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2024/09/30

「新懐旧国語辞典/出久根達郎」を読みました。

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『新懐旧国語辞典/出久根達郎著(河出書房新社)』を古本で見つけ、読んでみました。
2010年初版発行のものです。

著者、出久根さんは古書店も営み、古い文献にあたるのは“お手の物”で、たとえば『みいはあ』という言葉づかいは、いつ、誰が使い始めたのか?!さらに語源は??などということになると、徹底的に調べています。

昭和初期に使われている文献や、その痕跡などを見つけるが、さらに調べていくと、もっとずっと前に使われているのを発見したりしています。

時代は明治にさかのぼり、語源についても色々な説が登場してきます。
すごいな、この人・・と思いましたが、いやいや出久根さんの著書の読者の方々も“強者”ぞろいで、こんな説があるとか、こういう文献が存在しているがそこに載っていた・・などなど(^_^;)みんなほとんど学者みたいというか、病的でもありました。

で、私が読んでいても、そもそもが話題として取り上げた言葉自体を聞いたことがない、だからさかのぼるも何も、何を言っているのかさっぱりわからない、という項目もたくさんありました。
もちろん私の知識不足、勉強不足が原因ですが、初めて知る言葉や、古い時代の人達の営みや振舞いも書かれていました。

知識の魔界のようなところに連れていかれた・・そんな本でした。

 

俳句を詠んでみる_0239【 山澄む笠森堂 青空に雲 】

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長いこと行っていなかった笠森観音に久しぶりに出掛け、一句詠んでみました。

【 山澄む笠森堂 青空に雲 】

《背景》季語:山澄む[秋]
二十数年ぶりに長生郡長南町にある笠森観音に妻と出掛けました。
「四方懸造」の観音堂からの眺めは絶景で、国指定の天然自然林を遠くまで臨むことが出来ました。
空気もひんやりと澄んでいて、厳かな気持ちになりました。

 

 

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2024/09/29

映画「Hit Man・ヒットマン」を見ました。

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映画『ヒットマン(Hit Man)/2023年 アメリカ 監督:リチャード・リンクレイター 脚本:リチャード・リンクレイター&グレン・パウエル 出演:グレン・パウエル、アドリナ・アルホナ』を見ました。

千葉劇場で見てきたのですが、とても面白い映画でした。

グレン・パウエル演じる主人公は、大学で哲学と心理学を教える傍ら、偽の殺し屋に扮し依頼殺人の「おとり捜査」に協力し、次々と依頼人を逮捕へと導き、それなりの成果を挙げていました。

そこに夫との生活に疲れ・傷つき、追い詰められた女性(アドリナ・アルホナ)が依頼人として現れ、殺し屋に扮する主人公はモラルに反し、超えてはいけない領域に踏み込み、殺人依頼を断り、夫と別居し新しい生活を見つけろとアドバイスしてしまいます。

 

 

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その後はその女性と恋をし、愛し合うことになってしまいます。

主人公は大学の講義のときにニーチェの言葉を生徒に示します。
「最大の成果や喜びを得る秘訣は、人生を危険にさらすこと」・・これを地で行ってしまうことになるのでした。

 

 

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前半から後半に入るところまでは、コメディタッチで笑いも多く、主人公のやさしい先生と無理をして殺し屋を演じる姿に「面白いなぁ~」と楽しく見ていたのですが・・。

後半途中から事態は急転し、主人公も恋仲になった女性もピンチの連続となります。
いったいどうなってしまうのか、と心臓ドキドキ状態になりました。

 

 

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この映画の見どころは、まさにこの急転直下なストーリーだと思いました。

ラストも意外といえば意外なもので、是非とも見ていただきたい映画、かなりな“おすすめ”映画でした。

 

俳句を詠んでみる_0238【 秋高し 地図帳 指でなぞる旅 】

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最近は地図を見ながら旅のことを色々考えることが無くなったと思い、一句詠みました。

【 秋高し 地図帳 指でなぞる旅 】

《背景》季語:秋高し[秋]
妻と最近はスマホでばかり近場に出掛けたり、旅に出る時の場所の検討をしているが、以前は地図帳を見たものだ、という話をしていた。
そうしたら「地図帳で一句作ってみてよ」とのリクエストが・・。
というわけで一句詠んでみました。

 

 

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2024/09/28

「大人の達人/村松友視」を読みました。

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『大人の達人/村松友視著(潮出版社)』を古本で見つけ、読みました。
2010年発行のもので、内容は月刊「潮」2007年5月号~2010年4月号に掲載された連載エッセイ「大人の流儀」を改題のうえ、加筆・修正したものです。

300頁のボリューム、中身も充実したもので、次々と若かりし頃の村松さんと出会う“大人の達人”たち。村松さんが“達人”と思うような人ばかりですからそれはもう凄い人ばかり。

吉行淳之介の大人の交流の仕方、鶴田浩二の酒の飲み方、幸田文の粋で無邪気な気遣いなど、どの“大人”も唸るような言動と振舞いでした。

私も若い頃にかなり年上の先輩達にお世話になりましたが、多くの人が“さすが”の大人の振舞いで色々なことを教えてくれました。
あのときの先輩方はたぶん30代から40代でしたが、今の感覚でいうと50代から60代後半の人のような感じでした。

自分がそんな大人になれたかというと・・新人の頃とあまり変わらず、たいした成長も無く、歳ばかり増して、恥ずかしい限りです。

この本に登場した大人たちの中に、まだ映画製作をする以前の伊丹十三さんがいました。
当時出版社の編集だった村松さんが小説を書かないかと話を持ちかけるのですが、役者として、そしてエッセイストとして活躍していた伊丹さんは、もう映画にその眼差しは向いていたようです。

今までまったく知らなかった伊丹さんの(最初の結婚生活をしていた頃)自宅での様子、自宅内部がどんなだったかまで書かれていて、中学生時代に伊丹さんのエッセイを読んで、その奇想天外な内容に夢中になっていた私にはとても興味深いものでした。

読んでいると、様々な“大人たち”との付き合いの中で、村松さんも達人の域にどんどん近づいていく様子がわかりました。

そして、作家としてデビューし、私も当時「ものすごく変わった視点を持つ人が現れた」と思ったのでした。

深くて味わいのある話ばかりでした。いい本に出逢いました。

 

俳句を詠んでみる_0237【 秋の暮 干し物入れ 風呂を洗う 】

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ふだんのなんでもない日のことを詠んでみました。

【 秋の暮 干し物入れ 風呂を洗う 】

《背景》季語:秋の暮[秋]
すっかり秋めいてきた夕方。
洗たく物を取り入れ、アイロンを掛けたり、タオルを所定の場所に置いたりして、風呂も洗う。
いつもの順番で皆が帰ってくる。

 

 

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2024/09/27

俳句を詠んでみる_0236【 名水の 熊野(ゆや)の清水に 鯉泳ぐ 】

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ちょっと遠いけど、名水の湧く清水があると知り、妻と出掛け、そこで一句詠んでみました。

【 名水の 熊野(ゆや)の清水に 鯉泳ぐ 】

《背景》季語:清水[夏]
千葉県長生郡長南町佐坪に、熊野(※「ゆや」と読みます)の清水という名水が湧いているということを知り、妻と出掛けてみました。
環境省認定の名水百選に入っているのだそう。
滾々と湧く水が流れ出たところには鯉が元気に泳いでいた。
熊野神社と龍動寺という神社仏閣に守られていましたので、妻とお参りもしてきました。
静かな心落ち着くところでした。

 

