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2024/02/04

「大河の一滴/五木寛之」を読みました。

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『大河の一滴/五木寛之著(幻冬舎)』という本を古本で入手。読んでみました。

平成10年発行の本ですが、書き下ろしの「人はみな大河の一滴」と共に「プレジデント」「家の光」「別冊サライ」からの文章も同時収録、さらにNHKラジオの「ラジオ深夜便」での語りも収録されたものとなっています。

読んでみて全体の印象は、五木さんが生きてきた中で、世の中の動きやその様子というものを自分はどう理解したらよいのか、また、そんな世の中で自分はどういう存在なのか、どう行きていったらよいのか、ということが書かれていたと思います。

この本のタイトルどおり、人は滔滔と流れる大河の中のまさに水の一滴という存在ではないか、というところから始まります。
でも、たった一滴でもそれは大河の構成のひとつとなっている、それを一人一人がどう考えるか・・ということが冒頭に書かれていたのです。

私が印象の残ったのは、私たちは「地獄の中に生きている」という言葉でした。
人にとっては、日常が地獄であって、“ときとして”思いがけない小さな歓びや、友情や、見知らぬ人の善意や、奇蹟のような愛に出会うことがある。
勇気が体にあふれ、希望や夢に世界が輝いてみえるときもある・・と。

さらに人として生まれてよかった、と心から感謝するような瞬間さえある。皆とともに笑いころげるときもある。

その一瞬が極楽だというのです。私は今まで生きてきた中で上記の話に納得する部分が多いと感じました。

次に印象に残ったのは、聖徳太子が最後に残した「世間虚仮(せけんこけ)」という言葉の話です。
「虚仮」とは仏教の世界で「真実でないもの」、目に見える仮の現象的世界を言うのだそうです。

聖徳太子の本音の底に「なんとでたらめな世の中であることよ」という苦笑とも絶望ともとれるやりきれない気配が横たわっていると感じられるというのです。

この世には「真実」もあれば「虚仮」もある。人というものは、おかれた状況や立場、そのときの他者との関係の中で、あるときは善意を、あるときは悪意を露出させる不確かであやうい存在なのではあるまいか・・と五木さんに問われ・・そうかもしれないと思いました。

次に印象に残ったのは、「世の中おかしいぞ」と数年前まではだれもが事あるごとにそう思ったが、今はどんなことが起きても、そのつど大きなため息をつくだけで、嵐のとおりすぎるのを肩をすくめてやりすごしているように思える、という部分です。

まさに今がそれじゃないかと私は思いました。
そんな中、人はどういう選択をして行けばよいのか、ということが書かれていましたが、これについてもはっきりと選択を決めつけず、生きてゆけないものかということが書かれていました。
私には今の世の中のことを思うと憤りが先に来て、まだ冷静に考えられなかったのでした。

五木さんが語りかけるように書かれたこの本、二十年以上も前のものですが、私にとってとても参考になるものでした。

生きているってことは、つらいことがいっぱいで、やりきれないことがもろもろですが、でも、生きていこうと思いました。生きているだけで、それは素晴らしいことなんだと思いながら。

 

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