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2022/04/30

「強父論/阿川佐和子」を読みました。

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『強父論/阿川佐和子著(文藝春秋)』を読みました。

著者、阿川佐和子さんのお父様はもちろん阿川弘之氏。
94歳で亡くなられ、その後、娘の佐和子さんに「お父さんのことを一冊書いてみないか」という話が来たとのこと。

こんな日がくるとは・・もちろん、阿川さんは予想しておられ(^_^;)、今までの阿川さんの著書の中でも散々出てくるお父さんの弘之氏。
傍若無人、人権無視、女性蔑視、我が儘、傲慢、独裁者、だだっ子、いじけ虫・・などという言葉が数々の阿川さんのご本を読んできた私にも思い浮かべられますd( ̄  ̄)

亡くなるときの様子なども書かれていましたが、けっこう最後の最後まであまり変わらなかったようです、お父さん。

お父さんの“あんまりだ”というエピソードをこの本でも“再録”状態で披露されて(^^;)いますが、それでもそんな話をしたときに、友人やお母さんから「あなたもそっくりじゃない」と言われて、けっこう“ギャフン”と言わされていました。
結局、父娘は根本的な部分で似かよった部分があったようで、「まあ、しゃあない」という結論に至ったような気がする本でした。

向田邦子さんのエッセイなどを読むと、阿川さんのお父さんと“いい勝負”の向田さんの父親が登場して、これまた「そんなこと言いなさんな!」と言いたくなるくらいの“強権ぶり”を発揮していました。
ときどき、どっちがどっちのエピソードか、わからなくなることもありました…σ(^_^;)

タイトルがいいです!「強父論」。
強い父、恐怖の父、という感じがよく出ていますd(^_^o)

最近は「いいお父さん」が増えて(フリをしているだけ?)、こんな“頑固親父”町内見渡してもほとんどいないでしょう。
私が小さい頃には、七割方がこんな親父だったような気もする(^_^;)

本の帯に「ビートたけし氏絶賛!阿川さんには言わなかったけど、はっきり言ってあなたのお父さんは私の理想です」と書かれていました。
・・そうだろうなぁ・・。

 

2022/04/29

また皆んなが浮かれだした。

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コロナ騒ぎが始まってから初めて、「緊急事態宣言」の無いゴールデンウィークとなりました。
朝のラジオを聞いていたら、アナウンサーの方がタクシーの運転手さんから、ゴールデンウィーク前夜28日木曜の夜は渋谷、新宿、新橋、六本木など、タクシー待ちの列が午前2時頃まで続いていたのだと聞いたそうです。

「まるでバブルの頃みたいだった」って・・。

大騒ぎしてお酒を飲んで、酔っ払ったからきっとその場がどんなだったか覚えていないでしょうけど、ゴールデンウィーク明けて一週間くらいすると「ああ、あのときの馬鹿騒ぎが・・」ということにならなきゃいいけど・・なるんでしょうね。

ニュースなどを聞いていると、「久しぶりに飛行機に乗って遊びに行けるんでワクワクです!」とうれしそうな旅行客のインタビュー音声が流れておりました。

皆んな、浮かれていますねぇ。

2020年のGWの時も、皆んな“浮かれまくり”で、なんの心配もしていない人の姿をあちこちで見かけました。
そのあと、大変なことになりました。今現在の数字でも、その頃の数字より、はるかに上回っていると思いますよ。

東京では、前週の感染者数を今週は下回った、なんて言っていますが、実際には数千人です。
全国では、まだまだ3万人を上回っています。4万人に近い。
今はまだ『第六波』の中にいるのです。いや、『第六波』が終わり、すでに『第七波』の入り口にいるのかもしれません。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言いますが、もう何度も喉元過ぎて来たのに、“忘れっ放し”じゃあありませんか・・。
もう少し我慢した方がいいんじゃないか、というのが私の気持ちですが、さて、「もう我慢の限界だ」とGW中に遊びまくり、ほっつき歩きまくり、大勢の人のいるところに飛び込んでいく人が圧倒的かもしれません。

連休明けの感染拡大の度合いが低いことを祈ります。

 

2022/04/27

「イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ」を読んだ。

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『イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ/マッシミリアーノ・スガイ著(KADOKAWA)』という本を読みました。
きっかけは先だってこのブログでご紹介したサヘル・ローズさんの著書を知ったラジオ番組「浜美枝のいつかあなたと」で、今回の本を紹介されていたのを聞いたからです。
もちろん、著者ご本人のマッシミリアーノ・スガイさんも出演されていました。

番組中もそうでしたが、マッシミリアーノさんの日本食との出会いの衝撃というか、驚きとうれしさが“爆発”する感じがものすごくて、私はすぐに書店に出掛け、この本を探しました。

マッシミリアーノさんは、日本食が大好きな日伊通訳者&企業家です。
2007年に日本に来て、日本在住15年!現在は石川県にお住まいです。

Twitterとnoteでの「サイゼリヤの完全攻略マニュアル」が話題となり、95万回も読まれたのだそうです。
そして、今回の本が初めての著書となりました。

日本のパスタに出会ったときに、海苔や醤油、たらこ、など、「これがパスタに合うんかい?!」と口にするのをためらったわけですが、食べてみたら「なにこれ!おいし~っい!」ヽ(=´▽`=)ノとなり、日本人の自由な発想の“虜”となる様子が全編にわたって書かれているのです。

おでん屋さんに行き、「何にする?」と聞かれ「じゃあこの中の“おでん”というのをください」(^^;)となり、「全部、おでんだよ」とお店の人に言われてびっくり、なんてシーンも書かれていましたが、とにかく「しゃぶしゃぶ」との出会いなどもそうですが、何もかもが驚きの出会い、そして食べてみて“よろこびの出会い”となるのでした。

読んでいるこちらもなんだか日本食を“ほめられて”いるようで、とてもうれしくなります(*^_^*)
そして、逆に日本食はこんなに自由でおいしくて、バリエーションに富み、しかも世界中の食べ物が日本流に変化することで、さらにおいしくなっていく、という過程がマッシミリアーノさんの驚くべき流暢な日本語で書かれていて、最初っから最後まで、ほめられっ放しで(*^^*)自分がほめられているわけでもないのに、とてもうれしい気持ちで読了いたしました。

この本は、“超おすすめ”です。お腹が空くけどd(^_^o)

 

2022/04/26

「日本橋に生まれて -本音を申せば-/小林信彦」を読みました。

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『日本橋に生まれて -本音を申せば-/小林信彦著(文藝春秋)』を読みました。
週刊文春に連載されているコラムの完結編とのことです。
シリーズ23巻目にあたります。

