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2022/08/31

【復刻版】Modern Jazz喫茶『 頑 固 堂 』⇒《Quiet Kenny / 1959》 Kenny Dorham

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十数年前に作っていたホームページ“Modern Jazz喫茶『 頑 固 堂 』”のブログ版復刻です。
取り上げているのは、ケニー・ドーハムのアルバム、「クワイエット・ケニー 」です。
今回、再度聴き直して一部文言等を追加・修正いたしました。

Kenny Dorham/tp
Tommy Flanagan/p
Paul Chambers/b
Art Taylor/ds

①Lotus Blossom
②My Ideal
③Blue Friday
④Alone Together
⑤Blue Spring Shuffle
⑥I Had The Craziest Dream
⑦Old Folks
⑧Mack The Knife

実際にリアルタイムでジャズ喫茶に行き、このアルバムをリクエストした方は、『静かなるケニー』と、このアルバムを呼んでいたことと思います。
邦題からしてはやくも名盤の風格があります。

最初の『蓮の花』という曲はソニー・ロリンズの演奏でも有名です。
ロリンズは“Asiatic Raes”というタイトルにしています。導入部分が東洋的な雰囲気を彷彿とさせます。
このアルバムと言えば、この“蓮の花”と“マック・ザ・ナイフ”ですが、その他の曲もいかにもモダン・ジャズといった曲ばかりで堪能できます。

My Ideal は訥々と始まるケニーのトランペットでいきなりジーンとさせます。語りかけるようなケニーのペットを聞くだけで満足度が急上昇です。
ちょっと“くぐもった”ようなケニーのトランペットの音がリリカルな曲調をより詩情豊かにしていると感じました。

Blue Friday が始まると、いかにも当時のジャズの雰囲気が伝わってくる感じがします。
ケニーのトランペットのさまざまな音色や、テクニックが次から次へと展開されて、ケニー・ドーハムのジャズを堪能出来ます。

Alone Together もトランペットのフレーズに身をまかせて静かに聞きたい良い曲です。

Blue Spring Shuffle は、ポール・チェンバースのベースで始まり、アート・テイラーのリズムが曲を引っ張り、ケニーのトランペットが歌い出す感じの冒頭が格好良く、あとは実に自然な流れで曲が展開されていきます。スネア・ドラムの音なんか最高!
ジャズ喫茶で聞いているような気分になります。

I Had The Craziest Dream は、ちょっと“こもった”ようなケニーのトランペットの音が物語性を感じさせ、何かストーリーを語っているような雰囲気の曲です。

Old Folks は美しい曲で、当時のお客さんはケニーにこの曲を必ずリクエストしていたようです。得意なこの曲を十分の間合いを取ってたっぷりと聞かせてくれます。
曲の世界観が聞いている者の心の中に広がっていく感じがします。

さて、ハイライトの『蓮の花』は先に書いたように東洋的な雰囲気の名曲です。アドリブの部分に入っていっても詩情的なケニーの演奏を聞くことができます。そして、テクニカルなプレイも随所に登場して、最後まで飽きさせません。フラナガンのピアノもリリカルな演奏に“華”を添えます。
聴き直してみると、意外やポール・チェンバースのベースが素晴らしい音色と共に生き生きと活躍しています。
そして、アート・テイラーのドラムも、これまた意外やアグレッシブで、この曲の良さをさらに見直すことになりました。

もうひとつのハイライト『マック・ザ・ナイフ』は、これもロリンズが“モリタート”という別名で録音していて、それも有名です。ロリンズのものも良いですが、静かなるケニーのシンプルでソフトなこの録音も捨てがたい良さがあります。

 

2022/08/30

スリランカ初期仏教長老の方が書いた「心は病気」を読みました。

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『心は病気 -役立つ初期仏教法話2-/アルボムッレ・スマナサーラ著(サンガ新書)』を読みました。
これもまたブックオフにて安価購入。
2006年に刊行されたものです。

読んでいくと、まず意外なことを言っているのに気付きます。

仏教では、自信がありすぎてなんにでも手を出す状態は病気だというのです。
一般的な社会では、うつ病だとか、対人関係に自信がないとか、人に会うと心臓がドキドキするとか、そういうものを精神的な病気として見るのに、“自信がありすぎるバカ者”(※文中でもこう表現している)のことは、誰も病気だと思っていない、というわけです。

“活発”だとか“やり手”だとかいってほめているが、誰も病気だとは言わないと。
これが最大の驚いたことでした。

仏教的に考えると、うつ病などと言われる症状も、やり手などと言われる人の言動も、どちらも危険な道で病気に変わりないというのがこの本に書かれていることなんです。

仏教の世界では、「自我」「エゴ」という“高慢”を捨てることを教えているのだという・・(-_-)

私が驚いたいわゆる“やり手”みたいな人って、上り調子の時は打つ手・打つ手が当り、比較的出世街道を歩む人が多いと思いますが、現実としては、自分の傲慢さに気づかず、むしろ周囲を“病の淵”に誘い込むようなことが多々あると感じていましたが、でも、ひとたび路線から外れてしまったり、予定外の窮地に陥ったときには意外と“脆い”人がいます。

自己が崩壊してしまったり、ひどいときには“自殺”・・なんてことも、むしろこういう人に多いのかもしれません。

「自我・エゴ」を捨てるというのは、とても難しいと思いました。

「すべての問題は自我から生まれる」なんて書かれていましたが、自我を捨てるということは、「自分の心は、弱くて脆くて大したことないものだ。どうでもよくてくだらない心だから、誰のものでもべつに同じだ。」という事実を認識すること・・なんだそうですけど、わかったようでわからない (・_・;

最後までそこのところをどう解決するのか読み進みましたが、結局よくわからなかった。読み切れなかったのか・・。

でも、少しばかり“ヒント”はもらった気がしました。

ニュートラルな心を少しでも持てるようにしよう、などと思いつつ読了いたしまた。

 

2022/08/28

「毎日が日曜日/城山三郎」を読みました。

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『毎日が日曜日/城山三郎著(新潮文庫)』を読みました。
ブックオフで見つけた城山三郎さんの長篇小説です。実に652ページ。
昭和51年に新潮社から刊行されたものの文庫化で、この本自体が平成19年のものなのですが、既に五十刷を重ねています。つまり大ベストセラーだったのですね。

日本の総合商社に勤める妻子ある男が主人公ですが、巨大な組織とそのダイナミックな機能、日本的な体質と活動が主人公と家族の日常生活とともに描かれています。

描かれている舞台は商社ですが、商社という特殊な企業活動ではあるものの、男なら誰もが何度も通る仕事の厳しさ、人事の厳しさ、家族との生活・人生の中で何度も遭遇する困難は人皆共通なのだ・・と“ひしひし”と感じる物語でした。

人事異動で与えられた職場がどんなところでも、多くの人は必死で働き、頑張り、それでも次から次へと問題が発生し、全力でぶつかっていく。そんな最中でも家族の間では様々な問題・事件は容赦なく襲ってきます。
それを仕事の細部に渡り、さらに関わってくる登場人物についても実に克明に、まるで現実であるかのように書かれている城山さん。
この人の描く小説世界は限りなく広大で、しかも身近に迫ってくるのです。

私も今まで仕事をしてきた各部署でのあまりにも厳しい環境を思い出して身震いしました。
しかも、そんなときにも家族の問題は“待ったなし”でやって来るのですから、人が、家族が生きて行くっていうことがどんなに大変なことなのかというのをあらためて突きつけられた感じです。

私がこの本を読み始め、テーブルに置いておいたら、妻が見つけ「あっ、この本お父さんが読んでいた本だ」とつぶやきました。

妻の父は、63歳で若くして亡くなりました。仕事での役職も上の方にいって、部下に対して厳しくも過酷なことを言わねばならなかったようで苦悩していたということを聞いたことがありました。

きっと、この本をお義父さんも読みながら、自分の仕事での置かれた環境と、家族とのいろいろな問題を考えていたのでしょう。
私が何十年後にその同じ本を読んだというのも何かの因縁かもしれません。

とにかく圧倒的な、仕事と家族を描いた「人生の本」でした。
とてもいい本に出会えたと、今、深く感じているところです。

 

2022/08/27

横芝光町町民ギャラリー企画展「南隆一・鈴木義雄 二人展」に行って来ました。

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26日・金曜日に表題のギャラリーで行なわれていた企画展に出かけました。
二人展の南隆一先生はこのブログに度々でてくる私の中学時代の美術の先生です。
今回は、大きなスペースに先生の高校時代の同級生で陶芸家の鈴木義雄先生とお二人の展示です。

最初の写真は南先生の作品、いつもながら色鮮やかで、そして愉快で、楽しい作品です。

 

 

