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2022/09/30

二宮清純氏の「プロ野球 衝撃の昭和史」を読みました。

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『プロ野球「衝撃の昭和史」/二宮清純著(文芸春秋)』を読みました。
2012年に発行された本です。これもブックオフで見つけました。

内容はとても“濃く”、あの有名な「江夏の二十一球」にもさらに知られざる逸話があったとか、阪急対ヤクルトの日本シリーズでの大杉のホームランをめぐる1時間19分の中断にも様々な事実が存在する。
そして、その阪急とヤクルトの問題のホームラン判定が翌年の阪急対広島の「江夏の二十一球」にも大きな影響を与えていたことも書かれていました。

全然知らなかったことばかりでした。

ほかにも天覧試合での長嶋のサヨナラホームランが出るに至ったその試合展開と各選手のプレイの素晴らしさ、面白さも克明に調べられていて、あのゲーム自体が奇蹟的な展開だったのだということも知りました。

江川卓高校時代の渾身・最速の一球の話、野村監督率いる南海ホークスが阪急をプレイオフで破ったときの駆け引きの面白さ、落合が打撃の師匠とした二人のロッテ選手の話、ジャイアント馬場が実際はすごい投手だったという話、中日・小川投手の“背面投げ”に隠れた話、その他たくさんのオールド野球ファンには興味深い話が満載でした。

上記エピソードの内、阪急対ヤクルトの日本シリーズは私もテレビで見ていました。
第七戦の一番大事なところで打った大杉のホームランは・・ファウルでした。

テレビのビデオで見ても、上田監督が抗議したとおり完全なファウル、しかも1時間以上の中断の最中に打球が入ったスタンドで観ていたファンも「ファウルだった」と中継中にテレビ局側が聞くと応えていました。
阪急の守備陣もファウルだと思っていた・・。

「ポールを巻いて入ったホームランだ」という富澤線審の頑なな態度と、他の審判も実際はファウルだと思っていたので、毅然とした態度が取れませんでした。それがいけなかった。

いろいろなことを後から言う人はいたけど、上田監督はとても真面目ないい人でした。
「これじゃあ、一年間頑張ってきた選手に試合を続けろと言えないですよ」とプロ野球のコミッショナーやパリーグ会長、球団オーナーまでが「私が頭を下げても試合をしてくれないのか」と説得にあたっても、絞り出すような声で懇願する様子が全国中継されていました。

でも、抗議だけして引き下がっていれば実力に優る阪急が勝ったんじゃないかと思います。
長い中断で、先発の足立投手は、膝にたまった水に膝のお皿が浮いてしまい、サポーターで締めて、痛み止めを打って投げていたのですが、その間にもう投げられない膝の状態になってしまいました。
その後上田監督は試合を“投げて”しまったのか、経験のない高卒ルーキーをリリーフに出して派手に打たれ、日本一はヤクルトに。

そのとき、「抗議による試合の中断が試合の流れを変える」ということを感じたのが翌年近鉄の三塁コーチとして「江夏の二十一球」の広島の相手となった仰木さん。

江夏の21球のうち、14球目は無死満塁で近鉄の佐々木恭介が放った打球でした。
打球は三塁手の頭上を越えて、ファウルゾーンに落ちました。判定はファウル。

三塁守備に回っていた広島の三村のグラブに実はフェアゾーンで当たっていたのでした。
三村さんは「近鉄の西本監督に死ぬ前に謝っておかなければならない。そして他の人には墓まで持っていかねばならない事実だ」・・本人は、そう言ってグラブに当たったとは口にしていないものの、事実を語れない苦しさの中でずっと悩んでいたようです。

・・グラブに当たっていればフェアでヒット。レフト線に打球は転がり二者生還、近鉄のサヨナラ勝ちです。
これを知って当時のビデオ画像を探し、このシーンを確認してみましたが、たしかに三村さんはジャンプして打球を後ろに逃し、お尻から倒れ込んだ後、「やられた」という感じの動作をしています。

つまり、近鉄は勝っていた。西本監督は悲劇の名将ではなかった。

西本監督は、そのとき抗議しようとベンチを出たのですが、絶対の信頼をおいている三塁コーチの仰木さんが抗議しなかったのを見て、「彼が一番近くで見ていたのだから判定は間違いなかったのだろう」と抗議をやめてしまいました。
それもビデオ画像で確認しましたが、西本監督は「今のはフェアだ」とばかりベンチを飛び出して来たものの、仰木コーチのいる三塁方向を見て“残念”という表情をしてベンチに戻っているのです。

仰木さんは、前年の日本シリーズで、判定が覆らないのに抗議による中断で試合の流れが変わってしまうことを考えてグラブに当たったのは間近に見ていたのに抗議しなかったのです。
だって無死満塁、近鉄はそのとき“押せ押せ”状態だったのですから。

そして、あの奇蹟の二十一球のドラマにつながり、広島優勝・・という話。

こんな話ばかりがいくつも書かれているこの本、プロ野球ファンにはこたえられない中身の濃い本でした。
今読んでも、胸が苦しくなるような気持ちになったのでした。

 

2022/09/29

【はっPのアナログ探訪_0164: JUMP(ジャンプ) / VAN HALEN(ヴァン・ヘイレン) ( Single )】

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この曲はヒットしました。
ミュージック・ビデオもカッコよかった。
印象的なシンセサイザー(ギターのエドワード(※エディ)・ヴァン・ヘイレンが弾いていたのか)のイントロがとても印象的で、間奏でのシンセも素晴らしかった'(*゚▽゚*)'

そして、もちろんエディのライトハンド奏法(日本以外では“タッピング”と呼ばれる右手の指でのハンマリングやプリングにより音を出す奏法)がビジュアルでもサウンドでも“呼び物”でした。
ギタープレイ自体も、そのプレイする姿も、ロックミュージシャンらしい本格派のギタリストでした。
エディは、2020年に闘病の末65歳の若さで亡くなっています。

ボーカルのデイヴィッド・リー・ロスの派手なパフォーマンス付きの歌声もこのバンドには欠かせないものでした。

 

 

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私はドラムを叩くので、当時注目したのは、ドラムのアレックス・ヴァン・ヘイレン(エディの兄)のプレイとドラムセットでした。

パワフルなうえに、この曲での間奏部分の変則的なリズムが真似しようとしてもうまく出来なかった…σ(^_^;)

さらにツーバスのセット(バス・ドラムが二つあるセットは当時まだ珍しかった)を見て、足はどうなってるんだろう?ハイハットの分が足らなくなる・・(^^;)などと余計な心配などもしておりました。

そして、なぜかドラムには[消化器]がセットされていて、特に意味は無いんでしょうけど、「ヘヴィーなシステムなんだぜ」みたいに見えて(^_^;)、「このドラムの人、めっちゃカッコいいっ~!」って思ったのでした。

曲は、ヴァン・ヘイレンのヘヴィーでハードなロックに、さらにポップさが加わり、無敵のシングルとなっておりました。今聞いても胸のすくような気持ちのいいロックです。

たぶんデジタルで聞いてもすごくいいんじゃないでしょうか。
今回も気分よくアナログ探訪を終わります(*゚▽゚)ノ

 

2022/09/28

「まだまだ酔ってません/大竹聡」を読みました。

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『まだまだ酔ってません -酒呑みおじさんは今日も行く-/大竹聡著(双葉文庫)』という本を読みました。・・これもブックオフです(^_^;)安かった・・100円。

十年近く前の本ですが、酒呑みの生態を知るには充分な内容の本でした(^^;)

著者の大竹さんは、出版社、広告代理店、編集プロダクションを経た後、フリーライターになられた方ですが、お仲間と共に「酒とつまみ」を創刊されています。
大竹さんのお姿は、たぶんテレビの「タモリ倶楽部」に出演されていたときにお見かけした記憶があります。
ま、無類の“酒呑み”であられる(^^;)ことには間違いない方です。

それにしてもこの本を読んで一番驚いたのは、酒、肴、店についてはその内容に深くふれていないことです。
どんな銘柄の酒が美味しいだとか、あそこのあの肴は逸品だとか、どこそこのお店の雰囲気がいいとか、そんなことにはほとんどふれていないのです。

それでお酒の本が書けるのか?!と、ふつうは思うわけですが、書けちゃうんですねぇ(^_^)

とにかく“呑む”行為と、飲み過ぎてどうなったか、ということが書かれているのです。

どこそこで誰かと飲むことになった、待ち合わせの時間まで、とりあえず飲んでいる、で本来の飲み会でまた飲む、さらにそのうちの誰かと飲み会後にまた飲みに行く、そのあとハシゴを二軒くらい、その人と別れて、今度はひとりでまた飲みに行き、気づくと終電が出てしまった・・、じゃ始発まで飲むか・・( ̄O ̄;)・・ということで朝の通勤時間帯に電車に乗り帰宅。

三次会、四次会のあとの記憶はなく、タクシーで帰ることもあるが、クルマに乗ったところの記憶はあるがよく覚えていない。
一緒に飲んだ人たちと何を話したかも後半はまったく覚えていない。

二日酔い状態の日がとても多く、それでも飲みに行き、飲んでいるうちに二次会くらいで二日酔いを克服し (・_・;エンジンが再始動するd( ̄  ̄)・・そんなことの繰り返しが、しつこいくらいに書かれているのです。
私には未知の世界です。

懇意にしていた方が亡くなられたことについてしみじみと書かれていますが、そうなれば故人を偲んでまた飲むわけです。
だから飲まない日はない。

無間地獄(天国?)の酒呑みおじさんのお話、読んでいて、自分はしっかりしようと思いました…σ(^_^;)以上です。

 

2022/09/27

【南先生の玉手箱_0051_ふっと思う自然の緑と校庭の大くすの木】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回は、平成17年6月の日付が入っている家庭への通信文と思われるものを掘り起こします。
季節の中での自然のいとなみを見つつ、当時校庭にあった「くすのき」の心配をして書かれたもののようです。


