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2021/09/30

【あれっ?!どこかであった話だな・・/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №56】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。

以前、東京勤務の時に facebook page を作り、アクセス数も上がり、でも私が人事異動で地元に帰ることになったとき、そのときの上司から「ページの内容を落とせ。誰でも書けるような記事にしろ。」という指示があったことを書きました。

理由を聞いたら、あとを引き継ぐ人が“いい記事”を書かなければならないのが気の毒だと思わないのか、と言われたという話でした。

結局意味がわからないので、それはお断りしたのですが、その後、今度は地元に帰ってきての話です。

地元に帰って来て着任し、またそこの部署の facebook page を作るようにという指示があったので、作りました。
そして、ほぼ1~2日おきに記事をアップし、アクセス数は一日で6,000件というような日もあり、順調でした。

そこで二年間勤務し、また私に辞令が出て、別の部署に異動が決まりました。

そしたら、そこの上司が私を呼んで・・

上司:「あのね、フェイスブックなんだけど、記事の内容のレベルを落として欲しいんだよね。」

私:「(どこかで聞いた話だな)・・それはまた何故ですか。」

上司:「次に来る人が気の毒だと思うんだよね。いい記事書けと言ったって難しいんじゃないかな。」

私:「(おいおい、東京の時の上司と同じこと言うの? 何言ってんの、自分で自分の言っていることが理解できているのかね)・・申しわけないですけど、そのようなことは出来ません。
アクセス数が多くて人気のあるページを引き継げるなんて幸運なことじゃないですか。そのラッキーを生かすことを考えた方がいいと思います。」

上司:「じゃ、いいよっ!!なんだい、もう頼まない!!」

ということで、最後まで私はいつもどおりの記事を書きました。
そして、最後の更新の日。一応記事の内容は簡易決裁で上司に見てもらってからアップしていたのですが、その記事の最後に

「2年間ありがとうございました。この facebook page で記事を書いておりましたが、新年度から新しい書き手に変わります。4月以降も引き続きこの facebook page をよろしくお願いいたします。」

と書いたら、上司にひどく怒られ、記事は破棄されました。

上司:「なんのつもりだ。こんなこと書くなんて考えられない。この原稿は無かったことにする。」

ということでした。

私がいなくなってから、「つまらなくなったね」とでも言われることがそんなに怖いのでしょうか。悪いけど、情けない人だと思いました。

さらに新しい視点で、新たな個性を見いだして記事を書いていく楽しみが出来た・・とは考えられないのでしょうね。私だったらそう考えるけど・・。

以上です。

追伸:先ほど確認しましたら、私がかつて作っていた facebook page 、私が去ってから、かれこれ8年以上経っているのですが、現在の状態は、もう1年7ヶ月も更新されていませんでした(T_T)
その更新でさえ1年ぶりの更新でした (・_・;

仕方なく仕事をしているから、こんなことになるのだと思います。

 

2021/09/29

【思わず言ったら、あとで恥ずかしかった話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №55】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
今回はわりと軽いお話(*^^*)

以前、学校の耐震工事担当だった時のことを書きましたが、学校の仮設校舎への引っ越しやその他細かい打ち合わせのために工事対象の学校にはよく通いました。

ある小学校では、校門から入っていくと、作業服で帽子を被り頬被りをしている人が棒の先に綿を付け、アルコールか何かを浸ませ火をつけて校内の樹木についた毛虫を焼いているようでした。

私は、用務員さん頑張ってるなと思い「気をつけてよ、火事になったら大変だよ」と声をかけました。
「ありがとうございます」と返事。
校舎に入り、打ち合わせのために会議室で先生を待っていたら、あれ?さっきの作業服の人。
「教頭の〇〇です。こんな格好ですいません。」と入って来ました。

( ̄O ̄;)「すいません、教頭先生だとは思っていませんでした。さっき“ぞんざい”な言葉づかいじゃありませんでしたか?」

教頭先生:「気にしない、気にしない。いやもう毛虫がすごくて、生徒が心配になっちゃって」と。

やっちゃったなぁと思いながら次の打ち合わせ校へ。

次の学校も校門を入ると、植え込みの中にある割と大きな物置小屋をバールのようなものを使ってバリバリ壊し、屋根が崩れ落ちそうな状態で作業中。
どう見ても業者さんのような作業服を着て、手慣れた様子。
「一人でやっちゃダメだよ。怪我したらどうすんの?!あぶないよっ!」と声を掛けたら・・

「ご心配かけてすいません。大丈夫です。あとちょっと。慎重にやりますので。」

ということで、ここでは校長先生と引っ越しの打ち合わせなので校長室へ。

そしたら・・またさっきの人が汗を拭きながら入って来て

「おまたせしちゃいました。校長の〇〇です。小屋の屋根、無事落としました。」

私:「すいません、出入りの業者さんかと思っちゃって。申しわけありませんでした。思わずあぶないと思って、あんな声の掛け方しちゃって。」

校長先生:「いや、どうみても専門業者に見えると思いますよ。業者さんから余った作業服をいただいたもので、それを着ていました。私は先生稼業よりも作業が好きなんです。それより心配してくださってありがとう。」

私:(心の中 → またやっちゃった。連発だよ。反省、反省。)

っていう、たいした話じゃないんですけど、ちょっとしたお話でした。
教頭先生、校長先生、ごめんなさい(^_^;)

 

2021/09/28

「小林信彦 萩本欽一 ふたりの笑タイム -名喜劇人たちの横顔・素顔・舞台裏-」を読みました。

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『小林信彦 萩本欽一 ふたりの笑タイム -名喜劇人たちの横顔・素顔・舞台裏-/小林信彦・萩本欽一(集英社文庫)』を読みました。

けっこう読み応えというか、対談形式なので聞き応えがあるという感じでした。
小林信彦さんは、雑誌編集長から作家、コラムニストとなり活躍。喜劇関係のテレビ番組や喜劇人にも多く関わってこられた方です。

萩本欽一さんは、言わずと知れた「コント55号」での爆発的な人気から、その後多くの高視聴率テレビ番組を作られた人、“欽ちゃん”です。

対談は、コント55号が日劇に出ていた頃の、小林さんが一番面白がっていた時期のエピソードなどから始まりました。
私は、もちろんテレビ番組に出始めた頃の55号しか知らないわけですが、それでも爆発的な人気と炸裂するギャグは今でも強く印象に残っています。

この本を読んでいると、欽ちゃんは“真面目”で“勉強家”で“どん欲”です。
対談相手の小林信彦さんのところにも、人気テレビ番組を作っている現場が見たくて、製作関係者が集まっている場所にお願いして、その“作り方”を熱心に観察している姿が書かれていました。

アメリカのショーが面白いと聞けば、ブロードウェイに飛び、舞台上の全てを吸収しようとします。そして向こうのテレビ番組がどういう構成なのかも参考にしています。
この本に書かれていませんでしたが、ピンマイクを作らせ、初めて日本で使ったのは、たしか欽ちゃんではなかったかと思います。
舞台、テレビ番組を面白くするためには、どんどん試行錯誤を繰り返す、その姿勢があの隆盛をもたらしたのではないかと思いました。

エノケン、ロッパ、ターキー、渥美清、森繁久弥、由利徹、東八郎(トリオ・スカイライン)、てんぷくトリオ、トリオ・ザ・パンチらの話題も盛りだくさんで出て来ました。

私のまったく知らなかった話ばかりだし、浅草から出て来た芸人達のその時の様子や、どな人だったのか、また欽ちゃんが直接かかわった人達と、どう接していたのか、また、小林氏が見た昭和の喜劇についての話は聞き処がいっぱいでした。

この本も、あっという間に読み終えました。
欽ちゃんの「笑い」や「舞台」に対する真剣な取り組み、「先輩達から学ぼうとする気持ち」がヒシヒシと伝わってくる本でした。

 

【いつも思う、自分は何のために仕事をしているのか、この人は何のために仕事をしているのか/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №54】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
今回は、今まで53回も「過去に会った人、過去にあった出来事」を書いてきて、一番感じたこと。
自分も含め、人はなぜ、なんのために仕事をしているのだろうか、ということについて書いてみようと思いました。

まずは、「お前はどうなんだ?!」ということになるでしょうから、自分について書いてみて、それからこれまで出会った人達の様子を書いてみます。

自分はと言えば、少しでも社会、世の中の役に立てる仕事をしたい。それが仕事をすることの励みになるからということです。
そして、誰か私のした仕事によって、“よろこんでくれる人”がいると嬉しい、ということです。
さらに、仕事をすることによって、世の中の仕組みが見えて来る。そうして社会人として大人として少しずつですが、成長して行けるのだと実感できる・・などということです。
格好つけているわけではないですよ。正直な気持ちです。

では、今までこのブログに書いてきた人達の中から思い出しつつ実際に出会った実例について少し書いてみますね。

仕事をする上での大事なことは、偉くなりたい、また人から“エラい人”に見られたいからという人・・学歴が高かったり、入社時の扱いに、いかにもコースに乗った、ライン上にいる、という人に多いです。
特に世の中のためになる、あるいは誰かの役に立ちたいわけでは無さそうで、でも人前で話す時はそういうことにしているようです。

ほとんどが上記に絡んでくるかと思いますが、時代を先取りしたものを見つけ、実際に役立つものかどうかの検証もせずに飛びつき、成果をアピールし、自分は他の人とは違う、特別な存在だということを見せつけようとする人も上記例の亜種だろうと思います。

仕事の醍醐味を人事の駆け引きに求める人。
誰を出し抜くか、誰を陥れるか、誰の下に入るのか、誰を味方につけるのか、人事の駆け引きをメインに動く人も多数見かけました。
つらそうな顔をして、実は喜々としています。
昔の武将で言えば、突然寝返って“背後からブスリ”と刺すようなこともあります。
特に男は仕事の上で人を殺そうとします。仕事上の未来を絶つということです。
こういうのが大好きな人、たくさんいます。
なので・・私、大河ドラマとか全く見ません。結局は世のため、人のためではなく、自らが功成り名を遂げることが究極の目標なんだ・・と思ってしまうからです。
そうではない、という人も、もちろんたくさんいるかとは思いますが。

次は真面目なタイプの人。
自己の研鑚を考えて突き進む人です。
自身のステップ・アップについてもビジョンを持っている人も多いです。家族も大事にしているみたい。お利口な人に多いと感じてきました。
私には、ちょっとクリーン過ぎて深い付き合いは出来ないかもしれないですけど。

あとは、単に生活のためだけに仕事をする人です。
要するに収入を得るため、ということがメインです。
誰しもがそういう部分があるわけですが、完全に割り切っている人もお見かけしました。
そういう人は、けっこう趣味などに生き、豊かに暮らす人も多いんじゃないでしょうか。
“過ぎる”と、ちょっと変わった人ってことになってしまうかもしれませんが。

困る人で思い当たるのは、仕事の目的を高いところに置かず、見た目だけ成就したようにするために、正当なやり方をせずに抜け道などに入り込み、ずるい形でやり込めてしまうような仕事をします。
周囲を巻き込み、仕事自体を“がんじがらめ”にしてしまう人です。
そんなことをして何になるのか、と思いますが、このパターンで部署全体の軌道を惑わす人・・これも意外と多いと思います。それがこういう人にとっての“仕事”なんでしょうけど。

最後に、なぜか仮想敵のような人を設定しないと動けない人がいます。
誰が悪い、誰が良いと区別をして、それを基準にしないと自分の立ち位置が取れず、動けない人です。
これをどの職場に行ってもやってしまう人がいるので、職場のチームワークが乱れ、ひどい時には“分裂”してしまうこともあります。
ある意味、一種のゲーム感覚で職場の人と人の関係をもて遊んでいるのではないかと思います。
迷惑ですが、どうですか?あなたもどこかの職場でそんな人との出会いを経験していませんか?

というわけで、思い当たることを書いてみました。

仕事。何のためにするのでしょうか。

 

2021/09/27

【情報部門でのハッピーエンド/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №53】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
前回のこのシリーズで、“拾う神”として私の大ピンチを救ってくれたうえに、私が異動したあとにもいろいろとお誘いいただいて、人生の楽しみを教えてくださった上司のお話を書きました。

私が情報部門から出て、東京勤務に変わったあとにその上司から聞いた話がありました。

その上司が情報部門に異動で来たときに前の上司(職場で心臓発作を起こした私に、自分が読む挨拶文を書き終えてから発作を起こせと言った人です)からの引き継ぎを受けた時に、私について「ほとんど言葉もしゃべれない廃人同様になっている人間だから相手にしないように」とのことだったそうです・・・。

実際に新しい上司が着任して、私の様子を見ていると、まるで普通にしているし、テキパキと仕事をしているのを見て、??? となったそうです。

さらに異動で出て行った悪魔のような上司の大番頭で、課に残り、昇格した小悪魔からも「仕事が出来ない“でくの坊”なので、仕事をせずに遊んでいるように説得する」との話も当初受けていた・・(T_T)そうです。

なので、あの会議室に私を閉じ込めて次々と私の部下から「無能な〇〇さん、もう仕事にかかわらないで」という言葉を掛けさせ、私を完全に“超窓際”に追い込もうとしたのでしょう。これもあの悪魔の上司からの指令だったのかと思われます。

あまりにもひど過ぎる・・人間が人間にしていいことの限界を超えていると思います。

あの情報部門では、それまでは10年以上、その情報部門担当課での仕事を経験した後(他の課では、そんな長期に同一職場に居ることはない、特殊な職種だからか・・)、一旦他課に動き、帰って来たときに班長として帰ってくるというのが通常の道筋だったそうです。

私はこの課特有のIT技術的なものは過去経験しておらず、国家資格を取って直接班長として初めてこの課にやって来たわけで、それが気に入らなかったのかもしれません。

当時、私が金曜日に着任した初日っから「わからないことがあったら許さない、週明け月曜日の会議で皆の前で質問するから覚悟しておけ」と悪魔の上司に言われたことを覚えています。

そして・・花も嵐も踏み越えて、やっとめぐり会った素晴しい上司の強力な助けもあって、なんとか仕事を終えることが出来たのでした・・ほんとうに良かった・・もう一度やれと言われたら死んだ方がましなくらいです。

無事に業務がずんずん進行し始め、職員が使用する特注仕様のノートPCの製造も出雲市斐川町の工場で開始されると聞いたときに、上司から「頑張った自分の成果を確認しに、工場での製造の様子を見てきなさい」という言葉をいただきました。

たぶん、ほんとうはその上司が行くはずだったのだと思いますが、私の苦労した様子を見てその言葉をかけてくれたのだと思います。
お言葉に甘えて、行って来ました。出雲に。

岩盤がしっかりしているという山の上の方にある大きな工場でした。
案内されて入り口を入ったら、大きなモニターに「歓迎!〇〇様」と文字が浮かび上がったときには・・今までの苦労とそのあまりのうれしさに涙があふれました。
あきらめないでよかった。あのとき「一年間、課の隅っこでパソコンいじって過します」と言わないでよかった。

工場の担当の方から誇らしげに現場を周りながら説明を受けたときには“生きていてよかった”と心から思いました。そして上司への感謝の気持ちが湧き上がりました。
私の下で頑張ってくれたみんなの顔も次々と浮かびます。

以上が、情報部門でのハッピーエンドなお話です。
「過去に会った人、過去にあった出来事について振り返るシリーズ」まだまだ色々な出来事がこの後もありましたのでさら続けます。

 

2021/09/26

【捨てる神と拾う神の話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №52】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
このシリーズ、前々回で私の部下数人に「あなたには能力がない」という数パターンのセリフを覚えさせ、私に対し部下から「仕事を降りろ」と言わせ、私を悲しみの池に突き落とした者の話をしました。
その人は、私の「死んでも仕事は降りない」の言葉に「どんなことになっても知らんぞ」と言って引き下がったのですが、その後の話です。「どんなこと」をされたというわけです。

私が「降りない」と言った、“我が社”全職員が日々仕事で使うシステムの開発と、市内に拡がる全ネットワークシステムの統合という事業について、私主導で新年度から怒濤の前進が始まりました。

でも、週次のシステム設計・計画の受託業者との打ち合わせには、出席してくるのです、あの人が。とにかく“ああでもない、こうでもない”と口を差し挟んできて「三歩進んで二歩下がる」状態でした。

ある日の会議では、新システム移行時の回線経路について、回線業者からは一部機密情報が入っていると言うのにも関わらず、その場で見るだけという約束で図を見て、経路の一部不備を指摘。何億円かかっても損してでも解消しろ、と強行に指示を出す。
それでまた何週か遅れが生じる・・。

最終的には、調査したが、実質上問題が無く、数億を使い解消すること自体に意味は無いと私が発言し、この話を収束させましたが、こんなことは毎週で、とても困りました。

いろいろ小さな作戦が功を奏さないことがわかると、いよいよトドメを刺されました。

事業のために確保した予算の1/4を財政部門に返戻してしまったのです。
「私の実力をもってすれば、この予算で事業は可能だ。大変な予算節約になる。出来ないとすると直接の担当の〇〇(私のこと)が不始末を起こしたときだけだ。」という爆弾を落としました。見事に着弾!