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次の写真は、今回の二人展のお二人の写真。プログラムに載っていた写真からです。
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そしてこちらは、鈴木先生の水指。
ご本人とは、このあとお会いして、まるで“仙人”みたいな方でしたが流麗で、さらに動きのある作品でした。
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南先生の絵も相変わらず冴えています。
なんかサイケデリック!
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こちらは、ちょっと意表を突いた花入れ。
形も文様も独特です。
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こちらは、今回の二人展のポスターです。
8月31日まで横芝光町町民ギャラリーにて開催されています。
残りわずかの日数ですが、光町にお近い方はぜひに。
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二人展を見たあとは、先生の高校の後輩にあたる方が二年前に開いた古民家カフェに行って食事しました。
素敵な場所でした。プリンやカレーも美味しかった(*^^*)
横芝光町小川台971にある、カフェ・マガタです。おすすめ。
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そしてそのあと、鈴木先生の工房に南先生とお邪魔しました。
本物の土器の欠片を見せていただきました。
この欠片に触発されて陶芸を始められたとのことでした。すんごい熱いトークに圧倒されました。
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これは工房内です。
作品もたくさん棚にありました。一つ一つ見ていたら時間がいくらあっても足らないのでした。

なんだか一日圧倒されて終わった感じ…σ(^_^;)
でもいい一日でした。

 

2022/08/25

【The Beatles 研究室・復刻版】Beatles For Sale[A-3]Baby's In Black

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2004年から2008年にかけて作成したホームページ「The Beatles 研究室」・・2009年リマスター発売後の一部追記も含めてのブログにての復刻版です。ほぼ当時のまま、そして復刻後追記も付しております。
15年以上前の文なので細部の表現・事実についてはお見逃しください。
今回は、アルバム「ビートルズ・フォー・セール」から「ベイビーズ・イン・ブラック」を取り上げます。
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ジョンとポールの共作で、しかも二人仲良くハモるという、ビートルズファンとして一番うれしい展開です。
イントロは唐突ですが、でもジョンとポールの歌声が聞こえてきて、それもすぐ忘れてしまいます。
特にサビの部分のポールが高い方を歌うところは最高に盛り上がります。

特筆すべき部分は、やはり、リンゴのドラムです。
なんでもないようなリズムを刻んでいますが、右手のシンバルは、はねるようなリズムを安定して叩き、左手のスネアはワンショットずつリムショット気味だったり、はっきりストロークしたり、16分音符をちょっと入れてみたりして、平凡なこの曲をちゃんとした曲にするのに効果大です。
途中で右足だけのバスドラムでリズムを刻む部分も工夫たっぷりです。

1965年から1966年にかけてのコンサートで、この曲は取り上げられています。
もちろん1966年の日本武道館公演でも歌われています。
日本人にとっても思い出の曲です。


〈追記〉2022/08/25

この曲も今となればいろいと聞くことのできる音源がありますので、取りだして聞いてみました。

米キャピトル盤の「ビートルズ'65」ステレオ・バージョン
ジョンのメインボーカルもバックのポールのボーカルもはっきりと聞き取れます。
リンゴの刻むシンバルのリズムもとてもクリアに聞こえます。
曲の楽しい感じがよく伝わってきます。

同じく米キャピトル盤「ビートルズ'65」モノラル・バージョン
ボーカル、楽器、どの音もはっきりと聞こえる。
英盤2009リマスターよりも“押し出し”が強い。特にコーラス部分が気持ちよいくらい前に出てくる感じがする。
リンゴのタムタムのフィル・インも迫力がある。

2009年ステレオ・リマスター版
米盤と異なり、ジョンとポールのボーカルが一体となって聞こえてくる感じ。
リンゴのドラムもやや後方にいる感じに聞こえます。
リンゴのリズムがバスドラムだけになる部分もややぼやけた感じに聞こえます。

2009年モノ・リマスター版
全体がとても自然なバランスで、とても聞きやすい。
ギターの音も突出した感じはなく、楽曲の中に自然に存在しているように聞こえます。
リンゴのスネアの“キレ”がとても良いことも発見!

武道館公演7月1日バージョン
とてもテンポが遅い。テープを遅く回しているのかと思うくらい。
ギターソロが始まると、歓声が沸きあがり、オーバーロードして音が歪んでしまうくらい。
バンド全体が確かめるような感じで演奏している。

武道館公演6月30日バージョン
7月1日よりは少しテンポは速いが、それでも“ゆっくり”な感じ。
観客の声を抑え気味に録った武道館初日なので、観客の声で音が歪んでしまうことはない。
どちらかというと、ポールがうしろからジョンを支えて引っ張るような感じで歌っているのが印象的。

ライブ・アット・ザ・ハリウッドボウル
ジョンはやや笑いながら余裕のボーカル。
テンポはややゆっくりめ。
ジョンとポールはお互いの声が聞こえている感じがして、確かめ合いながら歌っているように聞こえる。
ポールの高音で歌う部分は声を“張って”、力が入っている感じ。
ベースの音もかなりしっかり入っている。

シングルCD「リアル・ラブ」に入っているもの
1965年8月のハリウッドボウル公演のものかと思われるが、音はかなりクリア。
ジョンはうれしそうに歌っている。ポールも誇らしげ。
観客の声も歪まずに入っている。

シェイ・スタジアム1965年バージョン
リズムはレコードと同じくらいのスピード。
音の分離はよくないが、ジョンとポールのボーカルはよく聞き取れる。
演奏はやや“ながれ”気味で、メリハリに欠ける。

 

2022/08/24

【はっPのアナログ探訪_0161: LOVE YOU LIVE / THE ROLLING STONES ( LP )】

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今になれば、R.ストーンズのライブアルバムは数多くありますが、この70年代後半に出た「ラブ・ユー・ライブ」は、キースとロンのギターのサウンドもいいし、ミックの自由自在な歌いっぷりのボーカルも素晴らしいし、チャーリー・ワッツのドラムも“ますます”唯一の道を叩いているし、今はバンドを去ったビル・ワイマンのベースは、やはり独特のフレーズを弾いていてこれも味わい深いものです。
アンディ・ウォーホルによるジャケットもこのレコード盤を入れる大きさだと、さらに素晴らしいと感じられます。
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二枚組のアナログ盤は、当時としてはけっこうボリュームのあるものという印象でしたが、A~D面の各サイドにそれぞれの味わいがあるのもレコード盤ならではのものだと思います。

裏返したり、次ぎの盤に替えたりするたびに、その面独特の特徴があるというのはCDや配信などでは味わえないものです。
盤を取り替えているその時間がインターバルになるのです。

 

 

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庶民のファンファーレから始まり、フランス語でストーンズの紹介があり、ホンキートンク・ウィメンからゆっくり入っていく・・体が思い出し始めました(#^.^#)
アナログ盤で聞くのは何十年ぶりになりますが、このあとの曲はテンポよくたたみかけるように次々と演奏されます。
A面は、軽快なロックンロールが展開されます。アナログの音はCDよりも“やわらかく”て心地よいd(^_^o)
ビル・ワイマンのベースの音もアナログ盤の方が合っていると思いました。

B面は、“じっくり”と聞かせる感じ。「ダイスをころがせ」や「フィンガープリント・ファイル」、「ユー・ゴッタ・ムーヴ」、「無情の世界」をミック・ジャガーらしい観客とのやり取りも含めて楽しめます。
フランス語でのお客さんとのやり取りもカッコイイ!

C面は、かなり趣きが変わって、通称「エル・モカンボ・サイド」と呼ばれていましたが、カナダのクラブのようなところでのライブ演奏が収録されていて、バンド全体がレイド・バックしている感じです。
「クラッキン・アップ」などはその極致で最高っ!
この面での各楽器の音も他の面とは異なり、魅力あるサウンドです。

D面は、コンサート終盤のストーンズが“たたみかけて”くるサイドです。
どんどん思い出してきた(*^^*)

「イッツ・オンリー・ロックンロール」で客を“温めて”「ブラウン・シュガー」で爆発させ、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」でトドメを刺し(*゚▽゚)ノ「悪魔を憐れむ歌」で“興奮のるつぼ”になり、大団円で終了ヽ(=´▽`=)ノ

このアルバムはアナログ盤で聞く価値のあるレコードだと思いました。

 

 

 

 

2022/08/23

「作家と家元/立川談志」を読みました。

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『作家と家元/立川談志著(中公文庫)』という本を読みました。
文庫オリジナル編集のもので、2021年に発行されています。
過去の作家との対談を何編かまとめたもので、古いものだと1960年代のものもありました。

1960年代に吉行淳之介と対談しているものなどは、談志はかなり勢いがあり、“突っ張って”いる様子がよくわかります。

色川武大との対談もありましたが、色川さんは古い時代の芸人に興味があり、互いに知らないことを伝え合ってとても喜んでいる様子がうかがえました。
談志は、そのときに「この人の命は長くはない」と感づいていて、それも文になっていました。
そしてそのとおりになってしまった。

景山民夫についても弟子として登場していますが(※立川流「Bコース」ってやつです)、なんだか落語を難しく考え過ぎじゃないかとも思いましたが、私の考えが浅すぎるのか・・。

最後は石原慎太郎との対談もありますが、石原氏は当時都知事なのに、不用意な発言も多く、「北朝鮮がやらかす前にやっちまえ」みたいな発言は双方が勢いづいて、聞くに堪えない・・。
互いに通じ合っているようで、全然理解していないようなものも感じました。
この二人に対談は、途中でイヤになってしまいました。

