「美女という災難/日本エッセイスト・クラブ編」を読みました。
『美女という災難 -'08年版ベスト・エッセイ集- /日本エッセイスト・クラブ編(文春文庫)』をブックオフで見つけ、読みました。
どのエッセイも面白い話、しみじみとする話、思わず涙する話、懐かしい話、夫婦の話、・・などなど・・が満載でとても良かったのですが、それだけでこの読後感をアップするのも何なので。
上記例のようなお話ではなくて、とても気になったものをひとつご紹介いたします。
日本史研究者で今や誰もが知っている磯田道史先生の「うぶだしや」というタイトルのエッセイです。
「うぶだし屋」とは、骨董品の買い取り業であるが、毎朝、新聞の死亡欄を丹念に見て、亡くなった人の遺品を買い出しに行くという・・そんな職業です。
磯田先生なじみの「うぶだし屋」に出かけると、段ボールに入った表装されていない絵をあさっている人がいて、その人の携帯に電話が入り、その場を外しているときにその絵を見ると、なんとも魅力的な少女(大正時代の山の手の育ちのよさそうな女学生が微笑んている)の絵ばかりだったとのこと。
あさっていたお客が全て買うことになっていたようだが、一枚主人が譲ってくれたとのこと。
その絵は大事にしまっていたのですが、家族からは「あなたが結婚できないのはあの絵をずっと大事に持っているからではないか」などと独身時代の磯田先生は言われていたとのこと。
その絵の裏側を見ると、絵画教室に通っていたらしく、先生の講評が記されている・・。
で、気になって出所をうぶだし屋に聞いてみると・・その家には明治・大正期の政治家の書簡がごっそりあった、さらに調べると、伊藤博文の友人で通信社を創業した社長宅であったとのこと。
絵を描いていたのはその令嬢で、若くして亡くなり、自分がもし元気であればこんな女性になっていたはずだという絵を描いていたのだというのです。
なのでうぶだし屋が買い取った書簡の中には近衛文麿の令嬢に対するお悔み状などもあったとのこと。
で、話は飛ぶのですが、なかなか女性と付き合うことのなかった磯田先生、ある日女性から青山墓地の桜が奇麗だからと花見のデートに誘われよろこんで出かけたとのこと。
誘ってくれた女性は顔は知っていたがそれほど親しくなかった、なのに電話で誘いをかけてくれた。
しばらく歩いて「桜、きれいね」と女性が立ち止まったところで、背後に磯田先生は気配を感じた。
目を移すと、そこにはあの絵を描いた令嬢の名が入った墓石があった・・(・_・;)・・享年二十七歳、昭和九年没」と記されていたとのことです。
今回、これがいちばん衝撃的な話でした。
そして花見に誘ってくれた女性とはそれっきりになったのだそうです。
磯田先生はいまもその絵をもっているとのことでした。
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