「理論上簡単にできる」と新所属長をもうまく口車に乗せていたこともあとで知りました。

うまくいけば自分の力。失敗すれば私の責任。そもそもその段階でうまくいく可能性はほぼ“ゼロ”という見事な作戦です。

これは相手の思惑どおりになってしまいました。

共同企業体含む数社が手を挙げてくれていた総合評価方式による事業でしたが、金額だけでなく、アイデアを採点することで新システムをより良いものにしようとして順調だったのが、予算が減額され、最終的に参考価格が明示されると、全社が辞退届を出してきました。そりゃそうです。予算が全く足らないことがわかったのですから。

数ヶ月かけて作った評価基準表や、仕様書などは全て水泡に。
そして、最低限仕事が出来る程度のシステム内容に仕様書を大急ぎで変更し、通常の価格だけの勝負にして再度挑戦しましたが、締め切り日前日になっても一社もやって来ない。
万事休すでした。

計画していた、職員自ら「Wiki」を作り、業務の内容を誰にでもわかるようなものにするもの、ビデオ・チャットで職員間のやり取りが出来るもの、業務項目のスペシャリストが誰かわかり、質問・アドバイスを請えるような検索システム、ファイル交換もメールなしで出来るなどの実現は全て無くなりました。
ビデオ・チャットなどは私が課を去ってから二度目の更新でやっと実現しましたが、すでに十五年くらい前に実現できていたのです・・。

私は「降格願い」を出すか、どこかに即座に異動か、あるいはこんなに日々苦しむなら仕事を辞めるかと悩み、自分が自分でない状態になってしまいました。

ですが、新しい所属長が「最後まであきらめるな」と言ってくれ、前日深夜までいろいろ動いていただいたようです。
また、所属長からのはたらきかけを受けた側も、技術的なウルトラCを考えだした技術者がいて、最後の最後の日に手を挙げてくれました。

どうにかこうにか仕事が出来る程度の最低限のシステムですが、新システムを作ることが可能だという光も見え、ネットワークの統合についてもウルトラCを使って実現可能の運びとなりました。

新しい所属長に代わっていてよかった。最後の最後まで動いていただいたことは、あとでわかりました。
新システムが完成し、旧システムと並行して動き出したのが11月。年が明け、その後完全にうまく稼働したのが確認出来ると、その所属長は、新年度に私を東京の職場に送り出してくれました。

その所属長には、部署が別れたその後もいろいろなことを教えていただきました。
休日にも様々な所に連れて行っていただき、いろいろな人にも紹介していただきました。山歩きやその他様々な趣味の世界にもふれさせていただきました。
もう感謝以外何もありません。人生の中で出会うことができて良かった恩人です。

人生最大のピンチの時でも、誰かが救いの手を差し伸べてくれる。
これも人生を眺めている今、しみじみと感じていることです。

 

2021/09/25

坪内祐三の「最後の人声天語」を読んだ。

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『最後の人声天語/坪内祐三著(文春新書)』を読みました。

著者、坪内祐三さんは昨年1月に亡くなられています。
世代的にも私と同じ方だと思うのですが、同じことにも興味を同時期に持ったりしていて、共感もするが、でも・・知識量というか、読書量というか、興味のアンテナの張り方がほぼ全方位に向いていて、何もかもが圧倒的な人です。
そして、“歯に衣着せぬ”ぐいぐいと行く筆致は、ただもう茫然と見守るのみ、という感じです( ̄O ̄;)

子どもの頃に雑誌「大相撲」を読んでいたりするのも似ています。
この本の中でも二度目の相撲ブームを迎えたようで、その時の相撲界の話題にふれられています。あまりに本気なので、私は二度目の相撲ブームが来なかったため“どん引き”しました。

永井荷風が最晩年に毎日のように通い、判で押したようにカツ丼ばかり食べていた京成八幡駅近くの「大黒家」に行き、荷風にお酌していた女将と話しをしたりいている場面もありました。
私も、大黒家に行き、「荷風セット」を頼んだことがあります。
カツ丼に漬物、味噌汁、お銚子が一本ついていましたっけ。

外国映画の俳優についても書かれていましたし、日本の俳優、鶴田浩二や渡瀬恒彦などについても書かれていて(選択が渋い)、映画についても造詣が深い。
かと思うと、「ウルトラQ」や「快獣ブースカ」にも詳しくふれています。こういうところもまさに私と興味・共感が一致しておりました。

とにかく、書きっぷりが軽快かつ、パンチが効いていて読みやすい、坪内さんらしいご著書でした。
亡くなる数日前に相撲のチケットをもらい、一緒に行く日が告別式になってしまった中野翠さんが最後に送る言葉を書かれていました。

あっという間に逝ってしまったという感じの坪内さん、今後また著書を読んでみたいと思っています。
その際には、またこのブログで読後感を書きたいと思います。

 

2021/09/24

伊集院静さんの「大人の流儀6 不運と思うな。」を読みました。

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『大人の流儀6 不運と思うな。/伊集院静著(講談社)』を読みました。

この「大人の流儀」シリーズは、帯にも書かれていますが、ベストセラーなんですね。
あまりベストセラーに手を出さないのですが、私はこの本には手を出しますねぇ。
ふつう、こんなこと言っちゃったら、ちとマズいだろ・・っていうような“もの言い”も度々出てくるのですが、伊集院さんの場合は「OK」なんですよね(^_^;)

それは「叱られたい」「ほんとうのことを言ってもらいたい」「他の“へっぴり腰”な言い方をしている人達とは違うってところを見せてもらいたい」というようなことがあるんだと思います。・・私もそう。

何かわからないことがあったときに、スマホで調べ、画面を「ほらっ」って見せるヤツ・・私も伊集院さんと同じで大嫌いです。「図書館に行って、本で調べて出直せ」って言ってみたかったが、そもそも図書館も行ったことないし、本なんか5年で一冊くらいしか読まない人ばっかです・・多勢に無勢で、もうそんな頑固親父みたいなことは誰も言えない。

あと、この本のタイトルにもなっていますが、「不運と思うな」という言葉。
不運と思ってしまったら、己を不運と考えた瞬間から、生きる力が停滞するから・・とおっしゃっています。
同時にその人の周囲の人たちを切なくするだけで、生きる上で大切な、誰かのために、生きる姿勢が吹っ飛んでしまう・・と書かれていて、そうだよ、そうなんだよ、と頷きました。

ヤンキースにいた松井秀喜が守備の際に左手首にひどい骨折を負ったとき、不運とは口にしなかったと懇意にしていた伊集院さんは書かれています。私もそれは感じていました。
だから、あのあとの再度の活躍があったのだと思います。

また、「宇宙や万物は、何もないところから生成し、そして、いずれは消滅・死を迎える。遠い未来の話だが、『自分の命が消滅した後でも世界は何事もなく進んで行く』が、決してそれが永遠に続くことはない。」と書かれていて、たぶんもっと以前の私だったらあまり理解できなかったと思いますが、でも、今なら何となく、沁みるようにわかる気がします。
本は、読む時期によって、また新たなことに気づかせてくれます。
今回も気づいたことは多かった。

 

【この“振り返るシリーズ”を振り返る(^^;)/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №51】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
気がついてみれば、もう50回も書いてきました。
思わず笑ってしまうことから、思い出しただけでもつらい気持ちになるものまで・・。

でも、こうしてやってみると、その真っ只中に入り込まずに「人生」を眺めているような、そんな気がしてきます。
こんなこともあった。あんなこともあった。そして自分は今ここにいて、こうしている。みたいな感じです。

以前にこのブログにも書いたかもしれませんが、困ったとき、行き詰まったとき、「人生をながめるように見ろ」と書かれた本を読んだことがあります。

今、まさにこの「過去に会った人、出来事シリーズ」を書くという作業は、「人生を眺めている」ようです。

私に対してとんでもない仕打ちのようなことをした人、突拍子もない行動をした人、人を貶めることに血道をあげる人、いろいろいましたが、「人は何故、何のためにこういうことをするのだろう」と思うと、何かが見えてくるような気がします。

「人生を眺める」・・これは静かに、穏やかに生きていくことのコツなのかもしれない、と思いはじめたところです。

 

2021/09/23

【きちんとしたら、今まできちんとしていなかったことがバレる?!/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №50】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
前回のこのシリーズで情報部門では所属長が異動となり、新しい所属長がやって来たことにふれました。

その新しい所属長のもとで、私は新システムの開発、移行を行ったのですが、ということは旧システムがその時には存在していたわけです。

私の仕事は、新システムに移行するまでの、旧システムの運用、維持管理もあったのですが、もちろんその旧システムはインターネットにも繋がっているので、私が赴任した頃には、ほとんど“閲覧無法地帯”と化していました。
だから、妙なサイトに行ってウイルスに感染したり、異常なほどの閲覧件数が目に付き、さらに自宅などから持ち込んできたCD・ROMなどを読み込んだ際にもウイルス感染しているような状態も確認できました。

調べてみると、いろいろそういったものを感知するアプリケーションなども既に旧システムは具備していて、でもまるで使用されていないのでした。

前の所属長の時に、そのアプリケーションを活用して不正閲覧等の対応、異常なほどの職員のアクセス数の減少を図ろうと思うと相談したら、

「そんなことしたら、今までやれば出来たのにそういうことをやって来なかったというのがバレるだろう。ダメだ。」・・というわけです。

・・じゃあいつまでたってもやらないってことじゃないのと思い、がっかりしましたが、新しい所属長に変わって相談したら「やってみなさい」となりましたd(^_^o)簡単なことだったのです。

で、どういう状態だったらどういう形で注意・勧告するかを決め、決裁を取り、正式に規程を設け、早速実行しました。
実行する二週間前には、インターネット閲覧や、検索エンジンでの入力キーワード、実行ファイル名などの調査をしますよとアナウンスしました。

でも、ザクザクと出て来ました。それらに注意のメールを送ったり、目に余るもの(規程を設けた)については、所属長から注意してもらうなどということを行いました。

そしたら・・インターネットがいつも混んでいて繋がりにくいという苦情があったりしたのに、月間100万アクセス単位のアクセス数減少となり、ネットは快適に(^^;)

ウイルス感染も激減、自宅から怪しい動画や画像、妙な exeファイルの持ち込み・実行も減少しました。

《今までやれば出来たのにそういうことをやって来なかったというのがバレる》
・・こんな愚かな理屈を上に立つ者が言ってはいけないと、あらためて思いました。

ただ、これについては後日談があり・・。

「こんなことができるんだ」と、人事の部署が目をつけたようでした。感覚的になんですけど、目がギラッと光った感じがして、背中がゾクッとしました。
あくまで感覚的にですけど、そういうのって大抵“当たって”います。
アダルトサイト閲覧や、業務外のインターネット利用、不正なインターネット上のやり取り・・などなど、人を陥れるには持って来いのデータが私の部署にあるわけです。

隠密裏にその調査データが欲しいとの“ほのめかし”がありましたが、私も所属長も正式に、公式に手続きをしてくださいと返事をしました。そうでなければ、“逆不正利用”ということになります。

その後はなんだかあやしい空気が流れているのを感じていましたが、私の上の上での頭越しのやり取りもうまくいかなかったようです。
こういうのって、とうとう私は苦手というか、入り込めない世界でした。

なんだろう、職場や仕事環境を良くしよう、開かれたものにしようというよりも、別の重力が働いている・・と感じるからです。

こういうことに深く関わってくる人って、一生こんなことをやっているんでしょうね。
もっと人のため、世の中の役に立つことに自分の仕事上の力をかたむけてみたらどうかと思いますが、あらゆる事、あらゆるデータを利用して自分に有利な人事的展開をねらうのでしょう。・・勝手にやって!

 

2021/09/22

【南先生の玉手箱_0043_転校生を見ていた担任の話】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回取り上げる文には、「年」が入っておらず、2月19日、20日と記載されているだけでした。文面から推察すると、どなたか担任をしている先生の文を引用して、その上の立場から書かれたもののようです。


以下、先生の文章です。

◎2月19日(月)6校時、道徳の時間に2人のあゆみノートを読んでやった。
ひとりは級長、もうひとりは転校生で給食をひとりでポツンと食べている子ども・・・。

ひとりでポツンと食べている状態が2週間ほど続いて、おかしいなと思っていた。
そして誰かが何か行動をおこすのを待っていた。
私は待ちきれなくなって級長を呼んだ。どうなっているのか聞くと、何回さそっても一緒に食べようとしないとのこと。
・・どうしようかと迷う級長のあゆみノートに何度もさそっているのだけれど、ということが書かれてあった。

そこでとって返したように転校生のあゆみノートを読んでやった。
その内容は、昔がなつかしいとのこと〈青森の仲間はみんな個性があって、のびやかだった。もう一度もどりたい云々〉であった。

人はみんな過去を美化する傾向がある。
私は私のあゆみノートに対する返事も含めて読んでやった。
〈今現在を一生懸命生きて、そして未来につなげる。このほうがよっぽど夢がある。〉という話しをした。

みんな今を一生懸命生きよう!!
これが子どもたちに伝えたい私の願いであった。

転校生もこんな思いをしていることを知らせると共に、みんなが考えられる場面をつくった。
この転校生は忘れもののない日がないくらい多く、生活面に問題も感じているが、感性は確実に育っていることが確認できてうれしく思う。

転校生をみんなの前で認知させると共に、みんなで今のことを考える・・・。

また今日一日が終わった。あゆみノートが私の財産であるということを確認し、明日の給食の時間にクラスのみんながどう動くのか。一緒に考えようと思う。

また今日がはじまった。子どもに私自身が高められる。明るくのびやかなA組でありたいと願いつつ出勤する。

◎2月20日(火)興味深く、給食に行った。
私もいつものように片手にあゆみノート、片手に今私の読んでいる本を持って、さりげなく、あくまでも普通をよそおって教卓についた。

さて、昨日の問題を子どもたちはどう考えたのだろうか。
あゆみノートを書きながら子どもを観察する。
今日は子ども達が問題意識をもって実行にどううつすのかの場面である・・・。

ところが・・私の心配をよそに、じつに“あっけらかん”と級長の班で一緒に食べているではないか。

子どもの復元力と言うか、素直さと言うか、協調性と言うか、何と表現したら良いのか分らない喜びと、おどろきがあった。

子どもとは、こういうものだということを肌で感じた。
子どもらに高められながら、自分り教育観に自信を持って、また明日も楽しく頑張りたい!!

以上、ある担任の生活メモ(記録)からの抜粋である。

〈自分から悪くなろうとしている子はいない〉

みんなで共に本当の子どもの声が聞こえる自分になりたいものです。

以上、今年度最後の玉手箱でした。

〇ヨレヨレな文字で、まちがいも多く、細かな配慮も欠けた週報で、大変ご迷惑をおかけしました。みんなで頑張ろう!!と言う声が聞こえます。
お互いに持ち味を生かして、生き生きとした横中にしましょう。


以上が先生の文でした。

実際に学校の現場で起きていることが臨場感をもって書かれているもので、それについて先生がコメントしているものでした。
この文中に「玉手箱」という表現があって、私がこのブログのカテゴリー名に『南先生の玉手箱』と付けたのですが、先生ご自身も使われていたことを発見して、ちょっとうれしい気分になりました。

 

「B面昭和史 1926→1945/半藤一利」を読みました。

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『B面昭和史 1926→1945/半藤一利著(平凡社ライブラリー)』を読みました。
なんと、600ページもありましたので、たいへんでした。

そして、“B面”となっておりますので、各章冒頭では歴史的事実としての教科書的なその時代の記述があり、そのあとに新聞で言えば三面記事、その他世間で話題になっていたこと、当時の実際の町の様子などが書かれていました。

1926年から1945年の間について書かれているわけですから、徐々に日本の国際情勢は悪化していって、軍部の力が増していき、戦争に突入。
やがて・・第二次大戦終戦・・。ということになります。

中国のどこそこを陥落させたと言っては、提灯行列などを行い、お祭り騒ぎをしている様子を見て、ほんとうに昔の日本人は困ったものだ・・などとは言っていられない、と思いました。

あれほどコロナウイルス感染拡大に困った、困ったと言っておきながら、オリンピックが始まると“大騒ぎ”の“お祭り騒ぎ”。
さっきまで困ったねぇという顔をしていたアナウンサーが「うっほほぉ~い」と突然の表情変化を見せると、皆んなが皆んなモードが変わって浮かれ出す!

