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2021/08/31

「自分に気づく心理学/加藤諦三著」を読みました。

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『自分に気づく心理学/加藤諦三著(PHP文庫)』を読みました。
ラジオ、ニッポン放送の「人生相談」で、よく著者の加藤諦三先生の名回答を聞くことがあります。
その先生のロングセラー本ということで手に取ったのです。

読んでいくと、けっこう人生に行き詰まっている人、他人から責められているような気がする人、生真面目な人、正義や道徳の仮面をかぶって他者を攻撃する人、尽くすという形でしか他者と付き合えない人などなど、身に覚えのあるようなことが次から次へと例示されています。

これらが、育てられた親との関係に大きく影響を受けていたりすることもわかりましたが、自分の心の中にある“暗くてつらい”部分をえぐり出していくようで、その通りかもしれないけど気分は重くなりました。

自分を正直に認めていくことは、けっこうつらいものです。

それと読んでいて気づいたことに、傍目にはとても仲が良くていろいろなことを一緒につくっていったり、やっているように見える友達や先輩がいたのですが、この本にも書いてあったのですが、その友達や先輩といるときは「気が休まらなかった」ということがありました。

何か厳しいことを言われたりしないか、ひどいことをいきなり言われないか、などとあまり根拠もないのだけど、内心怯えていたような気もするのです。

最終的には、あんなに仲良くしていたのに、長い時間を一緒に過したり、いろいろなイベントや活動もしてきたのに、・・今は関係を絶ってしまったのです。

それが不思議とその後は心が安らいでいるのがずっと謎だったのですが、この本を読んで納得するような部分がありました。

この友人や先輩との過去の出来事については、このブログ内の「過去に会った人、過去にあった出来事」のカテゴリーで振り返りつつ、検証したいと思っています。

ということで、“自分に気づく”っていうのは、覚悟を決めて読まないと、かなり“しんどい”ことになるというのがわかりました。

何年かしてから読み直すと、また異なった見方が出来るかもしれないと思いつつ読了いたしました。

 

【南先生の玉手箱_0041_月に一度届く情報誌からの“らくがき”】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回は、平成15年2月27日の日付が入っている「らくがき 号外45」と書かれた冊子からの文です。
これが、先生得意の文字をくるくる蚊取り線香のように回しながら書いてある原文でして、何度読んでも、そのぐるぐるが追えず、数時間かけましたが、気持ちが悪くなってしまい、きちんと読めない。そんなこんなな中で、とりあえず掲載します。


以下、先生の文章です。

月に一冊届くうすい雑誌がある。教育関係他いろんな情報誌。時々、偶然めくったページにそうだそのとおりだと思うことや感動することがある。

毎日暮らしの中でたくさんの出会いがあるのだが、なかなかゆっくり考えたり話題にすることは少ない。
何か大切なことだと思っても、日々の流れの中でいろんな問題が意識の外に消えてしまっている。

それどころではないと言う暮しのリズムに問題が多い。
ゆっくり立ちとまってと思いながら、なかなかできない状況ではあるが、人に限らず生きることの意味について、現代の社会構造をつくって暮らしをリードしている大人社会にとって、日々子ども側からのメッセージに本当に対応しないと大変なことになる。

大変な状況をつくりだしている大人側の責任について、環境問題、命の問題など、誰もが同じ地球に住む、それこそバリアフリーの本当の意味をただ頭の中での知識理解だけではなくて本当に実行していくべきことなど、現代は特に危機的な状況あることについて本気でかかわりたい。

又、何か小さなことでも実行していかなければと、みなさんもきっと同じことを理解してくれるはずです。

お互いに生きている今、習慣とはおそろしいものですね。
あたりまえと思っていることの中はたくさんの問題が含まれていること、口でいうはできても実行できないことがあまりにも多い現代に、そう言えばどこかでニュースか何かで聞いたような、今日の雑誌の中にあったこのすばらしいメッセージ。

そして私たちは大人として特に責任があること。今実行しなければとりかえしのつかない状況にあることなど、そんなこと言われなくても分っているって言わないで何とか具体的行動をしていきましょう。

学校でも子どもたちは日々たくさんのサインを出しています。
まず今、目の前の子どもを最優先したいと思うことが多いです。
ECOの意味さえ知らなかった私です。


以上、先生の文でした。

悪戦苦闘でした。“クル・クル・クル・クル”文字が回転して書かれ、何度見てもどこがどこに繋がっているのかわかりません。
何時間掛けても繋がりがわからず、仕方なく写真のように赤ペンで渦巻き状に“なぞり”なんとか繋がりまではわかるようにしたのです。

したのですが、今度は句読点がほとんどなく、文の意味を理解することができませんでした。
さらに漢字も平仮名も、くしゃくしゃっと書かれていて判読が難しい・・ (・_・;
また、関係ないところで文字空けがあったりもして、頭の中が滅茶苦茶になり、苦心惨憺でした・・今までで一番・・。

なんとか活字化しましたが、たぶん30%くらいはきちんと出来ていないと思います。
力尽きました。

 

【同じ工事をするのにも180度異なった対応だった話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №30】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
このシリーズで何度か前に書きましたが、私、小中高校の耐震工事の担当者だったことがあります。
あの阪神淡路大震災のあとに小中高校の校舎建物の耐震強度について見直し、確認が行われた後に実施されたもので、ウチの市では私が最初の担当となったのでした。

工事の時には、校長先生のところに伺って、工事内容や学校側にしてもらうことなどの説明をします。(その後に、先生方全体と、地域の代表者への説明会も行います。)

でも、その時の校長先生の対応はその人ごとにまったく異なりました。
仮設校舎を作ってそこに学校まるごと移ってもらうという大変な作業も多く、当然運動場がせまくなり、体育の授業の組み方が難しくなったり、授業にも様々な支障が出てくるのですから当然ですが・・。

ある小学校の校長先生は、「大変なことになった」「一年間無事生徒達と送ることができるのか心配だ」と説明中ずっと嘆き、帰り際、私が昇降口で靴を履き終え、挨拶しようとした振り向きざま、襟首をぐっとつかまれ、ぐぐっと上に持ち上げられながら「こっちも死んだ気でやるんだ。お前も死んだ気になって仕事をしろ。」と言われたことがありました。
もうこっちは、市で初めての仕事を任され、眠れぬ夜を幾夜も経て、とっくに“死んだ気”になっていたのですが、強烈な別れ際のご挨拶でした。
一生懸命説明したのですが・・落ち込みました・・。

別の中学校でも説明中に、校長先生から「こっちは一年間気が休まらないんだ。お前は一年間休暇なんか取るんじゃないぞ。」と肩を揺すられながら言われました。
この時は、前回の小学校で少し免疫が出来ていたので、「あたりまえです。休む気なんかまったくないし、寝る時間もあまりないんです。」と言って、肩から手を外されました。

また別の中学校では、「耐震工事が予定されていた学校の教頭から異動で校長となり、この学校に来てよかったと思っていたらここでもやるのか、なんて俺は運が悪いんだ。」と嘆いた校長先生もいました。
・・でも、生徒の命を守るための工事なんです。そんな考え方をして上に立つのはいけないのじゃないか、と思いました。
で、ここでも靴を履いて挨拶しようと振り向いたら教頭先生をさっきから呼んでいるなと思っていたのですが、「教頭、こいつに塩をまけ」と言われ、私は思いっきり塩を頭からまかれました。
この人達はこれでも大人か・・と、がっかりしたものでした。

かといえば、ある小学校長は、説明後、「手を取り合って一年間がんばりましょう。」
と言ってくれて、どんなに上手く工事が進んでも様々な困難がひとつの学校で一年のうち五回~十回とあるわけですが、「できる限りの協力をするから何でも言ってくれ、あきらめず乗り切ろう」と、いつも励ましてくれました。

 

 

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この学校は全校700人全ての生徒に仮設校舎へ動いてもらったのですが、その仮設校舎から見る夕焼けはきれいだよ、と進捗確認に行く度に校長先生は言ってくれました。

この校長先生は、工事後本校舎に戻ってからも生徒達にお願いして「仮設校舎で生活をして」というテーマで文集を作ってくれました。
生徒達の、どの作文も、詩も、俳句も、校舎の窓から見た景色などと共に、いつもとちがった生活についての楽しくて気持ちのこもった文がいっぱい書かれていました。

工事も終わり、検査も終了し、最後の挨拶をと、一部新しくなった教室のキーケースを持って校長室に伺ったら、「一年間よく頑張ってくれました。ありがとう。」と両手を握りしめてくれました。

「ありがとうはこちらが言わなければならない言葉です。先生と生徒さん達の協力なしでは工事は出来ませんでした。」と答えると、教頭先生が飛び込んで来て「大変でぇ~す」「給食室の食器乾燥機の中のプラスチックのお盆が溶けてひとつの塊に・・オブジェになっちゃいましたぁ~っ!!」と・・。

一緒に来た電気設備の技術屋さんが「いけね、電圧元に戻しておくの忘れてた」( ̄O ̄;)
※ここは別棟になっていた電源設備も改修したのでした。

で、あわてて給食担当課に溶けちゃった分の発注をしたりの対応をしていたら、校長先生・・「教頭先生に今、ホームセンターに行って紙製の代わりになるものを買いに行かせました。今日は、それで給食を食べ、また生徒達と工事の想い出づくりです。今までいろいろあったので、こんなことくらいじゃ驚きませんよ(^^;)」とのありがたいお言葉。

この学校でのエピソードも忘れられないことのひとつです。

 

2021/08/30

自民党総裁選に立候補表明した人の会見を見たが。

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岸田文雄氏(自民党・前政調会長)が党総裁選に立候補し、表明会見をしたとのことで、真っ先に表明した人なので、その会見を見てみました。

コロナ感染拡大に対する対応をどうするか、に興味がありました。
今の首相の方針と異なることが何か語られるのかと思ったからです。だって、感染は全国に拡大する一方ですから。

・政府の方針を丁寧に説明する。
・国民の納得感を大事にする。
・公平な経済対策を行う。
・楽観的な見通しはしない。
・ワクチン、治療薬への取り組みを加速する。
・ウィズコロナ時代における社会経済活動の専門家会議を設ける。

などが岸田氏から語られたものでした。

何か光明を見いだせるようなこと、ドラスティックな提案はありませんでした。
自民党の総裁が仮に代っても、首相が代っても、あまり期待できないなあ、と少しがっかりしました。

けっこう報道で写真がよく載っていた岸田氏のノートについて、何を言っていたのかも確認してみましたが、あの小さいノートに国民からの声で気になったところを書き綴ってきたそうですが、「年間3冊、10年間で30冊もある。」と胸を張っていました。

えっ、一年でたったの3冊?!と驚きました。“一週間で”じゃないの!!
あんな、世の中の、政治の中枢にいれば耳に入ることってものすごい量じゃないのかな、と思います。
それで、年間3冊ねぇ。
私が、新聞を切り抜いたり、気になったことをメモしたりしているものはデジタルのテキストデータを含めて一週間でもノート1冊分にはなると思います。

それに、3冊でもそこに書かれたものを分析して何か結果、結論などを導き出しているのであればいいと思うのですが、そういうことも言っていなかった。

他にも何人か総裁選に手を挙げているのか、迷っているのか、という感じの人達がいますが・・期待は薄いです。悪いけど、総理大臣になりたいだけってふうにお顔が見えてしまうのです。

ちょっと思ったことをメモ的に書いてみただけですが、これだってノート1~2ページ分くらいはあるんですけどね。

 

「日本史 怖くて不思議な出来事/中江克己」を読みました。

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『日本史 怖くて不思議な出来事/中江克己著(PHP文庫)』を読みました。
これもブックオフにて安価購入。

この本は、文書として残っている、しかも史実などの文献にまで載っている「怖くて不思議な出来事」についてまとめたものとなっていました。

飛鳥時代に目撃された謎の飛行物体、京都で姿を消したのち江戸浅草に空中から落ちてきた男の話、信長や秀吉も認めた超能力者の話など、歴史上の記録として残っている怪しげな話がこんなにたくさんあるのだと驚きましたし、興味も持ちました。

私も何かで見聞きし、知っていた逸話も書かれていました。
小野篁は、夜になると冥土に赴き、閻魔大王の仕事を手伝い、朝には戻ってきて、朝廷に仕えていたという話。

篁本人が嵯峨上皇に絞首刑を命じられたときに、罪が軽くなるように奏上してくれた藤原良相が病の末、死去。
閻魔の死者に捕らえられ、閻魔宮で罪の糾弾をされることになったが、その場に並み居る閻魔の臣のなかに・・なんと小野篁がいて、良相の赦免を懇願したのだそうです。

蘇生した良相が、現世に戻ってきたときに、「冥土で助けてもらい、かたじけない。なぜ冥土にいたのだ。」といきさつをたずねた、という話も書かれていました。

けっこうゾッとする話です。

冥界と現世を行き来する人物。不思議な男です。

別の気になったお話では、船に乗り商売に出掛けて嵐に逢い、小さな島に流され、そこの王に歓迎され、御殿に案内された後、山海の珍味をいただき、見たこともない肉の名を聞くと「人魚の肉」と言われ、食べられなかった。

そしてその肉を故郷に持ち帰り十八歳になる娘が食べてみたら・・十八のまま八百年生き、何度も結婚し、何度も子を産んだ、などというものがありました。
西洋のバンパイア伝説にもつながるような、浦島太郎にもつながるような話で、とても不思議な話でした。

他にも歴史的書物に挿絵が残っていて、異国から流れ着いた乗り物がまるでUFOの形をしていて、乗っていた人間が着ている服が宇宙服のようだったりするものもあり、何箇所かで目撃されていたようで、これ、ほんとうにUFOだったのかもしれないと思ったりもしました。

とにかく、不思議で怖くて、少し愉快で、妖怪なども登場するこの本、興味津々で読みました。

 

2021/08/29

【二度殺した男のお話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №29】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
私、ラジオの人生相談番組を聞くのがけっこう好きです…σ(^_^;)
なんかねぇ、いろんな人がいるんだな・・っていつも思うんですよ。
俺もまだまだ頑張れるんじゃないか、なんて思ったりもします。

で、また今回も相談業務に携わっていた頃のお話です。

電話が鳴り、受話器を取ると・・

相談者(若い男性):「日常生活上の悩み事の先生に相談したいんですけど。」

私:「今、先生、お二人とも面談と電話で相談を受けています。もうすぐ終わると思いますので、まず私が内容をお聞きして先生が終わったらお繋ぎしましょう。」

相談者:「私、今朝、仕事に行きたくなくて、会社に“おじさんが亡くなった”とウソの電話をしてしまい、忌引きを取ったんです。」

私:「それは・・よくないですね。」

相談者:「で、ですよ。亡くなったおじさんについて、例えば“父方で父の兄”で“名前は〇〇〇〇”と言わねば忌引きが取れないんですけど・・うっかり・・一回死んだことにしたおじさんをまた“使い回し”してしまって。」( ̄O ̄;)

私:「えっ、なになに??同じおじさんを二回亡くなったことにしてしまったと??」

相談者:「そうなんです。今頃会社では、あれっアイツおじさん二回殺してるぞ、と騒ぎになっているんじゃないかと思うんです。どうしよぉ~(T_T)」・・泣いている。

私:「落ち着いてください。・・ってことは、今までも何度か生きている人を殺して忌引きを取ってきたということですか。」

相談者:「そうなんですぅ~~(T_T)困りましたぁ~。」

私:「先生、電話が空いたのでお繋ぎしますけど、きっと私と同じことを言うと思いますよ。正直に話して、謝って、反省して、会社に行く、これしかないと私は思います。では、先生に繋ぎますね。」

相談者:「はい、よろしくお願いします。」

・・というわけで(^_^;)あとで、先生に聞いたら、ほぼ私と同じことをアドバイスしたそうで、あとは本人が正直に会社に言って、謝れるかどうか、・・どうなったかなぁ。

 

