『東京暮らしの京町屋暮らし/麻生圭子著(文藝春秋)』を読みました。
いつもどおりのブックオフで安価にて購入。
2000年7月発行の本です。
著者、麻生圭子さんはエッセイストで、作詞家としても吉川晃司、小泉今日子、中森明菜などの曲を手がけている方だと知りました。
その麻生さんが京都のいわゆる“町屋”暮らしをしようとするのですが、その町屋を借りようとして大家さんに会うと、「町屋かなんか知らんけど、あんたみたいなよそから来た人間がやな、勝手に、そんないい方してるだけや。我々、京都の人間はそんなことば、使いませんな」・・と、初っ端から痛い洗礼を受けます。
ま、一筋縄ではいかないわけで、不動産屋さんから知人、その他あらゆる“つて”を頼って町屋を探し、借りる際の改修をどこまでやっていいのかという条件などの擦り合わせも大変なことになりました。
いったん借りることが出来、契約もきちんとして、その後、夫も含め多くの人の手を借りて床を漆で塗ったりたいへんな作業をするものの、途中で話がご破算になり、苦労が水の泡となることもありました。
しかし、著者、麻生さんの町屋に対する「住んでみたい」という願望は最後まで衰えることはなく、本を読んでいるだけでもこちらが気絶しそうなくらい大変な思いと作業を経て“町屋暮らし”に漕ぎ着けるのでした。
そして、町屋暮らし・・優雅でいいじゃない、と思うと、それは現代の快適な環境、たとえばエアコンや水、給湯関係などが麻生さんが住もうとしている町屋では、昭和三十年代のような暮らしをしなければならないことになるのです。
冬は外と同じくらいの寒さの中で暮らさなければならず、台所などは土間にあり、足の先から芯まで冷たくなるらしく、夏はエアコンもないので当然あちこち開けて暮らすわけで、だから蚊帳を吊るのは当然のこと・・。
冷蔵庫も今どきの大型のものを置く場所もなく、小型で冷凍庫もない生活を選びます。
とうてい現代人には耐え難いような環境かと思いますが、でも、それでも“町屋暮らし”をしたいという気持ちはなんだか理解できます。
現代社会の皆が共有している、いわゆる“便利で快適”な生活よりも大きく深い喜びがきっと町屋暮らしにはあるのだと思います。
掲載されている写真を見ていると、なんだか私も憧れてしまいそうな“豊かさ”を感じてしまいます。
このあいだ、またもブックオフで麻生さんの「京都暮らしの四季」について書かれた本を見つけ、購入いたしましたので、読みましたらまたここでご紹介したいと思います。
今回は、京都の町屋暮らしって、なんだか良さそう・・というところまでの読後感ご紹介でした。
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