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2022/03/25

Facebook その他SNSでよく見かける「リンクをただ張っただけ」で本人が嬉しがっているものについて。

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他人の長文のホームページや動画サイトにリンクを張り、すっかり自分がやりとげたものみたいな気になってアップしているもの。

誰もそんな長い文や、中身がよくわからない動画なんて、時間をかけて見ようと思わないから“クリック”しないですよ。

「ここにはこんなことが書いてある、私はそれに対してこう思う」、「この動画は、15秒目くらいに出てくる“これこれこういう”部分が、こんなふうに面白い」と書かなければ、誰も興味なんか持たないのに・・。

また、そういうふうに自分で消化して、誰にもわかるように説明が出来ないなら、あなた本人がその内容をわかっていないんじゃないか、と言いたい。

Facebook が日本に入ってきたばかりの頃、私に Facebook を勧めてきた当時の我が社の人達は、「あなたは、元情報部局に居たのに、Facebook もやらないのか、何も書けないのか」と言ってきたことを覚えています。

で、その後・・「自分達は最先端のSNSを真っ先に始めた」と意気軒昂なその人達がアップしたものを見ていると、ただ詳しいホームページを見つけてリンクを張っただけ、しかも「これはいいものみたいですよ」とか、「ここはとてもいい所らしい」とか、自分の考えや意見もなく、実際に行ったわけでもなく、それなのに「〇〇らしい」みたいな、いいかげんな内容をアップして、それを自分だけで“やった感”を出し、満足している人が多いと思います。

自分の考えや、新しい事象に対してこう思う、みたいなことを書いている人は、ほんの数人です。あとはただリンクを張っただけ。

あなたがそのサイトを見つけたのはわかった、でもリンクを張るなら、それについて“噛んで砕いて”説明し、それについて自分はどういう意見を持つのか、そこまで書いて初めて“得意げ”なお顔をしていただきたいです。
“人のふんどし”で相撲を取るなっ、というか、ふんどししただけでまだ相撲を取っていない段階だということに早く気づいてほしいです。

というのが、いつもリンクだけ張って嬉しそうにアップしている人に対する私の意見です。
今日は辛口でした。

 

2022/02/04

「古賀史健がまとめた糸井重里のこと。」を読みました。

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『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。/糸井重里・古賀史健著(ほぼ日文庫)』という本を読みました。またまたブックオフにて安価購入。

この本は、ライターの古賀史健(こが・ふみたけ)氏が、糸井重里さんのもとを訪ね、生まれたときから現在までのお話を聞いてまとめた「自伝」のようなものになっていますが、糸井さんのけっこう“なまなましい”幼少期から中高生あたりまでのことが書かれていて、なにか立派な、立身出世的な構成ではないのです。

子供の頃にお母さんが家を出て行ってしまって、その当時のことがけっこう糸井さんには“トラウマ”的な印象になっていて、さらに大学時代は、たいして思想的に賛同もしていないのに「学生運動」に参加していたりする様子も書かれていました。

いろいろなご苦労はされていたようですが、でも、今に通じる「事物に対する“面白がり方”」っていうのは読んでいて、やはりふつうの人とは異なるものがあったようです。

たまたま手伝ったコピーライトの仕事で、ひとつ“ほめられた”ものがあって、ご自身でも「あっ、書けた!」という実感があったそうで、そこから糸井さんの人生が大きく動いたようです。
天才的な人って、かならずこういうシーンが一生のうちに一度はあるようです。

また古い話ですが、沢田研二さんの「TOKIO」という曲で、はじめて「作詞」にたずさわったこともその後に大きな影響を与えたと書かれていました。

その後のことは、私も時代を共有しているので、テレビでもいろいろな場面で拝見し、また、さまざまな分野での活躍も存知上げていましたが、やはりその中でインターネットに出会い(今の人たちはインターネットの無い時代は想像出来ないと思いますが)、その可能性に着目し、「ほぼ日刊イトイ新聞」は今に至っています。

