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2021/10/31

「日本語必笑講座/清水義範」を読みました。

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『日本語必笑講座/清水義範著(講談社文庫)』を読みました。
ブックオフにて安価購入。
内容としては、1996年から2001年に雑誌等に掲載された清水さんの日本語や言葉についての文をまとめたものになっていました。

時代が古いものがあるため、ワープロ専用機の漢字変換についての面白さの記述などもありましたが、“今は昔”という感じで読みました。

気になったところというと、清水さんが原稿を書き、校閲の人がいろいろ指摘してくることの中に、たとえば「私」と「わたし」とか、「すばらしい」と「素晴しい」「素晴らしい」、または「受付」と「受付け」「受け付け」など、どれも間違いでない日本語を文中で統一したらどうか、ということがあるという部分でした。

私もブログを書いている中で、いつも迷うのです。
ブログ全体で統一した方がいいのか、それともその回だけで統一したらいいのか、さらにその場その場で使いたい表現があるので、バラバラでもいいのか・・と。

これについては、いまだ結論を出せないのです。
むずかしい・・。

もうひとつ、気になったのが、学校で子供が読書感想文の宿題をもらって“どう書いたらいいのかわからない”という相談を受けるとのこと。

私も小学校、中学校、高校と、読書感想文を書けと言われても、とても困った思い出があります。
学校では、その手法というか技術を教えてくれなかったですよねぇ。
それなのに、「本を読んだら感想があるだろう」と言われても、おいそれと感想文なんて書けませんでした。

今、こうして私がブログで1000冊に近い読後感を書いてきたのは、完全に自己流ですが、数をこなさなければ絶対に無理です。
そして、ある程度“手法”みたいなものも、この本に書かれていましたが、それはあくまでも基本的な、ある意味“なんちゃって”テクニックです。

はっきり言って、感想文を書けっていうのは“無理難題”を生徒にふっかけているようなものだったと、今の私は思います。

まずは本をたくさん読むこと。
そして、自分が深く感じたことを何度も思い起こして胸に刻むこと。
感想文を書くのはそれからです。

と、えらそうに書いてしまいましたが、長くなりましたので、今回はこのへんで。

 

2021/10/30

「オリガミ・ドリッパー」と、じゃくう鳥の「オータム・ブレンド」をためしてみました。

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写真のコーヒー・ドリッパー、よくある台形のものとは異なり、ギザギザになっていて、色のバリエーションもたくさんあるのですが、「オリガミ・ドリッパー」という名前です。

自分で珈琲豆を挽き、ペーパードリップをするようになってから、いろいろ気にして YouTube などでも“珈琲モノ”の動画を見ていた中で気になっていたドリッパーです。

これが去年からどこも売り切れで、一年越しにやっと手に入れました。
私が選んだのは「マット・ピンク」。

特徴としては、今人気の「ハリオV60」という円錐形のフィルターも使えるし、カリタのギザギザになっている「ウェーブ・フィルター」も使えるようになっています。

やっと手に入れたうれしさ'(*゚▽゚*)'がこみ上げる中、さっそく今在庫のある「ウエーブ・フィルター」を使って「オリガミ・ドリッパー」を試してみました。

 

 

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さらに!!
私がよく行く、珈琲屋さん「じゃくう鳥」が出した“秋の新作”「オータム・ブレンド」を買い求め、新しいもの同士で新鮮な気分の中、珈琲を淹れました(*^^*)
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落ちるのが速いのかと思ったら、ウェーブ・フィルターを使ってみたらそうでもなく、適度・・d(^_^o)
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豆の特徴がよく出るような印象を持ちました。
そして「オータム・ブレンド」。美味しいっ!!
とてもフレッシュな感じがしました。果実っぽい印象もありました。
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“深まる秋”に吹くさわやかな風・・そんな感じでした。
妻も同じような印象を持ったようです(^-^)/☆

楽しく、充実した珈琲タイムになりました(゚ー゚*)。oO

 

2021/10/29

久しぶりに美術館へ

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昨日、千葉県立美術館に「第33回 平和を願う美術展」に出かけてみました。

美術展には、このブログによく登場する私の中学時代の担任で美術の先生も出展しているとうかがっていたので、先生の作品に久しぶりに直接ふれることも楽しみに(^-^)

 

 

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大作から楽しい小作品まで時間をかけて、ゆっくり楽しめました。

掲載している写真は、上記私の中学時代の先生のコーナーの作品です。

 

 

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全部載せることは出来ていませんが、主に造形作品を今回は出展していました。
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モーターを仕込んで回転するオブジェまで展示していて、先生らしいです。
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31日(日)まで開催しているとのことなので、千葉港方面にお出かけの用事などあれば、のぞいて見ていただけると、いい時間を過ごせると思います(#^.^#)

千葉県立美術館 第5展示室で、午前9時~午後4時30分 です。

 

2021/10/28

【復刻版】Modern Jazz喫茶『 頑 固 堂 』⇒《 Whistle Stop / 1961 》 Kenny Dorham

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十数年前に作っていたホームページ“Modern Jazz喫茶『 頑 固 堂 』”をこのブログ内に復活させることにいたしました。

かつてのホームページに書かれていた「謳い文句」は・・

昔ながらの“ジャズ喫茶”のマスターにあこがれる店主がついにWeb上に開店したバーチャルジャズ喫茶です。
当然「私語禁止」などのルールを踏襲する“頑固”な雰囲気を大切にしています。
冬の暖房は石油の臭いがぷんとする“石油ストーブ”です。
ドアを開けると「カラン・カラン」というカウベルの音がするのもお約束です。
さあ、ジャズ喫茶に入る自分を空想しながらご来店ください。
「いらっしゃいませ、ご注文は?」「おっと大きな声を出さないでください、他のお客さまにご迷惑となります」「そうそう口の動かし方でわかります、“こおひい”ですね、少々お待ちください」

などと(^^;)楽しくやっておりました。
それでは復活して扉を開きます。まずはトランペットのケニー・ドーハムのアルバム「ホイッスル・ストップ」から掛けたいと思います。
過去の原稿に追記しながら書いていこうと思います。

Whistle Stop / 1961
Kenny Dorham

Kenny Dorham/tp
Hank Mobley/ts
Kenny Drew/p
Paul Chambers/b
Philly Joe Jones/ds

①'Philly' Twist
②Buffalo
③Sunset
④Whistle Stop
⑤Sunrise In Mexico
⑥Windmill
⑦Dorham's Epitaph

アルバムタイトルの「ホイッスル・ストップ」は、急行列車が停車しない小さな駅のことだそうです。
ドーハムの生まれ故郷テキサスの小駅をモチーフにした風景がイメージされるような演奏が展開されるアルバムです。
「バッファロー」という曲などは、ゆったりとした南西部風味付けファンクといった面持ちです。
ドーハムのソロもちょっと“くぐもった”音色が非常に効果的に聞こえます。全体にシンプルでさりげない情感があふれるものになっていると思います。

「サンセット」という曲は、日が沈み、夜の冷たさが忍び寄ってくる雰囲気が良く出ています。
ドーハムのミュートを効かせたトランペットの音色も、この曲の雰囲気にピッタリです。

タイトル曲の「ホイッスル・ストップ」もリズムチェンジを繰り返したり、ドラムが機関車を思わせるようなサウンドを出したりして鉄道の雰囲気が出ているように思います。
フィリー・ジョーのドラムは流石と言わざるを得ない見事なリズムです。色々なバリエーションが無類の豊富さで飛び出します。最後の方では、機関車の迫力が満点の表現で叩き出されています。

「サンライズ・イン・メキシコ」では、ベースが重要な役目を果たしていて、昇っていく太陽を表しているかのようです。
それにトランペットとテナーが、やや暗い感じで絡んできます。ちょっとダーティーな雰囲気が“メキシコ”ということなのでしょうか。

「ウインドミル」もドーハムとモブレーのトランペットとテナーの絡みが繰り広げられる中、フィリー・ジョーが風車が回る様子を巧みに表現しています。チェンバースの弓弾きベースを聞くこともできます。

全体に表現力が素晴らしく、メンバー各々の個人的な力量が遺憾なく発揮されている、聴き所満載のアルバムです。

〈追記〉2021/10/28

上記、過去の原稿には一曲目の「フィリー・トゥイスト」に関する記述がありませんでした。今、あらためてこの曲を聞いています。
タイトルにある「フィリー」はもちろんドラムのフィリー・ジョーのことですが、そのフィリー、相変わらずかっこいいリズムを独特の“シンバルさばき”で聞かせてくれます。

もう一曲、最後の曲についても過去の原稿がふれていませんでした。
短い曲なのですが、憂いのある詩的なものになっていて、ドーハム自身が自分の墓碑銘として書いたという・・ことなんだそうで、クリフォード・ブラウンやリー・モーガンなど、早死にするトランペッターが多いせいか(^_^;)へんなこと考えてしまったのかもしれません。

 

2021/10/27

赤瀬川原平さんの「鵜の目鷹の目」を読みました。

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『鵜の目鷹の目/赤瀬川原平著(日本カメラ社)』という本を読みました。

ブックオフでわずか370円で見つけたのですが、内容としては『月刊カメラ』に連載された「鵜の目鷹の目」という赤瀬川さんのコーナー(1989年1月~1992年6月)の文と写真から新たに構成されたものになっていました。(※1994年12月刊行)

様々な写真集(1800年代のものなども有り、海外から日本国内のものまで幅広い)を見ながら、赤瀬川さんが気になった写真について単に芸術作品として見るのではなく、なぜこんな状況になっているのだろう、とか、この人は何者?とか、ああだこうだ、あれやこれや考えたり、“茶々”を入れたりしながら見ていくというものでした。

私が写真を見るときには、どうしても“情緒的”になってしまい、赤瀬川さんのように見えているものからその時の状態を現実的に分析したりするという感覚がなく、けっこう驚きました。
「たぶん写っている二人は、こんなことを実際に考えながら(けっこう下世話な想像をしている)あっちの方を見ているんだろう・・なんて見方をしているのです。
私はそんなふうに写真を見たことがないので、最初は赤瀬川さんの考え方が理解出来ず、どう読んでいったら、どう写真を見ていったらよいのやら、わからなくなってしまいました。

しかし、後半からは、「ええい、もう写真のあるページを先に見て、自分の見方でまずは写真を感じ取ってから赤瀬川さんの文を読もう」ということにしました。

そしたら、悩まずに「ああ、この人こんな見方をするんだ、変わってるなぁ」という具合になり、なんとか読み終えることが出来ました。

けっこう古い海外の写真集からの作品を見ているだけで、写真の世界に浸れる本でした。
そして、赤瀬川さんの独特の感性による写真の見方も感じられました。

めったに写真関係の本は読まないのですが、興味深く読みました。

 

