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2021/10/17

高倉健さんの本「旅の途中で」を読みました。

20211017_takakura_ken_001
『旅の途中で/高倉健著(新潮文庫)』を読みました。
ブックオフで見つけました。

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読もうと思ったきっかけは、写真のとおり各ページの体裁というか文が次の行まで“跨がない”というちょっと変わった感じが気になったこと。
そして私が思ったのは、“健さん”のボソボソとつぶやくような話し方にこの体裁がぴったりだということ、そしてそのおかげで、とても読みやすいのです。

もともとこの本は、1996年から2000年までラジオで放送されていた番組をもとに書き下ろされたもので、“語られて”いたものだから、こういう“つくり”は“しっくり”ときたのだと思います。

この本で健さんが度々おっしゃっているのは、人間にとって寂しいことというのは、何を見ても、何を食べても、何の感動もしないことだということでした。
感動しなくなったら、それはいかんと。

人にとっての贅沢なことって、心がふるえるような感動だとおっしゃっていて、一週間に一回でもいいから「心が感じ」て「動ける」ことに出会いたいというのです。

付け加えて、今の世の中で、上記のような感動に出会えることは幸せなことだと。

高倉健さんのエピソードって、いろいろな人が様々語られていて、「鋼の意志を持つ人」「男の中の男」、「やさしくて、きびしくて、こころづかいのできる人」などなど私の耳にもテレビ、ラジオ、その他のメディアで伝わって来ていますが、この本で自ら語る「高倉健」さんは、面倒くさがり屋で、怖がりで、いい加減な部分があります。

でも、そんなことでいいのかと“生真面目”に自分と向き合っています。
そこから自分の行動を律していき、我々が見聞きしている「高倉健さん」が現われるのでした。

結局「健さん」は、やはり我々の思っている「健さん」なのです。

この本の最後に、「生き仏 大阿闍梨(あじゃり)様」と呼ばれている方を訪ね、比叡山横川離れ谷の飯室谷不動尊の庫裏に健さんが出かけるのですが、そのときの健さんの“自分は俗物で何か仕事を成し終えると“ご褒美”みたいなものが欲しいが、阿闍梨様はそんなことはないのか、などと健さんが“小さな一般人”と化して質問したりしていて、それもなんだか微笑ましく感じました。

健さんのように“自分に素直になれる本”だと思いつつ、読了いたしました。

 

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