ドナルド・キーンの「二つの母国に生きて」を読みました。
『二つの母国に生きて/ドナルド・キーン著(朝日文庫)』という本を読みました。
1980年代半ばにキーンさんが六年にわたって「リーダーズ・ダイジェスト」日本版のために書かれたものです。
これもブックオフで見つけた本です。
日本文学研究者のキーンさん、文学だけでなく「桜」や「軽井沢」などの日本文化についても書かれ、戦争犯罪についても公平な“まなざし”で書かれていて、現在のロシア・ウクライナの状況を考える私の視線も少し方向が修正されたような気がしました。
さらに谷崎や三島などの文学者との交流も書かれ、実に興味深かった。
1980年代当時の新聞報道についても日本はかなりの“自由度”があるということを書かれているのですが、当時は想像も出来なかったと思いますが、ここ三代くらいの首相の間は、なんだか報道については“無言かつ暗黙”の規制が存在しているのではないかと感じます。
キーンさんが生きていられたら、どう書いたのか・・と思いました。
週刊誌については、自制力(読者の低次元の欲求に対して)が弱いようだが、「社会的に尊敬を集めている人々にも弱点があることを知りたがっているのが世間だ」というようなことを書かれています。
ようするに、有名人が享受してしきたものに対する羨望が姿を変えて現われるのだと書かれていますが、そのとおりだと思いました。
キーンさんは第二次大戦時は、アメリカ側にいたわけですが、戦争末期の日本の都市への無差別爆撃や、広島、長崎への原爆投下による大量虐殺についても、自らの公平な意見を書かれていました。あの東京裁判についても。
私自身も自分の考えをあらためて確認することになりました。
この世への幻滅を感じたときに、日本人には仏教の「富を蓄積したところで、死ぬときには何らの意味をもつわけではない。家族も友人も、救いの手を差し伸べられるわけではない。」という考えが、その幻滅感を克服するに役立ったのではないか、ということも書かれていて、・・そうかもしれない・・と思いました。
そして、建築物や木像などは歳月の影響を受け、やがて形が無くなるという思想も仏教の無常的な考えの影響ではないかと。
それでも、その無常感に挑むように千年以上も奈良で造られた建築物や木像はいまだ朽ち果てることなく存在している・・というのがなんだか日本人としてうれしいものです。
さまざまなことについて、あらためて日本人として考えることになったエッセイでした。
キーンさんの本は、まだ日本文学について書かれたものを手に入れていますので、その読後感についてもまた書きたいと思います。
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