以下、先生の文章です。

<ふっと思う自然の緑と校庭の大くすの木>

梅雨の候、何かとうっとおしい季節に自然の勢いは生命にみちあふれ、たくさんの息吹を感じさせてくれる。
学校の時計草も咲きはじめたこの頃、緑や花の変化に立ち止まることが多いです。

気に留めなければ何も感じることはない。
あたりまえのことですが、日本の恵まれた季節の変化を味わいながら感動する気持ちを大切に暮らしたいものです。

毎日子どもたちは、目の前のものごとや自然に対して正面から素直な気持ちで観察をしながら嬉々として活動しています。

私たち大人はその子どもたちの目の前にある今を最優先してかかわっていきたい。
毎日子どもの言動からエネルギーや夢をたくさん感じながら日々生き生きとありたいですね。

日常の普通の教育活動の中、暮しの中に目の前に今光っているものを感じとりながら日々感動を軸にして暮らしたい。

自然の深緑の中に生きるものの姿も時に感動的であります。
身近に恵まれた自然環境に意識的に目を、心をむけていきたいですね。

朝顔などもそうですが、この季節には何となく“つるもの”のイメージが気持ちにあって、上下・左右、・うしろに前にどんどん勢いよく伸びていく生命力などお話の中にあるジャックと豆の木の世界など、どこまでも伸びていく不思議な空間や夢の世界を思い出す。

お互いにたくさんの命と共存をしているなど、このうっとおしい季節に命の輝きをみつけたいものです。

大総小学校の伝統を見守る大きな存在の横綱である大くすの樹に出会って昨年からちょっと気になっていました。
昨年の秋に、芝山の樹医さんが見てくれてありましたが、この春も“まん中”の葉が少なくて少し心配。

四月に百年に一度のくすの木便りをお届けしたように、早いうち一回治療を加えたいと思います。
昨日、樹医さんと打ち合わせをしました。
すぐに枯れるとか言う心配はないとのことですが、子どもたちの次に本校一番の宝ものと思っています。

何も言わない身のまわりの自然の命に思いを寄せることの大切さ、創立から今まで大総小学校を見守り続けている大くすの治療を予定しています。
根まわりに空気を入れて肥料を加えるなど学校から後日お知らせをする予定です。
身近な存在の大きな木を大切にしましょう。


以上が先生の文でした。

先生が校長をしていたこの大総小学校も“くすの木の心配”をしていましたが、私が卒業した小学校も同じ問題を抱えていました。

樹齢百年の大樹に私が卒業してから数十年後にやはり治療を施し、“生き返る”ことができました。
今も小学校の前をクルマで通りかかると緑の葉をいっぱいつけた「くすの木」が校庭で元気にしています。

たいせつなことです。

 

2022/09/26

外山滋比古さんの「老いの整理学」を読みました。

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『老いの整理学/外山滋比古著(扶桑社新書)』を読みました。
これもブックオフにて見つけた本です。2014年発行で、著者91歳の時に発行されたものです。

外山滋比古さんの著書は何冊か読んでいますが、これはもう晩年のものなのに、先生の意気盛んな様子がうかがわれます。

まだまだいろいろなことを知りたいし、執筆もしたい、人と会いたい、話をしたい、自分で食べ物もつくりたい、出かけてもみたい、人前でちょっとは威張ってみたい、なんなら喧嘩してもいい、笑って過したいという気持ちもある・・などなどお話は留まるところを知りません。

私も“老い”というものを考えねばならないような気がしてきましたが、先生は「あまり忘れることを気にするな」と言います。
今までいろいろなことを頭の中に記憶してきて、もう容量はあまりないのだ、だから忘れて新しいことを覚える領域を空けねばならぬということなんです。

そう言われればそんな気もしてきて(^_^;)昨日やおとといの出来事など少しくらい忘れたってたいしたことないや、と思いはじめました・・単純…σ(^_^;)

ひとついいなと思ったのは、

「“風のように読めば、たくさんの本を見ることができる”。そのどこかに、自分のもっている波長と合うものがひそんでいるかもしれない。風のように、さらりと読んでいても、自分の波長にあったメッセージに出会えば、“共鳴”という発見がある。」

というお言葉でした。

これは私にはぴったりの言葉で、すっと腑に落ちました。

「“風のように”読み、“風のように”考えれば、人間がひと皮むけるであろう。」

との力強いお言葉、胸に刻みました。

 

2022/09/25

【復刻版】Modern Jazz喫茶『 頑 固 堂 』⇒《Us Three / 1960》 Horace Parlan

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十数年前に作っていたホームページ“Modern Jazz喫茶『 頑 固 堂 』”のブログ版復刻です。
取り上げているのは、ホレス・パーランのアルバム、「アス・スリー」です。
今回、再度聴き直して一部文言等を追加・修正いたしました。


Horace Parlan/p
George Tucker/b
Al Harewood/ds

①Us Three
②I Want To Be Loved
③Come Rain Or Come Shine
④Wadin'
⑤The Lady Is A Tramp
⑥Walkin'
⑦Return Engagement

幼い頃に小児麻痺を患ったせいで、右手の薬指と小指が全く動かなくなってしまったホレス・パーランの有名な作品です。彼のプレイはその事実を知る前から私の心をとらえて離しませんでした。同じフレーズが延々と続き、どこがそのループの始めかわからなくなる、幼い頃一人でくるくる回って目が回ったような感覚が呼び覚まされました。

一曲目のドラム(アル・ヘアウッド)のブラシから息をもつかせぬ展開で、ベース(ジョージ・タッカー)のかっこよすぎる絡みが入って来て、パーランのピアノ独特の“くるくる”もいきなり爆発します。
この曲は、パーランのオリジナルなんですね、なのでパーランの世界がこの一曲目からぐいぐいと展開されていきます。

二曲目はしっとりとした味わいのあるピアノです。訥々としたパーランのつぶやきのような曲です。
パーランは、前曲のようなぐいぐい走るような曲もいいのですが、叙情的な曲もとてもよいのです。
うったえかけ、ささやきかけてくるのです。

三曲目はスタンダード曲ですが、バラードとしてのメロディを大切にしつつ、ちょっと黒っぽい、しかも土の香りがするようなリラックスしたプレイを聞かせてくれます。
最後まで続く三人の渋いプレーがとても味わい深い。

四曲目はパーランのオリジナル曲。ベースで始まり、シンバルが入り、ピアノがあたりをうかがうように侵入してきます。いやはやかっこいいこと。
このブルースにパーラン自身がどんどんのめり込んでいきます。
その一挙手一投足に神経を張り巡らすように聴くとこたえられない味わいがあります。
この曲でも途中パーランの“くるくる”目がまわるようなプレイを聞くことができます。

五曲目はパーランが空白の生かし方をいろいろ試せると言っていた曲で、たしかに簡潔なメロディで空間を埋めていくような感じです。
ベースの明快で、豊かなサウンドも聴き所です。

六曲目もスタンダード曲です。パーランはこの曲を何百回も弾いているらしく、一番うまくできると自信を持っているようです。
それ故、堂々としたプレイで、次第にテンションも上がっていきます。曲の中に入り込み、突き詰めていく感じがあります。パーランの“つっかかった”ようなフレーズが独特。
ヘアウッドの乾いたドラムの“粋な”ソロ・プレイも聞けます。

ラストはブルーノートのアルフレッド・ライオンと2枚のトリオ・アルバムを作る約束をしたことに因んだタイトルです。
テーマのメロディが魅力的ですが、インプロビゼイションに持ってこいの曲調で、パーランのオリジナル、思う存分自分のプレイを展開します。
パワー感も伝わってくるなかなか“力”のある曲です。

 

2022/09/24

「昭和喫茶のモーニング&ランチ -東京編-」を読みました。

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『昭和喫茶のモーニング&ランチ -東京編-/喫茶店文化研究会監修(辰巳出版)』という本を読みました。
これもブックオフで手に入れました。2016年発行ですから、掲載されている喫茶店の多くは現在も営業しているかと思われます。

スターバックスなどとは対極にある日本独特の「喫茶店」という形態。
さらにそれに“昭和”が付けば今や貴重な「昭和喫茶」。若い人たちも新鮮な気持ちで出かけていくのだろうと思います。

それをさらに「モーニング」と「ランチ」に的を絞って東京編でまとめるという“技”にはお見事というしかないと思いました。

私も名前を知っている有名店もありましたが、ほとんどはまったく知らないお店が掲載されていて、いまさらながら行ってみたくなりました。

モーニングは、珈琲、トースト、玉子、サラダ、ヨーグルトなどのセットが「王道」で、そういう中でもトーストが厚切りだとか、玉子はゆで玉子ではなくハムエッグだとか、とにかく写真を見ているだけで「行きたいなぁ」と思ってしまうものばかりです。

ランチは、一番の王道は「ナポリタン」d(^_^o)そして、オムライス、ハンバーグなどと続きますが、いやもうどれもこれも美味しそう(*^_^*)

カレーもありますが、これはそのお店独特のスパイスを研究していたり、ホテルなどでシェフをしていた方が腕によりをかけてつくったものなどもあり、コロナ禍が終息したら行ってみたいお店ばかりでした。
中には、和定食もあり、これまた驚きのクオリティのようです。

東京の喫茶店めぐり、やってみたいです。

 

2022/09/23

【The Beatles 研究室・復刻版】Abbey Road[B-11]Her Majesty

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2004年から2008年にかけて作成したホームページ「The Beatles 研究室」・・2009年リマスター発売後の一部追記も含めてのブログにての復刻版です。ほぼ当時のまま、そして復刻後追記も付しております。
今回は、アルバム「アビー・ロード」から「ハー・マジェスティ」を取り上げます。
英国では、女王の国葬が行なわれたばかりですが、この曲は、ポールが女王陛下を歌った曲で、ギターを爪弾きながらつぶやくように歌っています。

日本では、今年「エリザベス 女王陛下の微笑み」という映画が公開されました。
女王在位70周年の祝福の年として2021年に製作されたものですが、その映像中にもポールが女王陛下と会話するシーンがありました。
そしてもちろんこの曲「ハー・マジェスティ」もラストのエンドロールで流れていました。しかもアルバム以上に長い“フルバージョン”で!