 

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2024/09/26

俳句を詠んでみる_0235【 秋に入る 風吹き フォーを 食べる昼 】

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ちょっと涼しくなってきたお昼を詠んでみました。

【 秋に入る 風吹き フォーを 食べる昼 】

《背景》季語:秋に入る[秋]
いよいよ秋の風が吹き始め、心地よく昼時を迎えるようになった。
スーパーで安売りされていたカップ麺のフォーを外の景色を見ながら食べた。
独特のパクチーの香りも爽やかに感じた。

 

 

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2024/09/25

「絶叫委員会/穂村弘」を読みました。

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『絶叫委員会/穂村弘著(筑摩書房)』という本を古本で見つけ、読んでみました。

2010年第一刷発行となっていました。
PR誌「ちくま」に『名言集(2005年2月~4月)』と『絶叫委員会(2006年4月~2009年12月)』というタイトルで初出掲載されたものをまとめたものです。

内容は、簡単に言うと“なんだそれ?!”っていう言葉を過去の出来事や、身の回りで起こったこと、電車の中の他人の会話など、いろいろなところから拾ってきて、それを検証?してみるといったものでした。

これが意外と面白い(#^.^#)

よく飲食店などで見かける《テレビで紹介されました》っていう貼り紙。
古びて色褪せた新聞記事などが隣に貼り付けられているとなお面白い。
やはりなんかそれを見て“さみしい気持ち”になります・・。

もひとつ《何歳に見える?》・・これはいきなりミサイルを打ち込まれたような騒ぎが心の中に起こります。
さあ、どうする。かなり若く言い過ぎてもわざとらしいし、ドンピシャもまずそうだし、ましてやより年上に言ってしまったら大変なことになる・・(^-^;

喫茶店に一緒に入った相手から《俺、砂糖入れたっけ?》・・ど、どういうこと?!
と思うけど、自分で忘れちゃったんでしょうね。

何処かで聞いたことがあると思い返していたら、ウチの妻でした。
出掛ける時に「ねぇ、私、台所の火消したよねぇ」とか「私、さっき玄関閉めたよねぇ」・・っていうのがしょっちゅうあります(^_^;)

なんかよくわからない“キラー・パス”です。

いくつか例を挙げてみましたが、上記のような言葉がたくさん見つけられ、様々な考証がなされていました。
馬鹿馬鹿しいけど、この本、面白かった(^o^)

 

俳句を詠んでみる_0234【 秋の朝 トースターの温度上げる 】

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あっ、パンに焦げ目がつかなかった・・で一句詠みました。

【 秋の朝 トースターの温度上げる 】

《背景》季語:秋の朝[秋]
朝夕、涼しくなり、庭に吹く風も爽やかに感じる。
朝食のパンを焼く時には今までよりもちょっと温度を上げないと焦げ目がつかない。

 

 

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2024/09/24

「恋愛作法/宇野千代」を読みました。

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『恋愛作法 -愛についての448断章-/宇野千代著(集英社文庫)』を古本で見つけ、読んでみました。

宇野千代さんというと、真っ先に思い浮かぶのが『愛欲』という言葉です。
その宇野さんがなんと愛について448もの断章をここに示しているわけです。

恋の不可解、愛の不思議や愛の礼儀、恋の作法・・などいくつかの章立てがされていて、宇野さんの豊富?!な経験を踏まえた実例と考え方などが書かれていました。

いましたが、途中でもう「ご馳走さま」になりました。
もう、いいっ!勘弁してくれ、という感じになりました^_^;

出張の時に夫が駅まで送ってくれて、うれしくて泣いているのに、行った先で男と知り合い、そのまま帰らないとか、昔のことで教師同士の恋愛がご法度だった時に“きれいな男”だからと深い仲になり、宇野さんは教師を辞めさせられ、男の方は遠くの学校に飛ばされ、男からは「もう一切手紙でもなんでも連絡しないでくれ、仕事を失ってしまう」と手紙をもらうと列車に乗り、夜遅くその男の所まで行き、「来ないでくれ」と言われて拒絶されて泣きわめき、走り出し、追って来た男性が追いつくとそのまま崖下に落ち、落ちた瞬間恋が醒めてしまう・・という経験が書かれていたり。

たまたますれ違った画家に声を掛けられ、そのまま着の身着のままでその男と一緒に暮らしだす・・など、私にはもうついていくことが出来ませんでした。

ある意味“天才”です。
愛に生き、恋に生き、男に生き、自分の思うところに真っ直ぐな人なのです。

男に女ができたら、すぐにあきらめて、新しい自分の人生や恋を見つけ出そうとする。
だから、愛についての文は冴えわたるのですよね、そんな人でなきゃ愛欲の物語なんて中途半端になってしまうのでしょう。

最近では村山由香さんに少し同じようなにおいを感じます。
“打算”が無いのです。
愛欲一直線です。

小説としては面白いが、個人的にそのようなことが起こることを想像すると身震いしてしまいます。

あまりの愛欲ボリュームに圧倒され、読み終えました。
もう一か月くらいは愛欲の話題はいらない感じです。

 

俳句を詠んでみる_0233【 秋の宵 安否の電話 待ち遠し 】

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中学時代の先生との夜の電話で一句詠みました。

【 秋の宵 安否の電話 待ち遠し 】

《背景》季語:秋の宵[秋]
夜も8時頃になると、中学時代の担任で美術の先生からよく電話が掛かってくる。
ジャズやオーディオ、先生の作品のこと、世間の出来事などを話すのが楽しい時間となっている。
先生から2~3日電話が来ないと、ちょっと不安になり、こちらから掛けてみる。
「先生、安否確認の電話です」とふざけて言うと、「おぉっ、生きてたぞ」と、うれしそう。
安否の電話を待ち遠しくしていたようで、二人して笑ってしまう。

 

 

2024/09/23

映画「エターナル・メモリー」を見てきました。

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映画『エターナル・メモリー(The Eternal Memory)/2023年 チリ 監督:マイテ・アルペルディ 出演:パウリア・ウルティア、アウグスト・ゴンゴラ』を見てきました。

チリの映画は初めて見たと思います。

著名なジャーナリストである夫のアウグスト・ゴンゴラと、国民的女優であり、チリで最初の文化大臣となった妻のパウリナ・ウルティアのドキュメンタリー映画です。

20年に渡り深い愛情で結ばれていた二人が、自然に囲まれた古い家をリフォームして暮らし、読書や散策などを愉しみ、日々を暮らしている・・。

そんな“あたたか”で“平和”な日々に突然、夫のアウグストがアルツハイマーを患い、記憶を少しずつ失っていくのです。
失われていく記憶には、最愛の妻、パウリナの記憶も。

この困難に直面した夫婦でしたが、妻が夫との生活を慈しみ、全面的に夫を支えていく現実に起こったストーリーでした。

 

 

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夫が奥さんのことを誰だかわからなくなっているシーン、過去の友人の死を泣きながら思い出すシーン、かつての自分がやってきたことを思い起こし愉快に誇らしくなるシーン、コロナ禍で人と会えず、家にずっと居る時に独りになってしまった、自分の書いた本が何処かに行ってしまうなどと幻覚のような症状を起こすシーンなどがあり、それをとてもやさしく、丁寧に話して説明しながら諭していく奥さん・・見ていて何度も泣いてしまいました。

二人で公園のようなところの木々の中を散策するシーンでは、夫から「私が死ぬまで一緒にいてほしい」という言葉が出て、二人が抱き合うところではもう涙が止まりませんでした。

