東京オリンピックが7月23日に開催され、開会式も行われ、競技も始まっています。
今までこのブログでもいろいろ書いてきましたし、その度に「こいつは何言ってんだ」と思われていた方も多かったと思います。
現在の状況下でも一度は書いておかねばならないと思い、ブログにアップすることにしました。
最初にことわっておきますが、私はどの政党の支持者でもありません。
また、あの人が言ったから正しい、などという感覚でものを書いたりもしません。
自分が今、思い、感じ、考えたことを書いているのです。
まず、東京オリンピックは開催が決定する前から反対でした。
当初、「復興五輪」として開催すると言っていましたが、当時も今も「復興」はまだ道半ばであり、開催予算があるなら復興に当ててほしいと思ったのです。
さらに、「福島の原子力発電所はアンダーコントロール状態にある」という当時の安倍首相の説明を聞いて、「ウソつけ」と思ったからです。
全く制御下になっていないのは誰にも明らかなことであり、そうでないと言う人は誰かに言わされているか、自分の利得になるから言っているのです。
そして、過剰な設備を求めたり、放映権料獲得のため、競技者にとっては過酷な日本の真夏に開催して平気なIOCの存在そのものに不信感を持つからです。
これは、今回の開催間近になってもさらにバッハ会長が「状況によっては有観客に出来ないか」という、まったく現在の日本のコロナ感染状況について知らないと言ってもいいくらいの無頓着さに呆れる発言でその感をさらに深めました。
そして、今やプロもアマも混然となり、大会そのものの意義にも疑問を感じています。
さらに、東京開催が決定してからも、熊本での大地震や、その他大きな水害、台風被害など、次から次へと災害があったにもかかわらず、オリンピック開催にばかり目を向けている為政者、開催組織にも呆れたからです。
復興五輪を目指したが、さらなる災害禍で、その復興に力を入れるので開催は致しません、と言っても世界でそれを止めるのはIOCだけじゃなかったかと思います。
競技場の設計・建築も白紙に、大会ロゴも盗作問題発生、そして森氏の女性蔑視発言、さらに開幕間近になり、どんどん出てくる関係者の不祥事。
それもこれも、正々堂々、大きな志を持ち、太陽のように明るく突き進む人が大会関係者にいないからに他なりません。
さらに、大会延期の原因となったコロナ感染拡大。
ここでまた、「コロナに打ち勝った証しとしての大会」と言っておきながら、感染は拡大する一方の中、緊急事態宣言が出ているのにもかかわらず、強引に開催する。
強引に開催する理由を尋ねても、
安心・安全な大会にする
なぜ、安心で安全になるのかと尋ねても
安心・安全な大会にする
感染者がどのくらいの数になったら中止や延期を考えるのかと尋ねても
安全・安心な大会にする
あの1964年の東京五輪の感動をもう一度国民に感じてもらいたいというが、感染者が拡大する虞があるのに開催する理由は、と尋ねても
安全・安心な大会にする
と答える、無能で、実際は情熱ではなく、利害関係と自らの政治生命のために開催する為政者にも絶望しました。
7月24日、大会一日目での五輪関係者のコロナ感染者数は、すでに127人に達しています。
どこが、安全で安心なんですか。「危険」で「不安」がいっぱいです。
国民の我慢・忍耐だって限界です。特に飲食業、お酒を提供する職業の方々。
これだけの生活もままならないくらいの強い要請をしておいて、オリンピックに対しては“ゆるゆる”です。
ここはオリンピックも我慢して、感染拡大を抑制し、国民の健康と生命を守ることが一番大切だと私は考えました。
医療関係者だって、もう、一年半、緊張状態を保ち続けて感染に立ち向かうのも限界、限度があるんじゃないでしょうか。
報道によると、IOCと他にも電通、パソナなど特定の人の利益もかなりなものであるということですが、その利益をコロナ感染拡大防止の基金にしてはいかがですか。お金の亡者には出来ないかと思いますが・・。
というわけで、私、開会式もまったく見ていないし、もともとテレビは見ないのですが、ラジオでもオリンピック速報みたいなものが入ったら消しています。
競技者の方には申し訳ないけど、見たくもないし、聞きたくもない。
開会式は、選手が入場して、関係者が挨拶し、開会宣言と選手の宣誓のようなものがあれば、それだけで充分ではありませんか。
ショーみたいなものなどやらなくてもいいと思います。スポーツの大会なんですから。
以上が、ものすごく簡単にではありますが、今、私が感じ、考えている五輪の状況です。
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