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2021/08/31

【同じ工事をするのにも180度異なった対応だった話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №30】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
このシリーズで何度か前に書きましたが、私、小中高校の耐震工事の担当者だったことがあります。
あの阪神淡路大震災のあとに小中高校の校舎建物の耐震強度について見直し、確認が行われた後に実施されたもので、ウチの市では私が最初の担当となったのでした。

工事の時には、校長先生のところに伺って、工事内容や学校側にしてもらうことなどの説明をします。(その後に、先生方全体と、地域の代表者への説明会も行います。)

でも、その時の校長先生の対応はその人ごとにまったく異なりました。
仮設校舎を作ってそこに学校まるごと移ってもらうという大変な作業も多く、当然運動場がせまくなり、体育の授業の組み方が難しくなったり、授業にも様々な支障が出てくるのですから当然ですが・・。

ある小学校の校長先生は、「大変なことになった」「一年間無事生徒達と送ることができるのか心配だ」と説明中ずっと嘆き、帰り際、私が昇降口で靴を履き終え、挨拶しようとした振り向きざま、襟首をぐっとつかまれ、ぐぐっと上に持ち上げられながら「こっちも死んだ気でやるんだ。お前も死んだ気になって仕事をしろ。」と言われたことがありました。
もうこっちは、市で初めての仕事を任され、眠れぬ夜を幾夜も経て、とっくに“死んだ気”になっていたのですが、強烈な別れ際のご挨拶でした。
一生懸命説明したのですが・・落ち込みました・・。

別の中学校でも説明中に、校長先生から「こっちは一年間気が休まらないんだ。お前は一年間休暇なんか取るんじゃないぞ。」と肩を揺すられながら言われました。
この時は、前回の小学校で少し免疫が出来ていたので、「あたりまえです。休む気なんかまったくないし、寝る時間もあまりないんです。」と言って、肩から手を外されました。

また別の中学校では、「耐震工事が予定されていた学校の教頭から異動で校長となり、この学校に来てよかったと思っていたらここでもやるのか、なんて俺は運が悪いんだ。」と嘆いた校長先生もいました。
・・でも、生徒の命を守るための工事なんです。そんな考え方をして上に立つのはいけないのじゃないか、と思いました。
で、ここでも靴を履いて挨拶しようと振り向いたら教頭先生をさっきから呼んでいるなと思っていたのですが、「教頭、こいつに塩をまけ」と言われ、私は思いっきり塩を頭からまかれました。
この人達はこれでも大人か・・と、がっかりしたものでした。

かといえば、ある小学校長は、説明後、「手を取り合って一年間がんばりましょう。」
と言ってくれて、どんなに上手く工事が進んでも様々な困難がひとつの学校で一年のうち五回~十回とあるわけですが、「できる限りの協力をするから何でも言ってくれ、あきらめず乗り切ろう」と、いつも励ましてくれました。

 

 

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この学校は全校700人全ての生徒に仮設校舎へ動いてもらったのですが、その仮設校舎から見る夕焼けはきれいだよ、と進捗確認に行く度に校長先生は言ってくれました。

この校長先生は、工事後本校舎に戻ってからも生徒達にお願いして「仮設校舎で生活をして」というテーマで文集を作ってくれました。
生徒達の、どの作文も、詩も、俳句も、校舎の窓から見た景色などと共に、いつもとちがった生活についての楽しくて気持ちのこもった文がいっぱい書かれていました。

工事も終わり、検査も終了し、最後の挨拶をと、一部新しくなった教室のキーケースを持って校長室に伺ったら、「一年間よく頑張ってくれました。ありがとう。」と両手を握りしめてくれました。

「ありがとうはこちらが言わなければならない言葉です。先生と生徒さん達の協力なしでは工事は出来ませんでした。」と答えると、教頭先生が飛び込んで来て「大変でぇ~す」「給食室の食器乾燥機の中のプラスチックのお盆が溶けてひとつの塊に・・オブジェになっちゃいましたぁ~っ!!」と・・。

一緒に来た電気設備の技術屋さんが「いけね、電圧元に戻しておくの忘れてた」( ̄O ̄;)
※ここは別棟になっていた電源設備も改修したのでした。

で、あわてて給食担当課に溶けちゃった分の発注をしたりの対応をしていたら、校長先生・・「教頭先生に今、ホームセンターに行って紙製の代わりになるものを買いに行かせました。今日は、それで給食を食べ、また生徒達と工事の想い出づくりです。今までいろいろあったので、こんなことくらいじゃ驚きませんよ(^^;)」とのありがたいお言葉。

この学校でのエピソードも忘れられないことのひとつです。

 

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