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2024/05/08

俳句を詠んでみる_0092【 X(エックス)や 悪罵(あくば)の蝉時雨 止まぬ 】

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X(旧 Twitter)を見ていて感じることを詠みました。

【 X(エックス)や 悪罵(あくば)の蝉時雨 止まぬ 】

《背景》季語:蝉時雨[夏]
X(旧ツイッター)は、日々目にしている。
しかし、いつのぞいても悪罵の声は止まず、夏場の蝉時雨のよう。
“つぶやき”というよりも“怒声”の如しで、心平穏とはいかない世界だ。

 

2024/04/11

俳句を詠んでみる_0046【 OSが更新されました 春の朝 】

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スマートフォンのOS更新が自動でされていたことで一句。

【 OSが更新されました 春の朝 】

《背景》季語:春の朝[春]
朝、目覚めたら iPhone の画面が真っ暗。
あわてて起動させたら「Hello」の文字が出たあとに「OSが更新されました」の表示。
おおっ、なんかわからんが新しく生まれ変わったのかオレの携帯!
なんだか自分も更新された気がする、と朝からリフレッシュ気分になった。

 

2023/03/17

「成毛眞のスティーブ・ジョブズ超解釈」を読みました。

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『成毛眞のスティーブ・ジョブズ超解釈/成毛眞著(KKベストセラーズ)』という本を読みました。
10年ほど前に刊行されたものです。

著者、成毛眞氏は、株式会社アスキーからマイクロソフトに入り、代表取締役社長に、その後投資コンサルティング会社を設立しています。

この本が出た頃は、ウォルター・アイザックソンの「スティーブ・ジョブズ」の一・二巻がもの凄い勢いで売れ、さらにジョブズ関連の本が目白押し状態で出版され、どれもこれも売れていた、あの頃です。

著者はマイクロソフトの人だったわけで、前半はジョブズに対し、というか上記ジョブズの本を熱心に読んでいるやつに対し、“見込みのないやつ”扱いをしています。

ジョブズのようなクリエイティブな人間になろうとして、そんな本を読んでいる時点でクリエイティブな人間ではないと、一刀両断です。

それに、ジョブズがWindowsに対してMacの“パクリ”だなんて言っていたが、そもそもMacがゼロックスのパロアルト研究所で研究開発されていたアラン・ケイのGUIの“パクリ”なんだと、鼻で笑っています。

Mac好きな人は上記のことについては、すでに知っていることですが、でも具体的に一般ユーザーが使えるようにしたのはジョブズだし、Windowsの“そっくり度”は上下逆さまにしただけで、Macのような“ウキウキ感”“ワクワク感”のないものだったように私は感じたのですが・・。

ま、それはそれとして、iPhoneにしても「現在あるものをただうまく組み合わせただけ」で、発明と言えるようなものではないとも言っています。
でもね、iPhone以降、あるいはiTunes以降の世界は劇的に変わったんじゃないかと思うし、そんなに“ムキ”になってジョブズは実際にはたいしたことない変人だと強調しなくてもいいんじゃないかと思いました。

ようするに著者はスティーブ・ジョブズのようなクリエイティブと言われるような人を目指している段階であんたはダメ・・っていうのが一番言いたいことなのかもしれません。

冒頭の二巻になっていた「スティーブ・ジョブズ」などの本を読んでいる人(私も含め)は、ビジネス本や、啓発本として仕事の参考に読んでいるというよりは、“おとぎ話”として読んでいたんじゃないかと思います。・・たぶん。

後半は、けっこう社会で生きていく上でたいせつなことがたくさん書かれていて参考になったし、興味深く読みました。
前半も面白かったんですよ、ジョブズの見方があらためて新鮮な感じだったし。

 

2022/10/11

池上彰さんと増田ユリヤさんの「メディアをくつる!」を読みました。

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『メディアをつくる! -YouTubeやって考えた 炎上騒動とネット時代の伝え方-/池上彰・増田ユリヤ(ポプラ新書)』という本を読みました。
2021年発行ですから、比較的新しい本です。でもブックオフでは100円でしたので、これは読んでみようと購入。

読んでみたら、あの池上彰さん YouTube を始められていたのですね。私、存知上げませんでした。
相方となっているのは、私も時々池上さんとご一緒にテレビに出ているのをお見かけする増田ユリヤさんで、増田さんは過去、学校の教師をしながらNHKのラジオやテレビの仕事をすることになり、そのとき池上さんとつながっていた経緯があり、お二人はこの本でも、YouTube上でも割と“遠慮なく”やり合っています。

