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2021/09/26

【捨てる神と拾う神の話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №52】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
このシリーズ、前々回で私の部下数人に「あなたには能力がない」という数パターンのセリフを覚えさせ、私に対し部下から「仕事を降りろ」と言わせ、私を悲しみの池に突き落とした者の話をしました。
その人は、私の「死んでも仕事は降りない」の言葉に「どんなことになっても知らんぞ」と言って引き下がったのですが、その後の話です。「どんなこと」をされたというわけです。

私が「降りない」と言った、“我が社”全職員が日々仕事で使うシステムの開発と、市内に拡がる全ネットワークシステムの統合という事業について、私主導で新年度から怒濤の前進が始まりました。

でも、週次のシステム設計・計画の受託業者との打ち合わせには、出席してくるのです、あの人が。とにかく“ああでもない、こうでもない”と口を差し挟んできて「三歩進んで二歩下がる」状態でした。

ある日の会議では、新システム移行時の回線経路について、回線業者からは一部機密情報が入っていると言うのにも関わらず、その場で見るだけという約束で図を見て、経路の一部不備を指摘。何億円かかっても損してでも解消しろ、と強行に指示を出す。
それでまた何週か遅れが生じる・・。

最終的には、調査したが、実質上問題が無く、数億を使い解消すること自体に意味は無いと私が発言し、この話を収束させましたが、こんなことは毎週で、とても困りました。

いろいろ小さな作戦が功を奏さないことがわかると、いよいよトドメを刺されました。

事業のために確保した予算の1/4を財政部門に返戻してしまったのです。
「私の実力をもってすれば、この予算で事業は可能だ。大変な予算節約になる。出来ないとすると直接の担当の〇〇(私のこと)が不始末を起こしたときだけだ。」という爆弾を落としました。見事に着弾!

「理論上簡単にできる」と新所属長をもうまく口車に乗せていたこともあとで知りました。

うまくいけば自分の力。失敗すれば私の責任。そもそもその段階でうまくいく可能性はほぼ“ゼロ”という見事な作戦です。

これは相手の思惑どおりになってしまいました。

共同企業体含む数社が手を挙げてくれていた総合評価方式による事業でしたが、金額だけでなく、アイデアを採点することで新システムをより良いものにしようとして順調だったのが、予算が減額され、最終的に参考価格が明示されると、全社が辞退届を出してきました。そりゃそうです。予算が全く足らないことがわかったのですから。

数ヶ月かけて作った評価基準表や、仕様書などは全て水泡に。
そして、最低限仕事が出来る程度のシステム内容に仕様書を大急ぎで変更し、通常の価格だけの勝負にして再度挑戦しましたが、締め切り日前日になっても一社もやって来ない。
万事休すでした。

計画していた、職員自ら「Wiki」を作り、業務の内容を誰にでもわかるようなものにするもの、ビデオ・チャットで職員間のやり取りが出来るもの、業務項目のスペシャリストが誰かわかり、質問・アドバイスを請えるような検索システム、ファイル交換もメールなしで出来るなどの実現は全て無くなりました。
ビデオ・チャットなどは私が課を去ってから二度目の更新でやっと実現しましたが、すでに十五年くらい前に実現できていたのです・・。

私は「降格願い」を出すか、どこかに即座に異動か、あるいはこんなに日々苦しむなら仕事を辞めるかと悩み、自分が自分でない状態になってしまいました。

ですが、新しい所属長が「最後まであきらめるな」と言ってくれ、前日深夜までいろいろ動いていただいたようです。
また、所属長からのはたらきかけを受けた側も、技術的なウルトラCを考えだした技術者がいて、最後の最後の日に手を挙げてくれました。

どうにかこうにか仕事が出来る程度の最低限のシステムですが、新システムを作ることが可能だという光も見え、ネットワークの統合についてもウルトラCを使って実現可能の運びとなりました。

新しい所属長に代わっていてよかった。最後の最後まで動いていただいたことは、あとでわかりました。
新システムが完成し、旧システムと並行して動き出したのが11月。年が明け、その後完全にうまく稼働したのが確認出来ると、その所属長は、新年度に私を東京の職場に送り出してくれました。

その所属長には、部署が別れたその後もいろいろなことを教えていただきました。
休日にも様々な所に連れて行っていただき、いろいろな人にも紹介していただきました。山歩きやその他様々な趣味の世界にもふれさせていただきました。
もう感謝以外何もありません。人生の中で出会うことができて良かった恩人です。

人生最大のピンチの時でも、誰かが救いの手を差し伸べてくれる。
これも人生を眺めている今、しみじみと感じていることです。

 

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