今、私が求めているものは、こういう丁寧に作られた、人間らしい映画です。
暴力や、破壊、恨みつらみ、なんてもっとも私がいらないものです。

とてもいい映画でした。

 

俳句を詠んでみる_0232【 猫じゃらし もてあそばれる 恋心 】

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「季語の花図鑑」で秋の季語を見ていたら、狗尾草(えのころぐさ)という名の草花が載っていて、写真を見ると“猫じゃらし”だった。
季語としても「猫じゃらし」が傍題として掲載されていたので、猫じゃらしの季語を用いて一句詠みました。

【 猫じゃらし もてあそばれる 恋心 】

《背景》季語:猫じゃらし[秋]
男と女の間には、どちらかが主導権を握っているということが多々あると思う。
主導権を奪われた方は、猫じゃらしで弄ばれる猫のようになってしまう。
“にしおかすみこ”風に言うと・・・「アタシだよっ!」・・ってことで、私自身が猫じゃらしで相手をもてあそんだことは・・・一度も無い。

 

2024/09/22

俳句を詠んでみる_0231【 空(そら)澄む 龍舞立ち ツアーバス追う 】

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インスタ経由で facebook にも載せましたが、茨城三社巡りバスツアーに妻と出掛けました。
その際に酒列磯前(さかつらいそさき)神社で頂いた御朱印からのエピソードを詠みました。

【 空(そら)澄む 龍舞立ち ツアーバス追う 】

《背景》季語:空澄む[秋]
妻と出掛けた茨城三社巡りバスツアー。
酒列磯前(さかつらいそさき)神社では、見事なデザインの「日の出辰」の御朱印を頂いて来ました。
そしてバスに乗り、高速を走る車窓から「あっ、龍が追いかけてくるっ!」と思わず声をあげた“龍そのもの”の雲。
あわててスマートフォンでその姿を撮りました。
さすが「絶景&パワースポット・ツアー」と銘打つだけのことはあると思ったのでした。

 

 

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2024/09/21

「筆に限りなし 城山三郎伝/加藤仁」を読みました。

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『筆に限りなし 城山三郎伝/加藤仁著(講談社)』を読みました。

2009年第一刷発行となっておりますが、私が好きな作家、城山三郎さんの生涯を、城山さんが残した1万2千冊の蔵書、無数のメモ(電話番号のバインダーにちょっと控えて書かれたものまで取り上げられていた)、書簡、日記、その他段ボール300箱に収められた未発表資料からも、細々としたところまで読み取り、まとめられた伝記となっていました。

300頁を越え、みっちりと書かれたこの本、読み応えがありました。
理数・技術系の学校に進み、徴兵は免除されているのにも関わらず、それを解除してもらい兵士として軍に行った若き頃の様子も書かれていましたが、そこでは暴力と飢えが待っていたりして、やがて終戦。
この時の経験と記憶は生涯城山さんの心に深く刻まれていたことがわかりました。

敗戦後には、立場がまったく逆転してしまったことも、やはり深く心に刻まれ、傷となっていたようです。

その後も大学で教鞭を取りながら、作家活動をされ、さらに結婚。
作家一本に絞ったときの葛藤なども実に細かく書かれていました。

私の城山さんの作品の印象は、とにかく“生真面目”というくらいにその時々に取り上げたテーマに向き合い、徹底的に調べ上げ、緻密で濃密なもの、というものでしたが、まさにそんな人生を歩まれていたのだということもわかりました。

また、故郷の友人や、大学での師と呼べる人、その他様々な人から厳しいアドバイスや、時には謂れのない誹謗のようなものを遠回しに受けたりして、人生の中での辛い出来事などにもふれられていました。
でも、それらのことが城山さんをより強く、さらに真面目に、一本気な人間につくり上げていったのだな、ということもわかりました。

私のブログでも城山さんの著書は何度も取り上げていますが、まだ私の手元にストックが有り、これから読後感をアップしていこうと、より強く思いました。

読んでいて、城山さんの祖母にあたるフデさんの言葉が印象に残りました。
城山さんの死生観に大きく影響を与えているのではないかと思いました。

森の中には数多くの木があるが、人にはそれぞれ「自分の木」というものがある。
人が生まれるとは、その「自分の木」から魂が下りてきて、人の体の中に入ることであり、逆に「死」とは、身体がなくなるだけで、魂はその木のところに戻ってゆくのだ。

というのです。
私にとっても何か「いいことを聞かせてもらった」と思える言葉でした。
ビートルズ時代のジョンの歌詞にもこんな感じのものがあったような気がする。

長編でしたが、城山さんのことをより知ることが出来、充実した読書となりました。

 

俳句を詠んでみる_0230【 夏掛や 猫を重しに 夢を見る 】

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夜、寝る時間になるとタオルケットの上にはもう猫が来て一緒に寝る準備万端!という状況から句を詠みました。

【 夏掛や 猫を重しに 夢を見る 】

《背景》季語:夏掛[夏]
この句も、妻がタオルケットに猫が乗ってきて、ちょっと重いが寝ていたことを句にしようとしていて、相談を受けた“持ち込み案件”。
「タオルケット」が歳時記に無いことを調べた後、「夏掛」と「猫」を使って詠んでみました。

 

2024/09/20

俳句を詠んでみる_0229【 秋暑 鎌倉の角打ち エーデルピルス 】

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師匠と鎌倉を歩いていた頃を思い出して詠みました。

【 秋暑 鎌倉の角打ち エーデルピルス 】

《背景》季語:秋暑[初秋]
何年か前には鎌倉に何度も出掛け、あちこち散策した。
当時ご一緒した以前の職場の上司で“遊び”を教えてくれた師匠から、鎌倉の“シメ”に酒屋の裏口にある角打ちを教わった。
高崎屋本店という店だった。
珍しい日本酒もたくさんあるが、散策で乾いた喉に、まずはエーデルピルスの生だった。

 

 

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2024/09/19

俳句を詠んでみる_0228【 夏の朝 珈琲淹れる 生きている 】

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毎日、毎朝、感じることを詠みました。

【 夏の朝 珈琲淹れる 生きている 】

《背景》季語:夏の朝[夏]
3年前、入院し、生死の境を彷徨ってからは、毎日朝日を見ることができるだけで、よろこびを感じるようになった。
病室では、朝日は見えず、ほとんど起き上がることも出来ない日々だった。
退院した翌日、自室の窓を開け、飛び込んできた朝日に涙したことを思い出す。
生きていることがうれしく、湯を沸かし、家族に珈琲を淹れることができるよろこびを感じる。

 

 

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2024/09/18

俳句を詠んでみる_0227【 白き花 木下闇へと誘いこむ 】

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妻も私の様子をみて、最近俳句を詠もうとしていますが、うまくいかない時に持ち込まれる“ネタ”。今回も私が引き継いで詠みました。

【 白き花 木下闇へと誘いこむ 】

《背景》季語:木下闇[夏]
妻が、木下闇(こしたやみ)の怪しい感じを「百合の花二輪が咲き、木下闇へ案内する・・」というような句を書こうとしてままならない様子だったので、百合と木下闇の“季重なり”も指摘してわかりやすくまとめてみました。

 

 

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2024/09/17

俳句を詠んでみる_0226【 初御籤(はつみくじ) 今進むべき方位 知る 】

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これも妻からの“持ち込み”物件(^_^;)
おみくじで句を作ろうとしてうまくいかず、私に持ち込まれました。

