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『ナマコのからえばり8 ソーメンと世界遺産/椎名誠著(毎日新聞社)』を古本で見つけ、読んでみました。
「サンデー毎日」2012年12月30日号~2013年8月11日号に連載されたエッセイをまとめたものです。
読んでみると、ちょうど椎名さんが不眠症で苦しみ、「バスソルト」をすすめられ、効果を得ていた頃、そして自分の「死」というものに向き合えと編集者や医師に言われてハッとして「死」についての本を執筆している様子も伺えました。
・・と、書いても椎名さんの本をけっこう読んでいる人じゃないと時期がよくわからないと思います。文中で69歳にもうすぐなる・・と書かれていました。
けっこう昭和の“良き頃”を思い出して書いている部分もあって、私も経験した温泉地などへの社員旅行の様子も懐かしく読みました。
もうあの頃、みんなどうしようもなかった。
部屋の冷蔵庫の飲み物はみんなあっという間に飲んでしまい、幹事が怒り(※私はこの怒る幹事の方だった^_^;) 、宴会場では偉い人順に“コの字”で着席したり、ヘタな歌をがなるヤツがいるかと思えば、カンツォーネなんか歌いだす妙な趣味の人もいた(^_^;)
すぐに脱ぎだす人もいた。・・みんな椎名さんが当時勤めていた会社の宴会と酷似している。
この本の中ではブルーフィルム(※私の時代ではギリギリ見たことがない)を部屋で見る人達がいたが、私の職場の宴会では、不思議な芸を持つお姉さんが呼ばれ、あっと驚くエッチな芸を見せたりしていたらしいが、私はあちこちでトラブルを起こす先輩達の不始末をホテル・旅館側に謝りに行ったり、壊したものの支払についての交渉をしていたので見ていない・・。
などなど(T_T)いろいろなエピソードを我が事のように懐かしく読みました。
もうひとつここに書かれていたことで、私が似たような経験をしたのは、ある一定の期間“ワープロ専用機”が職場に広がった時期がありました。
いちばん“てっぺん”のボスも推奨していて(職員は8800人いた)、ボスが推奨する特定の機器がおじさんたちのワーキング・ツールとなっていました。
・・なっていましたが、Windowsが出て、パソコンが出て、当然ワードや一太郎、エクセル、ロータス123などが主流になるとあっという間にワープロ専用機は“すたれて”いったのですが、最後の最後までしがみつき、製造中止になる直前の機種を何台も買っているおじさんがいました・・( ゚Д゚)
椎名さんはそのしがみつき派に属していたようです。他の作家の本を読んでも同様のことが当時起こっていたことがよくわかります。
懐かしいなと思いながら読みましたが、宴会の幹事よろしく、今度は私はIT化の部門に異動になり、その隊長となって、ワープロしがみつき世代が課長さんになったあたりで、色々とパソコン、ネットワーク、搭載ソフトなどについてその課長さんたちから色々要望を聴取したことも思い出しました。
「パソコンは仕方ないがフロッピーディスクだけは死守して欲しい」という要望があまりにも多かったのには閉口しましたが、あまりの上からの圧力に、当時はもう無かったフロッピー・ドライブ内蔵型のノートパソコンを出雲の富士通工場でわが社のために(^^;)作製してもらったことを非常に感慨深く思い出しました。
出雲市の岩盤が強固な斐川町にあった巨大な工場・・これも思い出しました。
と、懐かしがっていたらあっという間に読了。
まだまだ椎名さんの本はストックがあるので、また感想書きます!
『いろんな気持ちが本当の気持ち/長嶋有著(ちくま文庫)』という本を古本で見つけ、読んでみました。
2005年に筑摩書房から刊行されたものに書き下ろしを追加し、文庫化されたものです。
著者長嶋有さんは文学界新人賞、芥川賞、大江健三郎賞を受賞されている方ですが、私はこのエッセイが長嶋有さん初体験となりました。
たしかに面白い話が次々と出てくる。
笑ってしまう話も多い。
そんなことまで気にするの、という話もあったし、ずいぶんと“奥手な人”だなと思うようなエピソードもありました。
でも、私とは年代が異なるせいなのか、方向が25度くらい“ズレて”いる感じがして、読んでいるうちにその“回りくどさ”についていけなくなり、疲労感が増してまいりました。
「レ・ミゼラブル」はそのとおり「レ」と「ミゼラブル」を離して発声しないと納得できない話、「ボ・ガンボス」は「ボ」と「ガンボス」をきちんと離して発声しないと気が済まない・・という話などにはなんだか体を“かきむしりたく”なりました。
著者は、友達からも「そこまで区切っていう人はじめてみた」と笑われたと書いていますが、話的にこれが面白いのかというと、わざわざ書くほどではないと思ってしまうのです。
私の感性が追いついていないのか、とも思いましたが。
歯の噛み合わせも悪いし、歯に物が挟まりやすい、虫歯も多い、歯ブラシやフロスだとかモンダミンなどとっかえひっかえする気力もないので、「最近入れ歯に憧れている」という話も・・話的には面白そうな展開だとは思いつつ、・・どうでもいいな、と思ってしまいました。
要するに「面白がる対象」が単に私と微妙に合わないだけなのだと思います。
読んでいる日の体調や、自分の機嫌も関係すると思うので、またいつか読んでみるとかなり面白い本かもしれません。