翻訳推理小説雑誌編集長を経て、作家となられた著者、小林信彦氏は昭和7年生まれ。
上記、推理小説雑誌編集長に就任するにあたっては、あの江戸川乱歩も関わっていて、その様子もこの巻に書かれていました。乱歩までさかのぼれるような方なのです。

文中に登場する人達も、まだ売れていない頃の野坂昭如さんや、渥美清さん、植木等さん、エノケンさん、長部日出雄さん、横溝正史さん、大滝詠一さん、大島渚さん、内田裕也さん、坂本九さん、タモリさん、伊東四郎さんなど、錚々たる顔ぶれです。

ただ、私もかなりの年配者ですが、もう書かれている場面の背景がわからない部分が多く、当時の世相や、テレビ番組なども皆目“見当がつかない”ことだらけで、何を言っているのかまるで理解できないことがありました。

また、項目によって“書きぶり”というか、テンポも異なり、詳細に書かれている部分もあれば、あっさりと“飛ばして”いるようなところもあり、追いつけない部分も多くありました。
「わかっているだろう」という感じのところが多々あるので、そういう書きぶりの項は、ほとんど理解できませんでした。

細かく書かれている項もあったので、それについては時代背景や、当時の状況(ゲバゲバ90分などの番組について書かれていた部分など)もよくわかり、とても懐かしかったり、新事実を知ったりで、驚きました。

私がなかなかついて行けなかったのは、関わってくる有名な人たちに対する接し方、感覚が、“突き放す”ようなものが多く、情緒的なふれあいみたいなものを感じる接し方を感じた人はほとんどいませんで、ちょっと“引き”ました。
あまりにも“ドライ”な感じが、読んでいるこちらにとって、ちとつらい・・。

まるで昔話を映画のフラッシュを見ているような感じで次々と語られていて、当時の状況を知っている人からしたら、とても興味深く、資料的価値もかなりのものだと思いました。
ただ、私には、様々な文献で過去を勉強してからでないと、“太刀打ち”できないものでした。

また出直します。

 

2022/04/25

あれから一年以上経って

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一昨年末に倒れ、明けて去年の一月に入院、ほぼ一ヶ月の入院を経て、仕事に出ることもできなくなり退職。
その後は、身体を治す、体力を回復することに専念することになり・・一年と二ヶ月が経過しようとしています。

最初は家の階段も上がれない、自力で洗顔等も出来ないような状態で退院し、どうなることかと思いましたが、去年の夏頃には家での日常生活ができるようになり、その後は公園に行き、歩くことをして、徐々に距離を伸ばしていき、かなりの回復をみたのですが、その後は一進一退です。

“三歩前進二歩後退”あるいは“一歩前進三歩後退”というようなことを繰り返しているところです。
右肩上がりで良くなっていた去年の夏までの状況を考えると、今、その遅々として回復が遅れている状況に精神的に落ち込んでしまう日々が多くなってしまいました。

今が“頑張り時”だと何度か自分に言い聞かせ、今もまた自分に言い聞かせているところです。それを残しておこうと、これを書いているのです。

気力を失わないように、日々頑張ります。

 

2022/04/23

伊集院静さんの最新エッセイ集「タダキ君、勉強してる?」を読みました。

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『タダキ君、勉強してる?/伊集院静著(集英社)』を読みました。

帯に“最新エッセイ集”とありますが、この本は全編、伊集院さんが今までに出会った人と自分との関わりの中で、導かれたこと、教えられたこと、気づかされたことを書き綴ったものとなっていました。

伊集院さんから見たら大先輩もいるし、20代の人もいて、それぞれのエピソードが実に読者にとっては、興味深いし、ある意味“面白い”もので、次から次へと登場する人達の言動に釘付け状態になりました。

特に最初の奥さん、夏目雅子さんが亡くなられ、荒んだ生活をされていたときに関わってきた人たちは伊集院さんを作詞の世界に連れて行ったり、なんとか小説を書いたらどうかと、深い付き合いの中で勧めてくれる人がいたりで、それも皆、大きな存在を感じさせる人ばかりです。

絶望というか、自暴自棄の中にあっても、伊集院さんの人としての魅力が、重鎮と呼ばれる作家や、高校時代の教師、友人、プロデューサー、ミュージシャン、記者、スポーツ選手などを引きつけ、そして関わり、また様々な「道」へ連れて行ってくれる・・ということが、たくさん書かれていました。

伊集院さんが子供の頃、成績がオール1で、学校でも手に負えないような行動をしたりしていた時に関わってくれた担任の先生や、伊集院さんの家の使用人をしていた男の人と夏休みの間、島に出され、人としていろいろなものに興味を持ちながら生活していく姿も描かれていました。

伊集院さんが飼っていた犬も、“先生”として紹介されています(*^_^*)

人生、出会いがたいせつだな、と思いつつ読了いたしました。

 

2022/04/22

[みんなの記憶に残らないクルマ マツダ・MX-6]

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マツダが一時期、マツダ、ユーノス、アンフィニ、オートザム、オートラマ(フォード系)という5チャンネルの販売系列をそろえた1990年代初頭。
私には魅力的なクルマが多かったと感じましたが、世の中そんなにうまくいかず、この時代はマツダの暗黒時代だという人もいます・・。

今回思い出したのは、「MX-6」。
調べたら、これは二代目で、初代は「カペラ」のクーペ・バージョンを国外で売っていた時の名前だそうで、二代目からは日本でもMX-6の名称になったようです。

発売当時の1992年は、こういうクルマを“スペシャルティカー”などと呼んでいました。
2ドア・クーペで、ワイド・ボディ、曲線が美しいモデルでした・・誰も覚えていないだろうけどd(^_^o)

エンジンはK型V6ツインカム、2.5L と 2.0L が搭載されていました。
私もこのK型エンジンの載ったクルマに乗ったことがあるのですが、おっそろしく高回転まで気持ち良く回るエンジンでした。7700回転のレッドゾーンまで回しても美しいと感じるくらいきれいな音で、“まだまだ回ります”と言われているくらいのものでした。

日本ではちっとも売れず、私も肉眼で確認できたのは3度ほどでしょうか。
でも、海外では評価が高く、イギリスでは「カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞!
アメリカ、オーストラリアでもたいへんな高評価を得ていたそうです。
だから国外ではチューニング・キットも数多く作られていたようです。

 

