【南先生の玉手箱_0037_生まれて51年 7回シリーズ[7の7] 】
私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
平成10年の「家庭教育学級・資料 -家庭における進路指導のありかた-(私自身をふりかえって)」という冊子から、「生まれて51年」という文を長編なので、7回に分けてのご紹介。
今回は、全7回中の最後、7回目です。
先生が教師としての就職後のことが書かれています。
以下、先生の文章です。
自分は気にしていなかったのだが、えのぐのついた服を着て、学校に行っていたので、PTAの話題になり、あの先生は服がないようだ。校長室に呼ばれて、君、背広はあるかい。
なければ、何とかするよって話し、今になってみれば懐かしい思い出だ。
3年ももたないと思っていた私が、今ふりかえってみると、あれから春が、また秋が、約30年の時が流れて現在に至っている。
今までに職場を共にした仲間で、何人も職を変えた人、不幸にも自殺や病気で命をなくした人など、私にとって印象の強い先生方から教えてもらったことも多い。
今の自分があることは、今までに出会った人たちの影響や力があってのことと、時々感謝をしている。
もうすぐ52才になろうとしている自分であるが、教職生活でもいろんなことがあった。
子どもたちから、「このくそじじい」って言われながら、もうやめちゃおうと悩んだこともあったが、その当時の子どもたちから学んだことが今の自分に大きなプラスになっている。
「おめえなんかに教わりたくねえよ」って言われたことも本当だったと思う。
つまり本音の部分で自分をみつめれば、いつでも自分の生き方が見えてくる。
今まで多くの生徒、児童とかかわって、子どもたちから学んだ部分がたくさんあり、感謝の気持ちが多い。
今、学校で、特に低学年と接していると、全て子どもが善であって、人生の原点を感じる。
人はみんな年と共にこの原点を忘れてしまって、自分で成長したふりをしているように思うことが多い。
我々大人側が時に立ち止まって考えてみたいと思います。
自分の子も、他人の子も含めて人生の後輩に対して、これが正しいって言えることはほとんどないと思います。
大人が自分の背中で後輩を育てていく部分は大きいと思います。
子どもの人生、進路について手をとってリードしてあげることは、はじめから無理があると思います。
人が人に生き方を教えるものではないと思います。
学ぶ側が決めていくこと、このあたりまえの形に大人側がどれだけ自己改革していけるか、どんな形で支援していけるか、いつも本音のところで話しができる自分になりたい。
以上が先生の文でした。
教師として生きて行く中で、悩んだり、こうしていった方がいいんじゃないか、など、苦悩、苦闘している過程も見えました。
先生、大変だったんだ・・と、少し、しみじみしてしまいました。
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