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2023/06/25

「文豪の凄い語彙力」を読みました。

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『文豪の凄い語彙力/山口謠司著(新潮文庫)』を読みました。
もうねぇ、いつもブックオフの100円コーナーです(^_^;)

文豪と呼ばれる方達が使われる言葉にはいつも読んでいて「これは!」と思うような、その表現にはぴったりだと思うもの、聞いたことがないがなるほど絶妙と思うもの、ここでこれを使うか、というような“目から鱗”的なものなどがあります。
この本はそういうものを集めたものでした。

〇すっぽり飯

永井荷風が「一人ッきりの、すっぽり飯はいやだな」と、使っています。
私はまったく知らなかった表現ですが、「すっぽり飯」とは、「汁、湯茶をそえないで食べるご飯、またおかずなしで食べる飯」のことをいうそうです。江戸の言葉だとのこと。
一人きりの寂しい食事の様子を表すのにはたしかに持ってこいな表現だと思いました。

〇生中(なまなか)

内田百閒先生が「貧乏の絶対境は、お金のない時であって、“生中”手にはいると、しみじみ貧乏が情けなくなる」と使っています。
「生中」は中途半端で具合が悪い感じを表すとのこと。
この言葉、私がまだ就職したての頃に使っている先輩がいました。
「なんか、いい感じに言いたいことがわかる面白い言葉だな」と、当時感じたことを思い出します。

〇岨(そば)

島崎藤村が「木曽路はすべて山の中である。あるところは“岨”づたいに行く崖の道であり・・」と使っていたものが例示されていました。
「岨」は、険しい場所を一語であらわすものだそうです。
これも明治生まれの老人が、私がまだ子供の頃に使っていたのを微かに覚えています。
やはり“感じ”が出ていて、良い言葉だな、と思いました。

上記、三つほど気になった言葉を挙げてみましたが、近年、私の語彙はますます減っていくばかり、そして周囲を見回しても全部「ヤバい」で片付けるような人も多い、そんな中、小説を読んだときにでも『いい言葉』に出会って、出来ればそれを使ってみたいな、と思いました。

 

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