 

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シャープなフロント部、スラッとしたシルエット、テール部にきてキュッと引き締まり、スポーティーなリアウイングもそれによく似合いました。

書き漏れましたが、4WSも装備されており、35km/h以下では前輪と反対向きに後輪が動き、35km/h以上の速度だと前輪と同方向に操舵されました。機械式ではなかったようです。
この四輪操舵システムが付いているカペラのクーペを運転させてもらったことがありますが、非常にシャープなハンドリングで、とてもキビキビしていました。

このあいだ、 YouTube のクルマ番組でどなたかが言っていましたが、「昔のクルマって、今見るとけっこうカッコイイね」とゲストが言ったら、「そうじゃない、昔も“格好良かった”し、今も“格好いい”んだよ。“格好良さ”は変わっていないんだ。」という、素晴らしい言葉を聞きました。

私もそう思います。
ついでに、今のクルマで“カッコイイ”のは・・ほとんど無い・・。
“ぼってり”していて、“虚仮威し”、たたずまいがちっとも美しくなく、威厳というか風格もない、子供っぽくて“ひとりよがり”・・言い過ぎ(^_^;)・・いや、ほぼ当たっていると思うんだけど。

 

2022/04/21

[ワイド&ローで格好良かったホンダのクルマといえば]

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最近、クルマのことを何度か書きましたが、現行のクルマの話ばかりだったので、ひとつ「旧車」の話題を。

1980年代後半くらいに出た、ホンダのプレリュード(三代目)と、ついこのあいだ対向車として二度出くわしました。同じクルマでした。山坂道を滑るように降りてくるその姿は“神々しい”くらいd( ̄  ̄)

・・カッコイイ!!

当時はデート・カーなんて言われていたようですが、そんなこと関係無く、私は乗ってみたかった、そして乗ってみたいクルマです。

 

 

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2.0Si は直列4気筒の DOHC エンジンが載り、舵角応動の機械式4輪操舵システム(4WS)も珍しく(CMもそれを強調した後輪が動く様子を使っていた)、しかもそれに伴って4輪ダブルウィシュボーンのサスペンションも採用され、とても魅力的なクルマでした。

エンジン・レイアウト後傾の工夫によって吸排気系の抵抗を減らし、そのおかげか、フロント・ボンネットが低く、クラウチング・スタイルみたいに構えたようなデザインは“秀逸”(だと私は当時思った)でした。

トランスミッションは、5速のマニュアルの他、4速のオートマチック車は、ノーマルとスポーツの変速パターンを選べる、当時としては珍しいものだったのではないかと思います。さらに、加減速時両方でロックアップされ、軽快な走りと燃費向上にも寄与していたようです。

そして、ブレーキ・システムはプレリュードの“ウリ”だった4輪アンチロック・ブレーキでした。滑る路面でも最後までステアリングの効きを確保しています。こういうのが、“ウリ”になるって、当時のユーザーはクルマ好きで、クルマに詳しい人が多かったんだろうな、と思います。

もう一度実物に出会いたい。そして、間近に見てみたいと思っている、ホンダのプレリュード三代目について書いてみました。

 

2022/04/19

サヘル・ローズさんの「言葉の花束」を読みました。

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『言葉の花束 -困難を乗り切るための“自分育て”-/サヘル・ローズ著(講談社)』を読みました。

きっかけは、ラジオ・文化放送「浜美枝のいつかあなたと」という番組にサヘルさんが出演され、この著書について浜さんからインタビューを受けていたのを聞いたからです。

もう浜さんの声の調子がほんとうにこの本を読んで、大きな衝撃を受け、感動したことがわかりました。
また、サヘルさんのあまりにも“まっすぐ”で真摯で、優しい受け答えに私自身も「ぜひ、この本を読んでみたい」と思ったのです。

イラン生まれのサヘル・ローズさんは、幼少時代を孤児院で生活し、養母となったフローラ・ジャスミンさんに7歳のときに引き取られます。

8歳でその養母と共に来日。
孤児、養子縁組、貧困、差別・・そのほかにもつらいことや、悲しいこと、さまざまな事実がたくさん綴られていました。

お義母さんとの暮しは貧困に加速がついたように、公園で生活するようになり、冬は図書館で閉館までの時間、暖を取り、その後はスーパーで安いものを見つけたり、試食品を食べたりして暮らしていて、着替えもなく、風呂もなく、公園から学校に行く生活、お義母さんは、きつい仕事をサヘルさんのためにして、もう考えられない環境の中、サヘルさんは“いじめ”にも遭ってしまう・・。

でも、親子二人で実の親子のようになんとか光を見出すように生きて行く姿に、私は何度も涙しました。

目の前にいる相手を、どう感じられるかがとても大切だというサヘルさん。
その感情を教えてくれたのが義母のフローラさんです。
自分を見つけてくれ、もう一度生きる感情をもらったとおっしゃっています。
お義母さんのフローラさんの瞳に映る私が本当のサヘル・ローズだと信じています、と静かな調子で書かれていました。

相手の目を見るなんて、今の時代にはなくなってしまいました。
携帯の画面ばかり見ている人たち・・が、ほとんど。
そこには人は存在していないのです。

サヘルさんは、イラン・イラク戦争で孤児となり、自分の名も知らず、縁者はひとりもいなくなり、孤児院で幼少期を過したのですが、お義母さんのフローラさんは、「絶対にイラクを憎んでは駄目。大人になったらイラクに行って、彼らの生活を見て来なさい」と言います。
「戦争によって孤児になってしまった人たちに会ってきなさい」と。

戦争は誰かを敵にして、見方を作ろうとする。
でも、戦争は全員が被害者。
敵も味方もない、みんなが犠牲になっているだけ。
いつも犠牲になっていくのは一般市民。
そして時代に翻弄されていくのも生き延びた子ども達。

「憎む感情を捨て、人を許すことを学びなさい」・・この言葉は重い。特に今のこの世界の状況下では、心引き裂かれるような思いで読みました。

サヘルさんは、ほんとうに2019年にイラクへ行きます。
イラン・イラク戦争の兵士とも奇跡的な出会いをしています。

相手を殺したくないのに、知らない相手に銃を向けている恐怖。

戦いたくて戦ったわけではないのに、でも、大事な家族のために、戦争へ行くしかなかったと涙を流すイラク兵だった人。

ほんとうに、今のウクライナとロシアのこのような状況下では、あまりにも重く、そして心身に響く言葉です。

泣きながら、そして希望を見出した部分では、泣き笑いしながら読みました。

つらいと思ったとき、泣きたくなったとき、死にたいと思ったときにまた読むことになる本だと思いました。

サヘルさんの生き方に大きな衝撃を受け、私も少しでも近づいて、強く、やさしい心を持とうと思いました。

 