私が糸井さんのされることで一番いいと思うのは、誰かを叩いたり、敵対したり、小馬鹿にしたりというようなことを一切しないことです。そういう場を好んで作らない。
“居心地のいい場”をつくって、皆に提供する・・というのが基本的な糸井さんの姿勢だと思います。

でも、そういうことをすると、それを理解できない好戦的な人、常に右肩上がりの急成長的な事業を起こさないと気分の悪い人達には、意味がわからないから、きっとああだこうだ言われたりするのだろうな、と思います。

そういう輩に対する糸井さんの姿勢も私にはとても“心地いい”ものです。

たぶん、こういうスタンスの人ってほかにはいないと思うので、これからも思う存分こんな感じでやってもらいたいと思います。
ほんの小さなよろこびが、実は多くの人にとってもよろこびであるというようなことを見つけるのがうまい人だと、いつも思っています。

 

2021/10/07

「アップルの人/宮沢章夫」を読みました。

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『アップルの人/宮沢章夫著(新潮文庫)』を読みました。
ブックオフで手に入れたのですが、書かれている内容は2004年頃から2007年頃のもので、けっこう今とはコンピューター、インターネット、OSなど、かなりITの状況は異なっています。

それこそ Mac を使っていること自体がクリエイティブな印象を持たれていた時代だし、当時はたぶん、まだまだ Mac 関連の雑誌もいろいろあったんじゃないかと思います。

iPodを買おうかどうしようかとか、ADSL回線の契約についての話題も出ていて、懐かしいというか、Windows95の騒ぎ以降で一番こういう関係が動いていた時期かもしれません。

アップルも、G5だとか、PowerBook、iMacなどを次々と出していることが読み取れて、ある意味“幸せな時代”だったような気がします。
わくわくすることが起こっていたわけで、当時の Mac はトラブルも多かった(文中でも次々と発生している(^_^;))と思いますが、それがなんかまた心ゆさぶってくれたのでした。
今から思うと「なんだかなぁ」という気もするけど・・(^^;)

著者の宮沢章夫さんは、劇作家・演出家・作家で、まさに当時のクリエイティブで、激動の世の中に生きている人という印象を持ちましたが、Mac を使いこなしながら、Mac な日々を楽しんで過されている様子が見ているようにわかる文章でした。

私もその昔、Mac を使っていたことがありますが、OSは・・「漢字トーク7」・・なんだそれ?って思うでしょう、そんなOSがあったんですよd(^_^o)
日本語変換は「ことえり」でした(*^_^*)
ハードディスク容量は 130MB です、えっ130ギガじゃないの?!って、ちがうよメガバイトですよ、よくそんなんで動いていたな、と思いますが、当時としては夢のような動きをしていました。

この「アップルの人」を読んでいると、アップルコンピューター好きな人は、「うんうんそうだ」「ああ、そこたまらん」みたいな気持ちになります。
あの懐かしい感覚を思い出したい方はぜひご一読を!d( ̄  ̄)

 

2021/06/19

キーボードが必要な理由

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私にとって文字入力に使うPCのキーボードは必需品です。

このブログについてよく言われるのが、毎回何時間かけて入力しているのですか?とか、あんなに長い文章を打つ気がしれない・・などのお言葉です。

でもねえ、ほとんど15分もあれば充分です。
キーボードのある机に向かい、キーを打ち始めると、自分であとから見ても「これは誰が書いたんだ」と思うくらいの、自分でも思いつかない(思いついたから書いてるんだけど…σ(^_^;))ことが書かれた文章が出来上がっています。

わかりやすく言うと、“降りてきた”感じになっているのだと思います。

その“降りた”感じになるには、自分で思いついたことが“直ぐさま”PCのディスプレイに文字として表示されなければなりません。

なので、私、文字を入力するときには「カナ入力」を使います。
要するに打鍵数を少なくして、しかも、ローマ字で打つと、日本語の文章を一度頭の中でアルファベットに変換せねばならず、それは、もはや日本語とは別の何かになってしまうからということなんです。