一番“話になっていた”のは、年下の伊集院静氏との対談でした。
どちらかと言えば伊集院氏が話題をうまく抑えつつ、話をできるだけ冗談の方向へと飛んでいかないようにしている様子がうかがえました。

カネを得る方法として、

「今のファンドの連中なんかを見てると、とにかくてめえのもんじゃねえものをどっかへ移す。そこから得るものを狙ってるっていうんで、モノは何でもいいという・・死の商人とは言わないけども、やつらはその程度のものだろうと底が見えてしまう」

という話に持っていったのが伊集院氏でした。
このあとどんどん話は、人の、社会の、本質的なものに迫っています。

全体を読んでみての感想は、立川談志は晩年に近づくに連れ、“考え過ぎ”で“意固地”な印象になっていく。

それを見て、周囲の人たちは、“逃げて行った”り、“理解しよう”としたり、“理解不能”で投げ出したり、なんとか“立川談志というものを確立させたい”と願う人がいたり・・だったということがわかりました。

私は・・昭和40年代の頃の談志の落語をテレビやラジオから何本も録音して繰り返し聞いていたので、あの頃の落語に夢中な感じの談志が好きでした。
晩年はちょっと“偏屈”になり過ぎな気がして(※そっちが好きだというファンも多いとは思いますが)、あまり近づいて聞きたい感じにはとうとうならなかったのでした。

 

2022/08/22

1970年代から1980年代製産の国産車やギターが貴重だという話

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20日の新聞を読んでいたら、たまたま同日の新聞に別記事で出ていたんですけど、表題にあるように、70年~80年代の国産旧車が高値を呼んでいるという。
そして同じく、国産のギターも同じような年代のものが特に国外で高い評価を得て、これまた高値を呼んでいるのだそうです。

記事を読んで、それは「あり得る」というか、「当然」かもしれないと思いました。
当時の製品には、職人の魂が入っていたような気がするからです。

まずはクルマの方ですが、その頃は各社(各車)が個性あるルックスと、エンジン他特異な機能などを持ち合わせていました。
エンジンでは、カムシャフトが二本になったり、バルブが4バルブになったり、ターボが付き、それにまたインタークーラーが備えられたり、フルタイム四駆や、四輪操舵、サスペンションがアクティブになったり、“各社(各車)各様”で、クルマ好きにはたまらない時代だったと思います。

何よりもスタイルが独特で格好良かった。今のクルマの“ずんぐりムックリ”とした“過剰マッチョ”みたいな変なデザインは無かった・・、いい時代だった。

中には発売されていた当時の価格の4倍の値段を付けているものもあるそうです。
その、乗りたい気持ち、買いたい気持ちは私にもよくわかります。
あの当時の“ワクワク”するクルマ、思い出しただけでニコニコになります(#^.^#)

そしてあの頃のギターは、国産の・・特にエレキはレスポールやフェンダーのストラトキャスター、テレキャスターなどのコピーモデルがたくさん売られていて、あの当時はそんなに気づかなかったが、外国では、その当時の日本の使用木材の良さ、その精巧な接着技術、金属部品の精緻な造り、そして組み立ての良さなどから、これまた高値を呼んでいるのだそうです。

ああ、私が所有していたヤマハのレスポールや、アリア・プロⅡなど、人に譲らなければよかった・・…σ(^_^;)

当時のグレコやフェルナンデスなどの国産ギター、友達も皆使っていました。本物のフェンダーを持っていたのは、金持ちの“ボンボン”だけでした。

当時、本物の音を聞いたことがほとんどなかったので、国産のギターがどれほどいい音を出していたのか私達はわからなかったわけですが、実際はいい音が出ていたんでしょうね。
つくづくもったいないことをした(^^;)

ということで、クルマは写真や YouTube で楽しみ、ギターも時々ハードオフなどにぶら下がっているヤツを覗いたりして楽しむことで心の平安を得たいと思います。

きょうは、高値を呼ぶ国産旧車と、国産コピーギターのお話でした。

 

2022/08/21

「365日ビートルズ」を読みました。

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『365日ビートルズ/藤本国彦著(扶桑社)』という本を読みました。
この本は、一年365日の「その日にビートルズに、あるいはビートルズ・メンバーに、またはビートルズに関連すること、さらに解散後のビートルズ・メンバーに何が起こっていたのか」ということを、365日分書き綴ったものです。

だから、時系列的にはバラバラで、ある日はメジャー・デビュー前のビートルズに関することが書かれていて、その翌日のところには解散間近のビートルズの出来事が書かれている・・というような具合です。

最初は、“あれれ”という感じになってしまいましたが、途中から慣れました(^_^)
むしろ時代がランダムなので、飽きることなく読めました。

私、ビートルズの楽曲を聞くことに関しては、すでにこのブログのビートルズ研究室のカテゴリーでご存知の方も多いと思いますがとても熱心にしています。
でも、細々としたビートルズ関連の出来事については、あまり関知していませんで、時々マニアの方から「あのとき、ジョンがこんなこと言ったじゃないの」なんて、見て来たように言う人には「へえ、そうだったんですか」と気の抜けるような返事をするばかりでした。

で、今回この本を読んで、「へえ、そうだったんですか」ばっかりでした…σ(^_^;)

1974年12月19日にビートルズ解散の法的合意書のサインがニューヨークのプラザホテルで行なわれ、すでにリンゴは署名済みのため、他の三人が署名するはずだったのに、ジョンが来なかった・・という話も初耳です・・お前はビートルズファンか?!と言われても、「だって知らなかったんだもん」とお答えするしかありませんが(^_^;)

それにしても、1974年だったというのも驚きです。実質上は1970年には解散していたわけですから。

怒ったジョージがジョンに電話して「クソったれなサングラスを外してこっちへ来い!」と怒鳴りつけたと書かれていました。
けっこう、こういうこと知らないと「そんなことも知らないの」とマニアに言われそうです(>_<)

ジョンはわけのわからない言い訳をして、その日に約束していたジョージのコンサート“飛び入り”という約束もなくなってしまったとのこと。

ようするに、このようなことがいっぱい書いてあるわけです、365日分。
まったく今までの私には気にも留めなかったことなのですが、知ってみれば、それはそれで面白いものだと考え直し、全部読みましたよd(^_^o)

今まであまり気にしていなかった「ジェーン・アッシャー」(※ビートルズ最盛期にポールの婚約者だった女性)も度々登場しています。
ジェーン・アッシャーの家の地下室でポールとジョンが膝突合わせて曲を書いている場面なども書かれていました。
今まで知らなかったこと、知ろうとしていなかったことも多数有り、とても興味深く読みました。

これからは、こういう事実も拾ってみた方が、楽曲を聞いたときの味わい、感覚なども変わるかな?とも思いましたので、今後は楽曲の解説・解析本以外にも、いろいろとビートルズ関連の本、読んでみようと思いました。

 

2022/08/20

「行動することが生きることである/宇野千代」を読みました。

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『行動することが生きることである -生き方についての343の智恵-/宇野千代著(集英社文庫)』を読みました。
たまたまブックオフにて手に取ったものです。ちょっと見ただけでなんというか、肯定的な印象の文と、あまり悲観的にならない雰囲気が伝わってきて思わず買ったのです。

タイトルどおり“行動する”ことが、すべてにおいて苦難、困難を抜けきる方法なんだ、というふうに私には読み取れました。

“精神を積極的に保つコツ”なんていうのも書いてあって、宇野さんの嫌いな人は「あたし、駄目なんです。生まれつき、文章なんて書けないんです」という人だと書かれていました。

ほんとうに自分のことを駄目だなんて思ってやしないんじゃないか、ただ人前を作って、そう言っているだけなのかも知れない。・・と、おっしゃっています。
自分のことを駄目だ、駄目だと言っているうちに、ほんとうにそのようなことになってしまいやしませんか、ということなのです。

自分は書ける・・、嘘でもそう言い切ることで、言葉の反射によって、自分は書けると思い込むようになる、ということで、私もそんな気がいたしました。

時代が時代なだけに、手紙のことも書かれているのですが、宇野さんが若かった頃の昔でも「近頃は電話で何でもすませるのが普通である」などと書かれています。
「電話」と、その後にででくる「メール」は手紙を完全に日常から追いやりました。

宇野さんの若い頃は、周りに文士がたくさん住んでいて、毎日のように手紙が来たと書かれています。
梶井基次郎からは毎日のように手紙が来た。その手紙を持って萩原朔太郎や、川端康成の家に梶井さんが遊びに来ますよ、と知らせて廻ったことなどが書かれていて、なんだかうれしい話を聞いたな(*^^*)と思いました。

「電話の無かった頃の方が情緒があったような気もする」とおっしゃっていて、その頃の葉書の便りなどを見ると、その人との友情の深さまで思いやられるから、ほんとうに面白いものだと書かれていました。
・・私も、たいせつな人からの手紙や葉書は大事に保管しているのです。
その頃の雰囲気や、交流の様子が今でもよみがえってくるからなのです。

実に心が真っ直ぐに、そして明るく、希望が見えてくるような文ばかりの本でした。
近頃は、こんなこと書く人なんてあまりいないかもしれない。暗いこと、不安なこと、怯えるようなことばかりという気がします。
なので、読んでよかったd(^_^o)

 