2021/08/28

【相談の仕事の時にあった不思議な出来事/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №28】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
前回、結婚相談でのお話を紹介しましたが、今回も結婚相談時のことです。
それがねぇ、不思議というかなんというか・・。

ある日、受付カウンターに男性が来て「結婚相談の登録をしに来ました。」とのこと。
その日は先生がお休みだったので、出来れば先生と一度会っていろいろ希望をお話してもらうのがいいんですけど、と言ったのですが。

お客様:「電話して、今日先生がおいでにならないことは知っていて、後日にしようと思っていたんですけど、“今日にしろ”って声が聞こえるんです。“今日でなければだめだ”とささやかれるんです。誰だかわからないけど。」
「お願いします。何とか今日受け付けしてください。」」

・・ということで、なんだか不思議ないきさつですが、私が一応型どおりに受付して、翌日先生に引き継ぐことにいたしました。
必要書類の中には未婚を確認するための戸籍謄本があったのですが、そこに書かれた姓に「!?」となりました。
とても珍しい姓で、記憶の中にある姓です。
そして、本籍地を見ると私の住んでいる町の名が・・。

私:「あっ。」
  「お姉さんは〇〇さんとおっしゃいませんか。」

お客様:「そうです。なぜわかるんですか。」

私:「私の同級生だと思います。でも、幼稚園か小一の時に亡くなられて、クラス全員で先生とお墓まで行った記憶があります。」

お客様:「驚いた、それは姉に間違いありません。幼い頃に亡くなっているんです。」

私:「なんて偶然なんでしょうね。ふだんだったら先生のいる部屋へ直接行ってもらうのに、今日たまたまお休みで、私が受付けるときに同級生の弟さんが来るなんて。」

お客様:「・・これは姉が今日行けって言ってくれたんだと思います。同級生のあなたに頼めと。」

私:「そうかもしれないです。」

受付が終わって通路まで出て、たしかにお預かりしますと深々と礼をしてから頭を上げ、部屋に入ろうとしたら・・。

通路奥を15メートルほど行くと、別の部に行く大きな鉄の扉があり、そこは小さな照明しかなく、薄暗い通路なのですが、・・立っていたのです。女の子が。
昭和に流行っていたビニールの四角い花模様のついたカバン(ビニールの取っ手もついている)を持ち、当時のサラサラとした生地のちょっと長めのプリーツスカートをはいたひょろっとした小さな女の子でした。
そして、私を見て少し頭を下げました。

私も頭を下げ、弟さんの方を振り返り、たぶんものすごい形相で見たと思うのですが、弟さんは「どうかしたんですか?」と、まるで見えていないのでした。

それでは、と弟さんは歩き出し、私がまた女の子がいた方向を振り返ると・・もういませんでした。

これは相談室にいたときの一番衝撃的なエピソードでした。
今でもあの光景ははっきりと思い出せます。

 

2021/08/27

【The Beatles 研究室・復刻版】Let It Be[A-2]Dig A Pony

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2004年から2008年にかけて作成したホームページ「The Beatles 研究室」・・2009年リマスター発売後の一部追記も含めてのブログにての復刻版です。ほぼ当時のまま、そして復刻後追記も付しております。
10月に「レット・イット・ビー」のスペシャル・バージョンが出るという情報が出ました。なので、アルバム「レット・イット・ビー」から「ディグ・ア・ポニー」を取り上げてみます。
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この曲は1969年1月30日のアップルスタジオ屋上のライブ録音です。強烈な寒風吹きすさぶ中の演奏で、曲を始めようとすると、リンゴが「Hold It・・・ちょっとタンマ」と言って曲を止め、鼻をかみます。ポールも鼻をすすっています。ライブの雰囲気十分です。

最初と最後の歌詞 All I Want Is You と歌う部分はプロデューサーのフィル・スペクターによってカットされており、映画で見たシーンと同じ演奏とは思えなかった人も多いと思いますが、まったく同じシーンのライブ録音です。つまり、一発録り。

ギターとベースとドラムが渾然一体となったイントロで始まり、そのままジョンのグワングワンいうコードストロークでぐんぐん引っ張っていきます(ハンマリング・オン多用)。
ジョージはフェンダーのテレキャスター・オールローズの高音の効いた素晴らしい音色のギターで寒いのになかなかのテクニックで曲を盛り上げます。
リンゴもいったんブレイクして曲がとまったあとに、最高のフィル・インを叩きます。ここが一番の聴き所かも。

これを書くにあたってオリジナルのアルバムと近年発売されたネイキッド盤を聞き比べてみましたが、オリジナル盤は特にジョンのギターが後ろにいて、もこもこした音、ジョージのギターもやや後ろにいるように聞こえますし、ジョンのボーカルはネイキッドは吸う息まで聞こえるのに対し、オリジナルはちょっとこもった感じです。しかし、それがなぜかとても哀しい感じに聞こえてしまいました。私には4人の姿が遠景で見えるような感じで、ちょっと涙ぐんでしまいました。
逆にネイキッドの方はいまだ生々しい感じで聞こえてきます。まったく同じ録音なのに不思議なものです。

曲が終わるとジョンが、「サンキュー・ブラザーズ、手がかじかんじゃってうまく弾けないよ」と言っています。ほんとうに寒い日の録音だったのですね。


〈追記〉2021/08/27

まずは、「アンソロジー3」に入っているバージョンを聞いてみました。
ギターもベースもドラムも“生”っぽい感じで、スタジオ内の雰囲気がわかるような感じに聞こえます。
それと、イントロの「All I Want Is You」も当然カットされていません。
ジョンは、歌にアドリブ的にセリフっぽい言葉も入れています。
テンポはちょっと“ゆるめ”です。
ジョージの間奏ソロもゆったりとして、音色も丸く、甘い感じです。
リンゴのドラムも“タメ”というか、“間”をゆっくりと取っています。
エンディングは「レット・イット・ビー」のバージョンよりも盛り上げ気味でちょっとカッコイイかも。

2009年リマスター・ステレオ・バージョンも聞いてみました。
こちらは、“生き生き”していますねぇ。ジョージのギターはとてもクリアです。
ジョンのコードストロークもいい感じで聞こえます。
そしてジョンのボーカルは緊張感あるものに感じます。ジョージのギターがそれにオブリガード的に応えるのも息が合っています。
全体にジョージのギターは曲の流れと共に自在に弾かれている感じがして、ジョージの腕が上がっていたんだな、この頃、と思いました。
リマスター前よりはクリア度が上がっていて、もやっとした感じがあまりないようにも感じました。

続いて、ネイキッド・バージョンも聞き直してみました。
やはり、ジョンのボーカルは息づかいまでも感じるリアルさが際立ちます。
ジョンのギターの“モコモコ感”は、やや影を潜めている感じ。
ジョージのギターはレット・イット・ビーのバージョンよりも引っ込めたというか、ジョンと同等な感じにミックスされているように思います。

 

【仕事していると、いろいろあった/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №27】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
今回は、相談の仕事の中でも特殊な「結婚相談室」も職場に持っていたので、その時のお話です。20年以上前のことです。

もともとは、教委に担当課があって、昭和40年代に集団就職でやってきた若い人達に市に居続けてもらおうと始めた“お見合い”の仲介の仕事だったようです。
回りまわって「相談」を中心にしている課にその仕事が動いてきたもののようでした。ずいぶんと古い話です。今はもうその相談室もありません。

業務内容は、簡単に言うと、市内在住、在勤の希望者に登録をしてもらい、登録者は相手方の簡単なプロフィールの入ったファイルを閲覧し、見合いしたい人がいたら相談室の先生に相談して見合いを段取りしてもらい、いざ相談室でお見合いの時に互いの詳しいプロフィールを見せ合い、結果はその後、先生に連絡して、良ければお付き合いし、やがては結婚に・・というものでした。

いろいろな人が登録に来ました。

<エピソード1>

見合いがうまくいき、何ヶ月かのお付き合いの末結婚しましたが、結婚後、数ヶ月が経って女性の方が母親とやって来て、

「思ったほど働きものじゃなかった。愛もそれほど深まらない。」

「紹介してくれたんだから、“品質保証”してほしい。」 (・_・;

「できれば“返品”したい。」

・・と( ̄O ̄;)

「お二人ともお見合いして互いが気に入り、お付き合いを経て、結婚されたんじゃないですか。もう一度よくお二人がお話し合いをして、あらたな気持ちでやり直してみてはいかがですか。」
ということで、渋々ですが、お引き取り願いました。
だんなさん、「返品」はあんまりですよねえ。

<エピソード2>

若いちょっとイケメンの男性が登録しました。(若くてイケメンは珍しい)

見合いをして、先生のところに女性側から“お断り”の連絡があったので、その旨先生が男性の方に連絡をしたのですが・・。

業務も終わり、先生も帰り、私達職員も帰り支度していたところにイケメン男性が“怒り心頭”状態で飛び込んで来ました。

男性:「おかしいだろう。オレはこんなにいい男だっ!大学だってそれなりのところを卒業して、勤め先だって悪くない、親は一流のところで重役をやっている。家もあるし、土地もある。不満なところは無いはずだ!先生を呼び戻せ、どやしつけてやる。」

ドアを思いっきりパンチし、そのあと壁に何度もキック!
大暴れでした。

私:(心の中 → そんなだから断られたんじゃないの。女性はちゃんと見抜いたんだね。)

係長:「まあまあ、冷静になってください。あなたのその姿を女性が見たらそれこそイヤになってしまうと思いますよ。」
「お父さまからも、よろしくお願いしますと連絡をいただいておりますので、もう一度お家の方に先生から経過を含めてご連絡させていただきます。いったんお帰りいただいて少し心を静めてくださいね。」

ということで、その場はなんとかなりましたが、私が思うに、父親が子供の見合いにクチを出して来た時点で甘やかし続けた末にこんなことになったのだと思いました。
この仕事、人生の勉強にもなりました。

<エピソード3>

新規登録者(男):「結婚相談室に登録に来ました。」

私:「では、相談員のところにお通しする前に必要書類を確認させていただきます。」

新規登録者(男):「あっ、もういい。 あの人がいいっ!!」と、ウチの室内の女性職員を指さす。

私:「あっ、あの者はウチの職員でして、登録すると女性登録者の簡単なプロフィールを見ていただいて・・。」

新規登録者(男):「もういいの! そうじゃなくて、あの人、とてもきれいでタイプです。ぜひお願いしたいです。」

私:「えぇ~と、困っちゃったな。実はあの者は先週婚約が整いまして、この秋に結婚する予定なんですよ(実話)。」

新規登録者(男):「ええぇぇっ~。がっかりだよ。ひどいよ(・・なんで(^_^;))。なんか盛り下がったなあ。仕方ない、登録するか。」

となり、相談室にお通しいたしました(^^;)

以上です。

人生いろいろ。

 

2021/08/26

「旅先のオバケ/椎名誠」を読みました。

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『旅先のオバケ/椎名誠著(集英社文庫)』を読みました。
これは、椎名さんが世界中のいろいろなところに旅に出て泊まったホテルや、ホテルとは言えないような空き家、ツリーハウス、モンゴルのゲルなどで経験した怖い話、または過酷な環境、ひどい食事などの話をまとめたものとなっておりました。

特に怖かったのは、ロシアの極寒のホテルの夜の話でした。
深夜に隣の部屋で何人かで物を投げたり、大騒ぎしているが「注意したりすると殺される可能性がある」と注意を受けていたので、我慢してその夜は過した・・。

朝、起きて隣の部屋を確認しようとしたら、そこは階段で部屋は無かったという・・、ようするにポルターガイスト現象だったようです。
椎名さんは特に霊感などは無いとおっしゃっていますが、それでもそんなことは世界中を回っているとけっこうあったようです。

やはり国外で、滅んだ町の空き家に同行者それぞれが泊まれそうな部屋を探して泊まったときにも、深夜に犬くらいの大きさの男が入ってきた話が書かれていました。
夢だったのか、と思ったが朝起きたら閉めておいた扉が開いていたので、やはり誰かが・・などと自分だったら耐えられないような話も。

私も旅で泊まったホテルで、部屋に入った瞬間にゾクッとするようなことがありました。
部屋自体は、とても素敵なところだったので、記念に写真を撮ったら・・日本兵の姿が、逆さまに写っていたことが・・ありました (・_・;・・これはさすがに怖かった。

あとは、食べようとしても食べられないような料理を出す外国の食堂の話など、どうしてそんなところに行くのかな、などと思うのですが、椎名さんの冒険心はとどまるところを知りません。
それが楽しみで私も椎名さんの本を読むんですけどね…σ(^_^;)

今回も、怖くて、興味深くて、楽しめる話も入った本でした。

 

ローリング・ストーンズのドラマー「チャーリー・ワッツ」が亡くなりました。

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The Rolling Stones のドラマー、「チャーリー・ワッツ」が亡くなったと、最初はネットで知りました。そうか、80歳だったのか・・残念・・。
オリジナルメンバーであるミック・ジャガーやキース・リチャーズが、この歳になっても、とてもワイルドな風貌なのに、チャーリー・ワッツは“老紳士然”としていて、それがなんだか格好いいのでした。

そして、叩いているドラムもとてもオーソドックスでシンプルなセット。
必要なものだけというのもすごくカッコイイものでした。

さらにスティックもロック・ドラマーには珍しく、“レギュラー・グリップ(左手はスティックを親指と人差し指、そして中指と薬指にはさむ持ち方)”で叩いていました。
本人が“ジャズ好き”だということもあると思うのですが、左手のスネアや左手で叩くシンバルはパワーを出すのが難しかったんじゃないかと思います。

私もドラムを叩くので、特にドラマーにはいつも“目が耳が”真っ先にいくのです。

チャーリー・ワッツのドラミングは、唯一無二の独特なものでした。
ビートルズのリンゴ・スターも唯一無二でしたが、チャーリーも同様。誰にも真似できないものだし、真似しても他の人がやっては意味がない、そんな叩き方でした。

ライブの時は、左手がスネアを叩くときに、ハイハットを叩く右手が持ち上がってしまう(^^;)という、まるで素人みたいな叩き方が印象的でした。
でも、レコーディングの時はきちっとハイハットを叩いているのだそうです。そうしないとリズムのサウンドがおかしくなるので。
レコーディング時は、ヘッドフォンでクリック音も聞きテンポも乱さず叩いているのです。本人のインタビュー記事で読んだので間違いはないと思います。
でも、ライブ時には、勢いを大事にするので右手は持ち上がるは、テンポは曲中で変わるはで、ストーンズらしい“ラフさ”が出ているのです。

写真を載せている1960年代のこのライブアルバムでは、ドラムの入りが間に合わず、“わたたっ”となったり、途中のフィルインがたたき切れず、ドタバタになったり、キャロルという曲だったか、チャーリーだけリズムが裏から入ってしまい、途中でドタタッとやって“つじつま”を合せたりしていますが、それもまた“味”でした。
だって、それがまたカッコイイんだもの(*^^*)

しかし、「スティールホイールズ・ワールドツアー」の頃(1980年代)には、私も東京ドームで見ましたが、チャーリーのドラムはパワフルで、確実で、スケールの大きなドラムに進化していました。あの年齢でさらに進化するのが凄いっ!!