いったんローマ字に頭の中で変換している瞬間に、もう【素】に戻ってしまうのです。
せっかく“降りて”きたのに、あっという間に正気になってしまう・・。
だから、さっきまで頭の中で思っていたことが“消えて”しまう。

「カナ入力」も覚えたおかげで、しかもブラインドでキーボードは一切見ずに入力できるようにしたおかげで、さらにほぼ考えるのと同じスピードで打つことができるようになったので、今の状態は、思っていることがそのまま同時にディスプレイに表われるような状態なのです。

だから、“降りた”ら、そのまま一気にディスプレイを見ていると、思ったことが文字になり、タカ・タカ・タカ・タカと走り出して、あっという間に終わり!っていう感じなんです。

というわけで、私にとって、キーボードは『必須』です。
これがないと、思っていることがすぐに表現できない。

やむをえず、スマートフォンで、“チマチマ”と打たねばならないことがありますが、そういうときはマジックハンドで毛筆を持ち、書道をやっているような感じになり、叫びだしたくなるのでした(>_<)

 

2021/06/04

「スマホ脳」を読みました。

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『スマホ脳/アンデシュ・ハンセン著、久山洋子訳(新潮新書)』を読みました。
どうやら世界的ベストセラーのようです。売れてる本には基本的に手を出さないのですが、今回はどうにも気になる内容だったので、読んでみることにしました。

著者はスウェーデン・ストックホルム出身、すでに「一流の頭脳」がスウェーデンでベストセラーになったことのある精神科医です。

今回は、スマートフォンや、iPad などタブレットも含めて、それらが人間に(特に若い人に)与えている影響について書かれているものでした。

あまりにも多くのことが書いてあり、また、詳しく内容をここでお知らせしてしまうと商売の妨害になってしまうので、ここでは私がちょっと気になった部分だけについて書きます。実に興味深いお話が多かったのですが、ほんの少しだけ・。

現代人は強いストレスにさらされながら生きているわけですが、それが続くと精神状態が悪くなる。
そうなったときに、脳は「長期記憶(生きていく上で大切な覚えておかねばならないようなこと)」の保存について優先度を下げるのだそうです。
だからひどいストレスを受けているときには、記憶があやふやになることが多いのだそうで、まさに思い当たるふしがあります。

人間の脳は、原始の過去から培われてきた記憶・経験から危険を察知するためには常に人よりも新しい情報を欲しがるような構造になっていて、スマホからの情報がいい加減で怪しかろうが、思わずクリックして見てしまうようになっているらしいです。
で、クリックしたときにドーパミンがご褒美として放出されるので、それ欲しさにまたクリックしてしまうという悪循環にハマる。
強いストレス下にあるときには特にそんなことになってしまうのではないでしょうか。

また情報を送り込む SNS 運営者側は、その情報の信憑性などは調べもしないし、どんどん丁度見たくなるようなタイミングでユーザーを煽るようにプッシュしてくるというわけです。
SNS 運営側は、行動科学や脳科学の専門家を雇い、極力効果的に脳の“ドーパミン報酬システム”を直撃して最大限の依存性を実現するように操作している・・んだって、そう思っていたけど、あらためて言われちゃった。

デジタル娯楽に行きたくなるのは、情報を効率よく取り入れていると思ってのことだが、結局情報がしっかり頭に入っているわけではない・・私もそう思う。
それなのに続けてしまう「原動力」は、そうすることでドーパミンが放出されるからだと念を押された。

人間はずうっと過去から見てみると、“生き延びる術”は、食べ物の情報と、ゴシップ(人からの情報)なわけで、これがまた今の SNS は目的は違えどもそれらを追いかけている。・・ようするに本能の部分と現実の行動がマッチしてしまった状態。

さらに「ミラーニューロン」という、他人の痛み、喜び、悲しみ、恐怖などを理解するためのものについて書かれていて、演劇鑑賞(生で劇場で見ること)時などに「活性化」するのだけれど、PC画面や、スマホ画面などでそれを見ても刺激が無いというのです。
これも演劇を多く見ている私には強く同感するものがあります。