日本人の基本的な様子は、あまり変わっていないんじゃないのか、と思いました。

そんな日本人気質を考慮に入れて、“あの方”はこのコロナ過の只中、オリンピックを開催し、浮かれ気分のまま総裁選、そして総選挙に突入しようとしていたんじゃないでしょうか。

そしてそんな緊急時に“自粛警察”みたいな人が現われたりするのも当時に似たようなことがあったと書かれていました。
浅草・本法寺境内に「はなし塚」といって、落語の「明烏」や「居残り佐平次」「品川心中」などの花柳ネタや、妾ネタを塚に封じ込めるなどという・・馬鹿げたことをやっていたことが書かれていました。

また、昭和19年の雑誌「科学朝日一月号」では、朝永振一郎らが集まって核分裂の話をしています。
アメリカがひょっとしてウランを売らなくなったのは・・と、鋭いところをついていました。
話っぷりを読んでいると、「まさにウランを売らん」などと冗談を言っていて、“まさか”という感じなのですが・・。

もうひとつ感じたのは、人間、コロナ過でも、戦時下でも、毎日毎日、そして一日中“深刻”で“真っ暗”な生活をしているわけではない、ということです。
そりゃそうです。24時間心配の“しっ放し”なんかしていたら生きていけませんものね。
そんな中にあっても、思わずプッと吹きだして笑うようなことも必要なんですよね。

そして気持ちを緩める場や時間も時には必要なんだ、ということも感じました。

とにかく、A面を語るときには、まるで歴史書を読むようですが、B面を語るときには、“煙突男”の話や、“アベサダ”の話もどんどん飛び出してくる、ヘビー級のボリュームを持つ、歴史の裏の姿を映した本でした。

完読。疲れた・・。

 

2021/09/21

【仕事での人生上、いちばん悲しかった日/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №49】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
情報部門にいたときの悪魔のような上司が異動でいなくなり、でも大番頭の小魔王が昇格してあとに残ってからの話です。

私の仕事はいよいよ佳境に入り、本庁から各出先機関、施設、学校等を繋ぐネットワークの再構築、そして様々な回線を利用しているそのときの現状ネットワークを業務系のものも含めて統合し、バックアップ回線も整備する。
そのバックアップ回線の空きを利用し、VoIPを使い、新しいネットワーク上に音声を流し、主な出先との内線電話をネット上で繋いで無料化する。
さらに職員8千人以上が日常業務で使っているシステムと端末を新しいものに作り替えて、その操作研修を職員に対して行う。
さらにその運営上の要綱・要領の整備。また、新しいネットワーク及び端末上で所管課が現在動かしている約150のシステムを今までどおり稼働させる。大雑把に言ってこれがメインで進める仕事でした。

3月に人事異動の内示があり、私の班のメンバーも固まったことから班員を集め、それぞれに役割を振り、皆で「頑張るぞ~!」って集まって気合いを入れていた日のことでした。

夕方、5時間際だったかと思います。
大魔王の大番頭だった小魔王が私を会議室に呼び込みました。
そして、このあと長時間に渡って「監禁」。

私の仕事人生でも一番の悲しい出来事がこのあと起こりました。会議室には小魔王と二人きりです。

小魔王:「この4月からの一年、遊んで過さない?」

私:「えっ、どういうこと?」

小魔王:「あなたは名前だけネットワークシステムの長になって、仕事は私がやる。一年間、なんでもいいや、ヘルプデスクの女性を一人預けるから、パソコンいじって一年過してよ。それで給料貰えるなら“いい話”でしょ。」

私:・・・・無言。

(私の心の中 → 大魔王からの遠隔指令か?!懐刀(ふところがたな)のこの男を出世させたいんだろうな。 それにあの人、私のこと大嫌いだったもんな。 私が大きな仕事をするだけで許せないんだろうな。 断るのが普通だけど、このあとどんな嫌がらせをされ、一年間どんなひどい目に遭わされるかもわかったもんじゃない。話を飲むか・・。その方が心臓手術で痛めた身体にもいいかもしれない。)

すると・・

小魔王:「ちょっと待ってて、今からあなたの部下があなたにひと言あるっていうから一人ずつ入れるからね。」

で、ひとりずつ入ってきては入れ替わりに私に言葉をかけます。

私の班員A:「失礼します。〇〇さん、あなたの実力では、この事業は完遂出来ません。この仕事から降りてください。」

私:「ちょっと・・何言ってんだよ。さっき、皆で頑張ろうって話し合ったばかりじゃないの。」

私の班員B:「失礼します。無能な〇〇さん、あなたなんかにこの仕事は無理です。早くあきらめてください。以上です。」

私:「・・・・・。」

私の班員C:「実力不足の〇〇さん、誰もあなたにこの仕事が出来るなんて思っていませんよ。もう辞めてください。」

私:・・・胸が苦しくなり、悪寒がして体が震えだした・・・。

私の班員D:(もう、目を伏せていて私と目を合せない)「楽になった方がいいですよ。出来ないことはやらない方がいい。」

私:?!?!?!?!・・・・ははぁん・・。わかりました。私と班員との打ち合わせ後に私の班員のうち中心的な者を集めてこうしろとセリフを一人ずつ覚えさせたのね。

怒りがふつふつと湧き上がり、忍耐の限界を超え、腹が据わりました。

小魔王:「わかった?じゃこの話は飲むよね。」

私:「部下が入ってくるまでは、仕方ないから飲もうと思っていましたが、こんなことされて飲めるか。死んでも仕事はやる。私をこの部屋から出してくれ。」

小魔王:「そんなこと言えるのか。では、班員を二人減らすよ。そして、〇〇課で抱えて頓挫している新しいシステムの構築の仕事をもらったうえで増やす。たぶん仕事量は三・四倍になるぞ。それでもまだ断れるかな?」

私:「ありがとうございます。仕事が増えてやり甲斐が出来ましたよ。」

小魔王:「どんなことになっても知らんぞ。」

・・で、解放。

私が班員皆のところに戻り、

「仕事は降りない。断ってきた。班員は二人減らされ、仕事も増えるが、私は全力で頑張る。ついてきて欲しい。」

さっきの班員達:「申しわけありませんでした。あのセリフは全部あの人に覚えさせられ、言わされました。言うことをきかないとどうなるかわかってるか、と言われたもので。ほんとうにごめんない。」

私:「途中でわかったよ。もう、いいよ。明日から頑張ろう。」

というわけで、このあと一年は、大変な仕事量にもなり、様々な困難もあり、さらに小魔王の妨害工作を何度も受けながらも、事業は成し遂げました。

それについては、また書ければ書こうと思っています。

あらためて思うのは、そもそも大きな仕事を自分の手柄にしたいため、そして私個人への前の上司からの私怨のために、職員8千数百人、そして様々な関わりを持ってくる方々、数十万人が不便・支障を来すかもしれないような妨害をするって・・仕事をする者として、社会人として、人として、してはならないことです。

でも、世の中っていうのは、こういうことの中で回っているのだな、とあらためて深く感じました。

男って「“敵”を仕事上で殺しながら」生きていきます。また人の下に“ずる賢く”入り込んで自分の出番を秘かに待っていたりします。

そして、突然裏切って平気です。

私はどちらかというと、そういう男の闘いの場にも入っていない“雑魚(ざこ)”の部類です。
“こんなヤツ”ひねり潰しておくか、程度のものだったのでしょう。

「こんなことされて飲めるか。死んでも仕事はやる。」
私の言葉を聞いて相手は驚いたと思います。私は臆病で、言いたいことも言えない虫けらのような男だと思っていたと思います。

この言葉が出るまでの、部下からのひどい言葉を受けた気持ちなど、この相手には一生分らないでしょう。人にはそれぞれ心があり、家族もいて、日々細々と生活しているのだ、という想像も出来ないのだと思います。
自分が出世レースの真っ只中に常にいる人には、そんなことゴミのようなものでしょう。

こういう人がどんどんのし上がっていくのを、そのあとも私は見続けました。
今回私にこんなことをした人も、たいそうエラくなりました。

以上、思い出しただけでも悲しみと、怒りに震えますが、本日は、これにて。

 

2021/09/20

【立つ鳥、跡を濁そうとする話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №48】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
情報部門にいた時に、私が“大魔王”というか悪魔だ(心臓発作を起こした私に、とりあえず自分が読む挨拶文を作ってから発作を起こせと言った男)と思っていた所属長が異動でいなくなることになりました。

その時に私ともう一人、私と同じ役職だったが、所属長異動と共に昇格した、いわば所属長の“大番頭”というか“懐刀(ふところがたな)”とでもいうべき男も呼ばれ、

「今まで自分は朝7時前に出勤していた。それを見ていた受託業者の社員もセキュリティの解錠と共に部屋に入り、仕事をしている者もいた。それが慣例になりつつあるので、その“伝統”(??)を守ってほしい。4月から二人とも7時前には出勤していてほしい。」

とのこと。

私は、「むしろこの機会にそれをやめた方がいい。人がまだほとんど出勤して来ない状態の時に様々な「不正」等が発生し易いと思います。この部屋には重要データ、機密データ、基幹システムが有り、重要システムのサーバーもあるのですから。」と断りました。

所属長は信じられないという表情をしましたが、“大番頭”の方は「私がその伝統を一人で守り抜きます。ご安心ください。」 (・_・; と発言、二人で手を取り合っておりました。

・・私の言ったことが「正論」だったと思います。悪しき慣習は事故が起こる前にやめておくのが一番です。

続いての大魔王の行動。
課を去る直前の日に、庶務や管理的業務を行っている班の担当者に直接話しかけていたので、私、また何かやろうとしていると思い、聞き耳を立てておりました。

この情報部門の課はセキュリティが厳しく、静脈認証で入室することになっており、職員以外は受付手続きをして名札をもらい、ドアの施錠を解除してもらい、入室することになっています。
異動で外部に出たら、当然課員としての静脈認証の登録は抹消されるのですが、大魔王は・・

「おい、俺だけは静脈の登録を残しておいてくれ。フリーで入れるように。」

「何を言っているんだ」と、私とは別の班の仕事でしたが、中に割って入ろうとしたら・・

担当者:「それはどんなことがあっても出来ません。何を言われても、セキュリティを管理する私の仕事を全うします。」

'(*゚▽゚*)'立派でした。彼の結婚式に呼ばれたときにもそのことを褒めましたd(^_^o)

大魔王、まったく情報部門と関係のない部署に異動になったにもかかわらず、まだ入り込んで“ちょっかい”出そうとしていたのです。油断ならない。

朝早く7時前に所属長が出勤していたのも、つまるところ「家にいられなかった」のだと思います。
当時、飲み会をやっても、まるまる二時間仕事の話をして、ダメだしをしたり、仕事の話以外に何一つ話題がない人でした。
家では、仕事なんかの話しをたって、家族誰にも相手にされなかったのでしょう。

そうそう、その所属長が年休届を前日に出しているのを課員が見て、みんなで「明日はいい日になるね」と大喜びしていると・・翌日朝、部屋に入ってきたら・・

いるんですよ。所属長が。

小声で近くの職員に「ねえねえ、昨日、年休届を出してなかったっけ?!」と聞くと

「来ちゃうんですねぇ。行くとこ無いんでしょ・・。」とがっかりした声で答えが返ってきました。

年休が出ているのにずっと席に居ます。お昼も食べました。
午後になってもいます。( ̄O ̄;)

午後3時頃になったら・・「じゃ俺は年休だから帰るよ」・・だって。

ほんとうに行くところが無いんですね。

 

2021/09/19

【「三崎漁港は東京と言えなくもない」と言われた話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №47】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
前回は、心臓手術を経て生還したお話でした。
今回は、そのときの情報部門の職場で私が親睦会幹事長だったときの話を思い出しましたので・・忘れてたけど思い出しちゃったんですよ・・書いておこうと思います。

課の親睦会では、慶弔見舞金を出したり、課内職員の簡易的な福利厚生、また当時は最大のイベントは「課内親睦旅行」を行うことでした。

なので、毎月会費を給料から天引きしていたのですが、旅行時期前になると職員の顔が“浮かない”感じになっていることに気付きました。
・・ようするに・・行きたくない人が多数いるんだろうな、ということなのです。

そりゃそうだよ、密室監禁状態で“大魔王”のように君臨している所属長の理不尽な命令に日々懲らしめられているのに、大切なお休みの日に、また理不尽なことを言われながら、這いつくばりながら旅行に出かけるなんて・・家でお茶漬け食べてた方がよっぽど“マシ”だと思います。

ということで、当時異動してきて一年目だった幹事長の私、課員全員にアンケートを取りました。もちろん無記名で。

行きたくない、親睦旅行はもうやめてほしい→が、ぶっちぎりの第一位95%

どうしても行かなければならないなら東京あたりの美味しいところで食事して帰ってくる→複数回答でやはり95%(つまり行きたくない人の魂の叫びとしての回答です)

東京で食事して、どうしても宿泊せねばならないのなら、そのまま東京でホテルに泊まり翌朝解散 これも複数回答から→70%

どちらでもよい→0%

行きたい→5%・・・行きたい人は、「行き先はどこでもいい」が全員でした。

この結果を受け、大多数の意見を取り入れ、会費もすでに徴収していることから、東京で食事して翌日朝解散でどうかと、“大魔王”に打診したら・・・その場では「考えてみる」となったのですが・・。

昼休み、私が食事に行っている間に、大魔王は私の下にいる幹事の職員を呼んで激怒!
「みんなの楽しみをつぶす気かっ!」と。(・・ほとんどみんな行きたくないと言っているよ・・)
で、私に内緒でアンケートの紙を全部よこせと、アンケート回答用紙を出させ、一枚ずつ“筆跡鑑定”を始めたとのこと。
そして、「あのやろう・・」と、見慣れた文字から書いた人物を推定して怒りまくりだったとのこと。(・・こんなこと、やっちゃいかんよ)

で、私がお昼から帰って来たら、「どうしても行くぞ。俺は三崎漁港でマグロの“カマ”が食べたいんだ。」(奥さんとでも行ってきたらいかがでしょうか)

私が「せめて東京で一泊が皆の気持ちのようです。」というと、

「三崎漁港は東京と言えなくもないだろう!絶対に行くっ!!」と叫び、結局は東京と“言えなくもない”三崎漁港に泊まりで行くことになりました。(注:三崎漁港は神奈川県三浦市です。三浦半島の突端・・)

泣く子と大魔王には勝てません。

最終的に、六本木瀬里奈で「しゃぶしゃぶ」を食べて、希望者にはその後「ものまねショー」を見てもらい、ANAインターコンチネンタル・ホテルにて東京宿泊。
朝は、和食かイタリアンの朝食をとってもらい、お昼は三崎漁港まで行って、料理屋で「マグロの“カマ”」を食べ、帰ってきました。

当時、この課に来たばかりだった私が幹事長として出来るのはここまででした。

この頃から、我が社では課の親睦旅行というものは激減し、今ではもうやっているところは、ほとんど皆無の状況だと思います。

・・みんなイヤだったんだよ。

 

2021/09/18

【手術室での話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №46】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
前回のこの回顧文で、心臓に手術の必要ありと健康診断で言われた話を書きました。
で、けっこうつらかった職場でしたが、秋になり、予定の手術日がやって来ました。

十数年前の当時は、私に必要な手術は県内で二人の先生しか出来ないと言われ、そのうちのお一人の先生にお願いしました。
入院して、検査をして、手術の前々日に先生から個室に呼ばれて説明を受けました。
先生は正直に、今まで三千人に同様の手術をしてきたが、失敗したのは二例ある。その二例は最初と二回目のものだったとのこと。
今回の私の手術は、三時間くらいで終わる予定だとのことで、図を描きながら手術の内容も詳しく教えてくださいました。

手術は局所麻酔で、私に意識を持たせ、強制的に心臓発作を起こしている間に私に耐えられるか聞きながら、そしてモニターを見ながら患部を探し、脚の付け根からと、胸に一ヶ所の穴を開けてそこからもカテーテルを入れて電気的に熱で患部を焼いてしまうということでした。

心臓って電気信号で動いていて、“電線”のようなものが配線されているのだそうですが、私は、それが生まれつきループが起こるような配線になってしまっていたのだそうです。
だから、突然電気的ループが起こると信号の永久運動が起こって何もしていないのに脈拍が一分間に200くらいまで上がってしまう症状が起こっているとのことでした。

よく犬・猫などの手術に使うエリザベスのようなもので局所が見えないようにして手術を開始。カテーテルを入れたときに動脈から入れるので、激しく血が吹き上がったのを覚えています。

何度も何度も強制的に心臓発作を起こし、その間にループしている電線を手探りで見つけ、焼いていきます。不思議とその熱さを感じることができました。
何か薬を点滴から入れて、人工的に発作を起こしているようだったのですが、これが今まで経験したことのないほどの強烈な発作で、ものすごくつらいものでした。

手術は結果的に三時間ではなく、七時間かかったと、妻からあとで聞きました。

六度目の強制発作と施術が終え、先生から「もう大丈夫だと思うが、あと一度だけやらせてもらえば完全治療の確信が持てる、頑張れますか?」と聞かれ、「もう苦しくて無理です」と言ったのですが、「頼む、やらせてくれ」と七度目の強制発作を起こし、最後の熱施術を受け・・私は意識が遠のき、「あ・・死ぬかも・・」と思ったときには意識がなくなりました。

その瞬間、私は手術室の上の方から先生と看護師さん達が手術台を囲んで私に大声で話しかけているのを見ていました。
あれ、あそこに寝ているのは私・・。

先生は「〇〇を何ミリ注入!」と叫び、看護師さんが「投入っ!!」と大きな声を出して作業している。「〇〇さん、がんばれっ!」と先生が叫んでいる。

そして、「よおしっ、帰って来た。よかったぁ~。〇〇さん、よく頑張った」と聞こえた瞬間、また私は手術台に横たわっていました。

どうやらあっちの世界に渡らずに済んだようです(^_^;)
で、先生と目が合い、すぐに気絶。

意識がその後戻ってきて手術室から出ました。
全身血まみれの私が出て来たので、妻が大声をあげて泣いているのが見えました。
それを見て、また意識がなくなりました・・。

数時間後にやっと病室のベッドで目覚め、妻と会話することが出来ました。

手術室での不思議な話は後日、妻にしました。

そんなこんなで生きて帰ってきた、というお話でした。

 