“ふたまわり”くらい迫力が増していました。ますます格好良くなったチャーリー・ワッツに“惚れ直し”ました'(*゚▽゚*)'

近年も素晴しいドラムを叩いていたチャーリー・ワッツ、歴史に残るロック・ドラマーでした。
そして、リンゴと並び、私の大好きなドラマーでした。
チャーリーがいなくなってしまったら、誰が代わりに叩くのかわからないけど、ストーンズの屋台骨が変わるのだから、どんなことになるのか・・心配ですが、今はチャーリー・ワッツの冥福をただ祈ります。

チャーリー・ワッツ、格好いいドラムを今までありがとう。
「ジャンピンジャック・フラッシュ」のスネアとハイハットとバスドラだけ、しかもフィルイン無しで、リズムだけ叩くという究極の「真っ白いごはんだけ、オカズなし、ふりかけもなし」というシンプルドラミング、絶対に忘れません。

 

2021/08/25

【変わった相談を受けた話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №26】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
私、人生の中でさまざまな職場に異動となり、仕事をしてきましたが、「相談業務」というのもありました。20年以上前のことです。

基本的には、市民の皆様からの相談に対応するというもので、色々な分野の先生が曜日や月に何度かの割合でスタンバイし、各種相談を受けるというものでした。

日常生活上の相談なども毎日受けておりましたが、変わったところでは・・。

<電話での相談>

相談者:「あのさ、初めて海釣りに行ったんだけど、釣れちゃってさ。」

私:「あら、おめでとうございます。何が釣れましたか?」

相談者A:「カレイだよ。びっくりだよ。」

私:「そうですか。で、今日のご相談は?」

相談者A:「こんなの釣れちゃってさ、どう料理すりゃいいんだよ。」

私:「えっ?!料理の仕方ですか。」

相談者A:「そうだよ、責任取って教えろよ!」

私:「えぇ~っと。」あたりを見回し、小声で係長に伝え、先生に回しても仕方ないですよねということになりました。
で、係長が電話に代わって出てくれました。係長、釣りが趣味だったのです。

係長:「こんにちは。いいもの釣りましたね。じゃ、カレイの煮付けでいきましょう。メモを用意してくださいね。」

・・というわけで、係長、さばき方から順を追って説明しています。・・えらいなあ(^^;)

係長:「で、煮汁はひたひたでお願いします。最後は落とし蓋をしてクツクツと煮ていきましょう。」

なんて形で電話が終わりました(*^^*)なんということでしょう。

似たような相談もありました。

相談者B:「もしもし、あのね、梅酒をね、大量に仕込んだのね今日。つくったのはいいんだけど、この梅酒の賞味期限はいつまでなの?」

私:「また、すごい電話受けちゃったな。・・先生に回してもなぁ・・。」

係長:私の様子を見て「代ろう。」'(*゚▽゚*)'

  「ええとですね。だいたい話は聞きました。漬けた状況にもよりますし、大量なんでしょう。本で調べたり、保健所みたいなところに聞いてもいいんだろうけど、結論はね、“飲めるまで”ですよ。飲めればOK!それと大量につくったなら、ご近所とかあちこち配った方がいいですよ。飲みきれないもの。ね、そうしてください。」

相談者B:「ははあ・・。わかりました。」

以上でした(^_^;)

 

2021/08/24

【南先生の玉手箱_0040_ 渡辺貞夫再発見 音楽演奏はうまくても感動はない】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回は、平成15年6月12日の日付が入った「紙面研修」と書かれた綴りの中にあった一文のご紹介です。


以下、先生の文章です。

テレビでやっている人間ドキュメント、偶然に見た人が感動をして話してくれた。
内容が Jazz 若手ミュージシャンを育てるジャズ・ライブ・ツアーで、リーダーはあの渡辺貞夫。

サックス奏者として国際的にも有名な彼だった。
外国ものばかり聴いている中で、時々弟の渡辺文男氏はカルテット、又はクインテットでよく聴きに一宮ライブハウスに行ったものだが、兄さんのサックスについては、私ごと、あまり興味を持っていなかったのだが、この番組の録画テープを見せてもらってびっくり。

知らなかった。彼のすごさの一面を見せてもらった。
本物つくり、若手をしっかりと育てているビッグスターであること、日頃知っているつもりで理解していないことがたくさんあるものだ。

70歳過ぎた渡辺貞夫が、17歳・高校卒業の横山君とか言う青年を連れての演奏ツアーにでかけた時の様子を45分番組構成で見せてもらった。
他のピアノとベースのサイドメン二人は30歳くらいのプロである。
ジャズは特に譜面があっても、ないような、むしろ譜面のとおりではほとんどの場合、感動はないものです。

でも、これはジャズ以外でも同じことだと思っています。!
小学校時代からジャズドラムを叩いていたようで、自分でできる曲が2000曲以上あるとのこと。
レパートリーひとつとってみても、これは天才と言ってあたりまえで、本当にすごい男、又ジャズ界では宝ものであるにちがいないと思う。

全国ツアーの出発から録画がはじまった。
プロとはじめてのリハーサル、譜面的に考えれば何の心配もなくできるようなものと思うのだが、それがダメと言うか、どうにもならない。おまえは考えてばかり、またリズムをきちんと叩くばかりで。何の感動も伝わって来ない。

まいったなあ、今日は最悪だよなあ、もっと考えないで自由に大きくゆったりと、又、詩文で歌うように愉しくやってくれよ。
メンバーお互いが、曲の雰囲気を盛り上げるってことなのかも知れない。

いくらうまく叩いたってそんなのは何にもならないんだから、もっとステージの上で自分が生き生きと気持ちを開いて裸にならなければダメだよ。

頭じゃなくて、心のことか、とにかくきちんとリズムをとっていても、どうにもならない、よく言う言葉だが、自分なりのアドリブ編曲ができなければ、そしてメンバーお互いのかけひき、まあ言葉では説明できないところであるから、本人が体で感じとる問題であります。

さすがだと思いました。
全国ツアーのおわりの頃、やっと横山君の顔が明るく、ステージで気持ちよさそうに叩ける部分が見えてきた。
もちろん、同じ曲でも見ちがえるように内容が充実してきた。

聴く側もそれが分らなければ、他人の演奏についてどうのこうのと言えるものではないが、音楽の良さは特にライブにあると思っている。
スタジオ録音のものにはあまり興味がない。
ライブの中の生き生きとした盛り上がりと、メンバーの気持ちのやりとりがたまらなくいいものである。

あと10年?横山君はすごい男になると思う。


以上、先生の文でした。

私と先生の共通項のひとつに、“ジャズ”というキーワードがあります。
だから、今回活字化した文については、なんだかよくわかりました。
特にジャズって、「譜面」があったとしても、あまり大事じゃないんですよね。
アドリブもあるし、譜面の“行間”の演奏を聞くのもひとつの楽しみです。
そんなことについての、先生の感覚がわかる文章でした。
そして、渡辺貞夫さんについての再認識も。

太田和彦さんの「ニッポン居酒屋放浪記 -望郷編-」を読みました。

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『ニッポン居酒屋放浪記 -望郷編-/太田和彦著(新潮文庫)』を読みました。
平成11年に刊行された「日本の居酒屋をゆく 望郷編」を改題し、平成13年に文庫化したもので、著者の太田さんもまだ若く、風貌もちょっとコワイくらいです。

同行する編集者の方と“どんどん”あまり吟味せずにお店に入っていくような感じもあるし、だからハズレもけっこう多かった様子がうかがわれます。
今とはちょっと異なる感じもありました。

昼の食事も肉類をガンガンいってるし、夜は怒濤の“ハシゴ酒”!
近年の太田さんの飄々とした雰囲気はまだあまり感じられませんでした。

それでも酒、肴は地元のものを地元の食べ方でいただくあの感じは出ていて、太田さんらしさも感じることが出来ました。

太田さんは、あの椎名誠さんと全国を巡ってキャンプをしたり、焚き火を囲んで皆で酒を飲むということも過去にされていて、椎名さんのまずはビールを“ウグウグ”と飲み干し、ビールでウォームアップ後は、ただひたすらウイスキーでも焼酎でも、泡盛でも日本酒でも、酔うために“ぐびぐび”味わいもせずに飲みまくるという、そんな中にいた人なのに、酒を味わい、酒を感じつつの飲み方を淡々としていくその姿に驚きます。

特に日本酒を飲むときに、盃を持っていない方の手のひらを柔らかく開いて上に向け、身体に染み込ませるようにする仕草が私は好きです(^_^)

今回の「望郷編」でも、高松、那覇、仙台、熊本、壱岐、札幌、名古屋、博多、会津、神戸と“巡りまくり”です(*^^*)

全国の名物、名酒をいつものように美味しそうに紹介してくれる、たのしい本でした。

 

2021/08/23

【大臣に会いに来る!!/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №25】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
恐怖シリーズみたいな話や、学校での想い出に残る仕事の話をしてきましたが、また東京勤務時代に戻ります。
思い出してしまったもので。

本庁から連絡が有り、“ウチの〇長”が大臣に会い、申し出をしたいことがあるとのことで、日程、アポ取り、その他段取りすべての仕事が私に回ってきました。
こんなの初めてだけど、頑張ってやってみようと早速〇〇省の大臣秘書官室に出掛けました。

最初は秘書官室のえらい方に挨拶して、実務の女性の方と打ち合わせ。
日程は時間も綿密に決め、広報に行って報道用の各社ボックスに資料を投げ込み、当日のテレビ局他報道の方々とも段取りをきっちりと決めてその内容を報告して欲しいとのことでした。

ウチの〇長が一階から何番エレベーターで大臣フロアに上がってくるか、上がってきたらその場で各社カメラ前で“ぶらさがり取材”を簡単にしてその日の用件を報道陣に説明してから大臣室へ入室してくださいとのこと、・・緊張するなあ。

当日、三時間前に私が〇〇省に向かって歩いていると、地元選出の政権政党代議士のお馴染みの方が手を振って国会方面から歩いて来ました。

代議士:「〇長、大臣と会うんだって? 心配して来ちゃったよ。 あれ?あなた一人しか来ていないの?」

私:「はあ・・、頑張ります。」

代議士:「所長さんたち、何してんの、しっかりしてほしいなあ。」

私:「このあと連絡してみます。」

ということで、代議士に今日のスケジュールと申し出内容を簡単に歩きながら説明。
代議士は省内へ。私は上司の所長に電話。

私:「〇〇議員がなぜ〇長が大臣に会うのに所長が来ていないの、とお尋ねになりました。出来れば現場にいらした方がよいかと思います。」と。

私が省内に入ると、投げ込み資料に「あらかじめ報道の方々と打ち合わせします」と書いておいたので、二時間前には東京のテレビ局は全局来ていました。

ウチの〇長が出てくる〇番エレベーターの前でカメラが両側に分かれて、代表してNHKの方が簡単に当日の目的を聞いてくれることになり、各社カメラ位置も、決めました。
NHKの方が「ホワイトはウチの使ってやって」と。「ホワイト??」・・カメラのホワイトバランスをNHKの人が出した白いボードを使って各社のカメラが調整することに決めていました。なんだかわからなかった。

そして、大臣秘書官さん立ち会いで大臣室内での報道陣の動きをシミュレーション。

!!ここで、所長があわてて登場 (・_・;目配せをして、見ていてくださいと。
所長、うなずく。

提案を出し、カメラは先に大臣室に入り、入り口扉に向けて全員カメラを回し、そこにさっそうと扉を開けて、当時全国で一番若かった〇長であるウチのボスが入ってくるところを撮ってもらい、そのあとカメラがぐるっと移動して大臣と握手し、席に着き、挨拶を交わすところまで撮ってもらう。
その後報道陣退室、という段取りを決めました。

秘書官もOKを出してくれて、報道陣と共にロビーに出て、一連の流れをもう一度全員で確認して、時間になるまで解散!というところまでもってきました。

そしたら・・。

所長:「あとは私がやるからさ。今の聞いていたから大丈夫。」

私:「えっ!(心の中 → 一週間も前から準備して、一人でやっておけと“放りっぱなし”、その挙げ句に段取りがうまくいったことを知ったら自分でやるってぇの・・。)」

「わかりました。地元からの随行員がもうすぐ来るので、その人達にきょうの説明をしてから大臣フロアに上げます、その後、車寄せで〇長を迎え、〇番エレベーターで二人で上がって来ます。そして扉が開いたらその後は所長にお任せします。よろしくお願いします。」

・・ということになりました。

大臣との会見は無事に終了しました。あとでテレビを見ても、うまいこと打ち合わせどおりに進行していました。
でも、“おいしいところ”を持って行かれたような気がして釈然としませんでしたが、〇長が帰って行ったあとに、早くから来ていた国会議員さんからも「これでよかったんだよ」と言われたので救われた気がしました。

ほんと、東京での出来事は、今にして思うと、夢の中のことじゃないかと思うほどスリリングでした。

 

2021/08/22

【誰とは言えないが、通夜でのお話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №24】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
人間、生きているといろいろなことに出くわします。
今回は、誰とは言えないが、上司のお母様の通夜のお手伝いをしたときの出来事をお話しさせていただきます。

何年も前のことでした。上司のお母様が亡くなり「通夜、葬儀の手伝いをしてもらいたい」とのことで、私、受付けなどのお手伝いをさせてもらいました。

通夜の日のことですが、受付けの仕事もすべて終わり、通夜振る舞いの席に「お手伝いの方もどうぞ」と呼ばれ、職場からも女性職員が通夜に来ていて、その場にいましたので、隣に座りました。

そしたら、上司の奥さまが麦酒片手に席を回っていて、私たちのテーブルに・・。

「お二人とも今の職場の方ですよね。いつもお世話になっております。」
と麦酒を注いでくださいました。

二人して:「いやいや、こちらこそたいへんお世話になっておりまして。」とご挨拶。

そしたら奥さま・・、

奥さま:「ほんとうに大変だと思います。毎日深夜までお仕事されているんですものね。土日もなく働くなんて過酷な職場ですよねえ。」

私:「へ・・?(深夜・・?土日・・?)」

同僚の女性:何も言わず、私の膝の上の手の甲を“ギュウゥ~~ッ”とつねりました。

私:「(はっ!!!)そ・そうなんです。いやもう忙しくて大変なんです。」

奥さま:何か悟ったように、ちょっと上を向き加減に“ふふん”という仕草。
「今後とも主人をよろしくお願いしますね。」と、別のテーブルに歩いて行かれました。

同僚の女性:「〇〇さんっ!(私のこと)、演技がヘタッ! 0点!! 奥さん、“カマ”かけてきたんですよっ!」

私:「面目ない・・ (・_・;、とっさのことで機転が利かなかった。」

というわけで、その上司、いつも職場で終業時間が来ると一番早く帰り、土日の出勤なんて全くないわけで・・。

ははぁ~ん。なるほどね。毎日夜はどこかへ行ってたわけね。しかも土日もどこかに行ってるのね。
そういえば、日曜日に私が落語を聞きに東京の寄席に出掛けたら、偶然、〇〇駅で降りて一人歩いてどこかに向かっているところ見かけたなあ、あのときもそういうことだったのね、と思い出しました。

男なんて騙しているつもりで、奥さんにはすべて“お見通し”なんですね。
そしていつ誰が自分を見ているかもわからない・・注意した方がいいですよ、・・ああ、私も含めてね…σ(^_^;)

 

2021/08/21

些細だが気になることのひとつ、妙な“お釣り”のもらい方

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今までいろいろな仕事をしてきましたが、中には田舎の小さなセンターで“ポンコツのレジ”をいじりながら、お金のやり取りがあるような職場もありました。
すでに“オレは”、“私は”やっているという人がいたら、ごめんなさい。先にあやまっておきます。「ごめんなさい!」

タイトルにも書きましたが、時々支払い金額に対し、妙な金額の支払いをする人がいて、「?」となることがありました。

それは、867円の支払金額に対し、1,422円を払い、555円の釣りをもらうのです。

あるいは、2,648円の支払金額に対し、3,003円を払い、355円の釣りをもらう。

わかりづらい人もいるかもしれないから、もうひとつくらい例を

767円の支払金額に対し、1,272円を払い、505円の釣りをもらうのです。

ようするに、500円玉、50円玉、5円玉などを釣りでもらって、自分のお財布の中が“すっきり”するって言いたいんでしょうね。

ネットで調べたら、不自然な金額を受け取ったレジの店員さんが「中途半端な額だな?」と怪訝な顔をするが、「計算が出来ないのか!」などと逆ギレ的にレジの人を“小バカ”にしているようなコメントも多数でした。

お釣りで出て来た額を見て「あっ」となった店員さんを見て、「やったぜ」って思うんだって・・これこそバカみたい。
私が見ていると、別になんでもない“そぶり”をしているけど、財布をもってこっちをのぞき見るように、ちょっと得意げな感じにしている人がほとんどなんだよね。

867円の支払で1,007円とか、1,067円払って釣りをもらうならわかるけど、まだるっこしいことすんなっ!って思いました。
600円の支払で、1,100円払うくらいが、せいぜいなんじゃないですか。

何人もうしろに並んでいるのに、いちいち逆算してらんないんだよ、「簡単だろ」って、あんたは自分の計算だけして悦に入ってるけど、レジの人はあんたの“豆知識”に付き合ってらんないの。並んでるみんなにやられたら、たまんないの。

「レジに金額入れればわかるだろって言うんだろうけど、あんたの計算が間違ってたら(※そういう人もけっこういるんですよ)、また面倒でしょう」

計算だって出来るけど、そもそもあんたの“財布のすっきり”になんで付き合わなきゃなんないの。500円、50円、5円はレジでは貴重な玉なんですよ。どんどん減っていくの。
あんたたちみたいな人のためにさらに大量に用意するのだって大変だし、財布の中に1円玉が入ったら、次の買物で使えばいいじゃないの、そうするとすぐに無くなるよ。

つまり、コンビニやスーパーなどで、棚の奥から品物を取り、“自分だけ”消費期限の長いものを先に取って、ひとりよろこんでいるヤツとあんまり変わらないと思うんですよね。
普通に払ってくれれば、お金は普通に回っていくんだから、妙なことせんといてっ!