2022/08/19

【南先生の玉手箱_0048_文明と緑】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回掘り起こす文章は、資料として学校で配られたものの一部です。他の綴られた資料から考察すると、たぶん年代は平成17年頃なのではないかと思われます。
「文明と緑」という題が付けられていました。


以下、先生の文章です。

変わることよりも変わらないこと、新しいものよりも古いものの中、また日頃の暮らしの中で普通であたりまえを大切にしたい。

[文明と緑]

昨年の新潟地震で田舎から町中に一時避難をした学生が言っていた言葉が気になった「お世話になっているけれども町のたたずまいや人間関係の中で何か落ち着けない面を感じる」とのこと。

都会ではあたりまえになっていることでも、本当のところ心の奥深いところでお互いに私たちは大きなストレスや不安をかかえているように思うことがある。

これは医学的にもよく言われることだが、体の病気のほとんどが自然の暮らしにもどるだけで治っていくとのこと、何かわかるような気がする。

庭つくり空間の環境つくりも自然もどきではダメなんですね。
暮らしの中で語感を鍛える努力をしたいものです。


[職場の同僚から学ぶ]

1.中学校で授業中に生徒が友だちにヤーイ何とかと本人の体の気になる部分をひやかした時、そこの授業者が言った生徒を許せないことと横っ面をはり倒した。
そんな瞬間、自分は廊下を通りながら叱る大切さを学んだ。

2.うちの生徒は清掃もやらない、話を聞けないなど愚痴もどきを話した時、返ってきた言葉「そりゃあ、あんたが悪いんだよ。考え直すことだね」と。

3.出張の先生のあと、自習・監督に入っていた時のこと、途中で先生が帰ってきた。
おりしも生徒の拍手と喜びの声をを聞いて感動したと言うよりも自分は足もとにもおよばないことを知らされた。

以上の3つの出来ごとは長い教師生活の中で忘れられない体験となって時々思い出すことがある。
なかなかできないが、がんばる時の支えになっている。


以上が先生の文でした。

あらためてこの資料を読みながら活字化していくと、当時の先生としての現場の雰囲気を感じます。
その日、その時々の教師としての体験がどんどん記憶に残り、身についていたのだろうな、と思いました。
学校という場所は、先生同士と、生徒との関係もあるし、日々深い体験をされていたのだと思いました。

 

2022/08/18

【復刻版】Modern Jazz喫茶『 頑 固 堂 』⇒《Workout / 1961》 Hank Mobley

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十数年前に作っていたホームページ“Modern Jazz喫茶『 頑 固 堂 』”のブログ版復刻です。
取り上げているのは、ハンク・モブレーのアルバム、「ワーク・アウト 」です。
再度聞き直して、追記も行いました。


Hank Mobley/ts
Grant Green/g
Wynton Kelly/p
Paul Chambers/b
Philly Joe Jones/ds

①Workout
②Uh Huh
③Smikin'
④The Best Things In Life Are Free
⑤Greasin' Easy

私の“大好物”とも言える「ハンク・モブレー」のアルバムです。代表作には、あの「リカルド・ボサノバ」の入っている『ディッピン』というアルバムもありますが、このアルバムも私のお気に入りです。

よく、“B級テナー”とか“B級アルバム”の特集などに登場するモブレーですが、いやいやどうして、ほんとはお前らも好きなんだろう?と言ってやりたい気になります。
なぜかモブレーが好きというには、はばかられる風潮というか、わかりやすくて、かっこよくて、男らしくて、いけてるジャズに対しては、はすっぱに構えてしまうのが、ええかっこしいのジャズ・ファンなのかもしれません。
レモン・スカッシュよりもクリーム・ソーダ好き、または、天丼よりもカツ丼好きな感じが出てしまうのが気恥ずかしいような感じによく似ています(なんかよくわからない比喩かもしれないけど)。

でも、このアルバムはメンバーも錚々たるもので、ウイントン・ケリーやフィリー・ジョーも参加していて、文句のつけようのない演奏が続きます。

2曲目の「UH HUH」なんかぞくぞくしますよ。モブレーのテナーとグラント・グリーンのギターがみごとなユニゾンで入り込んでくると背中がぞくぞくして、きたきたキタ━━━━━━(≧∀≦)ノ━━━━━━ !!!!! って感じです。そして“掛け合い”!!
いやぁ、生きててよかったって思います。

4曲目の「The Best Things In Life Are Free」も肩の力が抜けてて、ジャズ本来の、マインドを自由にして、音楽そのものを楽しむような、そんな曲です。人生のひとときを、この曲を聞きながら過ごしている幸せを感じます。

ラストの「Greasin' Easy」はモブレーのオリジナル曲で、男のキザなところを存分に表現して、サックスを粋に吹いています。
ジャズを心から楽しめるアルバムだと思います。かっこつけずにね。


〈追記〉2022/08/18

過去のホームページでは、一曲目のタイトル曲「ワーク・アウト」を取り上げていませんでしたが、あらためて聞いてみると、モブレーが様々なフレーズや吹き方を駆使して曲を作り上げていく様子がなかなか良いものです。

グラント・グリーンの派手ではないが、きめの細かいギターも玄人っぽくてカッコイイ。

なぜか、ウィントン・ケリーのピアノまであまり派手さを感じないソロになっています(^_^)「ワーク・アウト」という曲のタイトルに引っ張られているのか・・。

フィリー・ジョーのドラム・ソロも“華麗”な感じではなく、けっこう“真面目”なものとなっています。
全員、この曲調に沿った感じの演奏なのだろうと思いました。

続いて、三曲目の「スモーキン」も過去のホームページで取り上げていなかったので、あらためて聞き直してみました。

こちらは、一曲目よりもモブレーのプレイは“アグレッシブ”な印象です。
音色も色々なものが登場しますが、ワイルドな感じのものが多い。

グラント・グリーンのギターも、一曲目より自由な感じで、次々とフレーズが湧き出て来るようなリラックスした雰囲気を感じます。

全体に思い切りの良い演奏が目立つ曲という感想です。

モブレーのアルバムは、他にも何枚も所有しているので、またこのブログでの複刻版で取り上げることができれば、と思っています。

 

2022/08/17

『対談集「気骨」について/城山三郎」を読みました。

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『対談集「気骨」について/城山三郎著(新潮文庫)』を読みました。
この本は、平成15年に新潮社から刊行されたものの文庫化です。例によってブックオフにて購入。

城山さんの著書、あるいはこのような対談についても、読み始めるといつも“居住まいを正す”ような感覚になります。
物事について、生き方について、いつも正面から真摯に取り組んで文章を書かれています。

澤地久枝さんとの対談でも、「日本は腐敗と劣化がすすみ、ひどい国になりつつある」と澤地さんが個人情報保護法について話を向けると、「本来は民間人中心の検討部会で、データを漏らす役人を処罰するという法案を作りかけていたのに、スキャンダルをつかまれたくない政治家たちが強行に働きかけ、個人情報保護法を違う方向に膨らませてしまった。」

「役人を罰する法律だったはずが、役人や政治家の腐敗を書いたら罰する。じつに懲役刑まで持ち出してきた。」と怒りを露わにしています。
ジャーナリストはなぜ徹底的に法案を“叩いて”国民に訴えなかったのか、と私も思います。

同じ澤地さんとの対談の中で、「戦争をしていいことは何もない。だから何としても戦争は食いとめなくちゃいけないが、それには、やはり言論・表現の自由です。戦争は嫌だと言う自由がなければ権力者はやりたい放題。言論を押さえ込んでおけば、次の戦争だってやれるんです。」

と、おっしゃっています。・・今の日本にその自由はあるのか、と思います。

何をおいても戦争をしないことが、亡くなった人たち、遺族への責任だとおっしゃっていて、そのとおりだと思いました。

伊集院静さんとの対談では、ナポレオンの話が出て来て、

「あれだけ戦争を繰り返す日々を送っていると、人間としての成長というのは望めないかもしれない。ナポレオンをナポレオンたらしめるのは戦争での勝利しかなかった。たぶんナポレオンは、己の存在は何たるかを考える時間はなかっただろうし、自分を見つめる思考の回路というか、思索法は最後まで身につかなかったんじゃないでしょうか。」

という話になっていきます。

今のどこかの国の「プ」のつく人に聞かせてあげたい・・。

この本では、8人の方と対談された内容が記されていますが、どれも読み甲斐のあるものばかりでした。
城山さんの本、まだ何冊か手持ちがあるので、また読んだら感想をこのブログに書こうと思います。

 

2022/08/16

【The Beatles 研究室・復刻版】Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band[B-4]Good Morning Good Morning

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2004年から2008年にかけて作成したホームページ「The Beatles 研究室」・・2009年リマスター発売後の一部追記も含めてのブログにての復刻版です。ほぼ当時のまま、そして復刻後追記も付しております。
15年以上前の文なので細部の表現・事実についてはお見逃しください。
今回は、アルバム「サージェントペパーズ・ロンリーハーツ・クラブ・バンド」から、「グッドモーニング・グッドモーニング」を取り上げます。
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ジョンがケロッグのCMを家でゴロゴロしているときに見かけて、それをモチーフに仕立て上げた曲です。
まずはニワトリが鳴いて曲が始まり、4/4、5/4拍子というジョンお得意の変拍子がこの曲の特徴です。
リンゴはいとも簡単にこの変拍子をこなし、スネアのロールや、クラッシュシンバルを巧みに使ってこの曲の柱となります。