2021/09/17

「詩人の旅/田村隆一」を読みました。

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『詩人の旅/田村隆一著(中公文庫)』という本を読みました。
詩人・田村隆一氏(大正12年生、平成10年没)が隠岐、若狭、伊那、越前、越後などを旅していく、というだけのものですが、これがなんだかおもしろかった。

ひとりで行くときもあるし、著者よりも若い“イキのいい”男性が連れて行ってくれる場合もあるし、奥さんと出かけた場面も出て来ました。
著者の目に映る旅先の光景は、景色だけでなく、その地の空気や光、においまで感じました。詩人たるが由縁なのではないかと感じました。

それから、田村さん、よく“飲み”ます(^_^;)
列車内ではビールから始まって、ウイスキーを相当量っていうか、多量っていうか、しこたま・・飲んでいます。
そんなに飲んで旅先に着いたときに、あちこち動けるの?って思いますが、いやもう“きびきび”と、しかも好奇心たっぷりに旅を楽しみます。

おいしいものにも“行く”し、地酒も嗜みます。そしてその土地の人とも実にうまくふれ合います。
“達人”の域だと思いました。

ひとり旅について、「自分がひとりで旅をしていくってことに対してどんなにいろいろな、さまざまな力がそのひとり旅を助けているかということを具体的に経験すること。」と語られていますが、それを聞いて“目が覚めた”気がしました。

また、風景について「どんな乗りものに乗っても窓わくがあるんです。その窓わくで見た景色が大事なんです。窓わくがなかったら、まったくのっぺらぼうになっちゃう。」ともおっしゃっていて、これも納得してしまいました。
窓わくが風景とか印象をとどめてくれる・・そんな感じでしょうか。

というわけで、詩人独特の旅にふれることができました。
とても潔い本という印象でした。

 

【理解できないことが次々と起こった頃の話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №45】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
情報部門でのレポート好き、スケジュール管理好きな上司のもとで仕事をしていた頃の話に戻ります。

当時、今もそうですが、所属長は一定の役職の部下に対して面接を年に何回かして、またその部下から目標達成のためのシートも提出させ、アドバイスや職場での様子を見て、本人の希望や健康状態などについても把握せねばならないのです。

ですが、その時の上司は、私に対してただの一度も面接を行いませんでした。
その時期になると、他の私と同じ役職の職員には時間を決めて個室で面接をしていましたが、私には廊下ですれ違うときに・・

上司:「お前は、今の状態に満足している。だから面接では良好な状態だと発言した。そうだな?!」

私:「いや、面接は面接でしていただきたい・・。」

上司:「何の不満もありません。そう言ったんだよな。それでいいんだよな。」

私:「・・・・・・。」

上司:「よおしっ!面接終わりぃ~。」

これで三年間済まされてしまったのです。
これって、ひどいことだし、許されないことだったと思います。

さらに・・。

その職場にいたときの健康診断で心臓病が見つかり、かかりつけの医者から紹介状を書いてもらって、今のあなたの病気の手術が出来る先生は県内に二人しかいないので、そのどちらかにすぐに行くように。
と指示を受けて、先生のところに行って手術することになったのですが、夏休み期間中は、子ども達の手術で予定が埋まっているので、9月以降に日を決め、それまでは発作が起きたときには安静にして発作が収まるのを待つ形でしのいで、なんとか手術日まで頑張って。
ということになっていました。

そしてある日、職場で発作が起き、「少し安静にしています」と上司に言ったら、「午後から受託業者との大きな会議があるので、その冒頭挨拶文を書いてくれ。」と言われてしまい、「今の状態は脈拍も200を超えているので出来ません。」と返事をしました。

そうしたら、「発作は挨拶文を書いてから起こせ。大事な会議の挨拶だ。現在のITのトレンドなどを語ってから挨拶に入るようなものにしてくれ。」と、まったく人の話を聞きません。

「どうしても書かなければなりませんか。」「そうだ、俺が困るんだ。」のやり取りがあり、・・・キーボードにしがみつくようにして何とか書きました。でも、身体も精神も普通の状態ではありませんから、そんなにいい文は書けません。

「こんなの読めるか、やり直し!」と言われたときには「こいつは人間じゃない。」と本気で思いました。
で、なんとか形にしましたよ。そのあとソファに倒れ込み発作が収まるのを一時間ほど安静にして待ちました。・・こんなことがあったのです。

この時の職場は前にも書いた東京の職場のようにビルも独立し、静脈認証でドアは閉ざされ、完全密室でした。
だから「王国」が築かれていたのです。誰も文句を言ったり、批判したりも出来ない、他の職場とは隔絶されていて誰も見ることが出来ない、完全鎖国状態に王様が一人という職場でした。

さらに、上司からは時々メールにパワーポイントのファイルが添付されて送られてくるのですが、「夢工房」と書かれたもので、将来の我が社のIT関係の未来図が書かれており(私から見たらたいしたものではなかった、むしろ愚策)、さらに将来の我が社の情報部門における人事の未来図も添付されていました。

誰がどの役職にいて、こうなっている、という図なのですが、課長にも部長にも局長にも私と同役職の者か、あるいは今の私の部下達の名前が連なっていて、どこを探しても私の名前なんか見つかりませんでした。・・上司の頭の中には、いないことになってるんだから当然でした。
これも、やる気を無くす、パワハラ的なひどいメールでした。

以上、今考えても恐ろしい、非道い状況だったのです。でも、心臓病も治さねばならず、そのときの精神状態もなんとか職場にいられる状態に保たねばならず、ただただ我慢していた日々、ということだったのでした。

ただ、この上司が異動でいなくなり、次の上司に代わってからは私の立場や、仕事への取り組みは激変しました。
その上司への感謝についてはまた書こうと思っています。

思い出しながら書いていて、少し具合が悪くなりましたので、きょうはこの辺で終わりにします。

 

2021/09/16

【ぶ厚くて立派な陳情書をつくるよりも、という話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №44】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
今回は、広聴部門にいたときのお話です。「広聴」って、ようするに様々な人や団体などから集まってくる要望、苦情などを聴き、対応、回答をしていくところです。

私は、陳情書の担当になったことがありました。
とても立派な、数十頁に渡るようなもので、表紙などもきちんとしている・・そんな陳情書もありました。それには数十件の要望が書いてあるのです。

担当してみて、気づいたことは、過去に同じ団体から出されたものを調べてみると、毎年、毎年同じようなことが書かれているということでした。

この立派な陳情書を団体として今年も提出出来た・・っていうのが大事なことになってしまっていて、要望が実現されることが後回しになっているという・・なんだか本末転倒みたいなことになっていたのです。

で、陳情書をよく読んでみると、例えば40件の要望中、20件くらいはすぐにでも実現出来そうです。残りは十年後の未来の姿みたいなことなので、ま、それはじっくりと所管部門で回答を練ってもらうのですが。

出来そうなこと、例えば「歩道の切り下げ部(歩道にクルマの出入り用にスロープをつけているところ)が、ベビーカーで行くと斜めになってしまって困る。」なんてのもあったのですが、こんなのすぐに土木に電話して見てもらったらどうかと思ったのです。自分が土木にいたこともあるので、すぐにそう思いました。

どぶ板が割れている、外れている、とか、いくらでも即対応できるものがあるので、陳情団体と土木の直接の担当者に連絡して、時間を決め一日に5ヶ所くらいずつ現地立ち会いして、要望者からの話も直接聞いて、3~4日ですべて話がつき、二週間くらいで全て要望は解決してしまいました。

あっと言う間に20件は解決したので、団体の長に電話し、回答するのは残りの20件、今回解決したものについては文書化しませんと連絡。

「もう十何年も陳情してきたけど、こんなの初めてだよ。」と言われましたが、「陳情書を書く前に電話で担当部署でも私でもいいからどんどん要望を口頭でおっしゃってください。解決することは多いですよ。」と答えました。

要するに長文の立派な文書にして出してしまうと、主管課がとりまとめて回答して行くわけで、すぐに現地に飛ぶなんてことも無いわけです。で、予算時期にそれを思い出して文書を読み返してくれるか・・というと、たぶん見返されないので、何年も先送りになってきたのです。

即対応できる修繕費などは担当部署で持っているのですから、文書を作る前にどんどん電話で相談してしまえ、ということなのです。

立派な文書をつくる満足感というのもわかりますが、現実的に考えた方がいいよ、というお話でした。

 

2021/09/15

「にんげん住所録/高峰秀子」を読みました。

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『にんげん住所録/高峰秀子著(文春文庫)』を読みました。
大正13年生まれの著者・高峰さんは、平成22年に亡くなられています。

この文庫に収められている文は、平成10年から平成11年にかけてオール読物や週刊文春などに書かれたもので、単行本としては平成14年に刊行されています。

自らの生い立ちを書き、養母に育てられ、自分が女優として売れてからは養母はステージママと化し、子供として遊ぶことも、学校で勉強することも、本を読むことも「お金さえあればそんなものいらない」と取り上げられてしまった時代の話を読むと、なんだかとても気の毒でした。駄菓子屋でたむろす同じ年頃の子供達を見て、“一緒に遊びたい”と、じっと見ていたら、養母はその子供達を蹴散らし、店のお菓子をたくさん買い占め、自宅に戻ってから部屋にざっとまいて、「さあ好きなだけ」という感じでされたことも書かれていて、哀しい情景でした。

また、北野武氏と氏の母親との関係は自分とは正反対のものであろう、と北野氏の書いた本から抜粋した文も載せられていましたが、北野氏のお母さんが、さんざん憎まれ口をきいていたのに、最後に北野氏をどんなに思っていたかがわかる部分になると泣いてしまいます。
自分と養母の関係があまりにも殺伐としていたことが逆に涙を誘ったのでしょう。私も哀しくなりました。

ほかにも佐藤栄作首相の夫人、寛子さんとの遠慮会釈のない付き合いも書かれていて、これはほんとうにテンポもよく、愉快なお話になっていました。

子供の頃に、あの歌手の淡谷のり子さんと映画館の“どさ回り”をしていたことも書かれていて、淡谷さんの気取らない、あっけらかんとして、でもステージに立つとスターになってしまう姿も臨場感あふれ、見事な筆致で書かれていました。

この本は、様々な人との出会いや、不思議な出来事、愉快な話、美味しい食べ物についてなど、実に軽快に書かれていて、高峰さんは、まさに自然体な人だと感じました。
気取っているところもないし、妙にへりくだるようなところもない。
人生、ありのままの姿で歩まれた様子は、一人の人間として見習いたいくらいでした。
文章もめちゃめちゃ上手い!

まだ高峰さんが書かれた本はたくさんあるのではないかと思いますので、また書店、古書店などで見かけたら手に入れて読んでみたいと思います。

 

【今、“シメときました”んで・・という話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №43】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
今回の話は、やはり情報部門にいたときの話です。仕事はいろいろ・諸々ありましたが、職員が通常使用しているノートPCの管理もやっていました。

ヘルプデスクによく掛かってくる電話は、「パソコンに水をこぼして動かなくなった」ってヤツです。
まあ、事情を聞いて、このような事故は二度とやりませんという誓約書を書いてもらってから保険を使って修理ということになるのですが、その時は、ヘルプデスクの女性が電話で困っている様子。
担当の職員に代わったのですが、まるで“ラチ”があかないみたい。
チラッと担当職員が私の方を見ると「班長、まるでダメです。話が通じません。」

私が電話に出ると、相手の若い男性の職員は「さっきから説明しているのにわからないヤツばかり電話に出てくる。お前がここに来い!」とメッチャ強気・・。
「わかりました、うかがいましょう。」と私達のいる情報部門は別ビルにあるので、15分ほど歩いてその人の職場に訪ねて行きました。

水こぼし男:「あのね、あなたのところのヘルプデスクも、担当職員も私がパソコンを壊したから“今後注意して水をこぼしません”と誓約書を書けというわけ。」

私:「壊していないんですか?」

水こぼし男:「私はコーラをこぼしたんですよ。そうしたらパソコンが動かなくなった。その因果関係を示せと言ったんです。そうしたら、“えっ”と言ったきり沈黙ですよ。バカじゃないの。」

私:「コーラはどのくらいこぼしたんですか。あっ、そこにペットボトルがあるじゃないですか。500mlの半分以上こぼしたんですね。そりゃショートして壊れますよ。ましてや糖分入っているから被害は余計ひどい。」

水こぼし男:「だから、コーラのどの成分がいけなかったのか、コーラの成分表と、パソコンの設計図も示して、どの成分がどの部品に働きかけて、どう壊れたか明確に示せと私は言っているんですよ。」

私:「ただショートしただけですよ。電気製品の部品に水をかけたらショートするって当たり前でしょ。早く書類を出してもらわないと修理も遅れてあなたも仕事に支障を来すでしょう。」

水こぼし男:「私は至極まっとうな正論を言っているだけだ。あなたも班長と言いながら役立たずな人間だな。」

と、ここでさっきから私たちの話を聞いていたそこの管理職(室長)が足早にやってきて、水こぼし男の襟をうしろからつかみ、引きずり上げ、ずるずると思いっきり引っ張って後ろの部屋に連れて行きました。
で、室長だけ戻ってきて、

室長:「〇〇さん、申しわけありませんでした。今、あのバカ、シメときましたんで。どうぞ職場にお戻りください。誓約書はあのバカに書かせてこちらからお持ちするようにいたします。班長さんにご足労かけた上に、あきれるようなお話をしてしまいました。キツく言っておきます。ほんとうに申しわけありませんでした。」

ということで(^_^;)一件落着。
あの職員は、自分が総務のいい部署に異動になって、自分はヒラであるのに、よその部署の職員は係長だろうがなんだろうが、自分の配下みたいな気分になっていたようです。

あっ、うしろの部屋から出て来た。
真っ青な顔して小さくなって席に着きました。

じゃ、部屋で誓約書お待ちしてまぁ~す!d(^_^o)

 

2021/09/14

コロナウイルス感染拡大の防止に専任(専念?)するって言った人

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コロナウイルス感染拡大の防止に専任(専念?)するって言ってた人、いましたよね。
感染拡大防止には、莫大なエネルギーを費やすので総裁選と両立するのは無理だって言っていました。

その人、そう言ってから最初の三日間で感染拡大防止に費やした時間は36分だったって情報が流れていました(T_T)
自分の政治生命・延命策に失敗し、誰も信じない言い訳をして、せめて言い訳が通るように働けばいいのに・・それもしない。こんな人、もう誰も信じません。

9月10日付、厚労省の発表では、新型コロナウイルス感染による全国の自宅療養者数が10万3328人だそうです・・。
新規感染者は減少傾向にあるが、病床の逼迫は続いています。すぐには入院できない厳しい状況はまだまだ続いているのです。
20都府県で政府の対策分科会が示すステージ4(爆発的感染拡大)の目安となる病床使用率50%以上に達しています。
受け入れ先が決まらず、入院調整中の人は多数です。

自宅療養って、つまり“自宅に放置”ってことです。
家族の誰かが感染したときに、自己の家庭環境で、部屋を隔離したり、トイレや洗面所、浴室、日常の生活動線、食料、仕事をどうするのか、さらに独居だったりしたらどうすればいいのか・・。

三日で36分働いている場合じゃないでしょ!

それに、自宅でほんとうに「療養」できるっていうのなら、大臣はじめ国会議員の皆さん、「重症」になるまでは、「私達は国民の皆さんと同じく自宅で療養します」と宣言してくださいな。

大臣には副大臣という代わりの人がいますが、各家庭には、お父さんの代わり、お母さんの代わりはいませんよ。どんなに皆が不安に過しているかわかりますか?!