今回は現状の読後感で書いてみました。
『いつも日本語で悩んでいます/朝日新聞社校閲センター(さくら舎)』という本を古本で見つけ、読んでみました。
2018年第一刷発行のものです。
だいたい予想どおりの言葉が並んでいましたが、よくスポーツ選手が言う「みなさんに希望を“与えられる”よう頑張りたい」っていう“与える”という言葉が失礼じゃないか、という読者の意見が新聞社に来るという話。
選手には毛頭、上から目線で言っているようなつもりはないものと思われますが、この問題に対するひとつの回答として、囲碁の七巻独占を達成した井山裕太名人が熊本地震の被災者を気遣って「少しでもいいニュースとして受け取っていただけたらうれしい」と語ったことが載っていました。さすがと思いました。
あとは「真逆」という言葉。あっという間に広がりました。
1990年代から使われ出したらしいのですが、現代用語の基礎知識に載ったのは2007年版とのこと。
私には2000年代に入ってから耳にすることになった記憶があります。
小さい頃から一度も聞いたことがない表現でした。
今や私が使っている「正反対」という言葉の方が多勢に無勢で使われる頻度は少ないようです。
でも、私は一度も「真逆」を使ったことはない。体に沁み込んでいない表現だから。
「前倒し」に対する「後ろ倒し」っていうのも載っていました。
どうやら、議員が使い始めたのではないかという説があるようで、“先延ばし”と本当のことをいうと、批判されるのではと“後ろ倒し”と言ってごまかしているんじゃないかと思います。
半端ではない → ハンパない → パネェ っていうのも載っていました^_^;
私は死んでも使わないと思います。
「やばい」もすっかり“いい意味”で使っても若い人には(といっても40代くらいまでか)違和感がないと思われます。
もともと、ヤクザや泥棒業界の隠語なので私は“いい意味”では絶対に使いませんし、悪い意味でも下品なので使っていません。ふざけ合っているときくらいでしょうか。
などと、それこそたくさんの言葉が登場しています。
意外と朝日新聞は寛容で、「使ってもいいんじゃないでしょうか」というスタンスが目立ちました。
これからも面白いので、こういう本にはアンテナを張っておきたいと思いました。
ブルーベリーは、季語?という疑問が出て、再度「ブルーベリー」で一句詠んでみました。
【 朝落ちた ブルーベリーで 虫の宴 】
《背景》季語:[ブルーベリー?]
前回、妻からのリクエストで「ブルーベリー」で一句詠みましたが、その時に「ブルーベリー」は季語なのか?という疑問が持ち上がり、調べてみました。
私の持っている歳時記5冊には、季語として掲載されていませんでした。
ネットなどで調べてみると「今は歳時記に載っておらず、やがて多くの人に認識されると季語として歳時記に載るでしょう」とのことでした。
又、新しい季語をどんどん模索しようという人もいて、ブログなどにブルーベリーを季語に詠んでいる人もいました。
というわけで「試み」にブルーベリーを季語にして詠みました。
妻からの「朝摘んだ時に落としたブルーベリーで蟻とか虫たちは大喜びだろうなあ」というつぶやきから、この一句を詠みました。
『NHK俳句 岸本葉子の「俳句の学び方」/岸本葉子著(NHK出版)』を読みました。
このところ岸本さんの俳句本やエッセイを立て続けに読んでおりますが、なんというか特に俳句本については「痒いところに手が届く」・・以上に「痒いところはここでしょう!?」という本ばかり(^_^;)で、実にありがたい。
この本は、「NHK俳句」テキスト2017年5月号~2019年5月号掲載の記事をもとに、加筆、改稿、再編集したものとなっていました。
2019年発行です。
著者の岸本さんご本人が俳句を詠むにあたり、やはり「いい俳句を捻りたい」「人からいい句だね」と言われたいという、俳句を読み始めてまだ5か月目の私同様の気持ちを前面に出して書かれた“いい俳句”への“コツ”が書かれていました。
なんか切実な感じで書かれているので、まるで私達初心者の気持ちを代弁してくれているようでした。
読んでいて、それそれ、そうなんだよなぁと感じたことをいくつか挙げてみます。
〇季語をいじる
「水温む」という季語を「温みたる水」とするなど、活用させてしまい、原形をくずしてしまう。これは私もよくやろうとしてしまいます。字数が合わない時にもやってしまいそうです。
〇季語をとってつけてしまう
言いたいことは書けたが、季語をどうしようと思い、歳時記などから無理やり持ってきて、くっつけただけ、というのは・・私もやりがちです。反省いたしました。
〇助詞[が・は・を・に・へ・で・の・も・と]の使い方によって時系列や位置などが変わってくるのに、安易に考えなしに使ってしまう
これもいろいろと入れ替えてみて、ああなるほどまったく異なるシチュエーションになるぞ、という例が示されていました。
これについても、私は配慮が今のところ足らないと痛感いたしました。
その他、慣用表現をはめ込まないとか、「も」は必然性のあるときにだけ使うとか、つい私を語ってしまう人が多いが、私でなくモノに語らせろ・・などと実に痒いところに手が実際に届いている指摘が満載でした。
よい勉強になりました。
また明日からの俳句づくりの励みになります。
『いちげんさん/デビット・ゾペティ著(集英社文庫)』を読みました。
