大きな経験となりました。
« 苦しんでいる人のことを考えられない人間 | トップページ | 柴田錬三郎さんの「わが青春無頼帖」を読みました。 »
「オトナのグッズ」カテゴリの記事
- なかなかブログ等書けませんでした。(2022.12.27)
- 依存度に差はあれ、携帯・スマートフォン無くしては生活が大きく乱れること実感。そして買ってきた切手の話。(2022.12.18)
- 携帯電話入院中にいろいろ考える(2022.12.07)
- 中学時代の先生が開いた「レコード・コンサート」に行って来た。(2022.11.22)
- 整理した本、第一弾を売ってきた(2022.11.01)
「Jazz」カテゴリの記事
- 中学時代の先生が開いた「レコード・コンサート」に行って来た。(2022.11.22)
- 寺島靖国さんの「My Room My Audio -十人十色オーディオ部屋探訪-」を読みました。(2022.08.01)
- 「東京ジャズメモリー/シュート・アロー著」を読みました。(2022.02.22)
- CDジャーナルのムック本「台湾人ジャーナリストが見たニッポンのジャズ喫茶」を読みました。(2022.01.06)
- 今年もJR飯岡駅併設の「海上ふれあい館」でのレコード鑑賞会に出掛けました。(2021.11.22)
「しみじみモード、私の気持ち」カテゴリの記事
- 鮎川誠さんが亡くなった(2023.01.31)
- 2022年も暮れて行きます。(2022.12.31)
- ことわりきれない自分をやめようと思った。(2022.12.14)
- 携帯電話入院中にいろいろ考える(2022.12.07)
- 「大往生/永六輔」を読みました。(2022.11.02)
コメント