スリランカ初期仏教長老の方が書いた「心は病気」を読みました。
『心は病気 -役立つ初期仏教法話2-/アルボムッレ・スマナサーラ著(サンガ新書)』を読みました。
これもまたブックオフにて安価購入。
2006年に刊行されたものです。
読んでいくと、まず意外なことを言っているのに気付きます。
仏教では、自信がありすぎてなんにでも手を出す状態は病気だというのです。
一般的な社会では、うつ病だとか、対人関係に自信がないとか、人に会うと心臓がドキドキするとか、そういうものを精神的な病気として見るのに、“自信がありすぎるバカ者”(※文中でもこう表現している)のことは、誰も病気だと思っていない、というわけです。
“活発”だとか“やり手”だとかいってほめているが、誰も病気だとは言わないと。
これが最大の驚いたことでした。
仏教的に考えると、うつ病などと言われる症状も、やり手などと言われる人の言動も、どちらも危険な道で病気に変わりないというのがこの本に書かれていることなんです。
仏教の世界では、「自我」「エゴ」という“高慢”を捨てることを教えているのだという・・(-_-)
私が驚いたいわゆる“やり手”みたいな人って、上り調子の時は打つ手・打つ手が当り、比較的出世街道を歩む人が多いと思いますが、現実としては、自分の傲慢さに気づかず、むしろ周囲を“病の淵”に誘い込むようなことが多々あると感じていましたが、でも、ひとたび路線から外れてしまったり、予定外の窮地に陥ったときには意外と“脆い”人がいます。
自己が崩壊してしまったり、ひどいときには“自殺”・・なんてことも、むしろこういう人に多いのかもしれません。
「自我・エゴ」を捨てるというのは、とても難しいと思いました。
「すべての問題は自我から生まれる」なんて書かれていましたが、自我を捨てるということは、「自分の心は、弱くて脆くて大したことないものだ。どうでもよくてくだらない心だから、誰のものでもべつに同じだ。」という事実を認識すること・・なんだそうですけど、わかったようでわからない (・_・;
最後までそこのところをどう解決するのか読み進みましたが、結局よくわからなかった。読み切れなかったのか・・。
でも、少しばかり“ヒント”はもらった気がしました。
ニュートラルな心を少しでも持てるようにしよう、などと思いつつ読了いたしまた。
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