以上が私の言い分でした。
やっている知り合いがいたら・・「ごめんチャイ」(*^_^*)

 

2021/08/20

【「学校の耐震補強と大規模改造担当だった時期」のお話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №23】

過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。

もう20年以上前になりますが、阪神淡路大震災後に小中高校の耐震工事を始めることになり、開始初年に担当者として異動することになったときのお話です。
年間15校を工事(本体・電気・機械設備さらに学校まるごと仮設校舎を建てて引っ越しもさせる)、さらに二年後のために15校の補強計画策定、翌年のための15校の実施設計が一年間で行う仕事でした。
それを一人で担当するという・・地獄のような仕事でした。帰りは夜11時に職場を出れば、かなり早い帰宅という感じでした。
おかげで、異動後3か月で20キロ体重が減りました。

その耐震補強工事対象校が築後25年を経過していた場合は大規模改造といって、大幅な改修工事も併せて行っていました。それも私の担当。

はっきり言って“悲嘆にくれた”という状況でしたが、珍しく「自分のやったことが形に残る」という仕事だったので、何か自分らしい痕跡を残してみようと、気力を振り絞ってやったことがあります。

それは、校舎は“ヨウカン”のように横長の建物で、ふつうその真ん中当りに階段があり、各階階段を上がったところにトイレがあり、廊下を挟んでトイレの向かい側の教室は廊下側から光が入らず、暗くなってしまうことに気付いたところから始まりました。

 

 

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そのときの写真が残っていたのですが、その小学校は生徒が減ってきて教室に余剰が出来ていたので、先生と話し合い、思い切って各階トイレ向かいの教室の廊下側の壁を取り払い、明かりを入れ、ちょっと素敵なアーチ状の入り口を設け、とても明るい多目的室に作り替えました。
そして、トイレからも、ガラスブロックなどを用いて光が入ってくるようにしました。
一枚目がその多目的室から廊下を挟んだ明るいトイレ側を見た写真です。
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二枚目はその多目的室の様子。カーペットを敷き、寝転がれるようにしたり、生徒が周囲の造り付けの木製椅子に並んで座り、何か発表を聞けるようにしたりもしてみました。
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三枚目は同じ多目的室ですが、これは床をコルクにして、遊び回ったりできるような部屋にしてみました。
他にも木製の床の部屋も造りました。
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次の写真は同じくトイレなのですが、これは校舎の一番端にトイレがあったケースです。こちらもトイレ前を大きく改修して明かりが入るようにし、トイレ前には木製の椅子状のものを造り、腰掛けたり、バッグを置いたりできるようにして、さらにトイレの壁をガラスブロックにしてトイレ内に明かりが入るようにしました。
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こちらが上記トイレ内(女子トイレなのでちょっと淡くて可愛い色調)です。明るいでしょう。
鏡も普通のものでなく、ホテルなどで使う仕様ものにして、さらに間接照明、生徒にも使うときのちょっとしたうれしさを感じるようにしてみました。
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これは中学校で、トイレ入り口部を家の形のような意匠にして、さらに生徒に描いてもらった絵を焼物にして、入り口上部にはめ込み、工事の思い出にしてもらいました。
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これは、その中学校のトイレ(男子)の内部から入り口を見た写真で、ブルーで明るく、奥にあるスリットは、昇降口側から内部の様子がすこしわかるようにしてあります。トイレ内で暴力沙汰があった話を先生から聞いたので、内部を明るく、そして外からなんとなく様子がわかるようにしてみたのです。
内部にはスポーツバッグなども置けるような椅子状のものも造りました。
身だしなみをたしかめる大きな姿見の鏡も設置してみました。
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最後のこの写真は、生徒減少により昇降口の広さや下駄箱も不要なものが出ていたので、補強壁を設けると共に、生徒が身支度できるような大きな椅子状のものを造りました。
これも生徒には好評でした。
ここでいろいろ話をしている生徒もいました。

担当時、進捗状況を確認に学校に伺うと、教頭先生が「ここはこんなふうに出来上がりましたよ。すごいでしょう!!」と大喜び、笑顔ではねるように私の手を引き、説明してくれたのですが、私が担当なので、もう知っているのですが、「〇〇さん、見てください、ここ、素敵でしょう」なんて言われながら各階を一緒に回っていると、私は涙がぼろぼろ、ぼろぼろ床に落ちるほど泣いてしまいました。

こんなに喜んでもらっているんだ。がんばって、ほんとうに良かったと思ったのです。
見ると、トイレ内の床は、ホテルのもののようにドライで造ったので、生徒達は床にひざをついて、雑巾がけして掃除しているのです。

「きれいだから、みんなああやって掃除しているんですよ」と、教頭先生に言われて、また泣き出してしまいました。

仕事は死ぬほどつらかったけど、人生の中ではいい想い出になりました。
私と工事前に学校で困っていることなど、真剣に話していただいた先生方に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
素敵な先生との出会いが、この工事内容になったのだと思います。
そして、生徒達も私とすれちがうたびに、「こんにちは!」とみなさん挨拶してくれました。
いい先生のいる学校には、素敵な生徒がたくさんいました。

 

ドナルド・キーン先生の「私の大事な場所」を読みました。

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『私の大事な場所/ドナルド・キーン著(中公文庫)』を読みました。
著者のドナルド・キーン先生は、日本人よりも日本文学を知っていた人、あるいは日本の文学や文化、風景、風習も愛していた人ではないかと思います。

この本は、数々のキーン先生の原稿や、講演録から選択された文が集められ、読んでいて、ほんとうにホッとするような内容でした。

また、後に文部大臣になった永井道雄氏や、中央公論社の嶋中鵬二氏、吉田健一氏らとの出会いもキーン先生の日本での活動や生活、自己の日本語による本の出版に多大な影響を与えていたこともわかりましたし、彼らとの深い友情は読んでいるこちらにも伝わってくるものがありました。

芭蕉の歩いた「奥の細道」をたずね歩いた文も、「芭蕉がかつて見た光景と同じものを自分が見ている」感動が伝わってきて、日本人でもこれほどの気持ちになれるのか、などとも思いました。

ご本人は、専門家にしか興味のない論文を書いて満足しているような学者ではなく、世界の一地域である日本の文化を世界の別の地域へとつなぐ“かけ橋”的な存在へと徐々に変って行く様子を自分でも感じておられたようで、いつしかそのことに対しても喜びを感じていたようです。

この本を読んで、ニューヨーク生まれのキーンさんに、日本人の私が“日本文化”の良さを教えてもらうこととなりました。

キーン先生が書かれる日本語による文は、とてもわかりやすく、美しく、読みやすいものでした。
それについても見習いたいと思いました。

とても良い本で、何度でも読み返せる内容を持ったものでした。

 

2021/08/19

【「新規開設の職場で起こった怪奇現象」のお話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №22】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
今回は、趣を異にして、私が20代の頃の職場の話です。

当時、私は土木部にいて、新しく開設された事務所に人事異動で行くことになりました。
道路、下水の維持・補修、工事の許認可などが主な業務でした。
事務職、技術職、運転員、作業員を含めて当時は三十数人の職場でした。

4月1日のまさに開設したその日に最初に鳴った電話。
出てみると事務所の割と近所の人で、県道と市道が交差する大きな十字路の角に住んでいる方でした。

「自分の家の敷地の角に、古い《道標》だと思われる石の頭が飛び出している。今は役目もないだろうから撤去してほしい。」

とのことでした。

所長が「ウチの事務所最初の仕事にするか。行ってくれ。」

ということで、作業員が出掛けたのですが、道標には何か文字が刻まれているが判読出来ず、とりあえず堀りだそうとすると、外部に出ている頭の部分は30センチくらいだったのに、掘っていくと、その下は球体になっていて、直径2メートルくらいになっている( ̄O ̄;)

こりゃあかん、となり、クレーン車等も出動して、結局掘り出し、事務所に運ばれて来ました。
所長は、事務所玄関脇の植え込みのあるところにそれを設置するように命じました。
で、その写真を撮り、「ウチの事務所一番最初の仕事」ということで、所長の席の後ろ、頭上の壁に額に入れてその写真を飾りました。

まあ、そんなこともあるかという話ですが。

それから、夜、残業していると誰か人の気配が誰もいない給湯室や、宿直室などでする・・ということを残業した者が言いだしはじめ、私も経験しました。
いつの間にか残業する時は怖いので、皆、必ず二人以上でするようになりました。

偶然なのか、そうでないのか、三十数人の職場でしたが、その後、技術職の係長が事故死、作業員が病死、女性事務職員も病気になり入院、その後亡くなり、さらに作業員一名が失踪・・。

さらに決定的な出来事。
上司と事務室で残業していた私が、ある夜、気づくといきなり建物外の大きなヤードの端にある焼却炉の前に立っていました。
事務仕事をしていたところまでしか記憶にありません。

事務所の裏口を開けて上司が走ってきて「〇〇君、いきなりスウッと席を立ったかと思ったらいなくなったので心配して探していたんだ。どうした?!」
と聞かれ・・・( ̄O ̄;)「私、ここまでの記憶がないんです。」

上司は、「逃げようっ!」と叫び、二人であわてて荷物をまとめ(私は半分腰が抜けていた)、クルマに飛び乗り帰宅しました。

あの道標が関係あるのか、ないのか。事務所職員全員で所長に「お祓いしましょう」とお願いしましたが、自分がやったことが原因だ、みたいな話になってしまったので、所長は困り「各自が神社やお寺でお祓いしたらどうか」ということになりました。

で、皆、各自でお祓いに。
所長の頭上うしろにあった写真額は、たぶん所長が外したのでしょう、いつの間にか無くなっていました。

私は二年で異動になり、そこを去りましたが、その後もいろいろあったようです。
誰も詳しくは語らないのですが・・。

 

2021/08/18

【「車より速く走って先回りしろ」という命令のお話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №21】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
これまた東京勤務時のお話です。

地元から我が社のボスがやって来て、国会で政権政党へ要望をして、その後二つの省庁をさらに回るという話が来ました。

三箇所それぞれに地元から別部署の職員が帯同することになっていて、その職員達は三箇所別々に現地集合となっている。
三箇所にウチの事務所から人が行ってボスと職員の入館手続きをして、車寄せで待ち受け、国会内、省内の案内をして、要望先の方のところへお連れする。
要望が終わったらボスを車に乗せて、次の場所に送り出す。

こんな仕事です。

事前に三箇所の要望先には一週間前に行って、下話をしておくのは私がやりました。
で、当日の三日前くらいに上司B(副〇長)から言われたのは

上司B:「あんた三箇所とも“勝手知ったる”場所だろうから一人でやって!」

私:「勝手はわかっていますけど、一箇所目でボスを運転手さんにお願いして送り出して次の〇〇省での入管手続きと、案内はどうするんですか。ボスの車よりも早く私が次の訪問先に到着なんて出来ませんよ。」

上司B:「途中、信号があるだろう。全速力で走って車を追い越せ。」( ̄O ̄;)

私:「空でも飛ばなきゃ無理ですよ。物理的にどうやっても間に合わない。しかもそれを三箇所って・・死んじゃいますよ。」

上司B:「使えない人だなぁ。ほかの人の手を借りるっていうの?!」

私:(心の中 → あんたも皆んなも同じ仕事やってんだよ、当たり前でしょ。これがウチの仕事じゃないの! 国会にも省庁にもまるで出て行って活動していないから中がどうなっているかもわからないんだろうな・・。手を貸してくれと言われても実際は困ってしまうんでしょう。)

「職員は6人いて、男性だって4人いるんだから三箇所それぞれに一人張り付けば一番スムースにいくと思いますよ。それが自然です。私はもともと〇〇省担当だからそこに張り付きます。あとの二人はそちらで決めてください。」

上司B:「困った人だね。(※私から → あんただよ)じゃ、そうしようか。仕方ない。」

となったんですけど。

 

 

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当日になり、私は自分の担当する三箇所目の〇〇省に向かって歩いていると、携帯に電話が。

私の部下A:「あのぅ・・・・・・・。」

私:「あれっ、まだ部屋にいたの。あなたの受け持ち場所は一箇所目でしょう。急がないと間に合わないよ。」

私の部下A:「もうしわけありません・・行けません。〇〇さん(私のこと)、あなたが一箇所目と三箇所目をやってください。」

私:「行けないって、どういうこと?!何か別件が入ったの?」

私の部下A:「そうでなくて、・・・行くなって・・その・・言われて・・。」
※電話から後ろでしゃべっている女性職員の声が聞こえる・・「Bさんが行くなって言い出したって伝えた方がいいですよ、ほんとうのことを言った方が〇〇さん(私のこと)にわかりやすい。」

ああ、そうなのか、上司Bは結局二箇所目に行くことになってしまい、〇〇省の中など入ったこともなく、前日に私がすべて案内し、“ぶら下がり取材”時の場所なども教えたけど、自分も出動することになった“腹いせ”に、せめて私に二箇所回らせてしまおうっていうのか・・せこい、せこ過ぎる・・。

で、私は急遽行き先を国会に変更、こちら一箇所目は何の準備もしていなかったので、大急ぎで受付けに行き、入館手続きをしました。
震災後で、国会内は真っ暗な廊下や控え室があり、省庁でも場所によっては必要かもと、懐中電灯を念のため用意していたのが功を奏しました。
ボスが控え室で資料を確認しながら担当部署の職員と打ち合わせしたときには大いに役立ちました。
そしてそこを終えたら、三箇所目に走って向かい、なんとか仕事を終えることが出来ました。

事務室に帰ってからも、突然私に「一箇所目も行けと言った話」は上司Bもしないし、私の部下Aもしませんでした。
「急用が出来たんで悪かったね」などの“小芝居”があるのかと思ったら、まったくありませんでした。
この頃からいやな予感がしていたのが後々に当たってしまい、前にも書いたようなことになったのでした。

自分がふだんからやるべきことをやっておかないから、いざという時に困って、属人的に一人に頼らなければならなくなってしまうのに、結局つまらぬ“意地悪”をするなんて、困った人でした。

このとき、もっとこの人の認識をあらためておけば良かったと思いました。

 

2021/08/17

「大衆食堂に行こう・東海林さだお」を読みました。

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『大衆食堂に行こう/東海林さだお著(だいわ文庫)』を読みました。
これは著者、東海林さんの「ショージ君のにっぽん拝見」「男の分別学」「そうだ、ローカル線、ソースカツ丼」に連載されたエッセイや対談を再編集したアンソロジーとなっているそうです。

いつも東海林さんの本を読むと、「どうでもいいことに“こだわり過ぎ”」と途中から思ってしまい、だんだんイヤになってくることがあったのですが、今回は再編集されたものだからか、飽きずに読み切りました(^_^)