 

 

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“ユー・ネヴァー・ギブ・ミー・ユア・マネー”から始まるアナログ盤で言うB面3曲目からのメドレーが“ジ・エンド”の大団円を迎え、ロックミュージック史上最高の演奏を終えると20秒ほどの沈黙があり、「ズジャン!!」というコード音の後、この曲が始まります。

女王陛下に対して、「女王陛下は、なかなかプリティ・ナイスガールだ、あんまりおしゃべりは上手じゃないけど、いつか“モノ”にしてやる」という歌詞をアコースティック・ギターのつま弾きでポールがわずか23秒で歌います。

しかも最後の音はスッと絞られてしまいます。
ビートルズの数ある名アルバムの中でも、屈指の、そして空前のメドレー、名演奏のあとに、このジョークはさすがビートルズと言いたいところですし、素晴らしい演奏の余韻が残るなか、気取ったところを残さずに下卑た感じで終わらせるのも“彼ら”らしいと思いました。
サージェントペパーの最後みたいです。

この話には、後日談があって、実はこの曲、B面の“ミーン・ミスター・マスタード”と“ポリシーン・パム”の間に本来は入っていたのですが、通して聞いたポールが「これはいらないから捨てろ」と言ったことから始まりました。

「どんなクズ音源でも捨ててはならぬ」という社則を忠実に守ったエンジニアがアルバム録音テープの最後“ジ・エンド”の後に余裕をもって20秒、間隔をあけて、保存しておいたのでした。
チェック用のアセテート盤には、エンジニアも忘れてしまった「ハー・マジェスティ」が残されたままとなり、チェックしていたポールが最後に入っていたこれを聞いて「おもしろい、残そう」と言い出して、世紀の大傑作のラストにこの“冗談”が残ってしまったわけです。

ですから、“ミーン・ミスター・マスタード”の最後のコード音がそのまま、この曲の前に「ズジャン!!」と入ってしまったままになっているのです。

ビートルズはこのアルバムを女王陛下に送り(よくやるよ)、陛下からはお礼状が届いたというおまけつきです。向こうの皇室はジョークもわかってくれたようです。

そして、このアルバムは全世界で最大のセールスを記録し、マイケル・ジャクソンの“スリラー”に抜かれるまでアルバムセールスの記録を誇っていました。


〈追記〉2022/09/23

この曲についても、ホームページ作成後「アビー・ロード・アニバーサリー・エディション」が世に出て、いくつかのテイクが手に入ることとなりました。

それら音源について再度聞いてみて追記いたします。


2009年ステレオ・リマスター盤

ギター以外に楽器もなく、ものすごいサウンド・エフェクトがかかっているわけでもなく、しかも26秒(このCD)という曲の短さ!なんとも言いようがありませんが、ポールの声には割と深いエコーがかかっています。ギターの音は、繊細というか細くてシャープな感じで録られています。


アビー・ロード・アニバーサリー・エディション盤

こちらはポールのボーカルにエコーはほとんどかかっていません。生声をそのまま生かしたようです。なので逆にその場にいるような感覚になります。
ギターの音は、割と“こもり”気味というか、なにか個室で秘かに弾いているような雰囲気をねらったのか、低音の方が強調され、オリジナルバージョンの方がきれいな音に聞こえました。


アビー・ロード・アニバーサリー・エディション Disc One に収録されたもの

これは録った時の自然な音になっているように感じます。
ここでは、三つのテイクが入っています。
一つ目はオリジナル・バージョンと変わらず自然な感じ。
二つ目のテイクは冒頭間違ったり、ちょっとノドがいがらっほい感じ。
三つ目のテイクは、オリジナルでは消えてしまっている最後のギターの「ポーンッ」ていうポールのギターの締めまで入っています。
エリザベス女王の映画で使われたテイクはこのテイクか。


アビー・ロード・アニバーサリー・エディション 「セッションズ」に入っている「The Long One」
※アビーロードB面のメドレー中に本来「ハー・マジェスティ」が入っていたところに実際収めてメドレー全体を編集し直したものです・・貴重!

「ミーン・ミスター・マスタード」と「ポリシーン・パム」の間に「ハー・マジェスティ」が入っています。
もともとはこういう並びだったんですけど、“いまいち”据わりが悪いというか、居心地があまりよくないように感じました。

あの「ズジャン」というオリジナル盤の冒頭に入っていた音から始まり、なるほどここにこうして収まっていたのかとまずは納得。

で、曲の終わりは、オリジナル同様にポールのギターの“締め部分”はカットして、そのまま連続させる形で「ポリシーン・パム」が被さるように入ってくるように編集されていました。

実はこのアニバーサリー・エディションが出る前にラジオで日本のDJの方がこの部分を自分で編集して作ったメドレーを流していたのを聞いたのですが、そっちの方が「本当はこうだったんじゃないか」というくらい“鮮やか”な手際で編集されていました。
ようするに、編集によっては、このメドレー中程で「ハー・マジェスティ」が入ってくる方が良いのかも・・と思わせることも出来たということで・・。

でも、最終的判断はあのポピュラー・ミュージック史上に残るアルバムの流れで遺っているわけで、それが正解なんだと納得することにいたしました。
いたずらっぽくて、ビートルズ最後のアルバムらしいと思います。

 

2022/09/22

「今夜も赤ちょうちん/鈴木琢磨」を読みました。

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『今夜も赤ちょうちん/鈴木琢磨著(ちくま文庫)』を読みました。
いつものとおり、ブックオフにて格安購入。2012年発行のものです。

著者の鈴木琢磨さんは、毎日新聞夕刊編集部編集委員。
「今夜も赤ちょうちん」「酒に唄えば」などの居酒屋探訪コラムが人気を博している、と著者説明にありました。
ようするに“筋金入り”の居酒屋ウォッチャーとお見受けいたしました。

東京を中心に、気仙沼や京都、大阪にも繰り出しています。
有名店もありますが、知る人ぞ知る路地裏の居酒屋なども登場し、間口も広いが奥も深いという“底なし的”呑兵衛であることが10軒目あたりまで読んだところで判明いたしましたd(^_^o)全部で100軒紹介しています。

名物的な女将や、大将、そしてその店に通う(通っていた)有名人(あがた森魚、細川護煕、山本夏彦、サイデンステッカー、吉行淳之介・・etc.)も紹介され、実際に著者と関わりのあった方との思い出話なども書かれていました。

ここに来たら、これを食べなきゃというものも数多く紹介されているし、名酒というよりも、安い酒だけどこうして飲むとうまい、というようなその店独特のものも紹介されていました。本当の、本格的な居酒屋呑兵衛です。

新聞の編集者という時間も読めない仕事環境にありながら、毎日・毎夜よくもこれだけ通えるなぁと思うくらい居酒屋やバーに出かけています、鈴木さん。

飲み方にも何か流儀のようなものがあるわけでなし、まったくの自然体で初めての居酒屋にも入って行くし、人との関わり方も妙に意図的なところもなく、こちらも自然体でした。

よさそうな居酒屋と、おいしそうな肴、うまく飲める酒、そこに集う呑兵衛や有名人達のお話がいっぱい綴られている本でした。
呑兵衛なあなたは、この本を見たらすぐにでも出かけたくなることでしょう(^_^;)

 

2022/09/21

それでいいのか、「一喜一憂せず」・・。

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ここ数日、報道関係各社の世論調査結果が出ています。

どこも内閣支持率は大きく下落しています。
で、支持率を落としている肝心の内閣総理大臣である岸田さんは・・

「一喜一憂しない。政治の責任を果たすべく、具体的な課題に一つ一つ結果を出すことが重要だ」と述べたそうです。新聞によると。

でもね、「一喜」はしなくていいけど、「一憂」はした方がいいんじゃないんですか?

『聞く耳』をお持ちだとのことでしたが、あの一年に三冊くらいしか書かないと本人がおっしゃっていた“岸田ノート”には「支持率下落」の要因として考えられることを書いてみたんですかね。
書いたんだったら、それを何度も読み返して“国民の声に耳を傾けた”あとに“実行”することをおすすめしたいです。

よく“危険水域”なんてことを言いますけど、もう腰を超えて胸元まで水は上がって来ていると思います。早くしないと“溺れ”ますよ。
風呂につかっているんじゃないんだから、のんびりしていると顔まで水は上がって来て、“SUGA”さんの末期の時のように大慌てで“足掻いて”みっともない姿を国民に見せることになってしまいます。

本当のことを言い、こうした方がいい、と進言できる側近はいないのでしょうね。

 

2022/09/20

【はっPのアナログ探訪_0163: ALONE AGAIN(アローン・アゲイン) / GILBERT O'SULLIVAN(ギルバート・オサリヴァン) ( Single )】

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生まれて初めてこの曲を聞いたときに、「あっ、名曲かも・・」と思いました。中学生の頃だったか・・。

メロディーが良いし、ギターやドラム、ピアノ、弦楽器のバックもとてもいい。
サウンド全体もこの曲の雰囲気をよく表現していて奇蹟の一曲という予感がしました。
そしてもちろん、ギルバート・オサリヴァンのボーカルはこのうえない素晴らしさ。とつとつと歌い、哀愁があり・・。

正直、ポールマッカートニーに匹敵すると思いました。
事実、このレコードの歌詞カードに書かれていた文には、ポールマッカートニーが最も注目すべきアーティストとしてあげていると記されていました。

 

 

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ご本人のルックスも優しそうな青年に見えて、私も中学生ながら「この人いいなあ」と思い、今でもその気持ちがそのまま残っています。

今回も何度もターンテーブルに乗せて聞いてみました。
自分の中高生の頃の気持ちまでよみがえってきて、涙が出て来そうです。

 

2022/09/19

軽快なクルマ、フェスティバを思い出して。

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久しぶりにクルマの話。
写真のクルマは、かつてオートラマ店で販売していた日本フォードの「フェスティバ(初代)」です。

私は、出たばかりのこのクルマを買い、実際に乗りましたが、実に軽快で楽しいクルマでした。
このクルマの“売り”は、なんといっても「電動キャンバス・トップ」。出来が良く、初夏や秋の涼しい日などには天井を開けて気持ちよく駆け抜けたものでした。