スマホばかり見ている人に実験で、一定時間スマホを持たせないで集中が必要な作業をさせると、机上にスマホを置いているだけの人よりも集中力が上がるのだそうです。もちろんスマホをいじらせたりしたら、もっと集中力は落ちるのです。

自動化や人工知能の普及で消えてしまう職業は今後多くなると思われますが、人間に残されるであろう仕事は、集中力を要するものになるでしょう。
皮肉なことに、その集中力は、デジタル社会で最も必要なのに、スマホなどによるデジタル社会そのものによって奪われているわけです。・・ああ皮肉。

今や、一日のうち、起きている時間の3分の1以上がスマホを見る、さわる時間になっているらしく(そうだと思う)、スクリーンタイムと呼ばれるスマホ画面を見ている時間は多い人だと一日7時間!!、ほとんどの人が3時間くらいらしいです。
それをやめ、スクリーンタイムを1時間程度にし、一日のうち、何十分かを運動の時間にすると、不眠症、鬱病、体調不良などの人にはっきりと効果が表われるんだそうです。

因みに毎週一回私の iPhone が教えてくれる私の一日のスクリーンタイム平均は8分でした。
つまり一日数回チェックしているだけなんです。
まだ依存症にはほど遠そうで、大丈夫かな?!(^_^)


【Now Playing】 Una Mas / Kenny Dorham ( Jazz )

 

2019/08/14

つづいてビッグデータってやつ

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コンピューターやインフラ関係について前回のこのブログで述べましたが、データについても同様です。
ビッグデータだかなんだか、それを利用すると世の中便利になる・・って言っている人々がいますが、見てご覧なさい、その人達は世の中を動かす立場にある人ばかりだ。
一定の地位にいる人ばかりでしょう。

それに、その人達の腰元にへばりついている人達がそれにおべっかを使うようにしているのです。
その姿見えたでしょう?!見えてない場合は、あなたも一定の地位にいるか、その太鼓持ちだ。

大きなデータ、細部に渡るデータを大量に得てそれを利用していい思いをしたいのはその人々だけで、ついには普通の人達を操縦・操作しようとしているだけだっていうのにも気づいた方がいいですよ。

身近なところで、Googleなどで検索をしたあとに、SNSや、どのウェブ・ページに行ってもその関係の商品が表示されていて気持ち悪くならないですか。
余計なお世話だし、自分を特定して、自分の趣味・興味・読書歴や購入履歴など、どんどん収集されていて、あんたいつも「クラス名簿を作るなんて個人情報保護法違反だ」などと息巻いていたんじゃないんですか。大丈夫ですか?!

スマートフォンのゲームメーカーの人の話を聞いたことがありますが、登録している個人の年齢や男女別、その他一定の身分情報等も把握していて、毎日、曜日によっても時間によってもその人の行動範囲のデータを保有しているが、どう利用しよう、なんてことも耳にしました。
恐ろしくないですか?

マイナンバーのカード保有者がなかなか増えないので、健康保険証も兼ねようなんて言い出していますが、そうなると皆作り始めますよ、あのカード。

Tポイントのようなポイントも買物時につけようと国からアナウンスされたこともありましたが、あのカードには番号のみがデータとして入っているだけだから大丈夫だと言い張っている人もいます。
でも、その番号からいろいろな個人データを見ることができるようになれば、(図書館や書店での読書歴・購入履歴、病院への通院履歴や、やがては病歴、さらに学歴、犯歴、その他諸々の身分情報、収入なども、将来分かってしまうおそれがある)、もしもですよ、自分が為政者や権力者であれば、ライバルなどの情報を見たくなりませんか?!
ならなかったらおかしいでしょう。
為政者ならずとも、一定の立場にいてうまいことやればデータを覗けるような状況にあったら、覗こうとしませんか、それが人間じゃありませんか。