ジョンはブラスセクションも所望し、この曲の勢いの良さをさらにブラッシュアップさせます。ブラスセクションは、コンプレッサーで音を潰し、ものすごい圧力を感じさせるものに変貌させます。

さらに、ポールはギンギンにディストーションのかかったリードギターを披露し、ジョージの出る幕はありません。
リボルバーのタックスマン以来のトレブリーな“これでもか”状態のかっこよいギターです。

そして、ラストはニワトリや象や馬、ネコ、牛、狐を追う狩人などが固まりのようになって右スピーカーから左スピーカーにもんどりうつように転がっていきます。(※注:ステレオ・バージョンの場合)

痛快というか、愉快というか、たかがケロッグのCMを見ただけでここまで曲を作ってしまうジョンの「天才」にはおそれ入るばかりです。
誰がそれだけの材料でこんなロックンロールを作りましょうか?
この曲を批判する人もいますが、この曲はビートルズの、ひいてはジョンの天才ぶりを証明したものだと思います。

アルバムはさらに続き、最後のニワトリの鳴き声のあと、ラストのサージェントペパーズ・リプライズ(※「リプライズ」という日本語発音が「リプリーズ」の誤りだという指摘を後年になって聞きますが、当時は「リプライズ」がいろいろな書籍などでも使われていた一般的な言い方でした。私もそれに慣れているので今回使いました。私の持っている旺文社の COMPREHENSIVE という辞書では、「リプライズ」と発音記号が記されており、さらに米国の発音として「リプリーズ」、反復の音楽用語として「ルプリーズ」が例示されています)へと進みます。


〈追記〉2022/08/16

この曲についても、2009年リマスター後にスーパー・デラックス・エディションなども出て音源がいろいろありますので、聞いてみました。

アンソロジー2に入っているバージョン

ポールのベースが中心にブン・ブン・ブイ・ブイとすごい。
リンゴのドラムは、ほとんど完成版と同じ。
ギターはリズムギターがガイド的に入っている程度。
ジョンのボーカルも完成版とほとんど同じ感じです。


2009年リマスター・ステレオ版

ブラス・セクションが右スピーカーに分かれていて、とても鮮明な音。
ジョンのボーカルは、あまりエフェクトが掛かっていない感じ。
左スピーカーのリード・ギターの“鳴き”が強烈に入っている。
リンゴのドラムもクリアに録られている。
あらためて聞いて、“とても聞きやすい”と感じた。決定版!という感じ。


スーパーデラックス・エディションDisc4

モノラルで、ちょっとボーカルもベースも奥に引っ込んだ感じ。
全体に大人しく、各楽器の音の分離もあまりはっきりしていない。
ブラス・セクションの音は、それほど“ひしゃげた”音に加工されていない。


2009年リマスター・モノラル版

各楽器の音のまとまりがよく、分離してよく聞き取れる。
リード・ギターの音も極端に割れるようなところまで強調されてはいないが、ほど良い程度と感じる。
ジョンのボーカルも自然な感じで、エフェクトに過剰な感じはない。


スーパー・デラックス・エディション・ニュー・ステレオミックス

ものすごいベースの圧力。
ドラムもタム、シンバルをはじめ、全てが“ドカーン”と響くようなエフェクトが掛かっている。
バスドラムも、スネアも、やや異常なくらいに過剰なエフェクトが掛かっている。
ブラス・セクションも思いっきりコンプレッサーが掛り、つぶれまくり。
リード・ギターもこれでもかというくらいの迫力に。
ジョンのボーカルは、はっきりと歌詞が聞き取れるが、音はコンプレッサーのようなもので中域に圧縮されている。


スーパー・デラックス・エディションDisc2

ガイド的なリズム・ギターとリンゴのスネア中心のガイドリズムが収録されている。


スーパー・デラックス・エディションDisc2に入っている上記からの続きバージョン

上記のバージョンからのやり直し的にジョンのガイドボーカルが入って再度曲が始まる。
この時点でリンゴのドラムは変拍子対応をスネアやハイハットをうまく使ってやっているのがわかる。

 

2022/08/15

東海林さだおさんと椎名誠さんの「ビールうぐうぐ対談」を読んだ。

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『ビールうぐうぐ対談/東海林さだお・椎名誠(文春文庫)』を読みました。

東海林さだおさんと、椎名誠さんの対談本ということですが、単行本としては1999年に刊行されたもので、その文庫化です。またもやブックオフ。

まあ早い話が、“どうでもいいこと”を“ああでもない”、“こうでもない”とお二人が話しているのを傍から見て面白がるという(^^;)本です。

対談する場所もいろいろで、銀座高級料亭では「なぜ高級料亭には生ビールがないのか」とか、「瓶ビール」が上位にいて、「缶ビールでは、いかんのか?!」などと(^_^;)くだらないことを論じ合っています。

屋形船に乗って、その意義を確認したり、芸者遊びをしたことのない二人が芸者さん二人に“遊び”の作法を教わったりもしています。ふたりとも途中から積極的に作法を覚えようとし、さらに気に入られるためにはどうしたらいいか、などと争って聞きだそうとしたり(^^;)もしています。

ラストの方では、かつての椎名さんが会社勤めしていた頃の上司で、爬虫類研究家の先生(私もテレビで見たことがある)に、男女の関係やそれにまつわる“強精”についてなど熱心に聞く二人( ̄O ̄;)

ずいぶんと勝手な精神分析論を掲げる大学の先生からも若い女性との出会いなどについて聞き出している (・_・;・・なにをたくらんでいるのか。
そして、先生も今じゃあ問題になるようなことを生徒と楽しんでいて、これ・・今じゃ発行できないだろうなぁと思いました。

最後には、椎名さんの本で挿絵イラストを主に担当している椎名さんの高校の同級生でもある「さわの・ひとし」さんが登場し、「妻以外の女性とつきあうことは、当然必要である」という論理(^_^;)から、「飲まない女性を最初からターゲットとしていない椎名さんは、80%の可能性を最初から捨てていることになるっ!」と、椎名さんを戒め( ̄O ̄;)、飲まない女性を“くどく”極意を伝授するのでありました。

それを身を乗り出すようにして拝聴するお二人(*^^*)

ま、そんな本でした。
でも、とても愉快な本、ということで、本日はお終いd(^_^o)

 

2022/08/13

「医者の個人生活366日/米山公啓」を読みました。

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『医者の個人生活366日/米山公啓著(集英社文庫)』という本をブックオフで見つけて読んでみました。

著者の米山公啓さんは、医学博士で、専門は神経内科。
「大学病院・医者ものがたり」「医者語・ナース語」「午後の電話はぼけはじめ」「医者の半熟卵」などの著作があるお医者さんです。

今回読んだ本は、書き下ろしの文庫本で、1995年に第一刷が刊行されています。
27年も前のものですから、けっこう現在のコンプライアンス上では、やや問題ありな発言も多いのですが、でも逆にお医者さんの事情もよくわかるし、なんとなくオブラートに包んだような発言が多くて何が言いたいのかわからない本が多い昨今、もやのようなものを感じず、気持ち良く読めました。

大学病院に勤務されていたときの生活を書かれたものでしたが、研修生に教えたり、看護学校で教鞭を執ったり、論文を書いたり、この本のような著作物も書いて、さらに各地で開かれる学会への出席、講演も行なわれているし、訪問介護に出かけたり、アルバイトでいろいろな病院に出かけて行っての診察も、さらに実家の医院の手伝いもしていて、目まぐるしい仕事ぶりです。

ご自身では、あまり生き生きとした生活じゃないような書きぶりですが、読んでいるこちらには生き生きとしているように感じました。

私のように若い頃からお医者さん、病院のお世話になってきた者が、このような本を読むと、「そうか、先生は患者をこんなふうに見ているのか」と新鮮に感じました。

また、先生の側からいうと、病院にいるときの患者と医師という関係をはずれて、患者さんが家で暮らしている場に行ってみると(往診もされている)、診察室では気づかなかったその人の生活実態がわかり、ただ単に薬を投与したりしているだけでなく、その生活に合わせた対応が必要なんだと気づくこともあるようです。

タイトルどおりの、366日の“日記”として書かれているこの本は、お医者さんの実態や、気持ちが垣間見えて、興味深く読めました。

現在の“かかりつけ”のお医者さんに今度会う時の気持ちの持ちようも少し変わりそうな気がしました。いい意味でd(^_^o)

 

2022/08/12

【はっPのアナログ探訪_0160: HEAVEN TONIGHT / CHEAP TRICK ( LP )】

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ほんとうにものすごく久しぶりにチープトリックを聞きました。
当時は人気ありましたねぇ、特に日本ではウケていた記憶があります。武道館公演もあったんじゃないでしょうか。

ロビン・ザンダーとトム・ピーターソンという“イケメン”二人と、リック・ニールセン、バン・E・カルロスという“特異”なキャラクター二人の四人は、まるで少女漫画の登場人物のようでした。