2022/04/18

[慣れたから良く見えるのか、みんなが良いと言うから慣れてくるのか]

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最近、YouTubeでクルマを紹介するようなもの(新車も旧車も)をよく見るようになって、このブログでもクルマ関係のことについて、今思っていることをいろいろ書きたくなっています。
すでに何台かのクルマについて書いてきましたが、今回は、トヨタの「C-HR」を俎上にのせようと思いました。

このクルマが発表されたときに、この奇天烈なデザインのクルマに乗ろうなんて人は、果たしているのか、と思いましたが、・・いました。それもイッパイ!!d(^_^o)

見てくれは、どうみてもあの陶器の蚊取り線香入れでブタの形をしたものを彷彿とさせ、これに乗る人がどんな人なのかも想像できない、理解の外にいるクルマでした。

当初、自動車評論家も、このひどいデザインのクルマに乗る人がいるのか、などと書いていましたが、いつの間にか何も言わなくなりました。
これに乗る人がたくさん現われたからです。
けっこう評論家も意気地の無いことだと思いましたが・・商売ですから仕方ないです。

何かのYouTubeのクルマ番組で見聞きしたのですが、日産の「ジューク」とか、ホンダの「ベゼル」も、このジャンルのデザインなんだそうですね。
そういや似ていないこともない。
ってことは、ジュークが一番の先駆けだったんでしょうか。ジュークはショー・モデルが事の発端だったんじゃないかと記憶しているので、それはそれでこういうデザインになったんだろうと、“やり過ぎ”なデザインも理解できますが、トヨタとホンダの方は、出来れば多くの人に乗ってもらいたい、どちらかというと実用車寄りなモデルだと思うので、こんな目的のよくわからないような感じでいいのかな、などと思ってしまうのです。

・・でも、売れれば勝ちです。なんだか皆んなが乗っていると、流行の先端を行っているデザインのような気がしてくる。
・・そういうクルマなんだと、今は思うようになりました。

特にトヨタ・ファンはいったん売れれば「あの人も乗っているなら」というユーザーも多いと思いますので、あとは売れるばかりでしょう。
デカいが、狭い。特にこのクルマに乗ることに何らかのメリットはないが、でも売れる・・みんなが買えば、ぼくも買う、というトヨタ的展開のクルマの存在感。
勉強になりました。やはりトヨタのマーケティング能力はすごいっ!

 

2022/04/16

自分を中心にものごとを拡大しようとする人たち

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毎日、毎日、ニュースを聞く度に、またテレビなどで画像を見る度に悲しくなり、つらくなり、身体の具合もそれに伴って変調を来しています。
なるべく悲惨な映像は見ないようにして音声としてのニュースを聞くようにして、今起こっていることを確認することにしています。

たったひとりの男により、人々は苦しみ、悲しんで、つらい思いをして、そして罪も無いのに殺されている、そして世界中にその影響が及んで人々の生活にも暗い影を落としています。

この困った人は、自分を中心に世界が動き、自分を中心に世界を拡げ、自分のための世界をつくろうとしています。

この人が今、世界で一番の“困った人”ですが、この人を“ミニ化”した人、“ミニミニ化”した人は其処此処にもいるんじゃないでしょうか。

“露”の字のつく国の一番困った人、“中”の字のつく国の困った人、“北”の字のつく国の困った人、・・・いやいや、米の字のつく国のひとつ前の困った人もいました。“日”の字のつく国のふたつ前のえらい人も「困ったもんだ」の人でしたし、まだいろいろ口をだしています。ひとつ前の人も口を出そうと自分の派閥をつくろうとしたりしていて、その器じゃないのにミニ化した“プ”のつく人になろうと無駄なことをしているようです。

国の指導者や政治家だけでなく、企業経営者、投資家などにもそんな人がいそうです。
イー〇ン・マ〇クという人は宇宙開発や電気自動車などをやっていたのかと思いきや、今度はツイッター全株式を取得して、買収しようとしています。
国と会社の違いこそあれ、似たような印象を持ちます。
よりよい電気自動車を作っていてくれればいいのに・・。

日本での戦国の時代だって、領土を拡げ天下統一などと言って、結局やっていることは“プ”のつく人と同じことだと思います。そのためには、兄弟だって何だって殺すし、人を陥れて自分だけが生き残り、「自分の世の中」を実現しようとしてきました。

あなたの会社、職場にもミニ・プー〇ン、ミニミニ・〇ーチンはいませんか?
いないことはないでしょう、そんな人ばかりで世の中が動いているような気がしますよ。

ミニでもミニミニでも、そんな人の下にいる人は、ただ真面目にコツコツと働き、その“ミニの人”の影で苦しみ、悩み、何とか自分の良心だけを頼りに生きて、やがて死んでいくのです。

そんなことを思うと、救いようのない気がして泣きたくなりますが、そんな中、人のためになるように、そして自分の生き方を常に自分の信ずる方向に舵を保ちつつ生きていこうと思います。
それしか自分には出来ないから。

 

2022/04/15

「オノマトペがあるから日本語は楽しい -擬音語・擬態語の豊かな世界-」を読んだ。

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『オノマトペがあるから日本語は楽しい -擬音語・擬態語の豊かな世界-/小野正弘著(平凡社新書)』という本を読みました。
これもまたブックオフで超安価で手に入れました。

開いてみると、後半のオノマトペの歴史的な考察の部分には、この本を売った人の鉛筆書きの“線”や“丸”がいっぱい引かれていて、それが気になって後半は“気もそぞろ”になってしまい…σ(^_^;)歴史的考察については頭に入りませんでした。

「オノマトペ」・・擬音語・擬態語なしに、私達の言語生活はあり得ないわけですが、それについてこんなにムキになって書かれた本も珍しく、楽しく読みました。

笑ってしまったのは、劇画「ゴルゴ13」のゴルゴが煙草に火を付ける時のライターの音「シュボッ」の音について、なにか、こすれた感じ、勢いよく広がったり、ふくらんだりする感じがあるというのですが、これには私も同感d(^_^o)

で、著者はゴルゴの全巻を用意し、「シュボッ」が最初に登場するシーンを探し出すのですが、意外や最初は「チャッ」でした。・・著者はショックを受ける(^_^;)