【 初御籤(はつみくじ) 今進むべき方位 知る 】

《背景》季語:初御籤[新年]
妻の発想で、「おみくじは“羅針盤”のように人生の方向をおしえてくれる」というような内容の句を作っていたが頓挫し、私に持ち込まれました。
ということで、私なりにわかりやすい表現を見つけ、句にしてみました。

 

2024/09/16

「ねむりねこ/伊集院静」を読みました。

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『ねむりねこ/伊集院静著(講談社文庫)』を古本で見つけ、読んでみました。
2003年に刊行されたものの文庫化で、2008年に発行されたものです。

伊集院さんが感じる四季の草花・生き物の命の輝きについてふれ、親しい人との出逢いや思い出、さらに人々の暮らしなどにも目を向けて書かれた随筆集でした。

いつ読んでも伊集院さんの文は、人への敬意を強く感じます。
そして、謙虚な姿勢と共に、若者には強い叱咤激励を与えています。

また、亡くなった人たちへの惜別の思いも語られていました。

これについては、私も最近感じることがあります。

自分の周囲ではまだ父母や、年老いた親戚関係の死去があるのみですが、自分が若かった頃に全盛期を迎えていた人達が亡くなったという報があると、自分の時代が次第に過去に流れて行くように感じて、とても寂しくなるし、何か自分を奮い立たせないと、と思うのです。

そして、伊集院さんのようにやがて自分がお世話になった人や、仲の良かった人、身近な人達、人生の中で印象に残った出逢いのできた人達が亡くなったら、どんな気持ちになるのかと今から少し覚悟を決めなくては、と思い初めているところです。

この随筆集の中でも面白いことを書かれています。

どうもこの世の中は悪い人間の方が長生きするらしい。
経済人などの面構えを新聞や雑誌で見るが、惨憺たるものだ。
これが何千人もの上に立っている人間の顔かと怖くなる。
城山三郎さんの著書に登場する石田禮助、浜口雄幸といった主人公の軌跡を読むと、ついひと昔までは日本にも人物がいたのだと納得するが、現在私の目や耳に入ってくる人達には碌な人間がいない。

まったくの同感です。

伊集院さんのこの随筆集を読んで、また少し強い気持ちで生きようという気になりました。

 

俳句を詠んでみる_0225【 秋風 遣る方無きこと 吹き溜まる 】

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まだまだ暑い日がありますが、ふと秋を感じることもあります。
そんな気分で一句詠みました。

【 秋風 遣る方無きこと 吹き溜まる 】

《背景》季語:秋風[秋]
いよいよ朝夕に秋を感じる風が吹いてきました。
しかし、この夏にやり残したことも多く、やるせない気持ちが積もるようにあって、その秋風に吹かれ、それらが吹き溜まっている。

 

2024/09/15

俳句を詠んでみる_0224【 朝顔の色水で 青空描く 】

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妻からの俳句ネタの“持ち込み”がありまして(^_^;)私なりに作ってみました。

【 朝顔の色水で 青空描く 】

《背景》季語:朝顔[初秋]
またもや妻が「色水で俳句を作ろうとしたが出てこない」とやって来た。
色水って絵の具で作るの?
と聞くと、朝顔などの花で作るとのこと。
ははあ、わかりました。
それじゃ、私も作ってみましょうということで出来た句です。

 

2024/09/14

「老人をなめるな/下重暁子」を読みました。

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『老人をなめるな/下重暁子著(幻冬舎新書)』を読みました。
2022年第一刷発行のもので、割と近年の本です。

このブログでも何度も下重さんの著書をご紹介していますが、いつも気風よく、はっきりと言いたいことを書かれているのが気持ち良いのです。

特に「老人」というものをひとつの枠に“あてはめる”ような世相というか、世間の状況については厳しい言葉が飛びます。

スマートフォンばかり見ている人達を見て、「スマホ代わりに年寄りの知恵を活用せよ」とおっしゃっていますが、データの中に答えがあると思っている人は多いと思います。
知恵、知識の奥行きというものをもっと活用すれば、要するに年寄りの知恵は様々な経験から出てくるもので、侮れないのだ、というわけです。

そう思います。
最近じゃ、本も読まない人がいるので歴史から得る知識などというものからも遠ざかっている人がたくさんいると思うのです。
つまり「読書で得られる知恵も高齢者の知恵に匹敵する」ということだと思います。

もうひとつ、『「断捨離」や「終活」に踊らされるな』ということ。

上記、断捨離や終活はしきりにテレビや雑誌その他で言われていますが、それをして心も身体も自由になる・・のでしょうか。

私の中学時代の担任の先生とも時々「終活」の話をするのですが、先生の周囲でそれを始めた人たちは“ぬけがら”のようになってしまうか、身体の具合が急に悪くなったりしている人が多いというのです。

そりゃあそうだよ、もう身の回りに自分を支えてくれた過去の痕跡を無くして、あとはこの世から居なくなればいいのだというところまで準備してしまったら、ふつうの人は気力が衰えてしまうような気がするのです。

“生き生き”と終活している人もいますが、それはそれで、そのこと自体が目標になって気力が充実しているのかもしれません。

でも、そんな人には、今度は信託財産を管理しましょうと金融機関が乗り出してきて、そこで利益を出そうと待ち構えている。
テレビその他で終活を声高に言うのは、そんなところからお金が出ていてビジネスになっているのではないでしょうか。

ということで、この本のタイトル「老人をなめるな」は正しくも決意あらたにしなければならないことだと思い、読了いたしました。

 

俳句を詠んでみる_0223【 秋暑し 喫茶ブーケで一休み 】

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中学時代の美術の先生の作品を見に出かけて、そのお昼に一句詠みました。

【 秋暑し 喫茶ブーケで一休み 】

《背景》季語:秋暑し[初秋]
中学時代の担任で美術の先生の絵を見にギャラリーに出かけた。
まだまだ日中は暑い中、久しぶりに訪れた通りを歩き、先生と昼食をとることになった。
懐かしい風情の喫茶店を見つけ、ランチを頼んだ。
「ブーケ」という店名だった。
通りの懐かしさとお店の昭和の時代を感じさせる懐かしさに先生と顔を見合わせ、笑顔になった。

 

2024/09/13

「物情騒然。人生は五十一から/小林信彦」を読みました。

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『物情騒然。人生は五十一から/小林信彦著(文藝春秋)』という本を読みました。
2002年に発行されたもので、古本で手に入れました。
内容は、「週刊文春」に2001年1月から12月に掲載された著者・小林さんの文をまとめたものです。

小林信彦さんの文は、いろいろなところで今までもお見かけし、読んできましたが、テレビ番組のことから、映画について、芸能人などの人物像、食べ物について、海外での出来事を含めた政治的なこと、言葉について、街並みについて、落語について、などなど多岐に渡り、しかも1932年生まれという大先輩なので、もう私の知識や記憶などではとても追いつかない文も多く、中にはまったくわからず、お手上げになってしまったものもありました。

マリリン・モンローが有名になる前に出演していた映画はこんなだった、という話も興味深かった。夫であったディマジオとの来日時のことも昨日のことのように書かれていました。
当時の日本がどんな感覚でモンローをとらえていたのかもなんとなくわかりました。

まだ伊東四朗さんが目立たなかった頃の様子、そして“只者ではない”芸人としての片鱗を見せていて、それに気づいていた人も少なからずいた、という話も面白かった。

「肉じゃがは、本当にお袋の味か?」という文も頷くことが多かった。
今ではよくそんなこと言っているけど、昔はそんなこと言わなかった・・というのも私には実感がありました。