また、スタイルもちょっと可愛くて、前後フェンダーは、ボディがふくらんだ、当時の言い方では“ブリスター・フェンダー”になっていて、それもキュートさに躍動感を添えていました。

初期型は、エンジンがインジェクションではなくて、キャブレター仕様でした。
これがまた静かで、アイドリング時などは回っているのかわからないくらいでした。
そして“よどみなく”軽々と回り、軽快そのもの。

私は5速ミッション車に乗っていましたが、シフトも“コクン・コクン”と実に軽くて気持ちよくシフトチェンジが出来ました。

コーナリングは、“ふわっ”とロールして“クルン”と回るというd(^_^o)このクルマのキャラクターにぴったりの感覚でした。

後席は意外やとても広く、そのシートは背もたれがラウンドしていて、部屋にいるみたいな感じ(*^_^*)

ダッシュボードには、飲物を冷やすボックスが内蔵されたりもしていました。
なんだか、楽しいクルマだったなあ。

 

 

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こういう昔のクルマを思い起こしていて感じるのは、旧車と言われるものはスタイルが独特で、軽快感やスポーティー感覚があったり、どことなく品格を感じるものがあったりと、それぞれが個性を持っていました。

で、あらためて現行の各社カタログ・モデルを見てみると・・

ここ最近のクルマのデザインはどこも変な筋肉とか贅肉をつけたものになり、なんだか着膨れしているようなものや、あるいは身体に肉を付け過ぎて洋服が“ぱっつん・ぱっつん”になっている人のように見えます。
それでもって、どれもこれも個性がなく、見ていてもわくわくするようなデザインはほとんどない・・。

旧車が高値を呼んでいるというのも、そりゃそうかも、と思ってしまいます。

ちょっと小型で、すっきりとしたデザインで、軽快なクルマ・・そんなクルマに乗りたいんだけどなあ・・。

 

2022/09/17

中島誠之助さんの「骨董掘り出し人生」を読みました。

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『骨董掘り出し人生/中島誠之助著(朝日新書)』を読みました。
2007年発行となっていますので、かれこれ15年前の本です。
著者は、あの「なんでも鑑定団」の焼物を主に鑑定していたあの中島誠之助先生です。

このあいだ、伊集院静さんの本をこのブログでご紹介したときに、そこに掲載されていた短編小説二篇「少年譜 笛の音」、「親方と神様」の感想を書きましたが、中島さんの生涯は、まさに上記二篇の小説のような、幼少期から少年期の両親を失い、養子として伯父や伯母などに育てられるも、戦争の惨禍から大変な苦労をする話が書かれていました。

骨董という道に入る前の学生時代の様々なことへの挑戦と、実際に仕事をするようになってからの挫折や、その中で手を差し伸べてくれた今となっては驚きの有名人達の話、まるで小説を読んでいるかのような数奇で、波乱にとんだ人生が描かれていました。

前回の伊集院さんの小説といい、今回の中島さんの自伝的なお話も、私の今後の生き方にとって大きなものを得たように思います。

世の中は自分の思うようには出来ておらず、次から次へと困難に見舞われ、あたたかく手を差し伸べてくれる人もいれば、多くは悪い人がいて様々な苦境に陥れられ、自らの信ずるところに向かってひたすら信念を通して生きていくことがいかに大変なことか・・ということがこの中島さんの実体験的自伝をとおして描かれていました。

中島先生には、二十年も前だったでしょうか、私の職場が企画した「出張・なんでも鑑定団」においでいただき、私と妻の新婚時代に買ったお宝「野々村仁清の香盒」を鑑定していただき、見事8千円の鑑定をいただき、妻は泣き出し、そのおかけでMVPをいただいてしまい、石坂浩二さんの絵を賞品として受け取るという、悲しいんだか、嬉しいんだかわからない結果になったことがありました。

事前に、先生方との握手やサインは出場者は「厳禁」との説明を受けていましたが、泣き出した妻を見て、あとで中島先生ファンだった妻は握手をしていただき、持参した中島先生のご著書二冊に丁寧なサインまでいただいてしまいました。

今となっては、たいへんいい思い出です。
それに、京都のみやげ物という鑑定をいただいた香盒は、逆に私達夫婦の“お宝”になりました(*^_^*)

この中島先生の「骨董掘り出し人生」は、自分を勇気づけるために、今後も読み返すことになると思います。

 

2022/09/16

文春ムック「伊集院静の流儀」を読みました。

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『伊集院静の流儀/伊集院静著(文藝春秋)』という本を読みました。
いわゆる“ムック本”・・マガジンとブックの中間・・というものでした。
平成23年発行となっていますから、十年以上前の本です。

その内容は“濃く”、写真も多数、東日本大震災時とその後の様子や仙台に住まわれている伊集院さん自身の思い、成人した若者への言葉が何度も書かれ(当時、何年かに渡って書かれたものか)、さらにはさまざまな立場の人からの相談に応え、多彩な方々との対談もありました。

そして二篇の短編小説も掲載されていて、この「少年譜 笛の音」、「親方と神様」は、どちらもつらいことに堪えたり、一途にものごとに取り組んだり、そして不遇の身にある少年にそそがれた義父や職人の親方からの愛情溢れる扱い、やがて少年がどうなっていったのか・・二篇とも読んでいるうちに涙が頬をつたいました。
いい話でした。

この本に書かれていたことで私の心に響いたことを少し書き残そうと思います。

城山三郎さんとの対談の中で、

「国会議員だから国のことをするんだということを公約して当選していく。選挙民にも、この人は国事を託す人、という思いがあるから、進んでボランティアで選挙運動をしてくれる。本来そういう形にならないとおかしいんで、この反対の姿がいまの土下座選挙だよね。ああいうことで選ぶというのは、世界のなかで非常に恥ずかしいことですよね。」

との城山さんの言葉です。今の選挙運動などをどこかの団体に「こりゃ好都合」と喜んで任せて支持率を落としている人達の耳にいれたいお話です。ずいぶん古い発言ですよ、その頃にもう予言しているかのような発言でした。

もうひとつだけ

「二十歳の君の手に。」という文の中に書かれていたものです。

「大半の二十歳の君たちは成人、大人と言われてもこころからうれしいと思っていないんじゃないか。むしろ本音は大人になりたくないのだろう。テレビには毎日戦場が映り、人が死んでいく。君が住む近くで誘拐、殺人が起き、罪のない人が拉致されている。政治家は平気で嘘をつき、法を犯しても金が儲かれば成功者と呼ばれる。金が力で、人の価値まで計れると口にする愚かな輩があふれる。こんな社会を作った大人になりたいはずがない。当たり前だ。」

「価値ある生き方をしている大人はいるのか。誇るべき生き方はあるのか。私は断言する。そういう生き方をしている大人はいるし、生き方はある。今の君たちの目に見えないだけだ。その人たちも、君と同じ年頃、見えない明日を懸命に探り、一人で歩いていたんだ。」

この引用部分を読んだだけで、若い人だけでなく、私も勇気づけられ、気持ちを強くしました。

 

2022/09/15

【南先生の玉手箱_0050_安全第一】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回は、平成17年の「紙面研修」と表紙に書かれた資料の中からの抜粋です。
列車の大事故のことを書かれているので、たぶん「福知山線の脱線事故」のことについて先生がその時思われたことをまとめたものだと思います。

以下、先生の文章です。

<安全第一>

どうすればそのようになるものか目を疑いたくなるような列車事故、大惨事があった。
百名を越す死者の数。

私ごと何かあるたびに思うのですが、現代の事件や事故の多くは、被害者の不注意とはまったく反対側にある社会構造のひずみから生まれた人災であり、とりえかしがつかない犯罪でしょう。
便利さ優先、何ごともスピード化されてきた暮らしの中で時々立ち止まらなくてはいけないと思うことが多いです。

やらなければいけない仕事がある毎日のスケジュール、、そして今、目の前の仕事みんなやってあたりまえなのですが、無理が多くてはダメ。
時々気持ちをコントロールする暮しのリズム、精神面バランスを考えることが一番。

ストレスを重ねた結果はよくならない。
知識として分っていても、仕事のリズムを変えることは難しいことです。
スケジュールよりも安全が第一で、誰でも分っていることができない。

大きくは社会構造、また身近なところでは、職場の人間関係、いろんな問題が重なって事件や事故、また考えられないことが起こる。

二度とこのようなことにならないようにと各関係の者が頭を下げるが、なくなった命にスペアはない。
どうしてもとりかえしはつかないことの責任をどうするものか、何かある度に同じ状況がくりかえされている。
今回の事故も事故そのものは一瞬の出来事ですが、その原因には多くの人的環境、人と人との日頃の関係、社会や仕事を経営する者の側に大きな責任を感じるのはみなさんも同じことかと思います。

便利さ、スピード優先の暮しの裏にあぶない実態がたくさんあることに思いを寄せていきたい。
そして何よりも人の心のあり方について自ら普通の状態に正していきたいものです。

今から30年以上前、大阪万国博覧会に偶然行った時に、岡本太郎氏のあの太陽の塔は今でも残っているのですが、あの時関西の鉄道に乗った時、電車のスピードにびっくりしたのを今思い出します。

ことによると30年前からあぶない状況が続いていたのかも知れません。
人間、時にストップ・ザ・便利、立ち止まること、歩くペース、ゆっくり安全が基本ですね。

[事故と言うより犯罪だと思います お互いの立場で職場の管理、人的・物的環境衛生の点検をしたい]

※こんなことを書いている自分が毎日車を乗りまわして、歩行者、自転車など、弱者に大変迷惑をかけて暮らしている。
またガソリンを消費して自然環境も破壊している。
自分自身の暮らし方からコントロールしていきたい。


以上が先生の文でした。

あの福知山線脱線事故は衝撃的でした。
そして、スピードアップを最優先していた鉄道会社のやり方を知ることとなり、驚きました。
あれから15年以上も経っていますが、世の中の動きというものは“相変わらず”なんじゃないかと今でも思います。
いろいろな事件の発生源は、上層部の人間が自分の成績を上げようとして組織の下部にいる者に無理を強いることがほとんどではないかと思います。
それは事件が起こる度に「ご心配とご迷惑をおかけした」と頭を下げる人達が今でもやっていることです。