今回は、大衆食堂でのお話がメインなのですが、これによく似たものとして「定食食堂」と「駅前食堂」があると、冒頭に書かれていて、今まで自分はあまり区別していなかったなあ、と思いました。

大衆食堂では、定食のほかカツ丼やカレーライス、スパゲティもある、と懐が広いところを見せていて、私もその「なんでもあるぞ」的なところがいいなと思います。

駅前食堂は、もちろん駅前にあるわけですが、ここは急ぎ電車に乗ったりするのでパパッと食べられるというのと、子ども連れだったりすることもあるので、割とポピュラーなメニューが多いということもあげられると思います。

午後の一時過ぎに出掛けて、昼の一番忙しい時間帯を外して、すこしまったりした店内の様子を実況するところは東海林さんの“真骨頂”です。
おやじの“やる気”があるのか様子を探ったり、“いいかげん”に作ったりしないかスポーツ新聞を見るふりをして観察したり、店主の奥さんであろう“おばちゃん”の動きをつぶさに見たり(^_^;)・・まあ、よく見ていますよ、東海林さん。

定食としてあるべきメニューや、提供されたときの“たたずまい”にもこだわるのが東海林さん。
楽しく読ませてもらいました。

定食評論家を名乗る「今柊二(こん・とうじ)」さんとの対談も面白く、その中で東海林さんにはいまだ未知の世界、京都の定食屋の話題が出てくると、そのあと、すかさず京都に出掛けています。
定食を食べるためだけに、わざわざ京都に行くというのもすごい話ですが、実は私も YouTube で京都限定で食べ物屋さんを巡るものを見ていたときに、定食屋の素晴らしさをうっすら感じていました。

今回の京都旅では、まだまだ奥深いところまでは突き詰められていませんでしたが、今後の東海林さんの動向に注目しつつ、私もいろいろ調べてみようと思いました。

現在は、コロナ過で、なかなか私自身も探求できない大衆食堂、定食屋の世界ですが、身近なものでもあり、騒動が収まったら、あちこち行ってみたいと思います。

 

2021/08/16

「絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ 文豪の名言対決」を読みました。

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『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ 文豪の名言対決/頭木弘樹 編・訳(草思社文庫)』という本を読みました。

時代は違えど、対照的な二人の文豪の名言をテーマごとに“ぶっつける”というもので、あまりにも“裏・表”、“陰と陽”“明と暗”にはっきり別れた二人の言葉にあらためて驚く、というような内容でした。

たとえば、ゲーテは「仕事をしないのはよくない」といい、

仕事の重圧はいいもので、それから解放されたさきに心が一段と自由になって人生が楽しくなると言っています。
そして、仕事もせずに、ただ快適に過している人は“みじめ”で、天の恵みも不快に感じてしまうだろうとも言っています。

対してカフカは「仕事を辞められたら最高」と言い(^_^;)

仕事をほとんど片づけて整理し、もし永遠に戻らなくていいんだったら、たっぷり働いたあとでも喜んで屋根裏から地下室までのすべての階段をきれいに拭き掃除してもいい!
感謝の気持ちを込めて別れを告げるんだ!・・と、はりきっています。辞められるんだったら何でもやるぞっ・・みたいな(^^;)

しかし、『病気』というキーワードになると、ちょっと様子が変わってきます。

ゲーテは「病気になって落胆」と言っていて、

故郷の町が近づくにつれ、かつて意気揚々と希望を抱いて家を出たことが思い出され、いよいよ心が重くなる。と言っています。
私は、難破して帰って来た、そう考えると意気消沈した、とも言っています。・・意外。

で、カフカは「病気になって安堵」と言っています(^_^)

生涯最良の時は、喀血の後、療養のために田舎で過したあの頃だ、と。
いっさいから逃れられ、自由、手紙も来ない、病気に守られていた。・・病気になると、急に“プラス思考”です(*^_^*)

究極のプラス思考のゲーテが、逆に病気に対してはなんだか急に意気地が無く、マイナス思考の王者とも言えるカフカが病気に光明を見いだすのがおかしかったのでした(#^.^#)

二人の対照的な面白い言葉がたくさん載っているこの本、パラパラやって見ていると実に面白い本だと思いました。

 

【南先生の玉手箱_0039_五十二年間を振り返ったあとのまとめ 】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
このところずっと、平成10年の「家庭教育学級・資料 -家庭における進路指導のありかた-(私自身をふりかえって)」という冊子から抜き出して作業をしてまいりましたが、今回はその冊子の裏表紙に書かれていた「まとめ文」のような文章を活字化いたしました。


以下、先生の文章です。

好きです、長南。
自然環境に恵まれている地域に育つ子どもたちも幸せだと思います。

長南町には、暮しの原点がたくさん残っています。
いつまでも大切にしてほしいと思います。
今、人としてあたりまえであったことが大変な世の中になったように感じることが多いです。

自然環境に限らず、生活環境、社会構造など広範囲に、今、大人側の責任を感じるこの頃です。
今年は52歳、我々団塊の世代の責任も大きいと思っています。
子育ては自分の育った時のことなど、時に自分自身の昔を素直に思い出して、今も昔も変わらない子どもの良さを大切に、良き親、望ましい姿の教師になれるようにとりくみたいと思います。

年と共に子どもに教えられることの多いこの頃です。
今回は、私の自己紹介のつもりでこの資料をつくってみました。

昭和22年3月11日生まれ、ひとりの男の生き方と言うか、考え方や性格など参考にはならないと思いますが、52年間生きて現在までの何かが伝わるかと思って、自分の育ちかたなど人生ちょっとふりかえって書いてみました。


以上が先生の文でした。

やはり五十代はじめの頃って、いったん自分の生きてきた道を振り返るような時なのかもしれない、と思いました。
仕事で言えば、最後の仕上げに突入する頃だし、家族の事もとても大事な時期にあたる頃ではないかと思います。

今回の冊子は、南先生から既にいただいていた資料やメモに追加して割と最近いただいたものでした。
先生の子どもの頃から50代に至るまでの様子を知ることができて、生徒としても色々考えながら書かせてもらいました。

 

2021/08/15

池井戸潤さんの「銀行仕置人」を読みました。

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『銀行仕置人/池井戸潤著(双葉文庫)』を読みました。
もともとは2005年に単行本が出て、2008年に文庫化となったものです。またもやブックオフにて安価購入。

ストーリーの構成は、もう間違いなく“半沢直樹”スタイルです。
銀行でエリートコースにいた主人公が、五百億円の巨額融資焦げ付きの責任を押し付けられ、人事部付という“出向待ち”みたいな状況に追いやられるところから物語は始まります。

主人公は自分を罠にはめた一派について調べ始めるのですが・・(完全に半沢直樹的)・・、その陰謀はあまりに奥が深く、引きずり出せば出すほどに不気味で狡猾な様子がうかがわれます。
あまり主人公に感情移入してしまうと、身体の具合が悪くなりそうです(^_^;)

でも、捨てる神あれば、拾う神あり!
わずかですが、主人公に肩入れしてくれる人もいて、最後までハラハラしながら読みました。作者の“思うつぼ”です…σ(^_^;)

ラストの方では、悪い方の上にいる人達にとっては都合の悪いヤツらが始末されていくことになり、単に企業内の復讐劇にとどまらず、怖い感じになってきました。

あっという間に読んじゃいました。
こりゃおもしろいわ!d( ̄  ̄)

 

2021/08/14

「人はなぜ不倫をするのか/亀山早苗」を読みました。

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『人はなぜ不倫をするのか/亀山早苗著(SB新書)』という本を読みました。
これは、フリーライターの著者、亀山早苗さんが、タイトルにある《不倫》について、行動遺伝学、動物行動学、昆虫学、ジェンダー研究、宗教学、性科学、心理学、脳研究のそれぞれ学者にインタビューしながら考えていくものでした。

この本の帯にも書かれているのですが、驚くべきというか、興味深いのは、どの学者も「不倫」を否定している人はひとりもいないのです。

動物学的にも、昆虫学的にもそれはなんとなくわかりそうですが、宗教学者もそう言っていて、そもそも現在ヨーロッパや、アメリカでも宗教から離脱する人の数がかなりの数にのぼっているようです。

宗教的な、戒律的な縛りからは人々はどんどん解放されているというのが現状みたいです。

じゃ、日本人はどうなのかっていうと、それこそ江戸時代まではむしろ性は解放されていて、お祭りの夜は誰といろんな関係(^^;)になってもよいだとか、夜這いの習慣もあちこちであったり、もっと昔は貴族だって、かなり男女とも自由で奔放な関係性が当たり前に存在していたようです。

それが、現在、実態はどういうことになっているかとは別に、芸能人が不倫報道されたときのバッシングはただ事ではありません。
そんなに叩いてどうするの、と思いますが、この本でもそれが取り上げられていた部分がありました。
学者の意見は・・「うらやましいんじゃないですか?!」(^_^;)ということでした。

そうかもしれないです。
だって、よその夫婦のことじゃないですか。
本人やその周囲の家族などが大騒ぎするならわかるけど、部外者がなぜそんなに怒っているのか、私には不明です。ほんとうは“うらやましい”んじゃないかというのは正解かもしれないです。
怒りまくっている部外者の一般の人、自分の夫婦仲はどうなっているのか、人もうらやむいい夫婦なんでしょうかね(^_^)

とにかくいろいろな学者がその立場から意見を述べているのですが、結局のところ、男は自分の子孫をどんどんつくりたいから、あちこちに手を出したい、女は、少しでもいい遺伝子を残したいから妥協で結婚した男…σ(^_^;)のほかに、別の“いい遺伝子”を残したい、また究極的には、人という種を残していきたいから繁殖はもっとも大事ということで、それらを総合的に考えれば「不倫」という人間が後付けで考え出した規律のようなものなど、ほとんど意味をなさない・・とうことなのです。
元も子もない話ですけど(^_^;)

「おひとりさまの最期」の著書などで有名なジェンダー研究の上野千鶴子さんも登場しますが、あの人らしい強烈なひと言も載っていました。

『人はなぜ不倫をしないのかのほうが不思議です。その前段階として、人はなぜ結婚という守れない約束をするのか、がもっと不思議』

・・これに尽きると思いますd( ̄  ̄)

 

【「東京でも揺れた大震災当日」のお話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №20】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
今回は、2011年3月11日のあの日、東京勤務時の話です。

14時46分、私たちは執務室にいました。
ぐらぐらっと来たかと思ったら、どんどん激しい揺れになり、大きなガラスが入った窓枠がグギグギ、ガガガガッと、ものすごい金属音を発し、棚にあったファイル、書籍が吹っ飛び、床に投げ出され、エレベーターホールからはエレベーターが壁にぶつかり、ガコン・ガコンとものすごい音が聞こえてきました。

女性職員は机の下に入り悲鳴をあげました。
私が窓の外を見ると、高層ビルがまるでコンニャクのようにクネクネと揺れていました・・。
お台場方面を見ると、あれっ!火の手が上がっている・・。
ホテル上階にあるウチの事務所ですが、下を見ると、ホテル庭の池の水がザブンザブンと外に飛び出していました。それに、人々が外に出て路上にあふれ、歩道上には収まりきれなくなって車道まで拡がっていました。

私は防災用ラジオのスイッチを入れ、情報を得ようとしました。
エレベーターは止っていたのですが、所属長の上司Aの指示で(その下の上司Bは年休を取っていなかった。いなくてよかった、二人とも事務所にいたら、その場は滅茶苦茶になっていたと思う)、階段で9階の事務所フロアから1階のロビーへ全員で降りました。

1階では、道行く人たちをホテル側が呼び込み、椅子をすすめ、水を出し、大型モニターを用意して、テレビの情報を見られるようにしていました。でも、私たちにはやらねばならないことがあるので、十数分くらい居て、また9階の事務室に戻りました。

事務室に入り、私が大きな余震が何度も起こる中、逃げ道確保のため、二箇所あるドアを開けてストッパーを噛ましたら、

上司A:「みっともない。オロオロするな、ドアはきちんと閉めろ。普通にしていろ。」

・・部屋から出られなくなったらどうするんだと思いながら閉めました。
普通じゃないよ今の状況、ふつうにしていられるかっていうの。
でも上司命令ですから仕方ありません。

たぶん、こういうときにどうしたらいいのか、何を命令したらいいのか、動転してわからなくなり、ふつうにしていることくらいしか考えられないのでしょう。子供のような人だから。

 

 

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電車はすでに止まり、外の路上は人であふれています。

女性職員:「東京の各省で働いているウチの市の職員・安否確認をしましょう。」

の声に、皆で各省にいる職員に電話し、安否確認。また、今夜は各省の職場に泊まるのか、泊まれなければウチの事務所に来て泊まるのかも確認しました。
声をあげてくれた女性職員は、いざという時のために用意していた外を歩くときのためのスニーカーや、夜の寒さをしのぐアルミ箔のような材質の体に巻くものなどをロッカーから出し、皆から「おおっ」と声があがりました。防災意識の高さに驚きました。

当時、話題になりましたが、皆東京に住んでいる人たちは何とかして遠くても自宅まで歩いて帰宅しようとしていました。
なので、他市の事務所も同じフロアに入っているのですが、男性職員は何キロでも歩いて帰るのだと帰路についてしまい、残されたのは危険を感じて事務室に残った他市の女性職員でした。

女性一人事務室にいるのはあぶないと、他市の残ってしまった女性職員を呼び込み、ウチの事務所各部屋にソファを並べて泊まれるようにしたり、会議室には段ボールを敷き詰め、男性はそこに雑魚寝するようにし、女性陣は“ボス用の部屋(ボスが上京したときの広いきれいな部屋)”で過すようにしたのです。
そして、このビルはホテルなので、ホテル側に電話して毛布を貸して貰えるようにしました。

この間、上司Aからは何の指示もなし。すべて私たち職員の考えでした。

さらに、電車復旧の見通しがないため、夕食と翌日の朝食、昼食まで準備しようと、階段を使い9階まで二往復してコンビニで飲料と共に調達(でも、この時点で弁当やおにぎり、サンドイッチなどは棚から無くなっていました。なのでカップ麺やインスタント味噌汁、スープ、パスタなどを購入)。
さらに事務室内にあった非常食なども集め、備えました。

この間も上司Aは何の指示もしない。

他市の女性職員から

「ひとつ問題があります。それは・・〇〇さん(私のこと)に私のすっぴんが見られてしまうということです。」と(^^;)。
爆笑のあと、私はそのときはコンタクトレンズを外します。外すとほとんど何も見えません、ということでなんとか落着。

皆で智恵を出し、ああしよう、こうしようと話し合いをしていたら、

上司A:挙動不審な感じで、目は泳いで「時間になったから、このへんで私は帰るよ。」

全員:・・・・・・・・(・_・;

私:(心の中 → 何言ってんの!私たち職員、しかも他市の女性職員もウチの事務所で面倒みようとしているのに、それを見捨ててどこに行くんだ!それに地震発生からほとんどあんた何も指示を出していないじゃないか、ドア閉めてふつうにしていろって何だったんだよっ!)

私:「電車は動いていないし、千葉には帰れませんよ。どこに行くんですか?」

上司A:「カプセルホテルか何かを探して泊まろうと思う。」(私の心の中 → 歩ける範囲にそんなところ無いよ、日比谷公園では帰宅難民用焚きだし始めたってニュースが今流れてるよ)

前々から、あやしいと思っていたが、ほんとうはどこか“しけ込む”あてがあるんでしょう、“武士の情け”でだいたいどういうところかわかっているけど、書かずにおくけど。

で、私達に目も合わせず逃げるように部屋を出て行ってしまいました。
このあと、土日がどういうことになるのかもわからないのに、部下を見捨てて出て行ったのです。
このときばかりは、ほんとうにあきれました。人の上に立つ者がする行為ではないと、怒りと共に感じたのでした。

結局、皆で携帯の余震を知らせる“ギュッギュッ”という警告音をひと晩中聞きながら不安な夜を過しました。
翌日午後に少しずつ電車は動き始め、午後に解散したのですが、動いているとは言え、たいへんな混雑状況と遅滞で、私が自宅に着いたのはその7時間後でした。

疲れました・・。
そう言えば、上司Aから「みんなどうなった?」などの心配してくれるような電話などは一切ありませんでした。どういう人なんだ!