「シュボッ」はいつでで来るのかと読み進むと第三巻では「シュパッ」となっていて、またもやショック!(^^;)

さらに読み進み、第11巻で「シュボッ」が登場するのですが、そのライター点火音は、ゴルゴではなく刑事同士が煙草に火を点けてやるシーンだったのです。

著者も“根性”で読み進み、第35巻にてやっとゴルゴ自身が「シュボッ」と火を点けるシーンが出て来ます。
ここで力尽きて150冊を越える「ゴルゴ13」中の「シュボッ」状況確認の作業を終えます。「このあたりで満足しておくのがよいだろう」(^_^;)と。

「シュボッ」だけでも上記のようにとことん行ってみる著者をたちまち好きになってしまいました。

川端康成の「伊豆の踊子」に、『ことこと笑った』という表現が出て来て、それについてもいろいろと考察しています。

この『“ことこと”笑った』が出てくる部分を引用すると、下記になります。

仄暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思ふと、脱衣場の突鼻に川岸へ飛び下りさうな格好で立ち、両手を一ばいに伸ばして何か叫んでゐる。手拭もない真裸だ。それが躍り子だった。若桐のやうに足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうつと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。

読んで見ると、“感じ”がわかります。
「ことこと」にもなんとなく納得できそう。

たった二例でもこれだけ面白いので、この本全体については、とても楽しく読めました。
「言葉」についての本、いろいろと読んできましたが、これも良い本でした。

 

2022/04/14

周りで使われていてよくわからない言葉をあらためて調べてみた。

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私はよく“世捨て人”などと身内からも言われ、今流行っているヒット曲もほとんど知らないし、それを歌っている人も知らないし、SNS や若い人の間で使われている言葉についても、意味を知らないものや、使い方がわからないものが多いのです。

少しこのあたりで、その「謎」を解いておいた方がいいかもしれないと、日頃わからないままになっていた言葉について自分で調べてみました。人に聞いても笑われるだけだと思いまして。
では、ひとつずつ。

いきった → お笑い芸人などが使用しているのを聞きました。当然のことのように使っているが、なんとなく“こんな意味かな”と思いつつ過しておりました。

元々は関西方面の言葉らしいです。「いきがる」に近い意味のようです。関西では日常的に使われてきた言葉だそうですが、テレビなどで「皆、わかっているのが当たり前」のように使われていたので、もう関東圏でも普通に使われている言葉なのでしょうか。
たぶん、私は今後も使わないと思います。言葉が身体に染みついていません。


エモい → これもよくわからなかった。語感から感じたのは、「気持ち悪くて吐きそうだ」という意味かと思っていました。でも使用例をみていると、どうやら違うみたいです。

心地の良い懐かしさや良質なセンチメンタルに襲われたときに使う・・んだそうです。
ってことは、「エモ」っていうのは「emotional」の意で使っているのか・・。
これもたぶん一生使わない言葉だと思います。申し訳ないけど、使っている人って、およそ“エモーショナル”な感情とはほど遠い感じの人が多いという印象です。


ぴえん → ちょっと悲しい程度の意味ですよね。これはなんとなくすぐにわかったけど、小学生までなら使っているのが“可愛い”と感じられますが、いい大人が使うのは、幼児的でみっともないと思いました。
幸いなことに、テレビその他私に直接関係ないところで使われていて、私の周囲では誰も使っていないので安心して過しております。


“超チル”あるいは“チルい” → 心身がリラックスした状態 「chill out」から来た言葉のよう。USEN放送のチャンネルに「chill out music」というのがあって、それで「chill out」という言葉自体を初めて知りました。
チル・アウトなんて日常使っている人を見たことがありますか。なんか、あやしくて、キザで“浅はか”な言葉だと思い、無視することにしています。


バズる → これはものすごくよく聞く言葉でした。テレビ番組などでもコーナー名に使われているし、完全に誰もが知っている言葉、使っている言葉として使用されているのが確認できます。

インターネット上で爆発的に話題になる。SNS上で一挙に話題が広まる。・・そんな感じですよね、きっと。

語源は 「buzz」らしく、蜂や機械の「ブンブン」「ブーン」という音の意で、ざわめきや噂話、評判などをその音になぞらえているようです。
申し訳ない・・。これも“バカっぽい”ので使わないです。


言えば → これも関西のお笑い芸人、あるいは関東でもお笑い芸人がよく使っているのを耳にします。「いきった」と同じく、関西芸人から関東芸人へ、そして一般にも拡がっている言葉かもしれません。「言うなれば」という意味で使われているように思われます。

傾向として“安い”芸人・タレントが主に使っているようなので、これも私は使わないと思います。ごめんね。

というわけで、“世捨て人”の私として、今後使ってみようという言葉はありませんでした。
“ご静読”ありがとうございました。

 

2022/04/11

[クルマのそっくりさんのお話]

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先日、クルマについて少し書いてみたら、頭の中にあったクルマについての引き出しがパッと開いたような感じになってd(^_^o)いろいろ浮かんできたので書いてみようと思います。
今回以外にもまだ出て来そうなので、それも追ってアップしようかと考えています。

今回は、大ヒットするクルマが出たら、すかさず“そっくりさん”が登場するというお話です。

「ルーミー」と「タンク」、トヨタがつくったスズキ・ソリオとソリオ・バンディットです。
姿形はまるでクローン。

スズキが、あえて全幅を狭くし、駐車場などでの取り回しを良くし、しかも室内は広大でゆったり、走りもそこそこイケているという見事なコンセプトでつくったのがソリオです。しかもこれが売れた!