2021/10/26

またこのブログに新しいカテゴリーをつくって「ジャズ・アルバム」についてあれこれ書きます。

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このブログで復活させた「ビートルズ研究室」は、かつて Yahoo の無料ホームページのスペースを使って作っていたホームページでしたが、 Yahoo から連絡があり、無料スペースを廃止するとのことで、残念ながら廃止に至りました。
で、もったいないなぁという思いをずっと抱いていて、やはり復刻して、追記しながらブログで再度楽しみつつ焼き直ししようということで現在に至っています。

で、その廃止になったホームページには、いろいろなページが連立しておりました。
ジャズ喫茶を気取った形でジャズ・アルバムを聞いていくというものもありました。
その他にも、「チャレンジ・ドリンカー」というページもありまして、次から次へと“変な飲物”を飲んで“のたうち回る”という(^^;)ものもありましたが・・。

いろいろ復活させたいと思っているのですが、今回はジャズ・アルバムを聞いていくというものを、このブログで再度やってみようと思っています。
※掲載している写真はかつてのホームページのものです。

ただし、すでに「アナログ探訪」というコーナーがあり、156枚ものレコード盤を聞いて感想を書いてきているので、その中にはジャズのアナログ盤も入っていました。
なので、今回再構築するものについては「CD」でジャズを聞いて感想を次々と書いて(過去のホームページの原稿も復刻しつつ)いこうと考えております。

とにかくねぇ、もうジャズを聞く人が少なくて、たまに聞いている人を見つけると老人ばかり、私だって“いい歳”だが、それでも年齢的に私が最後の砦なんじゃないかと思いつつ書いてみようと思い立ったわけですd(^_^o)

というわけで、近日公開いたします。
今、過去の原稿なども使えるか確認中です。

それではまた後日。

 

2021/10/25

「祇園白川 小堀商店 レシピ買います/柏井壽」を読みました。

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『祇園白川 小堀商店 レシピ買います/柏井壽著(新潮文庫)』を読みました。
この著者の「祇園白川 小堀商店」のシリーズは今回で二冊目です。
このブログでも同シリーズの「いのちのレシピ」を読んで一度9月頃にご紹介しています。

今回は、私が「いのちのレシピ」の方を読んで、その話を妻にしたら、「私は同じシリーズの別のもの、持ってるよ」と貸してくれて、それを読んだのです。
夫婦揃って読書好きだと、こういうこともある(*^_^*)

で、今回読んだこちらの方も、ものすごく面白かったことをお伝えしましょうd(^_^o)
舞台が京都ということもあって、登場人物のひとり、芸妓の“ふく梅”は完全に京都弁で話していて、見事に活字になってもその京都弁は“生き生き”としていて、それもこの物語の魅力のひとつになっています。

また、次から次へと現われるメニューも、読んでいるだけでお腹がぐうと鳴るような逸品ばかり。それを目の前でつくってもらい、レシピを買い上げるという奇想天外な話なのですが、でも全然違和感のない“話のつくり”になっているのが驚きです。

そしてレシピを買い上げるときの相手方の人生物語も、一々泣けてくる話ばかりで、わかってはいるけれど、毎回「ええ話や」ともらい泣きしそうになります…σ(^_^;)

京都を舞台に繰り広げられる料理と人生の物語、どっぷりと世界に浸って読んだ時間は幸せな気分にさせてくれました。

めっちゃオススメな本です(#^.^#)

 

2021/10/24

アイスランドの映画「<主婦>の学校」を見てきました。

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『<主婦>の学校(The School of Housewives)/2020年 アイスランド 監督:ステファニア・トルス 出演:※ドキュメンタリーのため、現実の生徒(卒業生含む)と校長先生他』

この映画は実際に北欧のアイスランドにある「主婦の学校」のドキュメンタリーです。
しかも男女共学で、この学校が教えるのは「いまを生きる」ための智恵と技術です。

《自分のことが自分で出来ると、人生はきっと楽しくなる》っていう言葉が添えられていましたが、まさにそんな感じの学校でした。

アイスランドは2021年世界経済フォーラム公表の「ジェンダーギャップ指数ランキングで12年連続1位の“ジェンダー平等”先進国。・・日本は同ランキング120位だそうです(T_T)

「主婦」という概念を打ち破り、「主婦とは性別に関わりなく〈生活を大切にする〉営みを続ける人」であるというわけで(*^^*)、実に面白いドキュメンタリーになっていました。
特に何かストーリーがあるわけではありませんが、とにかく学校の授業や生徒達の寮での様子をありのままに撮り、飾り気のない、でも美しい画像で見せてくれます。

通常の生活全般の家事を実践的に教えるのですが、基本だけでなく、衣服の修理や食品ロスなどのサステイナブルなことを古くから教えていたというのも、この学校の魅力でした。

 

 

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卒業生として登場する男性が何人かいたのですが、アーティストや、中には大臣もいました(#^.^#)
大臣自ら“大切なことをここで学んだ”と語っていましたが、どの卒業生も自分が受けた授業の話をするときはとっても“生き生き”としていて、この学校の良さがその表情からもうかがえました。

家で過すことの多くなったコロナ禍以降の暮しや家事のあり方まで問いかけてくれているように感じましたが、まずはこのあまりにも“自然体”な映画を多くの人に見てもらいたいと思いました。

人が毎日生活していくということが、それそのものが「人間」というものだと思いました。
なんだか、生きて行くことが楽しいことなんだ、と思えるような映画でした。

 

2021/10/23

わざわざテープに録って聞くジャズ番組

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毎週土曜日と日曜日の私の楽しみのひとつになっているラジオのジャズ番組。
土曜日の夜11時からの一時間ですが、番組を聞きながら録音し、日曜日にもう一度テープを聞き返して、曲名とプレイヤー、録音年を整理してラベルに書き込みます。うちのジャズ猫マロンと一緒に。

録音する番組はラジオ日本の「オトナの Jazz Time 」です。
この番組でリクエストされて掛かる楽曲のほとんどは1940年代から1950年代です。
私の知らない曲、アーティスト、プレイヤーが多く、新たに知ることばかりですが、それがとても楽しくてうれしい(*^_^*)

もともとDJをされていた島崎保彦さんが亡くなられ、今はアシスタントをその時つとめていたジャズ・シンガーの紗里さんがあとを引き継いでいます。
紗里さんは、サックスプレイヤーの大御所、中村誠一さんの娘さんです。

なんで今さらカセットテープなの?と思われるのも当然かと思いますが、前にも書いたけど、カセットで聞く音はなんだかとても“くつろぐ”のです。

そうねえ、焼酎の“前割り”ってあるじゃないですか。
焼酎を水で割って、何日か寝かせておいて、それを“ぬる燗”にして飲む。
応えられない“まったり感”&“まったり燗”(^_^;)

まさにそんな感じで、古い録音(アナログ・レコード盤でほとんどの曲が掛かる)を聞くことは、デジタル全盛、配信ダウンロードやサブスクでスマホ経由で聞くものとは対極にありますが、これが“贅沢”というものです。

ラベルに一曲、一曲、手で、ペンで、楽曲を聞きながら、プレイヤーに思いを馳せながら書くという作業が、とても心地よい時間を与えてくれるのです。

「無駄なことやってるなぁ」と思われる方もいるかと思いますが、私にとっては至福の時間ですd(^_^o)
今も番組を聞きながら録音しております。

明日は前割りを飲む感覚で再度録音した曲を振り返りつつ聞き直します。
明日の楽しみを待ち遠しく思いながら、土曜の夜に眠りにつきます(#^.^#)

 

2021/10/22

「家飲み大全/太田和彦」を読みました。

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『家飲み大全/太田和彦著(だいわ文庫)』を読みました。
今やデザイナーではなく、「居酒屋作家」と呼ばれるようになった太田和彦さんの著書です。

居酒屋作家にはキツいこのコロナ禍で、太田さんは家から離れたところに持つ仕事場から夜帰宅すると、「家飲み」してから寝るのだそうで、その太田流の“家飲み”を指南してくれるような内容となっておりました。

ビールで始まり、日本酒で終わる形は私としては理想的です。
あまりテーブル回りには余計なものは置かず、専用の長方形の盆を用意し、目の前はお酒と肴の皿ひとつ、そして箸のみというシンプルな形にして取りかかります。

たしかにこうしてシンプルにすると、一人で飲むときには、ただ自分とだけ対峙するようで静かで良いひとときを過ごせそうです。

さらにビールの注ぎ方から、日本酒の盃の話などにも話は進展し、そして肴の話も読んでいるだけで美味しそうです(*^_^*)

ワインやウイスキーの話も出て来ますが、気になったのはお酒の「燗」の話です。
大戦時の日本酒不足を補うため、醸造アルコールで三倍に薄めたうえに、糖類や酸味料などで味を加工した「三倍醸造清酒(三増酒)」が、戦後も税収を得たい国税庁によって維持されてしまったことが・・燗酒は安酒、まずい酒という潜入感を持たせてしまったというのです。

私も、父親が若い頃飲んでいたお酒がそんなだったような印象があります。
酒のこぼれた徳利はべったりと机に張り付いていた・・片づけをしていた子供の私にはそんな印象があります。

でも、今や日本酒は歴史上最も美味しい時代になっています。
もともと酒は燗で飲むためのもので、「燗しておいしい酒こそ、良い酒」を提唱する太田さん。
私もその域に近づきたいと思っていますので、コロナ禍が収束し、東京に行けるようになったら、この本で太田さんが紹介している燗酒のうまい居酒屋に行ってみたいと思っています。

そのときはぜひ一緒に行きたい友がいるのですが、もしこれを読んでくれていたら、「一緒に行こうね'(*゚▽゚*)'」

とりあえずこの本で太田さんが提唱している「家飲み」、やってみようかな(*^^*)

 

2021/10/21

「読めば読むほどおもしろい 鉄道の雑学/浅井建爾」を読みました。

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『読めば読むほどおもしろい 鉄道の雑学/浅井建爾著(知的生きかた文庫)』という本を読みました。

店頭でパラパラとめくって見たときには、ちょっとした話題が面白いと思って購入したのですが、けっこう“鉄ちゃん”的にマニアックな内容も多く、列車番号と車両番号の解説や、混雑率と乗車率の違い、平均速度と表定速度の違い、など「それ・・おもしろいのかなあ」という私の素人的な感じ方もありまして、おもしろかったり、よくわからなかったりという本でした(^^;)

でも、千葉に住む人間にとって「そうなんだ」と知ったこともありました。

東京湾側から内陸に向かう路線に「小湊鉄道」と名付られたワケ

とか

現在の東京駅地下にある京葉線のホームは、成田行きの新幹線の駅ホームとして当初は考えられていた

とか

新京成電鉄の路線が曲がりくねっているワケ

など、けっこう興味深く読みましたd(^_^o)

最近はコロナ禍でめっきり電車に乗ってどこかに出かけよう、なんてことがなくなっていますが、読んでいて、小湊鉄道からいすみ鉄道に乗り継いで房総半島を横断してみようか、なんて思い立ちました。
もうちょっとコロナの収束が確認できたら出かけてみたいと思います。