逆にそのデータを利用してあらぬ疑いを掛けられたりもしかねません。
そのデータを操作・捏造されたりしたら、そんなことされた人の人生は終わってしまいます。

皆、お気楽過ぎますよ。
どうしてもデータを収集・集約したかったら、そして特定個人に“ひもづけ”するシステムを作りたいのだったら、徹底して私達普通の一般市民が悪用できないような法的縛りを作るように見張っていなければなりません。

えらい人で、「そんなことをするわけがないだろう」と言っている人、逆に「国や公の機関などが悪用なんてするはずがない」と思っている私と同じ普通で一般の人、“そんなこと”をさせるのが人間の“業”なんですよ。

そこから、・・人間というものを疑うことから始めないと、とんでもないことになる、ということを書いて前回から続いたお話は終わりです。

ああ、なんだかせいせいした。

2019/08/13

やがてやって来る「AI」社会について、ああだこうだと書いてみた。

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本屋に行っても「これからのAI社会をどう生きる」みたいな本がけっこう目につきます。
いいかげん気づいた方がいいと思いますよ。
ウィンドウズが出て来たとき、コンピューターがパーソナライズされたとき、「コンピューターが様々な雑事を片づけてくれるので、近い未来は人のすることはよりクリエイティブな仕事になってくる」なんて言ってたヤツいませんでしたか。

今もおんなじじゃん!
AIが出て来て色々考えてくれる、人の仕事ってぇものはこれから創造的なものになるって言ってるヤツいるでしょう!そんなことないって。

ウィンドウズやPCが出て来て、会社に行ったらデスクにそれがあって、あれがなんかやってくれましたか?!
誰かマイクロソフトのおかげさまで、私は仕事が楽になりました。半分になっちゃった。なんて人いますか?!

仕事なんてちっとも楽になってないでしょ。

むしろ、大量に処理が出来るようになったせいで、そして大量なデータをたったひとりが扱うことができるようになって、責任は重いは、事あれば大きな被害になってしまったり、重大事に結びついてしまったり、あんた、ろくな事がないでしょ。

何を“したり顔”で「これからはAIの時代だ」なんて言ってるんだかねぇ。

したり顔のあんた・・あんたも一緒だ、結局、処理が早くなったり、いろいろ面倒が無くなったと思っていたら、仕事は何倍にも増え、しかもそれを処理してもAIのおかげだろ?なんて言われて給料は上がんないわけだよ、早く気がつけよ。

それは交通や通信も同じじゃないですか。

昔は出張で新潟に行ったとしたら、そこで泊って街を見たり、地元の美味しいものを食べたりして帰って来たでしょ。
今、交通機関が発達したり、通信機能が向上したおかげ?で、「とっとと帰って来いっ!」って言われてるでしょう?何が良くなったの?!
何がめでたいの?!

今度はAIじゃなくて、リニア新幹線だ。
名古屋まで〇時間だ!って威張ってるアンタ、喜んでいるアンタ、何よろこんでるの?(^^;)

もういいかげん気づいた方がいいと思う、冒頭の言葉を思い出していただきたい。

手間や時間や空間を無きが如きにすると、それが文明の発達であり、進化であり、めでたいことだっていうのは幻想だと思った方がいいですよ。
だぁれも楽になっていない、幸せになっていない・・いや、一部でほくそ笑んでいる輩が存在するが、そいつらが世の中のほんの一握りであるのに全体を苦しめている。

それがきょうの結論、言いたかったことです。
さらに派生して次回に続く・・。

2019/04/18

今回のことをもう一度振り返ってみた

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前回のこのブログで、先週、私が突然下血し、倒れたことを書きました。
それ以降、いろいろなことを思い、また多くの方から声をかけていただきました。