総裁選に出ているワクチン担当大臣の人、今までの大臣の仕事を見ていると、契約しただけで見込みの段階の不確定な情報を流したりして、自治体や国民をを右往左往させ、不安にさせる。そして国民の前で“グチ”を言ったりもする。
また、自分のやり方が未熟なのに自治体のやり方に難癖つけたりもする。
ワクチン接種の“邪魔”なので、もうあんたは仕事しないでほしいと何度も思いました。そのほうが自治体が頑張れるので接種はどんどん進む。

ついでに言うと、自己のツイッター上で片っ端からブロックをかけていることが話題になりましたが、「当然の権利だ」と発言しているのを聞いて、実はコメントも何もしていない人がブロックされている事例も多々あるようです。

要するに、いろいろツイッター上の発言を見ていて、気に入らないヤツは自分のツイッターにコメントされる前に、まだ何もしていないのにブロックしているわけです。

人のツイッターを見ているヒマがあったら、何千人もブロックしているヒマがあったら仕事しろっ!と言いたいです。

かつて、記者から質問をされたときに、答えたくないときには、「はい、次の質問」と完全無視して次の質問に移るというひどいことをして、とても良識のある人間のすることとは思えませんでした、というか、“子供みたい”な人です。

次の総裁になるんだかなんだかよくわかりませんが、期待できる人って・・ほかを見回してもいないです。

仕方ありません。マスク、うがい、手洗いをして、不要不急の外出はしない、など、やれることをやって、今までどおりの生活を頑張るしかありません。こんな人達なんか“あて”に出来ない。
自分の政治生命が第一の人たちにかまってはいられません。

それにしてもメディアは、うれしそうに総裁選の行方や、候補者のエピソードなどを報道していますが、こちらも“子供みたい”です。

以上です。家族で、自分で、頑張ります。

 

【仲良くしていた先輩と友人との関係について/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №42】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。

タイトルにある先輩は、初めての職場での先輩で、隣の係だったのですが、いろいろ声をかけてくれて、ギターを弾くというので、よく私の家に来てギターを弾きながら音楽談義などをしました。
先輩が国際交流部門に異動された時には、そこで知り合った英国の方も我が家に連れて来てくれて、やはり皆で楽器を弾きながら音楽について語り合うなどということをして、さらにバンドを組もうということで、先輩がメンバーを募り、バンド活動もしました。

もう一人、友人の方は、小中学生の頃から兄弟のように仲良くしていた友達です。
彼がギャグ満載の物語を書いてくると、私がそれを読み上げ、二人で転げ回ってよく笑い合いました。
彼は私とちがってスポーツマン。高校野球もやって、大学に入ってからも野球をやり、社会人になってからは草野球チームをつくり、私以外は野球部経験者で構成されたチームに私を誘い、一緒に草野球もしました。私にとっては新鮮な体育会系の初体験でした。

 

 

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先輩とのバンド活動はだんだん拡大していって、館山にある子ども達の施設に慰問に出掛けて行って演奏会や朗読会、工作教室、私によるコンピューター占いなど盛りだくさんの企画をしたり、成田の国際交流の場に出て文化会館という大きな会場でのコンサート、先輩企画のディナーショー( ̄O ̄;)、千葉港ポートタワーのクリスマスイルミネーション前でのクリスマス・イブ・野外ライブ、がんセンターの病院一階フロアを取っ払って会場にした患者さんへの慰問コンサートなど・・まさに拡大の一途。
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友人の方は、東京に就職しましたが、年に何度も地元に帰ってきて、中学時代の友人や仕事関係のいろいろな会社の人達などを彼の実家に呼び、庭に大きなテントを張って大バーベキュー大会を何度も開き、異業種交流会的・同窓会的なイベントとなり、恒例の行事となりました。

先輩との関係も、友人との関係も、私の周囲にいる人は「なんであの人とものすごく仲がいいの、すごいね、うらやましい、でもあなたとの接点を感じない、どうやってそんな関係になったの」とよく言われました。

先輩、友人、ふたりとも活動が大きくなり、それに連れて二人とも仕事でもどんどん出世していって、社会的地位もステップを二段飛び三段跳びに駆け上がって行きました。

先輩はどんどん風呂敷を広げ、上記のような野外コンサートまでやりたいと言いだしたわけですが、結局、そのための準備(PA、照明、その他機材、電源確保など)は、ほとんど私一人でやることになりました。当日のセッティングも私一人で頑張る形。
もう自分の楽器であるドラムのセッティングもままならなくなってきました。

友人の方は、中学の学年全体の同窓会を実現したいと風呂敷を広げましたが、こちらも実際は私に任せっきりで、私は電話を掛けまくり(電話に出た家族との会話も大変)、名簿をつくり、大変な苦労をしましたが、同窓会当日はその友人が司会をし、全てを仕切り、私が先生からいろいろ聞き取って買って来た記念品も俺が用意したとばかりに皆に見せながら手渡していて・・こちらも縁の下の力持ちになりました。

先輩から電話が来ると、また何か大きな企画の話で、夢を語り、「俺が言えば必ず実現するのだ」と言い、結局私がすべて準備・調整をするということになってきました。

友人の方も、また同窓会をやる。今度は俺の力を見せるため、先生も学年の全先生を呼び、同窓生も全員集め、ケタはずれの人数にする、と意気盛んでしたが、「重要な話がある」と呼ばれて行ってみると、数人の友達が呼ばれていて、それぞれの役割を振るだけで、自分は司令塔だということになっていました。

もう、先輩と二人でギターを弾きながらの音楽談義や、友人と徹夜で“ペチャクチャ”と“ダベる”ようなことは無いのだな、と自覚しました。

で、いろいろあって、二人から呼ばれても断る機会が多くなり、今は関係をほとんど絶ってしまいました。

そうしたら、不思議なことに、最初の頃はあんなに会うのが楽しくてわくわくしたのに、最後には会うことが重圧になっていたのだなとわかりました。
「肩から荷が降りた」という気持ちで、とても“楽”になっている自分を感じました。

ものすごく大きな決断だったのですが、今の私にはそれがしっくり来ました。

先輩とは、部屋でギターの弾き語りと共に音楽の話をしたかった。
友人とは、“さし”で酒でも飲みつつ語り合いたかった。

単に、それが私の望みでした。

今は、人生の別の段階に自分が入ってきて、新しい“人との関係性”を模索しつつあるところです。

心にゆとりができた今だからこそ、そんなこともゆっくり出来そうです。

 

2021/09/13

「50代からしたくなるコト、なくていいモノ/岸本葉子」を読みました。

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『50代からしたくなるコト、なくていいモノ/岸本葉子著(中公文庫)』を読みました。
読んでみると、シニアに向かう世代向けの本なのですが、女性向けな内容も多く、欲しい服を求め“東奔西走”したり、家具などについて工場まで行って見てみようか、などというかなり本気の吟味をしている部分もあったりして、あまり男には多くない動きもあり、「へぇ、そうなんだ」と思うところがありました。

ただ、やはり男女共通の“いらない物は減らして身軽に”という年齢に達して来たのだ、という、ちょっと“あせり”の入った感覚や、ゆとりは少しできたけど、もう無理はきかない年代に入ったという・・ちょっとさびしい感覚も理解できました。
・・というか、自分もそういう年代・・。

この本に書いてあって、私も感じていることに、注文や申込みなどが、今や圧倒的に電話よりもネットになっているという現実がありました。

ここで、岸本さんも電話した相手に言われている「ネットの方が早いですよ」という決まり文句・・やだなぁといつも思っていました。
あの面倒くさい入力、ちょっと質問したいだけなのに、「電話の1を押してから♯をお願いします」みたいなの・・ストレスがマックスになります (・_・;

ここで紹介された事例では、電話で問い合わせをちょっと無理してでもしたおかげでお得意様セールが近々あり、望んでいる商品が並ぶのだということを知ったりもしています。
でも、それは電話に出た相手方の気の利き方、気転の良さなどがあってのことですが。

もうきっと望んでも無理かもしれませんが、相対してお話しながら、商品にふれながらの買物なんて無くなってしまうのでしょうね。世代的に覚悟しておかねば・・。

その他、ご本人が尾道などに旅行に行ったときの実に達人とも言うべき身軽で素敵な立ち回り方、名所などの歩き方も、うっとりするくらいで、とても参考になりました。

ま、歳取ってきても、まだまだやること、楽しむことはいっぱいあるってことですd(^_^o)

少し勇気も出て来ました。がんばります(*^_^*)

 

【一週間のスケジュールに全てをかける人の話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №41】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
前回、はじめて情報部門の職場での話を書きましたが、今回はその情報部門での話の続きです。

前回登場した「レポート提出」の好きな所属長、もうひとつ好きなのが週刊スケジュールの提出とそれに対する“ダメだし”です。

毎週月曜日に各班それぞれの班長が班員全員の週刊スケジュールを提出します。
私にも下に班員が8名ほどおりましたので、皆の毎日の、しかも15分刻みの週刊スケジュールを作成せねばなりません (・_・;

しかも既に、班の年間スケジュール表と、四半期スケジュール表、月間スケジュール表を提出してあるので、それらも週刊スケジュールに合せて修正を加えていかなければなりません。

班長の私は、金曜日の午後に班員全員から聞き取りをして、それをもとに次週の班員のスケジュールを作るわけですが、仕事をやっていれば、いろいろな事が日々起こるわけです、だからね・・こんな15分刻みのスケジュールなんて実際には意味を成さないんですよ。
それに休みを入れる人もいるので、どんどん予定は変更になるのです。

で、この週刊スケジュールについては、月曜日の午前中いっぱいをかけて、班長全員が会議室に集められ、所属長に提示してプレゼン的に皆の前で説明をするわけです。
そしてどんどん“ダメだし”をされてあっという間にお昼・・。

“ダメだし”が《全面ダメだし》なんてこともあり、その場合は午後に延長され、昼休みにダメを出された部分を修正して午後にまた説明。
結局それが夕方の5時になってしまうことも多々ありました。

週刊スケジュールのために週の一日がつぶれてしまうのです。
「なんのためにこんなくだらないことやってんだっ!!」と何度も思いました。
この月曜の一日があれば、仕事はどんどん進められるのです。

そして、このスケジュール表ですが、月曜会議室での所属長からの質問の嵐に完璧に答えないと、大変なことになるので、結局私は土・日まるまる二日間をかけて、スケジュール表と添付の資料を作成しておりました。上司が変わるまでの3年間・・。
その間は、土日に体を休めることは出来なかったわけです(T_T)

でもって金曜日は班員からの聞き取り、土日はスケジュールと資料作成、月曜日は会議室で延々と説明・・が毎週繰り返され、ということは私には金曜日と月曜日に休みを取るということは無かったのです。

土日も休みにならないので全然うれしくないし、月曜日は“ダメだし地獄”、金曜日は班員から聞き取りしてスケジュール表作成に取りかかる・・・。
その他の曜日はスケジュール作成で遅れに遅れる自分の仕事を全力でやらねばならない・・。

あの所属長は何だったのだろう・・と思います。
あの人の“所属長やってる感”の満足のためだけだったと思います。

で、これも苦労に苦労を重ねたこの職場での、地獄のまだまだ入り口なのです。

さらに続く。

 

2021/09/12

【仕入れたばかりのキーワードについて尋ねる上司の話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №40】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
今回は、今までここに出て来た職場以外で、情報部門に所属していたことがあり、その時のことについて書いてみます。
ここの職場は学校の耐震工事担当に続いてきつかったところでした。かなりエピソードがありますのでひとつずつ思い出して書いて行きます。

まずは軽く“ジャブ”的エピソードから・・。

そこの最初の上司は、朝早くから出勤していました。
朝イチで来て(7時には既に来ていた)全員の出勤を見守っています。
そして新聞も朝日など通常紙以外に日経や日経産業新聞などもくまなく目を通しておりました。

そして私が「おはようございます」と挨拶して、その上司から挨拶を返されたことは、その上司との三年間の付き合いで、とうとう一回もありませんでした。
でも、上司は自分の気に入った職員にだけ「おはよう」と言います。にこにこして・・。
異動してきて、最初にショックを受けたのはこの事実でした。挨拶を返されない朝のショックは毎日後を引きます。こんなこと初めてでした。

で、その上司、情報部門なだけに、「IT関連」の新しい言葉、キーワードなどにはとても敏感で、見たらすぐにその記事を熟読していたようで、私が「おはようございます」と挨拶すると、もちろん無視するのですが、新しい言葉を新聞で見つけたときには、

上司:「おい、〇〇ってなんだか知ってるか?」と聞きます。
今、新聞で仕入れたばかり、上司本人だってその朝、新聞で初めて聞いた言葉なんです。

私:「存知上げません。初めて聞きました。」

上司:「この課で働いていて〇〇も知らんということは、どういうことだ。恥ずかしいぞっ!」「あさってまでにこの〇〇について、今後ウチの市で取り組むべきことかレポートを作って報告しろ。」

私:「えっ!!・・はい、わかりました。」(私の心の中 →今、仕事は目一杯なんだけど、そんなの作っているヒマはないよ・・。)

で、席についてとりあえず仕事をしていると、また上司は思いついたように、

上司:「おい、言い忘れた。△△というのも昨日から気になっていたんだ。これもあさってまでにレポートを作れ。」

私:「は・・はい。」(私の心の中 → それも知らない言葉だよ。どうやって調べよう。とりあえず今夜は12時まで残ってレポートをひとつでも作るか)

そして午後になると、

上司:「そうだ、先週から気になっていた□□という新しいシステムが気になる。おい、これもあさってまでにレポートを作れっ!」

私:「はい。作成しますが、今日3件の依頼をいただいて、仕事をしながらですと、ちょっと難しいです。どれか優先順位をつけていただいて、まずはあさってに1件作成して、それから順次お渡ししようと思います。」

上司:「全部優先順位《1位》だ。寝ぼけたこと言ってんじゃないっ!あさって全部作って見せろ。」

私:「・・・・・。」「わかりました。」

で、仕方なく、その日は夜12時まで残業してレポートに取り組みましたが、まったく終わらず、翌日出勤してしまうと、さらにまた別のレポートを作れと言われるので(何度もそんなことがあった)仕方なく[年休]を取って一日中家でレポートに取り組み、夜も徹夜して仕上げ、言われた日に提出しました。
休みを取ってレポート作成に使うという、わけのわからないことをするしか方法はなく、しかも休んでしまったので、自分の本来の仕事は大きく遅れてしまいます。

ほんとうにメチャクチャだと思いますが、これはほんの軽い一例です。
今後も数々の実例をご紹介しようと思います。・・ああ、どんどん思い出していく・・。

 

2021/09/11

【虎の毛皮の上に正座させられた話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №39】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
またまたお話はさかのぼって、私が初めて仕事に就いた新人の年の話です。

土木部にいて、ガス・水道管などの道路占用許可の担当になりました。
ある日、自分の課で許可した個人宅の水道管引き込み工事について苦情の電話がありました。

苦情主:「いったい誰に断って工事をやってるんだ!」とたいそうお怒りの様子。

警察の許可も出て、指示通りに現地案内看板を置き、誘導員も付き、自治会長の承諾も得ているのですが、自分のところに挨拶がないと・・。
工事の場所もその人の家からは離れています。

先輩に相談したら、「とりあえず現地に行って、その人と話をしよう。」
ということになり、安全に指示通り工事をしている現地を確認したのち、電話をいただいた人のお宅へ。

でかいっ!敷地が広くて街区の一区画まるごとその人の家と庭でした。
庭はまるで公園のよう。ブランコ、鉄棒、砂場などもありました。

ピンポーンとベルを押すと出て来たのは、・・あきらかに“そのスジ”の大親分という感じの方でした (・_・;60代後半から70代前半くらいか。

苦情主:「この街一帯で工事をするときには、まず俺に挨拶だろう。どういうことだっ!」「家に上がれっ」

このとき家に上がらねば良かったのですが、先輩は「上がろう」と言い、応接間に入りました。

そこには、映画などのセットでしか見たことのない、あの『虎の首のついた毛皮』が敷かれていて、私は何かテレビの“どっきり企画”か何かだと思い、あわててテレビカメラを探しましたが、どうやらそんなものは無い。

苦情主:「そこに座れっ。正座して反省しろ。」

・・ということになり、正座すること二時間。ずぅ~っとその間、私達をただ黙って睨み付けているわけです。・・生きて帰れるんだろうか・・。

そこに、小さな子を抱いた若くてきれいな女性が入ってきました。
女性:「もうゆるしてあげたら? この人たちもお仕事があるんだから。」

苦情主:「あなたがそういうなら、今日だけは許してやるか。お前ら二度とこんな不始末起こすんじゃないぞ。」
と、解放してくれました。

家を出ると、さっきの若い女性が「ごくろうさま」と声を掛けてくれました。
ここはたぶん別宅だったのかもしれません。怒られている時に「俺の家が〇〇町にあるのは知っているか」と、聞いてきたので。

命からがら課に戻ると、もう一人の先輩もお風呂屋さんに呼ばれ、前の道路工事で振動がひどくタイルが割れたらどうすると叱られ、大浴場にフタがしてあったそうですが、そのフタの上に正座させられ、一時間「よくこの振動を味わえ」とやられたそうです( ̄O ̄;)

「なんだ、お互いに似たようなことになったな」と泣き笑いの三人でした(T_T)

 

「祇園白川 小堀商店 いのちのレシピ/柏井壽」を読みました。

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『祇園白川 小堀商店 いのちのレシピ/柏井壽著(新潮文庫)』を読みました。
475頁もありましたが、ずっと面白く最後まで読みました。

百貨店の相談役である小堀善次郎という人物が、役所の職員や芸妓、和食店主ら四人の非凡な舌を持つ者を従えて後世に伝えるべきレシピを集めるという話です。

けっこうスリリングだったり、情に訴えるものだったり、ストーリー的には面白いドラマを見ているような展開なのですが、この物語の中には、現在のグルメ的なものばかり追い求める料理番組や雑誌、書籍その他をどこか批判的な眼差しで見ている部分を感じました。

それに旅館などの宿泊施設にしても、今の様子はちょっとおかしいんじゃないかと、たぶん作者が感じていることが物語の中に織り込まれているように思いました。

そんなことも、キャラの濃い登場人物達が読んでいるこちらをエンターテインメント的に楽しめる形で演じるように書かれていて、実に楽しく読めました。

また、出てくる料理はとても地味だったり、屋台で食べられるようなものであったりもするのですが、料理人の細やかな気配りでもってつくられるもので、「ぜったいに食べてみたい」と思わせるものでした。
料理の表現も上手いし、つくる人間の描き方、そしてそれを真剣に、優しく見守る登場人物の心情も巧みに書かれていて、読んでいること自体がとてもうれしく感じるような作品でした。

どうやら、もう一冊このシリーズが出ているようなので、見つけたらまたそれも読んでみたいと思います。

 