 

2021/10/20

【高校の時、覚えている先生の出来事/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №64】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
私、高校時代の先生の授業のことなど・・あまり覚えていませんが、でもちょっとした出来事だけは覚えていることがあります。そういうことばっかりなんですが…σ(^_^;)

ひとつは

「物理」の先生

たとえば、重い物を机に乗せたら、机は下からその重い物を反発して持ち上げている・・というんです(^_^;)先生が。
頭のいい子達は「なるほど」などと頷いていましたが、私には納得がいきませんでした。

「誰が持ち上げているんですか、先生」などと思わず声を出してしまうのですが、「これが理解できないと、そもそも理論が理解できないってことだから話にならない」と先生。
まるで禅問答のようですが、なんだか最後までわかったような、わからないような授業でした。
でも、だからこの物理の先生の顔ははっきり覚えているd(^_^o)

もう一人は「生物」の先生

ほ乳類が育っていく過程で生まれてすぐの「乳」というものが大事で、成分はこうだ・・みたいな話をしていたのです、先生。

先生:「ちょうどいい機会があったんですよ。私、晩婚ですがこのたび子供が生まれまして、で飲んでみたんですよ」

教室内・・・・ザワザワザワザワ・・・。

先生:※気づいたらしく「あっ、ちがうんですよ。直接飲んだわけじゃない」

女子生徒:「きゃーっ!!」「いやーっ!!」「やめてぇ~っ!!!」

先生:「誤解を生んでしまいました。あの・・ちゃんと小さなコップに取ってですねぇ・・」

女子生徒:「ギャア~ッ~~」※教室内阿鼻叫喚( ̄O ̄;)

男子生徒:ほぼ全員妄想中・・。

というお話でした(^^;)

こういうことはよく覚えているんですよね。肝心な勉強のことは全然覚えていないのに・・(^_^;)

 

2021/10/19

「小沢昭一的 流行歌・昭和のこころ」を読みました。

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『小沢昭一的 流行歌・昭和のこころ/小沢昭一・大倉徹也(新潮文庫)』という本を読みました。
ブックオフでわずか110円で売っていたのでした。小沢さんの本も数々読んでおりましたが、初めて出会ったものでした。

あのTBSラジオの有名番組「小沢昭一的こころ」の“昭和歌謡版”的展開の本でした。
小沢さんと共に著者に名を連ねているのは、番組の台本作家をつとめていた大倉徹也氏です。

小沢さんは昭和4年生まれで、その小沢さんが少年時代に聞いていた流行歌とその歌手について書かれたもので、だから私には知らない人が多かった。
でも、あの“語り口”、あの“調子”で書かれているので面白く読めてしまうのでした。

知っていた人 藤山一郎、灰田勝彦、ディック・ミネ、美空ひばり

知らなかった人 美ち奴、楠木繁夫、松平晃、杉狂児、二村定一、小唄勝太郎、霧島昇・松原操夫妻

知っていた人も、知らなかった人も、それぞれがそれぞれの全盛期を持ち、当時の国民が皆知っていた代表曲があり、そして様々で“悲喜こもごも”な晩年がありました。

驚いたのは、「狭いながらも楽しい我が家~」で覚えていた「マイ・ブルー・ヘブン」は、エノケンが最初に歌ったのかと思っていたら、日本で昭和三・四年頃、最初に歌ったのは二村定一で、その当時かなり売れていたのだそうです。

エノケンは二村定一の全盛期に舞台を一緒にやっていて、息長く人気を保ったエノケンが後に再度歌って、またもヒットしたとのことでした。この本に書かれていなきゃ、もう誰も知らないことになってしまう、そんなことがこの本にはたくさん書かれていました。

東京音頭は小唄勝太郎、日比谷公園で「丸の内音頭」という曲を作って盆踊りをやったら人がたくさん集まり、じゃ東京全体にしたらどうだと作られた曲だという。

「有楽町で逢いましょう」やその他、“この人の歌だ”と思っていた曲が、みなこの本に登場している人達が本来飛ばしたヒット曲だったりしたのにも驚きました。

小沢さんが書く、この歌はその時代の自分にこんなふうに聞こえた、という感覚は私にも想い出の曲がありますが、なんだかわかるような気がしました。

それと、一世を風靡した歌手の人生に思いを馳せ、様々な文献をあたって書いている部分も多く、歌手という一時的には皆が知ることになるが、やがて「あの人はいまどうしているのか」みたいなことになる“特殊業務”の悲哀も“小沢節”で書かれていました。
この部分が一番私も気になるところでした。

あとは、美空ひばりの素晴らしさに強烈な肩入れをする小沢さんの姿も確認できました。
一時期、紅白からも“干され”る状況だったひばりさんをNHKのショー番組内で小沢さんの演出で復活させ、紅白にも復帰した話が書かれていました。これは「あとがき」の山川静夫さんが詳しく書いておられました。
なんというか、いろいろなものを抱え込んでいるのが歌手、それも含めてその人とその人の歌が好きになるのだという・・小沢さんらしい感覚ですが、私も共感します。

私の知っているその後の昭和の歌謡曲についてもいろいろ調べてみたくなりました。
「タブレット純」さんあたりから入っていくと、深いところに行けるかもしれない・・。
彼のラジオ番組はかなりマニアック、かつディープなので・・。

 

2021/10/18

寒菊 いも焼酎『百蔵』を飲んでみた。

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いつぞやインスタグラム経由で facebook にも載せましたが、九十九里の片貝海岸に行って来たと浜辺の写真をアップいたしました。

そのとき、近くに酒蔵などがあるなと思い出し、少しクルマで走り、酒蔵近くの直売所に行ってみました。

日本酒(梅一輪・ひやおろし)と焼酎を買ったのですが、今回ご紹介するのは焼酎の『百蔵』です。梅一輪のひやおろしについてはまた後日。

25°とラベルに書かれておりました。
山武市松尾町武野里の「寒菊銘醸」が製造者となっています。

コロナ禍前には、よく東京お茶の水の「名酒センター」やその他いろいろな居酒屋に、仲良しの友と出かけていろいろとお酒を飲んだのですが、すっかりのご無沙汰です。

で、たまには焼酎などどうだろう、しかも地元のものがいいと思い立っての購入です。

飲んでみましたよ。
お湯や水で割ってもいいのですが、今回は“ロック”でいってみました。

おおっ・・けっこうガツンときました。

いも焼酎独特の“臭み”みたいなものはあまり感じません。喉にちょっと焼け付くように入ってきましたが、それがなんだか“男の酒”っぽくていい感じです。
ゆったりと味わうよりも、むしろグッといきたいお酒に感じました。

そして味わいも“濃い”。
私は泡盛なんかもロックで飲むことが多いので、この「寒菊」もロックが合うような気がします。
これは人生の荒波、九十九里の荒波を乗り越えつつ飲むような、仕事のあとの夜に、今日一日をぐっと締めたい、そんなひとときのお酒としておすすめいたします'(*゚▽゚*)'

以上です。ああ・・酔っ払ってきた・・。

 

2021/10/17

高倉健さんの本「旅の途中で」を読みました。

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『旅の途中で/高倉健著(新潮文庫)』を読みました。
ブックオフで見つけました。

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読もうと思ったきっかけは、写真のとおり各ページの体裁というか文が次の行まで“跨がない”というちょっと変わった感じが気になったこと。
そして私が思ったのは、“健さん”のボソボソとつぶやくような話し方にこの体裁がぴったりだということ、そしてそのおかげで、とても読みやすいのです。

もともとこの本は、1996年から2000年までラジオで放送されていた番組をもとに書き下ろされたもので、“語られて”いたものだから、こういう“つくり”は“しっくり”ときたのだと思います。

この本で健さんが度々おっしゃっているのは、人間にとって寂しいことというのは、何を見ても、何を食べても、何の感動もしないことだということでした。
感動しなくなったら、それはいかんと。

人にとっての贅沢なことって、心がふるえるような感動だとおっしゃっていて、一週間に一回でもいいから「心が感じ」て「動ける」ことに出会いたいというのです。

付け加えて、今の世の中で、上記のような感動に出会えることは幸せなことだと。

高倉健さんのエピソードって、いろいろな人が様々語られていて、「鋼の意志を持つ人」「男の中の男」、「やさしくて、きびしくて、こころづかいのできる人」などなど私の耳にもテレビ、ラジオ、その他のメディアで伝わって来ていますが、この本で自ら語る「高倉健」さんは、面倒くさがり屋で、怖がりで、いい加減な部分があります。

でも、そんなことでいいのかと“生真面目”に自分と向き合っています。
そこから自分の行動を律していき、我々が見聞きしている「高倉健さん」が現われるのでした。

結局「健さん」は、やはり我々の思っている「健さん」なのです。

この本の最後に、「生き仏 大阿闍梨(あじゃり)様」と呼ばれている方を訪ね、比叡山横川離れ谷の飯室谷不動尊の庫裏に健さんが出かけるのですが、そのときの健さんの“自分は俗物で何か仕事を成し終えると“ご褒美”みたいなものが欲しいが、阿闍梨様はそんなことはないのか、などと健さんが“小さな一般人”と化して質問したりしていて、それもなんだか微笑ましく感じました。

健さんのように“自分に素直になれる本”だと思いつつ、読了いたしました。

 

2021/10/16

「巡査の日記帳から」という本を読みました。

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『巡査の日記帳から/深沢敬次郎著(ぶんりき文庫)』という本を読みました。

著者の深沢さんは、ほんものの巡査さんです。
1925年生まれ。18歳のときに特攻隊員として沖縄戦に参加、餓死寸前にアメリカ軍の捕虜となりました。
終戦後、職も無く、警察官試験があるから受けろと親に言われて受験し、警察官となった人です。

山の中の小さな警察署に勤務となり、その後、派出所勤務、刑事、鑑識、内勤、巡査などの仕事をされるのですが、読んでいるといつも自然体で自分の心に正直な方です。

出世などにも興味なく、淡々と警察官としての仕事をされていたことがうかがえました。
上司に気に入られなければ駄目ということも、昇進試験の問題はそういう人に漏らされているということも暗に書かれていましたが、そんなことはどうでもよかったのだと思います。

山中で殺人事件が起これば、現地で遺体と共に本署から鑑識含めた部隊が来るまで遺体と共に一夜を明かしたり、村全体の選挙違反が疑われると、正直にどうやって票を固めるのか正面から聞きに行ったり、凶悪な犯人と向かい合ったときにも、深沢さんの人間力むき出しで話をして、相手の心に入り込み逮捕したりしています。

書かれていることは、小説のように何か“ヤマ”があったり、“落ち”があったりするわけでもなく、本当に起こったこと、その時に深沢さんが感じたこと、そして現場の実際の様子や、時代背景などについても淡々と書かれているのです。