 

2021/08/13

「水木しげるの不思議旅行」を読みました。

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『水木しげるの不思議旅行/水木しげる著(中公文庫)』を読みました。
これもブックオフで発見したものです。

水木しげるさんといえば、「妖怪」ですが、この本は、水木さんの子どもの頃からその後漫画家となり出逢った人や出来事について、「これは妖怪の“しわざ”じゃないか」というものを取り上げたものになっています。

「たたりもっけ」という妖怪は、古い空き家に何者かがいるという気配がする・・その正体のようです。
たたりもっけがいると、その空き家に住むことになった人、家族は、事件、病気、離婚、不幸に巻き込まれるということで、水木さんが子供の頃に実際そういう家があって、ここで紹介された事例は次から次へと枚挙に暇がなく、怖ろしい限りでした。

また、漫画家になってからの水木さんのところに、あの“つげ義春”さんがアシスタントとして入ってくる話も書かれていました。
つげさん、「首のうえに頭がくっついているから、とても重たい」と水木さんに言い、苦しくて仕事ができないと主張する話が書かれていました。
動くことがイヤなつげさんは、サマーベッドを買ってきて、一日中まったく動かず、化石化し、あまりに動かないので、外からやってきた鳥がとまり、やがて巣をつくり始めたという・・怪人伝説も紹介されていました (・_・;

ほかに昔からの言い伝えの中に、これは宇宙人だったのでは?という昔話も書かれていましたが、妖怪っていうのは、ひょっとして宇宙人だったのかもしれない、それを昔の人は妖怪としてとらえていたのではないかという説もあげられていました。
それも言えるかもしれないですよね。

あと、死んだ人が蝶や、その他虫などになってやってきた水木さん自身の経験談も書かれていましたが、私もなぜか子供の頃に、お盆になると、玄関の表札のところに何年にも渡って見たこともないような色彩の蛾がとまっていたことがあって、子供心に「あれはだれかウチのご先祖さまじゃないのか」などと思っていたことを思い出しました。

あとは石仏など、昔道ばたに存在して苔むしていたものなどには、奇妙な力がやどっていたのではないか、という話も。
以前、土木関係の部署にいたときに、現場で掘り出した古い道標のような彫り物のある石を事務所の庭に設置したら、事務所内が奇怪な現象で大変なことになったことがありました。
そういう古い「石」で出来たものって、ぜったいに何かがやどっているというのは、私もそういう実感があります。

というわけで、文中のいくつかのエピソードについて書きましたが、まだまだ水木先生がもつ奇々怪々な話題は多く、この本は水木先生の絵も添えられているので、読み応えがあります。
何度も読んでみたくなる本でした。

 

2021/08/12

【「所属長意見欄」のお話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №19】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
今回は、職員が「人間ドック」受診の際に所属長に書いてもらう「職務専念義務免除申請・所属長意見欄」について、東京勤務時のお話と、私が地元に帰ってから、今度は自分が所属長として意見欄を書いたときの話です。

私が東京勤務時、人間ドック受診について所属長含め、職場全員と調整をとり、日取りを決め、もちろんその日の仕事に支障はないようにして、いざ受診前に職務免除申請(受診時間は職務を免除してもらうもの)を出そうとしたときの話です。

例の所属長、上司Aに、職員服務規程にある書式中の「所属長意見欄」への記入をお願いしました。

上司A:「これは何?」「私に何を書けっていうの」「いやだよ」

私:「お願いしていた人間ドック受診に伴う申請です。書式中に所属長意見の欄がありますので記入をお願いしたいのですが。」

上司A:「なんで私があなたのために、手を動かさなければならないの。冗談じゃないよ。」

私:「これは所定の書式なので、この欄には所属長の記入がないと・・。」

上司A:「ふざけるな、私の手を動かそうとする根拠を示せ!」

私:(心の中 → 根拠って・・〇〇市職員服務規程と、それに伴う様式2号の提出に際する所属長意見だよ、初めてだよ、これを拒否した所属長)
「わかりました。たいへんな作業を無理強いしたようです。けっこうです。休暇をいただいて受診してきます。」

・・ということになりましたが、こんなこと初めての経験でした。受診に問題があるなら、意見欄に「人間ドック受診など許せない、まかりならん」って書けばいいだろう、と思いました。
通常は、『支障なし』などと今までの所属長は書いてくれていました。

これは、パワハラ以上のもので、職員の健康管理に問題を起こす犯罪に近いハラスメント行為だと思います。私も当時、そうとう“弱って”いたのでしょう、もう反論する気にもなりませんでした。
まったくもってひどい話です。

やがて、私が地元に帰り、今度は自分が所属長になったときに、部下の女性から人間ドックの職務免除申請を差し出される機会がやってきました。

女性職員A:「所長、ここの所属長意見欄に記入お願いします。」

私:「はい、じゃ書きますね。」
  すぐに書き、手渡し。

女性職員A:満面の笑みで「所長さん、私初めてです。こういうふうに書いてもらったの。」「ねえねえ、みんな見てぇ~♪」

【所属長意見欄:文面】《業務に支障はありません。よく診てもらってください。》

たった一行でこんなに笑顔をもらって、気持ちよく検診に行ってもらえる。まさに東京での経験が反面教師となりました。

その次の職場でも所属長としてその書類に記入する機会が当然あったのですが、また同様のことを書きました。
そしたら・・

女性職員B:「なんだかうれしい。ありがとうございます。」と、また笑顔を見せてもらいました。

東京では、いい経験というか、あのときの上司とまったく逆のことをすれば職場は生き生きとし、職員も元気になるのです。
つくづくあの人達は気の毒な人達だったと再確認したのでした。

 

2021/08/11

【南先生の玉手箱_0038_自分が自分らしく生きているか考えてみよう 】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
平成10年の「家庭教育学級・資料 -家庭における進路指導のありかた-(私自身をふりかえって)」という冊子から抜き出しました。
今回は新聞記事から感じたことを先生が書いています。


以下、先生の文章です。

或新聞、いつも目出しも読まずに、ほとんど積んでおいて、そのうちゴミになってしまう。
もったいない話しだが、おつきあいでとっているもので、他の雑誌や新聞と同じように、いつもたくさんの情報がつまっていても目にすることが少ない。

そのようにして身のまわりには、知らないうちにたくさんの情報が流れています。
情報がたくさん飛びかう中でゴミのような中からも大切な光るものを感じた時など、自分なりにその問題を考えてみたいものです。

日頃は目に見えないベルトコンベヤーの上に居ることを時に意識しながら、自分の足どりや子供の本音が見えるようにしたいと思います。
毎日学校で子どもたちとかかわっていると、一番大切なことは私たち大人側に感性の幅があるかどうかだと思います。

学校教育の基本は、望ましい個や集団の育成です。
家庭教育の柱も同じだと思います。その望ましい形とは抽象的で分かりにくく、教育の内容的なところは、いろんな分野に分かれて子どもと日々かかわって動いているものです。
子どもたちは学校生活でそのいろんなものとかかわって常に自分探しをしているのだと思います。
私たち大人が特に気をつけなければいけないことは、自分の側だけから見た一方的な評価だと思います。

らくがきNo.10 → 実りの秋、命の大切さは自らが生活の中で体感すべきことであります。
そんなことはあたりまえのことなのでしょうが、現代社会の中で自分が自分らしく生きているかどうか、時に立ち止まって考えてみたいものです。

大人も子どもも分っていながら出口がみつからないままに悩んでいることが多いと思います。
21世紀にむけて個の尊重や生きる力を育むなど、各方面から教育方針が発表されています。
そのような中で、教育用語だけがひとり歩きをして、学校の中が本当に個性をみつけて子どもたち一人一人が生き生きとした教育活動が展開されているかどうか、考えると不安材料が多い現状のように思います・・・。

自分の学校はどうしたらいいだろうか、不安の中で一番確かなことは子どもたちの眼だと思います。
今現在、喜々として学校生活にとりくんでいる東小を原点に職員一同とりくんでいるつもりです。
又、学校は良い意味で本気になってとりくんでいくつもりです。
また本音を伝えてください。

文責:南隆一


以上が先生の文でした。

先生が50代の時で、いちばん教育のこと、子どもたちのことを突き詰めて考えていた時代なのかな、と思います。
そして、ここに書かれていたテーマは、時代とともに変化しながら、永遠の問題となっているのだと思います。

 

2021/08/10

【「夏祭り出店主催者の挨拶」でのお話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №18】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
これを書き進めている中で、かつての上司のパワハラ的で虐待的な行為について、あらためて考えることになりましたが、皆さんのコメントや、内緒の連絡があったりして、心の整理もだいぶついてきました。
それに私と同様のハラスメントをあの人達から受けていた人が多数潜在していることもわかってきました。

私の気持ち自体は、少しさっぱりした感じです。
でも、それはそれとして、行われた事実は書き記しておいた方がいいということも確信を得て感じています。
わたしのことなど、虫けらのように思い、扱っていた人達は、もう私のことを忘れ去っているかもしれませんが、私が受けたハラスメントの事実は消えません。

だから、こうして残しておきます。それがなければあの人達は、何も気付かずに今後も日々を過し、また人に対してひどい行いをしていくのでしょう。あの人達が気付かずとも、その行為はずっと残るようにしておきます。

さて、今回は当時、東京で事務所が夏に行うことになっていた「麻布十番納涼祭り」にまつわる話です。

私が東京に行った一年目が祭りに参加した最初の年でした。
すでに福山市さんが参加していたのを見て、当時の副所長が素晴しいと思い、準備してきたものでした。
一年目は、例の二人ではなく、上司二人は別の方々でした。

祭りは連日に渡り、我が市の名産、落花生や、にんじんジュースなどを売り、また、「ちーばくん」を使ったゲームなども店頭で子供達とやって、“立ち上がるレッサーパンダ”「風太」がいる動物公園のチケットを配ったりPRにつとめ、大成功でした。

内部的には観光協会や、老舗店舗の出店、そして“我が社”の他部局からの多数の動員も得て、躍動感さえ感じる盛況ぶりでした。

で、二年目は、またあの上司A、Bの登場です。

夏前から、前任者が築いたこのお祭り参加について、「意味がない」「PRになんかならない」など、前回の盛況ぶりを聞く度に不愉快な表情をし、二人ともまったく気乗りしない様子。・・・というか、もう来年はやらない、と公言し始めました。

私たち職員には、「ウチは予算を取って開催する立場だから、店頭で呼び込みをしたりする必要はない。 みっともない。 うしろで管理者として黙って見ていればいい。」 (・_・;という説明を会議室で始めました。
どうやらこの意見は上司Aの主張しているもので、上司Bは言うことをきいておこうということで、同調。同じ姿勢で行くことにしたようです。

祭りの当日、他部局から夏休みの時期で休日だというのに、炎天下の真昼から夜の閉店まで動員された地元職員が来ていて、設営を終えたあと、私が、祭り開始直前に上司Bにお願いをしました。

私:「きょう集まっていただいた観光協会、老舗のお店の方、他部局の動員職員にひと言お願いします。そして開始の宣言を。」

上司B:「え~、みなさん。暑いのに、こんな仕事をやりに来てほんとうにいやだと思います。時間が来れば終わりになります。長いですけど、時計を見ながら、早く終わる時間になるのを待ちながら過しましょう。では、始めます。」

・・だと。

私:皆が茫然としながら持ち場に散ったあと、

「そんな挨拶がありますかっ!主催している側がイヤな仕事だとか、早く終わるのを待ちましょうなんて、どういうことですかっ!動員された人達だってガッカリですよ。来るんじゃなかったって、思うじゃないですか。」

上司B:「うるさいっ!私だって祭りの仕事なんて初めてなんだよ。どう挨拶していいかわからなかったんだ。ガタガタ言うなっ!」

・・逆ギレです。

ようするに、上司A、B二人で、ふだんから「あんな仕事いやだね。当日は早く終わるのを時計見ながら待つしかないね。」と話していたのでしょう。
それが、あの開始の挨拶で思わず出ちゃった、ということだと思います。

お祭りが始まると、ものすごい数のお客さんが「お店のテント」前を通り過ぎていくのですが、上司の命令では声を掛けてはいけない、とのこと。
そりゃ、誰も寄ってきませんよ。

 

 

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業を煮やした私はじめ職員が前年どおり、元気に「いらっしゃいませ」と始めてしまいました。そしたらやはり大盛況'(*゚▽゚*)'そりゃそうだ。

どんどんお客さんが来て、会話が弾んだりしている様子や、地元から色々な部署の人達、また幹部の人達もどんな様子か見に来てくれたり、同業他市の人達も次々と見に来てくれ、激励してくれると、もう「腕を組んでうしろで見ていろ」という自らの命令も意味をなさなくなり、上司A、B共に、「いらっしゃい、いらっしゃい」とやらざるを得なくなりました(^_^;)・・でも、不満そうだったけど。

で、このお祭りのあとも、いくつかブースを与えられ出展する機会がウチの事務所にはあったのですが、私にはそれを直前まで教えてくれなかったり、メンバーから外したりということが二回ありました。

もうひとつの機会では、現地に行ったけれども、やはり後ろで見ているだけ、という命令が出たものもありました。

ということが続いて、私はこういう企画からは外されていることに気付きました。
そして、次の年にはこういった出展企画はウチの事務所からは無くなってしまいました。

もう、一年目に感じた事務所の雰囲気はその頃には影も形もなく、別の事務所になっていたように思います。

以前、私が地元で、小・中・高校の耐震工事担当で学校を回っていたときに、校長先生一人を見るとその学校がわかるということを発見しました。

その学校の「色」というものは、上に立つ校長先生で、どんな「色」にも変わるのです。

それと同様、所属長ひとりで、その職場の「色」が大きく左右されるのだ、ということがその時によくわかりました。

だから、「長」になる人というものはとても大事なんだと思います。
勉強になりました。

 

2021/08/09

「古代出雲を歩く」を読みました。

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『古代出雲を歩く/平野芳英著(岩波新書)』を読みました。
これもまたブックオフで安価購入。

ふだん、あまりこういう古代のことや、歴史にまつわるようなことが書かれている本は読んでいないのですが、「出雲」が私を引きつけました(*^^*)

12年ほど前に、仕事の関係で、出雲市斐川町にある富士通の工場を訪ねたことがあります。
そのときに、せっかく出雲に来たのだからと、出雲大社ほか、さまざまなところを見に行って、古代の雰囲気というか、息吹のようなものを感じる出雲がとても好きになりました。

 

 

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富士通を訪ねた翌日、日本海の荒波が洗う断崖に立つ立派な白い灯台、世界灯台100選の一つにも選ばれているという「日御碕(ひのみさき)灯台」を見に行こうとして、レンタカーで山道を登り始めたときに、眼下にいきなり夢でも見ているのかと思うような朱塗りが印象的な神社を発見し、「帰りに寄ってみよう」ということになりました。

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それがこの本でも紹介されている「日御碕神社」です。
当時は名前も知らず行ってみたのですが、同一の境内に上宮と下宮が配置される出雲地方には珍しい社殿配置の神社でした。
崖の上から見た光景はまるで別の世界のようにも見えたのでした。

お参りしてきたのですが、全身に感じるただならぬ雰囲気が忘れられず、二ヶ月後にまた家族と出かけることになってしまいました。
まさにパワースポットだと感じたのです。

で、とにかくこの本を読んでいると、今まで知らなかった出雲の様々な謂われのある神社や遺跡が紹介されていて、世の中少し静まってきたら、また行ってみたいと思っているところです。

 

 

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“あごだし”の出雲蕎麦も食べたいし(*^_^*)

また行く前にはよく読み返してみようと思います。

 