なので、日本でも女子中高生に“バカウケ”だったと思います。
演奏もしっかりしているし、歌もウマいし、曲もポップでハードな印象が好感を持てるし、日本の女子、いいセンスしていると思いました。

クイーンもイギリスよりもむしろ、当初は日本の方が熱烈なファンが多かったんじゃないかと思います。
チープトリックもクイーンも日本の方がその良さに気づくのが早かったように今になって思い起こしているところです。

 

 

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懐かしいアナログ・レコード盤で聞いてみると、ギターもドラムもサウンドが素晴らしい。
そして確実なテクニックを持っているバンドだと思います。

日本公演の様子もテレビ中継された記憶がありますが、ドラムのバン・E・カルロスがドラム・ソロに入ると、“野球のバット”くらいの大きさのスティックを持ってドカドカ叩いてお客さんの“度肝を抜く”プレイをしていたことも思い出しました。

 

 

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アルバムを通して聞いているところですが、よく出来た曲が多いです。
しかも、ライブでやってもいい感じになるような曲作りがなされていると感じました。
ギター・リフもカッコイイのが多い。

あの頃の(雑誌「ロッキング・オン」が売れ出した頃)空気を思い出しました。
次から次へといろいろなバンドがデビューし、目まぐるしくて、追いかけて行くのも大変でした。
「パリス」とか、「トーキング・ヘッズ」などもロッキング・オンで知り、レコード盤を手に入れましたっけ。

気分よく一枚聞いちゃいました(^_^)

 

2022/08/11

「落語家論/柳家小三治」を読みました。

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『落語家論/柳家小三治著(ちくま文庫)』を読みました。

もともとは、「民族芸能を守る会」という小さな会のごく一部の人しか読まないような会報の巻頭に、先代の林家正蔵が毎月文章を寄せていたのを小三治さんが引き継いだものだそうです。

日付が入っているのですが、昭和56年頃から小三治さんは書き始められています。
単行本としては、2001年に芸能研究室というところから刊行され、この「ちくま文庫」による文庫化は、2007年となっています。

小三治さんが四十代になった頃の文章ですが、落語に対しては実に真面目に取り組んでいることがわかりました。
むしろ、噺家なのに“真面目過ぎる”と感じるくらいでした。
それほど落語というものが“いいもの”であり、生涯掛けてやるものであるという自信が感じられました。

だから、当時の若手への苦言はとても厳しいし、しつけや、師匠に仕えること、厳しい修行についても「自分も苦しかったし、出来ればやりたくないなんて思ったが、今にすれば全てが自分の落語に繋がっているのだ」ということを自信を持って力強く書かれています。

自分が小さん師匠に弟子入りした頃は、四十代、五十代っていうと、すっかり“おじさん”“おじいさん”に見えたけど、自分がその歳になってみると、二十代の頃とまったく気持ちは変わっていない・・と、自分で驚いている場面もありました。

そういった気持ちの中でも、「若いときから、ものの感じ方、味わい方の感性が少しずつ磨かれ、貯えられてきて、パーッと一斉に花ひらいてくるとたとえたらいいか」と、書かれていますが、そんな感覚が出てくるのでしょうね。

男とは? 女とは? 人間とは? 生きるということは? 世の中とは? 落語とは? と、自分に問いかけてみても、何ひとつとしてまだわかっちゃいない。
そういうことの枝葉はわかってきたが、幹は依然としてあの頃のままとしか思えない・・とも書かれていて、人間いくつになっても“わからないこと”ばかりですが、でもそれを知りたくて、知ろうとして生きていくんだな、などと思いました。

小三治さんは、趣味も広く、豊かな人間性を感じさせるいい噺家で、派手に大向こうにウケるようなこともせず、私も好きな人でした。

私は、落語を聞くのも趣味ですが、現在は自分の体調もあって、なかなか寄席には行きずらい状況なので、小三治さんほかの音源をしばらくはUSEN放送などで聞いてみようと思っています。

 

2022/08/10

「ヘンな間取り300」を読んだ・・見た。

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『-思わずツッコミたくなる- ヘンな間取り300/ヘンな間取り研究会(イースト・プレス)』という本を読みました。間取り図ばかりの構成なので、“見た”とも言えるかもしれません。

これについては、何年も前にブックオフで買って、時々パラパラとページをめくってみる、というような状態できて、やっと読み終えたという感じです。

あまりに多い“ヘン”な「間取り図」のオンパレードに、疲れてしまい、長いことかかってしまいました。

異常に狭いうえに、長ぁ~い廊下のついたマンションや、三角形などの“異形”な部屋の“かど”がデッドスペースになっていて、なんだこりゃもったいない、みたいな部屋、トイレや洗濯機スペースだけ別室にあり、部屋を一度出なければならない物件。

タイトルどおり“ヘン”なものばかりなのです。

見ていると、だんだん「なんでこんなもの作ったんだ」とか「これを売るって、どういう神経してんだ」とムカムカしてきて、半分以上読み進んだときに、“うんざり”してしまいました。

世には“マドリスト”と言って、間取り図を見ているのが楽しくて仕方ないって人が多々いるようで、そういう人達にとって、この本は恰好のネタ帳となるのでしょう。

私は“慣れない”ものでパッと見て具体的な部屋の様子が想像できなくて、想像が映像として完了するまでに時間がかかり、それがネックとなって、なかなか読めなかったのでした。

それなりに面白がって読むことが出来ましたが、もう「ごちそうさま」ということになりました。
立体的な復元図と人が住んでいる様子のイラストなども添えてあると読みやすかっただろうなぁ・・それが最終的な感想です。

 

2022/08/09

「父の縁側、私の書斎/檀ふみ」を読みました。

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『父の縁側、私の書斎/檀ふみ著(新潮文庫)』を読みました。
私同様、本好きの妻とブックオフでいろいと物色しているときに、私が阿川佐和子さんの本をよく読んでいるので、妻から「檀ふみさんの本はどうだ?」と手渡されたので買ってみたものです。これまた格安にて。

2004年に刊行されたものの文庫化ですから、檀さん五十代に入った頃の本です。

この本は、檀ふみさんが父の檀一雄さんの思い出と共に、一家が暮らしてきた家の間取り図も再現して家族の様子なども振り返っているもので、幼少期にまで遡る思い出はなんだか昭和の懐かしい家族の風景が彷彿として、読んでいてこちらもしみじみとしてしまいました。

仲良しの阿川佐和子さんの父親もかなり強烈な人でしたが、この檀一雄さんもそれを何倍も上回る強烈さでした。

お金もないのに土地を買ったり、家を買ったり、増築につぐ増築を重ねたり、その金の工面を奥さんが(ようするに檀ふみさんのお母さんです)が、丹羽文雄氏の家にお願いに行ったりする様子も書かれていました。

ポルトガルに何年も家族をおいて行ってしまったり、日本にいても女のところに行ってしまって家にも帰らなかったりですが、・・でも檀ふみさんはそんなに悪口を書いていないんですよね。
割といい思い出を持っていて、それを大切にしています。
阿川さんといい、檀さんといい、作家の娘の気持ちはよくわからないのですが、でも基本的に父親が好きだったんでしょうね。

家の間取り図を示しながら思い出を綴っていると、すでに書きましたが、その表現が実に巧みで、家の中の光景と、家族の様子がよく伝わってきました。
そういうのって、書いている本人ばかりが思い出に浸っているような文章が多いのですが、檀さんのこの本での文章はそうではありません。

人間って、さまざまな思い出、記憶は、風景やそのときにいた部屋、家などの映像記憶と共によみがえって来ます。まさにこの本はそんな感じでした。

普通から考えたら、檀一雄さんはとんでもない父親なのだと思われますが、でも檀ふみさんにとってはかけがえのない“父親像”として記憶されているのだと思いました。

自分の家のことではないのに、懐かしい気持ちにさせてくれた本でした。

 

2022/08/08

【南先生の玉手箱_0047_子どもは天才】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回掘り起こす文は、「らくがき 大総 №1 18 4/5」と書かれていますので、たぶん先生が大総小学校の校長として赴任し、4月に父兄・教師あて、自己紹介を兼ねてコミュニケートしようとしているプリントの第一号だと思います。平成18年4月5日号なのでしょう。


以下、先生の文章です。

《子どもは天才》みんな仲よく 楽しい学校

誰もが子ども時代を経験しているのだが、大人になるにつれて自分の子ども時代を忘れてしまったかのような言動をとる。

子どもは自分らしさの中で精いっぱい素直な気持ちで表現をする。
不安や心配があっても目の前の事や物にまっすぐ心をひらく。
みんなちがった光り、輝きを見せている。

こうでなければと言う形式や計算なしに興味、関心を軸に嬉々として今を生きている。
どの子もみんな輝いているこの子ども時代。

大人だって同じ人間、本当はいつも嬉々として暮らしたい願いを持っている。
みんなちがってみんないい、その輝き、色や形は小さい子どもほどよく見える。

地域に生きる学校、どの地域にも同じように子どもたちが輝いている。

[こんな学校でありたい]
子どもたちが毎日わくわく登校し、先生や友だちといきいき学び、帰る時はにこにこして下校していく。

家庭や学校で、親、教師、地域の大人たちも同じ気持ちで暮らしたい。


以上が先生の文でした。

「今年度もこちらから一方的に発信します。コミュニケーションのつもりです。よろしく。」と、添え書きされている文がありました。

新しく赴任した学校で、これからの先生の“意気込み”が感じられる文章でした。
意気込みを持つことまでは誰もが異動時に感じることだと思いますが、こうして文章にして、定期的に自分の気持ちを発信していこうとする先生の行動力に、今も驚きます。