“リアル”な部分だけで真っ直ぐに進んでいくような文で綴られた「日記帳」で、今「過去に会った人、出来事」をブログに書いている私にはとても参考になりました。バイブルと言ってもいいくらい、素晴しい文だと思いました。

また、著者が退屈をまぎらすために本を読んでいたのですが、犯罪捜査のために著名な作家や学者の話を聞く機会に恵まれると読書に拍車がかかり、本を手放すことができなくなったと書かれていて、さらに犯罪者からも貴重な体験を聞かせてもらう中(深沢さんの人柄がそういうものを引き出していた)で、深沢さんの“人間力”というか、魅力がどんどん増していったのだと思いました。
それがこの本の文にあらわれています。

いい本を読むことが出来ました。

 

2021/10/15

【The Beatles 研究室・復刻版】Let It Be[A-4]I Me Mine

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2004年から2008年にかけて作成したホームページ「The Beatles 研究室」・・2009年リマスター発売後の一部追記も含めてのブログにての復刻版です。ほぼ当時のまま、そして復刻後追記も付しております。15年以上前の文なので細部の表現・事実についてはお見逃しください。
今回はアルバム「レット・イット・ビー」からジョージの曲、「アイ・ミー・マイン」を取り上げてみます。
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映画レット・イット・ビーの中で、この曲が演奏されているシーンがあり、ジョンとヨーコがそれに合わせて踊っていた記憶がありますので、当然その当時録音されていたものだと思っていました。
しかし、実際はレコーディングはされておらず、その後アビーロードが制作され、お蔵入りになっていたレット・イット・ビーをサウンド・トラック・アルバムとして復活させる際に、映画で使われていたこの曲を再度レコーディングすることになったようです。
ですから、レコーディングは1970年の1月3日です。ほぼ一年後になってしまったわけです。

ジョンは海外に旅行していたらしく、残り三人で録音されたようです。しかし、ポールは自宅の農場にいて、その場にいたはずがないと言う人もいます。
ただ、私が聞いた限りでは、シャウトするコーラスはポールの声のように感じます。ひょっとして、キーボードもポールかも。

いまさらながら集まった三人のレコーディングの前にジョージが声明のようなものを読み上げます。
「すでにお聞き及びのことと思いますが、○○はグループを脱退しました(架空の名前・・デイブ・ディー・グループのことを仮に使っているらしい)。○○と○○とそれに私は、これまで二の次となっていたこの秀作の仕事を、今後も続ける所存であります。」・・と。ジョンの事実上の脱退と自分の境遇を言っているのだと思います。
気付かなかったのですが、この声明はアンソロジー3のこの曲を聞くと、イントロ前に入っていました。

さらにこの曲は、自分勝手なわがまま男のことを歌っており、レット・イット・ビー撮影時のポールのことを歌っていたことは見え見えです。よく、ポールは録音に付き合ったものだと思います。
まぁ、考えようによっては、ジョージが「自我にとらわれる人間の業」をインド哲学的な観点で歌っていると、とれなくもないのですが。

曲は、ほんとうは1分ちょっとの長さでしたが、プロデューサーのフィル・スペクターは、テープ操作で二度繰り返し部分を作り2分以上の曲に作り変えています。これはレット・イット・ビー・ネイキッドのアルバムでもそのまま踏襲されています。
サウンドはフィルがオーケストラも加え、けっこう荘厳な感じになっています。
でも、ネイキッドのプレーンなバージョンでも、この曲の良さは生きていて、そっちもOKだと思いました。
ギターはエレキとアコギが2本ずつ、ジョージはかなり忙しかったことと思います。あと、エレピとオルガンも入っているようですが、これはポールもからんでいるかもしれません。

ワルツからロックンロールに突如変貌する部分は、やや強引かもしれませんが、リンゴの巧みなドラムにより、事なきを得ています。いつも思うのですが、リンゴによって曲が体裁を保つことができたケースは多々あります。
この、リズムが変わる際のリンゴの両手打ちは、片手じゃないかと思うくらい両手のピッチがピッタリ合っていて、驚異のピッチ感覚です。

解散状態にあったビートルズが1970年代最後に残した、レコーディング曲でした。


〈追記〉2021/10/15

まずはアンソロジー3に入っていたバージョンを聞き直してみました。
これは当初録音したままの短いバージョンです。
とてもシンプルでジョージのボーカルもエコー等がほとんど掛かっていなくて、明瞭に聞こえ、息づかいまでわかる感じ。
ポールのベースもよく聞こえ、歌っているようなリラックスしたプレイの感じが伝わってきます。
リンゴのドラムは全体にやや後ろにいる感じです。

次に2009年リマスター・ステレオ版。
音は全体によく制御されているように聞こえます。
リンゴのタムの音がかなり強調されているようです。
ハイハットの刻みも生々しく聞こえてきます。
歪んだエレクトリック・ギターの音もとてもいい。
ジョージとポールのコーラスも二人がはっきりとわかるくらい表現されています。
フィル・スペクターが加えたオーケストレーションは、昔LP盤で聞いていた記憶よりも抑えめな気がします。

最後にレット・イット・ビー・ネイキッドを聞き直してみました。
全体のバランスがとてもよく、“ノリ”がいい。
アコースティック・ギターの音がフレーズもよくわかるくらいに聞こえています。
歪んだエレクトリック・ギターの音は、とてもシャープな印象です。
ポールのベースは太く感じ、重厚感が出ています。
リンゴのハイハットもほど良い感じでシャープさを少し抑え、全体の流れに沿った感じで流れていきます。タムの音はそれほど強調されていませんでした。

 

2021/10/14

【今ではなかなか無い、手紙での行動について/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №63】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
たぶん、このブログを読んでいただいている方の多くは、手紙なんてほぼ書くことは無いんじゃないでしょうか。

私にしてもほとんど無かったのですが、このブログにも登場する中学時代の担任の先生が、年齢のこともありますが、“超アナログ”な方なので(^_^;)やり取りするのは電話か、手紙になりました。

何度か先生との手紙の“行ったり来たり”をしてきた中で、だんだん慣れてきて、あまり苦にならなくなり、手紙にするとメールやラインとはまた異なる心の通ったやり取りができることをあらためて感じています。何よりも“直筆”っていうのがいいと思いますd(^_^o)

で、今回は手紙での話題です。

話は古く、私が二十代半ばの頃。
このブログでも宝塚の話題のときに書いたことがありますが、「過去の会った人、出来事」シリーズとして思い出してみます。

生まれて初めて宝塚歌劇に連れて行ってもらい、「こんなに素晴しいものが世の中にあったのか」と感激したのですが、その後居ても立ってもいられず、東京で見た花組の別公演のビデオも見せてもらいました。

そのビデオで見たミュージカルに出演していた娘役さんで、その公演のみ少年の役をされ、人と人の心を通わせる心優しい少年役で、美しいボーイソプラノを聞かせてくれた方に、私はこの感動をどうしても伝えたいと思い、お手紙を差し上げることにしました。

手紙に慣れていなかった当時の私ですが、時間を掛け、一生懸命ありったけの気持ちを込めて書きました。そして所在地もよくわからなかったので「宝塚市宝塚歌劇団花組〇〇様」と表書きして送ったのでした(*^_^*)・・これが届くんだよね。

そうしたら、一週間もしないうちにお返事をいただきました。

あとからわかったのですが、彼女は花組の中でも中心的な娘役スターで、花組一番の“歌姫”、ファンもたくさんいる大スターでした・・何も知らずに「あなたのあそこでの演技は素晴しい」だとか「トップスターの腕を取って歌い出した時のあなたはの歌はとても良かった」だとか、たいへん失礼なことを、私、書いてしまっていたわけです。

お返事には、私の手紙をとてもうれしく読みました、ということと「今は宝塚大劇場公演ですので、見に来て」と書かれていました。

それをまた真に受けた宝塚初心者の私は、のこのこと宝塚市にある大劇場まで出かけて行ったのでした。
行ったのは千秋楽、彼女が全て手配してくれるとのことで、ここでもよりによって「千秋楽がいいです」などと“ずうずうしい”ことをお願いしてしまいました。普通は千秋楽の券なんて取れません。知らないということはおそろしい・・。

で、千秋楽をものすごく良い席で見させていただき、ファンの皆さんとの終演後の宝塚ホテルでのパーティーにまで呼んでいただき、ご本人とお話させていただきました。

「千葉からいらした私の大切なお客様です」と会場の皆さんに紹介していただいて、もう恐縮しきりでした。

そして「一緒に写真を撮りましょう」と、私のいたテーブルにやって来てぎゅっと私の腕に手を組み、記念写真を撮ってくださって・・心臓が爆発しそうでした。

壇上に戻ると、私がビデオで見て感動したあの曲を歌い出しました。
もう、いつ死んでもいい!!と本気で思いました。

私がビデオを見てからほんのわずかの時を経て、こんな夢のような出来事が起こったのでした。

たった一通の手紙が大きな出会いをプレゼントしてくれました。

私がこのブログで宝塚のことばっかり書いていて、ほめてばっかり(*^^*)というお言葉をよくいただくのですが、だってあんなことがあったのです。みな宝塚歌劇への恩返しです。
返しても返しきれないくらいの素敵な手紙へのお返事をいただいたのですから。

 

2021/10/13

映画「人と仕事」を見て来ました。

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十ヶ月ぶりに映画を見に出かけました。コロナ禍が昨年末拡大を始めたのと、年末・年始に私が急病で入院し、その後体調や世間の様子を見ていて、こんなに時間が経ってしまいました。
まだ宝塚等観劇も出来ていませんが、映画もこれだけ間が空いてしまい、映画がとても見たかったのです。

映画は、『人と仕事(HOW WE WORK , HOW WE LIVE)/2021年 日本 監督:森ガキ侑大 出演:有村架純、志尊淳』です。

もともとは、有村架純さん、志尊淳さん主演で保育士を描いた映画を撮ることになっていたのですが、コロナ禍で撮影は中止。
そして有村さん、志尊さんお二人が“役”ではなく、そのままの“自分”で出演して、このコロナ禍で保育士や介護福祉士、農家、看護学校に通う学生など、様々な人達にインタビューしていくというドキュメンタリーになっていました。

演出のようなものは、ほとんど感じられず、主演のお二人はインタビューしていく中で、このコロナ禍の社会とそこで生きる人、その人達の仕事について同時進行で考えていくような映画になっていました。

撮影途中、有村さんと志尊さんお二人だけで部屋に入り、カメラを回し、この撮影について話し合うシーンがありました。
二人とも、どうやってインタビューしたらいいのか、自分は何を考えながら相対するのか、何を見つけようとしているのか、そしてこの映画は自分達の仕事がどういうものなのか、あらためて考えることになったと互いに話していました。