古本屋で手に取り、「これは何かありそう」と思い、購入しました。
この作品は、1996年に第20回すばる文学賞を受賞しています。
著者は1962年スイス、ジュネーブ生まれとなっていて、同志社大学を卒業され、その後テレビ局で記者兼ディレクターとして活躍されていると記されていました。
古本屋で棚から取り出し、チラッと見ただけで文章に独特の“みずみずしさ”を感じました。それがこの本を読もうとしたきっかけです。
この小説は著者ゾペティさんの経験も生かされていたのでしょうか、京都に下宿する外国籍の留学生のお話しでした。
そして、大学にアルバイトの依頼に来ていた母娘に興味を持ち、その家にアルバイトに行くことになるのですが、娘は成人していて家に居り、盲目なのです。
その盲目の女性に本を読んでさしあげるというお仕事。
最初のうちはたどたどしい日本語で色々な本を読むのですが、そのうち娘とも心が通じ合い、本を読むだけでなく、カラオケに行ったり、その外国籍の主人公が好きな中華料理屋にチャンポンや餃子を食べに出掛けたり、公園や文学記念館のようなところも訪ねます。
銭湯にまで女性は興味を持ち、連れて行くことになったりもします。
二人の交流の様子はもちろんストーリーの中心となっていますが、主人公の留学生が京都で経験する外国人への対応に疎外感を感じたり、ひょんなことからヤクザの親分さんへの取材を手伝うことになり、逆にそこには外国人としての区別がなく疎外感が無かったりして、その心模様の描き方も新鮮でした。
ドキドキするような留学生と盲目の女性との付き合い方、性愛の描写もありますが、不思議とドロドロしたものはなく、美しく感じ、こういう真っ直ぐな、そして潔い文章表現には今までほとんど出会ったことがありませんでした。
ストーリーもひねくれたようなところも無く、最後には何か心に染み渡るようなものがありました。
最初の“勘”は当たっていたようです。
心に残る良い小説でした。
『飲んだら、酔うたら/椎名誠著(だいわ文庫)』を読みました。
4章立てで、
1章は2013年に書かれた酒の探訪記をベースに、椎名さんが生まれてはじめて飲んだサケの話からその後のことを再編成し、追加原稿も含めたもの。
2章はシングルモルトウイスキーを集中して取材したウイスキー特集。
スコットランドへの取材記は圧巻でした。
3章はビール話。
ここは「まずはビール」の私にも、めっちゃ面白い文が集まっていて、最高でした。
4章はサケがらみのよもやま話で、ワインや日本酒などの面白話が楽しいものでした。
全体を通して、もう話題は“酒尽くし”でした。
ロシアのまずい酒の話も面白いし、スコットランドでは実際にいくつかの蒸留所に出向き、椎名さんは仕事まで手伝います。
さらに書かれていたのは、そこで出た見たことも聞いたこともない現地の料理。想像するだけでこってりと美味しそうなものでした。
それから酒にまつわる“バカ話”的なものも面白かった。
学生時代に忍び込んでビールを二本いただいてきた酒屋に、作家となった椎名さんと、そのとき一緒に忍び込んだ友人の今は弁護士の木村氏と共に当時の謝罪に出掛けた話もありました。
大人げなくも、愉快な話でした。昔はよかったってことです。
酒屋の女将さんも、「学生さんならビールの一本や二本あげたのに」なんて“粋”なことをおっしゃっていました。
ここからは私の経験上の話ですが、お酒を本当に教えてくれたのは、今までの人生で、皆女性でした。
男は、上司、先輩も何人かいろいろ連れて行ってくれたこともありましたが、酔っぱらっちゃうんですね ^_^;
だから、このお酒はこういうものだとか、このお店はこういう特徴があるとか、それぞれの酒にこういう飲み方がある・・などということを教えてくれる前に大抵は“つぶれて”しまうのです。
でも、私にお酒を教えてくれた女性は(特別な人は人生で二人いた)ビールでも日本酒でも、ワインでも、焼酎でも、ウイスキーでも、カクテルでも、美味しい飲み方、選び方、お店の選び方、入り方、注文の仕方、つまみ、肴の選択、高級な店から大衆酒場、立ち飲みまで、ほとんど教わってきたといっていいかもしれません。
一部、男性の上司、先輩からも教わりましたが、それでも途中で酔われてしまって、お話しが深くなって“うんちく”などが出てくる前にろれつが回らない(^^;)状態になっていました。
連れてきて飲ませた・・ということで安心してあとは自分が酔うだけだという感じだったのだと思います。
ということで、この椎名さんの本を読んで、上司、先輩に代わって色々教えてもらったような気になることが出来ました。
お酒づくし、お酒ざんまいの楽しい本でした。
映画『墓泥棒と失われた女神(La Chimera)/2023年 イタリア・フランス・スイス 監督:アリーチェ・ロルヴァケル 出演:ジョシュ・オコナー、イザベラ・ロッセリーニ』を妻から面白そうだと勧められ、一緒に見て来ました。
時代設定は80年代、舞台はイタリア・トスカーナ地方の田舎町。
英国人の主人公は、考古学愛好家で、なぜか紀元前に繁栄した古代エトルリア人の墓をダウジングで発見できる特殊能力を持っている男。
その主人公の周りには、墓泥棒の仲間?たちがいて、掘り出した埋葬品を売りさばく。
