【南先生の玉手箱_0057_あそびの中で育まれる大切な部分】
私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回活字化するのは平成16年1月21日の日付が入った「らくがき」という配布プリントです。
タイトルは「あそびの中で育まれる大切な部分」というものです。
以下、先生の文章です。
《あそびの中で育まれる大切な部分》
学校では児童それぞれの発達、学年に応じてたくさんの学習や行事が計画・実行されている。
日頃の学習は知識を中心とした内容が多いように思えるが、学習や活動を通して身につけてほしい今学習していることのず~っとむこう側に大きな大切な目標がある。
それはひとつ言葉や文章で示すことは難しいのだが、家庭や学校でのあそびや勉強を通して生きる力「生活能力」と豊かな心「感性」を身につけることは大きな柱だと思います。
私ごと、現在の自分をふりかえる時、その力や感性など自分の原点とは子どもの頃の育ち方、学び方が基本になっていることに気がつくことが多い。
お互いに子どもの頃自分の育ち方など客観的に見たり考えたりすることなく夢中にその時を生きてきた。
子どもが子どもらしく、又、望ましい暮らしの環境をつくる責任は大人側にある。
このようなことはいつの時代にも同じことが言えるのでしょう。
今の子どもは、又、若者はどうのこうのとよく話題になることがあるのだが、何かにつけてできないと言うことの理由の多くは体験をしていないことが多い。
頭も体も身につけていくには実際の体験をすることで誰もがあたりまえに分かっていることなのですが、この実体験の場、特に今の暮らしの中には欠けていると思うことが多いです。
昨日、三年生で近所のおじいさん「今関さん」たちが来てくれて簡単なこまつくりをやりました。
時間の都合もあって材料からほとんどの準備をしてくれてありましたが、竹を切る、こまのまん中にちょっと穴をあける、こまに色をつけるなどの体験を楽しみました。
清水君ほか、ノコギリをうまく使う児童は自分で体験のある子、はじめての子でもやり方が分かるとすぐにできるようになりました。
机の上に五個ものせてまわして満足そうな顔、何かいつもとちがう授業は準備もあとしまつもいろいろと大変、でもちょっと前まではこのような体験はあそびなどを通してたくさんできたものです。
あそびや道具つくりを通して自然に身についているべきことが今の時代は難しい状況の中、子どもたちにその時間と場所を与えたいものですね。
以上が先生の文でした。
日々の暮らしの中で、遊びの中で、いろいろな実体験をしながら様々なことを身につける・・などということは上記の文が書かれた16~17年前でもすでに小学校に通う生徒達にはなかなか無いことだったようです。
このあいだ、私、町内会の会合に出たのですが、消防署の方からの防火についてのお話を聞く中で、「現在の市内では焚火をすることは出来なくなりました」と伝えられました。
子どもの頃、焚火をして芋を焼いたりしていましたが、そんなこともう出来ないんですよね。
鉛筆をナイフで削ったり(文房具屋さんに行くと“ボン・ナイフ”などという子供用ナイフが売られていた)することももうないのでしょうか。
そういえばリンゴの皮をむけない子供も多いみたいです。
実体験の大切さを書かれた先生の文を読んで、さまざまなことを思いました。
« 「すすれ!麺の甲子園/椎名誠」を読んだ。 | トップページ | 「美女という災難/日本エッセイスト・クラブ編」を読みました。 »
「南先生の玉手箱」カテゴリの記事
- 【南先生の玉手箱_0060_子ども時代にたくさんかかわること】(2023.05.08)
- 【南先生の玉手箱_0059_坂〇苑交流会に参加して】(2023.04.07)
- 【南先生の玉手箱_0058_暮らしの中で身についていたものができなくなった】(2023.02.21)
- 【南先生の玉手箱_0057_あそびの中で育まれる大切な部分】(2023.01.28)
- 【南先生の玉手箱_0056_惻隠の情】(2023.01.06)
« 「すすれ!麺の甲子園/椎名誠」を読んだ。 | トップページ | 「美女という災難/日本エッセイスト・クラブ編」を読みました。 »
コメント