私も見ていて自分の立場なりにいろいろと考えさせられることがありました。

こんなに長くなるとは思っていなかったコロナ禍、誰もが今の自分について思うことがあるのではないでしょうか。
人が生きて活動することの意味はなんだろうか、とか、仕事は人にとって、社会にとって何なんだろうということにも、あらためて考えることになりました。

こういう作品を映画として配給するということは、新しい試みのひとつだと思いました。
今後も、何らかの社会現象に対して映画という媒体を使って考察していくようなものが出てくるかもしれない。そんなことを思いました。

 

2021/10/12

【誰のためというわけでもなく、自然体で動ける人の話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №62】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
よくも続いたなと思いますが、もう62回目の回顧です。

今回も二十数年前の耐震工事の担当者だったときの話です。
次年度施工予定の小学校を回り、どこをどういうふうに工事するか建築部の技術屋の職員と共に校長先生に説明しに行ったのですが、そこでの話です。二つの学校であった話ですが、二校とも女性の校長先生でした。

ひとつ目【A校】

校内の教室を一部屋ずつ回っていた時です。

校長先生A:「耐震工事の前にこれを見なさい。(ボールを教室の床に置くと、ボールがコロコロと転がり出しました、さらに教室後ろにあるランドセルなどを入れる造り付けの用具入れを指さしました)床が水平じゃないんですよ。さらに寸法も測らずに造ったのか、生徒のランドセルも入らない用具入れ、なんですかこれはっ!」

激怒されていました。

私:「これは今回の耐震工事とは関係ないので、別問題として課に報告します。」

校長先生A:「そうじゃない、何を言ってるんですか。これはあなたが造ったのです。あなたが何も考えず造ったものです。どうしてくれるんですか。」

・・この学校は市の人口が急増していたときに当時の公団が施工して市に移管したものですが、実際に建てられたのは、私が4~5歳くらいの時です。

このあとも、ずっと私がやった、私の責任だと言い続けて反省を求め、帰りにクルマに乗り込む時にもクルマの窓にすがりついてきて「人間としてどうなのか、あなたは!」と食い下がられ、私はクルマから降りて、「そうじゃないんです先生、学校が出来たのは30年も前のことで・・私の話を聞いてください」と先生の肩に手を掛けようとしたときに技術屋の先輩が私を羽交い締めにして・・

「お前が謝れ。そして明日また来るぞ。答えを持って。」と言われたのです。

そして翌日。

技術屋の先輩と二人でもう一度その学校に行ったのですが、学校に向かうクルマの中で

先輩:「耐震工事と共に各教室の床を削って水平を取る工事をする。各教室の用具入れもランドセルやその他生徒さんが入れるものの大きさを測って全部入るものに造り替える。お前がやることは予算の算段をすることだ。財政と交渉して予算を取って来い。それから、校長先生にはお前が素晴しいアイデアを出したので聞いてくれと電話してある。お前が考えてやることにしたと先生には説明しろ。それが一番いい解決方法だ。」

私:「それじゃ、先輩の考えだということと、これからの先輩の苦労が・・。」

先輩:「そんなことどうでもいいの。俺の言ったとおりに今からやるんだ、いいな。」

というわけで、先輩の言うとおりに説明し、さらに私の追加アイデアで、工事中移動するうさぎ小屋と小鳥小屋がくたびれていたので、予算内で新品に造り替えることを提案すると、・・・頑なだった校長先生(美人)の心は氷解!

すべて先輩のおかげでした。でも、先輩は特別に何かしたという意識はまったく無いようでした。当たり前のことだという感じでした。

ふたつ目【B校】

そこは学校の半分だけ工事して、数年後に残りの耐震数値がややいい方について工事予定だったのですが、上級官庁からの“オトナの都合”の予算やり繰りのため、工事直前に学校全体を工事することになり、その説明に行きました。

校長先生B:「冗談じゃない。半分のつもりで引っ越し、その他校長室、事務室などは使えるということで、校庭も半分使える授業を組み、先生方も準備出来ている。どうしてもやるなら私の首を獲ってからやりなさい。工事が始まってもこの校長室から出て行きませんよ、私は。」

・・となってしまい、“こじれ”に“こじれ”ました(T_T)
で、話を課に持ち帰り、また出直すことになったのですが、帰りのクルマの中、ここの技術屋さんの担当もあのA校でお世話になった先輩でした。

先輩:「おい、あの隣にあった使われていない旧校舎。物置になっていて、中はホコリを被ってたけど、あれを簡易的に改装して校長室と事務室を造るぞ。学校の機能の一部をあそこに持ってくれば先生も納得するかもしれない。それから現行の校長室もとても女性の校長が居るような部屋じゃなかった。ぼろぼろだ。あれも耐震工事中にきれいにしよう。それならきっと納得してくれる。お前のやることは・・。」

私:「予算を工面することと、あの物置になっている旧校舎内の物の移動と移動先を考えることですね。」

先輩:「そうだよ、わかってんじゃないの。」

というわけで、またもや先輩は「こいつが寝ずに考えた方法を聞いてください。」と校長先生に言ってくれて、今回も解決してしまったのです'(*゚▽゚*)'

今でもあの先輩に感謝しているのですが、あの工事から十数年して私の異動先の部署でばったり会ったときに、あの時のお礼を言ったら・・

先輩:「へぇ、そんなことあったっけ。それより今のお前の仕事で教えてもらいたいことがあるから来たんだよ、ちょっと教えて・・。」

というわけで、先輩としたら、何か困りごとが起こっても、いつもそうしていた当たり前のことだったのです・・きっと。だから別に覚えておくようなことでも無かったのでしょう。

自然体で動き、結果として皆が助かっているという・・すごい人でした。
再会したときも、その時の仕事を全力でやっておられました。

私の忘れられない人になりました。

後日談。A校、B校の女性の校長先生とは、私が相談部門に異動したときに二人同時に、結婚相談員として私の課にやって来ました( ̄O ̄;)

お二人とも私のことをよく覚えていてくれて、「あらぁ、〇〇さんじゃないの。」「〇〇さんがいてくれたら、安心だわ。」「また面倒みてね。あのときみたいにね。」

・・ということになりまして(^_^;)

仲良くそこで二年間お仕事ご一緒させていただきました。

 

ジェリー・ミンチントンの「心の持ち方」を読みました。

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『心の持ち方 《完全版》/ジェリー・ミンチントン著 弓場隆訳(ディスカヴァー携書)』を読みました。
帯を見てみると、15年間に渡るベストセラーで、今回はプレミアムブックカバーと称して“堅い”印象のものではなく、ちょっと可愛くて、帯を外せば何の本だかわからないような仕様になっています。
若い女性が電車内などで読むのにもいいんじゃないかと思いました。

内容はというと、よくあるようなものなのですが、でも私には読みやすくて、共感できるもので、読後には“心強く”なったように感じるものでした。

日々私たちが生きて行く中で、どういう心持ちを基本的に持っていたらいいのか。

親や上司、その他の人から「こうあらねばならない」というようなことを言われたりした時にどう対応したらよいのか。

悪口を言ってくる人、人の悪口ばかり言っている人への接し方。

自慢ではなくて、「自尊心」を持って、それを芯に生きていくことの大事さ。

自分を卑下しないためにはこうしろ。

夢は持っていいのだ。それに向けてどう毎日生きていけばいいのか。

つらいことばかりの社会、世の中をどう見渡して、どう渡っていけばいいのか。

・・などなど・・。

簡潔にして明快に書かれていました。

ほんとうに読んだあとには少し自信が出て来たように感じました。

そして、ここで読んだことは、私が家族と接するときにも役立ち、これから家族の皆が様々なことに遭遇していくことであろうと思いますが、そのときの困難を切り抜けるヒントも書かれていたと思いました。

早速、妻や長女にも見せて、「よかったら少し目を通してもらえるといいと思う」と伝えました。
私も今後、時々自分を励ますために引っ張り出してパラパラとページをめくっていこうと思います。

 

2021/10/11

【無用な深夜残業を強いる人達の話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №61】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
今回は、私が耐震工事担当だったときの話です。二十数年前のことです。

ここでの仕事は、工事やそれに伴う引っ越し、様々なトラブルなどの現場対応も大変でしたが、大きな額の補助金も受けていたため、国からの様々な書類作成のオーダーや、国に補助金申請するためには、我が社の財政部門との細々とした書類作成が伴い、仕事漬けの毎日でした。

その中での話です。

ある日、夕方4時半頃にFAXが動き出し(まだ我が社にはメールも無かった・・のちにそれを作る部署に自分が行くとは思わなかったが・・)、「本日中に〇〇の資料を作成し、課まで持参のこと」という文書が財政部門の担当から届きました。

「夕方4時半にFAXして来て“本日中”ってなんだよ」と思い、担当に電話してみると・・・

財政部門の担当:「・・今日は何時まであるの?」

私:「えっ・・?」

財政部門の担当:「12時まであるでしょう。たっぷりと時間はあるんだよ。」

私:「もっと早くFAXしてもらえれば、さっさと取りかかったのに。」

財政部門の担当:「オレたちは毎日12時過ぎまで働いているの! 時間なんか関係ないんだよね。なんだったら12時に持って来てもらったあと飲みに行こうか。」

私:(心の中 → あんたら残業したら、しただけ時間外手当もらってるんだろうね。そりゃいいね。自分が予算を決めるところにいて“お手盛り”なんだもの。毎日“午前様”まで働いていてそんなに元気なわけないよ、ゆっくり仕事してるんだろうね。)

実際の会話 →「わかりました。書類はがんばって12時までに持って行きます。それから“飲み”はお断りします。家庭もあるし、家族のためにも身体をこわすわけにはいかないから。」

財政部門の担当:「ふうん、じゃ、待ってるから。よろしくぅ!」

・・そもそも12時に持って行ったって、翌日その書類を見るんじゃないのだろうか。
いらぬ残業させて、こっちは、あなた達が残業代の予算をカットしているから手当なんてとっくに無いんだよ。

そして国のお役人様もまた同様でした。

夜10時頃まで残業して、そろそろ帰ろうかなどと思っていると、またもやFAXが鳴り出す。

「明日の朝イチまでに〇〇の資料を作成し、FAXにて送付のこと」・・だって。

私が人間で、家に帰って食事したり、風呂に入ったり、寝たりするってこと知らないのかも・・。

で、FAXを送って来たお役人様は、タクシーでご自宅までご帰還されるそうで(一時、問題になったことがありました。わざとタクシーで帰れる時間まで残業しているんだっていう報道)、そして翌朝資料を送った旨私が電話すると、前夜FAXしてきた担当者は、10時に出勤して来るんだって・・。
朝イチの意味はなんだったんでしょう。