まだまだ若かった頃の小泉今日子を見て、もう今現在の小泉今日子を想像しているような“フシ”のある文もありました。
実に鋭い観察眼というか、直感も感じました。

また、落語の志ん朝さんが亡くなられた時のショックも何度かに渡り、長文で書かれていましたが、私も今そのときの録音を聞いてみると、本当に惜しい人を亡くしたと感じます。
63歳で亡くなられたと記憶しますが、70代以降どうなっていくのか見たかった、聞きたかったと思います。

その他、ここに書かれている文章は、“珠玉”の文で、わくわくしながら読みました。
テンポのいい、読み進むのが楽しい本でした。

 

【忖度(そんたく)についてもう一度考える/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №72】

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少し前に『忖度』について書きました。
話題となっている県知事の報道がなされている最中だったことも手伝ったのか、意外と反応が大きかったのに驚きました。

そんなこともあり、再度、私が感じた「忖度」というものについて思い出しつつ考えてみようと思いました。

今回は、《忖度しろ》と《忖度するな》という二つのタイプについての考察と再現を。

最初は“忖度しろ”タイプの人。
私が東京に勤務することになったばかりの頃のボスは、そんな感じだったらしいです。

幸いに、私が外出中にそのボスが来て、上司二人がうちの事務所が入っているビルの車寄せで迎えると「大袈裟に出迎えるなっ!部屋の場所くらいわかってる、無駄なことをするな」と怒鳴られたそうです。
えっ?じゃ「忖度するな」の人じゃないの、と思うかもしれませんが、二人で迎えたことを時間と人のムダだと怒鳴りつけたかったらしい。

部屋に入り、お茶を出すと「私はまずい茶は飲まないっ!」と怒りだし、「水の方がまだましだ」と言ったとのこと・・ですが、来客用のお茶は指定されていて、それを一番よく知っていなきゃならないのはこのボスです。
予算削減だということで決まったことなのに。
じゃ、普段は誰が高級なお茶をボスに“本社”で用意しているのか・・おそらく“本社”秘書のえらい人あたりが高級茶葉を自腹で買っているのかもしれません。想像ですけど。

さらに東京に来た理由は華々しい場所に御呼ばれがあり、そこに行くまでの控室的に寄ったのですが、せっかく正装して輝かしい日においでになったので、職員が記念に写真をと思いカメラを用意すると、「安いカメラなんかで私を撮るなっ!」と怒鳴ったとのこと。

「カメラは用意してきた。こういう高級カメラで撮れ。」と渡されたカメラは、こちらで用意したカメラよりもずっと安いカメラだったとのこと。
プライド高く、自分以外は皆安っぽい人間だと思っていたのではないでしょうか。

やがて数か月の内にそのボスの不祥事でボスは交代となりました。
今度は「忖度するな」タイプのボス。

東京にやって来て、次々と国の色々な部署のエラい人と会い、議員さんとも会う一日となり、私が同行。
上司からは「昼食もとらなければならないが、和・洋・中どれもすぐに案内できるよう事前によく調べ怠りないようにしろ」と命令がありました。

午前中も活発に回り、お昼になりました。

私から「昼食は何がお好みですか?和洋中どれでもおっしゃっていただければ、すぐにご案内できます。」と言うと、「そういうの僕はいいの!サクッと食べてサクッと出て来れるところないの?」とのことで、へえ・・とおもった私は「わかりました、ここの社食にしましょう。」と職員さんがガヤガヤ・ザワザワしている社食にお連れしました。

プラスチックのトレイを渡し、「皆さん並んでいますから、ご自分で食券を買って、列に並んで空いているテーブルで食事してください。ちょっと面白いでしょ。」

「それからいつも誰かが一緒にいて気が休まらないでしょうから、私はその間にあちこち回り、資料取りをしています。お一人でたまにはぼんやりするのもリフレッシュできますよ、ちなみに食後にお茶・珈琲ということであれば、この建物内にある喫茶店とマクドナルドの場所の案内図を差し上げておきますのでどうぞ。」

というと、ボスのお顔は喜びに晴れ晴れとしていました。
「何かあれば携帯に連絡いただければすっ飛んで来ます、安心してお昼休憩していてください」と、その場はいったん別れました。

午後にまたあちこち回り出すと、きょうは夕方地元に帰ってから、何箇所か地元の会合に出席して挨拶回りがあるとお話しされました。帰りは夜遅くなるとのことでした。

「毎日こんな感じなんでしょう。お身体大丈夫ですか?いくらお若くても心配してしまいます。」と言うと、

「何言ってんの、私はこの立場になりたくてなったんだよ、これが私の喜びでなくてなんなの。今、いちばん幸せだよ。」とのお言葉。

あっ、この人はすごい人だ・・と驚きました。

 

俳句を詠んでみる_0222【 冥界の入口 あの木下闇(こしたやみ) 】

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妻から持ち込まれた俳句未完物件(^^;)途中でうまくいかなくなったので、私がなんとか形にしました。

【 冥界の入口 あの木下闇(こしたやみ) 】

《背景》季語:木下闇[夏]
これは妻が作ろうとしていた句が行き詰まり、私に持ち込まれたものを私が再構成したものです。
妻の元々の句には、小野篁(おのの・たかむら)の名を入れ込み、平安の官僚で昼は朝廷に、夜は閻魔庁につとめたという奇怪な伝説を取り入れようとしていたが、情報量が多すぎるので、「冥界の入口」というキーワードを使い、詠んでみました。

 

 

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2024/09/12

俳句を詠んでみる_0221【 秋暑 コインランドリーの小半時 】

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洗濯機が壊れまして、そんな時でも一句詠んでみようと思いました。

【 秋暑 コインランドリーの小半時 】

《背景》季語:秋暑[秋]
長年使って来た洗濯機がついに壊れた。
新しいものが届くまでの一週間、コインランドリーで家族の洗濯物を洗うことになった。
洗い終えるまでの小半時、他の人は見ているとその間にどこかに出かけている。
私は誰も居なくなったランドリーの部屋で“小半時”の読書をして過ごすことにした。

 

2024/09/11

「栞ひも/岡本眸」を読みました。

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『栞ひも/岡本眸著(角川学芸出版)』を古本で見つけ、読んでみました。
俳人・岡本眸(おかもと・ひとみ)さんが、句作の折々に書きとめた文をまとめられたものです。
平成19年(2007年)初版発行となっていました。

著者、岡本さんは昭和3年(1928年)生まれで、調べてみましたら平成30年(2018年)に亡くなられていました。

古本屋でこの本を手に取り、パラパラと中を見たら、すぐにいい俳句がたくさん詠まれている本だということがわかりました。
それと共に書かれている文も心優しい、“やわらか”で“あたたかい”ものばかりで、「これは読まなければ」と思い、購入いたしました。

もともとは、著者が戦後に就職した会社で役員が句会を親睦のために開いたことが発端となっていました。
著者は秘書として勤務していたので、その句会の雑用係をすることになり、「お前もついでに詠め」ということになり、初めて俳句を詠んだ・・そんなことが書かれていました。

なので、当初は“仕事俳句”というか、仕事のことをひたすら詠んでいたようです。
その後は、結婚して“生活俳句”。
夫と死別して“これからの自分への決意”のような俳句へと変遷していき、その中で自然、景色、想いなど、様々な俳人からの教えもあり、次々と素敵な俳句を詠まれていました。