警察、闇のアート市場、昔の恋人、夢、富、不思議な発掘シーンなどが幻想的な映像と共に繰り広げられ、どこまでが現実で、どこからが過去なのか今なのか、昔の映画のような質感の映像もさらにその不思議な感覚を加速させ、映画ファンには応えられないマニアックなものに仕上がっていました。
近年の早回しで映画を見るような人、つまりストーリーだけを追っているような、“タイパ”などという言葉を平気で使っているような人には、どこがいいのかわからない映画となって(^_^;)おりました。
というわけで、わざわざ劇場に足を運び、そこに幽閉されて映画を見るという、映画本来の醍醐味が好きな私としては、うれしい映画でした。
ストーリー的にも楽しめるし、映像的にも、全体に流れる雰囲気にも、監督が描こうとしていた世界にも、不思議な不安感みたいなものまで楽しめました。
久しぶりにこういう「結局、何だったんだろう」みたいな映画と遭遇しました。
不思議といい時間でした。
『NHK俳句 作句力をアップ 名句徹底鑑賞ドリル/髙柳克弘(NHK出版)』を妻が古本で見つけてくれたので読んでみました。
いつぞやこのブログで読後感をご紹介した「昭和の名句」という本にも出てきた名句がたくさん紹介されつつ、「ドリル」ということなので、各句に5問程度の問題が出され、それに回答する形で進められていくものでした。
ドリルの結果は、概ね良好(^-^;で、安心いたしました。
自分で思っていたほど“ポンコツ”ではなかったようです。
答えられなかったというか、ほとんど知識が無くて困ったのは、誰が“何派”に属していて、どのような俳句を提唱していたのか、とか、誰が誰に師事していたか、とか、誰が誰のどの俳句を褒めたのか(^^;)とか、そんな問題でした。・・ちんぷんかんぷんでした。
ただ、この名前はこの時代だなと、当てずっぽうに答えると当たっているというケースは割と多かった。
そしてドリルをやりえ終えて、俳句は「やはり面白い」ということと、「興味は尽きない」と実感したのでした。
この本で初めて知った句で、私の想像の域を遥かに越えている句だと感じたものをいくつかご紹介いたします。
〇蟻の道 雲の峰より続きけん・・・小林一茶
〇瀧落ちて 群青世界とどろけり・・・水原秋櫻子
〇乳母車 夏の怒涛に よこむきに・・・橋本多佳子
〇戦争が廊下の奥に立ってゐた・・・渡邊白泉
〇羽子板の 重きが嬉し 突かで立つ・・・長谷川かな女
〇梅咲いて庭中に青鮫が来ている・・・金子兜太
これとこれを繋げるか、あるいはこの状態をこの世界観で表現するか、いったい何が起こったの、とか、日常と生死の境目が同居している様子なのか、とか、初めて経験することで心の中に沸き立つ気持ちだとか、ありえない奇想天外な発想など・・勉強になるというより、ただただ驚いて立ちすくんだのでした。
妻がいい本を見つけてくれました。
『余計な一言/斎藤孝著(新潮新書)』を古本で見つけて読みました。
2014年発行となっていますので、かれこれ10年前の本になります。
著者はベストセラー多数の斎藤孝さん、古い本とはいえ、「余計な一言」を言わないように参考として読んでみようと思ったのです。
いくつか実際の事例で経験したことと似たものがあったので、すこし挙げてみようと思います。
(女性)A「私の新しい彼なの(と紹介)」
(女性)B「へえ、あなたがAの新しい彼氏なの。やさしそうな方でよかった。彼女、これまで男では苦労してきたから」
・・新しい彼氏の前で女性の過去を暴露するという、やや“確信犯”的なケースです。
著者は、この場合、「ついうっかり」というよりも、嫉妬による言動である可能性が大だと言っています。・・そうかも ^_^;
私も実際の結婚披露宴で、新婦の友人のスピーチで「〇子から新郎の〇〇さんを初めて紹介されたときに、“今度の彼氏は”なかなかいいじゃない、と思いました」と挨拶しているのを聞いたことがあります。
会場、ざわめきました・・(^-^;
次の事例
私が同窓会の幹事をやったときにも経験したことですが、出欠の返事を「行きたいんだけど、行ければ行くってことで」という形でもらうことです。
どっちかにしてもらいたいと、・・思いますよねぇ。
私の場合は席も料理も一人分増やして予約しても来なかった場合、皆でその分割り勘にするのもなんだかなぁと思ったので、席も料理も予約しませんでした。
・・そしたら開始から40分くらいしてやってきて「ひどい、席を取っておいてくれなかったの?料理はどうするの?」と騒ぎだし・・どっちがひどいのかと思いつつ、そのあと席をひとつなんとか増やして、料理は途中から出してもらい、料金もその分少し安くなるようにお店に頼んでなんとかなりました。
悪いけど、自分勝手な人だと思いました。その日に連絡をくれても良かったし、会が始まってからでも「行けるぞ」と連絡をくれれはよいのです。
でも、そんな人ならもともと「行ければ行く」という発言にはならないでしょう。
ついでに、もうひとつ事例を。
当時のこの本に書かれていたのは、「AKB48が好きなんですよ」と言った相手に「あれは売り出し方がうまいだけじゃないの、誰が誰だかよくわからないよね」という余計な反応が載せられていました。
「誰が好きなの?」とか「好きな曲は何?」などと言えば話がはずむのに・・と思います。
私の実例で言うと、すでにこのブログでご紹介したことがありますが、
上司「昨日は勤務終了してすぐに帰ったけど何処かに行ったの?今朝から上機嫌じゃないの」
