【南先生の玉手箱_0052_東日本大震災後の自然環境についてひとり言】
私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回の文は、「雑資料」という綴りにあった一文です。他の一緒に綴られた文章から想像するに、おそらく平成18年頃のものだと思います。
戦後数十年と、あの大震災を経過しての自然環境に対するひとり言です。
以下、先生の文章です。
〈ひとり言〉
戦後六十数年、敗戦と復興の中で時代は平和(命)の大切さを実感しながら、物質的な豊かさ、暮しの便利さを求めて経済発展・成長を続けてきた、今、東日本大震災をもって、この100年、日本人ばかりではなく、地球規模で温暖化問題、生命体にかかわる自然環境の破壊状況は、針がふりきれて、危機的、大変な状況が続いている。
広島、長崎にとりかえしのつかない被爆体験をした日本が、今、世界に加害国になってしまった。
現代文明の進歩、発展を100パーセント否定する者ではないけれども、豊かさ、便利さを求めて流れてきた今、何かその姿には勘ちがい、思いちがいが充満し続けている。
暮しをふりかえってみる時、私たちの身のまわりにはちょっと前まで日本の美しく、暮らしやすい四季の中に五感を通して普通にかかわっていたきれいな水、空気、土が宝ものとして存在して、共存の暮らしがあったように思う。
夏は冷たく、冬は温かい地下水、井戸に冷やした夏のスイカはうまかった。
子どもの頃、近所の雑木林や家森にあそんだ中に感じた自然のエアコン、木森をぬけるさわやかな風や陽だまりにあったぬくもり、道路、空き地などで体感した小さい虫たちや植物など命の不思議を見て触って覚えてきた感覚が今は子ども時代から身近にぬりつぶされて五感はすっかり退化してしまったように思うことがある。
この夏にむけてまだ梅雨時と言うのに、毎日30度以上の気温はもう暮らしの限界を超えている。
それだからもっと快適にエコ製品の開発をくりかえす反対にストップ・ザ・便利、勘違いの豊かさを止めてあたりまえを実行していく時代と思う。
30年以上前から身近に姿を消していく雑木林や大きな樹に思いを寄せているけれども、この状況になってもまだ身のまわりで樹木の伐採が優先されての人の暮らしの中、水・空気・土の汚染が続いている。
おおげさなことじゃあない、誰もが普通に考えて、そうだよなあって感じられるうちに将来この先若者たちに豊かな命のバトンを引き継いでいきたい。
それこそ今時代が体験しているとりかえしのつかないことの数々に思いを寄せて、少しでも軌道修正していかなければと思う団塊の世代のひとりです。
以上が先生の文でした。
今回のテーマは、今でも先生に会うと、私に話してくれることです。
この夏も36度なんて熱暑の日が度々ありましたが、人はそんなとき立ち止まって「何かが間違っているんじゃないか」と思わなければいけないのだと思います。
・・なのに、神宮外苑の木々を何千本も切り倒そうとする人がいて、平気です。
自分のことだけ考えているヤツ、自分さえよければ何でもする。
百年かけて人々の手でつくりあげた樹木の自然環境を時間の流れからすれば一瞬の出来事で破壊することに平気な人。・・日本だけではありません、世界にもそんな人が何人もいて、自然も歴史も文化も破壊してそれでも平気な顔をしている・・。
そんなことを今回の南先生の文章を読んでいた考えました。
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