2021/08/08

9人の作家による、お酒のある風景の小説・エッセイ「もう一杯、飲む?」を読んだ。

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『もう一杯、飲む?/角田光代・島本理生・燃え殻・朝倉かすみ・ラズウェル細木・越谷オサム・小泉武夫・岸本佐知子・北村薫 著(新潮文庫)』を読みました。

タイトルに書いたように、「お酒のある風景」をテーマに、9人の作家らが小説、エッセイを書いたものです。
作家もいれば、農学博士も、漫画家もいるという布陣です。なので、読んで見ると私の好みの作品もありましたが、そうでないものもありました。

一番“ズキン”と心に来たのは、角田光代さんの「冬の水族館」でした。

付き合いだした男女だったが、男は二週間後に結婚することを黙っていた。
問い詰めると男は本当のことを言って、いったんは別れるが、また数年後男には子供も出来ているのに、また会うことを始める男女。

やがて、それからも何年も経って、もう友達みたいになってしまった男女だが、とりあえず日帰りで温泉に入りに行ったりする。
緊張感もあまりないまま二人が行ってみると、温泉場は工事中で入れなく、たまたまあった水族館に行くことにする。それもやる気なくどうでもいい感じで。
その、なんとも言えない関係の中、二人が飲むビールの味は・・。
これはすごい、大人の物語で、大人でなければ書けない物語でした。

もうひとつ印象に残ったのが、越谷オサムさんの「カナリアたちの反省会」でした。
まさにこの本の仕事で酒のことを書こうとして深夜のファミレスでパソコンに原稿を書こうとしている著者の近くの席にやってきたアマチュアバンドのメンバーが主役になります。
バンドのメンバーは、反省会を始め、ソフトドリンクから話が白熱してきてアルコールに。

メンバーそれぞれが互いに思っていたことを打ちあけ始めると、なんだか私もバンドをやったことがあるけど、「なんでオレたちこんなことやってるんだろう」となってきて、その感じがとてもリアル。

最後は人と人の心の大切なふれ合う瞬間が垣間見えて、素敵なお話になっていました。

私も今度、酒の上でのお話、何か書いてみようかな、なんて変な心持ちになりました。
酒にはいつもドラマがついてきますからねぇ。

 

2021/08/07

【「自分が幹事長の会の妨害を自分でする人」のお話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №17】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
前回、東京最後の三ヶ月をつらい気持ちで過した話を書きましたが、今回は東京最後の最後、3月の後半の話です。

毎年、三月後半には、東京に事務所を持つ各市の職員で地元に帰ることになった人達の送別として「送り出し会」というものが催されていました。

前年は、東日本大震災があり、中止。翌年のその年は開催されることになりました。
私も地元に帰るので、送り出し会の対象者でした。

そして、私は地元に帰ることが決定したので、もう「事務室内で会話してはならない」なんて“無茶苦茶”な強制指示は一切受付けなくなりました。冗談じゃないっ!

その幹事は、各市“持ち回り”になっていて、一昨年の前回はウチの事務所がやっていたのですが、なぜか各市幹部の会議に出た上司二人は、ウチが幹事をやることで話を受けて帰って来ました。

幹事は、開催案内や、収支報告、司会などをする事務部門と、当日の会場(大きな会議室に設営)での準備を担当する部門に分かれていました。
「前回やって、持ち回りなのになぜもう一度やるのか」と聞いてみると「受けちゃったんだから仕方ないだろう」とのこと・・。

事務部門なら前回の書類が残っているので、せめてそちらにできないか、と言ったら、・・こそこそ上司二人が話をしているのが聞こえ「司会やるの、面倒だから換えるのは絶対ダメだよな」と・・(T_T)

結局上司Bに怒鳴られて会場準備をやることに。

で、うちの事務所には、もう一人若い男性がいて東京に残るのに、なぜか私を担当に指名。自分で自分を送る準備です。
職場から会場が遠いこともあり(だからウチは前回事務担当になったのだ)、事前に出掛けて行って会場の設営方法や、飲食の準備(近くの専門店を回り発注)があるので、私の補助としてやってくれることになった女性職員と事前準備に行こうとすると、

上司A:「行く必要はない」

私:「行かなければ当日、会が開けないですよ。困るのは幹事であるウチの事務所です。」

上司A:「どうせ誰も来ない。皆、東京から帰れて“せいせい”するんだから、何の未練も無いんだよ。あなたと違うの皆さんは。」

「ちょっと顔出して終わり。だから食べ物は乾き物少し、飲物は缶ビール10本もあればいい。それだけっ! 何で出掛けて行って準備なんかする必要があるのか。」

私:「人はたくさん来ますよ。それに顔を出してすぐに帰るなんてこともないです。皆、東京での仕事に誇りを持っているし、仲間だと思っているし、友情だって個々に温めてきたんです。準備は絶対に必要です。」

上司A:「じゃあ、言ってやるよ。皆、東京に何の気持ちも残していないし、第一、あんたのこと名残惜しいなんて思っている人は、この東京の各市事務所に一人もいないよ。はっきり言っておく。言わなきゃわからないようだから。」

私:(心の中 → 仮に、ほんとうに仮にだけど、それが本当だとして、それを三年間一生懸命務めてきた部下に言う言葉なのか、この人には人の心が無いのか)

「お言葉ですが、今、あなたの言うことをきいてしまうと当日大変なことになります。なぜきちんと準備しなかったと、当日言われても困りますので、準備はします。今から行きます。」

ということで、中華屋さん、カツ屋さん、オードブルのお店、寿司屋さん、酒屋さん、などを巡り、発注、そして会場の設営をどうするか検討して準備。
※写真は会当日、たくさんあるテーブルのひとつにセットされた一例です。

準備が進み、少しほっとしていると、また驚くべき情報が!
上司AとBが同日同時間帯に、幹部らの別の飲み会をセットしているのが電話から漏れ聞こえる音でわかりました。
ウチが幹事で企画している同日に、そこに来るはずの人を呼んで飲み会??!!
妨害か??!!

私:「ウチが幹事をやっているのに、同じ日に飲み会はないでしょう。」

上司A:「だから送り出し会は誰も来ないし、来ても数分で帰るんだからいいんだよ。」

私:「・・・。」

もうどうにでもなれ、と思いました。幹事長が別の飲み会を同じ日に行う・・、どう考えても変だよ。

 

 

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で、送り出し会当日。

来ましたねぇ(*゚▽゚)ノものすごい人数の人たち。

食べ物もいろいろ持ち寄ってくれて、もう大盛況!!*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

そこここで懐かしい話に花が咲き、名残を惜しむ会話もあちこちで。
私も、皆さんと記念写真をたくさん撮りました。
大笑いしながらたくさんの他市の人たちと三年間の面白かったこと、思い出などを振り返りました。

そういえば、あの二人の上司、何してんだろう? と見回してみると、表情が完全に死んでいる。
部屋の隅にいて誰も声を掛けない。何をしていいのかわからず、立ちすくんでいる。
茫然としたり、困ったような顔をしたり、目があちらこちら泳いでいたり。
自分で掘った墓穴に入ったのだ、仕方ないよねぇ。
そして、・・私とは絶対に目を合わせませんでした。

あれれ、“すぐに帰っちゃう”なんて人、いませんでしたよ。どんどん会場は人でふくらんでいく。
上司ABが企画した飲み会に出るはずの人たちも帰りゃしない。

見ると、上司Aは、自分が企画した飲み会の会場に電話して、「すいません、時間を遅らせてもらいたいんです。はあ、もうしわけありません。」と、こそこそ必死にお店の人に謝っておりました(*^_^*)

 

 

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ほんとうに皆さんと楽しい会話とお酒を愉しみ、いい会になりました。お別れの挨拶も出来たし、地元に帰ってからも連絡を取りましょう、という話もしました。

これで東京に思い残すことはなくなりました。
あとは体調回復に努め、新しい職場で頑張ろうか、という気持ちがやっと出て来たのでした。

あっ、そうそう、いつぞや書いた、私に珈琲とケーキを出してくれて、職場に鳩サブレのお土産(※上司二人には渡すなという指示付き)までいただいた先生。
このあと、私が地元に帰ると報告したら、また“ねぎらい”のご褒美いただいてしまいました。
それについては、またこのブログで書きます。

 

2021/08/06

【「自分の思ったとおりに反応しない者に逆上し、仕打ちをする人間」のお話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №16】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
今回は、前回の、朝に私の機嫌の良さそうな様子を見て気に入らず、ヘコましてやろうとする上司のさらに続きです。
あまりに酷いので、書いていて体調を崩す可能性がありますが、これがアップされれば何とか体と心が持ちこたえる状態で書き終えたということです。

またまた朝イチの話です。
前回、宝塚がくだらないという話に持っていこうとして、私が丁寧に説明したあと黙ってしまった上司。
また別の日の朝、テレビでラサール石井さんが「宝塚を見たけど、あれには色々な部分で深さがあって、感動してしまう」という話をしていた、というのを私が同僚の女性と話していた直後です。

どうにも我慢ならないという感じで、「来いっ」と言って、私をまた会議室に呼び込みました。

前回、自分が何の反論も出来ずに黙ってしまったことが余程悔しかったかもしれませんが、(そもそも朝の挨拶をニコニコしただけで、勝手に質問して答えただけで因縁を付けてきたのは上司です)その時点で逆上していて、声が裏返り、

上司B(前回宝塚についてディズニーランドと全く同じものでくだらないと言った人):あんたは仕事に関係ないことを事務室でしゃべっている。(私の心の中 → しゃべらせたのはあんたじゃないの)

もう許せない。執務室内では業務に関係ある言葉以外発してはならない。
発したら、絶対に許さない。

それから業務に関係がある会話でも、直接相手方に話しかけてはいけない。
第三者に「あの人に仕事上、これこれこういう話をしたいので、内容を伝えてほしい」と、常に第三者を通して間接的に話すこと。
これ以外事務室で会話することは完全に禁じる。

もうひとつ、あんたのところには、同業他市の担当者からたくさんの問い合わせなどの電話や、事務室に訪ねて来る人も多いけど(私の心の中 → それだけあんたと違って情報交換が出来ているってことだよ、あんたには電話も無いし、訪ねて来る人は飲み会の借金回収に他市の人が来るだけじゃないの)、その会話の中に一言でも業務に関係の無い言葉が入っていたら絶対に許さない。

わかってんのか、コゥラァッ!(私の心の中 → ヤクザ、ちんぴらの脅しだ)

私:わかりました。(私の心の中 → この事務所の№2が言っているし、どうせ№1と前日にでも話し合って、「やっちまおう」と決めたのだろうから、多勢に無勢だ)

ということで会議室を出ました。

上司以外にもう一人いる男性は私の部下ですが、上司側に完全に媚びているので、女性職員のみに簡単に、驚かない程度に話をして、これからはこういうことになると説明。

さらに、直後に他市の方が私を訪ねてきたので(誰だったかな、何人か来て状況を部屋の外に出て説明しました)対応。

他市の方から電話も掛かって来たので、「ちょっとかけ直します」として、部屋から出て携帯で仕事の話をしました。
だって、仕事の会話といっても、世間話も入りますからね、さらに逆上されたらたまったものじゃない。
それと、第三者を介して仕事の話をするなんて実質上出来るわけがありません。
・・それがねらいでしょうけど。 だから伝言で仕事の会話をするなんて、やりませんでした。

仕事の話はメールで上司に伝えるようにしました。
伝言ゲームでやっていたら永久に話は終わりません。

それからは、上司二人がいない時を見計らって事務室内では会話して、女性職員にはなるべく違和感を感じさせないようにしました。
また、同業他市の方には、外から携帯で話すか、直接他市事務所を訪ねて話をするようにしました。

で、逆上した上司、その日執務室内の席に戻ると、上司Bは上司A(所属長)に、

上司B:いやぁ、あの金魚釣りゲーム(スマホをその頃買ったばかりで、同じゲーム・アプリを二人で入れたらしい)、昨日は二匹釣りましたよ、あっはっはっぁ。
・・と、小一時間ほど会話していました。
※業務に関係ない話をするヤツは絶対に許すことは出来ないんじゃなかったのでしょうかね。
もっとも、この上司二人と二年間仕事をしましたが、二人が仕事の会話をしていたのを聞いたのは、二年間通算で30分くらいじゃなかったかと思います。

その時点が1月です。そこから三ヶ月間、私が異動で地元に帰るまでは地獄そのものでした。

上司の命令どおりにするということは、二人がいない時以外執務室内で何もしゃべれないということです。

電話に出ても、かけ直すと言って、外に出て携帯電話で話すことになりました。

来客があっても、ちょっと外に、ということにして、部屋から出て目の届かないところで話すことになります。

それから、私は精神的に苦しみ、おかしくなり、体調も崩しました。
女性職員の前では、明るく楽しく部屋で過しているように見せていましたし、同業他市の方と会うときも、今までどおり明るく振る舞いました。
でも、一人、仕事で外に出ると悪寒がして胃が痛くなり、数週間で下血に気付きました。

帰宅時も、帰りの地下鉄に永田町から乗ると、何もないのに涙が止らなくなり、どうしようもないので、ほとんど三ヶ月間は、平河町から有楽町まで何キロか歩き、その間に涙が引いてくるので、そこから電車に乗り、帰宅するようになりました。

帰宅しても、家族に心配かけてはいけないと、何もなかったようにしていました。
でも、夜は悪夢ばかり見ていました。

今、はっきりと言えるのですが、この上司の行為は、上司として部下にしていいことでないのはもちろん、精神的な暴行だと思います。
私は、精神的に傷害を受けました。
人としてやってはいけないことだと思います。

そして、二人は所属部署ではトップと二番目にあたるわけで、私が仮にどこかに相談しても、話はひねり潰されてしまうのは目に見えていて(だって、役付二人が打ち合わせして証言できるのですから)、さらに前回も書きましたが、場所は完全に隔離された東京の密室です。外部に漏れることもなく「長」と名のつく人は“王国”を築けます。
それも含め、こんなことをするのは人道上も人権上も許されないことだと、今でも感じています。

なんとか最後まで書けました。
仕事を辞めた今では、気の毒で、哀れな人達だと思っています。

そしてもうひと言。
「もう少し仕事をやった方がよかったよね、あなた達。」という言葉を二人に差し上げたい。

 

2021/08/05

佐野洋子さんの「私はそうは思わない」を読みました。

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『私はそうは思わない/佐野洋子著(ちくま文庫)』を読みました。
1987年に刊行されたものを1996年に文庫化したものです。

佐野さんの本を読むと、ちょっと“おっかない”くらいの突破力でずんずんと我が道を突き進む感じがするのですが、この割と古い本では、佐野さんの“か弱い”部分や、子供のような心が見え隠れする部分、ものすごく強気になったかと思うと、自分の子供から指摘されて、ちょっと引っ込んだりするところもあったりして、でもこれが人の姿なんじゃないかと思いました。

人には、いろいろな側面があって、私も含め、誰もがあるときは明るく突き進めたり、哀しくてやりきれなくなるときもあります。
だから、この本を読んで、まるごと佐野さんの姿が見えてきたような気がしました。

私がちょっと気になった部分を少し挙げてみます。

男は生きる根拠が自然にはわかっていなくて・・、共通な幻想というか、観念とかいうものを必死で作り上げるのだ、とおっしゃっています。

その枠組みの中で、その枠をくずさない様に、世界中の男が手を結んで戦っているという感じがする、というわけです。

男の私もそう思います。
男は、そんな幻想にすがりつき、特に仕事ではそれだけで一生を終えてしまうことになっていると思います。

幻想がつぶれるのを怖れ、そうならないように、又新しい観念・幻想を絶え間なく作り上げていきます。
科学、哲学、芸術、金儲け、すべてがそんなことになっています。
その究極は、戦争と政治ということでしょう。