読んでいて、自分もこんな俳句を詠めるようになりたい。そしてこの著者のように俳句を詠むことを生きていることの喜びにしたいと思いました。

この本からも、そして今年の3月から俳句を詠んでいても感じているのですが、日々俳句を詠むことは、ブログにしてあれこれ書くよりも、また日記を書くよりも、短い文章でSNSに何事か書くよりも自分にとっても、発信する外側にとってもインパクトが強いと感じています。

そして記憶にも、思い出としても残るものが大きく、重いような感覚があります。

また、詠んだ句は、印刷してファイリングしているのですが、読み返すことがとても多いのです。
今年、ほんとうに良いものと出会ったと思っています。
今や俳句なしに自分の生活はない、そんな気持ちで毎日俳句を詠んでいます。

またまた背中を押してくれるようないい本に出会いました。

 

俳句を詠んでみる_0220【 雷響 停電し 朝が蒸発す 】

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最近は、朝でも夕でも突然の雨や落雷が珍しくなくなりました。
そこで朝の落雷で一句詠みました。

【 雷響 停電し 朝が蒸発す 】

《背景》季語:雷響[夏]
平日の朝、雨と共に雷鳴響き、その時朝の支度をしている家族。
そして突然の停電。
ドライヤーが止まり、洗濯機が止まり、照明が落ち、テレビが消え、ラジオもプツンと落ち、トースターも暗くなり、エアコンも止まり、ああ Wifi も止まり携帯情報も・・・。
朝の生活が蒸発した感じ。

 

 

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2024/09/10

2024九月会展@画廊ジュライ

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既にインスタなどでご紹介した、千葉市中央区の「きぼーる」2F画廊ジュライで開催されていた『2024九月会展』、本日最終日でした。

私の中学時代の担任で美術の先生だった南隆一先生から夜に電話があり、今回は全日千葉まで行って画廊につめたとのことで、“喜寿”の先生、旭市から毎日通われて大変だったと思います。
・・今の私でも体力的にはかなりきついかもしれません。
先生・・尊敬してます、いつも。

 

 

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インスタや FacebookPage では、他の方々の絵もご紹介しているので、今回このブログでは南先生の作品のみ掲載いたします。
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電話では、作品を撤収して、多古町の方の作品も運んだらしく、たいへんな量の作品を運ばれたとのこと。
電話の声はとても元気で笑いも飛び出して、どっちが生徒かわかりません(^_^;)
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今回も齢を重ねていくうちにどんどんポップになる先生の作品を直接見て感じて来ました。

毎回、毎回、楽しそうに作品を見せてくれながら説明もしてくれて、うかがった日も愉快な一日になりました。

 

 

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まだ今年もきっといくつかの展示機会があるのだと思います。
そのときは、インスタ、Facebook、ブログなどを通じてその様子をお知らせしようと思っています。

俳句を詠んでみる_0219【 あの女の南瓜 くやしいけど 煮る 】

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ラジオ深夜便を聞き、その内容を妻に伝えたらそこから受けた印象で句を作ってきて、私がさらにそれをわかりやすくした、という句です(^_^;)

【 あの女の南瓜 くやしいけど 煮る 】

《背景》季語:南瓜[秋]
ラジオ深夜便のコーナーで、誰かに宛てて書いた手紙を番組で読むコーナーがありました。
老齢(77歳とのこと)を迎えた女性からのものが読まれました。
夫は自分とは別の女性と数十年前に婚約していたが、船員だったため、国外に居る期間が長く、日本に寄港する時には、その港に会いに来てもらうことになると言ったら、相手の女性は一人では行けないと言い、女性側の家族にも反対され破談に。
しかし、今になってその女性が知人を介して家に南瓜を届けてきたという話でした。
現在の奥さんは「この互いに人生の残り時間少ない時期に、あなたは今何をしようというのか。どういうことか。」という手紙を、そのかつての婚約者の女性に対して書いたというわけです。
その話を妻にしたら、その南瓜事件について怒りのこもった句を作ってきたので、私が他人の手紙で関係ないのにかつての婚約者である女性に対し怒っている妻の意を汲み、句になるように修正してみました。

※後日談
気になってNHK「らじるらじる」の“聞き逃し放送”で聞き直してみました。
深夜に寝ぼけていたのでしょう、人づてに届いた野菜は『ほうれん草』でした( ゚Д゚)
何たる勘違い!
かぼちゃで句まで詠んじゃった。
でも、かぼちゃの方がなんだか話として面白いような気がしました。

 

2024/09/09

俳句を詠んでみる_0218【 葡萄狩のバスに妻を送る朝 】

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昨日、妻がシャインマスカット狩りツアーに出かけました。
朝から送って行って一句詠みました。

【 葡萄狩のバスに妻を送る朝 】

《背景》季語:葡萄狩[秋]
妻がたのしみにしていた、甲府へのシャインマスカット狩り。
長男が幼稚園の頃からのママ友とうれしそうに出かけて行きました。
早起きしてクルマで送り、私一人となったクルマで、今帰宅中です。

 

2024/09/08

【忖度(そんたく)な出来事/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №71】

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最近、よく報道されている知事のパワハラによるその周辺の忖度(そんたく)度合・・というか、あの人はじめ、都知事選でけっこう票を集めた人が市長だった頃など、周囲の人達の忖度が異様に感じました。

至極まともな人が何か「ちょっとおかしいんじゃないか」などと言えば、その人が“血祭り”にあげられてしまうという状況・・けっこう身近にいくらでもあるんじゃないでしょうか。

十数年前の東京勤務時の出来事で思い出したことがありました。

その日、うちのボス(※要するに市でとってもエラい人)が東京に出てきて、打合せをした後、そのビルから午後大きな会議のあるホテルに行くことになっていたのですが・・。

ボスが来る前の日に、私の上司二人(東京勤務後半の嫌いだった二人)が30~40分もかけてひそひそと相談していました。

相手にしない方がいいと思ってはいたのですが、あまりにひそひそやっていて気になったので、「どうしましたか?何か困りごとでも出来ましたか」と聞くと、「チッ、まずい奴に聞かれた」という顔を二人ともしながら、「明日、ボスが来て打合せする建物からホテルに向かう時にクルマをどう動かすかについて導線の検討をしている」とのこと。

私:「導線も何もビルを出て6メートルの横断歩道を渡ったらそこが会場じゃないですか。こちらですと案内して一緒に横断歩道を渡ればいい」

上司A:「だからあんたはどうしようもない男なのだ。〇長に横断歩道を歩かせるというのか!」

上司B:「このアホウの言うことは聞かなくてもいいですよ、ろくなことを言わない」

・・・クルマにボスを乗せてしまったら、交通状況的にもボスへの印象的にもすぐにUターンしては非常に妙な感じになり、その場所の区画を一周して1キロほど走ってホテル側にクルマの降車ドアを向ける・・と真顔で話し合っていたのでした。

まったく同じ場所で道路の向かい側にクルマを駐めるっていうことです、簡単に言うと。

それをいかに走ったことが不自然にならないようにするにはどうしたらよいのか・・って何十分もああだこうだと話し合っていたんですね、その二人。

私:「その場で“横断歩道を歩かされた”とボスに叱られたらどうするかが気になるのなら、私がその案内をしますよ」

上司A・B「なにぃ~っ!!生意気なことを言うな」

と言いつつも、こいつのせいにすればいいと思い直したのか、結局私がその案内役になりました。

「〇長、こちらです。横断歩道を渡りましょう。どうぞ」と前に立ち半身になって横断歩道を渡り、会場のホテル玄関に案内。・・それで終わり。

部屋に帰ると、上司A・B「どうだった?お怒りになられただろう、歩かされたんだ」と走り寄ってきました。

私:「大きな歩幅で元気よく会場に向かって行かれましたよ。ご心配なく」

二人は茫然としておりました(^_^;)

