「癒やし」「ふれあい」「寄り添う」という言葉を使いたがる人・・特に公的機関。
一週間くらい前だったか、ラジオで森本毅郎さんが毎日新聞のオピニオン欄に書かれていたことについてふれていました。
そのオピニオン欄の著者は、「癒やし(いやし)という言葉に昭和初期の生まれの者として、最後まで抗う」と言っていた、そしてその心意気や良しという内容でした。
私もラジオを聞いていて、「そうだな、“癒やし”って言葉、一時やたら流行って、誰もが使っていたような気がする」と思いました。
一時期、“癒やされたい”ヤツばかりになったと感じたことがありました。
なんでもかんでも“癒やされますねえ”という話題ばかりで、テレビなどもそんな“癒やし”をテーマにした番組などがけっこう多くありました。
何か、香りだとか、灯りだとか、マッサージ的なものだとか、景色だとか、そういうものを提供してくれる場所などに行ってみる・・というようなテレビ番組なども多かった時期がありましたし、今でもそんなことはあるみたい。
“癒やし”と共に、“ふれあい”という言葉も「不滅的」に誰もが使いたがったような気がします。
特に公的機関などに「〇〇“ふれあい”センター」などというネーミングが目立った時期があったと思いますし、今でもまだある気がします。
何を“ふれ合おう”というのでしょうか。ネーミングに“ふれあい”を入れることによって、逆に焦点が“ぼかされて”いるような気もします。
「癒やし」や「ふれあい」と共に、私がもうひとつ怪しんでいる言葉が、「寄り添う」です。
公務員や、議員、政治家などが「市民に“寄り添った”政策」などと、よく発言するのですが、どういうふうに寄り添おうっていうんでしょうか。
字面や、言葉が発しているイメージは、とても“温かな”印象を与えますが、「寄り添う」という言葉が使われている場合は、たいてい具体的なことは曖昧です。
「癒やし」「ふれあい」「寄り添う」などの言葉を見つけたら、まずは眉につばをつけて疑ってかかった方がいいんじゃないか、というのが私が今思っていることです。
以前、仕事で公の回答文書を作成していた時に、上司から「なんとか、“寄り添う”という言葉を入れることは出来ないか」と言われたことがありました。
私はなんだか“安易”な言葉の使い方だなぁと思いつつも上司からの命令であったのでいうことは聞きましたが、さいごまで納得がいかないというか、寄り添う前に具体的に何をするのか書いた方がいいのに、と思ったのです。
でも、“耳あたり”のいい言葉って、使いたくなるんでしょうね。
使いたい言葉があったら、それを使うことによって、相手がどんな印象を持つかを考えねばならないのではないかと思います。
“寄り添われ”たら・・“薄っ気味悪い”と、私は思うのです。
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