そして、先生は今も元気で、現在は8月末まで「横芝光町町民ギャラリー企画展」ということで、『南隆一・鈴木義雄二人展』を開催されています。
すごいなぁ・・。

 

2022/08/06

「オーディオの作法/麻倉怜士」を読みました。

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『オーディオの作法/麻倉怜士著(ソフトバンク新書)』という本を読みました。
いつもどおり、ブックオフにて100円で購入d(^_^o)

2008年11月刊行の本なので、けっこう古いものですが、それが逆に「ハイレゾ」だとか「ネットワーク・オーディオ」なんて言葉も登場せず、安心して読めました…σ(^_^;)

なんかさぁ、パソコンの画面見ながらオーディオ再生装置で音楽を聞くっての・・いやなんだよね。
たぶん、今どきの人はそもそもスマートフォンからイヤフォン経由で音楽を聞くのが日常で、スピーカーから音を出して聞こうとする人でも、ほとんどの人がパソコンやタブレットの画面を見ながら・・操作しながら聞いているのだと思います。

それがちょっとばかりイヤなんですよ。時代遅れと言われてもいいんです。

というわけで、ギリギリそんなオーディオ再生の話が出て来ない時代のこの本、あらためてオーディオの“作法”を確認いたしました。

スピーカーやアンプ、CDプレイヤーの選び方。

それぞれの機器の下に“敷く”インシュレーターの話。
電源の取り方、スピーカーケーブルや、その他接続ケーブルの選び方、接続時の注意事項。
そうそう、基本的なオーディオ再生装置の設置位置も。

さらに、CDの盤の取扱い方、CDにもいろいろと音の良い新しい方式のものが出て来た・・などという話も書かれていて、30年くらい前で停止していた私のオーディオ知識も認識新たになりました(^_^)

でも、結局、著者麻倉さんの言いたいことは、「音楽」をより生き生きとした音で輝かせ、いかに自分の好きな音楽と向き合うか、ということで、とてもうれしい気分で読めました。

テクニカルなことばかり書いたり、自らのマニアックな手法などを得意げに書いてある本などもある中、この本はとても基本的なことがよくわかる良書でした。

私の現在の再生装置は、かなり初心者向けのものにグレードダウンしているのですが、その中でも工夫して良い音を出し、楽しんでいこうと、あらためて思いました(*^^*)

 

2022/08/05

石田衣良さんの「坂の下の湖」を読みました。

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『坂の下の湖/石田衣良著(日本経済新聞出版社)』という本を読みました。
これもまたブックオフにて200円で購入(*^^*)

この本は、リクルートの「R25」に2008年から2010年にかけて連載されたものに加筆・修正を行なったものだそうです。

時代としては、サブプライムローン問題が発生し、リーマン・ショックへ、そしてそれが世界にも日本にも影響を及ぼし、経済的には大きな危機となった頃です。

さらに、自民党政権が総選挙において大敗し、当時の民主党政権が誕生した時。
そしてその民主党政権がなんとも心もとない政権で国民の期待を大きく裏切りヨタヨタな状態。
そこに輪を掛けて東日本大震災が発生し、なんというのか、夢も希望もないような時代だったのかもしれません。

で、石田衣良さんの文です。

時代は就職難でもあり、先行き不安な若者は新入社員でもこつこつと貯蓄をする。
そして、男子は“草食男子”と呼ばれるタイプが増殖していく。

自分を守ろうとすると、皆が同じようなことを考え、世の中画一的な方向に向かいます。
石田さんが書かれていますが、本の世界も「ひとり勝ちの世界」になってしまったと。
ナンバーワン以外はぜんぜんダメ。第一位の本はよく売れるが、それ以外のノミネート作品はまったく動かない・・。

映画や音楽でも同様のことが起きて、エンターテインメントの未来は暗い・・。
創作の世界の豊かさがなくなってしまうというのです。

個々がひとり・ひとりその場で耐え、自分の力をすこしずつ磨き、いつかやってくる変化の時を待ってと石田さんは呼びかけていました。

このとき石田さんが政治に対して発言していることは、今現在の世の中でもまだ言えることだと思いました。

政治家は、ぜんぜん仕事をしていないと思う。
それは法案をつくったり、国会で審議したり、決議したりという代議士のルーティンの仕事についてではない。
それよりももっと大切な、政治家としての根源にかかわる部分で仕事をしていないのだ。

日本という国の明日の希望をつくりだす仕事をしていない。
それこそ今も昔も、政治のもっとも大切な仕事であるはずだ。
日本という国がなにを目指すのかという明確なメッセージはまるで伝わってこない。

・・そういう政治家っているのか・・。

全体にこの本の文体は“軽い”のですが、でも、「芯」の部分はしっかり力強いと感じる本でした。

 

2022/08/04

【復刻版】Modern Jazz喫茶『 頑 固 堂 』⇒《Volume One / 1955》 Hampton Hawes Trio

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十数年前に作っていたホームページ“Modern Jazz喫茶『 頑 固 堂 』”のブログ版復刻です。
取り上げているのは、ハンプトン・ホウズのアルバム、「ハンプトン・ホウズ・トリオ・Volume One 」です。
再度聞き直して、追記も行いました。


Hampton Hawes/p
Red Mitchell/b
Chuck Thompson/ds

①I God Rhythm
②What Is This Thing Called Love
③Blues The Most
④So In Love
⑤Feelin' Fine
⑥Hamp's Blues
⑦Easy Living
⑧All The Things You Are
⑨These Foolish Things(Remind Me Of You)
⑩Carioca

ハンプトン・ホウズは進駐軍除隊後に日本に留まり、演奏活動をしていたのだそうです。
なぜか懐かしいような音の演奏に聞こえてしまうのはそのせいなのでしょうか。とても、日本人の心にうったえかけるようなものを感じるのです。
しかも、それなのにあまり湿り気を感じさせない淡々とした演奏の妙味にひかれます。

私だけかもしれませんが、この人のピアノを聞くと日本の山下洋輔氏を思い出します。
ひょっとして、氏はハンプトン・ホウズの影響を受けていたのではないかと内心思っています。
軽い感じで懐に入ってきたなと思うと、もうがっしりこちらの心まで掴んでいるような感じまで良く似ているように思います。

アップテンポの演奏などが特に良く似ていますが、バラードでも、ゆっくり入ってきて、ほらほらこっちにおいで・・というような誘いにかけるタイミングも似ています。
そして、あっさりとしたエンディングなども似ているように感じるのです。

最初は、何とはなしに聞いていても、だんだんと味わいが増してくる、そんな演奏です。
疲れているときなどにはおすすめかも・・。


〈追記〉2022/08/04

あらためて、久しぶりにこのハンプトン・ホウズのアルバムを聞き直しているところです。
偶然に、今朝の新聞に「時代の証言者」という連載があり、ピアニストの山下洋輔さんが1969年にトリオを組んで(中村誠一さん、森山威男さんと共に)フリー・ジャズをやり始めた頃のことが書かれていました。
そこには、山下さんはそれまでハンプトン・ホウズに憧れ、その影響から逃れられなかった、とあり、フリーに飛び込むことによって、そこから脱出したとの記述がありました。。

上記ホームページ複刻文章で、十数年前に私がハンプトン・ホウズのピアノを聞くと山下洋輔さんを思い出すということを書いていましたが、あながち勘違いではなかったと知り、驚きました。
私の“耳”も「捨てたもんじゃない」と…σ(^_^;)少し自信を持ちました。

そして今ホウズのこのアルバムを聞いてみると、意外と“力強い”印象を持ちました。
それにレッド・ミッチェルのベースが非常に“イキイキ”としています。
また、叙情的な曲はワンフレーズごとに余韻あるホウズのピアノが深い味わいを感じさせてくれます。
チャック・トンプソンのドラムも小気味よく、ホウズのピアノ・トリオには“持ってこい”のように感じました。

聞き返してみて、全体に昔聞いたときよりもずっと好印象でした。
今まで様々なジャズを聞いてきて、少しばかりジャズを聞く耳が育ってきたのかも・・と、うぬぼれてしまいました(^^;)

でも、まだまだ聞いていきたいジャズはたくさん、ミュージシャンもたくさんいます。
また、このホームページ複刻版で、いろいろなアルバムとミュージシャンをご紹介したいと思います。

 

2022/08/03

中島義道氏の「偏食的生き方のすすめ」という本を読んだ。

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『偏食的生き方のすすめ/中島義道著(新潮文庫)』という本を読みました。
またしても、ブックオフにて100円で購入。