 

俳句を詠んでみる_0217【 青棗(あおなつめ) コロコロ出てくる エピソード 】

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庭の棗(なつめ)の実を見ていて思ったこと、詠んでみました。

【 青棗(あおなつめ) コロコロ出てくる エピソード 】

《背景》季語:青棗[夏]
庭にある棗(なつめ)の木。
青々と実をつけていますが、それぞれの元気そうな粒がこの夏のエピソードを語り出しそう。

 

2024/09/07

「忖度(そんたく)バカ/鎌田實」を読みました。

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『忖度(そんたく)バカ/鎌田實著(小学館新書)』を読みました。
2017年に第一刷発行されたもので、古本で手に入れました。

著者、鎌田實先生については、毎日曜日の朝早くにやっているラジオ番組「日曜はがんばらない」をよく聞いています。

7年前の本で、タイトルにもある「忖度」という言葉が森友・加計問題に端を発して大きくクローズアップされていた頃です。

著者の指摘は鋭く、“忖度”という言葉を日本社会に深く巣食う「病理」を表す言葉であると書かれています。

あの頃の首相や、国会議員、官僚の発言や実際に行ったこと、それらは私達国民に不信感を抱かせ、さらに公文書の改竄という重大な問題も引き起こしました。

そして、それらは7年後の今現在の社会でも何ら変わっていないと感じます。
“忖度”という言葉は、今や本来的な意味とは既に異なる意味で使われている感じがしますが、兵庫県知事の公益通報者保護法を逸脱したと言える行為は“忖度”のバリアの中で横暴かつ強権的な振舞いを許してしまった例と言えるのではないかと感じています。

そして、そんな人がまだまだいると思われます。
皆、一様に同じ目つき、表情をしているのも不気味ですが、今のネット社会ではそんな人に群がって“持ち上げる”人も多く、さらに「忖度」を指摘するような人に対し、ネット上で攻撃する人も多々見受けられます。

日本は、暗黒社会の入口から既に数メートル入っている状況だと思います。

「言いたいことを言える日本がいい」と著者は書いていますが、どうでしょう、今の日本で言いたいことが言えているのか・・疑問は深く残ります。

中学時代の担任の先生ともよく電話でお話しをするのですが、だんだん忖度なしに、遠慮なく話せる人が先生以外には少なくなっているように感じます。

この本では、軍備の拡大や、原子力発電の今後などについてもふれていますが、著者が政治的なことにも忖度なく自身の意見を述べているのを読んで、こうありたいと思いました。
X(旧Twitter)でも、私は忖度のない発言をしていますが、何処かからか圧力を掛けてくることがあるのではないかと危惧している気持ちもあります。

この本を読んで、あの頃感じていたことが整理された感じがしました。
そして、その頃の気持ちを大切にして、これからもいらぬ忖度はせぬように、このブログ等も書いていきたいと思います。

 

俳句を詠んでみる_0216【 高跳び棒で 飛び越えた 雲の峰 】

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この俳句もネタ元は私ではなく、妻があれこれ自分で俳句をつくってみようとしていたのを見ていて、私がそのネタを詠んでみたものです。

【 高跳び棒で 飛び越えた 雲の峰 】

《背景》季語:雲の峰[夏]
妻が「雲の峰」の季語で句をつくって見せてくれたが、棒高跳びの棒をどこに刺して雲の峰を飛ぼうかという句で、なんだか未消化な感じだったので、私なりにつくり直してみた句です。

 

 

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2024/09/06

俳句を詠んでみる_0215【 境内 年越しの焚火 寝ずの番 】

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この俳句はネタ元が自分ではなく、下記《背景》欄に書かれたようなことで詠んだものです。

【 境内 年越しの焚火 寝ずの番 】

《背景》季語:年越[歳末]
二十年近く前、神社年番の役割がたまたま自分が町内会の組長となった時に回ってきた。
年末年始、初詣の準備・運営を組で行いました。
年越しの際には、境内の焚火を絶やさぬように“寝ずの番”を組の人達でやりました。

※この句は、兄がNHK俳句にたぶん同様の題で投句し、先生に修正してもらった話を聞き、その句は見ていないが、自分ならこんな感じで詠むだろうと書いてみました。

 

2024/09/05

「本はこれから/池澤夏樹・編」を読みました。

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『本はこれから/池澤夏樹編(岩波新書)』を読みました。

2010年第一刷発行の本で、いよいよ電子書籍が今までの“紙”に印刷された本を凌駕するのではないか、などという話が出てきた頃でしょうか。

そして、もし“電子書籍・隆盛”ということになって来たら、書店、古書店、図書館、取次、装丁・編集、書き手、読み手はどうなっていくのか、という、“本好きな私”にとって重大な件について、三十七名の様々な立場の人達からのエッセイがまとめられていました。

そんな本を14年後の今読んでみたわけです。

エッセイの内容は、それこそ、それぞれの方が“ばらんばらん”でした(^_^;)

本屋などでの本との偶然の出会いが人生上も、研究などをしている時は仕事上も大事なのだ。だからデジタルなんてとんでもない。という意見。

デジタル化していく時点で日本は遅れを取る、しかも古文書などは画像として残さざるを得ず、文化そのものの喪失があるという意見。

デジタル大歓迎、場所は取らないし、検索が容易になって膨大な知識が手元にある環境はとても自分にとって役立つという意見。

電波を通じて情報記号を吸い取るだけの端末を一台持つことの「便利さ」という詭弁とひきかえに書物なる多様体への信頼を捨てることになれば、私達は書物というイデアのなかに蓄積されてきた身体と知性をめぐる記憶のすべてを、市場と効率性の原理へと売り渡すことになる、という・・私の意見ともかなり近いものもありました。

古書を扱っている人は、「当面は何の影響もない、取り扱う古書はいくらでもあるし、百年は大丈夫」と、電子書籍化など“どこ吹く風”なご意見もありました(*^^*)でも、そりゃそうだとも思いました。

特定の、特にアメリカの企業が独占的に書籍情報を収集し、コントロールするのではないか、という意見もありました。

これからもずっと共存せざるを得ないのだ、デジタルの利便性と、紙の本という人間にとってのメリットは、どちらかになってしまうということはない、という意見もありました。

デジタル化した文書は、結局保存するメディアや、方式がどんどん進化・変更されるので、更新を常に続けねばならず、その作業量は膨大であるという意見・・間違いなく発声する・・もありました。

さあ、この本が出てから14年を経ている現在、どうなっているのかというと、当時言っていたような電子書籍の発展・隆盛はそんなに感じません。
かと言って、駅前の書店などはどんどん閉店し、大型書店も閉店していく中でまだ残ってはいますが、そこにはメジャーな通りいっぺんの本しかないことが多く、“本との出会い”なんて本好きの人間にはとても満足できる状況ではなく、アマゾンなどで書籍を購入する人はたくさんいるのでしょうが、結局そのとき必要な本をピンポイントで探し、買っているだけです。

私が思うに、電子書籍で本を読もうなんて人に、あまり本好きはいないと思うのです。
必要だからこれは読んでおかなきゃ、という人、あるいは単に電車に乗っているときなどのヒマつぶしということもあるかもしれない。

本好きって、偶然の出会いも大切だし、本そのものの存在、手触りや読み進むうちに残りページを意識しつつ味わっていく感じ、読み終えたときの独特の感覚は現物の本を手にしていないと感じることは出来ません。

