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2022/07/05

二十年の時を経て、町内のひとたちの心模様は変わっていた

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約二十年前に順番で回ってくる町内の役を引き受け、今年またその役が順番で回ってきました。
私が受け持つ各世帯は、二十年前からそのほとんどが代替わりして、次の世代になっていました。当時は、私がいちばん若かったのです。

あの頃は、何か取り組まなければならないことがあれば、皆を招集しそれぞれに役割を振ってお願いをすると皆さん熱心にやっていただけました。

言い方が難しいのですが、当時の約二十世帯は、ある意味“物理的”な問題に取り組んでいました。

で、今回会費の集金もあり、八世帯増えた皆さんのところを就任早々に回ると、そこには“メンタル”な問題が存在していると感じました。

“いらいら”している人、何年も前のことに“くよくよと悩んで”いる人、誰にも相談できずに“不安の中”にいる人、代替わりして亡くなった自分の親のように“尊大なふるまい”を再現しようとする人、新しく越して来て“この田舎者役員を少し脅かしていろいろ自分のためにやらせよう”とする人・・(クレーマーに著しく近く、なるべく密室的に話をしようとして、私が周囲の人たちに声をかけようとすると激しく拒否する)・・。

必死に行動して頑張ればよかった二十年前とちがって、奥が深く、どうしたら解決の糸口を見つけられるのかわからない事態を感じて、私も一時(いっとき)、ぐらぐらと心が揺れました。はっきり言ってここ二年間、体調が思わしくないこともあり、今度は精神的にも揺さぶられました。

そんなこともあって、私と同じ役をやった方々を三年前までさかのぼって話を聞きに行ってみたところ、皆さん、私みたいにメンタルな部分をぶつけられてはいないのです。

つまり、私に対して今回は「何か話を聞いてもらえそうだ」という印象を持たれたのだと思いました。
「そりゃ迷惑だ」という考え方もあるかもしれませんが、いい意味で捉えれば、「この人なら話を聞いてくれる」「今考えていることについて何か対応してくれる」「何らかの形で取り組んでくれるんじゃないか」と思ってもらえたのかもしれない、と考えました。

そう思い直して、今、心を落ち着けて、ひとつずつ対応しているところです。
それが自分の持ち味だと信じて。

体調のこともあり、“全力で”というわけにはいきませんが、今出来ることを少しずつやってみようと思っています。
ここに書いてみたのは、その決意が揺らぐことのないように、という思いからです。

きのうもひとつ、持って来られたお話が片づきました。
明日からも、またひとつずつ片づけられるようにゆっくりと動きます。

 

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