このブログで最近椎名誠さんの著書の感想を書いたときに、椎名さんが中島さんに対し「この人は非常に変わった人で、ぜったいにお目にかかりたくないが、ファンである」と書かれたことを紹介したその中島義道氏の著書となります。

この椎名さんの気持ちが、この本を読んでさらによくわかりました。
私もお目にかかりたくはないし、もし遭遇してしまうことがあれば、1分以上は近くにいたくない・・そんな気持ちが強くなりました。

駅の照明が、晴れて明るい日に点いていたり、ホームでのアナウンスの音も嫌いなので、職員は捕まり、さらに助役・駅長を呼び出し、“コンコン”と説教をし、後日改善されていなければまた乗り込んで行く。

商店街などでのお店の店頭での音楽やアナウンスなども乗り込んで行って、この本に書かれているエピソードでは、スピーカーを持って歩きだし、沿線の家の庭に投げ込んでしまい、スピーカーは池に落ちて壊れてしまいます。

「何をしてもすらっと事が進まない。何をしてもつまずく。他人を叱ってばかりいる。責めてばかりいる。このことは決して快適ではないが、これも“偏食家(※この本のタイトルにあるように、筆者はものすごい偏食家だが、そのような人間ゆえこうした行動をすると説明している)の運命なのだ。

・・と、おっしゃっています (・_・;

さらに、「偏食家とは、すでに確認したように“マイナスのこだわり”の人であり、みずからがイヤな仕打ちに遭うと、俄然気力が充実してくる。不思議な気力が体内に燃え上がり、あえて言えば生きる勇気が湧いてくる」

・・などとも、“ぬかし”・・おっしゃっていますd( ̄  ̄)おそろしいかぎりです。

コーヒーショップに行って、お客さんが入ってくるたびに店員が「いらっしゃいませ」と声を掛けるのも許せないらしい・・。

でね、店員さんのところに行って

「あのう、お願いがあるんですが」

「はい。何でしょう?」

「あのう、いらっしゃいませという声がうるさいんですが・・」

「はっ?」

「すみませんが、あなたの声不愉快なんですけれど・・」

「・・・」店員さんは泣きそうな顔をして中に引っ込んでしまった。
酷だったかもしれない。と中島氏は自分で書いていますが、・・・ここを読んで、この人が心底嫌いになったのでした(T_T)
私が広聴や相談の仕事をしていたときによくきたタイプのモンスターと同じです。こういう人は自分の満足感以外、人の気持ちなどは一生考えないのだと思いますが、とても怖ろしい。

で、“大っ嫌い”になったところで読了いたしました。
非常に後味の悪い、イヤな本でした。以上です。

 

2022/08/02

「日本トンチンカン悪者列伝」っていう本 (・_・;を読んだ。

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『日本トンチンカン悪者列伝/北岡俊明著(WAC)』という本を読みました。
ブックオフにて100円で購入(^^;)

チラッと見て、なんだか異様な感じがして、安いし、買っちゃえ!ということで入手。
さっそく読んでみました。

著者紹介のところを読むと、日本ディベート研究協会会長、シンクタンク戦略大学代表となっていますが、芸能人やニュースキャスター、役者、作家、日本人の様々な行動などについて、次から次へと歯に衣着せずに“噛み付き”ます。
というか、ガブッと“噛み付いて食いちぎる”くらいの勢いです。

自分の気に入った人や、自分と同類の考え方をする人にはとてもやさしいが、そうでない人については、“クソミソ”です( ̄O ̄;)

私が少し同調したのは、野球などで優勝すると、人差し指を突き上げてマウンドあたりに集まって“大喜びする様”は、相手チームに対して無礼だと思うし、振る舞いとして“いただけない”ということでした。

ただ、ちょっと前の本であるのですが、石原慎太郎氏や、橋本徹氏について日本を代表するディベーターだと“ベタ褒め”しているのはいただけなかった。私からは、その場の思いつきで物を言い、その責任を取らずに大人げない態度をする人という印象しかないのですが、・・まあ人それぞれですけど・・。

あとは、自分の気に入らない人について「テメエは何様のつもりだ」と凄んでいて、ディベート以前の感じがしました。

防衛問題についても、核武装は当たり前という考えだし、軍事力が経済力を規定するだとか、軍事力が国力を規定するだとか、戦争は国力を高める・・とか、独善的で人の声を聞く耳を持たぬ印象が強いと思いました。

沖縄についても、あまりにも厳しい考え方をしていて、途中でいやになって読むのをやめてしまいました。

チラッと立ち読みしたときは、気っぷがよくて、すっきりできる本かも、と思ったのですが、完全に著者の毒に当てられ、具合が悪くなりました。
いやもう強烈な内容の本でした。

 

2022/08/01

寺島靖国さんの「My Room My Audio -十人十色オーディオ部屋探訪-」を読みました。

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『MY ROOM MY AUDIO -十人十色オーディオ部屋探訪-/寺島靖国著(DU BOOKS)』を読みました。珍しく新刊ですっ!(^^;)

元ジャズ喫茶「メグ」の店主、そしてジャズ評論家、文筆家、ジャズ・レーベルの主宰者など多彩な活動をされている、そして常に辛口で喧嘩っ早いことで有名な寺島靖国さんの新刊ということで、早速手に入れましたよd( ̄  ̄)

寺島先生は1938年生まれ、いやもうそのバイタリティーには驚くばかりです。
「あなたの部屋で、聴かせてください」とサブタイトルに書かれています。それも67人もの部屋を訪ねるというのです。
そのうち30件くらいは喧嘩になるのか・・と思いつつ、この本を読み始めましたが、ほとんどそのようなことはなく(^_^)なんとか“穏便”にオーディオ訪問を済まされたようで、何よりでした。

訪ねた家々の主は、ミュージシャン、会社役員、会社員、医師、オーディオ店の方、ジャズ喫茶・ライブハウス店主、哲学者、大学教授、シンガー、オーディオメーカーの方などなどです。
それが、どの人もどの人も、お一人の話題だけで一冊の本が書けるくらいのオーディオ・システムを構築し、“一家言”を持ち、人生のエピソードも豊富な人達ばかりd(^_^o)
10人目を超えたあたりから“湯あたり”ならぬ“オーディオあたり”みたいな症状が私を襲いました…σ(^_^;)

世の中には人生そのものをオーディオと心中するように過してしまうなんて、そんな怖ろしいマニアなお歴々がいらっしゃるのだ、とあらためて感心いたしました。
そういう人達の「音」、ぜひ一度は聞いてみたいです(*^^*)・・ちょっとこわいけど。

建物の中にオーディオ用の部屋が四部屋有り、それぞれの部屋に“弩級”の全く異なるシステムが組まれているという方がいました。

わざわざ自宅とは別に土地を購入し、家を建て、その建物はオーディオを楽しむだけのもの・・( ̄O ̄;)っていう猛者もいました。

かと思うと、スピーカーはビンテージのタンノイを使い、あとは現代の新しくてコンパクトなシステムで駆動し、ネットワーク・オーディオで軽やかに音楽を聞いているサウンドクリエイト店長の竹田響子さんのような方もいて、まさに多種多彩な方々のオンパレードでした。

私には到底わからないのは、寺島さんからの訪問先での“おきまり”の質問。

『あなたはオーディオと音楽のどちらがエラいと思いますか?』

というものです。私が理解できないと書いたのは、音楽を聞こうと思わなければオーディオ機器は使わないだろうから、当然「音楽」と答えるとかと思うと・・そうではない人がいるわけですよ。

ついでに言うと、私は「楽曲」を聞くためにオーディオを使っているだけで、“いい音”が出れば、それに越したことはないとは思いますが、どのような楽曲なのかわかれば、極端にいうと、安いポータブル・ラジオのAM放送で聞く音でもいいのです。
ひとつの楽曲から受ける感動というか、インパクトはそれでも十分可能だと、経験上思います。

また、寺島さんが訪問していろいろな人のシステムの音を聞いているときに、トランペットやテナー・サックス、ベースが一直線上に並んでしまっている、とか、それぞれの楽器がステージ上で前方、中程、後方などと立体的に聞こえる・・というようなお話をされているのですが、これって元々のレコードやCDに入っている音源のミックスによって大きく左右されるもので、オーディオの方が主導で左右しているものではないと思ったのです。
そこらへんが、わずか三枚程度のアルバムから曲を数曲聞いただけでわかるのかな?と。

それから、寺島さんもそうですが、他の訪ねた方の中にも“特定の楽器”の音をより良く聞くためにシステムを構築、チューニングしているという話も、わかるようでわからなかったことです。

例えば、私なら、自分がドラムを叩くので、ドラムのハイハットやスネアの音中心にドラムメインでオーディオシステムを組むなんて考えられません。
そしたら他の楽器とのバランスがくずれて、楽曲全体のサウンドがおかしくなってしまうと思うのですが、「オーディオがいちばんエラい」派の人には、そんなことチャンチャラおかしいのでしょうか。

・・などと書いていると、寺島さんに“乗り込まれ”、ギタンギタンにされるといけないので、このへんできょうはやめておきます(^^;)

とにかく、読んでいるだけで“ごはん三杯”はいける!というオーディオの本、じっくり、たっぷり味わいました。“内容充実”の本でした。

 

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