それをトヨタが黙って指をしゃぶって見ている筈がない (・_・;

 

 

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見分けがつかないほど似たデザインとコンセプトのルーミーをつくり、おまけにスズキがソリオに用意した若者向けモデル「バンディット」の真似までして兄弟車・タンクをつくり、まるごとパクってトヨタの売り上げに貢献。トヨタの売り上げ上位車に急上昇です。スズキにはお気の毒としか言いようがない(>_<)

この現象は、かつてホンダがシビックのシャシーを使ってつくった「ストリーム」という小型車枠いっぱいの七人乗りワゴンが大ヒットしたら、寸法の1㎜単位までピッチリと同じくした「ウィッシュ」という七人乗りワゴンをトヨタが出し、あっという間にお客様を奪い取ったのと、とても似た現象となりました。

“世の常”といえば、そうとも言えるのかもしれません。人気が出れば、それに似たものがどんどん出て来て、元々はどれが元祖だったっけ?!と思っても誰も思いだせません。

そう言えば、あの“エラそうなフロント・グリル”の元祖は、「アルファード」ではなく、日産の「エル・グランド」だったと思います。
日産は完全に“母屋を乗っ取られた”状態ですね、一時はどこに行っても「エル・グランド」ばかりだったが、今やどこに行っても「アルファード」が、“ドデカい図体”で、駐車場の枠一杯に駐まっていて、我が世を謳歌していますd( ̄  ̄)

 

2022/04/10

伊集院静さんの「もう一度、歩きだすために」を読みました。

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『もう一度、歩きだすために -大人の流儀11-/伊集院静著(講談社)』を読みました。
この三月に出たばかりの本です。

新しい本なので、伊集院さんご自身の病気からの回復の様子や、現在の心境なども書かれていて、少し安心しました。

ただ、愛犬が亡くなったことについては、なんどもふれられていて、その寂しさが伝わってきて、こちらも“しんみり”してしまいました。

また、新しい本ということで、コロナ禍での当時の菅首相の対応、東京オリンピック開催についても、伊集院さんは決して臆することなく、思うところを書いています。
はっきり言って、政治家も報道メディアも“腰抜け”ばかりの今の世の中で、これほど堂々とご自身の考えを述べられているのには、とても“うれしさ”と共に“共感”と“心意気”を感じました。

「国民がコロナに感染して生死の境にあるのを無視したたげの話だ」と、当時のコロナ対応の遅れについてバッサリと切り捨てています。

菅首相が人が尋ねていることと違った答えを言った後で、「どの質問にも、国民の安心と安全を、と同じことをスピーカーのように繰り返して恥ずかしくないのか」と書かれています。
私もまったく同様のことをこのブログで書きましたが、その反応は低かった。
伊集院さんのような方が“言ってこそ”だからかもしれませんが、記者や一般の人達は、当時あまりにも首相の発言・行動について批判が足りなかったと、私は今でも思っています。

この本の帯にも書かれていますが、この「大人の流儀・シリーズ」は、かなりのベストセラーになっているようです。
買っている人の多くは、たぶん私のように、「ああすっきりした、私の言いたかったことを歯に衣着せずに書いてくれている」と思うから、ベストセラーになったのだと思います。

伊集院さんは、あの大震災と、このコロナ禍を経験した私達に「体調がよくなれば、立ち上がって歩きだそう。立ち上がることができれば、次は少しずつ前へ歩み出せるものです」と書かれています。

私もこの一年、病気で体調を大きく崩し、仕事も辞め、療養半分の日々で、とても落ち込むことが週に何度もありますが、それでも少しずつ前へ歩みだそうと、この本を読んで思い直しているところです。

 

2022/04/09

[まるで“楯”のよう、“威圧力”を増すクルマのフロント・グリルについて]

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私は、大のクルマ好きです・・と言いたいが、現行のクルマで好きなクルマというと、なかなか思い当たらないような、そんな状況です。わくわくするようなクルマって少なくなりました。

むしろ、ちょっとブームになっている“旧車”の方が今は興味を持って再度見てみることが多いです。

それでも、すこしは現在のクルマについても“アンテナ”は張っています。
今回は、モデルチェンジのたびに肥大化し、“大げさ”になるフロント・グリルを持つクルマについて書いてみようと思います。

表題のように、“楯”化するフロント・グリルを持つクルマと言えば、トヨタの「アルファード」が思い浮かべられます。

見栄っ張りで、えばりん坊で、子供っぽい。
私は、これがこのクルマに乗る人の代表的なイメージじゃないかと思っています。・・乗ってる人、ゴメン。

つくっているトヨタも口には出さぬが、マーケティングに優れたトヨタのこと、・・そのくらいは考えてつくっていると思います。
ようするに金をある程度持っている日本人の姿をトヨタはこんなふうに捉えているのだと思います。

このクルマのポイントは、もちろんフロント・グリル。
無用にデカく、あたりを威嚇しながら走ることができるのですd( ̄  ̄)モデルチェンジの度にデカくなり、威圧的になってきました。

もう、ラジエーターへの通気口のガード的な役割という本来の目的からは大きく逸脱しています。その目的であれば、あんなに大きくなくてもいいし、より効率的な形があると思います。
「デザインというのは機能のパッケージングだ」と、かつての自動車評論家、三本和彦さんがおっしゃっていたのを思い出します。
その点でいうと、機能よりも完全にデザイン優先な状況だと思います。

この“大げさ”なデザインのフロント・グリルは、大人げない行動を思いのままにできる“錦の御旗”的な役割を果たし、これが付いていないと、あら不思議、ただの“バン”みたいな見てくれになるというトヨタのデザイン・マジックです。

フルモデルチェンジも近いらしいけど、ニューモデルのグリルは、もう“大人げない”を通り越した“田舎成金”的な押し出しの強さと豪華さを絢爛にふりまいており(※すでに予想図があちこちに出ている)、トヨタの思惑が間違いなく当り、大ヒットの予感がいたします。ファンが待ち望む“威嚇効果”抜群のルックスとなっています。

 

 

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弟分の新型ノア、ヴォクシーもこの路線で発表されました。
そのグリルの“えばりん坊”具合と“威圧”具合は抜群に“小金持ち”の見栄っ張り心を捉えています。間違いなく売れるでしょう。

このグリルが、“良いのか”“悪いのか”なんてことを書こうとしているわけではありません。売れるということは、これが日本人の心持ちを表わしているんだな、と感じていると書いているのです。

ホンダが「ステップ・ワゴン」をフル・モデルチェンジしましたが、トヨタとは異なるシンプルなフロント・マスクで基本モデルは登場しています。
ノア、ヴォクシーとステップ・ワゴン、人気、売れ行きを注意深く見てみたいと思います。
それが日本人の大方の人を表わしていると思うから。

私の予想では、ホンダがトヨタのノア、ヴォクシーの人気に押され、やむを得ずフロント・グリルを機能に関係無く、巨大化し、威圧的デザインに変更せざるを得ない状況に追い込まれるのではないかと案じています。

 

2022/04/06

東海林さだおさんの「昼メシの丸かじり」を読んだ。

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『昼メシの丸かじり/東海林さだお著(朝日新聞社)』という本を読みました。
2000年に週刊朝日に連載されたものをまとめたものですから、もう二十年以上前のものです。
なので、ブックオフにて220円で購入d(^_^o)