佐野さん同様、私も「バカみたい」と思うことが時々あります。特に今、そう感じることが多いです。

もうひとつ、佐野さんはこんなことも書かれています。

男の仕事はすべて「ごっこ」であり、政治も芸術も商売も科学も知力と体力の限りを尽くした遊びである。
しかし女にとって生活は遊びではない。

・・これが男と女がいつの時代も相容れず、すれ違っていくことの要因ではないでしょうか。

というわけで、とても面白かったけど、男の私には、胸に突き刺さるような厳しいことが書かれた本でもありました。
読み応え、ありました。

 

2021/08/04

【南先生の玉手箱_0037_生まれて51年 7回シリーズ[7の7] 】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
平成10年の「家庭教育学級・資料 -家庭における進路指導のありかた-(私自身をふりかえって)」という冊子から、「生まれて51年」という文を長編なので、7回に分けてのご紹介。
今回は、全7回中の最後、7回目です。
先生が教師としての就職後のことが書かれています。


以下、先生の文章です。

自分は気にしていなかったのだが、えのぐのついた服を着て、学校に行っていたので、PTAの話題になり、あの先生は服がないようだ。校長室に呼ばれて、君、背広はあるかい。
なければ、何とかするよって話し、今になってみれば懐かしい思い出だ。

3年ももたないと思っていた私が、今ふりかえってみると、あれから春が、また秋が、約30年の時が流れて現在に至っている。

今までに職場を共にした仲間で、何人も職を変えた人、不幸にも自殺や病気で命をなくした人など、私にとって印象の強い先生方から教えてもらったことも多い。

今の自分があることは、今までに出会った人たちの影響や力があってのことと、時々感謝をしている。

もうすぐ52才になろうとしている自分であるが、教職生活でもいろんなことがあった。

子どもたちから、「このくそじじい」って言われながら、もうやめちゃおうと悩んだこともあったが、その当時の子どもたちから学んだことが今の自分に大きなプラスになっている。

「おめえなんかに教わりたくねえよ」って言われたことも本当だったと思う。

つまり本音の部分で自分をみつめれば、いつでも自分の生き方が見えてくる。
今まで多くの生徒、児童とかかわって、子どもたちから学んだ部分がたくさんあり、感謝の気持ちが多い。

今、学校で、特に低学年と接していると、全て子どもが善であって、人生の原点を感じる。
人はみんな年と共にこの原点を忘れてしまって、自分で成長したふりをしているように思うことが多い。
我々大人側が時に立ち止まって考えてみたいと思います。

自分の子も、他人の子も含めて人生の後輩に対して、これが正しいって言えることはほとんどないと思います。
大人が自分の背中で後輩を育てていく部分は大きいと思います。
子どもの人生、進路について手をとってリードしてあげることは、はじめから無理があると思います。

人が人に生き方を教えるものではないと思います。
学ぶ側が決めていくこと、このあたりまえの形に大人側がどれだけ自己改革していけるか、どんな形で支援していけるか、いつも本音のところで話しができる自分になりたい。


以上が先生の文でした。

教師として生きて行く中で、悩んだり、こうしていった方がいいんじゃないか、など、苦悩、苦闘している過程も見えました。

先生、大変だったんだ・・と、少し、しみじみしてしまいました。

 

2021/08/03

【続きです「人にきいておいて、それをくだらないというひと」のお話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №15】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
前回のこのシリーズの続きです。

引き続き東京での話で、前回では朝イチに私が前日に行ったコンサートや演劇のことを聞き出し、それについて“いちゃもん”というか“いいがかり”をつけてくる上司の話でした。

前回私に“いちゃもん”をつけた上司Aは、私が反応しなかったのが気に食わなかったのか、たぶん部下の上司Bに言い渡して(前から二人はそんなことをしているふうがあった)、再度私にギャフンと言わせろということだったのだと思います。想像ですけど。

またまた朝の「おはようございます」と挨拶したときの話。

上司B:あんた宝塚を観たって言ってたよねえ。これからも観るつもり?

私:ずいぶん前から観ていましたし、これからもずっと見続けるつもりです。

上司B:あんなものが面白いのかね。私を連れて席に座らせて、“おもしろがらせる”ことが出来るかね?

私:面白がらせるって、宝塚歌劇がどういうものかご存知なんですか?

上司B:知ってるよ。ディズニーランドと同じもんだろう?!

私:えっ?ディズニーランドは遊園地。
宝塚は芝居、ミュージカル、レビュー・ショーを見せてくれるところですよ。(この人、上司Aからこう言えって言われたのかな・・棒読みだけど)

上司B:だからまったく同じだろう。どこが違うんだよ。

私:ディズニーランドは子供から大人も含めて、そこに行って色々なものを見て、乗り物などに乗って、アトラクションを楽しんで、というものだと思います。
それはそれで素晴しい施設だと思いますが、宝塚歌劇とは異なります。
せっかく質問していただいたので、宝塚歌劇について誠実にお答えします。

上司B:えっ・・。

 

 

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私:私にとっての、宝塚歌劇の魅力はいくつもありますが、今から申し上げるのはほんの一つの要素です。

宝塚には、今の社会や人々の心の中から無くなりつつあるものが現に強く舞台上に存在しています。

それは「愛」と「正義」と「真実」です。 笑い事ではありませんよ。
それらが舞台上で、各組の組子達によって、彼女達の今までの人生をかけて全力で表現されています。

「愛」は、男女間の恋愛もあるでしょうし、親子愛、家族愛のようなものもあります。
人類愛という壮大なものもあるし、様々な形態の愛があると思われますが、今、自分の心の中で「愛とはなんだ」なんて考えることがありますか。妻を愛しているのか、と想うことがありますか。
それに気付かせてくれるのが宝塚です。

「正義」なんて、今のこの世の中に通用しているのでしょうか。
ほんとうに存在しているのでしょうか。
むしろ自分が正義に反するような生き方をしているのかもしれないと感じることがありませんか。
ほんとうに、人として、組織の一員として、社会の一員として、正義を貫くことがどれだけ大切なことかを問うてくるような演目、舞台が宝塚の持ち味です。

「真実」も、そうです。
一体この「嘘」と「欺瞞(ぎまん)」に充ちた世の中でどこに行ってしまったのかと思います。
「嘘」がまかり通り、「欺瞞」に巻かれて狡賢(ずるがしこ)く生きて行くことに活路を見いだしているようなことが多い世の中だと、私自身も感じているのです。

宝塚の舞台では、今言った三つのことが、もう実際にはこの世に存在しているのかでさえあやしい現代に、舞台上で存在させ、観ている私にうったえかけてきます。

私は、それを自分で感じるために行きます。

だから“おもしろがらせること”が出来るか、ではなくて、“おしもろがれる自分”がいるのか、「愛」や「正義」や「真実」について、まだ信じることが出来て、感じることが出来る自分がいるのかをたしかめに行っているんです。

長くなりましたけど、ご質問をいただいたのですから、正面から真っ直ぐに、誠実に、私の宝塚歌劇に対する真摯な向き合い方についてお答えしました。

私を席に座らせておもしろがらせろ、と言われても私の言えることは・・

「自ら木戸銭(チケット代)を払い、小屋(劇場)に正味二時間半、幽閉され、自分が面白がることができるような人であるのか」が大事なことだと思います。

上司B:・・・まったく何を言っているのかわからないっ!!もういいっ。

・・ということになりました。質問してきたことに、朝の忙しい時間にこれだけ真面目に答えて「もういい」はないだろうと思いましたが、想像だにしない私の答えに驚いていました。

私にとっての宝塚歌劇はそんないい加減なもんじゃないっ、と声に出したかったが、冷静に回答したというお話でした。

※掲載した写真は、まさに「愛」と「正義」と「真実」について、舞台上で“熱く”“深く”演じられた宝塚作品「スカーレット・ピンパーネル」の主演二人です。

このあとにもさらに話は続くのですが、私が今になって思うと、当時の職場は地元と離れ、職員は数人、考えてみると、職場は「密室」状態なのです。

そこにきちっとした人格の人が上に立たないと、「密室の王様」のようになってしまうのではないかと思います。

地元では、各課が隣り合わせであり、事務室内の様子も素通しですし、外部職員も常に出入りしていたりし、課の様子、雰囲気は自ずとわかってしまいます。
でも、東京では地元から出張で職員がやって来ない限り完全密室となります。そういう時がほとんどなのです。

これは、外から人が来ない、様子がわからない、だけでなく、内部で何が起こっても“外に漏れない”ということになるのです。
そうなれば、どう考えても個人的な攻撃、いじめなども密室内の出来事ですから、まるでわからないのです。
つまり、気に入らないヤツは徹底的にやっつけることが出来る、というわけです。

次に私に降りかかった出来事については、また次回に。

 

2021/08/02

【「人にきいておいて、それをくだらないというひと」のお話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №14】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
今回は、また東京勤務時代に戻りまして・・、良い上司ではない方の二人とのお話です。“連続もの”になります。

休み明けの朝、その所属長(上司A)から職場の皆がいる前で声を掛けられました。

上司A:朝から元気がいいね、昨日何かいいことあったの?

私:昨日は、ポール・マッカートニーの日本公演に行ってきました。中学時代からずっと聞いていた人なので、とても嬉しかったし、いいコンサートでした。

上司A:ああ、あのくだらない男ね。歌はヘタだし、ろくな曲が作れない。お~ヤダッ!

私:・・・(沈黙してうつむくしかない)。このあと、一日沈んだ、いやな気分で過しました。

そしてまた別の日の朝

上司A:昨日の夕方は、勤務終了と同時に出て行ったけど、何かあったの?

私:ああ、宝塚歌劇の夜の部のチケットが取れていたので観に行きました。素敵な舞台でした。

上司A:えぇっ!あの厚化粧のオバサンが化粧臭い匂いをさせながらぞろぞろ出てくる、あんなもの観に行ったって?!信じられない、うぇ~~っと、いかにもおぞましいという感じで身震いまでしました。

私:(心の中 → この前もそうだが、人に聞いておいてなんだこの人は。どんな曲を歌ったの、だとか、演目は何だったの、とか話を聞いてやるってことが出来ないのか。何のために聞いてきたのか。)

・・一歩詰め寄って、ひとこと言おうとした瞬間、20代の女性職員が私の前に飛び出して、自分の胸の前にこぶしをつくり、私の目をみて

女性職員:今、この部屋の中で“大人”になれるのは〇〇さん(私のこと)だけです。我慢して。

と、小さな声で言ってくれたのです。

私は、何も言わず席に着き、そのまま仕事につきました。
彼女の咄嗟(とっさ)の行動には感謝です。

この一連の上司の行動って、まるで小学生並みだと思いました。
相手を貶(おとし)めて、自分の方が優位にいるのだ、ということを示したいのでしょうか。
所属する職場の上司としても、一人の人間としても、ひどい行為だし、情けないことだと感じました。

そして、私が何も言わず黙って仕事を続行し、悔しい顔なども見せなかったことで、満足が得られなかったのか、今度は部下の上司Bをつかって翌日、また私に攻撃を加えてきたのです。三~四歳児か、と思いましたが、それは次回にまた書かせていただきます。
お楽しみ?!?!に。

 

2021/08/01

「ペギーの居酒屋/喜多嶋隆」を読みました。

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喜多嶋さんの小説を読むのは、たぶん初めてです。
物語は、ハワイで母娘で生活していたペギーという女性が苦労して大学を卒業し、日本に大手広告代理店の支店が出来て、それに応募して父アメリカ、母日本の娘なので(父事故で他界)、日本語もできると採用された・・。

でも、マーケティング調査の数字を都合の良いように“改ざん”させる上司と折り合いが悪くなり、2年で辞めてしまうのでした。

会社で荷物の整理をし、地下鉄に乗るときにいつもと反対の方向に乗ってみて、千駄木に降り立った。
そこで入ったつぶれそうな居酒屋で出逢った店主や、町の人たちとの物語になりました。

結局、ペギーはその居酒屋で働くこととなり、さまざまな人との関わり合いの中で人として大切なものをどんどん見つけていきます。
勇気のでるお話でした。

さらに、ペギーの母親が家出同然でハワイに行ったきり、その父母とは29年も会っていないという事実があり、ペギーは鎌倉にある母の実家に行ってみるのです。

そこからは、また静かな感動のお話が繰り広げられます。

久しぶりに心が洗われるようないい小説でした。

ちょっと泣いてしまいました。

 

【南先生の玉手箱_0036_生まれて51年 7回シリーズ[7の6] 】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
平成10年の「家庭教育学級・資料 -家庭における進路指導のありかた-(私自身をふりかえって)」という冊子から、「生まれて51年」という文を長編なので、7回に分けてのご紹介。
今回は、全7回中の6回目です。
先生の高校時代から、大学、就職に至るところが書かれています。


以下、先生の文章です。

今、勉強したくなって定時制高等学校に通っている友人がいます。
これが本当の勉強だと思う。
あたりまえのことですが、親の進路ではありません。私たち親の立場としては、子どもに対して自分の生き方を見せてあげることが一番の進路資料かと思います。

うちの子ども二人[男]、どっちもちがう高校へ行きました。
二人ともすべり止めって、私立を受けました。点数がやさしいとか、入りやすいだけがすべり止めではありません。
又、すべり止めと言う学校はありません。それこそ失礼な言葉だと思います。

どこの学校へ行くかが人生ではなく、その学校で何を学ぶかが大切。これもあたりまえのことですが、学校を途中でやめても良いことです。
息子二人は、時にはつまんないと言っていたこともありましたが、お世話になってそれなりに友人もつくって卒業したように思います。

私は高校生活の中心が、美術部の活動でした。
勉強をしたと言うよりも好きなものにとりくめたことが幸せでした。
卒業後も美術の進路で、国立に入れればお金もかからなかったろうに、自分の力を総合的に考えて、私立の美術学校一本にしぼってとりくみました。

私立大学に入ったことは、親に大変苦労をかけたと思っています。
学生時代は、絵の道具などお金の必要もあって、当時は町にかなりいたと思うサンドイッチマンとそのグループに入れてもらい、毎日、各種、飲食店を中心にあちこち街角に立っていた。

その頃サンドイッチマンを通して学んだ人生勉強は大きかった。
大人社会の裏というか、本当のサービスって何なのか、世の中いいかげんな人だましが多いことなど、人間模様をたくさん見ることができた。

同じ仕事仲間の中で、毎日やっと食べるお金を稼ぎながら作家活動をしている先輩も多く、いろいろと人生観を学んだ気がする。

このアルバイトの関係もあって、よく Jazz Spot への出入りが多かった。
ジャズはこのあと私の人生に大切な部分になっている。
人種差別などとの関係もあって、生きることそのものに大きくプラスの存在になっている。

個人的に世界的なドラマー、エルビン・ジョーンズと会えるようになったことは、人生の宝物だと思っている。
今は閉店したが、東金に Jazz Spot ELVIN と言うすごいジャズ喫茶があったことも忘れられない。

千葉県の教員採用試験を受けたものの、もう一方では、このままサンドイッチマンを仕事に東京で絵を描いていこうと考えていた。

採用の合格通知と親の意見などもあって、自分なりに子どもたちと美術活動を通して、少しかかわってみようと、千葉市を希望して誉田中学校から教員としての人生がはじまった。

はじめの頃、5年も先生続けている先輩を見るとすごいと思うと共に、自分自身はいつやめるか、不安定な気持ちも持ちながらのスタートであった。

夜は、ずーっと徹夜で絵を描くこともあって、遅刻しそうになってあわててバスを追いかけて通ったことが思い出される。


以上が先生の文でした。

ここに出て来た「誉田中学校」が私が中学時代を過したところで、南先生と出会った場所です。
こんなに長い「付き合い」になるとは夢にも思っていませんでした。

また、大人になって先生との再会前に、私が30代半ばからジャズを聞き始めたということが、先生との親交を深めるひとつの要因にもなりました。
お互いにジャズが大好きってことは、いいきっかけだったのです。

先生初めての赴任地が私の中学校だったということは、先生は大学を出てまだ数年の時だったことになります。
長髪に髭の先生は、私にはどう見ても30代後半から40代くらいに見えていました (^^;)

 

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