SNS等一切やって来なかった池上さん(本を読む時間がなくなってしまうなのどの理由からとのこと)ですが、テレビの限られた時間の中で語りきれなかった事なども時間の制限なく発表できることなどから増田さんと YouTube を始めます。

で、この本の副題ともなっている「炎上騒動とネット時代の伝え方」という話になるのですが、池上さんがテレビで語ったことに反対意見を持つ人達がその反対意見と関係のない池上さんの YouTube を見つけて、そこに「Bad」ボタンを押しにやって来るというわけです。
で、“大炎上”。

当初は、スタッフ含め、無視するという方法でやり過ごすというやり方がいいだろう、ということになったとのことですが、やがて考え方をあらためて、YouTube の中で真摯に説明するというやり方に変えています。
正攻法でいったわけですが、効果は徐々に出てきて、なんとかなっているようです。

あらためて私もお二人の「YouTube学園」を見てみましたが、政治や国際関係などのテーマ以外にも楽しい話題も取り上げていて、池上さんもちょっと表情が緩んでいます。
こんな感じもいいな、と思いました。

YouTube はじめネットメディアを使い、自らの意見や、そこまでいかなくともいろいろと発信しようとすると、様々なことが起こります。
私も、政府の施策や、政治家の不祥事などについてブログに書き、それをツイッターからも見られるようにリンクを張ったりすると、なぜかツイッター側は自動的にやっているのか、「センシティブな内容を伴うので、セキュリティ設定を変更して閲覧してください」などという警告が出ているのを発見したりします。

たいしたこと言っていないのに、上記のようなことになるので、社会、政治、経済に関する発言については、ツイッターと連携するのをやめました。しても閲覧できなくては意味が無いからです。

まだまだ難しいことがたくさんありますが、私も試行錯誤しながらSNSに関わっていこうと思いました。

 

2022/07/24

「明るい話は深く、重い話は軽く/永六輔」を読みました。

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『明るい話は深く、重い話は軽く/永六輔著(智恵の森文庫 光文社)』という本を読みました。

2003年発行となっていますので、約二十年前のものです。
日本中を旅したり、いろいろな人と出会って得た世の中を和ませる秘訣だとか、永さんの話の集大成みたいな本でした。

おもしろかったですよ(*^^*)、私がちょっと感じるところがあった部分を少しご紹介します。

「パソコンを入れた友達に手紙を書いても、返事をくれなくなりました」という葉書をもらい、“寂しい”と感じる永さん・・。
この寂しさがIT情緒的反対派を中高年に増殖させている、と書かれています。

自分のたちの生活に電話が侵入してきたときは、どうだったのか?電話反対派っていたのか?!などとも書かれていますが、電話と現代のITって、文明としては似ているようで、そうでもないような気がします。

私は、ブログ、ツイッター、インスタグラム、Facebook と、いろいろやっているようでいて、手紙もよく書きます。「返事は期待せずに」ですd( ̄  ̄)
返事を書いてくれる人なんて、まあ、いません(^^;)でも、それでもいいんですよ。
書きたくて書いているんだし、この“紙に直筆”の威力がわかる人にはわかるわけで、伝わっているはずです。

次の話題

「ある年の紅白歌合戦をラジオで聴きながら、心を打つ歌詞が流れてきたらメモしようと、紙と鉛筆を用意しておきました。最後までとうとうメモは白紙。言葉がいかに無力になってしまったか、それを哀しく感じました。」

という一文がありました。
これにも、私は同感しました。
歌詞が流れたら・・って言っても、いまや何を歌っているのか聞き取ることさえできません。
なんとか日本語に聞こえないように、英語みたいに聞こえるように発音しているからです。
・・みっともない、格好悪い、の極致です。

それにどうせ聞き取れたって、自分の周囲、半径2メートルのことだけ自分勝手に歌っているだけで、自分さえよければ、という歌詞ばかりです。
聞くに値せず・・。

最後にもうひとつ

「Eメールや携帯メールを使っているから、ちゃんと言葉で会話している、だなんて思っていませんか。あのメールは言葉ではありません。記号の交換。言葉には表情や身振りがあって、意味を補充している。手紙にも形式や、文字の巧拙が出ているから、表情として伝わる。携帯電話はもはや、電話でもなければ、メールでもない。無機質な記号の発信機。」

とありました。いやもう、そのとおりだと思います。

さらに言葉の記号化、符丁化に拍車をかけているのが、略語や省略の横行だともおっしゃっています。

「メアド」だとか「コスパ」だとか、独特の言い方を発明するのは、昔から特殊な仲間社会のものでした。
つまり“ヤクザ”や“芸能人”などの堅気ではないところで盛んでした。
そこだけしか通用しない言葉を創って自分たちのアイデンティティを確認し合うわけですが、そんなもの真似して、これまたみっともない話です。