と聞かれたので、
「宝塚歌劇の夜の部に行って来ました。とてもいいお話しでした。」
と言うと、
「あんな厚化粧の気持ち悪い“婆あ”がやってるもの見に行ったの、おおやだ!」
と言われ、言葉もありませんでした。
自分で聞いておいて、なんてひどい人かと思いました。ましてや上司。
もうひとつ同様のことがありました。
またまた朝に上司から「昨日、急ぎ足で帰ったけど何処かに出かけたの?」
と聞かれ、もういくらなんでもあんなひどいことは言わないだろうと思い、
「ポール・マッカートニーの東京ドームコンサートに行って来ました。中学生の頃から聞いていた曲も歌ってくれて、涙が出ました」
というと、
上司は「えぇっ!あんなくだらない曲しか作れない歌のヘタな男の音楽を聞きに行っただって?考えられない」
とのこと・・。
嫌がらせにもほどがあると、あまりに腹が立って詰め寄ったところを若い女性職員に「我慢してっ!ここはあなたしか大人になれませんよ」と止められ、事なきを得ましたが、とても後味の悪い出来事でした。
・・ついつい自分の出来事で興奮してしまいましたが、要するに、“余計な一言”には、注意しようとあらためて思いました。
この本には、たくさんの「余計な一言」の事例が示されていました。
私も気を付けようと思います。
『折れそうな心の鍛え方/日垣隆著(幻冬舎新書)』を古本で見つけ、読んでみました。
2009年第一刷発行となっています。
内容としては、主に仕事上のことで精神的に追い込まれ、医療的な視点で見れば「うつ病」の状態である人でも、そこには段階的な症状の見方もあるし、原因からくる症状の出方、などなど、個々の状態によっては、この著者が経験したように医師からの投薬に依らず、ある程度の状態にまで回復できるのではないか、という趣旨のものでした。
冒頭から著者がどのような過酷な状況に置かれたことがあったか、特に信頼している人や姻戚関係で身近な人の次々の死、さらに仕事環境の苛烈さなどが加わってどうにも大変な状態になった経験が書かれていました。
そんな状態からの復帰は困難極まるだろうと読んでいて思いましたが、家族に三か月自分をフォローしてくれと期限を告げ、段階的に著者が実際に行ったことが細かく書かれていました。
完全復活とまではいかないまでも、ある程度の状態にはなれるのだということがわかりました。
しかし、ここに書かれていることを理解して、実行するのは並大抵のことではないと思いました。
自分のその時の状態をある程度客観的に把握できなければならないし、効果が出るのはその人の症状の深さにも依るので、常に自分の状態を観察しながら、周囲の理解も得ながら、徐々にそしてある程度の大胆さをもって実行することが必要なのだと思いました。
実際の実行内容については、商売の邪魔になるので書きませんが、メタメタにひどい状態ではなく、復活、回復に一縷の望み、光を少しでも感じているような状態の人であれば、効果はかなりあるのではないかと思いました。
最後の方では、「泣ける映画ベスト30選」という項目がありました。
悲しくて泣くのでなく、感動のために泣いてしまい、ストレスが飛んでいきそうなもののリストアップでした。
私もまだ見たことのない映画が多かったので、一度試してみようかと思っています。
静岡の銘酒「臥龍梅」の由来を調べてみたら・・という句を読みました。
【 臥龍梅(がりゅうばい) 地を這い 生きることと知る 】
《背景》季語:臥龍梅[春]
東京勤務をした時に、静岡市の方から「臥龍梅」というたいへんおいしいお酒を飲ませていただいた。
そも「臥龍梅」とはと調べてみると、「臥龍」は寝ている龍。
まだ雲雨を得ず、天に昇れなく、地に潜み、隠れている様子だという。
そして「臥龍梅」という“梅の木”の話になると、老木が地面に接したところから枝を四方に倒れ伏して、再び根を出して新しい株となる・・地を這う龍のように見える、ということで、いい酒の名には、いい謂れがあるなとうれしい知識を得た。
さっそく、それを詠んでみた。
『老化で遊ぼう/東海林さだお・赤瀬川原平(新潮文庫)』という本を古本で手に入れ、読みました。
2003年から2007年まで「小説新潮」に連載されていた「軽老モーロー対談」を編集したもので、2008年に発行されたものです。
東海林さん、赤瀬川さんの対談形式で進められ、第一話から三話までは藤森照信さん、阿川佐和子さん、藤原正彦さんがゲストとして呼ばれています。
東海林さんは割と庶民感覚に近い人という印象がありますが、それでも話が深くなっていくとちょっと行き過ぎな感じになっていき、さらに赤瀬川さんは浮世離れした老人(^^;)なので、話は結局面白くなってしまう・・(^-^;
数学者を呼んで、数学がなぜ面白いのかというお二人には“そぐわない”ようなテーマで語り合っても、「数学の芸術的な美しさ」みたいな話にまでなり、やはり面白くなってしまいます。
お二人の「性の目覚めから五十年」の話も、ふつう“言いたくない”ようなことまで話していて、私も下を向いてしまいました^_^;
通常は“そこまでいかない”ところの一線を越えていたかと思いますが、お二人とも「老化」という隠れ蓑をうまく使い対談されていました。
「コレクター」という人達について気持ちが分かるや否やというお二人の意見が対立するテーマもありましたが、お互いの気持ちは私にもなんだか分かりました。
