【南先生の玉手箱_0030_その一言(ひとこと) 偶然に出会った短文あれこれ 】
【南先生の玉手箱_0030_その一言(ひとこと) 偶然に出会った短文あれこれ 】
私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
このところ数回に渡り、このコーナーでご紹介した、平成10年の「家庭教育学級・資料 -家庭における進路指導のありかた-(私自身をふりかえって)」という冊子からの一文です。
今回は「その一言(ひとこと) 偶然に出会った短文あれこれ」というタイトルの文を追いかけてみました。
以下、先生の文章です。
『その一言(ひとこと) 偶然に出会った短文あれこれ』
<その一言>
・その一言で励まされ
・その一言で夢を持ち
・その一言で立ち上がる
・その一言で腹が立ち
・その一言でがっかりし
・その一言で泣かされる
ほんのわずかな一言がほんのちょっとの一言が
日頃大人も子どもも会話の中で、自分が良かれと思って発する言葉が意外に大きな影響を。折りに触れて自分の言動や発想について考えてみたいものです。
◎大きな看板を立てようと思ったら、そこの大きな樹がじゃまなので、大木を切り倒したとのこと。(風雪に耐えてきた何百年もの間、その木はみんなのじゃまものだったのでしょうか)
※自分にとって、都合が悪いからと言って、すぐ行動する前に考えてみたいものです。
これは本当の話で、毎日のようにこのような状況が私たちの身のまわりに起きています。
ちょっと立ち止まって考えてみたいものです。
人と人とのかかわり、大人と子どもとのかかわり、すべてにかかわる重要なことだと思います。
<みんなちがってみんないい>
わたしが両手をひろげても
お空はちっともとべないが
とべる小鳥は私のように
地面をはやく走れない
わたしがからだをゆすってみても
きれいな音はでないけど
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんうたを知らないよ
すずと小鳥とそれからわたし
みんなちがってみんないい
《明治の詩人、金子みすずさんより》
※心にひびく言葉だと思います。
内容的によく分かるんだけど、私自身毎日子どもたちと接している中で、何となくちがった見方、接し方をしているような気がします。
明治の時代に、こんな素直な個性をすんなり認めていること、あたりまえのようだが、すごいと感じました。
この人のことは自分が35才過ぎて知りました。
海の詩も心に残っています。
陸で漁師たちが、みんなで大漁を祝う時、海の中ではたくさんの魚がとむらいやっている。
以上が先生の文でした。
金子みすずの誌については、私も子供の頃には知らず、30代以降に知ったと思います。
あらためて、先生が引用しているこの文を読んで、“みんなちがってみんないい”という先生がいつも使っているこの言葉の大事さを噛みしめました。
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