こちらは朝まで徹夜して資料を作り、夜明けにFAX送付。
日の出を見ながら、そのまま職場で翌日の仕事に突入です。

前にも書きましたが、私はこの部署に来て三ヶ月で20キロ体重が減りました。
そりゃそうなるでしょう。

結論から言うと、自分の都合しか考えていない。こちらの担当者が人間として生活していることなど知ったことではない! ということなんでしょうね。

今はそんなことはないとは思いますが、当時はこんなこと“日常茶飯”でした(T_T)

「24時間戦えますか?!」って、イヤなCMがありましたねぇ・・。

司馬遼太郎さんの「歴史の中の日本」を読みました。

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『歴史の中の日本/司馬遼太郎著(中公文庫)』を読みました。
司馬さんが様々な新聞、雑誌などに書いた歴史についての文をまとめたものです。

で、最初に書いちゃいますけど、私の歴史に関する知識があまりにも乏しくて太刀打ち出来ない (・_・;のです。
知っていることが当然のこととして、その上で書かれている文がほとんどなので、私には“もう一度勉強し直してこないと”読み進むことが出来ないのでした。面目ない・・。

利休については、何冊か本を読んだこともあるので、そこはなんとか読めました。

歌枕を知らなくとも、源氏物語を読んだことがなくとも、広い世界に出てゆこうとする心のたぎりさえあれば、だれでも参加できるのが茶の湯だと書かれています。

たぎる心を狭い茶室のなかで鎮めきって茶をのむところに、はじめて“さび”の世界があらわれる・・なんかかわる気がした(^_^;)

さびは枯れて衰弱した老人の世界ではなく、壮春の世界のものだとおっしゃているのでした。

たぎりの心の持ち主は、戦国の乱世を生きぬいてきた信長や、秀吉以下の武将たちこそそのなかの尤(ゆう)たるものであったとし、さらに茶頭としてふるまうのは、多くは堺の貿易商人で、かれらはその冒険的な商法をすることによってあるいは武将以上のたぎり心の持ちぬしであったろうという・・なるほど( ̄O ̄;)

で、その彼ら商人が武将たちより、よりいっそう豪宕(ごうとう)であり得るのは、海外を知っていることであった・・と。

安土桃山の茶は、そういう心の沸騰と沈潜のなかからうまれ出ていることを、われわれは思わねばならない。・・というわけです。

私には、何冊か本を読んでみても、このようなものの考え方、世界観は見いだせなかったと思います。

司馬さんのこの本、もう一度勉強して出直して読みたいと思います。

 

2021/10/10

忘れかけていたこと

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岸田さんが首相になり、「あっそうだった」と忘れかけていたことを思い出しました。

記者から質問が出ると、そちらを向いて話を聞いています。
そして、いくつか質問を受けると、それらには答えています。質問をもらさないようにメモを取っているのも見ました。わざともらしてすっとぼけることもありません。

安倍さん、菅さんと長い長い期間私たち国民は付き合ってきて、首相というものは、追いすがってくる記者を無視し、虫けらのように扱うものだと“刷り込み”をされてきたのだと気が付きました。そういう光景しか思い出せない。

質問には答えない、目は記者を見ずにどこか中空を見ていて視線が定まらないのが首相かと思い込んでいました。特に安倍さん、菅さんしか首相を見たことのない子供達は首相とはそういうものだと思っていたことでしょう。

岸田さんがどういう首相になるのかわかりませんし、記者の質問に対する答えもいろいろと問題があるかもしれませんが、でも新鮮です。だって人の声掛けに反応する首相を見たのは何年ぶりでしょう。

あの夜に起きた千葉・東京・埼玉での大きな地震の時にも、官邸に入る時に目を合せて自分の言葉でしゃべっていました。そのとき原稿も無かったようで(^^;)、誰かさんのように覚えてきたことを話す感じじゃなかったのも新鮮でした。

所信表明演説も、野党からは厳しい批判を受けていますが、力が入っていたことは感じました。力のない棒読み、1ページ“読み飛ばし”なども無く(^_^;)、前が悪すぎたからかもしれませんが、少し安心するような気持ちになりました。

昨日は、コロナに対応している医療関係者と話をしているのがニュースで流れていましたが、えらそうに施設を見学して「体制は万全であると確認できた」などという発言をしていた前首相とは異なっていることはわかりました。

「森友学園」をめぐる財務省の公文書改ざん問題で自殺した近畿財務局職員の赤木さんの奥さんが首相宛てに送った手紙については読んだとのことです。

問題の再調査については、話っぷりからすると期待を持てるかというと、難しそうですが、前財務大臣のようにまるで“他人事”、さらに記者に逆ギレするようなこともなく、人の心は残っている方だということはわかりました。

なんだよ、いつもの“辛口”な感じがないよ、と言われそうですが、前の二人のお方がお方だっただけに、すっかりかしこまって座っていたが、立ち上がってしびれているような心の状態です。
今、もとに戻りつつある心が、今の気持ちを表現したのでした。

しびれが消えたら、また今までどおりの目で新しい政府のなすことをきちんと見たいと思います。

 

異例の寄稿をする次官。

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報道で知りましたが、現行の財務次官が文芸春秋に寄稿して、総裁選での政策論争に対して「ばらまき合戦」と批判しているのだそうです。

総裁選は、結果として岸田さんが勝ち、首相も岸田さんになりました。
その首相の経済対策に対して、「コストや弊害も含めて、よく吟味する必要がある」と、完全に上から目線の発言をしています。

現職の次官によるこのような寄稿は異例だと思いますが、財政再建が後回しになっているという持論を出し、現在の状況を「タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなもの」と例えて、財政破綻への危機感を表明しているんだそうです。
むしろ、氷山に向かっているのは財務省のお歴々の考え方じゃないかと思うんですが。

この人、財務省が所管している予算を我が物と勘違いして、《我が家の家計は俺が守る》とでも思っているんじゃないでしょうか。
予算は、我々国民の税金から成っているんです、あんたの「財布」じゃない!と言いたい。

コロナ禍で、様々な面で瀕死の状態の国民がたくさんいる、そして医療関係者についても、もう一年半以上に渡り、体力的にも精神的にも厳しい状況にあるのです。
そういうところに予算を投入しないでどこに投入するんでしょうか。
財政健全化の前に国民が滅んでしまうのです。予算を国民のためにどんどん投入しないでどうすんの?!と言いたい。

で、情けないのは、新しい財務大臣の鈴木氏が感想を問われ、「個人的な思いをつづったと書いてある。中身は問題だと思わない」・・だと。
麻生前財務相からは了解を得ているとも言っていて、麻生前財務相がやれやれと言ったのでしょうかね、そしてこの現在の大臣は完全に義理の兄弟の麻生氏の操り人形です。

一方で、首相は同日の所信表明演説で「経済あっての財政であり、順番を間違えてはならない」と強調しています。首相と次官・・両者の優先順位が完全に正反対になっているのです。
首相は、「財政健全化を求める意見を牽制しつつ、総合的かつ大胆な経済対策の編成」を急ぐ考えを示しているとのことですが、この次官はじめ財務省の圧迫に耐え切れるのか・・。

ギリギリの状態の人や商売、関係機関などを助けるのが第一だと思います。
次官様におかれましては、「財政再建が喫緊の課題」なんだそうですが、この人の口を塞ぐのが喫緊の課題と言えそうです。

 

2021/10/09

【ティファニーの婚姻届/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №60】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
前回に続いて、以前の戸籍届出窓口のある職場でのお話です。

前回が離婚届の話だったので、今回はめでたく婚姻届の話(*^_^*)
仲良くくっつきながらやって来たカップル、「婚姻届かな?」と思っていると、あれ?緑色っぽい届書・・離婚?!

「お願いしまぁ~す」と出されたのは、とても珍しいタイプの婚姻届。
通常、離婚届は緑色なので勘違いしてしまったのですが、これは「緑」ではなく、『ティファニー・ブルー』'(*゚▽゚*)'

記載されている事項が通常の婚姻届と同様であれば、受付は可能なのでOKだったのですが、いやもう“スペシャル”な感じが届書から発散されているような感じでした(^_^;)

あとで調べてみたら、ティファニーで結婚指輪などを購入すると、たぶんその金額によって今回出された婚姻届以外にも附属のキットのようなものが付いたものが貰えるようです。
婚姻届のタイプも様々あるようです。・・これも“お買い上げいただいた金額による”のでしょう。

さらに検索していたら、メルカリやその他オークションサイトでは、このティファニーの婚姻届が売りに出されていました。キットが附属しているものも出ていましたが、かなりの高額!それだったらティファニーで指輪を買っちゃった方がいいかも・・などと思いました。

その他ウェディング雑誌などでも、今は可愛い婚姻届が附録になっているようで、それらを提出する方々も多くなってきました。
副本を二人で保管できるようになっていて、そちらの届書には二人の写真も貼り付けられるようになっていました。

私の感想 → よろこび過ぎじゃね?!

窓で審査、受付が終わると、二人からカメラやスマートフォンを渡され、窓口側から二人が婚姻届を持っている写真を撮ってほしいということも数多く経験しました。
・・どうかお幸せに! がんばってね。 これから大変だよ(^_^;)

ということで、今回は婚姻届の窓口のお話でした。

 

2021/10/08

【走ってくる女と追いかけてくる男の話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №59】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
続けています、過去の話。

今回は、戸籍届出の窓口にいた昔の話。
朝イチでした。50代前半くらいでしょうか、窓口目指して女性が書類を持ちながら、ものすごい勢いで走って来ました。
そして、バシッとカウンターに書類を叩き付け、「受け取って!早く処理して!」と。
その書類は離婚届でした。

私が書類を手に取ろうとすると、今度は50代後半くらいの男性が“鬼の形相”で走って来ました( ̄O ̄;)
「よこせっ!」と言って、離婚届を取り上げると引き裂こうとしましたが、女性がそれに飛びつき、離婚届の奪い合いに!!!