人として大事なのは「真心」と「正義」と「真実」です。

 

2022/09/14

【復刻版】Modern Jazz喫茶『 頑 固 堂 』⇒《Full House / 1962》 Wes Montgomery

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十数年前に作っていたホームページ“Modern Jazz喫茶『 頑 固 堂 』”のブログ版復刻です。
取り上げているのは、ウエス・モンゴメリーのアルバム、「フル・ハウス 」です。
今回、再度聴き直して一部文言等を追加・修正いたしました。

Wes Montgomery/g
Johnny Griffin/ts
Wynton Kelly/p
Paul Chambers/b
Jimmy Cobb/ds

①Full House
②I've Grown Accustomed To Her Face
③Blue 'N' Boogie
④Cariba
⑤Come Rain Or Come Shine(take2)
⑥S.O.S.(take3)
⑦Come Rain Or Come Shine(take1)※
⑧S.O.S(take2)※
⑨Born To Be Blue※

※Additional tracks not on original LP

このアルバムはライブ録音。
収録されたライブでは7曲が演奏されたとのこと。
⑦~⑨の3テイクは、オリジナルのLPには入っていないものです。
⑦と⑧はオリジナルLPに入っている曲の別テイクなのですが、⑨の「Born To Be Blue」は、当時6曲でLPのサイズを満たすことができたので、カットされたようです。

一曲目の「Full House」から“ノリ”の良い曲です。オクターブ奏法と呼ばれる“ウエス”のギターが気持ちよくリズムに乗っかっていきます。
クルマの中などでよく聞いていたのですが、あらためて自室の再生装置で聞くと、とても躍動感があります。
ウエスのギターの音質も手に取るように、そこにいるかのようによくわかります。ジミー・コブのリズムを刻むシンバルの音もライブ会場にいるかのように生き生きと聞こえます。いきなりいいライブ盤なのだ、という予感!

以前、「ジャズ喫茶と言えば“ベイシー”」と言われる、全国ジャズ・ファンが俗に言う『ベイシー詣で』をする岩手県一関市のジャズ聖地に行ったことがありますが・・・。
朝から開店を待ち、満を持して入って行ったそこで、最初にかかったのがこのアルバムでした。

気合い入りまくりで席に着いたのがマスターに通じたのか、かけてくれたこのアルバムの音には驚愕しました。
自宅で聞く音とは全く次元の違うアナログ・サウンドが私に「ほらほら、坊や、これが“ほんまもん”の音だぜ」とでも言うように私に正面切って挑んできたのです。

ウエスのギター・アンプの“箱”が共鳴している「ムーン」という音まで聞こえてきたのです。自分の再生装置では、全く一度も耳にしなかった音でした。
ただ、ただ、驚くばかり。音だけでノックアウトされました。
楽曲の良さや、演奏の良し悪し以前にサウンドでぶちのめされました。ギターのサウンドがこんな音で録音されているのだな、というのがわかって、もう一度家に帰って聞くと、あらためて楽曲や、演奏の良さがさらにわかってきたのでした。音なんかどうでもいい、曲が良ければというのは、ある一面では正解かもしれませんが、良い音で聞いたことによって、その曲や演奏の理解度はさらに深まるものだと実感しました。

二曲目は、「I've Grown Accustomed To Her Face」。静かに始まります。
ミュージカル「マイ。フェア・レディ」の挿入歌だそうです。
ほとんどがウエスのギターで演奏されていて、単音で弾かれる優しい曲調と美しさがとても良い。

三曲目は、「Blue 'N' Boogie」。
ウエスのギターもテンポよく、ライブを盛り上げます。いわゆる“オクターブ奏法”の技も見せてくれます。
テナーのジョニー・グリフィンもけっこう強烈に吹きまくります。
ドラムもピアノも全員で盛り上げ、お客さんも大喜び(*゚▽゚)ノ

四曲目は、「Cariba」。
これもウエスのギターがかっこいいフレーズを決めて素晴らしい曲です。ウエスのオリジナル曲です。
お客さんの堪能している様子が伝わってきます。
ピアノのウィントン・ケリーもラテン調な曲に合わせたソロを聞かせ、曲を引っ張ります。
それにつられてグリフィンのテナーも実に軽快に加わってきます。
そして、ウエスがまたオクターブ奏法のギターでシメる!いい曲です。
ラスト部が近づいてくると、お客さんがワァ~っと拍手します。

五曲目は、「Come Rain Or Come Shine(take2)」。
これはミュージカル「セント・ルイス・ウーマン」のために書かれた曲とのことですが、ジャズではすっかりスタンダードとなっている曲です。
けっこうオーソドックスな演奏が展開されます。
ウエスは、さまざまな奏法でギターを弾き、ジャズ・ギターの魅力横溢といった感じ。

六曲目は、「S.O.S.(take3)」。
テーマが印象的な曲で、ウエスのオリジナルらしくギターが冴えます。
グリフィンもいきなりかっこよく吹きまくり、アップテンポなこの曲が勢いを増します。

七曲目は、「Come Rain Or Come Shine(take1)」。五曲目に入っていた同曲の別テイクです。
五曲目に入っていたテイクよりもテンポは遅めで、演奏自体もやや大人しい感じがします。
ちょっと“手探り”しながらの演奏という雰囲気がただよっています。

八曲目は、「S.O.S(take2)」。これも六曲目に入っていた同曲の別テイクです。
こちらは、六曲目に入っていたテイクよりもややテンポが早いか・・。
それにそれぞれの楽器のインパクトがいまいち“軽い”感じがします。オリジナルLPテイクに入っていた方がやはりいい!

九曲目は、「Born To Be Blue」。オリジナルのLPではオミットされましたが、たぶんクインテット全員の演奏ではなかったからでしょう。
ライブの中で聞いたら、やや“箸休め”的な曲に感じると思います。
ちょっとゆったりしてギターの“音色”に酔いしれる・・そんな感じの曲です。

で、このアルバムは、どっぷりとジャズの“演奏”を、身も心も音の洪水の中にゆだねて堪能するものであると言えます。できれば大音量で聞くのが望ましいでしょう。
ジョニー・グリフィンのサックスもいいグルーブしてますよ。そして、ウィントン・ケリーの粋なピアノがジャズ魂をゆさぶってくれます。

 

2022/09/13

「つい、そうしてしまう心理学/深掘元文」を読みました。

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『つい、そうしてしまう心理学/深堀元文編・著(日本実業出版社)』という本を読みました。これもブックオフで見つけたもので、2010年に刊行されたものです。

人の「しぐさ」や「好み」には無意識の“ワケ”があるというものでした。

書かれていたことは、私も年齢を重ね、薄々気づいていたようなことも多くありました。
いろんな人に出会い、いろいろなパターンのしぐさなどを見てきたので、自然と身についたのかもしれません。

少し面白かったところをピックアップしてみます。

よほど自信があるのか、鏡に映った自分の姿に見ほれているナルシスト・・。
東京勤務時には、よく駅のトイレの洗面所でこのような若い男性を見かけました。
手洗いしたくて後ろに並んでいても、ずっと髪の毛をいじってなんども何度も自分の姿を点検していました。
いくらいじっても変わったようには見えないんですけど(^_^;)

この本では、誇大な自尊心の持主ということになり、自分へのまわりからの評価が気になり、劣等感も生じやすい・・らしいです。
でも、優越感を感じていたい、そんなことのようです。

次に、なんでも他人から教わろうとする心理について書かれていたところが気になりました。
Facebookのオーディオの集まりなどでよく見かけます。しょっちゅう「〇〇について教えてください」と書き込み、内容は具体的でなく、とにかく情報をもらう一方で、自分からは何も教えないし、そんな立場には立たないのです。
そのまま大人に成長すると、つねに受容的構えをとることになってしまうとされていましたが、・・いるいる、いっぱいいる。

最後に、私も若い頃によく友だちとの集まりで経験したこと。
30歳も過ぎてそれなりに貯えもできはじめると、集まった席上で誰も聞いていないのに、「この時計気になるだろ」なんて高級時計を見せる友だち・・何人もいた・・。

ワインのボトルを手に取り、ラベルを見ながら自らの知識を披露し、蘊蓄を語り出す友だち・・何人もいた・・。

休日に集まって飲んでいるのに、わざわざ取引先の外国人に電話して、皆の前で英語で笑いながらしゃべり始める友だち・・ひとりいた・・。

自分の社会的評価を「物」や「行動」で示そうとしたものというふうに書かれていましたが、そういうことなんだろうな、と思いました。

で、今やそういう人たちはとは一線を引いてなるべく関わりを減らしました。
もっと楽しい話がしたいのです。

というわけで、ちょっと古い本でしたが、気軽に頷きながら読んでしまいました。

 

2022/09/11

「怒る技術/中島義道」を・・読んだ。

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『怒る技術/中島義道著(角川文庫)』を・・性懲りもなく読みました…σ(^_^;)

このブログでは以前に「偏食的生き方のすすめ」というこの著者の本の読後感を載せましたが、あのときは「もうイヤ、うんざり」と思ったわけです。

とにかく怒ることに人生の喜びを見いだし、トラブルになればなるほど、相手がムキになればなるほど“ふるえる”ほどの喜び方をする著者には“あきれ”、“うんざり”し、“怖ろしく”なったのでした。

・・なのにまた別の本を手に入れ、読んでしまった・・。

怖いもの見たさというか、遠くから凶暴で残忍な生き物を見てみたいというか、そんな気持ちなのだと思います。

今回読んだこの本では、前回の著書とは異なり、別のアプローチで「怒り」に取り組んでいます。

人は「怒らなければいかんっ!」というのが一番の著者が言いたいことのようです。

それが、引き籠もる人や、自らの気持ちが充足されない人、極力怒るのを我慢することを生きてきた中で体に染み込ませてしまった人、などにとって、ある意味解決方法になるというのですが・・、ほんとうだろうか。