全体を通して、お二人の対談は、すでに『芸』の域に達していると思いました(*^^*)
個々の個性が面白いが二人が揃うとあまり面白くないということはよくあるかと思いますが、この対談本の場合は、“超科学的変化”を起こして三倍も四倍も面白くなっていました。
いやな人からの突然の暑気払いの誘いで詠んでみました。
【 夏の夜に どうしてそんな 悪巧み 】
《背景》季語:夏の夜[夏]
「暑気払いするぞ」と夕刻にいきなり皆に声をかける上司がいた。
突然の誘いに断る人があると、「俺の飲み会に来れないのか、アイツは前からダメなヤツだと思っていた」などという声が聞こえれば、もう逃げることが出来なくなる。
そして飲み会の最中に、今自分が企てている仕事の内容を披露する上司。
・・それは、誰の為にもならないし、新聞・テレビで話題になったことを「俺が最初にやった」と言って手柄にするためのこととしか思えない。
どうしてそんな悪巧みが泉のように湧いてくるのか。
少なくともそんな上司に7~8人は出くわした。
『こころを詠んだ昭和の名句/宗内数雄著(毎日新聞社)』という本を古本で見つけ、読んでみました。
2007年発行の本ですが、「昭和の名句」ということで、取り上げられている句の作者は明治や大正生まれの人も多数です。
そして侮れません、その多くが読んでいる私の心を鷲掴みでした。
実に「二百三十四」の句を詠み、それぞれの句に編者・宗内氏の力のこもった、そして真っすぐで、時には感動したその感情を露わに書かれていて、俳句に対する並々ならぬ愛情を感じました。
だから、読んでいるこちらもけっこう本気で読みました。
少しだけご紹介しておきましょうか。
〇蝶墜ちて大音響の結氷期/富澤赤黄男(とみざわかきお)
野分に耐え抜いた蝶も結氷期には地上か氷上に舞い、墜ちた。
結氷期の「大音響」を指揮者のごとく奏でさせた・・という解釈に唸りました。
作者は明治35年生まれです。それでこの詩的かつ音楽的な宇宙世界を表現しています。
言葉も失う凄さを感じました。
〇火の奥に牡丹崩るゝさまを見つ/加藤楸邨(かとうしゅうそん)
昭和二十年の空襲時、病気の弟を背負い、妻と見失った二人のわが子を求めて火の海をさまよった、そのときに網膜にやきついた牡丹のさまを映しとった・・と聞いて、その阿鼻叫喚の中での様子を思い、居ても立っても居られない思いをしました。
〇昏(くら)ければ揺り炎えたゝす蛍籠/橋本多佳子(はしもとたかこ)
蛍籠は内面のわが心、蛍は情念、炎えたつは情炎、失恋の句なのか、大胆な発想で、昏(くら)ければ、籠を揺すり蛍をいっせいに光らせる・・。
歌にして、石川さゆりさんに歌っていただきたくなりました。
〇ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜/桂信子(かつらのぶこ)
着物をある程度着なれた人が“ゆるやかに”着こなし、ひとと逢う・・大事な人なのだろう。女心がうたわれている素晴らしい句だと思いました。
〇おそるべき君等(きみら)の乳房夏来(きた)る/西東三鬼(さいとうさんき)
これ、大正9年生まれの作者が詠んだ句です。
昭和21年夏の作だそうで、衣服を着けた乳房の隆起を見て「おそるべき」などと思う人は今の時代にはいないと思われますが、戦後強くなった靴下と女・・と言われ始めていた時期だそうですが、三鬼はこの一句でそれを立証してみせたと解説されていました。
いくつかの昭和の名句をご紹介いたしましたが、まだまだどの句も私には驚きの句ばかりでした。
逆に言うと、令和の今の句はかなりソフトなんじゃないか、などと思いました。
今後は、この本を読んで受けた感動も心のうちに潜ませて、私も句を詠みたいと思います。
『暮らし自分流/下重曉子著(海竜社)』を古本で見つけ、読んでみました。
2018年第一刷発行となっていて、過去様々なところから出版された著者の文から「住まい」「おしゃれ」「いいもの、好きなものをつかう」「七十歳からの着物」「暮らしの立ち居振る舞い」「心を遊ばせる時間」などの項目ごとに編集して構成されていました。
いつも下重さんの本を読んでいると、“迷い”が無いです。
それは他の人にはあまり見られないことだと感じました。
「こうしてみよう」と思ったらすぐに実行してみる、その行動力が下重さんのいくつものベストセラーを生む結果を導き出しているのだと思います。
良いと思えば軽井沢で長く住まわれていた家を別荘として手に入れ、そこに仕事場を設けたり、そこが冬寒いとなると、冬用の別荘もすぐ隣に購入して、友人達を招いて宿泊させたりもしていました。
親の残した古い家具なども運び込んで、自分の気に入った家具を気に入ったようにレイアウトし、自分らしい住まいをつくりだしています。
骨董に興味があり、勧められると骨董商の資格免許を取って、骨董商まで始めてしまいます。
何年かやってずっと赤字だとスパっとやめています。
そういうところの決断力もすごい。
服装にしても、自分はこれこれこういうものが好きだし、自分はこういうものが似合って、コーディネイトはこうするのがいいと決めると迷いのないファッションを心がけています。
そして人との付き合い方も自分の考え方と実際のやり方がしっかりと決まっていて、ちょっと凡人には難しくて真似出来ないこともあるよなぁと思ったりもしましたが。