2021/09/10

【勤め始めて2年目にやって来た後輩新人のお話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №38】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
今回は、さかのぼりに遡って、私がまだ勤め始めて二年目の時の話です。
二年目に入ると新人君が入って来て、私は一応先輩になりました。
新人君は、別の係だったので、実質上は何か教えたりなどということはなく、浅い関係でした。

二年目の私は、ジープ型の新車を買いました。うれしくて通勤に使うこともありました。

ある日、残業をして夜遅く帰る時に自分のクルマまで行くと、新人君が追いかけて来ました。
新人君:「せっかくですから、駅まで乗せて行ってください。」

私:(私の心の中 → 何が“せっかく”なんだかよくわかんないだけど)「えっ、まったく駅は逆方向なんだけど。」

新人君:「新車買っておいて、ケチケチしないでください。さあ、乗った、乗った。」
・・と、自分から乗り込んでしまいました。

仕方なく送りましたよ。駅まで。帰り道としたら30分くらい遠回りしたことになります。

で、今度は土曜日。当時は月二回土曜日は午前中勤務という勤務形態でした。
午前中の仕事が終わり、自分のクルマのところまで行くと・・。

いました。新人君。
ややっ、女の子を連れている。

新人君:「私と同期の子です。二人でこれからランチに行こうと思って。〇〇(レストランの名前)まで送ってください。」

私:「そのお店は、私の帰りの経路にはかすりもしないところだけど。」

新人君:「またあ、後輩が女の子を誘って昼食を食べようとしているわけですよ、送ってあげない先輩っています?!」
一緒にいる女の子に「ね、変わったクルマでしょう。座席も高くてながめもいいよ、乗って乗って。」

・・というわけで、私の了承なしに彼女を乗せ、自分も乗り込みました (・_・;

新人君:「出発~ぁつ!」
スタートの合図までしてくださいました(T_T)・・もう行くしかない・・。

その後、残業したときにまたまたクルマまでやって来たのですが、「駅方向に帰る先輩が皆さん駅まで歩いて行くよ。一緒に行きなよ。」と言って断りました。

で、その新人君、有力者のところの“おぼっちゃま”だったそうで、公用車の車庫入れ時に車庫に激突し、始末書を書けと言われたら「車庫の柱が私のクルマに寄ってきたからいけないのに、なんでそんなもの書かなければいけないのか」と“ご立腹”でした(^^;)

そうこうしているうちに仕事を辞めてしまったかと思っていたら、いつの間にか、うちの上級官庁の職員になっていました。
さすが“おぼっちゃま”!!( ̄O ̄;)

 

2021/09/09

【The Beatles 研究室・復刻版】Magical Mystery Tour[B-4]Baby You're A Rich Man

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2004年から2008年にかけて作成したホームページ「The Beatles 研究室」・・2009年リマスター発売後の一部追記も含めてのブログにての復刻版です。ほぼ当時のまま、そして復刻後追記も付しております。
今回はアルバム「マジカル・ミステリー・ツアー」から「Baby You're A Rich Man」を取り上げます。もともとはシングル盤「All You Need Is Love(愛こそはすべて)」のB面曲としてリリースされたものです。

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ジョンとポールの合作というか、二人が別々に作った曲を合わせた形で作られたものです。
ジョンのメロ部分の「One Of The Beautiful People」とポールのテーマ部分の「Baby You're A Ritch Man」が合体されています。

けっこうこの曲は色々な評論家からは評判悪いです。
でも、私には好きな曲のひとつです。
ジョンのふわふわとあやしい感じではいってくる導入部分からして「いったい、これから何をやるんだろう」と期待を抱かせます。

お金持ちになった気分はどうだい?という出だしは、自分たちのことを揶揄しているような自虐的な感じです。
そして、全財産を茶色い袋に入れて、動物園に隠すなんて気がしれないよ!とやるわけですが、ここいらへんのわけわからんところがジョンぽくていいですね。評論家からは消化不良な歌詞だと言われてますけど。

ポールのテーマ部分というか、サビは見事で、この曲のふらふらした感じがここでググっと締まります。
いい曲だと思うけどなぁ(-_-)

楽器としては、クラヴィオライン(クラバイオリンと言っている人もいる)という楽器を使ってパグパイプの様な音がジョンの演奏で入っています。

しかし、諸説あって、これはシンセサイザーの初期のもので、短音の電子鍵盤楽器だと言う人もいるし、ふいごで空気を送り込んで音を出すバイオリンのような楽器だと言う人もいて、私にはどっちだかわかりません。
いずれにしてもそうとう変わった音色の楽器で、風変わりなこの曲の伴奏にぴったりとはまっています。

おっと今高校生のときに見た本にその楽器の写真が載っていたのを思い出しました。香月利一編・著のビートルズ事典です。ありました、ありました本棚に・・・。
めくってみると・・ああっウッディで古めかしい楽器です。バイオリン属の楽器で、鍵盤で弦を押さえ、弓は使用せず、ハンドルを回してふいごで風を送り、弦を震動させてパイプ楽器のような音を出すもの・・と標記されています。シンセサイザー説は間違いだったようです。
あ~思い出してよかった(^o^)

最後にこれもほんとうかどうかわかりませんが、バックにローリングストーンズのミック・ジャガーがいるというのです。聞き直してみると最後のサビの終わりのところにオクターブ低いような声でミックらしい声が聞こえます。
ほんとかも。

彼らは何かとライバル視されていますが、当時から仲がよくて、ビートルズの色々なレコーディングやその他ストーンズのメンバーが参加していることが多いです。仲が悪かったのはファンだけだったのかも。

解散後もミックはジョンやジョンとヨーコの間の子、ショーンらと一緒にサーカスに行ったり、私生活でも仲が良かったようです。
以上余談でした。


〈追記〉2021/09/09

まずは2009年リマスター・ステレオ盤を聞いてみました。
全体にどの楽器の音ももれなく聞こえてきます。
ポールが弾いているベースもフレーズもよくわかるくらい明瞭です。
ジョンとポールのサビの部分も公平な音量です。

続いて2009年リマスター・モノ盤を聞いてみます。
ジョンのボーカルが目立ち、とても聞きやすい。
リンゴのドラムはけっこうステレオよりも引っ込んでいます。
ポールのベースもやや控え目になりました。
サビのジョンとポールのコーラスは個々に分かれて聞こえるのではなく、一体となって聞こえてきます。
こちらの方がラジオなどで聞いたときには聞き易いのかもしれません。

もうひとつ、「イエロー・サブマリン・ソングトラック」を聞いてみました。
いきなり“音圧”が、かなりのアップ。
ポールのベースもかなりフィーチャーされていて、くっきりはっきりとしていて、パワー感もあります。
ジョンのボーカルは生声っぽさが強調され、ひょっとするとジョンのボーカルはサビの部分がダブルになっていると思います。ADT使用か。
それぞれの音はクリアになっているのに、曲全体としてのグルーブ感みたいなものはあまり感じられなくなっています。不思議。

 

【先生とのお話の中でつくった手洗い場の話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №37】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
ずいぶんと回を重ねてきました過去の出来事回顧、今回は何度か書きました学校の耐震工事担当だった頃のお話です。
以前書いた、校長先生が協力してくれて、とてもうまくいった学校での事例です。

そこは、校舎が運動場よりも一段高くなったところに建っていて、あまり幅のない前庭があるという形状でした。

運動場には仮設校舎を建て、一段高い工事対象校舎への耐震ブレース等の資材運び込みは、幅のせまい前庭にクレーンを設置して仮設校舎の頭越しに吊り込むという荒技で行いました。

なので、前庭はクレーン設置のため、いったん花壇などを壊して覆工板を敷いたため、そこにあった生徒の手洗い場は壊してしまいました。

協力的だった校長先生からの相談で、いったん壊した既存の「手洗い場」は狭く、蛇口も少なく、前庭がせまいため、生徒が並びきれなくなったりもしていたので、復元の際には何か工夫してもらえないか、とのことでした。

建築部の技術屋さんにも相談して、“横並び”で“間隔の狭い蛇口”“蛇口が高学年用になっていて高い位置にある”という既存の手洗い場を下記のように改善しました(*^^*)

奇跡的に復旧を始めた頃の写真があったので添付しましたが、一直線だった手洗い場を“らせん状”にしました。

さらに蛇口の間隔を空けた上に、蛇口の高さと下の流しの部分も“らせんの巻き”と合せてだんだん下げてみましたd(^_^o)高学年から低学年までぐるっと“らせん”に手洗いするっていう寸法です。

校長先生は大喜び、「今までいろいろな工事があった時に、担当者にこんな注文付けても何にも対応してくれなかったんですよ、ありがとう。」というお言葉をいただきました。

・・他の学校で、私に塩を撒いたり、襟首つかんだりした校長先生がいましたが、一年間の工事期間の不便を嘆いてばかりでなく、互いに協力すれば、いろいろなことが出来るのに・・というお話でした。

 

2021/09/08

【南先生の玉手箱_0042_H15.6.12第一回同一研修会造形部会と書かれた文中の“らくがき”】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回は、平成15年6月12日と記された「第一回同一研修会造形部会について」と書かれた文です。
※造形に関する研修会について書かれたもののようですが、建築家、安藤忠雄氏と作家・精神科医のなだいなだ氏の新聞記事や雑誌らしいもののコピーが添えられていて、それについても最後でふれています。

あいかわらず、ぐるぐると回転して文字が書かれているので、ものすごく大変ですが、チャレンジしてみます。


以下、先生の文章です。

H15.6.12 第一回同一研修会造形部会はこのところ気軽にとりくめる実技研修を実施してきている。
夏などもスケッチ研修などを計画している。
希望研修に無理な人集めはよくないことだが、できるだけ都合をつけて多数参加してくれることを期待している。

日々子どもたちと楽しい造形活動を進めていくためには教師側の主体性はもちろん、表現することに積極的にかかわって、共に共感できる場を大切に、忙しい中でも表現にかかわる時間をつくってほしいです。

小教研の部会も参加者が多すぎると教材の準備や場所の問題など悩みもあるのですが、今回も40名位だったが、ちょうど教室いっぱい、名簿上は60名位でも都合で参加できない人がいるために何とか全員が楽しく体験することができている。

実技研修は、人数が少ない程に内容は充実する部分もあるのだが、都合がつかない理由を耳にするたびに、気になることがある。
自分は参加したいのだが、来られないとのこと。
今日も用件があって来られません、又、はじめの会がおわってすぐに帰らなければと言う人もいる。

お互いにそれぞれ仕事や問題をかかえて暮らしているのですが、こちらからこうしてくださいと言うことはできない。
小教研に限らず、特に研修を通して自分が変わっていくためには、あたりまえのことなのですが、本人の主体性、気持ちの問題だと思っています。
図画、工作ばかりではないでしょうが、日頃楽しい表現活動にとりくむために、教師自身が楽しく表現にかかわる意識がすべての基本、原点だと思います。

今日は版画の研修2時間で刷りまで完成させる。できれば下書きなしでいきなり彫ってください。
講師の先生の言葉「考えていないでとにかく何か彫るのです。うまく彫ろうなど考える程できません。うまくないほうがいい作品ができる。大きさも自由。今日はハガキ大くらいのベニヤ板だが、1メートル以上の大作だって同じです。大きく彫ればいいのです。道具だって特別に版画のインクを使うより、みんながよく使っている墨がいいのです。」など雑談をしながら早い人は30分、みんな4時にはできあがり完成すりあがりの時のいい顔はいいものです。

表現にかかわることは、教える以前の基本なんですね。
ちょっと近くの人と雑談をしながらの版画の実技研修、小さいけどみんな額ぶちにでも入れると立派な作品です。
私はこのところ顔とか、人物の形のおもしろさなど、少し続けてみたいと感じています。
この年になって形はくずしたほうがおもしろいので、気がむくようにらくがきのような仕事をやってみたいと思うこの頃です。

ことによると昨年、青山の岡本太郎記念館に行ったからかも知れません。暮らしの中に人生新しい出会い、きっかけがたくさんあるので、日々むだ話しも含めて目の前にあるもの、又、出会いに関心を持ってかかわっていきたいと思うこの頃。
できるだけ変な絵を描いてみたいです。

今日、小教研に出かけるちょっと前にこれ読んでみないかいと手渡しされた2~3枚のコピー、えらく勉強になったと言うか、ほんとうにそのとおりだと思いながら、家に帰ってもう一度、いや、何回も読んでは、ひとり納得したものですが、みなさんはどんな感想を持ちますか。


以上、先生の文でした。

先生の特異な文の書き方全開で(T_T)、くるくる回り、らせんを描きながら、文字まで上下左右くるくる回り、さらに途中から右から左への文が突如として左から右に向かって書かれていたりしました、ほんとうに死ぬほど疲れました。

この“くるくる文章”については、「読んでもらおう」という意志がほんとうにあるのかと、悩みましたが、“それでも読もう”という人に向けて書いていたのか・・、身体がバラバラになるほど消耗しました (・_・;

 

【王朝関係からの相談がけっこう多かった?!話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №36】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
このシリーズ、いろいろ書いてきて、思い出してきて、やはり20年以上前に「相談業務」をやっていた頃の話題は欠かせないと思いました(^^;)

で、今回も相談業務時代の話をまたひとつ。

相談の電話が掛かってくると、それをどの担当の先生にお願いするか振り分けるのも私の仕事のひとつでしたが、どれにも該当しそうにないものをどう“さばく”かがけっこう大変でした。
でも、“さばき”ようのないものもある・・。

相談者A(男性・50代半ば):「ここのところ、家賃の支払を滞らせているのだが、大家が払え払えとうるさい。とても失礼だし、払えるくらいの価格に値下げするように伝えてほしい。」

私:少し詳しく聞いたあとで、「〇〇町でメイン通り沿い、一軒家の借家にお住まいで、家賃が〇万円、庭付き、・・めっちゃ安いじゃないですか!」

相談者A:「いや、タダにしてもらってもいいくらいだ。」「私は天皇家の末裔の末裔である。そういった身分の者に家賃を請求するのは失礼である。」

私:「えっ、どういった“繋がり”なんですか?」

相談者A:「天皇家の系譜である何よりの証拠に最近気づいた。前から思っていたんだけど、私は“もち肌”である。それが何よりの証拠である!」

私:・・・一応、大家さんの連絡先を聞いて、こんな電話がありましたと伝えました。大家さんは「ああ、はいはい、最近そんなこと言い出したみたいですね。大丈夫です。善処いたします。ご迷惑おかけしました。」・・ということになりました。

相談者B(女性・50代前半か):「あんたンところに〇〇部長っているでしょ。私はその人とお付き合いしてるの。」

私:「(心の中 → なんだよ、またヤバい電話かよ。)〇〇部長はお顔は存知上げていますが、お付き合い?してる・・んですか?」

相談者B:「最近、私に冷たいし、遊びに来ないの。どうにかして。」

私:ていねいに、少しずつ聞き出していくと、どうやら水商売関係の女性らしく、部長が最近“河岸”を変えてお客として行かなくなったらしいことが、だんだんわかってきた(^_^;)
「こちらに相談いただいてもお役に立てそうにありません。何か別の方法でご本人に連絡してみてはいかがでしょう。」

相談者B:「あなた、私に命令する気? 失礼です。私はスペインの女王だったこともあるんですよ。“世が世だったら”あなたなんかの首を撥ねることも出来るんですよ! 控えなさいっ!!」

私:「ごめんなさいっ。では、ご本人にはそれとなくこんなお話をいただきましたと伝えておきましょう。」

・・で、仕方なく〇〇部長にお電話して・・

私:「あのう、申しわけございません。これこれこのような相談の電話が相談係にございまして、“スペインの女王”と自称される方に心当たりは・・。」

〇〇部長:「ああ(^_^)、わかったわかった、女王ね、ごめんね、大丈夫だよ。心配いらない。もう電話はいかないようにするから。たいへんだね、あなたも。がんばって!」

・・あっけなく終了。

長くなったのでこの辺にしますが、ご近所トラブルの相談で、琉球王朝の直系のプリンセスからのお電話をいただいたこともあります…σ(^_^;)
当時、相談界は王朝ブーム(^^;)だったのか・・。

 

2021/09/07

「文芸春秋 八十年傑作選」を読みました。

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『文芸春秋 八十年傑作選/坪内祐三編(文芸春秋)』というボリュームのある本を読みました。
ブックオフで見つけて、わずか390円でした。

大正時代から昭和四十年代くらいまでの文芸春秋から、編者の坪内さん(昨年亡くなられている)が選んだ記事と、当時の広告までそのまま載っていました。
漢字は旧漢字、仮名遣いも旧かな遣いなので、少しばかり読むのは難儀しましたが、それでも面白い記事ばかり。

記事、文を書いたり、座談会に参加しているのは、武者小路実篤、谷崎潤一郎、芥川龍之介、菊池寛、幸田露伴、永井荷風、川端康成、色川武大、小林秀雄、吉川英治ら(これで氷山の一角)今からみると考えられない執筆陣です。

 

 

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山下清が東京を見学させてもらい、文とスケッチを描いているものもありましたが、美術館やホテル、テレビ塔、皇居のお濠なども見学していて、おもしろかったのは、浅草にストリップを見に行き、「ぼくはこんな大人のストリップよりも小学生のストリップは珍しいし、おもしろいだろうが、なぜやらないんだろう。法律でいけないことになっているのかな。ぼくはおちちの大きくならない子どものストリップがあったら毎日みにゆきたい。」と書いています(^^;)
ほんとうに思っていることをそのまま書いているんですね。私、とてもおもしろいと思いました。
これが昭和三十二年。

