【南先生の玉手箱_0032_生まれて51年 7回シリーズ[7の2] 】
私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
平成10年の「家庭教育学級・資料 -家庭における進路指導のありかた-(私自身をふりかえって)」という冊子から、「生まれて51年」という文を長編なので、7回に分けてのご紹介。
今回は、7回中の第2回目です。
以下、先生の文章です。
小学生の頃は、みんな表現することや、らくがきが好きであたりまえだと思うのですが、その気分がず~~っと続いてきたのかも知れない。
いつも私はうまく描きたいとか、もっと手習いをしたいと思わなかった。
つまり勝手に自分のスタイルで表現するのが好きだったのか、でもそれは誰でも同じことが言えると思う。
あまり変に習いすぎると自分がなくなってしまう気がする。
今、子どもたちと学校で表現活動にかかわっていると、特に低学年の子どもたちは、みんな芸術家だと思う。
人は誰もが感性の宝庫を自分の心の中に持っている。
でも、残念なことに、歌でも絵でもその表現において人は年と共にかかわりが少なくなっていくように思う。
その気になれば、誰もが芸術家になれます。
このことは、私自身、毎日子どもたちを見ていて自信を持って言うことができます。
特別に学校に行かず、絵の手習いもせず、自分の子どものクレヨンや水彩など、いらなくなったえのぐや筆を使って、画用紙もありあわせの紙で、すばらしい作品を描いている人をたくさん知っています。(この学校に行かなければとか、これを習わなければ基本が身につかないなんて言うことはありません)
表現することの基本は自分にあります。
逆にまちがった勉強や習いものをするとダメになることが多いと思います。
誰でもその気になりさえすれば、その道の一流になれると思います。
二流、三流など比較すべきことではなく、自分の評価が一番正しいのです。
よく、人やものを何かにつけて比較評価する人がいますが、人生人それぞれみんな一流を目標に生きているのです。
人の生き方についてランクつけをすることは全くナンセンスです。
どうでもいいことかと思うが、小学生、低学年と高学年で2回若い女の先生だったからか、妙に好きな感情を覚えたことが思い出される。
自分だけの先生であればいいと思っていたのかも知れない。
その先生のちかくに行くとドキドキしたり、変な子どもだったのか。
3年生の頃には好きな子がいた。高学年ではクラスで姉さんのような大きな子が好きだった。
私はいつも一番のチビで、いつも先頭か一番うしろで、中学になるまで前ならえができなかった。
中学校に入る前、丸坊主になるのがいやだった。
何で丸刈りにならなければいけないのか、いろんな意味で反抗が出て来たのもこの頃だったと思う。
大人のやることに興味があって、何ともうまそうに吸うタバコやお酒を夜中に盗み飲みしてみたスリル。
はじめての酒とタバコの味、不思議にどちらも妙にうまい味だったのを覚えている。
どちらも高校生活ではみつかってしまって、バイクの無免許運転など、いろいろ叱られたことは良く覚えている。
そんな時、いつでも全てが親の責任であることなど、今思えば勉強になったと思う。
以上が先生の文でした。
私にとって、先生は、私の先生だったときの姿しか思い浮かばないのですが、小学生の子どもの頃に担任の女性教師にドキドキしたり、小3で好きな子がいたりと(^_^;)けっこう早熟な子どもの様子がうかがえて面白く読みました。
また、高校生活はけっこう“ヤンチャ”だったこともわかり、少し意外でした。
7回に分けてご紹介している先生の文章。
次回は先生の中学時代のことを中心に活字化していきます。
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