でも年齢を重ねてくると、あれこれ迷って何か月も何年も経ってしまうような人が多い中、下重さんのような感覚で物事を決め、実行していくことによって、自分でも納得できる生き方、住まい方が出来るだろうと思いました。
私もある程度考え方を決めておいて、家のことや、家族その他のことについてもうまく判断・決断しながら生きて行こうと思いました。
【 淡い恋 メロディの持つ 金魚鉢 】
《背景》季語:金魚鉢[夏]
高一の時だったか、体育館で卒業生のための映画会があり、全校で見たのが「小さな恋のメロディ」だった。
たぶん数年前に日本で公開されたもので、当時中学の同級の女の子達は主人公の二人の(たぶん設定は中学生くらい)淡い恋の様子に夢中になっていたみたいだった。
私は初めてその高一の時に見たが、まるで自分が中学生の時の様子がそのまま描かれていると思うくらいにドキドキしてキュンとなる内容だった。
記憶が定かではないが、ビージーズの美しい歌声とともに主人公の女の子、メロディ(トレイシー・ハイド)が金魚売りから金魚を買い、途中、街中の水飲み場のようなところに水を溜め、金魚を泳がせる夢のように美しく可愛いシーンがあったように思う。
その時にメロディが金魚を買ってうれしそうに走る様子を詠んだ。
実際は「鉢」は持っていなかったのかも、ビニール袋だったのかもと思い、調べてみたら写真のように“取っ手”のついた瓶のような金魚鉢だった。
『人生の結論/小池一夫著(朝日新書)』を古本で見つけ、読んでみました・・ら、5年前に一度読んでいたことが読書記録を調べてみてわかりました・・^_^;
そのときのブログを確認しましたが、やはり年齢を重ねた今とは感想は少し異なりました。
今の私の読後感を書いてみようと思い、気になった部分をいくつか抜き出してみます。
〇幼児性の強い人は、人の興味がそれほど自分にないことが理解できず、自分語りを続け、自分の要求ばかりを押し付けてくる。それを「自分中毒」と読んでいる。
・・という部分は、仕事をしていた頃の上司からずいぶんと感じたことでした。私にはそういう分析が出来ずに苦しんでいたことを思い出しました。
今にして冷静に物事を考えることが出来て、はじめてわかったことです。
〇歳を重ねたアイドルを見て「劣化」だとか、一線から外れた人に「オワコン」という言葉を使ったりする人。自分の思考は汚い言葉に毒されていると思った方がいい。劣化しているのは自分自身だ。
・・いまだSNSでよく見かける言葉です。私も見ていてイヤになる。
いい言葉を使う人には、いい人生をつくる力があるとも書かれていて、私も“いい言葉”を使うことに心を配りたいとあらためて思いました。
〇優しい人は信じる。優しすぎる人は信じない。本当に優しい人は、ちゃんと厳しい。厳しい人は信じる。厳しすぎる人は信じない。本当に厳しい人は、ちゃんと優しい。」
・・ちょっと禅問答的ですが、でもほどよく優しい人、ほどよく厳しい人は現実にいて、やはりそんな人は自分にとっても大切な人であったと思います。
〇不機嫌は無言の暴力
・・これも仕事をしていた時に、私が苦手だった上司によくいるタイプでした。
なんというか、不機嫌さをもって他者をコントロールすることを悪い方向で学習しているのだと思います。そして、当時は“術中”に嵌った私・・。
〇人には得意分野と不得意分野が生まれながらにしてある。
不得意な分野に手を出して努力しても、結果はせいぜい人並。それなら得意分野に特化してその才能を伸ばすことが、自分にも他人にもいい結果を出すことになる。
・・これは、仕事をしていた時に、年に一度「今年は何をやって、どういう結果をもたらしたいか」という書類を上司に出すのですが、私が自分が得意と思っている方法で色々かなり踏み込んだことをしようと思って書いた書類を見て、上司が「自分の得意なことやろうとしてんじゃねぇよ。苦手にしていて絶対に出来ないことに挑戦しろ。ズルすんじゃねえっ!」と言われて、がっくりと肩を落としたその瞬間を思い出しました。
正直言って、大嫌いな上司でした。
というわけで、今にして思えば・・というようなことをあらためて認識することになりました。
結局、二度読んだことになったわけですが、でも読み直すことが出来て良かったと思いました。
『わたしの週末なごみ旅/岸本葉子著(河出文庫)』を古本で手に入れ、読みました。
2008年「ちょっと古びたものが好き」と2009年「週末ゆる散歩」の二冊の単行本について加筆修正し、写真を再構成したものとなっています。
2012年に初版発行されています。
最近、岸本さんの著書については何冊かご紹介していますが、この本は俳句についてのものではなく、主に骨董、アンティークなどで普段づかいできるようなものを岸本さんの思いのこもった解説で紹介している前半部分と、後半は柴又や谷中などを岸本さんが散歩して、独特の視線からその愉しみを書かれている、という構成になっていました。
前半のティーカップやその他器などを旅先の骨董品店に出向いて探す様子などは、著者のわくわくする気持ちや、その器がいつ頃のもので、どういう人が使っていたものか、などに思いをはせている様子が手に取るようにわかり、私も以前骨董市などに出かけていたのでとても面白く読みました。
高価なものや、貴重なものを求めるのでなく、自分の生活の中で“よろこび”と共に使っていくことのできるものを求めている著者の気持ちがよくわかりました。