「出版界批判座談会」という記事もあって、昭和四年の座談なのですが、そこですでに、“取り次ぎ”を通さずに本を売ることは出来ないのか、という話題が出ています。
現代にもまだそのような話題は出ているわけですが、“取り次ぎ”ってその頃から出版界を席捲していたのだと驚きました。

「復興大東京座談会」という記事もあって(昭和五年)、参加者皆でバスに乗り、一帯を見学したあとの座談となっていました。
中央市場はどこに出来るのでしょうかと問われ、築地の水交社のあった辺りと答えていたり、分場は秋葉ヶ原で、これはもう出来ているなどと答えています。
築地に市場が出来る前の話です。とても基調なお話が満載でした。

大正十三年に武者小路実篤が書いた文も見つけましたが、「まさか今後日本が米国と戦争をするなんてことは無いとは思うが」と書いていて、「日本は一番馬鹿を見ることはたしかと思う。」という・・結局、日本は“馬鹿を見ちゃいました”ねぇ・・ (・_・;

「ともかく日本文士の力で戦争を未然に防げたら、そんなことはもう少し勢いが進んだら出来ないことであろうが、今ならまだ出来るかと思う。」という「こころざし」も強い調子で書かれていました。
当時の文士の意気込みを感じました。

もうこんな文章が三段組みで満載、400頁近くあるのです。
何度も読まねば、・・・通過してしまった文もたくさんありました。

 

【祖母と伯母が見た人/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №35】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
今回は、私自身のことではなく、祖母と伯母の話です。

祖母(父方、私は実家で一緒に住んでいた)と私が茶の間にいた時のことでした。
私は中学生くらいだったか・・記憶が曖昧。

祖母は、「あっ、〇〇どん(屋号)のばあさんが来た。」と立ち上がりました。
縁側の方向を見ていたので磨りガラス越しに、茶飲み友達のおばあさんが歩いてきたのが見えたようです。

玄関まで出た祖母。
「あれっ、いなくなっちゃったよ。」「あ、いたいた。おおい、なんで行っちゃうんだよ、ああ行っちゃった・・。あとで行くからさあ!」
と、追いかけて行ったけどスタスタと友達のおばあちゃんは歩いて道路に出て行ってしまったらしく、あとでこっちから行くよと声を掛けたのでした。

それから数時間後、うちに来た茶飲み友達のおばあちゃんが亡くなったという知らせがありました。
うちに来たと思われる時間は危篤だったようです。

仲の良かった祖母に最後に会いに来たのだと思われます。
私はそのとき実際に玄関まであわてて出ていった祖母を見ています。でも、私には茶飲み友達のおばあちゃんは見えなかった。
祖母は、「あそこにいたのに見えなかったのか」と、その時私に問いただしたのでした。

もう一人、今度はその祖母の娘。私の伯母で、同じ町内に一人で住んでおりました。
伯母が事件のあったその日に我が家に来て語ってくれた話です。

早朝4時頃。
玄関の扉を叩く音。
あわてて起きた伯母が玄関に出てみると、これまた仲良くしていた茶飲み友達のおばさんが立っていたとのこと。

そのおばさんは、何もしゃべらずに、ただ黙って立って伯母を見つめている。
「どうしたの」と伯母が聞いても何も応えない。

そして踵を返すようにして、すたすたと表通りに歩いて行ってしまった。

伯母は、「お昼前にそっちに行くよ!」と背中に声を掛けたとのことでした。

そして、約束どおりそのおばさんの家に行ってみると・・。
そのおばさんは亡くなって、家族に囲まれていたとのことでした。

おばさんが伯母の家にやって来た朝4時頃は、やはり危篤だったと家族の方が教えてくれたそうです。

親子でとてもよく似た経験をしたわけです。
そして、どうやらその親子に伝わった霊感的なものは、私にも伝わったようです。

今までのブログの中で、私の数々の不思議な体験を書いてきましたが、まさにそんな感じです。
遺伝するのでしょうか。

私の霊的な体験については、まだいくつもあるので、今後またこのブログに書いていきたいと思います。

 

2021/09/06

菅さんの、この一年を私が感じたことで振り返ってみます。

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先週末から一気に政局に動きがありました。
菅首相が総裁選に出ないということで、事実上の退陣表明です。

もう次の総裁は誰かと新聞、テレビは夢中になって報道を始めたので、私はすっかり見捨てられ、報道陣も、取り巻きも居なくなり、閑古鳥が鳴いている菅さんの方に目を向けて、せっかくですから私が見たこの一年間の菅さんを振り返ってみようと思います。

「総裁選とコロナ対策両方に費やすエネルギーは莫大なものだから、コロナ対応に“専任”する」と言っていました。

そもそも、その両方に費やすエネルギーを持たぬ人に首相は出来ないと思います。妙な“いいわけ”するんじゃないっ!だったら最初から総裁選に出ますなんて言うな、と思いました。
それに、“専任”・・ちょっと変な表現だった。「専念」の方が適当な言葉だったんじゃないでしょうか。総裁選に出ないからって、総理大臣の仕事はコロナ対策以外にいくらでもあるだろうに、“専任”は変です。最後まで日本語がなんだかおかしい。

首相になった時に、やさしそうなおじさん、だとか、パンケーキおじさん、令和おじさんなどと人の良さ、ぼくとつさ、たたき上げの苦労人を強調するようなマスコミの気持ち悪い“持ち上げ”報道にも当時呆れました。

安倍さんの近くで、あんな悪辣な官房長官会見をしていたのを“目の当たり”にしていながら、いったい報道の人達は何を見ていたのか、と思いました。ご祝儀的な持ち上げ報道にも“程がある”と感じました。マスコミの悪いところです。次期総裁候補についても、もうそんな感じが出始めている。

コロナウイルス感染拡大の中、安倍政権から引き継がれた政権でしたが、コロナ対策はいつも後手後手に回り、また“打った手”に対する説明がまったく足らなかったと思います。
だから、最初は緊張感のあった国民も、やがて“慣れ切って”しまい、緊急事態宣言が意味をなさなくなってしまった。

「言葉を持たない首相」とも言われました。国民の耳にはまったく首相の言葉は響いてこない。

でもって、そんな中、観光業界と深いつながりのある二階幹事長が推奨する「Go To キャンペーン」で感染はますます拡大。
それをやったらまずいでしょう、ということを悉くやって全て失敗・・。

対話が足らないという印象も強い首相でした。
記者会見は一方的。マスコミ相手に質問をはぐらかし関係のない答えをする。それは国会でも同様でした。
官僚のつくった文章を読むだけ。
そのときは日本語自体もあやしくなり、安倍さんもそうだったが、“幼児語”的な発声になる。これは原稿をそのまま正確に読もう読もうとするから口元がこんがらかっちゃうんだと思います。自分の言葉にしてから話していないのです。
そしてそのときの“目”は死んでいて、どこを見ているのかわからない。興味がないんですよ。

というわけで、国民の声に一切耳を傾けず、理由の説明もせずに五輪を開催しました。
「国民の安全・安心が第一、国民の生命と健康を守るのが私の仕事」と言っておきながら、その間感染者は急増しました。

そしていつの間にか首相に都合の悪いことを言える人が周囲にいなくなりました。
恐怖政治で、人事権を振りかざし、自らへの反対意見を持つ者はバッサリ。
社会的なその人の生命を絶つことで自分の政治生命を延ばしていくという手法は、安倍さんよりもさらに強化されました。

森友学園問題についても、財務省の改ざん経緯について「捜査は終わった」と発言し、国民の疑問に応えようなどという気はさらさら無し。さくらを見る会についても、「それなんだったっけ」という感じでしょうか。総務省の接待問題で発覚した自分の息子の不始末もあやふやにしたまま逃げ切ろうとしています。

終焉はいきなりやって来ました。

最後の最後に来て衆院解散を先にしようとして失敗、岸田さんから先制攻撃された幹事長の交代は、なんとか出来そうでしめしめと思ったら、その後の人事を動かす奇策に党内から「ふざけるな」の反発でついに撃つ弾が無くなり、自滅。

自らの政治生命の延命そのものが目的の人でした。
出来ることは「権力闘争」のみで、それにも最後は失敗した。

もっとも重要なことは、国民の命を守ることをしなかったということだと思います。
今も毎日コロナウイルス感染による死者は減少しません。

菅政権は、身動きが取れなくなり、死滅しました。

この一年間の悪夢を二度と再び見たくはないのですが、あの総裁候補の人達にどれほどの気概があるのか、はっきり言って「安心・安全」ではなく、「不安」と「心配」と「危険」を感じます。

報道メディアには、候補者に対する正確で厳しい視線での報道を求めます。

 

【「こんな相談、先生に回せないよ」という話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №34】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
過去、20年以上前に「相談業務」をやっていた頃の話題は枚挙に暇がなく(^^;)今回も相談の先生に回せない内容を私が受けたお話です。

相談者(女性・30代くらい):今、警察に相談したんだけど、こっちに電話してみたらって言われたので掛けてみました。

私:どのようなことでしょう。(イヤな予感)

相談者:私、脚がとても痛いんですね。それは攻撃を受けているからなんです。

私:DVですか?!誰から攻撃されているんですか。

相談者:毎晩、深夜3時過ぎになると宇宙人が円盤に乗ってやって来るんです。そして光線銃で私の脚を撃つんです。

私:ちょっと待ってください。それは現実の話ですか。夢を見たとか、そういうことじゃないんですか。

相談者:あなた、真面目に聞いてよ。さっきの警察も吹き出しながら聞いてたけど、私は真剣に相談してるの!

私:申しわけございません。で、宇宙人というのは確かに見たんですか?

相談者:雨戸をちょっと開けてみたら宇宙人が家の前の通りにいて、こちらを撃ってきたの。

私:光線は家の壁を抜けてあなたに直接当たっているんですか。

相談者:そうなんです。宇宙船が着陸するとテレビがザーッとなります。

私:それは放送が終了して“砂嵐”の画面になったんじゃないんですか。深夜に宇宙人の夢を見て目覚めて、テレビを点けたら放送終了時間だったとか・・そんなことではないんですか。
脚が痛いというのは、お医者さんに行ったんですか。

相談者:私がまるでウソをついているみたいな言い方じゃないですか。人の相談は真剣に聞きなさいよ。

私:・・・すいません・・・。と、とりあえず“おみ足”については、まずお医者さんに行ってみてください。症状はどうなのか、どういう原因で痛くなったのか、はっきりするのがいいんじゃないかと思いますよ。
そして原因がわかったら、次に深夜の現象についてお話しましょうよ。
身体の痛みを取るのが一番大事だと私は思います。

相談者:そうねぇ、とても痛いから、まずはそうするわ。じゃまたね。

私:どうかお大事に。

・・・というわけでこの相談はなんとか収めましたが、その後再度の相談電話は来ませんでした。
地球防衛軍に相談相手を変えたのかもしれません。今回は以上です<(_ _)>

 

2021/09/05

壇蜜さんの「三十路女は分が悪い」を読みました。

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『三十路女は分が悪い/壇蜜著(中央公論新社)』を読みました。
これは、WEB サイト「OTEKOMACHI」に2017年から2020年に連載された「お悩み相談」を加筆・修正のうえ収録したものだそうです。

今までこのブログでは、壇蜜さんの本については、たぶん5冊ほど読後感を書かせてもらっているのですが、今回は壇蜜さんの“お悩み相談”ということで、今までとはちょっと異なる形態です。
で、相談の相手は30代の女性。

この文については、壇蜜さんが結婚される前に書かれているので、相手が夫婦の問題について相談していることも多いのに、けっこう見事に答えています。
前から思っていたけど、壇蜜さん、“ただ者”じゃないです。

相談内容は、夫婦間の特に“夫を男性として見られない”とか、“ただ同居している家族にしか思えない”だとか、“子供が欲しい、欲しくない”の意見の相違、夫婦共々仕事中心に生きているが、“今後の人生の目標が無い”など、難しい問題で、専門の先生でも答えに躊躇するようなものです。

でも、壇蜜さんは「あとがき」的に書いてある『三十路を越える歳になり』という自分を振り返るような書き下ろしの部分で相談についてどういう姿勢で答えたか、素直に書かれていました。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、壇蜜さんは和菓子屋さんや、葬儀社、ホステスなど様々な仕事を悩みながら、人生の壁にぶつかりながら、変な男に引きずり回されながら、タレントになるまでやってきて(タレントになってからも“ヤバい”仕事をけっこうしている)、荒波に揉まれ続けた結果、ある意味“開き直り”、ある意味“達観し”、ある意味“自然体”で、今の自分のありのままの、そのままの姿勢で相談に答えられています。

専門家の先生とは、ひと味ちがった「前向き」で、でも「あきらめ」もまじったような回答になっています。
回答も進行形で、「こうしたらこうなるかも」それでだめなら「また考えよう」というような形で、新鮮です。

あっという間に読み終えました。

また、結婚後の壇蜜さんの、もうひとつ何かを乗り越えた回答も読んでみたいと思いました。
続編はあるのか?!

 

2021/09/04

【The Beatles 研究室・復刻版】Beatles For Sale[B-6]What You're Doing

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2004年から2008年にかけて作成したホームページ「The Beatles 研究室」・・2009年リマスター発売後の一部追記も含めてのブログにての復刻版です。ほぼ当時のまま、そして復刻後追記も付しております。
今回は、アルバム「ビートルズ・フォー・セイル」から「ホワット・ユーアー・ドゥーイング」を取り上げます。
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この曲は日本でのみ、シングル「ミスター・ムーンライト」のB面でシングルカットされました。私も中学生の時、アナログ・シングル盤を買いました。どんな曲かも知らずに買ったのですが、最初の印象はこっちが恥ずかしくなるくらいわざとらしく、無理矢理なドラムのイントロとポールのボーカルというものでした。

でも、今聞くと、“イモ”に聞こえたリンゴの「ドンタカ・ドンタカタッ」というイントロが非常に切れが良くて、もうそこだけで、心奪われる感じです。ポールのボーカルも心臓の鼓動が聞こえるくらいドキドキする感じがして、今となっては名曲ではないが、バンドでやったら格好良いかもと思う曲です。

ジョージは12弦ギター、ジョンはJ-160E(アコースティック)を弾いていますが、特筆するほどの演奏ではありません。
最後のポールのベースのあおるようなフレーズがあざとすぎるという声も良く聞きますが、まあいいでしょう・・という程度のあざとさだと思います(自分が人前で弾くのは恥ずかしいかも)。

最後にリンゴのドラムですが、一時期、実は全編バスドラムと重ねてティンパニーが鳴っていると思っていたのですが、どうやらそうではなさそうです。
何度も聞き直してみたのですが、やはり鳴っていないように感じる。
以前の再生装置で聞いたときの錯覚だったのでしょうか。
でも、このバスドラムの音とピッチは素晴しいと思います。
それにハイハットの歯切れはいいんだけど、ちょっと“粘る”みたいな独特の感じはリンゴのあの団扇を煽ぐような叩き方がもたらしているのかもしれません。
やはりリンゴのドラムは最高!