うどんや、カレー、青椒肉絲、焼きそばパン、串カツ、冷やし中華、鴨南蛮、チキンライス・・などなど(*^_^*)登場する食べ物は、相変わらずの私達がよく食べる一般的なものばかりです。
だから、書店でパラパラとページをめくっているうちに“お腹が空いて”きて、ついつい買っちゃうんですよ、うまくできている(^^;)

今までも東海林さんのこういう本は何度か読んで、このブログでもご紹介してまいりましたが、今までの傾向でいくと、途中までは面白いのだが、だんだん東海林さんの“こだわり方”が“マニアック過ぎ”て、しかも“しつこく”て、いやになってしまうことが度々ありました(^_^;)

でも、今回はほとんどそういうことがありませんでした。
けっこう古いものなので、まだまだ東海林さん、元気いっぱいで“突っ込み方”に勢いがあり、しかも読んでいるこちらの「そこをもっと掘り下げてくれ」という気持ちも“酌まれ”ていると感じるくらいの鋭さがありました。

かつて中華料理店には必ずあった「肉団子」が今はメニューに無い店が多いのではないか、と七店も巡ったりしています。
ああ、中華料理店の肉団子・・ミートボールに似ているけど、ちょっと違うんだよなあ、などと思いつつ読みました。

七店目で、やっと肉団子がある店を見つけ、注文すると驚かれたりして(^^;)めったに頼む人なんていないのだろうな、と思いました。

そうかと思うと、今度は串カツの串に刺さっている順番がどうなっているか(肉と玉ねぎの順番です)調べたりしています。まあ普通の人はやらないよね (・_・;

しかも、刺さっているのが玉ねぎではなく普通のネギのお店もあることに気付き、意外とネギの店も多いと驚きます。
ひとくち目はネギなのか、肉なのかにもこだわって、いろいろ東海林さんの“思いの丈”が綴られていました…(^_^;)

ちなみに、六軒の店を回って、玉ねぎが三軒、ネギが三軒だったそうですd( ̄  ̄)どうでもいいけどね。

 

2022/04/05

【朱に染まればわからなくなる/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №70】

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久しぶりに「過去に会った人、過去にあった出来事」シリーズです。

書こうと思ったきっかけは、ラジオで森永卓郎さんが話していた、たぶん「日本専売公社」にいた頃の話ではないかと思うのですが、わけのわからない上司に担当である自分の文章がどんどん朱書きを入れられ、直されて、最後には意味のわからない文になってしまったというようなお話をされていたのを聞いたからです。

思い出したのは、私がIT部門の仕事をしていた時のこと。
システムの5年ぶりの更新に向けて突き進んでいたのですが、多額の予算も必要です。
議会での質問は必至な状態。

上から「想定問答集」の作成を命じられたのですが、心配性な上司のこと、今までの人が作ってきた想定問答に加え、どんどん考えうる質問を増やすことになり、枚数は150頁にも達し(^_^;)・・こんなの読むのも大変だろうし、覚えることもできないだろう・・とは思いましたが、命令です。頑張って作りましたよ。

で、課長に見せると、表題にあるように“朱書き”で、どんどん“お直し”が入るわけです。
“真っ赤っか”です( ̄O ̄;)
それを一日掛かりで修正しつつ、了解を得つつ、さらに朱書きが入ったり、すったもんだ(^^;)して出来上がります。
担当として言わせてもらうと、朱書きで直されたところは、肝心の部分がぼかされ、“スカスカ”で、無難と言えば無難だが、何の意志も、決意も、やる気も感じさせないものとなります・・これでいいのか!

今度はそれを部長に見せるわけです。
そうすると、またまた“朱書き”の“大行進”!!それを課長に了解を得つつ、またまたお直し (・_・;これまた一日掛かり。元に戻っちゃったところもいっぱいある(^_^;)

で、出来上がりました。それをまた局長に見せると、あらら、またまた“朱書き”の嵐が吹き荒れます。
もう、こうなると「なんでこんな質問が出ると想定したのか」さえわからなくなってくるd( ̄  ̄)

というわけで、それに“懲りた”私。
次からは、“エラい人”全員にひとつの部屋に集まってもらい、プロジェクターとスクリーンを持参。PCに入っている「想定問答」を映し出し、全員に意見を出してもらい、その場でスクリーン上に映っている文章を直していきました。
キーボードは、話すのと同じくらいのスピードで打てるので、ものすごいスピードで完成形が出来上がっていくのでしたd(^_^o)

こんなのに二日も三日も掛けていられないんです、こちとら日々の仕事が忙しいんですっ!(#^.^#)

ついでに、似たような話をもうひとつ。

私が、「〇長への手紙」というものの担当だった頃。
とある小学校のクラス一同(四年生だったと思う)からのお手紙が、われわれのボス宛に届きました。
中身を見てみると、クラスで話し合って自分達の町を皆で周り、下水のフタが外れているところや、ガードレールが曲がったままになっているところ、遊具が壊れているところなどを町の地図の上に印を付けて、「〇長さん、一度見てくだい」というものでした。

主に当時の建設局に実際に現場を確認してもらい、いつまでに対応できるかなどをまとめてもらい、全体の回答文については、私が書きました。

「〇〇小学校四年〇組のみなさん、お手紙ありがとう。さっそく現地を見ましたよ。いつまでにこことここを修理します。」「とても参考になりました。クラス全員で作り上げた地図、とても見やすく、みなさんの行動力に驚きました。」「これからもクラスのみなさんで素晴らしい活動のアイデア、広げていってくださいね。」

・・などと、書いたのですが、そこでも課長や部長から(^^;)・・お前の文は軽くて“気安過ぎる”、「この度は貴重なご意見を賜りまして有り難う御座いました。」「今後ともご指導ご鞭撻の程、何卒よろしくお願い申し上げます。」・・などと、直せという指示が入りました(>_<)

小学生に何を言ってんだ、と思いましたが、仕方なく直すと、最終的に一番エラい人から「小学生に“ご指導・ご鞭撻”はないだろう」という至極まっとうな意見が出て、元の文章に戻りましたd(^_^o)・・そりゃそうだ。

 

2022/04/04

「食べごしらえ おままごと/石牟礼道子」を読みました。

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『食べごしらえ おままごと/石牟礼道子著(中公文庫)』という本を読みました。

今までこのブログでも、いろいろな食べ物について書かれた本の感想を書いてきました。
私の得意というか、好きなジャンルは“B級”的な食べ物について書かれたものですが…σ(^_^;)