以上、この本の中で語られていることと、私の意見も交えて感想を書いてみました。
そして私は、これからも年間約150冊の本を読む生活を続けていくのでした。

 

俳句を詠んでみる_0214【 秋の朝 聞こえる 階下への足音 】

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朝、家族皆んなが一階に階段を降りてくる音で一句詠みました。

【 秋の朝 聞こえる 階下への足音 】

《背景》季語:秋の朝[秋]
秋になり、家族それぞれの日々が新しい段階に入る時期のように感じる。
起床して階下に降りてくる家族の足音が、皆異なる音で聞こえてくる。

 

2024/09/04

俳句を詠んでみる_0213【 引き出しに残る手紙に ふれる秋 】

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探し物をしている時に見つけた昔の手紙で一句詠みました。

【 引き出しに残る手紙に ふれる秋 】

《背景》季語:秋[秋]
PCメールの時代から、携帯のメール、LINEへと世の中は変わった。
中学生の頃からの学生時代は普通に手紙でやり取りをしていた。
引き出しの奥には、まだその頃の手紙が残っているのを探し物をしている時に見つけた。
開けてみようかと思ったが、こわくて開けられなかった。
手紙にふれているだけで、指先から様々な記憶がよみがえってくるようだった。

 

2024/09/03

「運を支配する/桜井章一・藤田晋」を読みました。

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『運を支配する/桜井章一・藤田晋(幻冬舎新書)』という本を古本で見つけ、しばらく温めておりましたが、意を決して読んでみました。

2015年第一刷発行となっておりました。

桜井章一氏は、「雀鬼」の異名を取る麻雀の“裏プロ”。
プロデビュー後引退まで二十年間無敗!!とのこと。麻雀を通して人としての道を始動する「雀鬼会」を始めた方だとのこと。

藤田晋氏は、サイバーエージェントを設立し、社長となり「麻雀最強位」タイトルも獲得しているという。

この本は、要するに麻雀という勝負事の勝ち方、取り組み方から仕事への生かし方、そして人から見たら“運がいい”と見えるような生き方の裏側を語りつつ、ヒントを与えてくれるような形で構成された本でした。

実際に自分が窮地に立たされたり、あるいは大チャンスを迎えたときの気持ちの持ち方、山あり谷ありの仕事の場面を顔色を変えずに淡々と物事を進めていく裏側にはこんな気持ちやルールのようなものがあるのだ、ということも書かれていました。

かつて読んだ色川武大さんや、伊集院静さんが書かれていた麻雀の打ち方にも特徴がありましたが、似たようなところもあったし、仕事と重ね合わせている部分では独自の感覚も書かれていました。

麻雀って、将棋や囲碁と異なり、最初の状態からして“不平等”であり(つまり配牌)、そこからの勝負って、やはり人それぞれに何かその人ごとの信念、哲学、考え方がないと打てないものなのでしょうね。

勝負事の話でしたが、麻雀を打たない私にも何かしら人生の参考になる部分がいくつもありました。
身の引き締まるような書きぶりの本でした。

 

俳句を詠んでみる_0212【 街灯の下 今夜も立つ 幽霊 】

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「無季」という俳句もあることを様々な句集を読む中で知りました。
今回は「無季」の俳句を詠んでみました。

【 街灯の下 今夜も立つ 幽霊 】

《背景》季語?:幽霊[無季]
「夏井いつきの季語道場」という本を読んでいたら、この「幽霊」が歳時記には載っておらず(・・・夏の季語かとおもっていた)、「無季」として詠まれている句がいくつもあるとのこと。
では私もその「幽霊」という“無季”で詠んでみようと思いました。
残業で帰りが遅くなっていた頃、近くの家屋敷が売りに出され空き家に。
夜になるとその家の入口付近にある電柱に設置されている街灯が点灯し、帰りにクルマで通りかかると、30代後半くらいの薄緑色の工員服を着た男性が灯りの下に毎夜立っていました。
この世の人ではありませんでした。
その後そこが売れて個人宅と営業センターのようなものが敷地に立つと、幽霊はいなくなってしまいました。
幽霊はあそこにいつも立って何を待っていたのだろう。

 

2024/09/02

俳句を詠んでみる_0211【 秋暑 雑踏に出で 払う寂しさ 】

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朝夕に少しずつ秋を感じ、なんだか寂しくなってしまい・・という句。

【 秋暑 雑踏に出で 払う寂しさ 】

《背景》季語:秋暑[初秋]
朝夕に秋を感じるような空気を肌に感じつつ一日を過ごしていたら、突然孤独と寂しさを感じ、泣きたくなってきた。
まずいと思い、日中の暑さが戻ってきた時間に街中の雑踏に身を置いた。
見知らぬ人達の声や表情を見聞きし、雑踏の空気を感じているうちに寂しさは少しだけど払われたような気がした。

 

2024/09/01

「NHK俳句 夏井いつきの季語道場/夏井いつき」を読みました。

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『NHK俳句 夏井いつきの季語道場/夏井いつき著(NHK出版)』を古本で見つけ、読んでみることにしました。

この本は、月間NHKテキスト「NHK俳句」二年間の連載に加筆したものとのこと。
俳句実作者のステップアップを目的とした一冊と書かれていて、今読み終えた私は果たしてステップアップ出来ているのか・・(^_^;)

また、番組の司会者岸本葉子さんとの対談も掲載されていました。
岸本さんの俳句に関する著書も最近よく読ませていただいているので、楽しく読みました。

この本の一番の特徴は、『季語の六角成分図』というグラフを使って季語を分析し、その季語からどのような俳句が過去詠まれているか、それはグラフ上のどの部分を強調しているのかなど、前半はその分析がとても興味深く勉強になりました。

ちなみに、成分図の六つの項目は、「視覚」「嗅覚」「聴覚」「触覚」「味覚」「連想力」に分けられていました。

「雷」と「稲妻」では、その成分図はかなり異なっていて、例示されている俳句を成分に基づき分析しています。さらに例示されている俳句の季語を逆に入れ替えてみたりするとどうなるのか、など実例が示されているので、私のような初心者にもたいへん分かりやすくなっていました。

季語が季語として機能しているのか・・・季語がそっちのけの内容になっていたり、“後付け”で当てはめたような感じがするという私がいまだ“やりがち”な例がしめされていました。

説明や感想になっていないか?・・・「さみしそう」なんて思わず説明調になるのも、気をつけていてもやってしまいます。

助詞・助動詞が正しく選ばれているか?・・・「に」「へ」「を」などは、たった一字でも大きなニュアンスの変更になってしまいます。

語順・発想・叙述などを吟味しているか?・・・客観的に自分の句をながめた上での練り直しが私も苦しい時間となっていますが、最後までやれるか、というのはいつも悩んでいるところです。

他人の句については、冷静に上記のようなことは判断できそうなのですが、こと自分の句となると、判断が鈍ってしまいます。
この本に示されているたくさんの例を今後も見直しながら句を詠んでいこうと思いました。

 

俳句を詠んでみる_0210【 秋立つや 吹く風 郵便受 揺らし 】

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暑さひどい夏があり、台風が来て、秋の風も忍び寄ってきて・・一句詠みました。

【 秋立つや 吹く風 郵便受 揺らし 】

《背景》季語:秋立つ[秋]
秋を感じる風が吹き始めた。
それと共に心の中は夏の色々な出来事が思い起こされ、寂しさに蔽われたような気になる。
外では風に郵便受けがコトコト揺れている。

 

 

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