「やばい」も、あちらの世界の方々の賭博用語ですが、それを知っての“狼藉”かと最初は驚いたのも、今は昔。

いろいろ感じるところが満載の本でした。

 

2022/03/25

Facebook その他SNSでよく見かける「リンクをただ張っただけ」で本人が嬉しがっているものについて。

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他人の長文のホームページや動画サイトにリンクを張り、すっかり自分がやりとげたものみたいな気になってアップしているもの。

誰もそんな長い文や、中身がよくわからない動画なんて、時間をかけて見ようと思わないから“クリック”しないですよ。

「ここにはこんなことが書いてある、私はそれに対してこう思う」、「この動画は、15秒目くらいに出てくる“これこれこういう”部分が、こんなふうに面白い」と書かなければ、誰も興味なんか持たないのに・・。

また、そういうふうに自分で消化して、誰にもわかるように説明が出来ないなら、あなた本人がその内容をわかっていないんじゃないか、と言いたい。

Facebook が日本に入ってきたばかりの頃、私に Facebook を勧めてきた当時の我が社の人達は、「あなたは、元情報部局に居たのに、Facebook もやらないのか、何も書けないのか」と言ってきたことを覚えています。

で、その後・・「自分達は最先端のSNSを真っ先に始めた」と意気軒昂なその人達がアップしたものを見ていると、ただ詳しいホームページを見つけてリンクを張っただけ、しかも「これはいいものみたいですよ」とか、「ここはとてもいい所らしい」とか、自分の考えや意見もなく、実際に行ったわけでもなく、それなのに「〇〇らしい」みたいな、いいかげんな内容をアップして、それを自分だけで“やった感”を出し、満足している人が多いと思います。

自分の考えや、新しい事象に対してこう思う、みたいなことを書いている人は、ほんの数人です。あとはただリンクを張っただけ。

あなたがそのサイトを見つけたのはわかった、でもリンクを張るなら、それについて“噛んで砕いて”説明し、それについて自分はどういう意見を持つのか、そこまで書いて初めて“得意げ”なお顔をしていただきたいです。
“人のふんどし”で相撲を取るなっ、というか、ふんどししただけでまだ相撲を取っていない段階だということに早く気づいてほしいです。

というのが、いつもリンクだけ張って嬉しそうにアップしている人に対する私の意見です。
今日は辛口でした。

 

2022/02/04

「古賀史健がまとめた糸井重里のこと。」を読みました。

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『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。/糸井重里・古賀史健著(ほぼ日文庫)』という本を読みました。またまたブックオフにて安価購入。

この本は、ライターの古賀史健(こが・ふみたけ)氏が、糸井重里さんのもとを訪ね、生まれたときから現在までのお話を聞いてまとめた「自伝」のようなものになっていますが、糸井さんのけっこう“なまなましい”幼少期から中高生あたりまでのことが書かれていて、なにか立派な、立身出世的な構成ではないのです。

子供の頃にお母さんが家を出て行ってしまって、その当時のことがけっこう糸井さんには“トラウマ”的な印象になっていて、さらに大学時代は、たいして思想的に賛同もしていないのに「学生運動」に参加していたりする様子も書かれていました。

いろいろなご苦労はされていたようですが、でも、今に通じる「事物に対する“面白がり方”」っていうのは読んでいて、やはりふつうの人とは異なるものがあったようです。

たまたま手伝ったコピーライトの仕事で、ひとつ“ほめられた”ものがあって、ご自身でも「あっ、書けた!」という実感があったそうで、そこから糸井さんの人生が大きく動いたようです。
天才的な人って、かならずこういうシーンが一生のうちに一度はあるようです。

また古い話ですが、沢田研二さんの「TOKIO」という曲で、はじめて「作詞」にたずさわったこともその後に大きな影響を与えたと書かれていました。

その後のことは、私も時代を共有しているので、テレビでもいろいろな場面で拝見し、また、さまざまな分野での活躍も存知上げていましたが、やはりその中でインターネットに出会い(今の人たちはインターネットの無い時代は想像出来ないと思いますが)、その可能性に着目し、「ほぼ日刊イトイ新聞」は今に至っています。

私が糸井さんのされることで一番いいと思うのは、誰かを叩いたり、敵対したり、小馬鹿にしたりというようなことを一切しないことです。そういう場を好んで作らない。
“居心地のいい場”をつくって、皆に提供する・・というのが基本的な糸井さんの姿勢だと思います。

