【南先生の玉手箱_0045_地域のたたずまいに思う】
私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
先生からお借りしている資料に日付が入っていなかったので、今回のものが書かれた年代は不明です。
先生が身近なところの不法投棄や、生活ゴミのことについて書かれています。
以下、先生の文章です。
《地域のたたずまいに思う》
今にはじまったことではないけれども、身近に路肩など、あきれるほどの不法投棄や一般の生活ゴミが目につく。
つい先日、各地方をまわる業者の人との雑談から、千葉県(所によってのちがいもある)特にこのあたりは、路肩に環境ゴミが目につきますねえと、そう言えばよその地域でもよく目にするものの、日頃用件あって移動中、私の家のちかくでも、市役所通りなどで、かなりひどい状況がある。
そんなゴミの多い場所に環境美化やゴミ捨て禁止の看板ばかりゴミのように目につくのも何か変なもので、看板やスローガンを設置するのもいいが、日常活動として自分たちの暮らす地域の環境美化に手を加えたいものだ。
環境ゴミは捨てる側に責任があるが、その地域に暮らす住民の意識による問題も大きいと思う。
ゴミを捨てない、町をきれいに、など、その意味を知りながら具体的に実践できない大人が増えている。
先日、郵便局に通信の用件あって、局内に駐車したところ、帰る時にさっきはなかったと思うコンビニの大きなビニール袋いっぱいの食べカスが捨ててあった。
おそらく郵便局に来て、用件の途中に投棄したものと思う。
このような一瞬の出来事が山のようにあっちこっちでふくらんでいるのだと思う。
捨てる側は捨てられる側のことを考えない。時に田んぼや畑の中に危険ゴミ、ビン、ガラスまで見ることもある。
ドライブ移動中、旅先、散歩中に目に入ってくる各地域のたたずまいを見ると、その地域の暮しの様子、人間模様が感じ取れる。
先日は、農業用の水路がゴミで流れないどころか、ゴミ袋などで水の流れが見えない地域を通り抜けた時にふと思った。
この道路沿いの人たちの暮らしぶりは、きっと家の中ではオール電化など快適に暮らしているかもしれない。
以上が先生の文でした。
最近、先生と電話でお話ししていても、この文と同じようなことが話題になります。
たぶん、上記文章は20年以上前のものだと思われるので、世間の状況はまったく変わっていない・・というか、ますます悪くなっているな、と思いました。
公園のベンチや、電車ホームのベンチで飲物を飲んでいた人が、飲み終えると(・・終えていない場合もある)、すぐ30㎝横にビン・缶を捨てるカゴがあるのに、そこいらの地面に置いていってしまいます。
駅のトイレなどにも、洗面台や小の便器の上の部分などにビン・缶・コンビニ袋に食べ残したものなどを置きっ放しにしているのを見かけます。
自分の部屋でなければ、どこにでもゴミを捨てるのでしょう。
そんな人が多すぎる。でも、注意したら殺されてしまうかもしれない・・。
先生のゴミのお話から、私もいろいろ現在の状況について考えました。
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