掲載されていた写真を見ても、「なるほどねぇ」という感じ(#^.^#)
そして、後半はお馴染みの柴又や、谷中方面などにも出かけています。
あの有名な「夕やけだんだん」にも出かけていて、私も行ったあの観光地でもない、でも人が集まり、なんだかいい気分で歩き、コロッケを買ってビールを飲んだりするような雰囲気のところを紹介されていて、こういう散歩・・いいなと思いました。
読み終えて、骨董についても、以前のように骨董市などを探して出かけたくなりましたし、また東京の下町などをゆっくりと散歩してみることも復活させたいと思いました。
コロナ禍で、すっかりご無沙汰になっていました。
岸本さんの著書については、まだ俳句についてのものをストックしているので、また読みましたらご紹介いたします。
就職したばかりの頃、仕事を終えた後のひと時におしゃべりしていた楽しい思い出を詠みました。
【 夏の夕 喫茶 萌音(もね)にて 待ち合わせ 】
《背景》季語:夏の夕[夏]
就職したばかりの頃の夏の夕方、突然職場に中学時代の同級生の女子から電話が掛かってきた。
人づてに私の就職先を知り、懐かしくなり調べて電話を掛けてきたのだそう。
中学卒業以来で懐かしく、中学校の先生になっていた彼女と久しぶりに会って話そうということになった。
互いの通勤経路途中の大きな駅近くの喫茶店「萌音」がいいと彼女が指示した店で会い、楽しい話をした。
いつの間にかそれが一週間のうち1~2日程度のルーティンとなり、やがて土日のうち1日は会って尽きることなく話をして過ごした。
日々の仕事の不満や、楽しかったことなどお互いに報告し合った。それが息抜きになっていたのだと思う。
この不思議な関係は、別の同級生男子がそんな状態でいる私達の関係に気づき声をかけてきて二人の間に割って入るまで数年続いた。
あんなに一人の人とお話しをしたのは彼女が唯一の人だったと思う。
『俳コレ/週刊俳句・編(邑書林)』を読みました。
日々俳句を机に向かって書いている私の様子を見て、妻が古本を選んで買って来てくれたものです。
「俳コレ」とは、“俳句コレクション”あるいは“俳句のこれから”の略、また“はい、これ”と手渡す俳句という感じも表しているとのことです。
週刊俳句・編となっていますが、週刊俳句はウェブマガジンなんだそうです。私は存じ上げませんでしたが、この本は19歳から77歳までの比較的新しい作家の作品を集めた俳句アンソロジーと謳っていますので、かなり大きな規模のウェブマガジンのようです。
22名の方の俳句を100句ずつ選んで載せているもので、かなり読むだけでも大変でした。
そして比較的新しい作家とのことでしたが、はっきり言ってまるで私にはわからないというか、理解不能な句ばかりの人も何人もいました。
ほんとうに何を言っているのかまったくわからなかった。
それから、下卑た言葉を使う句の多い人もいました。
これも良い句だと思われて選ばれたものかと、何度か読み返してみましたが、私には“汚らしい”としか思えないものもありました。
かと言って、私にも理解できて、とても心に響く句もたくさんありました。
作家によってその作風はかなり異なり、理解できそうなものと、まったく読んでいるだけで心が荒むようなものがいつ出てくるかわからず、気持ちの安定を保てず、苦労して読むことになりました。
良いと思った句については、この本を手元に置いておき、ときどき参考にさせてもらおうと思いました。
感想としてはそれだけなんです。
私がまだ俳句をかじってから4か月程度だからこんな感想になってしまったのかもしれません。
学生の頃、はじめて桜湯というものを飲んだときのことを詠みました。
【 初めての 彼女の部屋で 出た桜湯 】
《背景》季語:桜湯[春]
学生時代、彼女の家に遊びに行き、彼女の部屋に入ると、しばらくして彼女が茶托にのせて奇麗な湯呑みに桜湯を淹れて運んで来た。
これはお目出度い席や、春を喜ぶ心をあらわすときなどに出すのだよ、と教えてくれた。
まだ学生で何も知らなかった私は、とても嬉しくて素敵なことだと思った。
この家で桜の花を塩漬けしているのだろうと思うと、そんな家の彼女を大切にしなくては・・と思ったのでした。
その後、社会人になり、色々な人の結婚式に招かれ、控室に入ると桜湯が出てくる。
その度に彼女が運んで来た姿を思い出した。
仲良くしている中学時代の担任の先生から「おい、ジョージ・シェアリングって知ってるか?きょう、友達から聞かれて知らなかったんだけど」と電話があり、「きちっとしたピアノを弾く人で、折り目正しいジャズの人です」と答えた記憶のあるシェアリングについて一句詠みました。
【 夏木立 明鏡止水 シェアリング(George Shearing) 】
《背景》季語:夏木立[夏]
イギリス出身の盲目のピアニスト、ジョージ・シェアリング。
ジャズだけでなく、クラッシック作品も演奏し、ラテンの世界まで表現する彼の演奏、楽曲は、他の Jazzプレイヤーと一線を画し、荒くれることなく、確実なプレイと折り目正しい印象の作風、演奏が際立ち、“揺れぬ芯”のようなものを感じる。
彼は心を落ち着けて良いメロディーを味わいたい時、清々しい気持ちになれる音楽、Jazzを提供してくれる。
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