相手の言っていることを“ひと言一言”分析し、自らの怒りをも事細かに分析し、相手にぶつけるときの効率の良さや、反論されても動じない理論&精神武装についても書かれていました。

怒るといっても、政治や、物価高、世の事件などに対して怒っているのは自分、世間への誤魔化しで、偽善的な行為に著者には映るらしいし、著者がよく怒りの対象にしている「駅のアナウンス」や「照明等の無駄な点灯」「決まり切った定型のお礼状」などについては、相手がどんなに戸惑おうと、相手に何度でも立ち向かい、どんなに性格の良さそうな人でも、優しい人でもトドメを刺そうと全力で、しかも理論的に怒りの刃を振りかざします。

歌舞伎や、その他様々な舞台などを見て、残忍な人やずる賢い人、理不尽な境遇などが物語の中で繰り広げられても、家に帰ってそのようなことが自分に起こりうるのだと常に身構えるようでなければ、そんな輩は掛け値無しのアホだと言うのでした。

・・そんなことはわかっていて、人生の中では何ごとが起こるのかわからないことなど皆しみじみ感じて過しているのだ・・と言ってもこの人は聞かないでしょう、逆に乗り込んで来て“ギタンギタン”にされるでしょう。恐ろしい人だ。

「怒らない」ことをテーマにしてベストセラーになっている本がある中で、この「怒らなければならない」ことをテーマにした本もたぶん売れているのだと思います。

どちらかと言えば「怒らない」方が自分の身体にも精神にも健康上良いと思うのが私です。

怒っているあいだに、怒りを相手に時間をかけてぶっつけているあいだに、もっともっと自分の人生を豊かにする行為や、出来事、人との関係、その他読書や旅行や、楽しいことがいくつもあって、それを体験することに時間を費やしたいと思うのが、今の私です。

私も、多くの怒っている人の相手をする仕事を何種類も何度も経験しましたが、そのほとんどの人が“かまってちゃん”でした。

そういうことでしか、人と接したり、関わり合いになったり出来ないんじゃないかと・・私は思うのですが、こんなこと言ったら何度でも乗り込んで来て、降参しても、謝罪しても何をしても叩きのめすまでやられちゃうんでしょうね。
一生やってるんでしょうね。たぶん心をゆるして語り合ったり、時と空間を過したりするような人は、この人には一人もいないと思う。

私は、楽しく、ゆったり、おだやかに過します。

 

2022/09/10

「森村誠一の写真俳句のすすめ」という本を読んだ。

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『森村誠一の写真俳句のすすめ/森村誠一著(株式会社スパイス)』という本を読みました。
これもブックオフで見つけました。2005年発行のものです。

この本はようするに、森村さんが俳句を詠むことに目覚め、それも自ら外に出て歩きながら、しかも写真を撮りながら俳句をひねるという手法がとてもいいんじゃないかということに気づいた、ということを書かれています。

この写真を撮りながら、というのに私がピピンと感じるものがあったので、思わず手に取ったわけです。

テレビ番組の「プレバト」などでも、俳句のコーナーで毎回お題を出すときに画面には写真が一枚出て、それでイメージをふくらませるというようなことをやっています。
これは見ている私達にもわかりやすいな、と思っていました。

それを森村さんは積極的に写真と自らの俳句を同時に表現するという手法に出ていて、読めば読むほど俳句が引き立っているように感じました。

実際に森村さんの作品をこの本で見ていると、写真が同時に掲載されることによって、俳句に詠まれた世界がよりイメージしやすくなっていました。
写真が俳句を、俳句が写真を互いに補完し合っているような感じで、私も句集などを何冊か持っていますが、その文字だけの世界とは異なる、新しい俳句の存在の仕方を感じました。

それに、句をつくっている側も様々なところを歩いたり、いろいろなシーンに遭遇したりする楽しさ、ハプニング的なものも楽しめるのではないかと思いました。
さらに、写真を撮るということ自体にも俳句と同時に楽しめる要素があって、なんだか私もやりたくなってきた…σ(^_^;)

これから俳句をやってみようか、などという人には、ひとつのやり方かもしれないと思います。
俳句と写真、同時進行でやってみては、という本でした。

 

2022/09/09

【The Beatles 研究室・復刻版】Past Masters ・ Volume Two[A-8]Revolution

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2004年から2008年にかけて作成したホームページ「The Beatles 研究室」・・2009年リマスター発売後の一部追記も含めてのブログにての復刻版です。ほぼ当時のまま、そして復刻後追記も付しております。
15年以上前の文なので細部の表現・事実についてはお見逃しください。
今回は、アルバム「パスト・マスターズ Volume Two」から「Revolution」を取り上げます。
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ジョンがアップル・レーベルからのシングル第一弾用に書いた曲ですが、それは元々「ホワイト・アルバム」に収められている「レボリューション“1”」でした。

しかし、他の三人のメンバーにスローなブルース・バージョンはシングル向きではないということで、このアップテンポなロックンロール・バージョンに変更したというわけです。でも、結局シングルA面はポールの「ヘイ・ジュード」に取られてしまったんですけど。

この曲はニッキー・ホプキンスというピアノ奏者を呼んで、エレクトリック・ピアノを弾いてもらっていますが、ちょっと割れた感じの音色とクルクル回るようなフレーズなど、なかなかビートルズに馴染んだ素晴らしいプレイを聞かせてくれます。
ローリング・ストーンズのアルバムなどでも活躍しているミュージシャンです。
ここでの成功が後のゲットバック・セッションでのビリー・プレストン招聘に結びついたのかもしれません。

曲全体は圧倒的なギターのファズサウンドが支配し、豪快で爽快なロックンロールに仕上がっています。元々のスローなバージョンを想像することができないくらい、このアップテンポ・バージョンは出来がいいです。

リンゴはバスドラムとスネアのみでリズムを刻み、これも跳ねながら圧倒的な低音強調リズムになっています。

これを書くにあたり、アナログのシングル盤(日本盤のオデオン・レーベルとアップル・レーベルを所有していたので)、それから米キャピトル輸入アナログ・レコード盤の「ヘイ・ジュード」収録バージョン、そしてこのパストマスターズ収録曲を聞きました。

アナログ・シングル盤はモノラル録音で、実はこれが最高に良い出来でした。
音の固まりになってスピーカーから飛び出してくる迫力、リンゴのドラムの音もステレオ盤と異なり適度に低音が抑え気味で絶妙です。
オデオンもアップルもほぼ同じ音でした。

米キャピトル・アナログ盤はステレオで、右からギター、左にリンゴのドラム、真ん中にジョンのボーカルという配置ですが、低音を強調し過ぎている感があります。アメリカ好みなサウンドなのかもしれません。

CDの方は基本的に上記キャピトルのステレオ盤に準じていますが、ドラムの低音はやや抑えめです。
ただ、ステレオ・ミックスはアナログもデジタルもジョンの声が真ん中から痩せた感じで聞こえてきて、それがちょっと気になります。モノラルでは全く感じませんでした。

レボリューションには、プロモーション・フィルムとして世に出ているバージョンもありますが(クリアなビデオ映像)、ここでのポールとジョージの「ポップ・シュビデュワ」とコーラスが入るものも素晴らしい出来です。
ここでのビートルズは演奏もプレイする姿も格好良すぎです。

レボリューションの詩の中身はどうかというと

「でも、何でもぶっこわせという話なら 悪いけど、僕は“イチ抜けた”だ 憎むことしか知らない人のために金がほしいというんなら 僕にいえるのは“兄弟、ちょっと待った”だ」

「それが社会の構造だっていうんなら 自分の精神構造をまず自由にしたほうがいいんじゃないの」

など、ジョンらしいものになっています。訳詞を見ながら聞くのもいいかもしれません。

トレブリーでノイジーなギターサウンドと共に、ジョンの世界を堪能できる一曲です。


〈追記〉2022/09/09

このオリジナル・ホームページを書いた頃には、まだ2009年リマスター盤が出ていませんでした。
なので、今回そのリマスター盤を含め、現在聞くことのできるバージョンを聞いてみて、追記いたします。

さらにマッシュアップされた「LOVE」バージョンや、近年出された「ホワイト・アルバム」のデラックス・エディションに入っているものもあり、さらにさらに、レボリューションには、「レボリューション1」や「レボリューション9」と、もともとレボリューション9が演奏の後部に付いているものもあり、「ホワイト・アルバム」の曲を研究・ご紹介のときにもそれらについて書こうと思っています。

とりあえず今回は、テンポの早いシングル向けの「レボリューション」に近い録音を聞き直してみます。

まずは、デラックス・エディションの「イーシャー・デモ」から

ジョンがアコースティックギターでオリジナルと同じくらいのテンポで歌っています。
複数人の手拍子も入っています。楽器というか、演奏はそのギターと手拍子のみです。
意外とシンプルでいいです(*゚▽゚)ノ
ちょっとくだけた感じのコーラスも入り、リラックスした演奏はとても楽しい。
曲全貌はもう出来上がっていて、あとはエレキ・ギターやベース、ドラムをどう演奏するか、みたいなところまでいっています。

次は「モノ・マスターズ」

非常にバランスよく楽器の音が聞こえるし、スピーカーから“一体”となって音が飛びだしてくる感じです。
ギターの音などは激しくオーバーロードしているにもかかわらず、耳障りとなることなく聞きやすい。ジョンのボーカルの音量も抑制が効いています。まさに“ちょうどいい”というミックスです。

次は2009年・ステレオ・リマスターの「パスト・マスターズ」

アナログでは違和感のあったドラムやベースの異常なくらいの突出した音量も制御されています。
ディストーションのかかったギターもうるさくなり過ぎないところで抑えられていて、こちらも聞きやすいと感じました。
ジョンのボーカルは、モノラルよりも生音っぽい印象があります。
リンゴのドラムもスネアの音などとてもカッコイイ音でミックスされています。