〈追記〉2021/09/04

まずは2009年リマスター・ステレオ盤を聞き直してみました。
とても整った音になっていて、破たんが無いです。

続いて2009リマスター・モノ盤。こちらは非常にすっきりしています。エコーなどの効果はかなり“引っ込め”られています。驚くくらいステレオと異なっている。
逆にギターソロの音はかなり前に、派手目に出て来ます。

次は米キャピトル盤「ビートルズ Ⅳ」のステレオ版を聞いてみました。
これも大きく音が異なります。
いつも思うのですが、キャピトル盤は私にとっては気軽に聞くには一番聞きやすく、取っつきやすい音です。楽しい!
間奏のギターソロの音も“割れ気味”で、本来はよろしくないのでしょうが、AMラジオなどでビートルズを聞くのなら、こういう音が一番親しみやすいと思います。
また、アコースティック・ギターのカッティングの音はなんだか軽やかでやさしくて、ソロの音とは好対照で、それもいいと感じました。でもって、ベースはブンブンいってて、これもいい。

そして、同じく米キャピトル盤のモノラルの方も聞きました。
これもまた大きく音がちがっているから驚きました。最初のドラムだけの部分でも、異常なくらいエコーが掛かっています。
音質自体はかなり悪いと思います。ポールのボーカルもかすれているというか、つぶれている感じがします。クルマの中のラジオで悪いチューニングでビートルズの曲が掛かっているみたいな感じ。
ベースドラムもステレオよりも引っ込んでいる感じです。ギターソロの音はステレオよりも“割れている”。
ラストに来て、突然音質が良くなり、ギター、ベースの音がクリアに感じられ、盛り上がりをうまく演出しています。
全体から言ったら、けっこうラフな仕上げ方です。

ついでに、アルバム「ラブ」に入っているマッシュアップされているこの曲も聞いてみました。
ドライブ・マイ。カーのリズムに乗って、この曲が歌われるという仕掛けですが、バッチリですよねぇ。
これでひとつの曲になってしまっている。
最高にこの曲が生かされているみたい(*^_^*)
これはこれでとても良いと思いました。

 

2021/09/03

「乙女シジミの味/出久根達郎」を読みました。

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『乙女シジミの味/出久根達郎著(新人物文庫)』を読みました。

これは、2001年~2007年までの著者の日々おりおりの様子を綴った日経新聞夕刊に掲載された文の中からの“選りすぐり”で、文庫本としては2010年に第一刷が発行されています。

著者、出久根さんは古書店主で、作家。「佃島ふたり書房」で直木賞も取られています。

読んでみると、ほんとうに何気ない日常の様子が自然に描かれていて、なかなかこんな文章には出会えないと思いました。
とびっきりの驚くようなエピソードもなく、私達が日々過しているところを書こうとしてもこんな深みのある文は書けません。

タイトルにある「乙女シジミ」とは、出雲に出かけられたときに食した、粒が大きく、太鼓のようにふくらんでいる“深山シジミ”というシジミのことだそうで、奥さまと一緒に出かけられた出雲の様子と共に書かれていました。
味も古風ななつかしさがあったとのこと。

正月のエピソードで、“初”の字がつく季語を歳時記でめくった話も書かれていました。
「初電話」という季語があるんですね。

例句として「衣ずれの音も聞こえて初電話」が挙げられていました。
家族が和服でくつろいでいた頃の句だと思う、と書かれていましたが、そんなことを思い出させてくれる文なんて、今ではやたらお目にかかれないかもしれません。
それだけで、読んでよかったと思いました。

ちょうど書かれていた時期がいよいよ年賀状がメールなどに押されて減少傾向にあるところで、出久根さんはその頃は毎年自分のところに来る賀状で「年賀状大賞」を決定し、表彰していたなんて書かれています。

でも、ご本人が還暦を過ぎ、年賀状について出すべきかどうか再考されています。
そんな時代の流れも感じさせてくれました。

ごく普通の生活をしている様子が書かれているが、でも昭和のエスプリもほんのりと感じさせてくれる味わい深い本でした。

 

「デジタル庁」がスタートしたんですって。

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首相“肝いり”の「デジタル庁」ってのがスタートしたと報道で知りました。
前々からの報道で知ってはいましたが、省庁の、昔でいう“イントラネット”的システムは各省庁で同じものじゃなかったんですってね。
だから「縦割り」になっていたものを、この新しい庁で打破するんだって・・。

同じ文書管理システムを使って決裁をし、メールその他文書交換も同じグループウェア的システムを使ってやり取りをして、掲示板的なものも動かして、文書保管もそこでして・・って、とっくになっているものと思っていました。

当然、省庁単位、部局単位、課単位、係単位で利用者の認識をして、部外者または役職的にダメなところ、重要なところには入り込めないようにした上の話ですけど、それが出来ていないなんて、およそ考えられない。

既にいろいろ問題が起きていますが、文書の改ざんや、廃棄などが勝手にされて、闇から闇へと葬り去られることになってしまうのは、上記のような状態だったら簡単ですよね。

だから悪いことをして、平気で文書を改ざんしたり、さらには棄ててしまったりするヤツが大きな顔をしてその職に居座り続けることが出来るようになるわけです。

誰が改ざんしたか絶対に痕跡が消えないようにしなければ、一定の年月を経なければ廃棄も絶対に出来ないようにしなければ、国民はこんなデジタル省庁なんて信じるわけにはいきません。

文書の保管も重要度によって永年から30年、20年、10年、5年~1年などと決め、誰にも触れることが出来ないように・・とっくになっているものと思っていたけど、そうではないのですから・・。
きっと今までのようにやり放題したいがために「バックドア」を作っておいて、改ざんや廃棄は裏でできるようにするんでしょうね。
大昔の話みたい。

マイナンバーシステムを使って、いろいろなことが出来るようになるって、また言いだしましたが、あれだっていったい何年経っているのですか。
5年ほどの年月を経て、ほとんど何の役にも立たないポンコツ・システムと化しています。
論より証拠、このコロナ禍では何にも使えなかった。いまだにワクチン接種の際にも登場しない。
給付金に使えただって? あれは、使えたと見せかけろと自治体に言って、実際は自治体の職員が裏で手作業で入力作業をしていたんですよね、新聞でもテレビでも言っていた。そして事実だった。
だから、郵送で紙の書類を送った人の方が順調で速かった・・(T_T)

役所の手続きをデジタルで便利にするって言ってるけど、そんなの自治体に任せた方がよっぽどいいもの作りますって。
国が作ったマイナンバー・システムが自治体の足を引っ張っている現状を見ればわかるじゃないですか。
保険証として使えるって言ったけど、先延ばしになり、運転免許証になるなんてまた言っていますが、マイナンバーカード・システムの本来のメリットがまったく無いからそんなこと言い出したわけです。
逆に医療関係機関だとか、運転免許センターは、“いい迷惑”だと思います。

あの日本で一番遅くて繋がらないトラブル続きのシステムと“相乗り”しろって、自殺行為じゃないですか。
普通に保険証を出したり、免許証を見せたりした方がずっと早いですよね。
パスワードがいくつもあって、中には16ケタくらいにしているものもあって、お医者さんの窓口は一時の自治体の住民記録窓口みたいに大渋滞(これもマイナンバーの不始末による)することになるのは間違いないです。

役所の手続きをデジタル庁でつくった同一システムで簡単にできるようにするなんて言ってますが、またまた、30年くらい前に見たようなシステムを作って国中の自治体に配付して迷惑をかけるのでしょうか。

大臣だって専門家にした方がいいと思いますよ。もう手遅れだけど。

新聞で記事を見て、少し思ったことを書いてみました。
ど素人の私でも、ちょっとニュースを見ただけで、このくらい瞬時に考えます。
あの大臣、大丈夫でしょうか。

そもそも首相以下、居並ぶ大臣達の顔ぶれで、デジタルデータをうまく使っている人は一人でもいるんでしょうか。

 

【今度は以前の職場での知り合いにあやしい所に連れて行かれた話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №33】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
ちょっと前のこのブログで、若い頃に職場の係長に超能力者の家に連れて行かれた話を書きました。
どうも、そういうことの“きっかけ”って、病気その他で弱っている時に目をつけられるようですね。

で、今回のお話は、私が30代、人事異動で出先機関に行き、年金関係の仕事に初めて就いた頃でした。
仕事はシステム導入がなされたばかりで、そのシステムを使った事務を任され、忙しく、毎晩残業。疲労が重なり、顔の半分や片手がしびれるような状態で、それでも休むことが出来ないような厳しい状況でした。

そこに以前職場が一緒だった先輩が訪ねてきて、「具合が悪そうだと聞いたよ、いいところを知っているから明日一緒に連れて行ってあげるよ」とのお話。

「ありがとうございます。」と、翌日、保険証を用意して、帰りはその人と電車に乗って、そこに向かいました。
駅を降り、建物の入り口まで来たのですが、「あれ?なんだかお医者さんぽくないな。」
と思いました。

入り口を入ると受付に下足番がいて、靴を預け、中に入りました。

そして、そこからまた扉をくぐり、中に入ると・・・。

( ̄O ̄;)中は、学校の体育館のような建物になっていて、そこは全面畳敷き、体育館でいう前方ステージ上には、高さ2メートルほどの金ピカの大仏様が巨大な座布団に鎮座していました。

畳敷きの何百畳という場所に人が向かい合って座るように座布団が敷かれ、何組かが向き合って何か儀式的、作法的な仕草をしています。

「ここにお座りください」と言われました。
あれ?先輩はもういない。

私の向かいに座った方が、「まずは“〇しず〇りぃ~”←(〇は念のため伏字)と言いながら両手を挙げ、そのあと手と頭を畳まで下げて礼をしてください。」と言って見本を見せてくれました。

「やべっ!しまった・・・。どうしよう。ああ、靴も取られている。逃げられない。」
私は動揺に動揺を重ねたような状態になりましたが、とりあえず言われたとおりにしました。

信者?らしき人:「具合が悪いと聞きました。私が“手をかざして”治してさしあげます。」

私:「そうですか (・_・;」

・・ということで、30分ほど手をかざしたり、いろいろな言葉を掛けられたり、質問されたりした挙げ句、「またおいでくださいね」と言われたので、大急ぎで下足番に向かい、靴を返してもらって駅に走りました。
どうなることかと思いました。

翌日、その先輩の職場に行き「ひどいじゃないですか。最初からそういうところだって言わなかったですよね。私はお医者さんだと思って保険証も用意して連れて行ってもらったんですよ。」と詰め寄りました。

先輩:「もうしわけなかったね。あれはとてもいいものなんだけど、合わなかったかな。もう誘わないようにするよ。ごめんね。」

私:「藁にもすがる気持ちで行ったのに・・。もう二度と行きませんし、再度声を掛けてもらっても困ります。」

ここで、先輩との関係はお終いにしました。
実際にあの場所に入ってしまったときの気持ち、あの、「逃げられない」という怖ろしさはかなりのものでした。

いやあ、いろんなところに連れて行かれるわ・・。

 

2021/09/02

テレビはあまり見ないが、でもテレビだけの特徴がある。

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私、ほとんどテレビを見るということをしません。

それはラジオがニュースその他の報道について、テレビの様に映像に頼ることが出来ないということに尽きます。

同じ映像を何度も繰り返して延々と番組を続けることが不可能。
なので新しいことを喋るしかない・・ということになり、常にアナウンサーや解説者、コメンテーターは、新しい事や、細部についての解説、また自分の考えもどんどん話さざるを得ないのです。

聞き手のこちらとしては、結果としてテレビよりも詳しい情報を手に入れることが出来るのです。

でも、“テレビにしか出来ない”ことがあります。

それは、今回の菅首相の一連の行動(総裁選、総選挙に対する目まぐるしい動き)のあと、官邸でのぶら下がりインタビューでの、あの表情を全国民が目の当たりに出来たということです。

目が“ギラッ”として、表情も真剣、何ていうか“いきいき”してましたよねぇ。

コロナ感染拡大、オリンピック開催などについて聞かれた時には、目もうつろ、表情に生気が無く、心ここにあらずというのが一目瞭然でした。

つまり、「政局」だったら本気になってるっていうのがわかるのです(^_^;)
どういう人か、見るだけですぐにわかる・・これがテレビ最大の特徴だと思います。

その他様々な謝罪会見、他にもいろいろなシーンでその人の本性が見えてしまうということがよくあるわけで、「人を見る」「ウソを見破る」にはテレビが一番だと思います。
隠そうと思っても表情に出てしまうんですよね。

ということで、菅首相がどんなことだと本気になるのかがよくわかった、という結論で今回は終わりにいたします。

 

【日常生活上の相談ごとで多かったもの/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №32】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
今回は、また相談業務をしていた頃に戻って振り返ります。
相談事って、怖いものもあるけれど、思わず吹きだしてしまうようなものまで、幅広いものでした。
やっていた当時は、何が来るんだろうと“ドキドキ・ハラハラ”しましたが、今にして思うと、とても貴重な体験になりました。

日常生活上の相談は、担当の先生も幅広い知識と経験が必要だったと思います。夫婦喧嘩から離婚騒動まで、ご近所トラブル、お金の貸し借り、職場でのもめごと、法律相談に踏み込んで行きそうなものまで、大変だったと思います。

多かったのは、冠婚葬祭で、「いくら包むのか?!」というもので、たしかにまだスマートフォンもなく、インターネットもそれほどポピュラーではなかった時代には気軽に電話で様々なケースについてアドバイスを聞ける便利な相談だったと思います。

「ご先祖さまは今ウチに来ていますか?」
というのもありました。えっ、ホラー的な??と一瞬思いましたが・・・

ウチの市に転入してきた人が、今まで住んでいた地域では、7月にお盆があって、ご先祖様を迎えに行ったのだが、どうやら今住んでいるところでは8月13日からになっているらしく近所の人たちが提灯を持って迎えに行っている。

というものでした。
結局、市内でも宗派によっていろいろで、あなたの宗派のお寺が近くにあればそこに聞いてみたらいかがでしょうか。
と、先生が答えていたのを覚えています。

先生がお二人とも相談中に電話を受けてしまったときに「あなたでいいから、相談にのって」と受けた相談をもうひとつご紹介いたしましょう…σ(^_^;)

相談者(女性・結婚二年目・子供無し):「あのぅ・・、だんなが帰って来ないんです。」

私:「帰って来ないって、どのくらいですか。」

相談者:「もう三日目です。」

私:「何か思い当たることってあるんですか。」

相談者:「だんなは、いつも“朝ごはんつくってくれよ”って言ってました。でも、あたしは結婚してから一回も朝ごはんをつくったことがないんです。だいたい眠くて、起きるとだんなは自分で何か食べて仕事に出かけていました。それかなぁ。」

私:(心の中 → それだよっ)「だいたいどこに行っているのか、見当がつくんでしょう。だったら“これからは朝ごはんつくるよ”って連絡取ってみたらいかがでしょう。」

相談者:「そんな簡単なことで問題が解決できるのかな?!簡単過ぎない?」

私:(心の中 → だったらやれよ!)「簡単じゃなかったでしょ。今まで一回もつくってあげなかったんだから・・。何かつくってみてくださいよ。」

相談者:「何をつくればいいの?」

私:「えっ、白いごはんと味噌汁と漬物、あとなにかひとつ、焼き魚でもカマボコでも玉子焼きでも、なんでもいいんじゃないんですか。」

相談者:「ふぅん、じゃ面倒くさいけどやってみる。ありがとね。」

私:「どういたしまして(^_^;)」

怖くなくて、緊迫感のない、上記のような相談もありましたとさ。

 

2021/09/01

【上司に連れられて行った超能力者の家/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №31】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
これもまた古い話で、私が20代半ばの頃でした。

当時、仕事が忙しく、書類もたくさん見たり作ったりしていたので、視力が見る間に落ちて、1.5 あったものが 0.6 くらいに一気に落ちて、そんなにいきなり落ちたので頭痛がひどく気持ち悪くなったりもしていたのです。

それを見ていた当時の係長が、「冷やかしでもいいから、私の遠い親戚の超能力者のところに仕事が終わったら行ってみない? 超能力で病気が治ったりしている人もいるんだけど。」と。

私:「正直、あまり信じられないんですけど、冷やかし半分、面白半分で行っていいなら・・。」
ということで、職場から30~40分くらいだったでしょうか、その超能力者の家に連れて行ってもらいました。

案内してもらって入った家は、とても立派な感じ。超能力の先生のお部屋は、重厚な重役室みたいなしつらえでした。
そこには、60代半ばくらいの会社の重役タイプみたいな方がいらっしゃいました。

私の係長に聞いたら、退職するまでは警察署長さんだったということで、才能として持ち合わせていた超能力は退職後に生かすことにして、今は、日本超能力者協会会長さんだということでした。・・( ̄O ̄;)

立派な机の上には、全国から来たお手紙が開封され、手紙と共に写真が入っていて、先生がその差し出し主のところに電話を掛けているところでした。

先生:「いいですか、今から「念」を送りますよ。ええいっ!!」と受話器に向かって手を差し出していました。

何人かに電話し終えると私に向き合って、

先生「きょう予定していた方の分は終わりました。相談を手紙で受けたら、写真が添えられている重い病気で苦しんでいる人に電話して、「念」を送って差し上げるのです。あなたのことは聞きました。ま、お茶でもどうぞ。」

先生のお母様でしょうか、お年寄りの女性がお茶と煎餅を出してくれました。
私が、お茶を飲み、煎餅を食べ出したら・・

先生:「ええいっ!!」と、私に向かって手のひらを向け、声を出しました。

私:「あれっ?お煎餅の味が醤油味なのに、先生が気合いを入れた瞬間に甘~いお煎餅に変わりました・・???口の中にあるのに途中から味が変わった!!!」

先生:「じゃ、今レモンを持って来ますから、かじってもらえますか。」

私:「はい。」と、半分に切ったレモンをくわえて、ぎゅっとかじると・・

先生:「ええいっ!!」

私:「おぉっ!酸っぱい味が先生の気合いと共に甘くなっちゃったんですけど。」

先生:「わかりやすく超能力をお見せしました。」

私:「えっ、これって催眠術じゃないの。でも、どんな味に変わるかなんて事前に言われてなかったよな。なんなんだろ、これ。」

先生:「じゃ、その疲れた眼に「念」を入れてみましょう。ええいっ!!」

私:「・・・眼は特に突然見え方が良くなったりしませんね。変わりません。」

先生:「後日、効果が出てくる場合もあります。自分でよく気をつけていてください。それから手のひらを見てください。」

私:「うわぁっ!金粉が出ている。あれ?どんどん増えていきますよ・・。」

先生:「机の上の松の盆栽を見てください。」

私:「あっ、来たときは普通の盆栽だったのに、枝や葉っぱに金粉があふれていますよ。」

先生、満足そう(^^;)

というわけで、なんだか、わかったんだか、わからなかったんだか、手品なんだか、催眠術なんだか、超能力だか、疑心暗鬼のままその家を出たのでした。

今までいろいろ書いてきましたけど、私って、ほんとうに変わった場面に“出会い過ぎ”でしょうかね。
それとも、私がそういうものを呼んでいるのでしょうか…σ(^_^;)
で、結局、視力は改善しませんでした。

※写真はそのときにもらった「エスパー・シール」と同じものを画像検索で探し出したものです。。
使わずにいたのですが、どこかに無くしてしまいました。

 

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