でも、そういうことをすると、それを理解できない好戦的な人、常に右肩上がりの急成長的な事業を起こさないと気分の悪い人達には、意味がわからないから、きっとああだこうだ言われたりするのだろうな、と思います。

そういう輩に対する糸井さんの姿勢も私にはとても“心地いい”ものです。

たぶん、こういうスタンスの人ってほかにはいないと思うので、これからも思う存分こんな感じでやってもらいたいと思います。
ほんの小さなよろこびが、実は多くの人にとってもよろこびであるというようなことを見つけるのがうまい人だと、いつも思っています。

 

2021/10/07

「アップルの人/宮沢章夫」を読みました。

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『アップルの人/宮沢章夫著(新潮文庫)』を読みました。
ブックオフで手に入れたのですが、書かれている内容は2004年頃から2007年頃のもので、けっこう今とはコンピューター、インターネット、OSなど、かなりITの状況は異なっています。

それこそ Mac を使っていること自体がクリエイティブな印象を持たれていた時代だし、当時はたぶん、まだまだ Mac 関連の雑誌もいろいろあったんじゃないかと思います。

iPodを買おうかどうしようかとか、ADSL回線の契約についての話題も出ていて、懐かしいというか、Windows95の騒ぎ以降で一番こういう関係が動いていた時期かもしれません。

アップルも、G5だとか、PowerBook、iMacなどを次々と出していることが読み取れて、ある意味“幸せな時代”だったような気がします。
わくわくすることが起こっていたわけで、当時の Mac はトラブルも多かった(文中でも次々と発生している(^_^;))と思いますが、それがなんかまた心ゆさぶってくれたのでした。
今から思うと「なんだかなぁ」という気もするけど・・(^^;)

著者の宮沢章夫さんは、劇作家・演出家・作家で、まさに当時のクリエイティブで、激動の世の中に生きている人という印象を持ちましたが、Mac を使いこなしながら、Mac な日々を楽しんで過されている様子が見ているようにわかる文章でした。

私もその昔、Mac を使っていたことがありますが、OSは・・「漢字トーク7」・・なんだそれ?って思うでしょう、そんなOSがあったんですよd(^_^o)
日本語変換は「ことえり」でした(*^_^*)
ハードディスク容量は 130MB です、えっ130ギガじゃないの?!って、ちがうよメガバイトですよ、よくそんなんで動いていたな、と思いますが、当時としては夢のような動きをしていました。

この「アップルの人」を読んでいると、アップルコンピューター好きな人は、「うんうんそうだ」「ああ、そこたまらん」みたいな気持ちになります。
あの懐かしい感覚を思い出したい方はぜひご一読を!d( ̄  ̄)

 

2021/06/19

キーボードが必要な理由

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私にとって文字入力に使うPCのキーボードは必需品です。

このブログについてよく言われるのが、毎回何時間かけて入力しているのですか?とか、あんなに長い文章を打つ気がしれない・・などのお言葉です。

でもねえ、ほとんど15分もあれば充分です。
キーボードのある机に向かい、キーを打ち始めると、自分であとから見ても「これは誰が書いたんだ」と思うくらいの、自分でも思いつかない(思いついたから書いてるんだけど…σ(^_^;))ことが書かれた文章が出来上がっています。

わかりやすく言うと、“降りてきた”感じになっているのだと思います。

その“降りた”感じになるには、自分で思いついたことが“直ぐさま”PCのディスプレイに文字として表示されなければなりません。

なので、私、文字を入力するときには「カナ入力」を使います。
要するに打鍵数を少なくして、しかも、ローマ字で打つと、日本語の文章を一度頭の中でアルファベットに変換せねばならず、それは、もはや日本語とは別の何かになってしまうからということなんです。

いったんローマ字に頭の中で変換している瞬間に、もう【素】に戻ってしまうのです。
せっかく“降りて”きたのに、あっという間に正気になってしまう・・。
だから、さっきまで頭の中で思っていたことが“消えて”しまう。

「カナ入力」も覚えたおかげで、しかもブラインドでキーボードは一切見ずに入力できるようにしたおかげで、さらにほぼ考えるのと同じスピードで打つことができるようになったので、今の状態は、思っていることがそのまま同時にディスプレイに表われるような状態なのです。

だから、“降りた”ら、そのまま一気にディスプレイを見ていると、思ったことが文字になり、タカ・タカ・タカ・タカと走り出して、あっという間に終わり!っていう感じなんです。