「私が先に着いたんだから、成立よっ!」と女性。
「うるせぇ、返せ、このぉっ!!」ともみ合いになりました。

で、私がカウンターを回り込んで二人を引き離し、まあまあとソファに座ってもらって「話を聞きましょう」ということになりました。

二人は夕べ“大ゲンカ”になり、女性は用意していた離婚届を突き出し、男性は怒りにまかせて署名押印をその場でしたとのこと。
で、朝イチで届を出して、はいさようなら・・ということになったので、女性がこちらに向かったのですが、男性は“もののはずみ”でハンコを押してしまったのを後悔し、ダッシュで追いかけてきたとのこと。

「いずれにしても、今この時点でだんなさんは離婚する意志が無いことを確認したので、届は受け取れません。ここでお話していてもいいし、どこか場所を移して二人で十分お話し合いをして結論を出してください。」
と言うと、二人とも興奮はおさまったようで、ぶつぶつ互いを罵りながら帰って行きました(T_T)

【教訓】ハンコを“もののはずみ”で押すのはやめましょう。

もうひとつ、戸籍届出窓口での話。

ある日、二人で離婚届を提出にやって来た夫婦。全て手続きを終え、二人して帰って行きました。

翌日、また同じ二人がやって来て、「再婚」の届出。同じ夫婦です。だから待婚期間はなく、復縁の届出は可能は可能です。
子供さんの親権を父母共同親権に戻すなどして受取りました。

翌々日、また同じ二人が離婚届出。

そのたびに奥さんは戸籍を出て行き、親の戸籍に戻り、姓を旧姓にし、再婚すれば姓を戻し、親権も戻す。戸籍は何度も奥さんが現われては消えて×(バツ)が付く。
住民票も妻から同居人に直したり、戻したり。保険証も何度も作り替える。

「これはいったいどういうことでしょう?」と聞いても「もう離婚だ、と思ったり、やっぱり二人で生きていった方がいいと思ったりで、決断出来ない。」とのこと。

さらにまた次の日。
二人は再婚の届出を出してまた元どおりに。

またまた私はカウンターの向こうに行って、お二人にソファに掛けてもらい、「よく考えて、よく話し合って〈また届出を出すのか〉じっくり結論を出してください。子供さんが大きくなって戸籍を見たら、どういうことかと驚くと思います。届出は今回のようにいつでも出せるのですから、お二人の話し合いが一番大事ですよ。」とお話させてもらいました。

その後は二人は来ませんでした。

【教訓】何度も何度も同じことをして迷うくらいなら、じっくり考えて一番良い結論を出してから実行しましょう。

以上で今回はおしまいです(*^_^*)

 

2021/10/07

「アップルの人/宮沢章夫」を読みました。

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『アップルの人/宮沢章夫著(新潮文庫)』を読みました。
ブックオフで手に入れたのですが、書かれている内容は2004年頃から2007年頃のもので、けっこう今とはコンピューター、インターネット、OSなど、かなりITの状況は異なっています。

それこそ Mac を使っていること自体がクリエイティブな印象を持たれていた時代だし、当時はたぶん、まだまだ Mac 関連の雑誌もいろいろあったんじゃないかと思います。

iPodを買おうかどうしようかとか、ADSL回線の契約についての話題も出ていて、懐かしいというか、Windows95の騒ぎ以降で一番こういう関係が動いていた時期かもしれません。

アップルも、G5だとか、PowerBook、iMacなどを次々と出していることが読み取れて、ある意味“幸せな時代”だったような気がします。
わくわくすることが起こっていたわけで、当時の Mac はトラブルも多かった(文中でも次々と発生している(^_^;))と思いますが、それがなんかまた心ゆさぶってくれたのでした。
今から思うと「なんだかなぁ」という気もするけど・・(^^;)

著者の宮沢章夫さんは、劇作家・演出家・作家で、まさに当時のクリエイティブで、激動の世の中に生きている人という印象を持ちましたが、Mac を使いこなしながら、Mac な日々を楽しんで過されている様子が見ているようにわかる文章でした。

私もその昔、Mac を使っていたことがありますが、OSは・・「漢字トーク7」・・なんだそれ?って思うでしょう、そんなOSがあったんですよd(^_^o)
日本語変換は「ことえり」でした(*^_^*)
ハードディスク容量は 130MB です、えっ130ギガじゃないの?!って、ちがうよメガバイトですよ、よくそんなんで動いていたな、と思いますが、当時としては夢のような動きをしていました。

この「アップルの人」を読んでいると、アップルコンピューター好きな人は、「うんうんそうだ」「ああ、そこたまらん」みたいな気持ちになります。
あの懐かしい感覚を思い出したい方はぜひご一読を!d( ̄  ̄)

 

2021/10/06

そんなに甘くなかった新しい内閣の支持率。

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岸田内閣の支持率が新聞各社等から出ました。

朝日新聞が 45%(菅内閣発足時は65%、安倍二次内閣発足時は59%)
毎日新聞が 49%
読売新聞が 56%(菅内閣発足時は74%)
共同通信社が55.7%

でした。

私が想像していた以上に低いという印象です。
読売は、菅内閣末期の31%を大きく上回ったと書いていますが、それは最低の状態だったのだから当然だろうと思います。

誰もが思っていた“ご祝儀相場”的な結果にはなりませんでした。“ご祝儀相場”がはたらいている上でこの結果なら、かなり重症と言えるかもしれません。

菅さんが首相になったときに、「令和おじさん」だとか「パンケーキおじさん」などと、どうでもいい歯の浮くような持ち上げ方をして、「人のいいおじさん」「叩き上げの宰相」などという“ヨイショ”的報道もありました。
でも、官房長官時代の菅さんの記者への対応などを見ていたら、そんなこと書く気にもならなかっただろうと当時思いました。
塩対応どころか、唾棄するような対応でした。こんな人が首相になったら、国民の声も聞かない、説明もしない、独善的な政治的振る舞いをするだろうとも思っていました。それも当たっていました。

岸田さんが首相になり、地元の岸田さん行きつけのお好み焼き屋さんにテレビ局が取材に行ったりして、「岸田さんはマヨネーズをよくかけていた」とニュースに流れていましたが・・そんな情報要りません。

視聴率が上がるだろうというくだらない情報、もういいかげんメディアは恥ずかしいという意識を持った方がいいと思います。

また、甘利さんの党幹事長をはじめとする過去にあやふやになったままの事件等の渦中にあった人達の起用も評価を下げた一因と思われます。
甘利さんだけに限っても、48%が評価しないと(※読売)答えています。

また、岸田さんの選挙区である広島の河合杏里元議員への1億5千万円支給の行方もそのまんまにするようです。

さらに、広島から選出されたということから、首相の発言は世界に大きくアピールできるチャンスなのに「核兵器廃絶」等については強い発信もありません。

広島の人達の中には、上記二件について不満を持っている人も多いかと思います。

これで選挙に突入するわけですが、さあどうなるのでしょう。

 

2021/10/05

野中柊さんの「テレフォン・セラピー」を読みました。

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『テレフォン・セラピー/野中柊著(新潮文庫)』を読みました。
なんだかとても安心する本でした。

タイトルにもあるように、まるで電話で会話しているような文体で書かれているエッセイ集です。柊さんが話しかけてくるようでした。

大人になってしまって「出来なくなったことが増えた」、ではなく、子どもの頃大人になったらやりたかったことが今できるよろこびを感じる・・という柊さんの気持ちの持ち方は今までもあったはずなのに、私には出来なかったことでした。

そうなんだよ、いろんなことが出来るんだ!と思いましたd(^_^o)

それから、〈運命的な出会い〉とでも言えるような不思議な巡り合わせってあるんだ、という話も書かれていました。
“出会うべくして出会った”という人、思い当たりませんか?

“出来すぎ”“絶妙のタイミング”・・不思議だけど、私も何度か経験しました。
自分の人生が新たなな展開を迎えてしまうような、「ドラマチックな出会い」・・ありがたかった。

もうひとつ、心の持ち方で印象に残ったのが、「別に私ひとりで世界を仕切っているわけじゃなし、私にできないことは、他の誰かがやってくれる。それを得意として余裕しゃくしゃく、楽しんでやれる人にお任せしておけば、いいわけでしょう?」

・・って(*^_^*)

そうだよね、そうだよ、そうだよ!

私も今まで目先も心配だし、これから先も心配だから、いつも焦っていたし、気が気じゃ無かった、そんな生き方をしていたように思います。

この本をもう一度読み返して、さらに“ゆるく”生きるやり方を身に付けたいと思います。

 

2021/10/04

【ここ二年間に二度死にかけて/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №58】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
おかげさまでというか、この「過去に会った人、あった出来事」についての回顧文は、アクセス数が多く、書いてよかったのかも、とあらためて思っています。

書き始めた一番の要因は、今回のタイトルにもあるとおり、この“二年間に二度死にかけて”仕事をこのまま続けたら“死にかけ”三度目になってしまう、いや“死んでしまうかも”ということで、ここでいったん身体も心も休ませようと思い、家族とも相談して仕事を辞め、そして今までの主に仕事を中心にした人生を振り返ることにしたからです。

もう57回に渡り回顧文を書きました。
これで自分自身の今までについて整理が出来、これからどう生きようか、と考えられるようになりました。

そこで、きっかけとなった「二度死にかけた」時のこと、あらためて自身で再確認しておこうと思います。

一度目は、いったん退職し、再任用で勤め始めた平成31年度(令和元年)でした。
退職時の業務内容と同じ職場への配属だったので、ある程度安心していたのですが、4月の繁忙期から始まった新しい勤務は最初から厳しいものでした。

ものすごい混み具合の窓口なのに、誰も指示を出す者がいない。
うまく回す方法はいくらでもあるのに、“行き当たりばったり”で仕事が進められ、職員が昼食を取れるのは午後4時過ぎだったりする毎日でした。
自分が今まで長として職場でしていたことが出来れば、と思ったのですが、それは所属長がいるのに僭越な行為です。“ヒラ”に戻った今は我慢せねばと、ただ耐えて過していました。

何度か具合が悪くなり、数日間休むことがあったのですが、夏に入って倒れ、朝起きても歩くこともできない。妻と長女に支えられてクルマに乗せてもらい、かかりつけの医者に。

そのとき、庭の草花などが“きらきらと光って見えました”この世の光景とは思えず、極楽浄土のように見えたのをはっきりと覚えています。
そして医者で検査しているうちに先生が救急車を呼び、大きな病院に搬送されました。

到着した病院で、先生からは「死ぬぎりぎりのところだ」と、状態が大変なことになっていたことを聞かされました。
極楽のように見えた庭は、もうあの世の入り口に来ていたからだったのかもしれません。

二度目の入院時のとき。
昨年2月頃。コロナウイルス感染が始まり、私は職場ではマスクをつけましょうと、マスクをしない職員(所属長までつけていなかった)がいる中で、所属長に言ったのですが、「健康な人は感染しない」という何の根拠もない説得で実施に至らず。

ラジオ局のスタジオなどでアクリル板を使って感染防止を図っているのを見聞きし、提案しましたが、「お客様に失礼だ」と、これまた否定されました。

でも、どんどん拡大する感染を見て、カウンターでお客様と向き合い、わずか50~60センチくらいの距離で話をする危険性は見過ごせず、自分でアクリル板を買い、カウンターに何箇所か設置しました。

喜んでくれた職員もいたし、困惑している職員もいましたが、私は間違っていないと確信していました。
それから4ヶ月後、やっと上がアクリル板を設置し、マスクも必ずして、毎日体温を計るところまで来ましたが、もう私はこの職場に“あきらめ”を感じ始め、体力は落ち、ついに年末に倒れ、今年正月から入院。

病室では具合はどんどん悪くなり、「退院はいつ頃できますか?」と聞いても、先生も看護師さんもうつむいて目を合せてくれず「がんばりましょう」と言うだけでした。

ベッドから起き上がることもままならなくなり、何か部屋の中に“死神”が入って来た感覚がありました。
看護師さんにノートとペンを買って来てもらい、家族に言い残すことを書き始めました。
それも今見ると力なく、よれよれの字で読めない感じでした。