滅多に無いと言っては何ですが、こんな体験は一生のうち何回もあることではありませんので、もう一度振り返ってみたいと思いました。
記憶に残っているままに書きます。

あの倒れた日は、朝からたしかに具合が悪かった。
職場に着いて、最初に会った同僚の女性に「体調がいまいち」だと自分が言っていたことを思い出しました。

その前週が新しい職場での仕事始めでした。
きつかった・・。体力的にも精神的にも。

そして、もう翌週には自宅で下血して倒れた。
帰宅し、最初は家の階段も上れなくなっている自分に気づき、やがて立っていることさえしんどくなってきて、トイレに行って大量出血。
胃から降りてきた血というものは“真っ黒”で、自分でも驚き、止らない下血にえも言われぬ“恐怖”を感じました。
悪魔に魅入られたような、逃げ出すことができない恐怖。

心の中では、今まで潜伏していた大きな病気が今突然姿を現したのではないか、もう取り返しのつかない病状になっているのではないか、と絶望感が拡がりました。
何せ、その時点では歩くことも出来ないし、這って個室から出ることくらいしか出来なかった。

「もう何もいらない、大好きな音楽も、本も、演劇も、何もかも」・・と、人間って切羽詰まると思うものなのですね。だって、ひょっとしたら明日くらいには死んでいるのかもしれないと思ってしまったのですから。

でも、人の顔はどんどん浮かんできました。
これは自分でも意外でしたが、家族や、私と関わってくれた人たちの顔が次々と頭に浮かんできたのです。浮かんでくるたびに「ありがとう、今までありがとう」と本気で心の中で叫びました。そんなふうになるのですね、経験しなければわからなかった。

前回のブログでも書きましたが、翌日家を妻と出て、病院に向かうときに庭の景色を見ると、今まで感じたことの無い感覚で、庭の草花がキラキラと輝き、あまりにも美しく見えることに感動しました。
もう自分では“ヤバい”状態なのに、雲の上を歩いているような軽い感覚も感じました。

病院での検査、治療を終え、「死んじゃうんじゃないか」という…σ(^_^;)私の取り越し苦労は一蹴され、回復に向かい始め、そして前回のブログでの報告に繋がります。

ブログ、フェイスブックにアップしてからは、皆さんからたいへん温かい言葉をいただきました。
これはほんとうにうれしかった。
そして勇気づけられました。SNSの良さはこういうところにある、と実感いたしました。
何十年も前なら、ごく親しい人にだけ、手紙などで、「実は私、一ヶ月前に倒れまして」などと報告するくらいだったでしょう。

悪いことばかり書かれるSNSですが、私が今でも続けている理由はこんなところなんだったのだ、とあらためて感じました。

と言うわけで、私、順調に回復しつつあります。
たくさんのやさしくも温かいお言葉、皆さんありがとうございました。
このことは絶対に忘れません。

回復したら、また楽しいブログ、再開いたします。
近々だと思います(*゚▽゚)ノ

2018/07/20

ネット上の“えせ”ニュースみたいなのや、妙なコメント入り指摘が気になる

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SNS経由で流れてくることが多いが、こんな感じのニュースともなんとも言えないような変な情報の流し方。

①「〇〇さんの不倫疑惑が報じられました」
・・報じられたとしていて、自分は報じている側ではないよ、と言い訳している。

②「〇〇さんの不倫はイメージが悪くならない」との声が相次ぐ
・・相次いでいるらしいよぉ~っていうだけで、その声についても一切他人ごと。

③「〇〇さんなら不倫が許される風潮を疑問視する声もあがっています。」
・・これも「自分が言っているんじゃないよ、なんかそういう人もいるみたい」って感じで、まったく①~③まで、何ひとつ自らが責任を取らずにヒトのことを実際には「報道」している。

こんなの多いよねぇ・・!