というわけで、私にとって、キーボードは『必須』です。
これがないと、思っていることがすぐに表現できない。

やむをえず、スマートフォンで、“チマチマ”と打たねばならないことがありますが、そういうときはマジックハンドで毛筆を持ち、書道をやっているような感じになり、叫びだしたくなるのでした(>_<)

 

2021/06/04

「スマホ脳」を読みました。

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『スマホ脳/アンデシュ・ハンセン著、久山洋子訳(新潮新書)』を読みました。
どうやら世界的ベストセラーのようです。売れてる本には基本的に手を出さないのですが、今回はどうにも気になる内容だったので、読んでみることにしました。

著者はスウェーデン・ストックホルム出身、すでに「一流の頭脳」がスウェーデンでベストセラーになったことのある精神科医です。

今回は、スマートフォンや、iPad などタブレットも含めて、それらが人間に(特に若い人に)与えている影響について書かれているものでした。

あまりにも多くのことが書いてあり、また、詳しく内容をここでお知らせしてしまうと商売の妨害になってしまうので、ここでは私がちょっと気になった部分だけについて書きます。実に興味深いお話が多かったのですが、ほんの少しだけ・。

現代人は強いストレスにさらされながら生きているわけですが、それが続くと精神状態が悪くなる。
そうなったときに、脳は「長期記憶(生きていく上で大切な覚えておかねばならないようなこと)」の保存について優先度を下げるのだそうです。
だからひどいストレスを受けているときには、記憶があやふやになることが多いのだそうで、まさに思い当たるふしがあります。

人間の脳は、原始の過去から培われてきた記憶・経験から危険を察知するためには常に人よりも新しい情報を欲しがるような構造になっていて、スマホからの情報がいい加減で怪しかろうが、思わずクリックして見てしまうようになっているらしいです。
で、クリックしたときにドーパミンがご褒美として放出されるので、それ欲しさにまたクリックしてしまうという悪循環にハマる。
強いストレス下にあるときには特にそんなことになってしまうのではないでしょうか。

また情報を送り込む SNS 運営者側は、その情報の信憑性などは調べもしないし、どんどん丁度見たくなるようなタイミングでユーザーを煽るようにプッシュしてくるというわけです。
SNS 運営側は、行動科学や脳科学の専門家を雇い、極力効果的に脳の“ドーパミン報酬システム”を直撃して最大限の依存性を実現するように操作している・・んだって、そう思っていたけど、あらためて言われちゃった。

デジタル娯楽に行きたくなるのは、情報を効率よく取り入れていると思ってのことだが、結局情報がしっかり頭に入っているわけではない・・私もそう思う。
それなのに続けてしまう「原動力」は、そうすることでドーパミンが放出されるからだと念を押された。

人間はずうっと過去から見てみると、“生き延びる術”は、食べ物の情報と、ゴシップ(人からの情報)なわけで、これがまた今の SNS は目的は違えどもそれらを追いかけている。・・ようするに本能の部分と現実の行動がマッチしてしまった状態。

さらに「ミラーニューロン」という、他人の痛み、喜び、悲しみ、恐怖などを理解するためのものについて書かれていて、演劇鑑賞(生で劇場で見ること)時などに「活性化」するのだけれど、PC画面や、スマホ画面などでそれを見ても刺激が無いというのです。
これも演劇を多く見ている私には強く同感するものがあります。

スマホばかり見ている人に実験で、一定時間スマホを持たせないで集中が必要な作業をさせると、机上にスマホを置いているだけの人よりも集中力が上がるのだそうです。もちろんスマホをいじらせたりしたら、もっと集中力は落ちるのです。

自動化や人工知能の普及で消えてしまう職業は今後多くなると思われますが、人間に残されるであろう仕事は、集中力を要するものになるでしょう。
皮肉なことに、その集中力は、デジタル社会で最も必要なのに、スマホなどによるデジタル社会そのものによって奪われているわけです。・・ああ皮肉。

今や、一日のうち、起きている時間の3分の1以上がスマホを見る、さわる時間になっているらしく(そうだと思う)、スクリーンタイムと呼ばれるスマホ画面を見ている時間は多い人だと一日7時間!!、ほとんどの人が3時間くらいらしいです。
それをやめ、スクリーンタイムを1時間程度にし、一日のうち、何十分かを運動の時間にすると、不眠症、鬱病、体調不良などの人にはっきりと効果が表われるんだそうです。

因みに毎週一回私の iPhone が教えてくれる私の一日のスクリーンタイム平均は8分でした。
つまり一日数回チェックしているだけなんです。
まだ依存症にはほど遠そうで、大丈夫かな?!(^_^)


【Now Playing】 Una Mas / Kenny Dorham ( Jazz )

 

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