私の病棟とは別の部署にいた集中治療室勤務の女性の方が、もうすぐ自分のところにやって来そうな私のデータを見て治療方法に特殊なものがあり、試してみたいと私の病棟にやって来たのが回復のきっかけとなりました。

私に新しい方法を試したいと説明があった後、病棟の看護師全員に治療方法を私の目の前で教え、毎日看護師の指導に来てくれて、その治療方法をずっと続けてくれました。
その人の背後には後光がさしているように見えるくらいでした。

常に明るく、私に話しかけ、「あきらめちゃだめ。絶対に家に帰るよ。」と毎日病室にやって来て、元気づけてくれました。神様みたいな人でした。退院後にもお礼のお手紙を差し上げました。

ノートの内容は、日々どんな治療をしてどういう状態になってきたか・・というものになり、多くの看護師さんにかけていただいた言葉や、お話してくれたことも書き留めました。
私が回復し始めると、看護師さんからは「そのノートはやがて宝物になりますよ」と言われました。
その内容もこのブログに書きたいところですが、妻から、「もう少し経ってからの方がいいよ」と言われ、本棚にしまってあります。

退院し、帰宅してからも歯磨きする間も立っていることが出来ず、家の階段も昇れないような状況でしたが、今や8割方戻ってきました。

二度に渡って助かった命を大切に、日々生きて行こうと思っています。
やれることも、そうしている中で見つかると思います。

というわけで、そんな今、また回顧文についても続けて行こうと考えています。
楽しかったことも、つらかったことも、自身の人生を振り返りながら。

 

2021/10/03

「日本人も知らなかったニッポン/桐谷エリザベス」を読みました。

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『日本人も知らなかったニッポン/桐谷エリザベス著・吉野美耶子訳(中公文庫)』を読みました。
ブックオフで目について、安価にて。

著者、桐谷エリザベスさんは、アメリカで心臓と肺の研究をされ、大学病院で血液専門家として働いていた方で、休暇で来日し、その後1983年に日本人と結婚されています。

1985年から2001年まで東京の下町、台東区谷中にある大正時代に建てられた長屋に住み、その後フリージャーナリスト、NHK二カ国語放送アナウンサーなどをされています。

桐谷さんは、エアコンなどもない、汲み取り式トイレの京都の住まいにも何の違和感もなく過し、読んでいるだけで日本の古くからある生活様式がとても好きで、ご本人に“合って”いたのだと思いました。

読んでいて、「そうか」とあらためて気づいたことがありました。
例えば京都の五重の塔の写真で、周囲の電線・電話線の撤去があり、撤去前と撤去後の写真を見て、単にこんなに見栄え良くなったのか、という話ではなく、実は撤去前から電線などを脳裏から消して見ていたことに気づいているのです。

これは私たち日本人には、ほとんど備わっている能力なんじゃないでしょうか。
電線などが気になって仕様が無い、という人もいるかもしれませんが、ふだんは全くと言っていいほど私も意識していません。

そして、この話で出て来たように、五重の塔などの鑑賞物に勝手に視線がクローズアップしたりして、それそのものの美しさを愛でることができます。決して特殊能力なんかじゃなくて・・。

それに、ごちゃごちゃしている下町に行った時などには、電柱・電線などはむしろ“味わい”を増す付属品的なものになっていることに気づきます。
不思議なことです。
桐谷さんは、それを下町の人と人の人情のつながりになぞらえています。そういうこともあるかもしれない。

また、自然現象が特有の文化的営為を生むことになる、ともおっしゃっていて、今や日本人でも鈍感になっている金属やガラスで出来た風鈴の音に涼しさを感じたり、くず桜やところてん、かき氷などの夏にはおなじみの透明感のある食べ物にも、“目の錯覚”をおこす不思議な力があるとおっしゃっています。「みただけで涼しくなるような気がする」と。

うちわや、蚊取り線香などにも夏の香りを感じています。どっちが日本人だかわからなくなってきました(^_^;)

この本を読んでいると、私たち日本人がほぼ忘れかけている、季節の情緒などを思い出すことが出来ます。
どんどん生活形態が変化している中で、どれほど忘れてしまったことがあるのだろうか・・と思いました。

 

2021/10/02

【自分の職場を侮蔑してしまう人/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №57】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。

私は仕事として、様々な職場で、ジャンル問わずの業種を経験してきました。
そして、仕事人生の終盤に来て、自らの意向調査表に“我が社の人との関わりの少ない窓口業務を希望する”と書きました。

このブログにも色々と書きましたが、私のようなどの派閥にも属さず、“一匹狼”的な人間は、今まで書いてきたような“魑魅魍魎(ちみもうりょう)”の方々(^_^;)に、何を言われ、何をされるのかわかったものではないからです。
仕事人生の最後まで“めちゃくちゃ”にされたくなかったというのが本音です。

窓口業務では、とにかく外の人(市民の方)と接し、単に証明書を出したり、様々な届出を受けるだけでなく、やり取り、会話もあり、時にはその人の人生に大きく関わったりすることもありました。

希望どおりに動いた職場では「長」になりましたが、そこに人事異動で4月に入って来た部下がおりました。
係長級で昇格して入って来た女性の職員でした。

職員は皆、秋に意向調査表を提出して今後の異動希望などを書くのですが、

その職員:「もうイヤです。こんなところ。なんで私がこんな仕事をしなければならないんでしょう。私は“こんな所”で仕事をする人間じゃないっ!」

・・と、他の皆んなに聞こえるように言いだしました。(係長がそんなこと言っちゃいけないんだけどさ)

「こんなところ」と言われた皆んなは明らかに驚き、困惑した表情をしていましたが、私はそのまま聞いていました。

その職員:「今すぐにでも動きたいと書いてもいいですか?」

と言われたので

私:「本人の意向を書くのだから、それでもいいけど、せっかくこの職場に来たのだから、一年間ここで得られるものを学んでから動きたい、というふうには考えられませんか?」と答えました。

私:「例えば、戸籍届出にしても、実際にはこの窓口では、単に出生や婚姻届を受けているだけではないでしょ。認知もあれば、離婚に伴い親権の問題の発生、年金の変更手続き、保険だって手続きが出てくる、さらにそれにより発生する様々な手当の申請もある。死亡届だって、相続や、姻族終了届や復氏届なんてことも相談されるじゃないですか。戸籍一枚見ただけでその人の人生が浮かび上がってくる。社会の仕組みの基本を仕事をしている中で理解できる・・珍しいチャンスだと思ってもいいんじゃないかと思うんだけど。」

その職員:「そうですか・・。じゃ少し考えてみます。」

私:「たぶん、経済部門あたりで新しい事業をやってみたいと思っているのだと思うけど、今言ったこと以外にも、ここでは人と人の『直』の相対の仕方も覚えられると思いますよ、参考までに。あとは自身で考えて本人の意向を書いてみてください。」

ということになりました。

“こんな職場”と言われて憤っていた他の職員にも少し聞こえるように話したので、皆は平穏に業務に戻ってくれました。

私の仕事人生終盤での印象に残る出来事でした。

 

2021/10/01

総裁になるためにはいろいろやるし、なったあとも抜け目ない。

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世の中の動きが大きくなってきたので、久しぶりにそんな話題です。

岸田さんが自民党総裁に決まり、これから首相にもなるわけですが、報道されている新役員等を見ていて気になったことの大きな事は、甘利明氏と小渕優子氏の起用です。
二人とも金銭的なことで疑惑を持たれ、責任を取って過去に辞任したのですが、その後は何の説明も本人からは無く、逃げてしまったままです。
そろそろほとぼりが冷めたからいいとでも思ったのでしょうか。

甘利氏については、過去、建設会社から現金と飲食接待を合わせて総額1200万円の利益供与を受けていた疑いがあるとの報道がありました。
甘利氏や秘書とのやりとりの録音も残っていたと記憶します。
氏は、自らと元公設第1秘書が計600万円を受け取ったこと認めて経済再生相を辞任しました。

建設会社と都市再生機構(UR)の間でトラブルが起きていて、補償交渉に関し「甘利事務所に口利きを依頼し、見返りとして現金や接待で1200万円を渡した」との証言も出ていました。
政治資金収支報告書には、同社からの寄付は376万円しか記載されておらず、秘書がURと接触したあと、URは建設会社との交渉に応じ、2億2000万円の補償金を出していたことも判明しています。検察もあっせん利得処罰法違反や政治資金規正法違反の疑いがあるのに、“誰に忖度したのか”うやむやになっています。

こんな金について問題ある人が幹事長ですか。

小渕氏についても、党組織運動本部長に起用するという報があります。

小渕事務所の政治資金の使い方、報告の仕方がデタラメで、特捜部が政治資金規正法違反容疑で元秘書の前中之条町長宅や、後援会事務所などを家宅捜査した際には、会計書類を保存したパソコンのハードディスクが破壊されていたとの報道が、当時ありました。

壊された複数のハードディスクには、ドリルなどの工具で穴を開けた形跡が見つかったとこのとで(T_T)、証拠隠滅の仕方も強烈でした。

小渕事務所は特捜部の強制捜査が入った当時、「捜査に協力するように指示している」と説明していましたが、「証拠隠滅」を図ったのは明らかでした。
隠さなきゃならなかったものは、ハードディスクを破壊してでも隠そうとする決定的なものだったのでしょう。

この人も堂々と人前に出て説明などしていません。

さらにがっかりする麻生氏の副総裁・・・。

うしろに「3A」と呼ばれている人達の薄笑いが見えるようで、とてもイヤな気分だし、がっかりです。

総裁就任の時に使っていた言葉にも“何十年前のフレーズ”か、と思いました。

「ノーサイド」・・別にラグビーの試合終了に例えなくても、「もう、敵味方はない。一致団結して総選挙に臨もう」でいいんじゃないですか。
私のような年配者でも“わざとらしい”印象を受けました。

それに続いて「全員野球」って言葉も使っていました。
これを使いたがる政治家って、けっこういますよね。別に野球なんかやらずに政治をやってくれよと、いつも思います。

そもそも何十年も前に甲子園に出た高校野球チームのメンバーがベンチ入り規程人数よりも少なく、「うちは全員野球ですから」と監督が言ったことが発端だったと思います。
ようするに人数が足らないけど、なんとか頑張ります・・ってことだったのを、総力をあげてという意味に使ってしまった人がいたことが原因だと思いますけど。

あと、岸田さんは使っていませんでしたが、「オール〇〇で」とか「ワン・チーム(※これは使っていたか)」っていうのも使い古された言葉で政治家や経営者、為政者などがよく用いています。
聞いている方は、「またかよ、ほかに自分らしい表現は出来ないのか」と思います。

だんだん“グチ”っぽくなってきたので、この辺にしときます。
それではまた。

 

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