でも、この石牟礼さんの著書は、「ぶえんずし」、「笛ふき鯛の煮付け」、「らっきょうの即席しそ漬」など、いろいろな食べ物が登場しますが、それぞれの背景に“暮し”や“故郷”、“土地柄”、“家族”、“四季”などが見えてきます。

だから、単に食べ物の話では終わらず、石牟礼さんの想い出なども加わって、とても映像的な文章になっていると感じました。
そして、とても感情というか情緒にうったえるものがありました。

料理の味を想像するだけでなく、しみじみと人や風景の様子を味わうことになりました。

深くしみじみと、心と体の芯に沁みてくる本でした。読後も心地よい感覚がただよっています。

 

2022/04/03

テレビのコメンテーターなどが使う気になる言葉

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以前にもいくつか書いたことがありますが、特にテレビのコメンテーターなどがあまりにも当然のように使う“気になる言葉”や“カタカナ語”があります。

今、思いつくままに例を挙げてみたいと思います。

ガバナンス・・・統治とか、管理、支配という意味があると思いますが、その体制構築についても意味合いとして使っているように思います。
でも、「“管理体制”をしっかりとした方がいい」などとコメントすればいいんじゃないかと、いつも感じています。
なんだか、わざと難しそうに、えらそうに言っているだけじゃないか・・と思うんです。

イノベーション・・・これもよく使う人がいます。
“革新する”とか、“新しい技術や手法などを取り入れる”という意味で使っていると思いますが、わざわざ“カタカナ”で言うまでもないと、いつも思います。
自分が時代の先端にいるんだ、みたいな“気取った”人が使っているような気がしますよ。

出口戦略・・・これも“あやしい人達”がよく使っている気がする。
なんとなく感じているのは、「損害を小さくして、撤退するための作戦」みたいな感じで使っていると思うんですよ。
でも、“ぶっちゃけて”言うと、「いままで“ああだこうだ”とやってきたけど、どうもうまくいかない。てきとうに言い訳して逃げちゃおう」ということだと思います(^_^;)
さんざんえらそうに“これしかない”みたいなこと言ってやらせておいて、言いだしっぺが真っ先に逃げ出す時に使う言葉・・と理解するのが正解だと思います。

コンテンツ・・・中身、内容の意味だと思いますが、この言葉も、ちょっと時代の先端にいる“ふり”をしている人が「“コンテンツ”が、いちばん大事だ」みたいなこと言っている姿が目に浮かびます。
その先は言わないので、どういうものを作っていけばいいのか、ということにまで考えが及んでいない人が、それを誤魔化すときに使う便利な言葉だと思います。

グランド・オープン、グランド・メニュー・・・これもあやしい感じがしますよぉ(^^;)
本来の意味としては、「正式に開店する」とか「常に出されるメニュー」程度のものだと思います。
でも、あえて“グランド”を使っている人達は、もっと“えらそう”で“盛大”なイメージを喚起させる意味合いで使っていると思いませんか。
そんでもって、グランド・オープンしたお店や、グランド・メニューを開いてみると・・たいしたことないです (・_・;
ようするに自信があるなら、こんな言葉使わないってことだと思いました。

アサイン・・・最近よく耳にします。当然のように使われていますが、なんのこっちゃか普通に暮らしている人にはわからないと思います。
「任命する」とか「割り当てる」などという意味だと理解していますが、だったらこの「アサイン」なんて言葉使う必要がまったくないと思うんです。あんた日本人だろうっ!っていうのが私の答えです。

いま思いつくのは以上です。
まだまだいっぱいあると思いますが、あやしい言葉、うろんな言葉には、くれぐれも気をつけたいものですd(^_^o)
使っているヤツは、この言葉よりも“あやしいヤツ”です。

 

2022/04/02

残間里江子さんの「人と会うと明日が変わる」を読みました。

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『人と会うと明日が変わる/残間里江子著(イースト・プレス)』という本を読みました。
この本もブックオフにて安価で手に入れました。2011年に発行されたものです。

残間さんというと、私は土曜日早朝のラジオ番組、文化放送の「大垣尚司・残間里江子の大人ファンクラブ」と、TBSのこれも早朝「生島ヒロシのおはよう一直線」などで、そのお声と、“歯に衣着せぬ”コメントを聞き、いつも思ったことを直球でぶつける歯切れのいい“しゃべりっぷり”に感服しています。

この本も表紙の写真の青空と海のようにスカッと書かれているように感じました。

内容は、子供の頃の苦労、そして学生時代もかなり大変だったようだし、最初の就職(地方局のアナウンサー)時のご苦労も書かれていましたが、でも、自分で様々な決断をその都度して、編集者などを経て企画製作会社を設立するまでのことが書かれ、その中でタイトルにある「人との出会い」がいかに重要なことであったのかが、書かれていました。

私の印象にある残間さんだと、人との出会いも一気に距離を詰めて、相手の懐に入っていくのかと思いきや、その距離のとり方は慎重というか、言い方を変えれば“臆病”というくらいの感じで、意外でした。

でも、そのくらいの間合いのとり方が後々の残間さんと出会った人達の関係を“べったり”ではない、濃密なものにしていく前段階なのだと思いました。

ある程度距離を置けば、どうにも合わない人からは離れやすいし、逆に向こうから興味を持ってもらえれば、向こうから距離を詰めてくる場合もある(田中角栄氏との出会いがそんな感じで書かれていました)。

また、あの山口百恵さんの「蒼い時」を製作・プロデュースしたときのことも書かれていて、その後百恵さん引退後も百恵さんから連絡が来たりしていることも知りました。

インタビューをするときなども、相手との距離感が実に大事なことなのだと、その考え方も書かれていましたが、とても参考になりました。

人は誰かと出会い、仕事、人生、趣味、その他様々なことの未来が開けていくのだということもあらためて思いましたし、私も人との出会いを大事にしようと自分に言い聞かせました。

私の今までの仕事や、人生の中でも「人との出会い」によって解決の糸口が見つかったこと、また落ち込んでいたときに慰められたこと、勇気づけられたことがありました。

この本との“出会い”も、いいものと出会えたのだと感じつつ読了しました。

 

2022/04/01

4月に入ったので、ブログ側からも庭の草花写真をアップします。

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インスタグラムからは、庭の草花の写真は何度かアップしていますが、ブログからは最近ほとんど草花の写真をアップしていないので、インスタ、Facebookどちらもご覧になっていない方にも春らしさをお裾分けいたします。
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ここ最近のものです。
まだこれからどんどん咲き始めると思いますが、とりあえず4月になりましたのでアップいたします。
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