「今、こんなことが話題になっているらしいよ、でもってこんなこと言ってる人がいるみたぁ~い。」っていう、いちばん卑怯なものの伝え方だ。最低のやり方だ。

それからこんなのもある。

毎週、毎週、関口宏さんの「サンデーモーニング」というテレビ番組のスポーツコーナーに出てくる張本勲さんのコメントを拾い、「こんなこと言ってやがった」「また炎上だ」みたいなことを書いているヤツ。
そんなに頭にくるなら見なきゃいいだろう!無視すればいいだろう。そうすりゃ視聴率も落ちて、あんたが嫌いな張本さんのコーナーがつぶれるなり、番組が終了するなりするだろう!!と言いたい。何のために毎週書いてんだ、この人。

また最近よく目にするのが、「浜崎あゆみ」さんの行動や発言について一々拾い出し、やはり張本さんに対する報じ方同様、執拗に絡んでくる人がいる。
私は別に浜崎さんのファンではないが、この“しつこさ”は異常だと思う。

きっと、匿名だからこそのやり方で、「自分の名を明かしてやれ」と言われたら“シュン”としてしまうに違いないと思うのです、いつも。

私はそういうの見つけたらすぐに「×」を押して消してしまうか、スクロールして別の記事等を見るようにしている。こんな不快なもの見たくもない。

きょうもまた見つけたので(まあ、毎日のことだけど)、ちょっと書いてみようと思ったのです。
人をしつこくつけ狙い、くどいように絡みついている人たち、もっと何か自分がいいと思ったことや、素晴らしいと思ったこと、楽しいことなどを書いてみるといいよ。慣れないから最初は書きようがないと思うけど、やがて自分も楽しくなってくるのだ。
そうすると自分の生活も明るくなるよ、ほんとだよ。

2017/06/30

AIが、そんなにいいのか

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ここのところ、“AI(人工知能)”という言葉を聞かない日はありません。
ついこの間では、「AIスピーカー」っていうのが出来てきて、そのスピーカーに今の自分の気分を語りかけると、その気分にちょうどいい音楽を奏でてくれるんだって・・自分の聞きたい音楽くらい“機械様”にお教えいただかなくたって決められるよ、決められなくて人間やってられっか、つうの。

「素晴らしいことでしょう、どうです」って、そのニュースでは自慢たっぷりでしたが、バカみたい・・って思いました。

今話題の将棋だって、もう人間は人工知能に勝てなくなってきてますよね。
そうすると現在連勝中のあの人の価値は下がるの??そんなことないでしょ。
人間が自分の頭脳から絞り出して対局するから皆が夢中になるんだ、「ついにコンピューターが人間に勝った」みたいによろこんでいる人がいるけど、それがどうした・・と、いつも思います。

クルマの自動運転に関してはいいことがたくさんありそうですが、事故対策や老人向けにはとても良いと思いますが、今やクルマに興味のない若者が多く、人工知能にたよった運転に完全に“おんぶに抱っこ”状態になると、人間自体の能力が退化の一途をたどるのではないかと危惧いたします。

それに、F1や、この間佐藤琢磨さんが勝ったインディなどのレースも自動運転技術の戦いになってきて、しまいにゃ人が乗らなくなるでしょう。
それが面白いかねぇ。

どんどん考えていくと、既にそういう状態に入っているのかもしれませんが、作曲、作詞に関してもAIまかせになって、機械が作った音楽に涙することになるかもしれません、いやもうなっているかもしれない。
ついでに絵画などの美術にも及んで、人間は何もしなくなって、それで何が楽しいんだろうね。

仕事だってほとんどAIにお願いしていくと、もう人間のすることはなくなってきて、失業も今よりも大きな社会問題になってくると思います。「そんなことはない、人間はそんな中でさらにグレードの高い仕事ができる」なんていう“幸せな”御仁もいっぱいいると思いますが、“過去ん十年”コンピューターが代わりに仕事してくれて、幸せになった人間なんて一人でもいるのかね。
決してそういうものの発達が人類の幸せにつながるとは思えない、というか幸せになったためしがない。

簡単に今思いついたことを書いてみました。
人は毎日の些細なことを自分でやって、つまらないことでもそれをやるから生きて行く楽しみがあったりするものだ、ということが書きたかったのです。
結論としては「人の愉しみを邪魔すんなよ、AI!!」ってことです。それじゃまた。


【Now Playing】 Maybe September / Tony Bennett & Bill Evans ( Jazz )

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