次は「青盤」のリマスター

上記ステレオと同じミックスのはずですが、なんだかこっちの方がワイルドなサウンドに感じます。ギターの音も歪み具合が強いように感じる・・そんなことはないはずなのに。
でもって、ボーカルなどの音は角が取れているというか、“面取り”したみたいな“まろやか”さを感じるという・・気のせいなのか (・_・;・・でも、とてもいいミックスだと思いました。

続いてマッシュアップ・アルバムの「LOVE」から

音は少し“もこもこ”している。だが、バスドラムやベースはけっこう思い切ってボリュームを上げています。
ギターは過剰なくらいにオーバーロードしている部分を強調して、ハウリングもそのまま生かしている。
これはけっこう“きつい”感じで作っていて、聞いているこちらも“しびれ”ました。

デラックス・エディションの「セッションズ」に入っている「テイク14」

これは、演奏だけでボーカルのないものです。
このくらいギターのディストーションは効かせようというような“探る”段階なのかもしれません。
ジョン独特のハンマリング・オンをしながらのリズム・ギターをよく聞く事ができます。
本番の音はさらに過激になっていくのですが、このバージョンも面白い。

同じくデラックス・エディションの「セッションズ」の「アンナンバード・リハーサル」バージョン

こちらはまだハードなギターサウンドになっていない頃のもの。
ジョンのギターは“生音”に限りなく近い。
ジョージもまだどう弾こうか試しながら弾いています。

 

2022/09/08

永六輔さんの「聞いちゃった! -決定版・無名人語録-」を読みました。

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『聞いちゃった! -決定版「無名人語録」-/永六輔著(新潮文庫)』を読みました。
1984年から1995年に雑誌「話の特集」に連載された「無名人語録」と「沈黙は金曜日」その他から抜粋し、あらためて編集したものだそうです。

ようするに、ちまたで永さんが耳にした有名無名問わず、聞いちゃった話をどんどんメモ書き的に綴ったものです。
だから、そのお言葉の数々は“玉石混交”!!

けっこう今だと本に載せるのも“はばかられる”ような内容も多く、当時は大らかだったんだな、というのと、これを載せないということは、つまらない本になってしまう・・とも思いました。さじ加減が難しい。

そんな中で私好みな感じのお言葉をいくつか。

「あかの他人同士が起こす奇蹟、それが夫婦というものです」・・そんな気がする(^_^;)

「夫婦というのは、別れそこなった男と女のことです」・・それも一理ある(^^;)

「死ぬということにはベテランや名人はいません。死ぬのは、みんな初心者です」・・どうしても“へたくそ”で死ねなかったという人はいませんものねぇ (・_・;

などなどです。

あと、お役所に“ちくり”とやっていたのがありました。

「ノーマライゼーションによるゴールドプランのシルバーエイジ・アメニティライフをサポートするエルダースタッフの集い・・。厚生労働省関連で、そういう会があるんだけど、行く?」・・ってやつd(^_^o)・・いくわけねえだろっ!!

私も、病院の待合室や、その他買物に出かけたときなどに、耳に入ってくる面白い会話や、不思議な会話、理不尽な会話、独善的な会話、いろいろそのときには気になったりするのですが、如何せん覚えておくことをしていないので、今後はスマートフォンなどにメモして、このブログでも“面白いお言葉”などをご紹介しようかな、などと思いました。

 

2022/09/07

内館牧子さんの「カネを積まれても使いたくない日本語」を読みました。

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『カネを積まれても使いたくない日本語/内館牧子著(朝日新書)』を読みました。
またまたブックオフにて安価購入。2013年発行となっていますが、どうやら見本版のようです。その旨のスタンプが押されていました。

まずは、こういう本を書こうとして、実際に作り上げたことに対して、さぞかし大変だっただろうし、いろいろなことを言ってくる人がたくさんいるであろうに、その意志の強さに敬意を表します。
言葉の感じ方というものは、人によって様々で、内舘さんもこの本の中でいろいろな人が気にしている言葉に驚いたり、内舘さん自身はあまりこだわらない言葉についても人によっては大いに気に障ったり、まさに十人十色です。

それでも書きたかった“カネを積まれても”使いたくなかった日本語d(^_^o)しかと読ませていただきました。

よく言われる「〇〇させていただく」についてもふれられていましたが、官僚などが使う「ございます」口調も加えた『お示しをせさて頂いてございます』→[示してあります]でいいのに・・。
こういう言葉には、私もビンビンと共感アンテナが反応しました。

「〇〇感」っていうのもありました。『食べた感がある』などという使い方をされているものです。私も、よくファッション関係の人が「“ぬけ”感がでています」などと使っていると、そりゃなんだ!と思うことがありました。

「普通に〇〇」というのも取り上げられていました。
「普通においしいです」って、私も部下に食事を奢ったときに言われて「おいしいのか、おいしくないのか、どっちだ?!」と思ったことがあります。

このあいだもテレビで、若い男性タレントが、高校生の写真甲子園での奮闘ぶりをビデオで見て、「普通に尊敬します」と言っていました。これって「ま、よくやってんじゃね?」というふうに私は取ってしまいましたが、きっと「私は“素直に”尊敬の気持ちをいだきました」ということを言いたかったのかもしれません。

あとは、「そうなんですね」って相づち。
よく女性アナウンサーなどが使っているのを耳にします。
「北海道、寒かったけどラーメンが美味しかった。」→「あ、そうなんですね」というぐあい。
たぶん、ぜんぜん聞いていないし(^^;)興味もないということがよくわかります。
でも、この「そうなんですね」の“使い手”は多いですね。なんの関心もないことが“見え見え”ですよ!

あとは政治家がよく使う言葉。
「しっかり、きっちり」については、内舘さんは厳しいですよ。
「しっかり」を使った時点で、“自信が無いのだろう”と思われるとおっしゃっています。
首相や大臣になり立ての人が就任挨拶でよく使っていました。自信が無かったんでしょうね(^_^;)

さらに「〇〇をする」も取り上げられていました。「設置をする」「確立をする」「共有をする」などです。設置する、確立する、共有するじゃだめなんですかね。
これも自信が無いのだと思います。

ついでだからあといくつか挙げておきますが、

認識しております、把握しております → 政治家に特に多く、主に“言い訳”するときに使います。

緊張感をもって、スピード感をもって → これも“口先だけ”の発言のときに主に用いられています。「真剣にやります」「急ぎます」 と言えばいいのですが、真剣にやった“ふり”、急いでいる“ふり”をするだけなので、「感をもって」やるとしか言えないのです。

以上、この本に書かれていることのほんの一例をご紹介しましたが、私には実に面白かったd(^_^o)
人になんと言われても、こういう言葉へのこだわりは、ずっと保っていたいと思います。

 

2022/09/06

【はっPのアナログ探訪_0162: 玉姫様 / 戸川純 ( LP )】

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このアルバムも何十年ぶりかに聞きました。
当時は、ものすごく“アンダーグラウンド”な印象がありました。
歌詞のほとんどは戸川純本人か、あの佐伯健三が書いていて、実にマニアックで不思議で“おどろおどろしい”ものがあります。

なのに、シングルとなった「玉姫様」はかなりメジャーな感じでテレビなどでも見かけました。
「夜のヒットスタジオ」に羽根を背負って登場した玉姫様(戸川純)があやしく歌い、最後はスモークで濡れていたスタジオの床にに痙攣しながら倒れ込むなどという演出も記憶にあります。
司会の芳村真理さんが笑いながらもびっくりしていた姿が思い出されます。

その後、すっかり顔が売れた戸川さんがウォシュレットのCMで「お尻だって洗ってほしい」とテレビ画面に登場したときに、TOTO は絶妙なところに目を付けたな、などとも思いました。

話がそれましたが、「憂悶の戯画」「隣の印度人」「蛹化の女」など、タイトルを見ているだけでも、文学的というか、摩訶不思議世界にいざなわれるような曲ばかりです。

 

 

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そして、演奏もとてもしっかりしたもので、各楽器とも、がっしりと強力なプレイが展開されています。
それがまたこのアナログ盤にしっくりと馴染みます。
硬質な音の演奏がレコード盤で掛けることによって、“ちょうどいい”やわらかさで耳に入ってきます。

あの1980年代の懐かしい音の雰囲気を思い出しました。

 

2022/09/05

佐川芳枝さんの「寿司屋のかみさん、エッセイストになる」を読みました。

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『寿司屋のかみさん、エッセイストになる/佐川芳枝著(講談社文庫)』を読みました。

すでに著者の佐川芳枝さんが書かれた本については、「-寿司屋のかみさんが教える- おいしいもの、まずいもの、どうでもいいもの」をこのブログでご紹介したことがあります。

そのときに、著者・佐川芳枝さんの文について、失礼ながら初めて読んで、実に軽妙、軽快、そして寿司屋のおかみさんの話なので、お寿司やそのネタについての表現、書き方があまりにも素晴らしくて驚いたことを書きました。

今回読んだ佐川さんの本は、そんな“エッセイスト”になるまでの寿司屋のおかみさんの“奮闘”について書かれたものでした。

新聞への投稿や、いろいろな懸賞のかかった短文についての応募などをとおして、徐々に実力をつけた佐川さんが、ある人からのすすめで長篇物を書いてみては、となり、300ページの原稿を“駄目だし”をもらいつつ三回も書き直し、しかもその間“七年”!!
悩みながら、苦しみながら、だんなさんに支えてもらいながら、あきらめずに書いて、ついに一冊の本に・・というお話でした。

でも、今回もそうでしたが、その苦労をしている時期についても様々な明るくて面白いエピソードなどが散りばめられていて、読んでいるこちらはとても楽しく読むことができるのです。
これが佐川さんの書く文章のいちばんの特徴ではないでしょうか。

その後、新聞やテレビのインタビューを受けたり、「講演」の依頼を受けたり、佐川さんの本がテレビ・ドラマ化されたり、作家と出会ったり、同業の方達とも多く知り合いになったりと、めくるめく時間が過ぎていく様子も描かれていました。

佐川さんの本を「音声化」させてほしいという、いくつかの図書館からの依頼にもこころよく応えたところ、好評を得たとのことでした。
それは、佐川さんの文が音声化されても、実にわかりやすく、明快な言葉で書かれ、テンポが良いことがそうさせたのだと思います。

佐川さんの本を音声で聴いて、白い杖をついた団体が佐川さんのお店をたずねて来た話にも感動しました。

前回に続き、とてもいい本でした。
佐川さんの本については、もう一冊手に入れていますので、また読後に感想を書きたいと思います。

 

2022/09/04

海老沢泰久さんの「人はなぜバーテンダーになるか」を読みました。

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『人はなぜバーテンダーになるか/海老沢泰久著(TBSブリタニカ)』を読みました。
ブックオフです、これもまた。

この本には、十三人のバーテンダーの話が収められていますが、平成5年から7年にかけて『サントリー・クォータリー』に連載されたものをまとめたものだそうです。

その時代に銀座や地方の名店で名を馳せたバーテンダーの方々を訪ねて、お話を聞いたものなのですが、当然その人たちは大正から昭和初期に生まれた方々で、戦争そのものに関わった人や、関連の軍事工場で働いたり、貧しい家庭に生まれ、東京に出て来ての苦労話など、過酷な時を何年も過されています。

その話だけでも「一代話」が出来上がってしまうのですが、そういう大変な話のあとに、バーテンダーとしての苦労話が始まります。

そもそも戦後には酒自体があまり無かったのに、いろいろなルートを見つけて入手したり、“あやしい”酒と言えるかどうかみたいなものも出していた話まで載っていました。

でも、この本に何度か出て来た言葉が「戦争があろうが、どんな厳しい時代だろうが、酒を飲むやつは酒を飲む」ということで(^^;)、戦後間もない頃でも酒を飲ませるところは何とか商売になっていたようです。

そしてその後、昭和三十年代から四十年代が、いわゆるバーテンダーのいるバーの全盛期だったようです。
バーテンダーの基本的な一日の過ごし方などは、今の若い人では一週間も持たない厳しい修行が続き、それでもその中で先輩チーフバーテンダーからカクテルのつくり方を“盗んで”いく様なども書かれていて、面白く読みました。

読んでいて何よりも強く感じたのは、バーテンダーは、ただカクテルなどのお酒をつくるだけでなくて、人と接することが、カウンター越しに出会うその空間こそが楽しみになっているというお話をされる方が多数だったことです。

そういうバーに行って、一日の仕上げに一杯やれる、そんな人間になりたいものだと思いました。・・まだ実現していない…σ(^_^;)

 

2022/09/03

和田秀樹さんの「感情的な人に負けない本」を読みました。

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『感情的な人に負けない本 -いつも機嫌よく-/和田秀樹著(新講社)』を読みました。
またまたブックオフで安価にて購入。

精神科医・和田秀樹氏による表題のタイトルの本、気になって読んでみました。
今まで書店などでよく見かけたのは、「感情的にならない本」だとか、「感情的にならない話し方」など、自らが感情的にならない方法が書かれたものだったのですが、今度は自分が相対する相手方が感情的な人だったらどうするか、という本でした。

なぜこういうテーマが気になったかというと、仕事から離れ、療養生活をしている現在、たまたま町内会の役員という立場が回ってきて、会員各戸を回る機会に“感情的な人”がいた・・そして、仕事をしていたときにはクレーマーなどの相手をする職場にいたこともあったのに、その感覚がよみがえって来ず、久しぶりに苦労してしまったことが原因です。

あらためてこの本を読んでみて、相手との距離感がつかめなかったことが原因だったな、と反省しました。

相手の言うことに、まともに反応し、距離をつめて正面から話をしてしまったことが良くなかった。
相手からの攻撃(口撃?)には、ボクシングでいう「スウェー」で、かわしていくことが大事だと再三書かれていました。
こちらが心を落ち着かせて、相手とまともに“打ち合わない”ようにしなければいけなかったのに、そんなことあの頃はわかっていたのに、すっかり忘れてしまっていたのでした。

この本では、感情的になる人が、いったいどんな人なのか、様々な考察をしていましたが、それも役立つと思いました。
そんなに緊迫した場面でなくとも、人とつき合う中で、相手を知ることは大切なことです。
その“コツ”のようなものを忘れずにおこう、と、あらためて思った次第です。

また勉強しちゃいました。

 

2022/09/02

ドナルド・キーンの「二つの母国に生きて」を読みました。

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『二つの母国に生きて/ドナルド・キーン著(朝日文庫)』という本を読みました。
1980年代半ばにキーンさんが六年にわたって「リーダーズ・ダイジェスト」日本版のために書かれたものです。
これもブックオフで見つけた本です。

日本文学研究者のキーンさん、文学だけでなく「桜」や「軽井沢」などの日本文化についても書かれ、戦争犯罪についても公平な“まなざし”で書かれていて、現在のロシア・ウクライナの状況を考える私の視線も少し方向が修正されたような気がしました。

さらに谷崎や三島などの文学者との交流も書かれ、実に興味深かった。

1980年代当時の新聞報道についても日本はかなりの“自由度”があるということを書かれているのですが、当時は想像も出来なかったと思いますが、ここ三代くらいの首相の間は、なんだか報道については“無言かつ暗黙”の規制が存在しているのではないかと感じます。
キーンさんが生きていられたら、どう書いたのか・・と思いました。

週刊誌については、自制力(読者の低次元の欲求に対して)が弱いようだが、「社会的に尊敬を集めている人々にも弱点があることを知りたがっているのが世間だ」というようなことを書かれています。

ようするに、有名人が享受してしきたものに対する羨望が姿を変えて現われるのだと書かれていますが、そのとおりだと思いました。

キーンさんは第二次大戦時は、アメリカ側にいたわけですが、戦争末期の日本の都市への無差別爆撃や、広島、長崎への原爆投下による大量虐殺についても、自らの公平な意見を書かれていました。あの東京裁判についても。
私自身も自分の考えをあらためて確認することになりました。

この世への幻滅を感じたときに、日本人には仏教の「富を蓄積したところで、死ぬときには何らの意味をもつわけではない。家族も友人も、救いの手を差し伸べられるわけではない。」という考えが、その幻滅感を克服するに役立ったのではないか、ということも書かれていて、・・そうかもしれない・・と思いました。

そして、建築物や木像などは歳月の影響を受け、やがて形が無くなるという思想も仏教の無常的な考えの影響ではないかと。
それでも、その無常感に挑むように千年以上も奈良で造られた建築物や木像はいまだ朽ち果てることなく存在している・・というのがなんだか日本人としてうれしいものです。

さまざまなことについて、あらためて日本人として考えることになったエッセイでした。
キーンさんの本は、まだ日本文学について書かれたものを手に入れていますので、その読後感についてもまた書きたいと思います。

 

2022/09/01

【南先生の玉手箱_0049_冬季オリンピックが話題の中、曲技芸の中にある大切な本人らしさを見たい】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回は、「らくがき」と称していた配付プリント裏側にあった「ひとり言」という、当時の冬季オリンピックを先生が見ていて感じたことを書かれたものです。

中心にある先生の絵は、フィギュアスケートの選手が滑走しているところと、スピンしているところが描かれています。


以下、先生の文章です。

※最初に「但し書き」のようなものが書かれていました。文字が中心の絵の周りをぐるぐる回っているのでとても読みにくいことについてご自分で注意書き的なことを書いています。↓
【ひとり言です。大変読みにくいので、無理をしないでください。定規をあてたりすると何とか読めますが、内容はおまけのようないつものらくがき内容です。】

では、ここからが本文です(^^;)↓

冬のスポーツ冬季オリンピックなどが話題の中、各地でマラソン・駅伝等の催しがテレビ、ラジオ、また新聞を通してたくさん報道されるのを時々見ることがある。

マラソンなど、得意ではないが、長いところを精一杯がんばってゴールする気持ちは良いもので、走った時のことを思い出すことがある。
冬は、特に走るなどの体力づくりに進んでとりくむのが良い。

長い人生の健康つくりに大切な部分かと思っている。
私ごと、小さい頃、体は弱いほうだったが、中学の担任の先生が運動はいいから陸上部にも顔を出しなさいと言われて部活動のかけもちをしたのを思い出す。

どの道でもその中で一番になることはそれこそ何億分の一の確率だが、五体満足にある者にとって、自分の健康体力つくりは自分の責任だと思います。

偶然だが、ちょいとフィギュアスケートに触れて思うことがある。
今年もトリノ・オリンピックが話題になっているが、どの選手を見てもその芸は曲芸的で、普通一般に真似のできる技ではない。

そんな状況の中で各選手の持ち味の他にやたらと難易度とか、点数をつける側の注文が気になる。

これはスケートばかりじゃあなくて、何の分野についても同じことが言えるような気がする。何かの作品展覧会でも、作品そのものからストレートに感じる部分を強く評価してもらいたいのだが、もっとここをうまく表現するとか、こんな色だともっと良い作品になるなど、多くの注文を見る側から出してくるので、作品が本来持っている良さなどが消えていく。

そんな場面に出会うことが多い。
そのものが持っている良さや味を大切に感動そのものを素直に評価の形にしてほしいと思ったりすることが多い。

スケートの世界でも今回のオリンピックに出場はできなくても、他に何百何千人とその競技を通して夢追いかけて魅力的な表現に日々全力投球している若者たちがいる。
人はお互いに誰かのため、また何かのために生かされているのではないことを時に確認しながら評価する側、される側、教える側、こっちとむこうお互いの関係の見直し、気くばりをしていきたいものてす。

何につけても本人らしさが魅力の原点です。


以上が先生の文でした。

トリノ・オリンピックを見ていて感じたことを書かれているので、2006年(平成18年)の文だと思われます。
たしかに先生が書かれているように、もうフィギュアスケートは豊かな表現だとか、流麗な演技よりも、“難易度”“高度な技術”が中心になってきていて、これは他の競技でも同様な気がします。

だから、私はもうフィギュアスケートもそうですが、オリンピック自体もほとんど見なくなってしまいました。
それに“お金”のために開かれていることが近年の事件でも明らかになり、すっかり“冷めて”しまったのです。

そんな今の私のような気持ちを、当時、先生も感じていたのだなと思いました。

 

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